2018/2/18, Sun.

 一度目覚めたのは、確か五時半頃ではなかったか。もう心身の緊張感はほとんどないので、そのまま寝付き、短い眠りを何度も繰り返して、最終的に九時二五分に至った。カーテンをひらいて光を顔に受け、巡る思念を感じながら一〇分ほど寝床に留まり、そうして身体を起こした。上階に行く。
 母親は既に(……)仕事に出かけていて不在、父親は休みだと思うが、多分前夜は帰ってきたあとも結局酒を飲んだのだろうから、まだ眠っているのだろう。こちらは便所に行って用を足したり、顔を洗ったりした(髪は前日に切ったので、もはや梳かす必要がない)。食事のためには、焼き鮭が新たに拵えられており、前夜帰ってきてから母親が作ってくれたワカメと大根の汁物に、前日の天麩羅の残りもあった。それらを支度しているあいだ、あらかじめ意図してそうしていたわけではないのだが、例えば頭のなかに音楽が勝手に流れ出した時に(大体、運動の時に流しているtofubeatsの音楽のなかのどれかなのだが)、「音楽、音楽、音楽」という風にサティ(気づき)を三度唱えている自分がおり、それを繰り返しているうちに、こう唱えれば短いあいだであっても自生音楽が消えるなということに気づいた。これは勿論そのほかの、よくわからない断片的な思念とか、妄想の類とか、思考の勝手に展開しそうな気配とかにも適用できるものである。言葉でもってサティを入れるというのは、(流派にもよるようだが)ヴィパッサナー瞑想の基本的な技法なのだが、自分はもうそのように言語化せずとも気づけていると思っていたので、長らくこれをなおざりにしていた。
 しかし、飯を食っているあいだに考えたところでは、このサティの「呪文」は、要は「差し止め」の効果を発揮するのだ。何か自分にとって望ましくない感情、思念の類が頭のなかに生まれた時に、それに気づき、それに単純な文言=概念を当て嵌めて思念をそれに還元することで、脳内の動きの上から/あるいは反対側から、対抗勢力としての気付きの文言を、言わば差し当てることになり、それ以上の思念の拡大、増幅を防ぐことができるのだ。(本当のヴィパッサナー瞑想とは、そのように思念に「望ましい」「望ましくない」の区別すらせず、すべてを等しく「観る」ものなのかもしれないが、こちらにはそのような境地は無理である)。遊泳する思念を差し止めた結果、意識の志向性は、いま現在、自分が行っていることに焦点を合わせられる。そこでは、「自己との一致」が実現するだろう。つまりは、メタ認知が「見られる」側の自己と密着し、常に寄り添っているような状態がほとんど自動的に維持されること、それが現在に留まり続けるということの理想的な到達点なのかもしれない。
 現在の自分の状況としては、こちらが意図してもいないのに勝手に思考が展開すること、また、勝手に頭のなかで音楽が流れだすこと、さらには、本気で思っているはずもない思念が浮かんでくるということが鬱陶しいのだが、サティ=気づき=差し止めの技法によって、これらに煩わされることを防ぎ、それらを消滅させるのは無理だとしても、うまくそれと共存していけるのではないかと思ったものだ。思考をするにしても、思考をしたいと思っていないのに勝手に思念が流れるのが鬱陶しいのであって、「自分は今思考をする」という選択・判断の下に、ゆっくりと脳内で考えをまとめる時間を取れば、それは「自己との一致」がなされているわけだから、問題ないはずだ。実際、上に書いたような事柄も、食事のあいだに箸を止めたり、食事を終えたあとに座ったまま考えたことである。
 こちらとしては、雑念の類に気づいたら、サティを三回唱えて、その時の行動もしくは呼吸に戻る、というプロセスを生活のなかで繰り返して習熟させて行きたい。そのなかでもこちらとしては、やはり呼吸に戻り、呼吸とともにあることを意識するということが肝要なのではないかという気がする。なぜなら呼吸とは、心の働きや身体感覚と密に結びついており、存在性の証だからである。技法の過程に慣れていくうちに、サティを省略して、呼吸に戻るだけで雑念を散らすことができるようになってくれはしないかと見込んでいる。
