2019/7/29, Mon.

 清水 ところで、フーコーの著作全体を見ると『言葉と物』はむしろ例外で、それ以外の本では一貫して「権力」ないし「主体」が問題になっていますね。『監獄の誕生』において、フーコーが挙げているパノプティコンが一番わかりやすい例なのだけど、囚人というのは一望監視的な所に入れられて権力の眼によって奪われる身体しか持っていない。残っているのは、絶対に外からは見えない内面だけであり、そのことは逆に言えば、囚人は完全に純粋な内面性を保持できるということになる。逆に権力の側は、すべてを見ることができるけれど、自分自身を見ることはできない。つまりパノプティコンは、個人における純粋な内面性の契機であると同時に、権力における絶対的外面性のそれでもある……。
 渡辺 それは、〈牧人=司祭〉の権力と通じるものであるわけです。
 清水 ええ。そこにおいてフーコーは、奴隷としての内面性を拒否しようとする。
 渡辺 内面性が隷属化することをね。しかし、権力の仕掛けの中では、そういう形でしか内面性は成り立たないというわけでしょう。そしてそれを遡ると、告解の実践だということになる。そしてフロイト以降の精神分析学もこの実践の地平にあると。
 清水 だから、信徒はいつも自分の内面を語る義務を負わされており、牧人はその代償として信徒に、ある限定つきの個人としての主体性を与えることになる。そういう形で彼は、性との関連において、西欧の歴史において個人が内面を獲得し、同時に限定つきの個人のアイデンティティを獲得していったと論証するわけです。そこで気になるのは、フーコーバタイユ論を書いた時、性というものを禁止と違犯、あるいは聖なるものと結びつけて展開したわけですが、そこでは、人間がある種の禁止を違犯していく所に聖なるものが誕生していくという宗教学的図式にほぼ忠実だった。それはつまり、個人のアイデンティティを失わせる形で逆に個人を主張するということですよね。違犯を重ねていくことによって聖なるものに達するということは、個人のアイデンティティブランショ的な意味で破壊するということですからね。するとそこには当然、ある種のディナミスムなり緊張なりが生じるわけで、そのことによって、ふつうは到達しえない外部に到達しうるというこの論理の奥にはいわば悲劇的なディナミスムがある。しかしそういった悲劇的ディナミスムを主調とする性というものは、性が世界的に瀰漫しているような時代においては、その瀰漫度に反比例して減っていくわけですよ。そうなると、フーコーがセックスというものは個人を擬似主体として確立させるもので、ある種の部分的権力を持つ人間による、権力の網の目機構という形で近代社会はできあがっている、と分析したことについては、僕は疑問と言わないまでも、ちょっと留保をつけたい感じがするんですよ。擬似主体性を与えられた個人がより集まって構成する網の目としての権力構造というのは、僕は日本においてもフランスにおいても少しずつ風化していて、もう少し柔らかな脱構造的構造に移っていると思うんです。少なくとも性という視点から考えた場合にはね。ということは、フーコーがまさに西欧的・フランス的意味での知識人の代表であることは間違いないけれど、そういうフーコーの思考形式は、フーコー自身が排除した内面性というものにじつは裏側から支えられているんじゃないかということになってくる。(……)
 (渡辺守章フーコーの声――思考の風景』哲学書房、一九八七年、63~65; 渡辺守章清水徹フーコーの声」)


 早い時間から何度も目覚めていたが、最終的に九時のアラームが鳴り響いたことによって起床を見た。夢を色々見て、なかに不思議なものが含まれていた覚えはあるが、詳細はもはや脳のなかに残っていない。一つ覚えているのは暴力的な夢で、極小のハムスターか何かの世話をこちらがしていたところ、中学生だかそのくらいの子供がハムスターを踏みつけていったので、餓鬼が、調子に乗るなよと憤りながらそいつの後頭部の髪をぐわしと掴み、そのまま顔面を地面に叩きつけ、さらに首もとを押さえつけて痛めつけたというものである。もうほとんど怒りとか苛立ちという感情を覚えることはなくなっているのだが、深層においては自分のなかにもそのような暴力性が眠っているのだろうか。
