2019/3/1, Fri.

 九時半起床。夢を見たがそれほど鮮明に覚えていないし、細かく思い出して記述するのは面倒臭い。高校の同級生らが出てきた。ドッジボールなんかをする場面もあったはずだ。上階へ。母親は掃除機を掛けながら玄関にいて、電話機を何やら操作していた。こちらに気づくとおはようと言ってくる。こちらは台所に入ってべちゃべちゃのチャーハンを大皿によそって電子レンジへ、一方前夜の野菜と魚介の汁物も火に掛ける。温めているあいだに洗面所に入って櫛付きドライヤーで髪を梳かし、戻るとそれぞれ卓に運んで食事。新聞一面は米朝首脳会談について。双方の意見の隔たりが予想以上に大きかったようで、共同声明を出さない物別れに終わったと言う。ほか、国際面までめくって、パキスタンとインドのあいだで砲撃戦が起こっているという報も読む。そうして薩摩芋や林檎も食って食事を終え、食器を洗って薬を飲むと、寝間着からジャージに着替えて下階に戻った。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を流しながら、まずベッドの上で手の爪を切る。ティッシュを前に一本一本、指先の爪を切り落として行き、それからやすり掛け。そうしてティッシュを丸めてゴミ箱に捨てておくと、コンピューターの前に移った。Twitterを覗くとトレンドワードに「プレヴィン」とあり、Andre Previnのことかなと思ってクリックしてみると果たしてそうで、八九歳で死去とのことだった。それで音楽をAndre Previn with Joe Pass & Ray Brown『After Hours』に替えて日記を書き出した。Twitterに文言を投稿しながら前日の記事を仕上げ、今日の分をここまで書くと一一時一二分。Andre Previnは洒脱なピアニストで、クラシックの人らしくプレイは技巧的だが、それが趣味の悪さに堕すことのない品の良さがある。Joe Passも超絶技巧のギタリストで、技巧派同士のrelaxableで柔らかな応酬になっている。
 ブログに前日の記事を投稿したのち、いつものように日記の読み返しをした。一年前の起き抜けには、殺人妄想に襲われて恐怖を抱いている。

 最後に覚醒したあたりでは、また殺人についての思考が勝手に展開していて、「殺す」とか「殺したい」とかいう言葉が抑えようもなく脳裏に湧き、しかもその対象として漠然と想定されているのが両親であるものだから、恐ろしくなった。あるいは既に不安が身に生じていたので思考が勝手にそちらのほうに向いたのかもしれないが、ともかく不安があると自分の正気に自信が持てず、自分は本当に両親を殺したいと思っているのではないか、このままだといつか本当に殺してしまうのではないかという方向に頭が向いた。呼吸に意識を逸らしてみようとしてもうまく行かず、思考が繰り返しそちらの方向に戻って行くのだが、こうして不安を感じているということは自分はまだ大丈夫なのだなと思い、不安を受け入れるようにしているうちに心が落着いて行って、先ほどのものは脳の誤作動による妄想であると払うことができた。

 この日の朝のことは今でも覚えていて、本当に「殺す」「殺したい」という言葉が自分のコントロールを外れて頭のなかに素早く蠢いていたものだ。本当はそのようなことは思っていないはずなのに言葉が自動的に湧き上がってくる、まさしく自生思考といった感じの現象で、自分の頭はやはり何かしらの点でおかしくなっていたのだと思う。しかしそれも過去のことだ。「あの頃は自分の頭がおかしかったけれど、今から考えると単なる馬鹿げた妄想だったな、と言える日が来ることを切に願う」とこの日の日記にも述懐を漏らしているが、そうした日は今、現実にやって来たのだ。
 それから二〇一六年七月一四日の記事。この頃の自分は連日、少なくとも日に一つは物々の具体性を捉えた描写を書き付けていて、なかなか感受性が敏感である。

