醤油入れの醤油は幽閉された夜一滴ずつ解放される朝
(九螺ささら『ゆめのほとり鳥』書肆侃侃房、二〇一八年、39)気付いたり傷付いたりして秋ふかくスイートポテトの焦げ目美し
(44)紅茶葉から煙りのように色の出て湯に夕焼けが広がってゆく
(46)愛された記憶のごとく金色で甘く凍えるマロングラッセ
(47)ばらばらなわたしはきみと目が合うたび縫い合わされシーツになってく
(50)チューニングするようにきみに凝視され二人の波動が一致してしまう
(53)貫かれ脳がバターになってゆく来世のじぶんがぬるく波立つ
(54)ペニンシュラ、半島または愛されてもう戻れない女の体
(57)一日じゅうふりこを眺めつづけたらこれと似た恍惚になるでしょう
(58)人体は熱製造所にて刻刻と発熱しながら愛しつづける
(63)
九時のアラームで覚める。今日は労働がいつもより早い。三時から始まって、七時四〇分頃まで。面倒臭い。それでも時間で考えると五時間足らずだからまあ短いと言えば短いけれど、三時限は疲れる。今週はほとんど毎日三時限である。大変だ。上階へ。母親に挨拶。便所に行って放尿してから、カレーを冷蔵庫から取り出して火に掛ける。お玉で搔き混ぜながら熱し、米の上に掛けて卓へ。そのほか胡瓜と葡萄など。さっさとものを食い終わると抗鬱剤を服用する。母親は着物リメイクの仕事に出かけていった。こちらは食器を洗い、風呂も洗って自室へ。コンピューターを点け、Twitterなど覗いたあと、日記を書き出したのが九時五五分。ここまで綴って一〇時一〇分。音楽は例によってFISHMANS『Oh! Mountain』である。
前日の記事をインターネットに投稿。その後、一〇時五〇分から読書をしようとベッドに移り、ジャン・ジュネ/生田耕作『葬儀』をひらくも、すぐに意識は曖昧にほどけていった。一時頃まで断続的に目を閉じて休んでいただろうか。いや、一時一五分だ。それでそろそろ準備をしなければいけないなと起き出して、上階へ行った。そうして日清のカップヌードルを用意して食す。食す前に、ベランダに出してあった洗濯物を入れた。午前中、陽射しが生まれはじめたので、母親が室内に干していったのをベランダに出しておいたのだった。それでカップラーメンを食うと一時三五分頃だったはずだ。下階に戻り、仕事着に着替えて歯を磨いた。そうしてクラッチバッグに荷物を用意して出発へ。玄関を抜けたのが一時五〇分頃。
わりと風がある道行きだった。坂を上っていき、平らな道を歩いて街道へ。街道でも車の流れに引かれて風が結構渡ってくる。道中のことは全然覚えていない。特に印象深いこともなかったのだろうか。小公園の桜の木から蟬だか鳥だかが鳴き声を降らせていたような覚えはある。裏通りに入ると、白線に沿ってあるいは白線の上を踏みながら進んでいく。風はわりと厚いのだけれど、歩いているうちに陽射しも出てきてやはり暑く、服の内が湿ってくる。白猫はいなかった。最近戯れる機会がない。林の方からは蟬の鳴き声、そのなかに、まだ一匹くらいの薄いものだが、ミンミンゼミの声も混ざっている。
職場に到着。今日は三時限。明日も明後日も三時限である。忙しい。今日の相手は、最初の時限はまず、(……)くん(小六・算数)、(……)くん(中三・社会)、(……)くん(中三・数学)。数学はあまりやりたくないのだけれど、今日当たったのは比例と反比例のところだったので問題なかった。(……)くんは社会のコマ数が少ないため、ワーク本篇は宿題に回して、確認テストの表面だけで進めている。進度は速い。今日で地理の範囲が終わった。(……)くんは約数や公約数の箇所を扱って、まあ特段に問題はないだろう。
二時限目は(……)さん(中三・英語)と(……)くん(中三・英語)。後者は初顔合わせ。結構真面目そうな印象。返事がはっきりしていて良い。今日扱ったのは一般動詞。ミスも少なく、致命的なものはないので、わりあいに出来るほうではないか。(……)さんは動名詞を扱い、余った時間で助動詞を一頁復習。shouldがなかなか覚えられない。
三コマ目。(……)さん(中三・英語)、(……)さん(小五・国語)、(……)くん(小六・国語)。(……)さんはうーん、という感じ。一頁目は良かったのだが、二頁目にやたらと時間が掛かって、ほとんど授業いっぱいを費やしてしまった。本当はもっと細かく説明したり、一頁復習させたりしたかったのだが。本人は眠かったのだと言っていた。好感度もどうなのか微妙。こちらのことを好いているのか、それとも嫌っているのかいまいちよくわからない――笑みを浮かべてはいるけれど。多分嫌われてはいないと思うが、それほど好かれてもいないのだろうか。そうすると質問がやりづらいわけである。今日もいくらか質問をしたけれど、英語はどうも苦手なようで、want toとかも知らないくらいだから、あまり質問をされたくないのではないか。答えられないので。そこをうまく、相手の自尊心を貶めないような形で質問したり解説したりするのが腕の見せどころということになるのだろうが。(……)さんは初顔合わせ。資料を読み取って書く単元のところ。やや苦戦していた。記述があまり長く作れず、言葉足らずになってしまう傾向があるようだ。(……)くんは特段の問題はない。いや、あるか。今日やったのは文法の箇所で、主語・述語・修飾語だとか、名詞・動詞・形容詞だとかだったが、修飾語の修飾・被修飾関係など結構間違えていた。あとは名詞・動詞・形容詞の区別も最初のうちはあまりよくわからなかったようだ。
退勤。駅に入る。奥多摩行きはちょうど発車する頃合いだったが、急ぐのも面倒だしコーラを飲みたくもあったので、歩調を変えずに階段を上がっていき、目の前で発車する電車を見送った。そうして自販機に寄って、一三〇円を挿入してコーラを買う。木製のベンチに就いて飲みながら手帳。途中で隣に中年の男性が腰掛ける。サラリーマン。こちらと同じように、ワイシャツとスラックスの格好。靴は明るい褐色で、先端がやや細くなっているタイプのもので、結構質が良さそう。奥多摩行きが来ると乗って、引き続き手帳。最寄り駅まで。
