2019/7/8, Mon.

 小林 となると、近代的な歴史観ってなにかと考えなくちゃいけなくなる。当然ながら、近代が歴史をもたらしたときの最大のポイントは国家だと思うんです。国家は前からあったろうって言われるかもしれないけれども、そうではなくて、近代においてはじめて国家とネーションとしての国民、そして歴史というこの3つのセットが出てきたわけですね。いままで国とは統治者のことだった。どこにだって国はあって支配者はいた。しかし、近代国家の原理は統治者が誰であれ、この国家は全国民のものなんですね。つまりネーションステートなわけですよ。夏目漱石森鴎外もその事態を受け止めようとしていますよね。つまり、徳川幕府だって国は国なんだけれども、明治になって藩制度を廃止し、日本の国民の国家をつくろうとした。近代化ですね。でも、日本は、それをするのに、たとえばフランスとは正反対のやり方をした。フランスは王の首をギロチンで斬首することによってネーションステートをつくったわけですが、日本は逆に封建体制に封じ込められていたレジティマシーを復権させることによってつくるという奇手を使った。正反対なつくり方をしたわけですよ。近代国家のつくり方っていろいろあると思いますけど、少なくとも建前としては、国民という存在が歴史の「主役」ですという「意味」が浮上してこなければならない。なぜならば歴史は国家の歴史だったけど、じつは主体は国民なんだというイデオロギーですよね。そうなると、国民とはいったい誰なんだという問題が出てくる。これは自明ではないんですね。男だけなのか、女も入るのか。差別されていた人々はどうなのか、子どもは、外国人はどうなのか、とか。
 (小林康夫・中島隆博『日本を解き放つ』東京大学出版会、二〇一九年、328~329)

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 小林 わたしは基本的には、いま資本主義が近代国家を乗り越えていく局面にあると思います。資本主義そのものが近代国家を越えた広域の共同体を生み出すべき時代。EU欧州連合)もそうした理念の産物だったと思うんですけど。でも、最近、そうした動きそのものに、それぞれの国家が逆立してくる現象が起きてますよね。ポピュリズムを背景にした、もう一度国家という枠組みに戻るというか。それもまたある種の部族的な思想を裏側にもっていると思いますけれど。民主主義のルールに従って、そうした部族的な動向がかえって強まってくる。一方では、グローバル化してしまった資本主義にとって、国家は超えられなければならない。経済的には単独国家ではどうしようもない。にもかかわらず、その資本主義的展開の利、それは巨大な額になるわけですが、それを享受できるのはごく一部の階層のみ。ほかの人々は取り残される。それなら、国家主義に戻ろうみたいな、単純なんですけれど、それが力をもつ。ここでは、一方はルサンチマンの情念と他方は経済的なマネジメントの策略、それしかない。どちらにも理念はない。こういう両極の分裂の時代に、いったい人文科学は、哲学は、なにを語るのでしょう?
 (335~336)


