2017/12/25, Mon.

 夢。驚くべきことに、ある女性と結婚をしており、かなり幸福に、あるいは熱情的に「愛し合って」いた(性行為をしていたということではない)。女性は完全に匿名的な人で、現実にこちらが知り合ってきた女性たちの誰をも思い起こさせることが少しもない。本当は偽装結婚だったか、あるいは女性を騙して結婚したのだったか、少々屈折した前段の筋があったはずなのだが、それは忘れてしまった。微睡みのなかにいて夢を思い返している際に、この夢は昨日か数日前から見ていたのではなかったか、日を置いて継ぎ足されたのではないかという混乱が差し挟まったので(実際には、この日の睡眠中に初めて生まれた物語だったはずだ)、結構長いものだったのではないか。
 一一時四〇分頃、確かな覚醒を得る。布団を抜けて洗面所に行き、嗽をする。それから用を足して戻り、瞑想。窓を開けても少しも寒さを感じず、非常に朗らかな感触の晴れの日である。一八分座って正午を越え、上階へ。前日の味噌汁やおでんが残っているのでそれらを温めて用意する。ほか、やはり残り物のサラダ。米は食わず。新聞、一面から「日豪地位協定 大枠合意へ 自衛隊と豪軍 来月、首脳会談で」を読む。
 この日は三時過ぎには出発したい。すると遅くとも二時半には支度に移らねばならないが、食事を終えた時点で既に一時が近いので、ほとんど何をする間もない。帰ってきたあとも、翌日が早番だから六時頃には起きたいと考えると、やはりせいぜい一時くらいには床に就きたいが、夕食や入浴を済ませるとそれで大方一一時は回るはずだから、やはりさほどの余裕はない。と、そのように頭のなかで計算してみると、時間の少なさに焦りが湧くのではなく、かえって諦めの気持ちが生まれてくるというか、まあ与えられた時間の内でできることをやれば良いだろうと緩く落とす心になる。しかしそうは言っても、もう少しどうにかしたいという気持ちも同時にあって、睡眠を短くするというのが手っ取り早い解決策なのだが、これが何年も前から一向に改善できていない難事である。
 食後、食器を洗って浴室に行く。まあ落着いてゆっくりやろうではないかと、浴槽を隅から隅まで、ブラシを使ってよく擦る。その後室へ帰るとコンピューターを立ち上げて、Evernoteをひらき、前日の日課の記録を付ける。その後この日の記事も作成し、また、一月の勤務日程を写しておく。そうして、前日の記事を正式に記している余裕はないので、頭(頭のなかに生まれる言葉の文体[﹅2])をメモのモードにして断片的に記録していき、それからこの日の記事を書きはじめた。これはまだ起きてまもないので容易に現在時に追いつけるだろうと、文の形を作って行き、ここまで記すと一時四六分になっている。
 懸案事項としては、まず二二日の記事を仕上げられていない。また、カタルーニャ州議会選の結果も記録していないし、昨日の新聞に載っていたパレスチナ関連の記事も写していない。今日の新聞からはクルド自治区についての記事を読んでいない。ほか、読んだ本の書抜きもかなり溜まっているのだが、どうもこれにうまく時間を取れないでいる。
 それから、白湯を一杯湯呑みに注いできて、前日に買ったスナック菓子も持って室に帰る。今日はこのコンソメ味の小さなポテトチップスを出勤前のエネルギー補給源とすることにして食べながら、(……)を読む。そうして二時を回る。白湯を飲んだ際に腹に熱の溜まる感じや、そこからさらに少々汗ばんでくる肌の感覚などを見ても、相当に気温の暖かな日である。
 出勤路に就いたのは三時過ぎ。道に出るとすぐに、知らない高年だが散歩をしているらしい男性がいたので、すれ違いざまに挨拶を掛ける。気分は柔らかだったらしい。陽のまだ通う路上に風が吹き、転がった葉の動かされるのが、小動物めいて見える。