 ふと右に顔を向けると、窓外の様子が凄いことになっていた。豪風豪雨である。濃緑の街路樹は枝葉を振り乱し、眼下の道路から飛沫が飛び立っていくのが、まるでアスファルトに湯気が立っているようである。空中にも激しい飛沫が、間断なく横に繰り返し走って空間の表面に皺を付けるのが、学校の校庭に起こる砂嵐のようでもあり、あるいは宙空が突如として水面と化して漣しているかのようでもあった。視線を手前に引き取ると、蛙の卵のように丸みを持った水滴がガラスの上を無数に流れ落ちていくのが目に映るのだが、煙る空の白を背景にするとそのゆっくりとした動きが、雨粒というよりは雪のようであり、以前にも同じ光景に同じ印象を抱いて記したことがあるのを思いだした。果てでは水平線まで空が、高みから一繋がりに降りて、建物は影へと霞んでまさしく雪模様の背景、駅舎や歩廊の上を一面に少しくすんだ鉛白色が染めているのは、あたかも季節が一挙に冬へと飛んだかのような様子だった。

 日記の読み返しをすると正午直前だった。Andre Previnの音楽を最後まで聞き、それから何となく、脚のほうがこごっているような感じがして、ベッドに横になってしまった。横を向いて瞼を閉ざし、しかし眠らないように注意しながら少し休んだあと、立ち上がって上階に行った。母親が出かけないの、と訊いてくるので、出かけるよと答える。仏間に入って棚の最下部にあるケースから臙脂色の靴下を取り、居間に出ながらそれを履いたのち、浴室に行った。ゴム長靴を履いて室のなかに踏み入り、浴槽の栓を抜いて、宇治茶のような黄緑色――入浴剤のものである――に染まった残り湯が吸い込まれていくのを、首を後ろに曲げて天井を向いたり左右にぐるぐる回したりしながら待った。それからブラシを取って、洗剤を吹きつけながら擦っていく。全面掃除したあとシャワーで泡を流し、蓋と栓を元に戻しておくと室を抜けた。それで下階に戻ろうとしたのだが、母親が昼は食べていかないのと訊いてくる。一度はいいと答えたのだったが、ピザがあるよと言うのでやはり食べていくことにして――この時間に食べておけば夕食まで腹が保つだろうから、出先で金を使わないで済むというわけだ――台所に入り、冷蔵庫から安物の薄いピザを取り出して鋏で半分に切った。その半分をさらに半分に切って、オーブントースターにアルミホイルを敷いて加熱を始め、一方で温めた汁物とゆで卵を持って卓に行き、ピザが焼けるのを待ちながら食す。ゆで卵に塩を振って食べ終えてからふたたび台所に行くと、ピザはちょうど頃合いで上に乗ったチーズが艶を帯び、外周も美味そうにちょっと焦げている。それを皿に取ってふたたび卓に就き、ぱりぱりとピザを食べた。安物のわりになかなか美味だった。そうして食器を台所に運んでおき(母親は例によって炬燵に入ってタブレットを弄っていた――彼女は最近本当に、家にいる時は家事以外の時間はほとんどこれしかしていない)、自室に戻ると服を着替える。ジャージの上下を脱ぎ、まずチェック柄のシャツを取って身につけ、それから素材に毛の混ざった、明るい茶色一色の滑らかなズボン(UNITED ARROWSのもの)を履いた。そうして荷物をリュックサックに整理し、バルカラー・コートを羽織って上階へ、昨日と同じくBrooks Brothersのハンカチをポケットに入れて、行ってくると母親に残して出発である。玄関を抜けると昨日使った傘が干されてあったので、取り込んで棚に戻しておく。そうして道に出て歩き出すと早速流れるものがあり、最高気温は一四度と言うからマフラーもカーディガンもなしに出てきたが、首筋に触れる空気の流れが、雨の降っていた昨日よりもかえって冷たいかもしれないなと思われた。家並みのあいだに梅の木の白や薄紅色の差し込まれている右方を見やりながら坂に入ると、家々の向こうに川面が姿を現して、前日の雨で多少増水したものだろうか、深緑色の流れのそこここに、絹糸の塊が流れて裾を拡散させながら伸び靡くようにして白波が立っている。坂を上って行って出口に掛かると、空はほとんど全面白く染まっていても透けてくるものがあるようで、後頭部に温もりが掛かってくるのが感じられた。街道に出るとまもなく北側に渡って、その頃には多少歩いて身体が温まっていて、風があっても寒さは感じず、むしろ丁度良いくらいに思われた。表通りをしばらく進んでから、裏道に入って東に向かう。