2019/7/24, Wed.

 舫われた二艘の舟として生きるきみの存在がわたしの浮力
 (九螺ささら『ゆめのほとり鳥』書肆侃侃房、二〇一八年、66)

 「たたむ」とは宗教であるTシャツも折りたたまれて偶像になる
 (81)

 あの人が朝食のパンにつけるバターがずっとなめらかでありますように
 (86)

 絶望が等差数列に並んで電線に止まって見下ろしている
 (90)

 キルトカバーを縫いはじめるととちゅうから青空や夜を追い越してしまう
 (105)

 金柑がそこここにこぼれ落ちている時間の国の金貨のように
 (106)

 夜の中に薔薇は薔薇のまま香ってる人は死んでも見えないだけだ
 (107)

 ふさふさの群青色が流れてく空は一頭のさみしい馬
 (124)

 畳まれた浮き輪はたぶん比喩でしょう頑張れないまま死ぬことだとかの
 (128)


 一〇時前起床。パンツ一丁で眠っていたので、起き上がるとまず肌着とハーフ・パンツを身に着けた。上階へ。母親は料理教室。パンとサラダが冷蔵庫にあるとの書き置き。便所に行って放尿してから、冷蔵庫から胡桃ロールを一個取り出し、あとサラダも。胡桃ロールは電子レンジで二〇秒加熱。サラダを持って卓へ。旨塩ドレッシングを掛けて野菜を食う。新聞瞥見。英首相がボリス・ジョンソンに決定と。
 抗鬱薬を服用し、食器を洗ったあと風呂も洗う。"感謝(驚)"のメロディを口笛で吹きながら。前後するが、食事を終えた頃合いに郵便局が届け物をして来た。玄関に出て、印鑑を押したのだが、局員というか配達員は、早口で何を言っているのかあまりよく聞き取れないような口調の人だった。それで風呂を洗ったあとは下階に下り、コンピューターを起動。Twitterを覗き、Evernoteを用意し、日記を書きはじめたのが一〇時四〇分。そこから前日の記事を通過してここまで綴ると一一時半。BGMはFISHMANS『Oh! Mountain』。
 二三日付の短い記事をブログやnoteに投稿。それから上階に行き、陽射しが出てきていたので、吊るされたタオルや肌着の類をベランダに出した。そうして下階に戻るとベッドに移って書見。プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』だが、例によって読んでいるうちに眠気にやられて瞼を閉ざし、休むことになった。一時間ほど眠気に刺されて意識を曖昧にしていただろうか。一時を過ぎて覚醒し、そこからは読書に邁進して、二時を過ぎたところで切りとした。そうして上階へ。食事である。まずベランダに出していた洗濯物を取り込んでおき――今は陽射しが薄れて曇り、まもなく雨が降ってきそうな雰囲気になっていた――冷蔵庫のなかから胡桃ロールのパンを一つと、葡萄やゆで卵を取り出す。パンは電子レンジで二〇秒温めて、その場で食ってしまい、もぐもぐやりながら小さな豆腐を用意した。そのほか、冷凍の唐揚げを四つ皿に取り出して電子レンジに突っ込んでおいてから卓へ。そうしてものを食す。鰹節の掛かった豆腐に醤油を足らして食べ、唐揚げを賞味し、葡萄を一粒一粒ちまちまと口に入れたあと、さらにバナナも一本食べて食事を終えると、台所に立って食器を洗った。洗っていると母親が帰ってきた。荷物を運び入れるようにと呼んでみせるので玄関に出て、買い物袋を台所へと運び、冷蔵庫に入れるものは冷蔵庫に入れた。それからタオルを畳んでいると、弁当を作ってきたと言うので、それも頂くことにして、食器乾燥機のなかから箸をふたたび取り出し、卓に就いた。弁当は豚肉を青紫蘇やマヨネーズで和えたものや、トマトソースを掛けたマグロのソテーなどだった。そのほか、ババロア、と言うかムース状の甘味。柔らかいプリンのような味。なかなか美味かったそれらを食ったあと、下階に下りて歯磨きをした。それからBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)を流して「記憶」記事音読。一二分。そうして上階に戻り、ボディ・シートで肌を拭ってから居間の隅に吊るされたワイシャツを取って階段を下りると、母親が、送っていこうかと言う。雨が降り出していたのだ。歩くのが面倒臭いので甘えることにして、部屋に戻るとワイシャツ及びスラックスを身につけ、日記を書き出したが、コンピューターの前に立って指を動かしているだけなのに首もとや背には汗が湧いて溜まる、どうしようもない蒸し暑さである。
