2019/2/4, Mon.

 三時台に一度目覚めている。それから五時台にも覚めたような気がする。そうして七時。夢を見た。匿名的な女性と一緒に風呂に入っていた。当然お互い裸なわけだが、性器を意識するとかエロティックな雰囲気はなかったと思う。彼女はおそらくこちらよりも年下で、何かその相談に乗っていると言うか、そんな感じだったようだ。時刻は夜、何となく一一時くらいだったような記憶がないでもない。じきに、父親がやって来る。一緒に入っているのを見られるのはまずいなというわけで、こちらは浴槽の端に身を寄せるが、そうしてみたって隠れられるものでもない。それでも父親は、扉をほんの少し開けるとすぐに、女性が入っていたからだろう閉め返して去って行った。しかし当然、ばれただろうという認識がこちらにはある。それで、正直に話して許してもらうしかあるまいと女性と話し合い、彼女に先に出てもらって、こちらと風呂に入っていたことを釈明してもらおうと告げる。実際そのようになったのだが、出てみると父親は気分を害するのではなく、笑みを浮かべており、これで二人の関係も安泰だなというような様子である。玄関に行く父親を追ってこちらは、自分たちはそういう関係ではないのだ。性的な交渉もしていないし、自分はただ彼女を助けたかっただけなのだ、などと述べ立てる――というところまでが覚えている事柄である。七時半に至ると床を抜けて上階に行った。両親に挨拶し、ダウンジャケットを羽織ってストーブの前にちょっと座ってから(居間の床には、前日節分だったので両親が撒いた豆の残骸が散らかっていた)、洗面所に行って顔を洗う。ついでに頭に整髪ウォーターをスプレーして、寝癖も直して、ハード・ムースで適当に整えておいた。そうして洗面所を出ると、台所の炊飯器の横には前日の五目ご飯を取り分けたものと、やはり前日の残り物である大根の肉巻きがあったので、それらをいっぺんに電子レンジに突っ込んで加熱する(カウンターを通して南窓のほうを見やると、午前七時の陽射しが大気の隅まで満ちて、まるで空気の全面が砂塵に覆われたように外の風景が霞んでいた)。そうして卓へ、新聞をひらきながら食事。読売文学賞を受賞した平野啓一郎についての記事を読む。向かいの母親はこちらを見てまたもや、髭を剃っていきなよ、新井容疑者みたいだよと言う。さらには鼻毛もちょっと出ているみたいと言うのでマジかと受けて、背後の鏡に顔を寄せてみると、確かに右の穴の下端にほんの少しだけ、覗いているものがあった。ゆで卵と林檎も食べ、薬を飲んで食器を洗う。そうして自室に帰ると鋏を使ってまず鼻毛を処理した。それから洗面所に行き、鏡を見ながら小さな鋏とコームを用いて眉も短く刈り揃えておいた。それで室に戻ると日記である。前日分を仕上げて(九〇〇〇字ほどを数えたが、二万字レベルを何度か経験した今、これくらいならばさして長くないなという感覚になっている)ブログに投稿、Twitterにも通知をしておいてからこの日のことをここまで綴って九時である。電車は一一時前半青梅発に乗れば、一二時半新宿に間に合うが、調べてみると中央線が遅延しているらしい。しかしともかくも、一〇時半頃に家を出れば、その頃には多分遅延も解消されているだろうから、大丈夫だろうと見込んでいる。ということはしかし、あと一時間半しかないわけだ。
 ひとまず風呂を洗いに行った。それから居間の片隅、テーブルの椅子に掛けられていたシャツ二枚をハンガーから外し、自室に持って帰る。収納のなかのハンガーに掛け直しておき、服を着替えた。赤と白とほとんど黒に近い濃紺のチェック柄のシャツに、グレーのイージー・スリム・パンツ。リュックサックには、Uくんに紹介して話の種にしようというわけで、最近読んだ本をいくつも収める。そうして歯を磨きながら日記の読み返し、一年前と二〇一六年八月五日。「太陽は、直上に近く感じられるが、まだ前方に浮いているようで、絶え間なく額に熱を送ってくる。道の先に見える青い瓦屋根は溶けんばかりに真っ白に膨らみ、こちらが近づいていくにつれてその川面のような白さを端から剝がされて、横を通る時には全面に取り戻された色濃い青さを湛え、陽射しを受けても乾かずその内から水が湧きだしているかのように、隅々まで光沢を残して美しく輝くのだった」という描写がちょっと良かったのでTwiterに投稿しておいた。それからCandy Dulfer『Live In Amsterdam』をBGMにして、「記憶」記事を音読する。一九番から二二番まで。

  • ●1960: 普天間基地が空軍から海兵隊に移管。
  • ●1962: 宜野湾村が宜野湾市に。普天間の面積は四八〇ヘクタール、宜野湾市の二五%を占める。キャンプ・瑞慶覧を含めると三二%。
  • ●1990年代: 普天間基地にヘリコプター部隊が常駐するように。周辺住民は騒音被害に悩まされるようになる。

 日記を書き足して便所に行き排便すると、一〇時二〇分。一〇時半頃出る予定だった。残り少ない時間を、小林康夫・西山雄二対談「人文学は滅びない 時代の課題に向き合い、新しい人文学の地平を開くために」(https://dokushojin.com/article.html?i=3681)に充て、二頁目まで読む。

西山  二〇一五年は大学での人文学のあり方をめぐって様々な議論が起こりました。その発端は六月八日に文科省から出された通知「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」です。(……)通知の中では、「特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、〔…〕組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と明言されています。(……)