一軒の庭に背の低い白梅の木が生えて、蕾の赤さと純白とを交錯させているのが目に留まった。それからちょっと行くと前方に女子高生の集団、五人横並びになりながら、列を広げたり縮めたりしてゆるゆる歩いているのが現れる。こちらは途中で折れてふたたび表通りに出ると、ぽつぽつと弱い雨がゆっくり落ちはじめていた。東に進んで図書館分館前で裏に戻ると、ちょうど先ほどの女子高生らとまたもや遭遇し、横にふらふらと動きながらゆったり歩いているその横を、こちらも結構歩みが遅いので少しずつ追い抜かしていく。駅前に出るとコンビニに入った――年金を支払うためである。髪の薄い男性店員を相手に一六三四〇円を払って退店、駅に入った。ホームに上がると、向かいの小学校の校庭で、ちょうど昼休みの時間だろう、鍋のなかの泡のように無数の子どもたちがざわめき入り乱れ戯れている。こちらはすぐそこの車両に乗り込み、扉際に就くと、三人掛けの席に就いていた高校生が、「えとうく」ってどこ、と訊くのに応じて、隣に座ったもう一人の、八百屋や魚市場の競りを思わせる威勢の良い声音の男が、「こうとうく(江東区)」だと答えていた。「え」じゃなくて、「こう」なんだ、と高校生(あるいは中学生だっただろうか?)は受け、威勢の良い男はそのあとも何かしら言っていたが、この二人の関係は最初は親子なのだろうかと思っていたところ、電車が発車してしばらくしてから視線を定かに送ってみたところ、上着を脱いで白いシャツ一枚になっている男性のほうは生徒の親というのはまだまだ年若である。携帯電話を差し出して覗かせながら何やらハワイがどうとか話しているその距離感も、親子という感じではない。それで、兄弟なのだろうか、まったくタイプの違う二人でそうとも見えないが、それとも年の離れた友人同士なのだろうかなどと推量しながら河辺駅に降りた。エスカレーターを上り、改札をくぐって駅舎を出ると、やはり後頭部に太陽の温もりがうっすらと点った。図書館に入ってCDの新着棚を見に行くと、思いがけなくもRon Milesの名前がある。Ron Milesとはまた結構マイナーなところを入荷したものだと思って手に取ると、面子がBrian BladeにJason Moran、Thomas MorganにBill Frisellと素晴らしいので借りることにした(『I Am A Man』という作品である)。それであと二枚を選びにジャズの棚に行き、見分しているうちに、そう言えばBud Powellの音源があったなと思いだして、The Bud Powell Trio『Three Nights At Birdland 1953』を選び取る。最後の一枚は、有名所でありながら今までまったく聞いてこなかったEsperanza Spaldingの『Emily's D+Evolution』を借りてみることにした(こちらも、Matthew StevensやKarriem RigginsやCorey Kingなど気になる名前が参加している。それで三枚を貸出手続きしてから上階へ、新着図書は昨日から変わり映えないようだったので素通りし、大窓のほうに出るとちょうど目の前の席が空いていたのでリュックサックを下ろし、コートを脱いで椅子の背に掛けた。そうして腰掛け、コンピューターを取り出して、Bud Powell Trioのライナーノーツを読みながら起動を待った。それで日記を書きはじめたのが二時直前、ここまで四〇分ほどで綴って二時半過ぎに達している。
 借りたCD三枚の情報をEvernoteに写す。それから、三時から書抜き。神崎繁・熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』及び、小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』ハイデガーは「エオン」という分詞を取り上げて、「存在する」という動詞的意義と「存在」という名詞的意義を併せ持つその両義性を「襞」と呼んでいるらしいのだが、この概念はやはりドゥルーズの著作『襞』の下敷きになっているのだろうか。『プレヴェール詩集』からは「サンギーヌ」全篇を引いておこう。軽妙で小気味良いような詩篇の並ぶこの詩集のなかで、この詩だけは例外的に頭から終わりまで「格好良い」口調になっているように思う。