 上階へ。三時四〇分に出ることに。一〇分ほど余っていたので、椅子に就いて手帳をめくる。母親はソファに座ってタブレットを弄っていた。一〇分経ち、四〇分に達するところで、そろそろ行こうと立ち上がり、玄関へ。靴を履いて出る。そのあとから母親もついてくる。外に出て、母親が車を出すと助手席に乗り込み、シートベルトをつける。発車あるいは出発。坂を上っていき、街道へ。母親がクーラーを二〇度くらいの低さで掛ける。街道を走っている途中、彼女はまたCDをシステムに挿入し、Air Supplyの音楽が掛かりはじめる。"Lost In Love"である。合わせてちょっと口ずさみながら揺られ、青梅駅前で下ろしてもらう。果物屋の軒下を通って職場へ。
 座席表に寄ると、今日は三時限だと思っていたのだが、最初の一コマにこちらの名前がない。それでコピー機を使っていた(……)先生に近寄って、今日は室長は、と訊くと、休みだと言う。それでは(……)さんはと訊くと彼女はいて、授業中だったのだが、座席表のところに呼び寄せて事情を告げた。多分間違えてメールを送ったんだろうな、ということだった。どうします、事務をしますかと訊かれたのだが、適当に過ごします、予習とかしつつと答えておき、奥のスペースへ。ロッカーに荷物を入れ、タブレットを取ってきて授業記録を見ていると、(……)さんがやって来て、(……)さんが、今日は授業が入っていなかったはずなのだが来てしまって、予定外の授業が発生しそうなのでそれを担当してもらって良いかと訊いてきたので了承する。怪我の功名と言うか、こちらが間違えた時間に来たために、緊急事態に対応することが出来たわけだ。
 それで一コマ目は(……)さんとマンツーマン。科目は算数。扱ったのは小数の割り算、文章題も含むまとめの問題。マンツーマンだとさすがに暇な時間が結構生まれるので、あとの授業の準備などしていたのだが、それでも時間が余ったので、生徒が問題を問いているあいだは手帳を眺めたりしていた。(……)さんは、時間は多少掛かって、いくつか苦戦した問題もあったが、全体的にはよく解けていた。立式の間違いもなかったようだ。
 二コマ目は(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中三・英語)。(……)くんがやや不真面目と言うか、勉強をするのを嫌がっている感じだが、まあ全体として問題はない。(……)くんは確認問題レベルは簡単過ぎるだろうと思って、ちょっと難し目の頁を扱ったのだが、ミスは一問のみでほとんど完璧に出来ていた。素晴らしい。そのミスというのは、I have a coffeeみたいな文の間違いを直せというもので、coffeeは数えられない名詞だからその前にaはつかないし、複数形にもならないよということを説明し、ノートに記してもらった。
 最後のコマは(……)くん(高二・英語)、(……)くん(中三・社会)、(……)(高三・英語)。(……)くんが初顔合わせ。野球部だろうか、頭は丸刈りである。学校の夏期課題を進める。ただ進めているだけだと漫然となってしまうので、時折り介入して、長文を一緒に読んだ。そこでわからなかった単語、語彙を見る限り、英語はそれほど得意ではないよう。わからなかった単語には線を引いてたくさんの単語を確認し、それらをノートにメモしてもらった。(……)くんは前回よりは打ち解けたような気がする。相変わらず無口なタイプの子ではあるが、質問にも一応答えてくれる。(……)は、自分で勝手に進めて、わからないところもあちらから訊いてくれるので、非常にやりやすい。今日はあまり解説したり介入したり出来なかったが、その必要もなかったというのが実際のところだ。つまり、自分の弱点について把握していて疑問を抱いた箇所などをピックアップして質問してくれるので、こちらが介入しなくとも良いのだ。ある種、我が社が掲げている自立学習の理想的な形を実践できているかもしれない。