 早い時間に覚めて、面白い夢を見たはずなのだが、寝床に留まったままぐずぐずしているうちに詳細が失われてしまったためにどうも説明しにくい。呪いか何かによって高校三年生の春を永遠に繰り返さなければならない、といったような設定が一つにはあったと思う。ほか、狂気が主題となっていた。夢のなかのこちらが実際に狂うか、狂っているふりをするか、あるいは周囲と比較して狂っていることを自覚させられるか、何かそのような感じがあったと思うのだが、この点は忘れてしまった。その夢を見たあと、ふたたび見た別の夢のなかで、Mさんに先ほど見た夢のことを、面白い夢を見たと言って説明するという場面もあったはずだ。
 もっと早く起床できたはずなのに、ぐずぐずとしているうちに一二時二五分を迎えてしまった。上階に行き、母親に挨拶し、何かあるのかと訊くと、肉を混ぜたサラダを作って、それがちょっと残っていると言う。冷蔵庫を覗くとそのサラダのほかに、前日客人にも出した鮪の佃煮のようなものがあったので、それを食べることにして調理台の上に取り出した。そこで尿意が満ちていることに気づいたので先に便所に行ってきて、戻ってくると鮪を小皿の上に袋から落とし、サラダと米とともに卓に運んで食事を始めた。新聞は一応めくったが、特に集中して読んだ記事はない。鮪の佃煮をおかずにして米を食い、サラダには山葵のドレッシングを掛けて、豚肉と野菜をともに食った。母親は医者に行ってきたのだと言った。どうも肩が痛くて上がらないのだと言う。内科に行って、数か月前からこういうわけで運動をするような仕事を始めてと話したところ、整形外科に行って話を詳しく聞いたほうがいいと思うと言われたので、午後行こうかどうしようか迷っているとのことだった。こちらは食後、薬を飲んで皿を洗い、風呂も洗ってから下階に下りた。自室に戻ってコンピューターを点けると、参院選の情報収集と言うか、何か良い記事はないかとインターネットを検索して、記事をいくつかEvernoteの「あとで読む」記事のなかに入れておくと、日記に取り掛かった。一時半前だった。BGMはFISHMANSCorduroy's Mood』を何回か繰り返したあと、同じFISHMANSの『Oh! Mountain』。日記を書きはじめてから一時間半ほどが経ってここまで記しているが、まだ前日の記事は終わってはいない。グランデュオのレストラン・フロアに着いたところまで綴ったところで、途中でこちらに移ったのだ。これからまた前日の記事を書いて仕上げなければならないのだが、ちょっと疲れてきたので、休みがてら読書をしようかとも思っている。
 三時五分から谷川俊太郎/尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』を読みはじめた。背景にはWynton Marsalis『Selections From The Village Vanguard Box (1990-94)』を流し、時折り文章を追う視線を止めて瞼を閉ざし、演奏に耳を傾けた。途中、例によって眠気にやられる時間をちょっと挟みながら二時間読んで、『詩人なんて呼ばれて』は読了した。その頃には母親の気配は上階からなくなっていた。先ほど言っていた通り、整形外科に行ったらしい。こちらは六時になったら食事の支度を始めれば良いだろうと決めて、五時一〇分過ぎからふたたび日記を綴りはじめた。長くなることは必定ではあったが、気負うことなく、わりあいにすらすらとスムーズに書いていくことが出来た。流した音楽は昨日買ったConrad Herwig『Another Kind Of Blue: The Latin Side Of Miles Davis』。それで六時ぴったりになると打鍵を中断し、作業時間を記録して上階に行った。母親は帰ってきており、台所に入って食事の支度を始めるところだった。整形外科に行ってきたと言うので、どうだったと訊くと、駄目だったと言う。医師がこちらの話をよくも聞かず、肩が痛くて上がらないと言っても、母親の方を見もしなかったということだった。二週間、痛み止めを飲んでみて様子を見て下さいとのことになったらしい。右半身全体が妙に痛いと言うので、以前からずっと同じことを言っているではないかとこちらは指摘し、こちらの言も以前からずっと同じなのだが、大きな病院で精密検査をした方が良いのではないかと勧めた。それで食事の支度、母親が愚痴愚痴と漏らしている横でインゲン豆を茹でた。その後、母親が半分に切った鶏肉の塊をフライパンで焼きに掛かった。オリーブ・オイルをフライパンに引き、生のニンニクを刻んだものをばら撒き、鶏肉の塊三つを敷いてフライパン上を埋め尽くした。こちらが火の前でぼけっと突っ立っているあいだに母親はサラダの支度をしていた。