小林  なぜこの十五年で、今までの大学のあり方に対して、大きな変更が求められるようになったと、西山さんは考えているのかしら?
西山  二一世紀の知識資本主義、知識基盤社会において、知識や情報の商品化や技術革新が求められ、知的イノベーションの拠点として大学が位置づけられるようになったからです。グローバル時代において、大学は先端的なイノベーションを先導し、高度な産業技術人材を育成する機関であり、国益や国力に資するナショナルな政策によってその統治や運営が方向づけられるようになってきました。
小林  そうですよね。グローバル化した資本主義では、高度な競争が要求される。そこでは国家すら資本主義のひとつのエージェントに過ぎなくなる。なおかつ情報化が急速に、かつ途轍もない規模で進展したこととリンクして、これまでとはまったく違う歴史的な局面に我々は追いやられることになったわけですね。(……)それまでは資本主義社会あるいは国家の中で、大学は一種のオアシスというか治外法権というか、まさにUniversityですから、普遍的なものの探求のために、社会の競争原理から相対的に退却した閉域のようなところがあったし、それが「大学」という理念を支えてもいたんだけれど、資本主義の体制が変質したことによって、その特別な権利が認められなくなったどころか、まさに「大学」の「知」の創造こそが、資本主義のもっとも強力な競争要因として認識されるようになってきてしまったわけです。「大学」は、ある意味、資本主義の最先端ですよ、ということになった。(……)