 ファスナーが稲妻のようにきみの腰を滑り
 きみの恋する肉体の幸福な嵐が
 くらやみのなかで
 爆発的に始まった
 きみの服は蠟引きの床に落ちるとき
 オレンジの皮が絨毯の上に落ちるほどの
 音も立てなかったが
 ぼくらの足に踏まれて
 小さな阿古屋貝のボタンは種のように鳴った
 サンギーヌ・オレンジ
 きれいなくだもの
 きみの乳房の尖端は
 ぼくのてのひらに
 新しい運命線を引いた
 サンギーヌ
 きれいなくだもの

 夜の太陽。
 (小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』岩波文庫、二〇一七年、134~135; 「サンギーヌ」全篇; 『見世物』)

 打鍵の途中には西南の空で太陽が姿を現し外の空気が仄かな暖色に染まるとともに室内にもその色が入りこみ、席の足もとに影と日向の帯が出来る時間もあったのだが、それはすぐに終わってしまった。あとはふたたびの曇り空である。三時四〇分まで掛けて書抜きを終えてからは、帰ろうかどうしようか迷いながらちょっと席を立った。昨日見つからなかった古川真人『縫わんばならん』が書架に戻って現れていないかと思って見に行ったのだが、やはり不在だった。それから壁際の全集の棚に寄って、ギリシア悲劇全集を手に取ったり、ネルヴァル全集を引き出してみたりするのだが、こうしている暇があったら少しでも本を読むべきだ、そうでなくてはこれらの全集を読む日も訪れないのだと考えて席に戻り、滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』を読みはじめた。そうして二時間が経過する。前日の経験から六時二分が奥多摩行き接続の都合の良い電車だということはわかっていた。それに合わせて帰ることにして、五時四七分に至ると、もうあと僅か数頁で読了だったがそこで切り上げて荷物をまとめて席を立った。五五分になったら便所に行こうと考えながら日本文学の棚に繰り出し、松浦寿輝『名誉と恍惚』があるのを確認する(松浦寿輝の著作群の右隣には松浦理英子の著作も一冊あり、左隣には松家何とかいう人の、『光の家』と『火山のふもとで』だったか、マルコム・ラウリーの著作と同じタイトルの本を出している人がいたと思うが、その人のそれがあった)。それからトイレに行って放尿し、手を洗ってハンカチで拭くと室を出て、退館した。外に出ると手に持っていた『プレヴェール詩集』をブックポストに入れておく。空は前日と同様、地上が海の底と化したかのような暗青色に染まっており、歩廊の上の影――通路の左右の足もとに点々と設置されている灯火が両側から差し込む薄明かりによって、その存在と形が露わになっている――のなかにもその色が反映しているようだった。駅に渡り、改札を抜けてエスカレーターに踏み入るとそれと同時に階下のホームでは電車が入線してきた。エスカレーターの上を歩いて下り、ひらいた扉の向こうに乗り込み、扉際に寄った。東青梅までのあいだは目を閉じる。それから青梅までのあいだ、目を開けていると、目の前には自分の顔がガラスに映り、車内の様子も反映しているそのあいだに、時折り外界に車や町の明かりが並んでいるのが差し込まれて見える。青梅着。青い空の下、奥多摩行きに乗り換え。扉際でふたたび目を閉じて到着を待ち、最寄りで降りると駅を抜けて横断歩道を渡る。東へ。細道の前まで来ると、行商の八百屋のトラックが停まっており、その縁に腰掛けていた八百屋の旦那が、近づいてくるこちらに気づいてこんばんは、と気さくな調子で声を掛けてきた。久しぶりだね、と続くのにこちらは愛想笑いを浮かべ、どうもと愛嬌なく答えて通り過ぎ、木の間の坂に入った。仕事は、などと訊かれると、昨年鬱病になって休職中だなどと言うにせよ、罪のない嘘をついて濁すにせよ面倒だと思ったのだ。坂を下りて行き、平らな道に出て、ポケットから鍵を取り出して指に引っ掛けくるくる回しながら家の傍まで来て見上げると、空は既に青みを完全に失って平板な灰色に落ちこんでいた。時刻は六時二〇分だった。