 パンツ一丁で眠っていた。起き上がると、ハーフ・パンツを履き、上半身は裸のままで部屋を出て上階に行った。母親は洗面所で歯磨きをしていた。もごもごとした口調の挨拶を受け、鏡の前の母親にどいてもらって顔を洗うと、カレー・ピラフがあると言う。それで冷蔵庫からパックに収められたピラフ――ほかに、唐揚げと焼売が添えられていた――を取り出し、電子レンジに突っ込んだ。待っているあいだ、横の調理台の上では母親が、胡瓜と人参の漬物を密閉式ビニール袋から取り出し切り分けていた。それを受け取って卓に運び、ピラフも温まったので卓に持っていき、食事を始めた。テレビは『あさイチ』を掛けていて、あまり良く見なかったが、消えた年金を追跡する人の仕事などが紹介されていたようだ。ものを食べ終えると、氷水を汲んできて、抗鬱薬を服用した。それから皿を洗っていると、母親は仕事に出かけていった。こちらはその後、浴室に入って浴槽を洗いはじめる。風呂桶のなかに入って背を丸め、前屈みになってブラシで四囲の壁を擦った。シャワーで洗剤の泡を流して出てくると、何か飲み物はないかと冷蔵庫を探ったが、特に見当たらなかったので何も持たずに自室に帰った。コンピューターを点け、前日の記録をつけたりこの日の記事を作成したりしているあいだ、汗が湧いて仕方がなく、裸の肌に汗の玉が浮かんで転がる感触が煩わしいので、肌着の真っ黒なシャツを身につけた。そうして日記を書き出したのが九時四三分、BGMはいつも通り、FISHMANS『Oh! Mountain』である。ここまで書くと、一〇時が目前になっている。
 前日の記事をいつもの手順でブログ及びnoteに投稿してから、Mさんのブログを二日分読んだ。さらに続けて、Sさんのブログも三日分。最新記事から遠く遅れて、六月一一日から一三日付の記事までである。六月一二日の「夢」という記事のなかで、自分の夢に出てきた匿名的な人物に対して、「外見だけでそう言うのも失礼ながら」とわざわざ断りを入れているのがちょっと面白かった。律儀である。二人のブログを読むと――合間にNさんのブログの最新記事、東京紀行の三日目の記録も読んだ――時刻は一一時直前、ベッドに移って読書に入った。プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』だが、今まで読んできたなかで気になったところを手帳にメモするのに時間の大半は費やされ、新しいところをほとんど読み進めるには至らなかった。読み進める前に、またしても眠気の魔が到来して意識を失ってしまったのだった。メモをしているあいだは、首もとから頻りに汗が湧いて仕方がなかったので、たびたび肌着のシャツを引き上げて液体を拭う必要があった。腕の肌にも汗の玉がたくさん付着していた。その後、暑気に纏わりつかれながらも夢現の境を遊泳して、一時頃になって意識をはっきりと覚醒させた。
 上階へ行き、食事を取ることにした。冷蔵庫のなかからパックに入った生野菜のサラダと、前夜のワカメのスープの残りと、ゆで卵を取り出す。スープの鍋は火に掛けて、さらに、それだけでは少々物足りなかったので、冷凍の唐揚げを四つ、皿に用意して電子レンジのなかに収めた。三分間の加熱をセットしたあいだにスープをよそり、卓に運んだあと、食べはじめる前にトイレに行って用を足し、それからテーブルに戻ると生野菜のサラダ――具はレタス、胡瓜、赤パプリカ、トマトなど――に玉ねぎドレッシングを掛けて食べた。唐揚げもじきに温まったので、高熱を帯びた皿を両手指の先で掴んで運び、椅子に座ると鶏肉を食した。食事を終えると食器を片付け、それからベランダに吊るされていた洗濯物を取り込んだ。強い陽射しが宙を通ってベランダに達しており、洗濯物を取り、持ち上げて室内に入れているだけでまた首もとに汗が湧いた。それで、タオルを畳んだあと、シャワーを浴びることにした。久しぶりのことである。洗面所に畳んだタオルを運んでいき、そうして服を脱ぎ、肌着のシャツは取り替えるけれどパンツは同じものをまた穿けば良かろうと洗濯機の上にハーフ・パンツとともに置いておき、浴室に入った。冷水でシャワーを浴びても良さそうな陽気だった。実際、温水に設定すると湯の温度が熱すぎるくらいに感じられたので、ぬるま湯程度の温度に設定を下げた。身体全体の汗を流し、フェイスタオルで水気を拭ってから上がってくるとバスタオルでさらに身体を拭き、それから髪を乾かした。短髪をちょっと立てるように、斜めに持ち上げるように髪を流した。それで上半身裸で自室に戻ると、窓を閉めてエアコンを入れた。新たな汗が発生するのを防ぐためである。そうして日記を書き出し、ここまで書き足すと一時五〇分に至っている。