 そうして一〇時半を越えると、リュックサックを片手に持って上階へ。母親に行ってくると声を掛けるが、返答がない。それで見やると、耳もとにイヤフォンのコードが見える。音楽を聞きながらタブレットを弄っているので、右足の先で腰のあたりに触れてこちらに気づかせて、行ってくると再度告げて出発した。家の前の路上には濡れた痕が残っていた。知らぬ間に雨が降っていたのか、それとも母親が水を撒いたのかと疑問に思いながら歩き出す。流れているのは肌に触れたそばからほどける春の風で、寒さなど一片もない。坂に入ると、左の斜面、乾いて色の薄くなった下草のなかに、真っ赤なものが折に触れて見られる。坂道も日蔭は水気が残っていたので、やはり気づかないうちに雨が通っていたらしい。坂、上って平ら道を行く。体温とまったく齟齬なく一体化する大気。街道前、紅梅が盛りらしく、ひらいた枝にピンク色の花を鮮やかに並べ、光を浴びている。表に出る頃にはもう背が暑いようで、車の引いてくる風が丁度良い。北側に渡り、ランナー数人とすれ違いながら進む。東の途上にあるのは、チューブから絞り出されたような細長い雲。途中で裏へ入り、Uくんと何を話そうかと散漫に思い巡らせながら歩く。市民会館跡地付近の一軒で、戸口に赤子を抱えた女性が立っており、戸の内にいる老女が赤ん坊の手に触れながら話していた。その家には紅梅と蠟梅が重なり合うように立って、光を浴びている。
 青梅駅。立川行きが近かったが、一一時一七分に東京行きもある。新宿まで座れたほうが楽だなというわけで立川行きは発車するに任せ、ベンチに就いて手帳にメモを取った。東京行きがやって来ると立ち上がって先頭車両へ。視界の先、先頭の車両の脇に車椅子があって、傍には女性が一人立っている。足の悪いらしい老女が緩慢な動きで椅子に就く。そうして娘らしい女性が車椅子を押しはじめたその脇から車両に乗り込み、席に就くとメモを取り続ける。発車したところでほぼ現在時に追いつく。電車が動いているあいだは揺れでうまく文字が書けないので手帳をポケットに仕舞い、斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』を取り出して読み出す。書見しながら移動。拝島だったと思うが、若い、大学生くらいのカップルが乗ってくる。手を繋いでいる(女性のほうの真っ赤な爪)。テニスサークルだろうか、ラケットらしいものを揃って持っていて、二人ともジャージと言うかスウェットと言うか、運動着らしきものを身につけており、男性はその上から薄茶色のダッフルコートを羽織っていた。彼らはその後、談笑しながら乗っているあいだ、ずっと手を離さず、時に両手とも繋ぎ合って、時に身を近く寄せていた。彼らの手の繋ぎ目の部分が影となって、床の上にひらいた光の矩形のなかに映り込む。西立川で、目のあまり見えないらしい人が乗ってきた。乗る際に、乗り口がどこにあるのかわからず、居合わせた若い女性――高校生くらいにも見える、童顔の人だった――に誘導されて乗ってきたのだ。女性は案内をするとさっさとその場を離れてしまい、盲人は、見当違いの方向に向けて礼を言っていた。どこまで行くのだろうか、大丈夫だろうかと盲人のほうを折に触れて見やっていたのだが、彼は右手を伸ばし、手すりや網棚の縁に触れながら、物怖じせずに車両の先頭まで移動していた。その後も時折りそちらに視線を送っていたが、結局彼がどこで降りたのかはわからなかった、乗ってきた人々の影で視界が遮られてしまったのだ。ムージルを読みつつ、到着を待つ。立川以降は特段印象深いこともなかったと思う。新宿で降車。柱の影に立って携帯を取り出し見ると、Uくんからメールが入っていて、一〇分ほど遅れるとあったので、東南口の改札付近にいると送り返した。そうしてムージルを仕舞ってホームを歩き、エスカレーターを上り、群衆のなかを東南口へ(やはり外国人の姿が多く目に入る)。改札を出て向かいの腰壁に寄りかかってメモを取っていると、まもなくUくんがやって来た。笑いながら手を差し伸べ、握手し、お久しぶりです、また会えて嬉しいですと。五年ぶりくらいではないかと。確かTくんらと五月の文学フリマに行ったのが二〇一四年か二〇一五年かのどちらかで、その帰りに代々木に寄って、PRONTOで政治談義になって決裂したのだったと思う、そうするとやはり四、五年ぶりということになろう。
 スパイスカレーの美味い店があると言い、そこに行くことに。西口方面と言う。Uくんはカレーの店を五〇軒以上食べ歩いたらしい(高円寺の何とか言う店が一番だと言っていた)。歩きながらこちらの日記の話。「狂気」、と言われたのには笑う――勿論、褒め言葉としてなのだが。こちらとTwitterで再会した経緯、こちらがまだ日記を続けているということを(しかも以前よりも長々と、冗長に!)Kくんにも伝えると、彼も、「それは狂気だな」と言ったと言う。読書時間の記録なんかと言及されるので、笑って、あれは、わかりやすい指標が欲しいんですよ、自分が停滞していないっていう。俺は今日これだけ文章を読んだということを明確にして、進展を確認したいんですよ。ガード下に来る頃には、Uくんはこちらの営みのことを、アウグスティヌスから始まってミシェル・レリスに至る、「内省」の系譜に連なっていますよねと口にしていた(最初彼は、レリスをレーモン・ルーセルと言い間違えていた)。それに対してこちらは、西洋の文化だと日記というのは基本的に「内省」の技のようですね、その点こちらの日記は叙事に寄っているので、そこがちょっと違うかなとは思いますと。これ以前にUくんはこちらの日記について、自分の感情とか思いのようなものが入っていないと言っていた。と言うか、自己客体化が甚だしくて、心情や心の内のことさえも客観的に追っていると。その点、自分の日記は、心理さえも叙事になっていると言えるのかもしれない。