 帰宅。居間に入ると階段上の腰壁の上に麻婆豆腐の素の空き箱が置かれてあったので、麻婆豆腐かと訊くと、麻婆白菜にしたと母親は言う。豆腐を入れなかったと言うので、たくさんあるではないかと冷蔵庫を開けて示すと、それでは一つ入れるかということになった。こちらは下階に下り、コンピューターを机上に据えるとともに服を着替える。シャツは脱がずにその上からジャージを着て上がって行き、まだ六時半だが腹が減っていたのでもう飯を食うことにした。チャーハンが残っていると言うのでそれを電子レンジに突っ込み、麻婆白菜は丼によそった炊きたての白米の上に掛ける。そのほかジャガイモとワカメの汁物にピクルスの類。夕刊一面から、北朝鮮外務大臣が米国トランプ大統領の言に反論という記事を読みながら食べる。喉が乾いたので飲むヨーグルトを一杯ついで飲む。食べ終えると薬を服用し、皿を洗っておき、まだ時間が早いので風呂には入らず、瑞々しい白米を使っておにぎりを一つ作って下階に帰った。それをもぐもぐやりながらiTunesで借りてきたCDのデータをインポートし、その傍らMさんのブログを読む。それからfuzkueの読書日記に、「偽日記」も。以前はものを読み続け書き続けることで、今わからないでいる事柄もいずれは理解できるようになると思っていたのだが、この数年で自分がそのように成長したのかと問うてみれば甚だ心許なく、結局哲学の難しい理論など最終的に地頭の問題で、元々の思考力理解力が水準以上に達していなければいくら時間を掛けてもわかるようにはならないのではないかという疑念が湧いてきた。果たして一〇年後、今よりも少しはましな頭と心と行動を持つに至っているのだろうか。まあ結局のところ、多分自分がこの生でやるべきは最終的には日記を死ぬまで書き続けることだけだと思うので、それが出来ればあとは大方どうでも良いと言えば良いのだが。
 それから八時に至って入浴へ。風呂のなかでは目を閉じ、頭を浴槽に凭せ掛け、身体を水平に近くしながら、現代史の知識や中国史のそれなどをぶつぶつと呟いて確認する。それから小沢健二"暗闇から手を伸ばせ"のメロディを口笛でゆっくり吹いて浴室に響かせ、頭を洗って出てくると下階に戻り、九時ちょうどから日記を書きはじめた。面倒臭いな、という気分が少々湧いていなくもなかったが、だらだらとした書きぶりだって良いのだと流すように打鍵して、九時四〇分。BGMにしたのは『川本真琴』
 そうして音楽。Bill Evans Trio, "All of You (take 2)"。Scott LaFaroのベースはやはり凄い。このテイクでは際立ったドライブ感がある。通常の意味での「スウィング」する感覚とは種類が違うのだろうが、その強烈な牽引力は、これこそが「スウィング」だと言いたくなるようなものだ。このトリオでのLaFaroは凡百のベーシストとは違って、音楽の下端を「支える」ということをほとんどしない。ほかの二者と拮抗しながら音楽のあいだを縫うようにして「泳ぐ」という調子である。
 それからKenny Garrett, "Dear Lord", "Lonnie's Lament"(『Pursuance: The Music Of John Coltrane』)の二曲も聞いて時刻は一〇時過ぎ。読書を始める。まず、滝口悠生ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』の残った数頁を読んで読了し、それから千葉雅也『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』を読みはじめた。思弁的実在論についての入門書的な位置づけの本なので、対談でもあるしさらさらと流すように読めるだろうと思っていたところがとんでもない、今の自分のレベルでは難しくて全然理解が追いつかない。そもそも自分は、もっと新書や選書くらいのレベルの入門書から読みはじめて、哲学的概念の意味や扱い方に少しずつ習熟していかなければならないのではないかと思った。それでこの本の書見は零時になる前に中断、何かもっと入門的な思想関連の本はないかと書棚を探ったところ、光文社新書町田健『コトバの謎解き ソシュール入門』というものがあった(同じ著者の、講談社現代新書の『ソシュール言語学 コトバはなぜ通じるのか』もあった)。それでひとまず次にはこれを読んでみるかということで読み出し四〇分ほど(読んでいるあいだには、酒を飲んで良い気分になったのだろうか、階上で父親が何やら歌を歌っている声が聞こえてきた)、一時になる前に眠気が満ちてきたので、本を閉じ、枕の横に置いて、明かりを落として就床した。


