2017/12/16, Sat.

 三時から武蔵境で、Fabian Almazan & Linda Ohのライブを控えていた。と言うことは大方一時過ぎくらいには家を発つ必要があるから、余裕を持って一一時には起きたいと目覚ましをセットしておいたはずが、鳴るのを聞いた記憶がない。それでも一応一一時には一度目覚めたのだが、起き上がる力は湧かず、布団のなかで深呼吸をして身体の調子を調えているうちに、正午に至った。さすがにそろそろ起きなければまずいなと時間の認識とともに微睡みが破れて、身体を起こすとダウンジャケットを羽織り、そのまま瞑想に入った。一八分間を座って、洗面所で顔を洗ったり嗽をしたりしたあと、上階に行く。
 母親がカレーを作っておいてくれた。時間にあまり余裕がないので少なめに皿によそって、新聞もさほど見入らずに食べる。(……)ものを食べ終えると食器を片付けて、下階に帰ると歯磨きをしながら電車の時間を調べた。やはり一時過ぎには出ることになる。この時点で一二時四五分かそこらだったのではないか。歯磨きも短く済ませて口を濯いでくると、Oasisの楽曲を流し、服を着替えた。ベージュ色の地に黒く小さな模様が点々と散らされてあるジーンズを久しぶりに履きたくなったので、それを身に着ける。上は淡青が基調のチェック柄のシャツに、カーディガンを挟んだ上からモスグリーンの(もうだいぶ色褪せている)モッズコートを羽織る。そうして上階に行く(……)。風呂を洗うと、一時一〇分頃に出発した。
 まだ陽が十分に照っており、寒さはない。街道へと向かう。足もとに映るガードレールの影が、輪郭をくっきりと締めているような気がする。青みはない(夏にはあっただろうか?)。街道から一度裏に入ったが、しばらくすると陽射しを求めてまた表へ戻る。空は南や西に雲も見えるものの、晴れ晴れとした明るさに浸っている。横断歩道で止まって南の空に視線を向けると、光の感触が瞳に眩しかった。電車に遅れないように、歩調はやや速めだった。前日にも感じたものだが、左胸の鎖骨の下のあたりが周期的に痛む。前日には肺かと思ったが、呼吸に連動しているわけでなさそうなので、違うのではないか。血管が詰まっているのだろうかなどと考え、また、自分はこれでふとした瞬間に死ぬのではないかなどと、大方それはないだろうとはわかっていながらもそう思ってしまうのがこちらの性分なのだが、しかしそうと言ってどうすることもできない。痛みが生じるそのたびに目を向けながら、駅へと向かって行く。
 駅に入って電車に乗り、座席に就くとまず持ってきた手帳にメモを取った。前夜の入眠時の不安のこと、また朝起きて以降の流れのなかで記憶に引っ掛かっている事柄を断片的に記していく。そうしてから、本を読む気にならなかったので、ライブに備えて気力を温存しておくかと目を閉ざした。夜更かしをしたから眠りが足りなければここで眠ってもと思ったが、道中、意識を落とすことはなかった。明確な不安とも緊張ともつかないが、何か身体(肌)を覆うものの感覚があり、呼吸をしながらそれが高まっていかないか見張るような感じがあった。ここ最近、認識が明晰さを増していると感じられるのだが、そのために以前は見逃していたような情報(意味)の薄片を多く感知してしまい、それでかえって精神が浮き足立つようになっているような気がしないでもない(定かでないが)。九月か一〇月以来、緊急的な一、二回を除いては精神安定剤ももう服用していないのだが、それ以前に何年間も摂取し続けていたわけで、あるいはいまちょうど心身に溜まった薬の残滓が抜けて行くところなのか、心身が薬効のない状態と折り合いを付けつつあるところなのかもしれない、などともちょっと思った。胸の痛みは相変わらず続いていた。周期的に巡るように生じてくるそれに目を向けながら、ここでは何となく、やはり神経的なものなのではないかと感じられた(それから一日経った今日、一二月一七日には、寝起きの微睡みのなか以外ではこの痛みが意識に引っ掛かった覚えがないので、やはり心臓神経症のバリエーションのように思われる)。