 ガード下を抜けて、「やけに広い横断歩道」(くるり)を渡る。裏道。Uくんは『Y』にケンドリック・ラマー論を書いたり、ほかにも連載の仕事を受けていたらしい。凄いものだ。日記しか書けないこちらとしては、きちんと主題を持ってその下に整然とまとまった文章を書けるのは羨ましい。でも編集者になめられているんですよとUくん。と言うのは、「S」で活動していて、実力もない「ただのガキのくせに」持ち上げられてしまったものだから、それでなめられているのだと。Sのほかのメンバーについても、「ただのガキのくせに」持ち上げられて、自分は偉いと勘違いしてしまったようなやつらがいる、でも自分はそのあたりドライなんで、と彼は言う。
 目指すカレー屋はビルの二階に上って、薄暗いような廊下に入ったところにあったのだが、休みだった。Uくんは薄々そうではないかと思っていたようだ。こちらはだからと言って別に全然気分は害さない。洋食屋に行きましょうかということで歩き出したのだが、件の洋食屋も区画が違ったようで、もうどこか適当に入っちゃいましょうとなった。それでちょうどエクセルシオール・カフェの前にいたので、それかもう喫茶店に入っちゃって軽食でもと指すと、そうしましょうとまとまった。入店。お先に席の確認をお願いしますと店員が言うのでフロアの奥に進み、ちょうど空いていた二人掛けに荷物を置く。Uくんは暑いと言ってここで上着を脱いでいたが、あとで話している最中には寒くなったと言って着込み、ご丁寧にファスナーまでぴっちりと閉めていた。財布を持ってカウンターへ。こちらはベーコンの挟まったパニーニを持ち、アイスココアのMサイズを注文する(八九〇円)。Uくんはパンと、何か褐色の美味そうな飲み物のほかにベーグルを買っていた。席に就いて、まずは昔語り。四、五年前の読書会の話など。その流れでHさんに話が及んで、国会前のデモの現場で彼と会った時、Hさんは、何やらこちらと仲違いしたと言うか、反りが合わないみたいなことを言っていたと聞く。こちらにはまったく心当たりがないので、困惑。今も二月に一度会って読書会をやっていると説明(現在はHさんのほうが忙しくなってしまい、延期になっているが)。
 ほか、UくんがN.Oの話や彼の専門であるピエール・ルジャンドルのことなど立て板に水という感じで次々と語ってくれて、非常に面白かったのだが、書ききれないしそもそも思い出しきれない。こちらは聞くばかりで彼に対して何か有益な情報や知見をもたらせなかったのが申し訳ない。まず、N.Oとは、Sの活動をやっていたので、知り合えたのだと。彼がSの支援者だったらしい。それで、彼と一対二でフランス語を学ぶ授業を受けていると。ミシェル・トゥルニエが中学生向けに書いたテクストなどというのがあるらしく、それを読んだと言う。素晴らしい話だ。そういった知的資産の享受というのはやはり大学にいないとできないから、その点羨ましいとこちら。授業を受けているもう一人というのはJくんという人で、この人もSのメンバーだったと言うが、彼は確かルジャンドルの弟子の研究をしているとか言っていたか?
 肝心のルジャンドルの思想について、Uくんは非常に色々と語ってくれたのだが、こちらの理解力の問題でうまく理解できているか怪しいし、よくも思い出せない。まず、ルジャンドルという人は、まとめて言ってしまうと、「法はダンスだ」などと言っている人らしく、科学的なものや合理的なもの、理性的なものの基盤に美的なものが避けようもなく入り込んでしまっているということを明かしているのだと。彼の歴史観では、フランス革命よりもアメリカ独立革命よりも重要な、「最初で最後の革命」として、一二世紀に起こった教会法とローマ法の結合がある。そこから現代の世界に繋がる権利や自由の観念、理性と信仰の対立(と同時に対立しながらの他面での癒着)が出てきていると。詳しく言うとどういうことか? まずローマ法と言うのは、ローマ帝国が各地を侵略し、領地を拡大していく上で、侵略のたびに統治のために作り出されたものである。その原理というのは、事実と法と裁判官の良心というのが三位一体になっている。事実と法というのはそのままでは結合しないものである、そこには解釈が媒介にならないといけない、その解釈をするのが裁判官で、裁判官は良心を持って解釈をしなければならず、それらが三位一体となることで、「真理」というものが作り出されると。「真理」というものが作り出される裁判の場というのは、非常に厳粛で大仰なものであるわけだが、裁判長がとん、とんと台を叩いたり、法服を着て妙に着飾ったりするのには、特段の意味はない。それは美的な、言わば「演出」である。つまりそこが「真理」を作り出す場だということを、「演出」によって皆に知らしめ、共有させない限り、裁判の場は裁判として機能しない。だから、「法」という厳格でいかにも理性的な領域の下には、美的な演出による言わば「見せかけ」が底流しているのだと(ルジャンドルは「ドグマ人類学」というものを唱えているらしいが、その「ドグマ」という言葉の意味の一つとして「見せかけ」というものがあるらしい)。大まかに言うとそういうようなことだったと思う。本当はもっとUくんはわかりやすく、かつ面白く語ってくれたのだが、どうも細かいところがうまく思い出せない。ルジャンドルはそれで、そうした観点から宗教というものを擁護する人なので、フランスでは保守だと見なされているらしい。彼はまた一九六〇年代頃には国連機関で働いていたのだが、そこで国連のプログラムが、アフリカのイスラーム教徒の民に「リベラル」な思想、自由主義的な考えを無理に押し付けるような働きをしているのを目の当たりにして、「ぷっつんきて」しまったと言う。それで、そのようなことをしているといずれイスラームは回帰してくる、その時彼らの手には短剣が握られているだろう、などということを述べていたらしく、それは完璧に現代世界の予言になっているではないかと二人で笑った。