・作文
 10:35 - 11:16 = 41分
 13:54 - 14:36 = 42分
 21:00 - 21:41 = 41分
 計: 2時間4分

・読書
 11:35 - 11:56 = 21分
 15:02 - 15:43 = 41分
 15:50 - 17:47 = 1時間57分
 18:57 - 20:02 = 1時間5分
 22:08 - 23:49 = 1時間41分
 24:09 - 24:52 = 43分
 計: 6時間28分

  • 2018/3/1, Thu.
  • 2016/7/14, Thu.
  • 神崎繁熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』講談社選書メチエ(511)、二〇一一年、書抜き
  • 小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』岩波文庫、二〇一七年、書抜き
  • 滝口悠生ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』: 22 - 119(読了)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-02-24「濡れた手を日向にさらす水滴が生命線をなぞるのを見る」; 2019-02-25「さえずりは音色をもった独り言口約束の数をかぞえる」
  • fuzkue「読書日記(123)」: 2月9日(土)まで。
  • 「偽日記@はてなブログ」: 2019-02-12; 2019-02-13
  • 千葉雅也『思弁的実在論と現代について 千葉雅也対談集』: 11 - 72
  • 町田健『コトバの謎解き ソシュール入門』: 3 - 35

・睡眠
 1:50 - 9:30 = 7時間40分

・音楽




神崎繁熊野純彦・鈴木泉編集『西洋哲学史Ⅰ 「ある」の衝撃からはじまる』講談社選書メチエ(511)、二〇一一年

 こうした名称の議論から浮かび上がるのは、これらの「前……期」(Vor ...)という名称は、何らかの基準を立てたうえで、「それよりも前」(vor)という規定を行っている以上、そこで総括される時代は、基準となった哲学者に対する準備段階という二次的な役割に限定されてしまうということである。しかしそれは――ハイデガーが語るように(『思惟とは何の謂いか』)――「カントを<前ヘーゲル期の哲学者>として一括するのと同じく無意味な観方」と言うべきだろう。そこでハイデガーが望むのは、初期ギリシアの哲学者たちを、その「前……」という制限から解放し、それ自体として充実した存在経験を内包したものと捉え、のちの哲学史を圧倒するほどの力をそこに見出していくことで(end362)あった。「始源」という現象を、何らかの到達地点の「前」として規定するのではなく、むしろそれ以降の歴史全体を可能にした高密度の潜在性として理解すること、つまり、何らかの基準の「前」ということではなく、のちの歴史においては十分に展開されていない可能性すらをはらんだ「先行性」そのものとして捉え直すことが、ハイデガーの初期ギリシア解釈にとっては最重要の課題となる。そこでは、始源を歴史の成立の可能根拠(「第一の始源」)としてではなく、歴史に対する圧倒的な余剰(「新たな始源」)として理解することが目指される。このような「始源[アルケー]」という歴史的な規定を、哲学的な「根源[アルケー]」ないし「アプリオリ」と二重写しにするなら、アプリオリとして設定される哲学的「根源」に関しても、「始源」をめぐる同様の論理が当てはまる。歴史的始源が、それ以降の歴史の中で展開しきれない過剰な可能性を有するのと同様に、存在者の「根源」としての「存在」もまた、存在者には解消されえない秘匿された充実をそれ自身の内に宿しているはずなのである。ハイデガーが求めるのは、始源と根源が有するこうした過剰を、それ自身として顕現させることであった。
 (362~363; 村井則夫「ハイデガーと前ソクラテス期の哲学者たち」)