 街道を渡る際、西へ道の先を見やると、光の膜が宙に掛かっているのが砂埃が一面舞っているかのようだった。労働は面倒だなと欠伸を洩らしながら表の道を行く。途中、こちらの脇から抜かして先に行く後ろ姿を見れば、(……)らしい。(……)すたすたと、速い歩調でどんどん先へ行くのに比べて、こちらはいかにものろいと思われた。
 空は端的な快晴で、空中に漂う塵なのか、眼球の表面を蠢く何かなのか知れないが、明るい青を背景にちらちらと舞うものがはっきりと視認される。南を向けば遠く山際に雲も湧いてはいるが、襞の形は明瞭にわかるものの全体としては一面に均されたように希薄な感触だった。(……)バス停に、先ほどこちらを抜かして行った(……)がいる。ちょっと手前から視線を送ると、あちらも向いてきて、顔を見合わせながら近づき、挨拶とともに名を名乗った。こちらのことを忘れているのではないかと思ったのだ。そうして少々、立ち話をする。いまどうしているのかと訊かれたので、相変わらず同じ職場でフリーターだと答えると、小説家を目指して、というような反応がある。この人とは、多分一昨年のことかと思うが、(……)でも顔を合わせたことがあり、もう覚えていないが、その時にそうした話を多少なりともしたのだろう。はあ、まあ、というような感じで曖昧に受けたのは、職業作家になるという気持ちなどもはや少しもないからである。前々から別にそんな気持ちはなかったものの、一応以前は、作品ができたらひとまず新人賞には投稿してみようと思っていた頃もあったのだけれど、今はそうする気はまったくない(そもそもこちらが作品を作り出す気配が一向にやって来ない)。結局こちらは、毎日文を読んで文を書くことができればそれでもう良いのであって、生活をどう立てて行くかという現実的な経済的問題はあるにせよ、そのためにいわゆる「作家」になる必要も欲望ももはや微塵も感じない。しかし、こうしたこちらの性向を知らない人に、読み書きをしたいとか、小説作品を作りたいのだとか話すと、おそらくほとんど例外なく皆、こちらは「作家」を目指しているのだと受け取ると思う。以前、高校の同級生と集った席でそのようなことをちょっと話した時にも、(……)に、「素敵な夢だね」と言われたのだが、実に釈然としない話である。こちらは「夢」を追っているつもりなどまったくないからで、既に読むこと書くことはこちらの現在の/現実の生活の内に確固としたものとして根付いているのだ。勿論現在のところ、それには両親の施してくれる恩恵が大きく、その点やはり大変にありがたいと思うものだが、自分のこの先の課題としては、このような生活をどうやって独力で保っていくかというその一点に尽きるだろう。
 先の点に話を戻すと、世の人々は多分大概、何かの活動をするといった時に、その先には何かしらのわかりやすい概念で指し示される存在になるとか(この場合、「作家」がそれである)、何かしらの「結果」を残さなければいけないという考えを前提としているのではないだろうか(「残さなければいけない」というのは言い過ぎかもしれない。「残すために活動するものだ」というくらいが妥当だろうか)。この「ために」の思考、つまりは目的論的な思考の形式が、自分にはもはや実感として良くわからない(つまり、それはもうこちらに馴染むものではない)。言葉にしてしまうと実にありがちな言い分になってしまうが、自分は明らかに、何かのために生きているのではないし、何かのために書いているのでもなく、ただ生き、ただ書くという状態に、よしんば完全にではないにせよ、なってきていると思う。この先、毎日ただ読み、書くという生活を実際に続けていけたとして、それによって金なり地位なり評価なり作品なり、そういった明確な形で表れる諸々の「結果」を何も残せなかったとしても、自分は多分全然後悔しないのではないかと思う(あるいは、その都度その都度のこの自分の存在そのものが「結果」なのだと言っても良いかもしれない)。