 理性的なものの底に美的なもの、非理性的なものが敷かれているというのはおそらく色々な領域に応用して考えられる捉え方で、例えばそれは、現代社会では象徴天皇制となって宗教的な色はそこから脱色されているけれど、しかし依然として現代国家というものをある種支えるのに天皇儀礼などが必要とされていることなど、と話を向けると、まさにそうなんですよとUくんは頷く。そこから明治期の法の話とかになったはずだ。これには登場人物が二人いて、N.Oの弟子であるM.Yという人と、K.Kという人である(ついでに言うと彼の弟子には四天王みたいな感じの四人がいるらしく、それはM.Y・K.K・H.K・S.Aである。S.Aは世間的には一番有名だが、彼はそのなかでは下っ端というか、まだ序の口のほうらしい。表のボスはK氏で、裏ボスみたいなポジションにあたるのがM氏だと言っていたか?)。それで明治期の憲法などについての話なのだが、これはUくんが二人と三人で飲んだ時に話していたことらしい。伊藤博文井上毅の話で、伊藤博文カトリックで、天皇はお飾りで良いという立場だった。井上のほうはそうではなく、そのあたりで対立があったようなのだが、二人とも、西洋の国家の基盤にあるのがキリスト教だということ、キリスト教が西洋近代を支えているということには気づいていた(つまりは近代社会の基盤に非理性的なものが敷かれているということに自覚的だったということだろう)。それで、日本に憲法や西洋法を導入する際にも、おそらくそのように基盤となるようなものを取り入れないといけないとなるわけだが、ここで教育勅語に記されてある「忠君愛国」という言葉を引いてきたのは井上である。しかもその典拠というのは、『古事記』である。と言うか、「忠君」のほうは『論語』が元で、「愛国」のほうが『古事記』がオリジナルだということだったと思う。だから、教育勅語の理念というのは、儒学的なものと国学的なものの「ちゃんぽん」であったのだと、そんなような話もあった。
 もっとたくさんのことをUくんは話してくれたのだけれど、今はうまくそれらが思い出せない。また思い出せたら書こうと思うが、次は歴史修正主義の話である。Fさんは日記に新聞などもよく引用されていますよね、というところから始まった。そんなに読んでいないし、それほど引用もしていないのだが、新聞はどこのかと訊かれたので、読売と。それは政権寄りですねとUくんは笑う。自分はどちらかと言えば「リベラル」に寄っているほうだとは思うのだが、そのあたり不勉強で政治的スタンスというものが固まっておらず、昨年は朝日だったのだが、一月から読売に変わった家の都合に合わせている感じだ。実のところ、政治観はどうなんですか、現政権への評価は、などと問われたので、正直なところ、と前置いて、何となく良くないとは思っている、しかしそれではどこかどう良くないのかと訊かれたらはっきりと明確に論理立てて答えることは難しい、ただ辺野古新基地建設は良くないと思っている、そんな感じですと。とにかくこの分野に関しては不勉強で無知なのだ、それに尽きる。Uくんはそれを受けて、具体的に「どこがどう良くないのか」ということをちょっと説明してくれた。まず日銀の総裁を黒田東彦にしたことによって財務を牛耳った。一方で、日本では違憲立法審査というものが働かないようになっている、と言うか、この法律がこの場合に憲法に反していますと具体的な事例が出てこないとストップできないようになっている、それでもそれに対するストッパーみたいなものがあって、一つが内閣法務局、もう一つが、確か会計検査院と言っていたか? このあたり自分は無知なので、あまりうまく把握できていないのだが、ともかくその二つの人事も安倍首相に近い人物にしてしまったと。さらには日本会議関連の問題もあって、日本会議はもう一五年か二〇年ほど前から草の根の運動を続けている、その結果として歴史修正主義などが結構民衆に根付いてしまっていると。Uくんが地元で勤めている塾の教師も、従軍慰安婦はなかったと、そう断言するくらいだと具体例が上がった。もう手遅れっていう感じですねと彼は言う。日本の政治勢力を比率で分けると、三が自民党支持層、二がいわゆるリベラル層、そして五が無党派・無関心層というわけで、普通にやればもう自民党が勝つようになっている。リベラルが勝つには二割の支持層を完全に動員しなければならないのだが、その完全に動員というのは例えば、こちらぐらいの政治スタンスの人間も電話掛けをやるくらいでないといけないと。なおかつ、無関心層の浮動票をある程度取り入れないと勝てないというわけだった。
 それでUくんが一番腹が立つのは、やはり歴史修正主義である。集団自決の本など読んでいると、軍人から手榴弾を渡されて自決するように言われる、しかしその手榴弾が不良品で爆発しないことがある。それでどうするかと言うと、家長である父親が、木の枝が何かを使って子や妻を滅茶苦茶に叩いたり、あるいは刺したり、あるいは小さな剃刀などを用いて殺すのだと。しかし、そのような道具では自分自身を殺すことはできない、だからそういう経験をしながら生き残ってしまった人がいる。その人たちが戦後何十年も経ってようやく重い口をひらいて証言をする、そういう人たちが何人もいるのに、歴史修正主義者は、集団自決はなかったと断言して、それをなかったことにしてしまう。それは殺人よりも酷いって言うか、二度殺すことじゃないですかとUくん。人間の尊厳の問題ですよ、人間の尊厳が踏みにじられている時には、やっぱりそれに対してはむかつかなきゃいけない、腹を立てなきゃいけないだろうと語ってくれて、これには同意せざるを得ないし、そういったことも学んでいかなくてはならないだろうと思う。この時は頭にちょっと思い浮かびながらも話さなかったが、こちらはこの話を聞いて、大田昌秀沖縄県知事がインタビューで語っていた挿話を思い出したので、以下に引いておく。