     *

 既存の理論的枠組や概念装置を前提とせずに、ギリシアにおける存在経験を取り出そうとするハイデガーにとっては、アリストテレスプラトンによって練り上げられた哲学的表現に先立って、悲劇詩人や初期の思想家たちによって、詩的表現や断片のかたちで伝えられる洞察が重要な位置を占めている。そのひとつとしてハイデガーが講義『形而上学入門』(一九三五年)で展開した、ソポクレス『アンティゴネー』のコロス合唱歌「第一スタシモン」についての解釈がある。「不気味なものは数あるなかで/人間にまさって不気味なものはない。/なぜならば、冬、吹きすさぶ南風に身を晒しつつ/山なすうねりのはざまに漂い/波頭砕ける海原を押し渡る……」といった章句に始まるこの合唱讃歌に、ハイデガーは自然[ピュシス]と人間との原初的な関係を読み取ろうとするのである。鍵となるのが、ギリ(end364)シア語「デイノン」の語であり、ハイデガーは、これを「恐るべき」(ungeheuer)と訳したヘルダーリンの翻訳をもおそらく下敷きにしながら、この語を「不気味な」(unheimlich)と訳し、そこに自然と人間相互の凶暴性や領域侵犯といった、過剰な暴力性を重ねていく。この合唱歌に描き出されているのは、波打ち響[どよ]もす巨大な海洋の破壊力であり、またその荒波に敢然と乗り出し、それを制圧しようとする人間の突出した支配欲である。そのためにこの一節では、存在としての自然が人間に襲いかかる法外な力と、それとは逆に人間が自然に対して揮[ふる]う過度な支配欲の双方が、「不気味な」という語によって同時に表現されている。自然は人間を、神的な秩序としての「ディケー」(正義)によって支配し、一方で人間は、狡知としての「テクネー」(作為、技術)を通して自然を制圧しようとする。自然と人間は、それぞれが相手にとっての脅威でありながら、その関係は、どちらかの一方的な勝利によって単純に終結するということがない。なぜなら自然は人間に出会うことによって自然として現前し、人間は自然の中で、それを統御することで自然の一部として存在するからである。
 自然と人間は二元論的に対立しているのではなく、双方が出会い、互いが互いにとっての過剰となる「不気味さ」によってこそ、自然は自然として、人間は人間としてはじめて理解可能になる。つまり、「不気味さ」とは、自然と人間が出会う中間領域の原初的なあり方であり、自然と人間の邂逅によって開ける存在の亀裂の名称なのである。そのために、「不気味さ」と呼ばれる事態は、けっして自然と人間のどちらか一方の属性などではなく、むしろ両者の緊張関係そのもののあり方なのであり、相互に出会いながらも完全に合致することはなく、むしろ相互が相互を凌駕しようとする二重の(end365)過剰、さらに言うなら、存在の現出の場である「現存在」(Dasein)の深淵を意味するのである。
 そしてこの同じ「第一スタシモン」の後半で、人間にとって「逃れるすべ」のないものとして、「死」が謳われるとき、局面はさらに一変する。人間は自然に抗して、言葉や知性を発見し、国家を造り、建設的な技倆を体得したとしても、「ただひとつの衝撃である死を逃れるすべだけは見出すことができない」。こうして人間にとって「死」が現前する場面において、自然と人間との相互性が破られ、自然に対する人間の脆弱さが示されるとともに、その脆弱さゆえに自然とのさらに根源的な関わりが開かれる。自然と人間の相互関係において認められた「不気味さ」が、存在の深淵の破れ目として、存在者を存在者として顕現させる次元を指すとするなら、この破れ目はさらにもう一度、人間の側へと折り返され、人間の内部に「死」というかたちで捩じ込まれるのである。事実的な人間存在は、たとえ自然を制圧することができても、時間的・歴史的な存在者として死に晒されている以上、自ら自身を完全に統御することはできず、いわば自身の内に「不気味さ」が侵入することを拒むことができない。そこにこそ人間が、「最も不気味なもの」と呼ばれ(「人間にまさる不気味なものはない」)、不気味さが最上級で語られる所以がある。人間存在は自身の内に、人間自身にとっても未知で異他的な次元を擁しており、存在の現出の場を開く破れの生成とともに、「死」という刃が人間の内奥の空間を切り裂いていく。「歴史的人間の<現 - 存在>とは、破れ(Bresche)として開かれることであり、その破れの内に、存在の圧倒的な力が現出し、割り込んでくるために、その破れ自身が存在に当たって砕けるのである」(『形而上学入門』)。
 (364~366; 「村井則夫「ハイデガーと前ソクラテス期の哲学者たち」)