鶏肉に焦げ目がつくと裏返し、一方でスープを作るためにペットボトルのなかに入った昆布を取り出して鍋に刻んだり、「茸三昧」という茸の詰め合わせの品をこれも鍋に入れたりした。スープは豆腐のものである。鶏肉はじきに焼き上がって、ニンニク醤油を投下され、スープの方は豆腐を加え、そのあとから炒飯の素と即席の味噌汁の味噌を半分入れて完成した。それで食事の支度は終わり、居間に移ってこちらは自分のフレンチ・リネンのシャツにアイロンを掛けると、それを下階に持っていっておき、そうしてもう食事を取ることにした。いや、食事を取ったのがアイロン掛けよりも先だったかもしれない。まあどちらでも良いのだが、鶏肉の塊を箸で掴んで噛みつきながら同時に米を口に入れて咀嚼し、その他のものも食べてしまうと薬を飲んだ。テレビはニュースを伝えていて、高齢者の車の事故などが伝えられていたので、ソファに就いた母親は、これでまた高齢者、高齢者って言われるねと漏らしていた。食事を終えて食器を洗うと、三ツ矢サイダーのペットボトルを持ってこちらは下階に戻ってきた。それで炭酸飲料を飲みながら日記を記して、前日の記事を仕上げてここまで書くと七時半である。
 ブログに七月七日の記事を投稿したあと、Mさんのブログを最新記事まで読み、それから入浴に行った。雨で増幅された沢の音を聞きながら湯に浸かり、出てくると母親は誰かと電話していて、それがちょうど終わるところだった。こちらは下階に戻り、八時半から『曽根ヨシ詩集』を読みはじめた。一一時ちょうどまで読み続けたが、例によって途中、眠気によって意識を曖昧にする時間が差し挟まって、実際に読んでいた時間はそう多くはない。読書を中断してベッドから下り立つと、部屋を抜けて上階に行った。小腹が空いたのでおにぎりでも作って食おうと思ったのだ。階段を上がっていくと風呂から出た母親が、地震があったの知っている、と訊いてきたので、肯定した。一一時近くだっただろうか、本を読んでいるあいだに揺れたのだ。母親は風呂に入っている最中だったらしい。こちらは台所に入り、炊飯器の傍にラップを敷いて米をそこに盛り、塩と味の素を振り掛けるともう一枚ラップを被せて持ち上げ、握りながら居間をあとにした。部屋に戻るとインターネットを回りながらおにぎりを食い、一一時半前から書抜きを始めた。東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』と細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』からそれぞれ文章をEvernoteに写して、それから参院選の判断材料になりそうな記事を検索したのち、立憲民主党の基本政策を眺めた。気になった事柄は手帳にメモしていった。それで一時を越えるとまたしばらくだらだらとした時間を過ごしたのち、一時四〇分過ぎからベッドに移って『曽根ヨシ詩集』を読み出したが、いくらもしないうちにまたもや意識を失ったようだ。気がつくと四時を迎えていた。それで立ち上がって、入口脇のスイッチを押して電灯を消し、暗闇のなかで枕に尻を乗せて少々瞑想の真似事めいたことをしてから就床した。


・作文
 13:27 - 15:00 = 1時間33分
 17:12 - 18:00 = 48分
 19:07 - 19:29 = 22分
 計: 2時間43分

・読書
 15:05 - 17:07 = 2時間2分
 19:49 - 19:59 = 10分
 20:33 - 23:00 = (1時間半引いて)57分
 23:25 - 23:59 = 34分
 24:16 - 25:04 = 48分
 25:42 - ? = ?
 計: 4時間31分+?

  • 谷川俊太郎/尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』: 280 - 358(読了)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-07-05「寝不足の野良犬どもがあやまって路上の矜持を捨て値で売る夜」; 2019-07-06「海嘯に運ばれてゆく時間とは流れではない飛沫でこそあれ」
  • 『曽根ヨシ詩集』: 10 - 28
  • 東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』東京大学出版会、二〇一八年、書抜き
  • 細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社、二〇一五年、書抜き
  • 立憲民主党「基本政策」

・睡眠
 3:20 - 12:25 = 9時間5分

・音楽