例えば、住民がいたるところに壕を掘って家族で入っている。そこに本土からきた兵隊たちが来て、「俺たちは本土から沖縄を守るためにはるばるやってきたのだから、お前たちはここを出て行け」と言って、壕から家族を追い出して入っちゃうんですよね。一緒に住む場合でも、地下壕ですからそれこそ表現ができないほど鬱陶しい環境で、子供が泣くわけです。そのときに兵隊は、敵軍に気付かれてしまうから「子供を殺せ」と言う。母親は子供を殺せないもんだから、子供を抱いて豪の外に出ていき、砲弾が雨あられと降る中で母子は死んでしまう。それを見て今度は、別の母親が子供を抱いたまま豪の中に潜む。すると兵隊が近寄ってきて子供を奪い取り、銃剣で刺し殺してしまう……。そういうことを毎日のように見ているとね、沖縄の住民から「敵の米兵よりも日本軍の方が怖い」という声が出てくるわけです。
 (辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀沖縄県知事インタビュー http://politas.jp/features/7/article/400

 働いている塾でも彼は、あまり政治的に突っ込んだ話はやはりできないらしいが、貧困死の事例など取り上げて、「人間の尊厳」などについて生徒たちに語っているらしい。ちなみにその塾は今時給二五〇〇円と高額な給料で、しかも一年働けば一〇〇円上がり、三〇〇〇円まで行けるというから羨ましい。役に立たなくて何が悪いと、役に立たないことの尊さと言うか、あるいは一般的な社会で言われる「役に立つ」ことの胡散臭さ、薄っぺらさについても生徒たちにはよく話しているようで、それを聞いてこちらは、Mさんのブログ経由で知った、髭男爵の山田ルイ五三世(だったか?)の言葉を連想して口にした――何の取り柄もない人間が特に何もせずにただ暮らしていても何も非難されない社会が正常だ、というような言葉だったはずだ。まさにその通りですよとUくんは頷く。
 ほか、こちらが紹介しようと持ってきた本をいくつか取り出して見せた時間もあった。三宅誰男『亜人』『囀りとつまずき』、福間健二『あと少しだけ just a little more』、蓮實重彦『表象の奈落――フィクションと思考の動体視力』、Ernest Hemingway, The Old Man and the Sea、『後藤明生コレクション4 後期』、『ムージル著作集 第七巻 小説集』である。Mさんの二冊については、僕の友達なんでと手前味噌に紹介し、その二冊は差し上げますと贈呈した。『亜人』は大傑作でした、『囀りとつまずき』は、傑作と言うとちょっと違うけれど、そちらも面白いですよ。冒頭の引用から既に良いですねとUくん(多田智満子と梶井基次郎)。彼は小説はあまり読めないとのことだったが、詩とは違うけれど文体が濃縮されている作品なので、言葉として楽しめるかもしれないと。ほか、ムージルについては、古井由吉が訳した二篇がやばくて、何を言っているのかまったくわからない、まったくわからないけれどやばいことだけはわかると、笑う。古井由吉自体もそうですよね、何が起こっているかわからないと彼。「三人の女」については言及するのを忘れてしまった。ほかUくんは後藤明生に着目して、名前をメモしていたようだ。三宅誰男の二冊に関しては、彼は顔を綻ばせて、嬉しいです、ありがとうございますと言ってくれた。
 大きな話題については大体そのくらいではないだろうか。ほか、細かな事柄がいくつかあったと思うが、よく思い出せない。Kくんについては、彼は小説を書きたがっているらしいのだが、書けない書けないと呻吟して「病んで」いると。Sのほかのメンバーは新聞記者になったり、大学院に進んだり、(……)。あとは人脈が凄い、人に恵まれている、良い環境にいると言った時、人脈で言ったら一つ大きなエピソードがあると紹介されたのが(一番大きいのはN.Oとの関係だと言ったが)、Uくんの母親が坂本龍一に会った時に、Uの母です、と名乗ったら、ああ、あのUくんの、と返されたらしい。これには笑った。
 また、Uくんの話を聞いていると、彼の周りにいるビッグネームや才にあふれる人々の威光に慄き、こちらはどこまでも凡人だなと自信を失くしてしまうようなのだが、Uくんもそれはそうだと言った。しかしこちらにはまだしも、日記というものがある。ともかくも自分は毎日こうして書いてはいる。彼らは確かに凄いけれど、彼らがやらないこと、出来ないことを自分はやっている、とその点は確かなことではあるだろう。朝起きてから晩眠るまでの自分の行動を逐一追い続けることなど、彼らはやったことがないだろう、しかし俺はやっている、と言って笑った。まあそれがどれだけの価値を持っている営みなのかはわからないし、それはこちらではなくて読む他人が決めることだろうが。世界一長い日記を目指しているんで、と笑った。しかし世界は広いから、ほかにも同じような人がいるかもとUくん。それはそうで、と言うかまずもってこちらは言ってみればMさんの真似をしているだけなのであって、彼のほうが長期間書いているわけだから、世界一長い日記に今のところ一番近いのはMさんのほうだろう。
 話は大方そんなところで良いだろうか? 繰り返しておくが、Uくんはもっと豊かなディテールを孕んだ話をしてくれたのだが、こちらの記憶力の問題で十全に要約できているとは言い難い。ルジャンドルの話など相当に矮小化してしまっているはずだ。ともかくも三時を迎えて、店を出ることにした。Uくんは病院に行かなくてはならなかったのだ。と言うのは、何でも脳梗塞の跡が見つかったとかで、怖い話だが、もう一年か二年くらい放置して何ともないので、多分大丈夫だとは思うということだった。それでトイレに寄りたいと言うとUくんも行きたいと言ったが、お先にどうぞと言うので階段を上がる。しかしトイレの前には女性が一人立っており、どうもまだしばらくは空かないような雰囲気が漂っていたので戻り、駅で行くことにしますと言った(そうして席を立つ際、今はちょっと忙しいのだけれど時間が出来たら読書会みたいなことやりましょうと言うので、Hさんのほうに余裕ができたら三人でやりましょうかと答えた)。カウンターの前を通る時、Uくんは、店員にごちそうさまでしたと声を掛けていた。こちらもありがとうございましたと残して店を去る。それで駅のほうへ。新宿には土地勘がないので、どういう道を通ったのか把握していないのだが、話しながら歩いているうちに京王線の駅の傍まで来ていた(空に広がる太陽が眩しかった)。こっちですとUくんが案内してくれるのに従って建物に入り、地下に下るとJRの駅である。改札をくぐると彼が、トイレにだけ寄って行きましょうというので同意し、群衆のなかを歩いて抜け、便所に入った。用を足して手を洗っているとUくんが、そう言えばFISHMANSお好きなんですねと言うので、そうなのだ、最近よく聞いていると答えながら外へ。東京方面の中央線のホームはすぐ傍にあって、それじゃ、僕はこっちなんでと言う彼とありがとうございましたと握手し、また会いましょうと言って別れた。人波のあいだを縫って、一二番線だったか、中央線下りのホームへ。やって来た中央特快高尾行きに乗ると扉際に就き、携帯電話を取り出してメール作成欄をひらき、メモを取っていく。手帳だと列車の振動でまともに書けないからこうしたのだが、やはり紙とペンのほうがやりやすくはある。それで立川までメモしていると路程はあっという間で、南に広がる青空の先に身を押し広げている午後四時前の太陽をゆっくり眺める間もなかった。立川に着くと乗り換え、一番線へ。珍しく一号車ではなく反対方向の端、一〇号車に乗る。それでふたたび扉際へ。ここではメモを取らず、読書をすることにして『ムージル著作集 第八巻』をひらいた。