 便所に行ったのち、服を仕事着に着替えた。それから歯磨きをしたのか、それとも着替える前に既にしていたのか。ともかくワイシャツとスラックスの姿になると、エアコンの冷風で汗を防止したなか、コンピューターの前に座って「記憶」記事を一〇分間音読した。すると二時一二分に至ったので、出発するために上階に行った。仏間で靴下を履き、玄関に向かい、焦茶色の靴を履いて扉を抜けた。鍵を掛け、クラッチバッグを片手に提げて道を歩き出す。隣家の百日紅がもう幾分前から咲き出していて、すっと直立した枝の先端に、紅色の花の集まりが重そうに膨らんでいる。愚かしいほどの暑気のなかを西に歩いていき、蟬時雨の降りしきるなか、坂道に入った。上っていって途中で日向に差し掛かると、伸し掛かってくる陽射しが重く、粘っこく肌に纏わりついてくる。少々の頭痛を感じ、息を切らしつつ坂道を抜け、横断歩道を渡った。駅舎に入り、ホームに着く頃には、言うまでもなく汗だくだった。これは用心して何か飲み物を買った方が良いなと思われたので、自販機に近づき、一五〇円を挿入してポカリスウェットのイオン・ウォーターを買った。すぐ傍には青いTシャツを着た男児しゃがみこんでいて、こちらが自販機の下部からペットボトルを取り出すのをじっと見ていたようだった。屋根の下に入り、買ったばかりの液体を飲みながら、飲み物を買いたいのに金がないのだろうか、声を掛けて奢ってあげようかなどと考えながら男児の方をちらちら見やった。子供はやはりこの激しい暑気に辟易しているような顔をしながら、しゃがみこんでいた。アナウンスが入ると歩き出し、こちらもそのあとからホームの先に向けて屋根の下を出た。ホームの途中には例の、いつも独り言を言って見えない何者かと会話している老婆がいて、傘を振り回しながら何事か大きな声で呟いていた。子供はこちらの歩みと並んでホームの先まで行き、こちらが一号車の位置で止まっても、さらに先端の方へ歩いていった。大丈夫だろうかとそちらの方を見やりながら電車の入線を待ち、乗り込むと扉際に立って、手に持っていた冷たいペットボトルを首筋に当てた。ワイシャツの捲った袖口は汗で湿り、薄青いシャツの色が少々沈んでいた。青梅に着いて降りると、ペットボトルを仕舞わず片手に持ったまま、階段を下り、通路を辿って改札を抜けた。駅舎から出ると、出口のすぐ脇には、この暑いなか何やら人が集まっていた。JR東日本八王子支社の腕章をつけた人がなかにいたので、鉄道会社の研修か何かだったのだろうか。
 職場に入ると今日は室長は休みのようで、(……)さんがデスクの付近にいた。挨拶をして、靴をスリッパに履き替えると、いや、暑い、と呟き笑った。暑いですよねと(……)さんが返してくるその横を過ぎ、奥のスペースに行ってロッカーに荷物を入れて、準備を始めた。中三と高三の国語に当たっていたので、準備時間の大方はそのテキストを読むことに費やされた。そうして一コマ目は、(……)さん(中三・国語)、(……)くん(中三・英語)が相手。本当はもう一人、(……)さん(高三・国語)も担当するはずだったのだが、彼女は欠席になったのだった。(……)さんは相変わらず無口で静かであり、なかなか質問もしづらい。一問、表現技法について質問をしてみたが、わからなかったのか声を出すのに緊張したのか、口元がもごもご動いてはいたものの、返答はなくて無言のままだった。それでも説明をすれば頷いて反応は示してくれる。今日扱ったのは小説や随筆の文章だったが、全体に読み取りは結構良く出来ているようだった。彼女が帰り際、(……)さんに話しかけられて笑みを見せていたり、何とか答えたりしていたのはちょっと驚いた。(……)さんのコミュニケーション能力の賜物だが、こちらも努力次第ではもう少し打ち解けてくれるかもしれない。
 (……)くんは複数の文法問題をまとめた課を扱った。彼は出来る方の生徒なのかと何となく思っていたのだが、実際問題を解かせてみるとミスが多かったので、英語はそこまで得意ではないのかもしれない。そのため、こちらとしてはノートをもっと積極的に書いてもらいたかったのだが、結局have toの否定形がdon't have toだということと、have toはmustと概ね同じ意味合いになるということのみを記録するに留まった。この日の一コマ目は二人相手だったにもかかわらず、あまり上手く回し、指導できた感触がなかった。ノートも両人とも、あまり充実させることが出来なかった。
 二コマ目の前には一コマ分、休憩が入っていたので、その前半は小学生の社会の勉強や、高校英語の予習をしていた。五時を過ぎたあたりで勉強は終いにして、コンビニに食い物を買いに行くことにした。外に出ると、冷房の利いた屋内に比して、凄まじい熱気が地面から立ち昇っており、空気中にも籠っている。駅前を通ってコンビニに入り、鶏五目のおにぎりを一つと、チキンカツの挟まったサンドウィッチを手に取り、レジへの列に並んだ。順番はすぐに巡ってきた。年嵩で灰色の髪の男性店員に四四二円を支払い、礼を言って店をあとにすると横断歩道を渡って職場へ戻っていく。マンションの黄土色の壁に西陽が掛かってオレンジ色がまぶされており、その上にさらに街路樹の複雑な影が装飾のように投げかけられていた。