 こうしたことを考える一方で、新聞をめくって、藤井聡太棋士羽生善治に勝って優勝もしたという記事を見やったり、書評欄をちょっと眺めたりもした。そうして立つと皿を洗い、そのまま風呂も洗ったあと、ヨーグルトを食べて下階に下りた。一〇時五〇分から日記を綴って、現在一一時半前である。
 それから、読書に入った。ベッドで布団を被りながらルソー/永田千奈訳『孤独な散歩者の夢想』を一時間ほど読み(今日は九時台まで眠ってしまい、読み出す時間が遅かったので、太陽は既に窓の隅のほうまで昇っており、あまり陽射しを浴びることはできなかった)、その後、隣室に入ってギターを弾いた。そうして一時を回ると、自室に戻って、小沢健二犬は吠えるがキャラバンは進む』を流して、運動を行った。腕振り体操を始めにやり、柔軟のあと、力を籠めて腕立て伏せに腹筋、背筋、スクワットと運動をこなして、四五分を掛けた。
 そうして上階に行くと、母親が帰ってきている。肉まんを買ってきてくれたので、それを一つと、大根とワカメの汁物にゆで卵を食べる。母親がちょうど録画したテレビ番組一覧の画面をひらいていたところだったので、『マツコの知らない世界』を見ようかということになった。ちゃんぽん麺と、公園遊具の回である。視聴しながら、ものを食っている最中なのだが、ちゃんぽん麺が食べたくなった。それで、しかしこの付近に店はないよなあと母親に振ったところ、(……)の一階に入っていると言う。煎餅をかじり、またアイロン掛けをしながら公園遊具の回のほうも見て笑い、その後、ソファに就いたのだが、母親が次に選んだ番組をそこでそのまま視聴してしまった。城みちるという人の歌手活動や半生を紹介したもので、その物語を大方追ったあと、ストーブの石油を補充しに外に出た。勝手口のほうへ回り、ポンプが液体を汲んでくれるのを待つ。空は素晴らしく晴れて、希薄な青さに澄み渡っていたが、風が流れるとダウンジャケットを羽織っていても少々肌寒かった。待ちながら考えたことに、今自分は、両価性と呼ばれるもので合っているのかわからないが、何かをしたり何かを見たりした時に、くだらないとか、どうでも良いとか、そのようなネガティヴな想念がたびたび湧き上がってくるような症状(以前にも、何かをくだらないと思うことはあったはずなのだが、今はそれが気になってしまうのだ)に、少々悩まされている(悩まされていると言ったって、実際行動はできているわけなので、大したことはないのだが)。また、ギターを弾いたり、文を書いたりと、自分が気が向いてやっているはずのことをやっている最中にも、自分はこれをやっていて本当に楽しいのか、本当にこれをやりたいのか、自分は本当にそのように感じているのか、などといった風に、疑いの念が自動的に生じてくるようなことがある。自己客体化がそのような相対化、懐疑と結びつきすぎてしまい、単純で「純粋な」感情とか感じ方がなくなってしまったように思われ、これが行き過ぎて自分が妙な方向に変化してしまったり、物事についての判断を下せなくなったり、適切な行動が取れなくなったりすることを自分はおそらく怖れているのだが、しかしそれらは結局、すべてこちらの心のなかで起こっていることであり、それ単体では外部の世界には何ら影響を与えない。実際に自分の外側の世界に何らかの影響を与えるのは、こちらの行動や言動であり、今のところ自分は、上のような悩みや迷いがあるにしても、日々、実際に行動することができている。しかも、他者(家族)のことをより考えるようになったり、他人とのコミュニケーション=会話に対する志向が以前よりも強まっているらしいことを思い合わせると、むしろ良い行動をできるようになっていると言っても良いのではないか。そういうわけで、自分は上のような想念の悩みを無理に消滅させようとせず、それも(上述したサティの技法も時折り用いながら)客観視して(と言うか、自動的にそうしてしまうのだが)、自分に起こる変化を待とうと思う。勿論、悪い方向に変化して、悩みがより深まってしまうこともあるかもしれないが、それはもう仕方がない、その時はその時である。精神の動き、働き、その変容というものは、自分にはもはやどうにもできないものなのだ。