 「足をからませる」という意味のハエ取り紙「タングル・フット」は、約三六センチの長さで、幅は約二一センチ。表面には黄色い毒性の粘着物質がぬられ、カナダ産である。ハエはそのうえにとまると(……)まずすべての足の曲がった尖端部だけでしっかりとはりつく。ちょうど私たちが暗がりを歩いていて、なにかを素足で踏みつけるときのような、ごくかすかで不愉快な感触。足の下にあるのはまだ今のところ、やわらかくあたたかで得体の知れない抵抗感にすぎないが、すでにその感じのなかにはぞっとするような人間的なものが徐々に流れこんでくる。そのためそれは一本の手として、つまりどういうわけかそこにあって、ますますはっきりした五本の指になりながら、私たちをしっかりとつかむ一本の手として、認識される。
 (10; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ハエ取り紙」)

 この著作集の冒頭に載せられた『生前の遺稿』のさらに冒頭、本当に一番始めの文章なのだが、ここからして既に何かおかしくないだろうか? 「ちょうど私たちが(……)」の文で一気に、ハエの視点のなかに入り込んでいるような感じがする。続いてハエが踏む足の下の感覚のなかに、「ぞっとするような人間的なもの」が流入していくのだが、ここはいまいちよくわからないし、その直後の最終文も何を言っているのかあまりよくわからない。「そのためそれは」の「それ」というのは、ハエの足のことなのか、ハエ取り紙のことなのか、それとも「人間的なもの」のことなのか? しかもそれが「私たちをしっかりとつかむ一本の手」になってしまうのだ。

 (……)ときどきまだつぎの日に目をさますハエがいて、しばらくのあいださぐるように一本の足を動かしたり、羽根をぶんぶんならせたりする。ときどきそうした動きはあたりの広野一面におよぶことがある。そのあとすべてのハエはさらにもう少し深く死のなかへ沈みこむ。そしてわずかにからだのわき、足のつけ根のあたりに、ごく小さなかすかにひかる器官のようなものがあって、それがなおも長く生きつづける。その器官は開いては閉じる。虫メガネなしにその特徴を述べることはできないが、それは絶え間なく開いては閉じる、人間の小さな目のように見える。
 (12; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ハエ取り紙」)

 結び。ここも何となく印象的。まず、「広野」というのは一体どこから出てきたのか。そして「ごく小さなかすかにひかる器官のようなもの」。一体これは何なのか、「器官」という語で名指されるのみで、その具体的な名前は出てこず、特徴もほとんど詳しく述べられることがないこの奇妙な抽象性。それが「人間の小さな目」になぞらえられて終わるのがどことなく印象深いようだ。

 中央の木の幹にはとても具合のいい手掛かりがあって、観光客がそうしたものを見てよく言うように、うかれて楽しみながら、よじのぼることができる。しかし上部には幾本かの丈夫な長い枝が幹から水平にのびている。そこで人間も靴と靴下をぬぎ、かかとを内側にむけて足の裏をしっかりと節のふくらみにあわせ、手を交互に前方へさしのばして、さらにしっかり幹をつかむならば、太陽にあたためられたこれらの長い太枝の一本の末端へ、うまくたどりつくことができるにちがいない。これらの枝は、緑色に染まったダチョウの羽根のような松のこずえよりも、高いところにのびている。
 (12; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「猿が島」)

 三文目の描写が妙に細かい。
 ほか、「目をさまされた男」という篇は、全体的に何故かローベルト・ヴァルザーを思い起こさせるような印象がある。

 羊の歴史のために。人間は今日、羊を愚かだとみなしている。しかし神は羊を愛した。神は人間をくりかえし羊にたとえた。神が完全にまちがっているというのだろうか?
 羊の心理学のために。崇高な状態を明白な言葉であらわすと、それは低能の表現に似ていなくもない。
 (20; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「羊たち 別の見方で」)

 「崇高な状態を明白な言葉であらわすと、それは低能の表現に似ていなくもない」。突然の、威力のある鋭いアフォリズム

 このベンチに坐ったひとは、坐りこんで動かなかった。もはや口はひらかなかった。手足はそれぞれ別の眠りをむさぼったが、それはまるでぴったりとよりそってばたりと倒れこみ、それと同時に死ぬほどの疲労をおぼえて、たがいの存在を忘れてしまった男たちのようだった。呼吸でさえよそよそしくなった。自然界のひとつの出来事になった。いや「自然界の呼吸」になったのではない。そうではなくて、自分が呼吸をしていることに気づいたとき、それ――意志とは無関係なこの規則正しい胸の動き!――は、妊娠と同じように、無力な人間がなにか空色の途方もない大気によって恥ずかしめを受ける出来事になった。
 (26; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ネズミ」)

 (……)ネズミはトンネルのなかをぐるぐる走りまわって止まり、さらにぐるぐる走りまわった。大気のとどろきから途方もない静寂がうかびあがった。人間の片手がベンチの背もたれからだらりとたれた。待ち針の頭のように小さな黒いひとつの目が、その方へむけられた。すると一瞬のあいだ、奇妙なほど逆転した感情におそわれ、ネズミの生き生きした小さな黒い目が向きを変えるのか、それとも途方もない不動の山々が動くのか、実際にもはや正しくわからなかった。もはやわからないのは、自分の身におこったことが世界の意志だったのか、それともひとつのごく小さな寂しい目からかがやくこのネズミの意志だったのか、ということだった。もはやわからないのは、戦争なのか、それともすでに永遠が支配していたのか、ということだった。
 (27; 『生前の遺稿』; 「Ⅰ 形象」; 「ネズミ」)

