2016/9/29, Thu.

 何のきっかけもなく、まだ早い時間、七時台のうちに目が覚めた――尿意が満ちていたので、そのためかもしれない。まどろみは軽く、すぐに起きあがれるくらいの意識になったが、朝の生理現象で性器が膨張しており、用を足しづらい状態だったので、収まるのを待ってから便所に行った。そうして寝床に戻って、二度寝をしようとも思ったが頭が晴れているようなので、他人のブログを読んでから読書を始めた――それが八時一一分である。横になって最初は、涼しい曇りの朝の空気のなかで脚をほぐしていたのだが、途中で布団にくるまりだすとやはり眠気が戻ってきて、邪魔されながら一〇時前まで読んだところで、本を置いてふたたび眠りに入った。はっと覚めると一一時半、それでふたたび他人のブログを読んでいたところが、メールが入った。推敲地獄に苦しんでいる最中の、京都の知人からである。見ると、「「しばたたかせはじめる」っておかしい!? 「しばたたかせはじめる」っておかしい!?」とわざわざ二回繰り返して、それだけが記されていた。これは相手がブログにも載せて代替案を試行錯誤していた部分である。返信を考えるためにもう一度、それが含まれた文章全体を見ることにして、身体を起こすとコンピューターを点けた。それで何度か読み返してから上階に行くと、母親は、大叔母(祖父の妹)が墓参りに来ると言うので、一緒に行って昼食を取ってくるという話で、既に不在である。メールに返信をしてから食事の支度をした――例によって、ハムエッグを用意し、ほかに前日の残りの肉炒めなどでもって、食事を取りながら、メールのやりとりをし、新聞も読んだはずである。食後に食器を片付けると、風呂洗いとアイロン掛けを早々に済ませてしまい、室に帰ると一時頃だったと思われる。インターネットを回りだし、性欲が満ちていたので、ポルノを色々と見ながら射精をして、そうすると二時に到っていた。ふたたびインターネットに繰り出して、古谷利裕の「偽日記」から何らかの人名をクリックして、はてなキーワードに飛んだのを機に、フランツ・カフカヴァージニア・ウルフなどの語を含むブログ一覧を見て、何か面白いサイトはないかと探したのだが、当然のことながらどれもこれもまるでくだらない文章ばかりである。ローベルト・ヴァルザーの項目は、はてなキーワードには設けられていなかったので、Googleで検索したが、こちらも同様、ただその過程で、Guardian紙のホームページにヴァルザーのエッセイの英訳本から二篇ほどが載せられているのに行き当たって、やや驚いた。欧州圏と日本とでは無論、さまざまな差異によって受容や評価のされ方も違うわけだが、Robert Walserなどという作家が堂々と紹介されている英高級紙に比べて、我が日本のマスメディアの文化的貧困は甚だしい。それで二時半になると、隣室に入ってギターを爪弾き、スケールも旋律も無視してただ音を鳴らすことに没入しているうちに、三時直前になっていた。可能ならば、立川に出かけたいという気持ちでいた――シャンプーや髭剃り用のジェルが切れかけていたし、痒み止めなども入手したいと思っていたのだ。しかしひとまず、身体が凝ってもいたのだろう、読書の時間を取りながらベッドで休むことにして、ごろりと転がってマルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 7 第四篇 ソドムとゴモラⅠ』を顔の前に掲げた。そうして読んでいるうちに、姿勢の安楽さに馴染んで、時間も遅くなってきたこともあって外出が億劫になってきた――実際のところ、先に挙げた諸々の買い物は、すぐに入手しなくたって生活はどうにでもなる類のものであるし、出かけるならば翌日だって休日なのでチャンスはある。ただ気掛かりだったのは年金で、支払期限がこの日か翌日かだったはずなので、事によってはあとで最寄りのコンビニ――これがなかなか遠いのだが――まで歩いて払い込みだけ済ませてもいいなと思われたが、のちに確認してみると、期限はぴったり月末、三〇日だったので、この日は結局一歩も家の外に出ずに終わった。読書は午後五時台にまで及んだ。市内に夕刻を知らせる鐘の音が響き渡ったのと同じ頃に、天井がどんどんと鳴って、母親が食事の支度を手伝うようにと合図をしたのだが、楽な態勢に安住したままプルーストの物語のなかを泳ぎ続けたいという欲望が満ちていたようで(実際、ここまでで既に二時間読み続けていたが、自分一人で食事の用意だって家族に構うことなく自由になっていたなら、あと二、三時間は本から離れなかったに違いない)、その合図を聞くだけで気分が少々苛々とした。とはいえ、手伝わないわけにも行かない。本を置いて上階に行くと、母親は既に台所に立って、焜炉には湯の薄く入ったフライパンに、同様に湯の注がれた鍋が掛かっている。ミョウガの味噌汁を作り、おかずとしてはジャガイモやピーマンを鶏肉と炒めようと言うのだが、ミョウガの独特の薬っぽいような味や、ジャガイモをまず多少茹でなければならないという些細な事柄がいちいち煩わしいように感じられて、ミョウガを刻んで湯に入れたり、ピーマンを切って種を取り除いたりなどの作業をしながらも、一人暮らしをしていればメニューの選択だってこちらの思い次第なのに、と詮ない嘆きをふたたび胸中で洩らした。そのように少々鬱々としたような気分で、他人とコミュニケーションを取るのが心底面倒くさかったため、母親が何か話しかけてくるのにも黙って答えず、ジャガイモを茹でたあとは肉とピーマン、シシトウと合わせてフライパンで炒めた。醤油を落としてフライパンのなかを塩っぱい褐色に染めたところで、室に戻った。そうしてちょっと時間を置いてから、ふたたび六時から読書、『失われた時を求めて』七巻を一時間二〇分読むと、食事を取りに行った。食事中のことはよく覚えていないが、たしかテレビは、日本に馴染んだ白人婦人の小さな子どもたちが、アメリカの祖父母のところに日本製の贈り物を届けに行くという、昨今よくある異文化との邂逅を装いながら結局は自国賛美を趣旨としている類の番組が流れていたはずである。食後、どのタイミングで風呂に入ったのかも定かでない。次に記録上出現する時間は書き物のそれで、一〇時四〇分から二八日の記事を綴りはじめた時のものだが、それまでにひらいている空白の時間は、またインターネットに繰り出してでもいたのだろう。音楽はRobert Glasper Experiment『Black Radio』、続けて同じくGlapserの『Covered』を流して、通して二時間を文章作成に充てた。二八日の記事を書くのに思ったよりも時間が掛かった形だが――ちょうど一時間半掛けて四〇〇〇字を綴ったのだが、そのくらいになったのは、その日話し合われた会社の新制度について字数を費やしたのが原因である――、途中で、英語や日本史の勉強などの日課はこの日は犠牲にして、残りの時間はほぼ読書に充てようと気持ちが固まっていた。それで零時四〇分に、二九日の途中で中断すると、日記の読み返しだけは溜めておくと大変だからと、一日分やることにした。二〇一五年の九月二六日土曜日である。箇条書きをいくつか作ると一時、瞑想をすると、読書に入った。そうして一時間二〇分を読むと、この日の読書は総計で一九五ページ、時間にすると六時間三三分となった。大層読んだものではあるけれど、だらだらとしている時間を充てればもっと読めたのだから、やはりまだまだ欲望が弱いと思わざるを得ない。就寝前の瞑想はせずに、本を閉じると即座に明かりも消して、眠りに向かったはずである。