 武蔵境に着くと目を開けて降車し、階段を下りて便所に寄った。用を足すとそのまま近くの、西側に当たる改札から外に出る。そうしてすぐそこの武蔵野スイングホールへ向かう(……)。エスカレーターを上がって施設に入ると、手持ち鞄からチケットを取り出し、こんにちはと挨拶をしながら職員に差し出して、資料を受け取る。Fabian Almazan及びLinda Ohのプロフィールが記されたものと、今後の公演予定をいくつか知らせる広告で、なかではやはり来年の四月六日に行われるというKris DavisとEric Levisのデュオが気になる(Kris Davisという人は最近その名を結構見かける気がするところ、ここに載せられた写真を見て初めて女性なのだと知った。迂闊である)。そうして席に就き、開演を待つ。(……)
 午後三時に至って公演が始まる。Fabian Almazanがピアノ、Linda Ohがベースのデュオである。冒頭、ピアノが鳴らされはじめ、しばらくすると聞き覚えのある旋律が判別され、『Rhizome』に入っていた曲だなと思い当たった。五曲目ではなかったかと思ったがこれは勘違いで、実際には最終曲である"Sol der Mar"だった。この冒頭曲ではベースの音量が小さくてあまり聞こえず、演奏としてもそれほど動かずに静かに底を固めることに徹していたと思う。曲に区切りが付くとそのままピアノの独奏に入る。最初はある程度形を保っていたようだったのだが、中途で柔らかく融解しはじめて、少々フリーな感じになってくるのを聞くと、ソロピアノで一枚作品を作ってほしいものだなと思われる。そのまま二曲目に移行するのだが、これも冒頭に聞き覚えのあるフレーズが奏でられる。少々機械的なと言おうか、細かなテーマの曲で、一枚目の『Personalities』の四曲目でやっていた曲だなとすぐに同定される("The Vicarious Life"という曲だった)。これはテーマのキメが難しく、そのあたりの譜割りがどうなっているのかこちらには全然良くわからない。ここではベースが良く聞こえるようになっていた。二曲目に移る前、Almazanがソロを弾いているあいだにOhがアンプのほうに寄っていたので、そこで調整していたのだろう。
 二曲目まで途切れることなく一気に演じられたあと、Almazanがマイクを持ち、次の曲はOhの作曲したものだと告げる。タイトルはSpeech of 何とか、と言っていたような気がするが、良く聞き取れなかった。ここではOhがエレキベースに持ち替えて、Almazanのほうもエレクトロニクスを活用する。導入部のピアノから、基準音の周囲に倍音の泡がいくつも生まれて無造作に浮遊しながら空間を囲むというか、そんなようなイメージを思い起こさせるリバーブの類が掛けられており、じきにベースも音を刻みはじめる。(多分親指で)ルートを刻みながら、時折りコードバッキングを差し挟む。そうしながらOhがボーカルを取りはじめ、英語力の貧困のために聞き取れないものの詞もついていたのだが、歌ものを演じるというのはこちらには意想外だった。この最初の歌のパートは、こちらとしてはあまり乗れないもので、一つには、ベースが複音を弾[はじ]く時のその和音の音色に釈然としないものを覚えたということがある。そのベースの付け方も含めて、曲想としても全体にあまりこなれていないような感を得たのだが、ただ、Ohの歌の合間に差し入れられるAlmazanの装飾はさすがだと思われた。Almazanの座っている椅子のすぐ右手にはもう一つ椅子が用意されており、その上にエフェクター類が置かれ活用されているのだが、ここではある一定以上の高音部のみがディレイとして残響/反復されるという効果が見られ、どのような仕組みでそうなっているのかこちらには全然わからないものの、それをうまく使ったバッキングが折々に施されていた。