 そうして室内に戻り、タンクをストーブに戻しておくと、自室に戻ってきて、ここまで日記を綴った。この日記というものも、もはや自分がやりたくてやっているのかわからないのだが、そうした「わからなさ」と相反するように、自分は以前よりも頻繁にメモを取り、細かく綴るようになっている気がする。自分自身などというものがわからなくとも、人は動けるのだ。そうして、ともかくも実際に自分がそのように行動しているという事実は、一つの支えにもなる。
 一六日の日記も綴って完成させると五時、Oasisを流して腕振り体操をした。そうして歯磨きをしたり服を着替えたりしながら、やや明るいような気分になっているのに気づき、ありがたく思った。
 五時半頃に出発である。母親が、坂の上まで歩こうとついてきた。並んで歩きながら坂を上って行き、三ツ辻まで一緒に行ったところで別れ、こちらは街道に出た。道中に特段の印象は残っていない。思念もあったが、記憶に残っていないので、神経症的な凝り固まりというのはなかったらしい。
 駅に着いて電車に乗ると瞑目してしばらく待ち、(……)で降りる。駅舎を出て図書館に入り、CDの新着を見ると、Ella Fitzgeraldアムステルダムでの録音があった。Suchmosを探しに行くが、見当たらない。そうして雑誌の棚に寄り、「新潮」の日記リレーに目を通す。興味の対象となるのは、蓮實重彦古井由吉柄谷行人あたりである。最初は棚の前に立っていたが、途中から席に座って読んだところ、蓮實の欄は、息子重臣の葬儀だか別れの会だかの日から始まっていた。ほかの日では、山岡ミヤ『光点』という、すばる新人賞を獲ったらしい小説の構造を「透視」したとあり、優れた小説だと褒めていた。その後、古井と柄谷のものも読んだが、やはりそれぞれの色があるなという感じを受けた。
 そうして上階に行くと、新着図書の棚の横に、追悼石牟礼道子の特集が組まれている。新着図書に目を向けていると、横から突然挨拶をされたので見れば、(……)が上階から下りてきたところだった。こちらはその後、海外文学の棚を見に行った。ロシアのあたりを見ている時に、これも読みたいなと自然に心中に言葉が湧いた瞬間があり、それを自覚して、やはり自分はまだ本を読みたいという気持ちがあるのだと安堵した。棚を見て回るが、時間はあまりなかった。ゼーバルト土星の環』を借りることに決めて、持って書架を出たが、貸出機が使用中だったので、哲学のほうをちょっと見てから戻り、手続きを済ませた。それから石牟礼道子特集を見やって、集められていた全集をちょっと手に取りもしたが、もう予定の時刻、六時五〇分に至っていたので、やや急いで退館した。鞄を持ってこなかったので、ゼーバルトの本はそのまま手で持った。
 職場の送別会があったのだ。通路から下りたところに皆が集まっていたので、合流し、居酒屋に入った。人数は全部で一三人ほどであり、最初は男女別に二つのテーブルに分かれた。料理は、サラダや、刺し身や、白身魚のフライや、味の濃いめな鍋料理などである。どれも美味くいただけた。一時間半ほど経ったところで、即興で籤が作られて席を移動することになり、こちらはもう一方のテーブルに移った。じきに、ここで職場を離れる二人に対して、花やメッセージを付した色紙や餞別の品が贈られ、その後も会は続いたのだが、話したことなどを細かく書くのは面倒臭いし、それほど印象に残ったこともない。ただ、この飲み会のあいだは、特に余計な思念が回る間もなく、自然なようにいられ、またたくさん笑えたようだったので、帰路には安心した。一一時に至ったところで、(……)が突然の声を上げておひらきとなった。
 諸々省略してしまうが、皆で(……)まで戻り、ほかの面子は二次会に繰り出す流れだったが、こちらは歩いて帰ることにした。別れを告げて歩き出すと、(……)がついてきた。この人はここで職場を離れる人なのだが、表通りまで見送ってくれ、まだ会う機会はあるでしょうからまた、と挨拶を交わして別れた。夜道を黙々と歩くあいだ、本を持った手がじんじんと冷えて、時折り持ち替えてポケットに避難させながら行った。
 帰宅するとちょうど零時頃だった。炬燵に入って手と身体を温め、手帳にこの日のことを少々メモに取ってから、入浴した。あとは読書を少々行って、一時半に就寝した。