もしこちらが死ぬ時に後悔することがあるとすれば、それはもうこれ以上長く己の生を書き続けられないというその一点だけだろう、と、しかしここまで言ってしまうと少々格好付けが過ぎるが、今のところはまあ大方そんな気分ではいる(勿論この先、何らかの「目的」や目指す「結果」が生まれてこないとも限らない)。それでは単なる「自己満足」ではないか、というお定まりの疑問を他人からは投げかけられそうな気がするが、「自己満足」というものの何が駄目なのか、自分には端的に良くわからない。他人に大した迷惑も掛けずに自分一人で何かを行い、自分一人でそれに満足できていれば、それはむしろ素晴らしいことではないかという気がするものだ。そもそも、よほど他人と関わりを持たず、極端に抽象的な生活を送っていれば別だが、生きていく上で他者との関係を避けることなど事実上ほとんど不可能なのだから、「活動」というものは必然的に、どれほど微細なものであれ何らかの社会性を帯びてしまうものだろう。また、現代にはインターネットという空間も存在している。自分もこうして書いた日記を、どうせ書くからにはまあ一応読み手を作るかというわけでインターネット上に放流しているわけだが、具体的な反応など得られなくとも(と言うか、そうしたものがあるとむしろ面倒臭いので、コメント欄は使えないようにしているし、メールアドレスも載せていない)どこかの誰かが読んでくれているだろうというだけで今の自分は概ね満足である(この点、現代は「承認」がとても得やすくなった時代であるはずだ)。仮にインターネットがなかったとしたって、日記に書いてまとめたようなことを友人に話したりもするわけで、それで何らか相手の思考を触発できたりすれば、それもそれで非常に微小ではあるが一つの社会性というものだろう。
 こうしたことを考えてきた時に、いま思いついたのだが、自分の日記というものは、自分を絶えず変容させていくための、あるいは「より良く生きていく」ための(実に古典的な、古代ギリシア的なテーマだ)有力なツールなのではないか。ここに至って、自分にも腑に落ちるような「ために」が出てきた。自分においては、もはや「書くこと」が「生きること」に直結しているということなのだろう(「書くこと」と「生きること」の一致というのは、こちらが文を書きはじめた当初から惹かれていた(ロマン主義的な?)テーマで、そもそも(……)のブログを発見してその真似事を始め、現在に至るまでこうして続けているというのもそういうことなのだろうし、プルーストにせよカフカにせよウルフにせよミシェル・レリスにせよ、作品自体よりもそうした存在様式においてまずは興味を持ったのではないか)。言い換えれば、書くために生き、生きるために書くという永遠の循環のなかに自分という主体は既に投げ入れられているということであるはずで、自分の欲望としては、作品を出版して広く読まれようとか、人々を啓発しようとか、金をたくさん稼ごうとかいうことよりも、「書くこと」を通して「より良い」生の形を探究し/構築し、その「生」の道行きの内の具体的な、個々の瞬間において、非常に微細なもので良いので(自分は「慎ましい」、「欲のない」人間なのだ(?))何らかの「社会性」を確保していきたいと、概ねそんなところがあるのだろう。これはそのまま、ミシェル・フーコーの「生の芸術作品化」のテーマに繋がる事柄であるはずだ(例によって、核心的な文献はまだ読めていないのだけれど)。要は、まことにロマン主義的で面映いものではあるが、「書くこと」を通して己の「生」そのものを彫琢していき、自分自身を一つの芸術作品のように「洗練」させていきたいというのがこちらの中核的な欲望だということになるのだろう(大袈裟な言葉を使って言い換えればそれは「実践的芸術家/芸術的実践者」になるということであり、ここにさらに、ヴァージニア・ウルフの小説に見られる「瞬間の芸術作品化」のテーマを当然接続できるはずだという直感を少し前から抱いている)。
 (全面的に言語的な[﹅8]存在=機械になること?)