そのうちにパートが移って(Almazanがエフェクターのスイッチを親指で押す音がかち、かち、と響く)、リズミカルなユニゾンとなり、ボーカルも言語を乗せず、ハミングというか単純な声となって、この箇所のほうがこちらとしては好みだったようである。しばらくその部が続いたあと、初めの雰囲気に戻ってまた歌が始まるかと思いきや、第三部へと突入した(あるいは別の曲に移ったのかもしれないが、ここでは便宜上、一曲として考える)。このパートがこの曲のなかでは最も良く感じられた。と言って、音そのものの記憶としては残っていないのだが、ベースも結構動いて枠内を八分音符で隙間なく埋めながらピアノとユニゾンで歌唱を重ねる、というような構成で、拍子はメモによると、4/4+4/4+1/16と、繰り返しの最終部分にちょっと遊びを加えたものになっていたようである。Ohのベースプレイをたっぷりと聞けたらしい。
 四曲目は、キューバの古いダンス音楽だ、というような紹介をされていた。これも『Personalities』に収録されている、"Tres Lindas Cubanas"である。アルバムでは冒頭がラジオ音源のような加工をされていたあれだな、とすぐに思い当たる。これはやはり非常に楽しく快い音楽で、席に就きながら自ずと身体を左右に揺らしたり、脚を細かく動かしたりしてしまう。ここでは、Linda Ohがウッドベースでのソロを披露していた。ソロに入って初めの頃は、音からはちょっと離れて視覚のほうが一時優位になった。橙色がかった照明にOhの肌が褐色気味に染まって良く映え、指板の脇を動く腕の筋肉の収縮に応じて、細い影が一つの筋となって生まれては消えるのを眺めてしまったのだ。ソロ中、Ohは顔をちょっとしかめるようにしながら瞑目を続けており、そのさまを見ながら、ああ、自分の奏でる音の形を見ているな、と思った。ソロは全体として、あまり速いフレーズに走らず、どっしりとした調子で堂々と、鷹揚に歩き回るという風情だったと思う。Almazanのほうは曲中、ここでは特にパーカッシヴな振舞いが目立って、そうした様子にはCecil Taylorなどを連想しないでもない。
 そこまでで前半は終了、場内が明るくなって休憩を挟む。こちらはトイレなどに立つことなく、席に就いたまま手帳に汚い字でメモを取った。十分に書ききることのできないままに後半が始まる。こちらの冒頭は、『Alcanza』でも"Alcanza Suite"の最初に据えられていた"Vida Absurda y Bella"というもので、これも二回しか聞いていないと思うが、旋律の流れ方が独特なのですぐに判別できた。アルバムではCamila Mezaが歌っているのだが、ここではOhがベースを奏でながらメロディも担当していた。Ohは曲中で一度、弓を持った瞬間があり、ほんの少しだけ弦に触れさせたのだが、まだ曲調が賑やかでピアノの音も厚かったので音がまったく聞こえず、Oh自身もすぐに置いてしまったので、そこでは思わず心のなかで、何やねん、と似非関西弁で突っ込んでしまった。その後、穏やかで静かなパートに掛かるとここでは正式にアルコを披露していた。Almazanのソロ中では、佳境に掛かった頃合いに、破片的/破砕的な(尖った礫[つぶて]を散らばすような)最高音部の強調及びそこからの駆けくだりがあって、これは耳に少々刺激的で印象に残された。
 後半二曲目は、"Blame It On My Youth"である。ピアノのイントロをちょっと聞いたところで、Evans的な叙情曲だなと判断し(「Evans的」などというくくり方はあまりに雑駁に過ぎるのだが)、どうもスタンダードらしいぞと続く進行から聞き分けられ、タイトルの歌詞が出てくる部分で自ずと旋律に言葉が嵌め込まれて、曲を同定するとともに、そう言えばBrad Mehldauもやっていたなと余計な(?)記憶がついてきた。演奏としてはオーソドックスで安定的なもので、こちらの感じ方としては、特段に際立った箇所はなかったように思う。
