- すべてがどうでも良く、空虚に思える。物事に関心を持つという精神の能力それ自体がほとんど消えかけている。自分は自分の感受性を失ってしまった。読み書きも面白くなく、結局は惰性に過ぎない。一応はまた本を読み、文を書けるようになったところで、それを楽しめるようになったわけではない。自殺するつもりはないが、さっさと死にたいような気がする。少なくともいますぐに死んだとしても何も後悔することはないだろう。あらゆることが億劫で、永遠に眠っていたいような気がする。
- どうでも良い音楽に脳内を占拠されて鬱陶しい。思考がブロックされているような感じ。病気になって以来、自分の頭のなかに何か新しい種類の考えが一つも生まれていないということに自分は気づいている。それでなくても僅かばかりしかなかった創造性・生産性の枯渇。
- 通院、午後から。ロラゼパムをなくすことに。これで薬剤はクエチアピンとスルピリドのみになったが、薬にこれ以上自分の状態を改善させる力はないだろう。医院では、高年の女性が市役所と揉めて、大きな声で電話をしながらいくらか被害妄想じみた訴えを捲し立てていたが、詳しく書く気力はない。医者ののち、図書館へ。カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』の書抜きをしようと思っていたが、席に就いて本を取り出したところで、書抜き箇所をメモしたノートを忘れたことに気づく。それで帰ることに。スーパーに寄って、茄子や豆腐や飲むヨーグルトや緑茶などを買って帰る。
- 自然の様相の移り変わりがまったく心に響いてこない。