 思わぬ駄弁=自分語りに逸れてしまったが、この日の先の事柄を急ぐとして、労働中のことに移ると、挙措の面から見ても概ね落着いていたらしい。ただ一度、心臓神経症で胸のあたりが少々苦しくなった時があったようで、こういう時には必ず、このまま倒れるのではないかと思ってしまう。明らかに大袈裟であり、実際に倒れたことは一度もないのだが、もうそうした思考が自動的に浮かんでくるような精神の構成になってしまっているのだ。この日はまた、クリスマスと呼ばれている日だった。クリスマスと言っても所詮は文化的歴史的に構築された観念なのだし(それを言ってしまえば、そもそもすべての暦や時刻そのものがそうなってしまうわけだが)特段の興味は湧かないな、と最近精神に根付いてきた相対化の技法によって小賢しく考えていたのだが、職場に着いてみると机上に何やら置かれた箱がある。見れば(……)からのもので、ドーナツを用意したので皆さん食べてくださいとのことであり、こうして実に具体的かつ即物的な利益が自分の身に降り掛かってくると、それだけで嬉しくなるのだから現金なものである。皆、遠慮したのかあまり食べなかったようで、退勤の時間になってもたくさん残っていたので、残っていたメンバーで分けてしまうことにして、こちらは三個も頂いて帰った。
 職場を出ると、弧を真下に描いた月が西南方向の空に白く掛かっている。ドーナツの袋を片手に持って帰路を歩く。露出したその手が冷たくひりつくので、かわるがわる持ち手を変える。しかし、なぜだかコートを着ようという気持ちは起こらない。帰宅すると、ドーナツを卓に置く。(……)ストーブの前に座って熱風を浴びると、冷えた手がちりちりと刺激される。
 手を洗って室に帰ると服を着替え、この日はどうもすぐに食事に行ったらしい。室に持ってきていた新聞を、食事の合間に読もうと思って持って行き、多分クルド自治区の記事と、安倍政権の五年を振り返った記事とを読んだのだと思う。手帳のメモにはまた、「広告。マインドフルネス」と残されているのだが、これは三面あたりの下部に、マインドフルネスの本が紹介されていたのを、どうも最近流行ってきているらしいなと目に留めたというだけのことである。「マインドフルネス」という語は、こちらにおいてはまず「マインドフルネス心理療法」として知られたもので(勿論、パニック障害に苦しめられて有効な治療法を探していた時期のことである)、それはヴィパッサナー瞑想の方法論を西洋の精神医学に取り入れたものだったはずだから、昨今の流行(?)は言わば逆輸入ということになるのだろう(仏教方面の瞑想文化の蓄積は日本にも相当にあるはずだと推測するのだが、西洋の動向を経由しなくてはそれを自国で俗化=流行させることもできない、ということになる)。こちらが件の語を知った数年前には明らかにここまでの隆盛(新聞広告になるほどの)は見られなかったと思われ、元々心理療法として医療現場に取り入れられたものが、手軽なストレス軽減法として一般に膾炙しつつあり、その風潮が日本にも移ってきたという次第ではないかと推測するが、当てずっぽうで見当を付けると、多分スティーヴ・ジョブズが瞑想を習慣としているとかいう情報が広まったあたりから(それがいつなのかわからないのだが)段々そのようになってきたのではないか。多分三、四年くらい前のニューヨーク・タイムズ紙か何かで、米国の企業で瞑想が導入されてきているとかいう記事を読んだような覚えもうっすらとあるし、確か同じ頃のGuardian紙でも、英国の一部の学校で瞑想を取り入れる試みをしていると読んだ覚えもある。
 またどうでも良い記憶にかかずらわってしまったのだが、食後入浴したところ、湯のなかで胃が痛んで、こちらのほうは良く覚えている。瞑目しながらその痛みを観察したところ、どうも胸のほうへと波及している感じがあったので、最近の心臓神経症というのはもしかして胃の不調に起因するものなのだろうかとちょっと思ったが、この可能性は現在、疑わしい。髭を剃って出ると、ドーナツを持って自室に帰った。そうして白湯を啜りながら、胃の痛みに構わず腹に入れる。時間が前後するが、居間でポットから白湯を注いだ際に、テレビには『激レアさんを連れてきた。』という番組が掛かっており、九龍城という香港のスラム街に住んだ経験のあるという人が出演していた。九龍城というのはこちらとしては、漫画『金田一少年の事件簿』のなかで舞台となっていたのを思い出すものであり、そもそも現実の場所として存在していたのをここで初めて知り、面白そうだったのだが、翌日の勤務が早かったからさっさとこの日のメモを取り、本も読んで早めに寝なくてはならないというわけで、テレビを見るのは諦めて下階に下りたのだった。
 その後、手帳にメモを取り、零時二〇分過ぎからミシェル・フーコーほか/田村俶・雲和子訳『自己のテクノロジー――フーコー・セミナーの記録』を読んで、二時に就床した。