 三曲目はAlmazanがMCで、今日この場で皆さんに対して披露するのが最初です、というようなことを言っていた(例によって曲名は聞き取れなかった)。前半と同じく、この三曲目ではOhがエレベを持ち、全体的な曲調としても似た雰囲気だったように思う。確かピアノが三拍子単位(あるいは六拍子単位)のフレーズを奏でるところから始まったのではなかったか。それにベースが五拍子で一単位のフレーズを当ててポリリズム的にやっていたように思うのだが、一方で、テンポをハーフと倍とのあいだで行き来しながらOhの声とピアノでユニゾンを乗せる、というパートもあったはずで、こちらが先だったような気もして良くわからない。その後、Fabian Almazanは、テンションが複雑に織り交ぜられた時特有の、色合いが希薄と言うか、淡色にあたる質感のソロを繰り広げていた。希薄ではありながら、全体的な調子としてはダークではなく、柔らかく明るめの、朗らかなもので、昼過ぎの陽に霞んでいる山の姿のあの感じを思い起こすようでもあったが、しかしこれは非常に「文学的な」(具体的で即物的な分析を欠いた内容空疎な)イメージに過ぎない。このような感覚=イメージを音楽から引き出すことはできるのだが、楽理的な知識及び楽器に触れた経験が不足しているために、それを理論/論理に結びつけることができないのだ。
 あまり覚えていないのだが、後半部は五+五+三というような譜割りで、ふたたびユニゾン的な歌唱が聞かれたと思う。そのままベースソロに入ったのだが、テーマでは把握できていたはずの譜割りがソロに入ると途端に掴めなくなり、小節の区分けを見失うことになった。Almazanがつけるバッキングに頼って取り戻そうとするものの果たせず、じきにそのような構成などどうでも良い、外側から与えられる数理的分節など捨て置いて音楽内に内在している動きや時間の流れを捉え、それに沿って秩序を回復するのだと決断し、ベースの音に集中した。そうは言ってもしかし、結局また構成を考えてしまうもので、その後のパートは五拍子だと最初は聞こえたのだが、終盤になって、どうも4/4+5/16ではないかと認識を新たにした。要するに、四分の五拍子に一六分音符が一つだけ付加されている形で、先ほど五・五・三の区分けだと思った部分の「五」の箇所も、本当はそうだったのかもしれない。
 後半四曲目は、初め、『Personalities』の二曲目に収録されている"H.U.Gs (Historically Underrepresented Groups)"だと思っていたのだが、そのうちにどうも違うなと気づかれた。それでも聞き覚えがあるようだったが、帰ってきてからちょっと調べてみても同じ曲と聞こえるものが見当たらなかったので、良くわからない。この曲も譜割りがわからず、ひたすら滑らかに、縦横無尽に駆け巡るピアノに終始圧倒されるばかりだった。
 アンコールでは、Ohがマイクを持って、we would like to play "My Shining Hour", と曲目を紹介したあと、"dedicated to Kohei Kawakami"と言っていたように聞こえたのだが、イベントのプロデューサーか誰かだろうか。このスタンダードはわりと速めのテンポで演奏されて、Almazanのピアノの付け方が細かい。初めはベースが二分で余裕を持っていたが、フォービートに入って当初はAlmazanが走り気味だったようにこちらには聞こえた(ピアノに合わせてテンポを掴んでいたため、ベースとずれてビートからはぐれそうになったのだ)。Ohがやや遅れているのを、じきに二人で調整して合わせていた。ベースソロは、前曲もそうだったのだが、このコンサート終盤に来てOhの演奏に細かいパッセージが混ざりはじめていた。前半を聞く限り、Linda Ohのソロのスタイルというのは、一音一音に骨太に力を込めつつ(弦を弾く時のばちばちという響きはライブのあいだ、至る所で明瞭に聞こえた)、リズム構成を変じて工夫を凝らしながらどっしりと周回する、というのが基本だと思ったのだが、後半ではいわゆる「速弾き」も時折りやっていたようである。ベースソロの後半では、二人で顔を見合わせながらいわゆる「インタープレイ」と呼ばれるようなやりとりも行っていた。