降りると小雨。傘は持ってきていない。駅舎を抜け、横断歩道を渡って木の間の坂道へ。坂を下っているあいだ、頭上の木々の天蓋からぼたぼた雫が落ちてくる。木々のなくて雨がそのまま落ちてくる道よりも、雫が樹上に溜まって大きくなるので、かえって濡らされてしまう。難儀しながら坂を抜け、平らな道を行った。濡れたアスファルトが電灯の明かりを伸ばして滑らかに光っている。
帰宅。父親ももう帰ってきており、風呂に入っていた。ワイシャツを脱いで洗面所へ。それから下階に下りて、着替えて上階に戻ってくると食事。素麺、冷凍されていた天麩羅、サラダほか。テレビは何だったか? 覚えていない。どうでも良い番組だったのではないか? 食事を終えると薬を飲み、食器を片付けて風呂へ。湯浴みを済ませて出てくると自室に帰り、九時四五分から書抜き。冨岡悦子『パウル・ツェランと石原吉郎』。それからSkypeでDさんとやりとりしながら、インターネット記事。Dさんは今は『肩甲骨は翼のなごり』という児童書を読んでいると言う。宮崎駿がお勧めしていた作品らしい。今日は通話をする予定だと言うので、僕はあとで余裕があったら参加しますと言っておき、インターネット記事を読む。星浩「「密室談合」の森政権と前代未聞の「加藤の乱」 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(11)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019030100006.html)と、結城剛志「アベノミクスで高まる財政危機のリスク。「消費税率25%を覚悟」しなければならない可能性も<ゼロから始める経済学・第6回>」(https://hbol.jp/191928)。読んでいるあいだにSkype上では通話が始まった。同時に、LINE上でTともやりとりをしていた。九月一日に空間展示を見に行くのでどうかと。了承。また、スタジオに入って録音しようという話にもなっているのだが、それは八月三〇日の予定になったと言うので、それも多分行けると思うよと言っておく。しかし、俺が行って何か役立つことがあるのだろうか? と疑問を投げかけると、いてくれるだけで安心感があるとの返答があったので、まあ別に役立たなくても良いか、時間を共有できれば、と答えておいた。Skypeの通話には、一一時くらいから参加。とは言ってもチャットである。BGMとして通話を聞きながらインターネット記事を読み進め、読み終わったあとはチャットで本格的に参加した。Yさんがウォーリーに似ているということを主張したり、Nさんはクール系な印象の外貌だったと言っていると、その当のNさんがやって来て通話に参加した。そのほか、Rさんがベールイを読んだとか、ジュリアン・グラックも読みたいですねとか話したり、各々が書いた字の画像をアップロードして、誰が一番上手いか競ったりなどした。
そんな感じで話して、零時を回ったあたりでNさんが離脱したので、それでは僕もと言って退出した。それからベッドに移って書見。ジャン・ジュネ『葬儀』は一旦置いておいて、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』を読み出すことにした。『葬儀』は何となく肌に合わないと言うか、合わないというほどでもないのだけれど、チューニングをこの小説に合わせるのが何だか大変そうだったし、次回の読書会の課題書がルドルフ・ヘス『アウシュヴィッツ収容所』なので、それに関連する著作を読んでおきたいという気持ちの方が強かったのだ。プリーモ・レーヴィではほかに、『これが人間か』を図書館で借りているのでこれも読む。そのほか、ハンナ・アーレントの『エルサレムのアイヒマン』と、岩波現代文庫から出ている『アイヒマン調書』みたいなタイトルのやつも読みたいと思っているが、読書会の日までに果たして読めるかどうか。あとそうだ、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策』というミネルヴァ書房の歴史書も持っているので、これも読めたら読みたいが、八月は六日から一週間ほどモスクワに行くわけで、そのあいだは本など読んでいる暇はないだろうから、果たしてそんなにたくさん読めるかどうかわからない。プリーモ・レーヴィを読み進めて、二時半頃までは多分起きていたと思うのだが、その後死亡。意識を失った。気づくと四時半。そのまま就寝。カーテンがもううっすら明るみはじめていた。
・作文
9:55 - 10:11 = 16分
・読書
10:51 - ? = ?
21:45 - 22:27 = 42分
22:30 - 23:22 = 52分
24:28 - 26:30 = 2時間2分
- ジャン・ジュネ/生田耕作『葬儀』: 18 - 20
- 冨岡悦子『パウル・ツェランと石原吉郎』みすず書房、二〇一四年、書抜き
- 星浩「「密室談合」の森政権と前代未聞の「加藤の乱」 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(11)」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019030100006.html)
- 結城剛志「アベノミクスで高まる財政危機のリスク。「消費税率25%を覚悟」しなければならない可能性も<ゼロから始める経済学・第6回>」(https://hbol.jp/191928)
- プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』: 3 - 38
・睡眠
2:30 - 9:00 = 6時間30分
・音楽
- FISHMANS『Oh! Mountain』
- Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)