     *

 このような原初的な存在了解を忠実に捉えるために、ハイデガーはとりわけ、「エオン」という分詞表現を重視している(『思惟とは何の謂いか』)。なぜなら分詞「エオン」は、動詞と名詞のふたつの性格に関わる二義性をもっており、「存在する」という動詞的意義と「存在者」という名詞的意義を分断することなく、そのどちらへも移行しうる可能性のままに表現していると考えられるためである。そして、ふたつの領域にまたがる中間領域とも言える「存在」の両義性を、ハイデガーは「襞」(Zwiefalt 捩れ)と呼び、「存在」と「存在者」が完全には分化せずに、ふたつながら折り畳まれている褶曲と理解するのである。それに加えてハイデガーは、文法上の区別である「分詞」(participium)の理解を、プラトンソピステス』(261e)での議論に遡り、ギリシア語で「分詞」を表す「メトケー」の内に、プラトンの「分有[メテクシス]」の思想を読み取っていく。そうすることで、文法的区別の哲学的起源を示すだけでなく、プラトンパルメニデスの相違を明確にすることが試みられる。プラトンにおける「分有」とは、イデアに対する個物の分有関係であり、そこには理念的次元と経験的次元のあいだの「分離[コリスモス]」が設定されていた。この着想は、のちの哲学の歴史を通じて、「アプリオリ」と「アポステリオリ」や、経験とその可能根拠といった一連の区別を成り立たせる源泉となったものであるが、ハイデガーの見解では、これらの区別が成り立つその始源には、まずはパルメニデス的に思考された存在の「襞」が先行していなければならない。その意味では、分詞「エオン」によって表される「襞」は、あらゆる哲学的・形而上学的区別に先立ち、対象化や根拠づけという発想そのものを無効化する原初的次元を顕わにしているものと捉えられるのである。(end377)
 両義性の折り目として理解される「襞」は、存在と存在者を分断するものでもなければ、それを連続した一枚の平面として平準化してしまうものでもない。緩やかに折り畳まれた布地が襞を形成し、その襞とともに、内側に陥入する面と外側に露出する面とが区別される。もし折り目が切断されて、ふたつの異なった領域に分断されるなら、そのとき襞は消滅してしまうだろう。襞は折り畳まれながら内部と外部とをしなやかに繋ぎ、折り目によって平面の位相を区別する。区別にして同時に連続であるといったようなこのような襞のあり方が、存在と存在者との差異を理解する根本的な着想として、ハイデガーを魅了する。これはもはや、根拠と根拠づけられる次元を明確に切断する「分離[コリスモス]」の理論ではなく、名詞と動詞の両義性を特徴とする「分詞」に秘められた両義性の思考なのである。
 (377~378; 「村井則夫「ハイデガーと前ソクラテス期の哲学者たち」)



小笠原豊樹訳『プレヴェール詩集』岩波文庫、二〇一七年

 わるい時代の友人諸君よ
 どうぞゆっくりおやすみください
 ぼくは出立いたします
 儲けはまるで少なかった
 それはぼくのせいです
 わるいことはみんなぼくのせいです
 諸君の意見に耳傾けて
 むく犬の唄でも演奏すりゃよかった
 みんなに受ける音楽をね
 (29; 「演奏会は失敗だった」; 『ことば』)

     *

 二つある 一つは月
 もうひとつは太陽
 貧乏人 労働者にこの二つはみえない
 かれらの太陽は 渇き 埃 汗 タール
 日向で働けば仕事が太陽の光をさえぎり
 かれらの太陽は日射病
 夜なかに働くひとの月の光は
 気管支炎 薬局 退屈なこと 厄介なこと
 眠れば不眠が子守唄
 (41; 「景色が変る」; 『ことば』)

     *

 ファスナーが稲妻のようにきみの腰を滑り
 きみの恋する肉体の幸福な嵐が
 くらやみのなかで
 爆発的に始まった
 きみの服は蠟引きの床に落ちるとき
 オレンジの皮が絨毯の上に落ちるほどの
 音も立てなかったが
 ぼくらの足に踏まれて
 小さな阿古屋貝のボタンは種のように鳴った
 サンギーヌ・オレンジ
 きれいなくだもの
 きみの乳房の尖端は
 ぼくのてのひらに
 新しい運命線を引いた
 サンギーヌ
 きれいなくだもの

 夜の太陽。
 (134~135; 「サンギーヌ」全篇; 『見世物』)