 それで終演である。五時前になっていた。人々が捌けていくのを待ったあと、こちらもホールから出て、トイレに行く。用を足して戻るあいだ、角のところで高年の女性が一人、きょろきょろとしていたので、トイレですかと声を掛け、トイレはあちらに、と来たほうに右手を振りひらいて案内しておいた。そうして通路を戻り、建物を出たところでストールを巻き、エスカレーターを下りる。忘れないうちに、手帳に記憶を記しておきたいと思っていた。施設の地階に入っている喫茶店(ドトールコーヒー)に入っても良かったのだが、外から覗きこんで客入りの様子を窺ってみても入店する気が起こらないので、駅前のベンチに座るかと決めた。それで通りを渡る(小さな女の子が、姉だか妹だかときちんと手を繋ぐようにと母親から(ややきつめに)注意されていた)。右手を向くと西空に、もう消え入る間近の夕焼けの霞んでいるのが目に入る。前回か前々回にここにほとんど同じ時間に来た時には、青さの露わな空の際から紅色の残照がプランクトンの群生めいた薄さと流動性で湧いているのを目にして、大方そんな風に日記にも書き付けた覚えがあるが、この日は空は曇り気味で、季節も進んだから混ざった赤の色素も朧で、全体として澱んだような風合いになっていた。おそらく本来はバスを待つ人々の利用するものなのだろうが、駅舎前のベンチに就く。背もたれがないので前に少々屈んで手帳を抱くようになりながら、記憶を書き付けて行く。終えて立った頃には、五時半くらいになっていただろうか? わからないが、駅に入ってホームに上り、電車に乗った。腹が大変に減っていて、ホームの上の空気が冷たかった。
 電車内では特段印象に残ったことはない。立川で降りる。まっすぐ帰っても良かったが、翌日一二月一七日が父親の誕生日なので、たまには何かしらのプレゼントでも用意するかという気になっていた(と言うか、少々前からこの日の外出に付随してそうしたことを考えてはいた)。途中下車して街に出るのが面倒臭くも思われ、さっさと帰ってこの日のことを書き付けたいという気持ちもあったのだが(日記が長くなるのは必定だった)、世話になっている身であるしその程度の手間は掛けるものだろう、それで父親がささやかにでも喜んでくれるならば、それは決して悪いことではない(むしろ良いことと言っても良いのではないか?)というわけで、階段を上ると改札を抜けた。土曜日の帰宅時、あるいは人によってはこれから街に繰り出そうという頃合いだろうか、人波は厚い。そのなかをすり抜けて広場に出て、通路に入ってエスカレーターで地上に降りると、まず空腹を埋めなくてはというわけでラーメン屋に行った。いつもながらの、「(……)」である(ここ以外にラーメン屋というものに馴染みがなく、新たな店を一人で開拓しようと思うほどにラーメンを愛してもいない)。入店すると食券を買い(醤油ラーメンに葱をトッピングする)、女性店員に差し出すと(サービス券では餃子を頼んだ)、カウンター席のうち、入口から見て目の前の位置に就いた。そうして時折り水を口にしながら、何をするでもなく品が来るのを待つ(こうした合間に携帯電話を弄るということを、もはやまったくしなくなった。と言うか、いわゆる「ガラケー」に電話を戻してからというもの、携帯でウェブを回るということが一瞬もない)。料理が届くと黙々と食べる。この店ではいつも、九〇年代かそれ以前くらいに流行っていたような雰囲気のJ-POP(と言って良いのだろうか?)の類が掛かっているのだが、なかに一つ、昔のアニメソングのような、ヘヴィメタルの風味をちょっと取り入れて(一六分音符で刻まれるギターのリフである)、「コテコテ」という形容が実に良く似合うと思われる女性ボーカルの楽曲が流れて、そのあまりの典型ぶりでかえって耳を惹いた。聞いたことのある曲ではなかったものの、何か音楽の作り方に耳に覚えがあるなと思っていると、Every Little Thingの初期のそれにそっくりなのだなと思い当たった。Europeの真似をしていた頃("Dear My Friend"のイントロに顕著である)の、あの曲想である。