 ここも奇妙な箇所。「逆転した感情におそわれ」ているのは一体誰なのか? 「正しくわからなかった」のは? 話者が突然顔を出してきたのだろうか。「自分の身におこった」というのは、一体誰の身に起こった出来事なのか。その後の記述の意味もよくわからない。
 途中で、羽村のあたりだっただろうか、席に就いて読書を続け、青梅に着くと本を持ったままに降車した。奥多摩行きは四時三九分。ホームを移動し、待合室の壁に凭れながら本を読み続けていると、顔のすぐ横の窓ガラスに光るものが反映していて視線を上げれば、向かいの線路に停まった電車の車体が、午後四時半の西陽を受けて銀白色に照り映えていた。その列車がじきに発車し、奥多摩行きとして入線してくる。乗ると座らず、扉際に立って書見を続け、最寄り駅に着く前に読書を切り上げながらも本はリュックサックに仕舞わず、持ったままに降りた。階段を上り下りして駅前へ、横断歩道は渡らず東にちょっと移動し、目的の細道の向かいで止まって、車の流れが途切れるのを見て渡り、道のなかに入って行く。その先に続くのは林のなかの階段道である。降り積もった落葉を踏み分けながら下りて行き、帰宅するとすぐに下階に下りた。服を脱ぎ、ジャージに着替えて上階へ。腹が減ったので、まだ五時だったのだがもう食事を取ることに。シーフード・ヌードルを戸棚から持ってくる。冷凍庫からミニクロワッサンを二つ皿に取り出し、さらに冷凍の唐揚げも取り分けて、それぞれ電子レンジで温める。さらには大根をスライサーで下ろして卓に運んだ。それらを食べるあいだ、向かいに座った母親が、Tさんが来たという話をする。やっぱり来たよ、と。二月七日が祖母の命日だからである。今お茶を淹れますからって言って、玄関に持って行こうと思ったら、どうぞとも言ってないのにもう上がってるんだものと母親は辟易気味のようである。ほか、Sちゃん――O.Sさん――が、息子のSくんの勉強を見てやってほしいと言っていたとも。こちらが精神的な不調で仕事を休んでいるということを話したらしく、それで時間があるのならということらしい。別にこちらとしては構わないのだが、しかし彼は今中学三年生で受験シーズン真っ只中、本番までもう二週間か三週間くらいしかないなかで、大したことなど出来ないのではないか?
 食事を終えると自室に帰り、五時半から早速日記を書きはじめた。あっという間に二時間が過ぎ去る。七時半を迎えたところで風呂に行き、Uくんと話したことなど思い返しながら浸かる。日記を書いているあいだ、Mさんからメールが入って、翌日は立川に一三時に集合、その後荻窪ささま書店に行くことになった。また、Sさんとも食事をすると言って、Fくんも来るかと訊かれたので是非にと答え、明日の夜に会うことに。それで、Mさんのみなら気安い仲だから良いが、初対面のSさんとも会うとなると汚い顔では行けまいと、久しぶりに剃刀を使って顔全体の毛を剃った。これにて新井容疑者フェイスから脱出である。そうして風呂を出ると即座に自室に帰り、八時からまた二時間弱書き足して、現在一〇時直前。
 さすがに疲労していた。何しろ、入浴を挟んで四時間ほどぶっ続けで打鍵したのだ。それでも何というか自分は休むということ、うまい休み方のようなものを知らず、結局またものを読んでしまう――この時は、Mさんのブログを読むことにした。五時頃に食事を取ってから五時間が経って腹が減っていたため、おにぎりを作りに上階へ。帰ってきていた父親に挨拶。彼はテレビの音をBGMにして、何か書類のようなものを書いている様子で、視線をテーブルの上に落としてそこから目を離さなかった。台所に入り、炊飯器の傍にラップを敷いて米を乗せる。塩を少々振ってラップを包み、形を整えながら階段を下りた。そうしてそれを食べながらブログ。三〇分強で最新記事まで読んでしまうと、ベッドに寝転がってムージルを書見。「形象」の諸篇ではムージルは概ね「観察」に徹していると言うか、そこから何らかの意味を読み取ったりするのではなく、「読解」以前の「見ること」の段階に禁欲的に留まっているような気がする。一一時半を迎える頃には早くも眠気が差してきていたので、眠ることに。歯磨きもせず、明かりを消すのも億劫で少し休もうと目を瞑っているうちに意識を失っており、気づくと三時頃だった。それで消灯し、正式な眠りに就いた。


・作文
 8:25 - 9:03 = 38分
 10:01 - 10:11 = 10分
 17:31 - 19:28 = 1時間57分
 20:07 - 21:58 = 1時間51分
 計: 4時間36分

・読書
 9:16 - 10:00 = 44分
 10:20 - 10:31 = 11分
 11:17 - 12:31 = 1時間14分
 15:52 - 16:41 = 49分
 22:05 - 22:41 = 36分
 22:52 - 23:28 = 36分
 計: 3時間10分

  • 2018/2/4, Sun.
  • 2016/8/5, Fri.
  • 「記憶」19 - 22
  • 小林康夫・西山雄二対談「人文学は滅びない 時代の課題に向き合い、新しい人文学の地平を開くために」(https://dokushojin.com/article.html?i=3681
  • 斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』: 10 - 33
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-01-31「オドラデクもマクガフィンも踏み潰す子らが残した瓦礫の下で」; 2019-02-01「鈍行の先頭列車に腰かけるおれにも前世があったのかも」; 2019-02-02「拳銃を手にした詩人が手招きしのこのこ集うおれもおまえも」; 2019-02-03「爪を切る火花の爆ぜる音がする朽木の折れる遺骨の焼ける」

・睡眠
 0:50 - 7:30 = 6時間40分

・音楽

  • Candy Dulfer『Live In Amsterdam』
  • FISHMANS『ORANGE』