 明日の相手の生徒を(……)さんに訊いて確認したあと、退勤。駅舎に入り、通路を辿って階段を上がり、停まっていた奥多摩行きに乗車。席に就いて手帳を取り出した。向かいの番線に来る接続電車が遅れていた。最近、本当に中央線・青梅線はよく遅れている。それで奥多摩行きの発車も八分ほど遅れたようだったが、こちらは手帳を読む時間が増えたので特に問題はない。最寄り駅に着くと降車し、駅舎を抜けると横断歩道を渡って自販機に寄った。一五〇円でコカ・コーラ・ゼロのペットボトルを買い、クラッチバッグに収めて東へ。肉屋の隣の細い坂に折れた。道の左右には草が生い茂り、路面は濡れたままでそこにたくさん葉っぱが貼りついていて、じめじめと湿気が足もとから立ち昇ってくるようで、蛇でも出やしないだろうなとちょっと恐れながら薄暗闇のなかを下りていった。
 帰宅。ワイシャツを脱いで洗面所に置いておくと、自室に戻って着替え。上がってきて食事。食事は、米に、鶏肉のソテー、エノキダケの入った汁物、モヤシなどのサラダなど。テレビは『クローズアップ現代+』。縄文時代の丸木舟を再現して海を渡ろうというプロジェクトについて紹介していた。父親はまた酒を飲んだのだろう、感心しながらそれを見ている。そこに台所に立った母親がちょっと機嫌を損ねながら、届いた荷物を開けておいてと父親に言うのだが、父親はそれを聞かず、テレビに夢中である。そのうちにまた、母親が父親に、使った皿を持ってきてと言った。父親は一度は良いよ、自分で洗うから、と言うのだが、母親が求めを続けると、うるせえんだよ、ババア、などと小さくぶつぶつ呟きながら皿を台所に持っていった。父親の機嫌をわざわざ損ねるような刺々しい言い方をする母親も、酔って悪態をつく父親も、双方とも等しく愚かである。もうそれぞれ六〇年も生きている間柄なのだから、もっと穏やかで齟齬のない、落着いたコミュニケーションと関係を築いてはくれないものか。こちらは食事を終えると薬を服用し、食器を洗って入浴へ。出てくると、冷蔵庫に仕舞っておいたコーラを持って自室に帰った。Nさんが書いた東京紀行の一日目の記事を読み、Skypeにログインすると、通話が行われていたので、チャットで参加。会話をBGMにして、時折りチャットで発言しながら、大澤聡『教養主義リハビリテーション』を書抜きした。書抜きを五〇分ほどで切りを付けると、チャットに専念したが、その頃にはAさんもCさんも去って、通話で実際に喋っているのはYさんだけになっていた。チャット上でK.Mさんと会話する。彼女は映画をよく見るらしく、こちらが調子の悪い時期に小津安二郎の『麦秋』を見たと言うと、小津は一通り見たという応答があった。自分は映画はほとんど見ない、そのほかまともに見たのは、『ロミオとジュリエット』くらいだと言った。フランコ・ゼフィレッリという監督名を検索する過程で、その監督がつい先月亡くなっていたという報に接して、タイムリーなのでまた『ロミオとジュリエット』を見てみようかなと思った。
 それで零時半頃になって通話を終え、それからこちらはMさんのブログを二日分読んだ。Mさんももう日本に帰ってきているはずである。夏のあいだにまた会えればと思う。ブログを読み終えるとコンピューターをシャットダウンして、ベッドに移り、プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』を読みはじめた。途中までは良かったのだが、多分二時頃だろうか、例によっていつの間にか意識を失っていた。何とか意識を失わずに三時頃まで書見に励みたいのだが。気づくと三時半だったので、そのまま就寝した。


・作文
 10:42 - 11:29 = 47分
 15:17 - 15:27 = 10分
 計: 57分

・読書
 11:42 - 14:08 = (1時間引いて)1時間26分
 14:54 - 15:06 = 12分
 23:01 - 23:51 = 50分
 24:28 - 24:44 = 16分
 24:52 - 27:25 = (1時間引いて)1時間33分
 計: 4時間17分

  • プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』: 38 - 64
  • 「記憶」: 1 - 4
  • 大澤聡『教養主義リハビリテーション』筑摩選書、二〇一八年、書抜き
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-07-17「海を見たことがないまま成人をむかえたひとの珊瑚のピアス」; 2019-07-18「身投げするものに寄り添うまなざしでながめることができない地上」

・睡眠
 4:30 - 9:50 = 5時間20分

・音楽