 ものを食べ終えると、ごちそうさまでしたと残して退店し、書店に向かった。路地から通りに出ると横断歩道が青になっていたが、急ぐのが面倒臭いので点滅する信号を前にしながら足を止める。しばらく待って渡ると、高島屋の前を左に折れ、電飾に溢れたクリスマスツリーの横を通って階段を上る。階段の途中に、ツリーのほうに携帯を向けて写真を撮っている男性がいた。ツリーの傍には何のキャラクターなのか知らないが、白い兎の像も形作られている。パーク・アベニューというらしい建物に入る。ここの入口脇にあるSUIT SELECTという店は、こちらは一度も入ったことがないが、いつも本線のモダンジャズがBGMとして流されている。この時耳にしたものは、初めはアルトサックスのように思われたのだが、続いて何故か、Joshua Redmanの名前が脳内に浮かび上がってきた。
 エスカレーターを上って、オリオン書房に踏み入る。父親も、たまには文学作品として呼び慣わされているものの一つくらい、読んでみても良いのではないかというわけで、ヘミングウェイの『老人と海』を一つにはプレゼントするつもりだった。先日英語で読んだところでは、物語としてきちんとした具体性を伴っていて悪くない感触を持ったし、小説作品を読みつけない者にもそれなりに楽しめるのではないかと考えたのだ。それで光文社古典新訳文庫の区画に行って、ほかに並んだものと比べてもひときわ薄いその本を見つける。これを買ってさっさと店をあとにすれば良いわけだが、どうせ来たのだからというわけで、一冊くらい自分のものも何か買っても良いのではないかという欲望が湧いていた。それで岩波文庫の周辺を眺めたり、海外文学の棚を見たりする。書架を眺めていると外国人の女性が二人、何やら話しながら区画に入ってくる。多分フランス語ではなかったかと思うのだが、確かなことは言えない。彼女らは、平積みにされている本のうちから、最近発刊されたポーランド文学古典叢書の一冊、ボレスワフ・プルス『人形』を取り上げて賑やかに話していた。辞典めいて実に分厚く、帯に沼野充義の称賛が記されているあれである。こちらはその後、海外文学を見ていても購買意欲を搔き立てられるものに遭遇しないので、やはり手軽なところで文庫だろうかとそちらのコーナーに戻り、ちくま学芸文庫などの並びを見やった。ここではシュロモー・サンド『ユダヤ人の起源』という、比較的最近に文庫化された覚えのある著作は欲しいと思ったし、どうせいずれ読むのだからニーチェ全集の一冊でも買っておいても良いかとも思ったが、決断に踏み切れない。哲学の区画に行って『ミシェル・フーコー思考集成』を目にしてみるかと移動する途中、パレスチナ関連の文献を調べておこうと国際政治的な分野の一画に入ると、イラン・パペ『パレスチナ民族浄化』という見たことのない本がある。法政大学出版局からのもので、奥付を見るとこの一一月に出たばかりである。値段も四〇〇〇円ほどで、ぎりぎり許容範囲なので、これではないか、と思った。それでも一応、『ミシェル・フーコー思考集成』のほうも見てみようと棚を移り、手にしてみたものの、やはり六五〇〇円(税抜)には怯む。そういうわけで先の本を買うことにして確保すると会計に向かった。(……)二冊を差し出して文庫のほうを示しながら、プレゼント用と言いますか、と伝える(……)。その後、包装用紙の柄を決めたり、会計を済ませたりしたのち、貰った番号札(一六番)を持ちながらレジカウンターの近くで漫画の区画のほうをぼんやり眺めながらしばらく待った。さほどの時間も掛からずに呼ばれる。品を受け取ると、きちんと頭を下げて礼を言い、店をあとにした。
 SUIT SELECTの前を通ると今度はトランペットの音が聞こえて、Lee MorganFreddie Hubbardだろうかなどと当てずっぽうで見当を付けた。一六分音符で四音単位のフレーズの反復(一音目の四度(あるいは増四度)から二音目で五度に上がって、残りの二音も同じ音を繰り返す)をやっているところで、聞き覚えがあるようにも思われたのだが、もしFreddie Hubbardだったとすれば『Open Sesame』を結構良く聞いていた時期があったから、そのなかに入っている音源だったのかもしれない。建物を出ると、駅に向かう。プレゼントは文庫本だけでなく、ほかに酒を何か買うつもりでいた。こちらは酒をまったく飲まず、世間知というものを持っていないので、酒屋がどこにあるのかわからない。百貨店のなかにはあるのかもしれないが、馴染みのない場所を巡る気もせず、ルミネの地階にでも一軒くらい区画があるのではと当たりを付けて、駅ビルに入った。クリスマスが近いこともあってか、フロアは人々のうねりで実に賑やかである。案内表示を見つつ回ってみたものの、やはりあるのは食べ物屋か洋菓子和菓子の店ばかりである。それでもスーパー成城石井が入っていたので、ここで一本、そこそこの値のものを買っていけば良かろうと定めて入店した。それで日本酒の区画を眺める。先述の通り酒の良し悪しなどまったくわからないから、値段と見た目で決めるほかはないと目を凝らすと、並びに一つ、目に留まるものがある。「夢花火・恋花火」というもので、黒塗りの瓶とラベルに描かれたデザインがなかなか良いように思われたのだ。そのデザインというのは、墨色の円が上下に三つ並んでいるもので、そのうちの真ん中のものは色が薄く、おそらく花火がひらいたさまを模したのだろうか、均一に塗り潰されずに細かな綾が施されていた。銘柄もやや感傷が滲むが悪くはあるまいというわけで、周囲を見てもそれ以上にぴんと来るものもほかになさそうだったので、この一品を掴んでレジに持って行った。
 そうして駅舎内に戻り、改札を抜けてホームに降りる。電車内はまだ人が少なく、座席の端に就くことができた。ビニール袋に入った酒瓶を初めは足もとに置こうとしたのだが、座席の下から出ている暖風に当たると良くないのではと考えて、鞄と一緒に横の仕切りと身体の隙間に挟んでおいた。それでパク・ミンギュ/ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳『カステラ』を読みながら到着を待つ。電車は(……)だったので、そこまで行くと一度降りて、寒風のなかで本を読み続けながら後続を待つ。(……)に着くとちょうど乗り換えに当たって、速やかに最寄りまで至った。
 帰宅すると買ってきたものを卓上に置く。(……)下階に帰り、着替えると、インターネットを覗いたりこの日の支出や前日の記録を付けたりしてから、日記を書きはじめている。長らく未完だった一二月四日の分である。もう当日からよほど時間も経ってしまったので、書店にいるあいだのことのみを主に記しておき、それで完成として、一四日までの記事をブログに続々と投稿して行った。そうすると一〇時頃だっただろう。入浴に行き、出るとカレーの残りを食って、その後、一一時台後半から日記の読み返しをしている。二〇一六年一二月六日火曜日の分をさっさと読むと、インターネットに遊んで、すると身体がこごっていたのだろう、読書を始めている。『カステラ』を五〇分読み進めて一時半に至ると、瞑想をして二時、そこからまた一時間、書き物を行った。一五日の記事を完成させ、一六日の分もいくらか記しておく(……)。そうして四時に至り、一七分から半過ぎまで瞑想をすると床に就いた。
 夜半過ぎ、室内で煙の臭いを嗅いで、もしや火事でないかと慌てて外を確認するという諸々の流れがあったのを思い出したが、もはや面倒なので詳細は省く。