 職場内に戻ると、おにぎりとサンドウィッチを食し、その後は持ってきたプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』を読んでいた。そうして二コマ目、相手は(……)(中一・英語)、(……)(高三・英語)、(……)くん(小六・社会)である。(……)の英語がなかなか頂けない。まとめ問題を扱ったのだが、まずもってHow many~の文や命令文など判別できず、きちんと訳せていなかった。答え合わせも適当にやってしまい、間違えているところにも丸をつけてしまう有様だ。Whereの意味も忘れていた。それで、一文ずつ文をピックアップしてノートに書いてもらい、そこにこちらが説明を書き加えていく形を取って理解の増進を図った。あとはそう、最初に行った単語テストもぼろぼろだったのだが、単語に関してはこちら側が手伝えることはあまりないのだ――一応この日は、テスト実施後に改めて六つの語をピックアップして練習させ、それから答えを見ないで書けるかどうか確認するという手順を踏んだが、これにも時間が掛かる。
 (……)は、文法問題にはもう飽きたらしかったので、長文を扱ってみた。本人の希望を訊いて難しめのワークからの問題を扱ったのだが、思いの外にと言うべきか、結構読めて、問題もミスは少なく、大方正答出来ていた。ただ、三コマ目も続けて彼の英語を担当したのだが、二コマ連続となると後半はさすがに体力切れしていたようだったが。概ね問題はないだろう。(……)くんも真面目な子なので、特段の難点はない。今日は三大工業地帯などについて扱った。
 そして三コマ目である。(……)さん(高三・英語)、(……)(高三・英語)、(……)くん(高二・英語)。(……)は先に述べた通り。(……)さんは真面目であり実力も相応にあるので問題ない。(……)くんは、学校の夏期課題として長文の和訳を扱ったのだが、中学生レベルの基本的な語彙の定着がいまいちである。それでも確認するとすぐに覚えられるので、地頭はそんなに悪くはないのではないか。
 三コマ目にあった出来事として書いておかなければならないのは、(……)の携帯を没収したということである。こちらの隣で(……)先生が授業をしていたのだが、(……)が憚りなく机の上で携帯を弄ってゲームをやっていたので、さすがに目に余るなと思って没収し、馬鹿野郎、お前はここをどこだと思っているんだと叱ったのだった。授業後に(……)先生にその後の様子を聞いてみたのだが、やはり機嫌は悪くなったらしく、仕切りをガンガンと叩いたあと、不貞寝に入ったのだということだった。しかし、授業の終盤になってほんの少し問題を解いたとも言い、だから(携帯を没収してくれて)良かったんですよ、と彼は言った。それからしばらく、(……)兄弟について話したのだが、(……)先生は、あの兄弟は二人とも変でしょう、それでいつも遅れてくるし、あれは家庭の方に何か問題があるんですかねえと漏らした。こちらも家庭事情などについては知らないのだが、そのあたりで(……)自身が何か被害者のようになっていて、追い込まれてああいう態度を取っているのだったら、あまり厳しくも出来ないなと考えて、どれくらい突っ込んだ指導をして良いものか決めきれずに(……)先生が躊躇していたところで、こちらが携帯を没収するという一種大胆な振舞いに出たわけだが、それについてはあれで良かったですと繰り返し言われた。家庭の事情の方はわかりませんけれど、僕はああいう姿勢は人間同士の関係として失礼なものだと思うので、その点は教えて良いと思いますね、とこちらが受けると、(……)先生は意気込んで、失礼ですよ、今度当たったら私もそうしますと言ったが、その調子が結構勢いの良いものだったので、こちらはトーンを落として、まああまり厳しくしすぎてもあれなので、そのあたりは室長ともよく話し合ってみてくださいと留保を付けた。
 その後、片付けをしている時に(……)先生にふたたび話しかけられたのだが、それは、文学賞には応募しているんですかという話題だった。それに対して、いやいや、と苦笑して、まず作品がなかなか作れないんですよと――こちらはもう作品を作る気持ちはほとんどなく、毎日日記さえ書けていればそれで良いと思っているのだけれど――受けた。芥川賞も最近は何だかねえ、というようなことを彼は言った。以前は凄く才能のある人が取り上げられていたけれど、最近は、と言い、予想通り又吉の名前を取り上げて、何か力が働いているんじゃないかというようなことを言うのでこちらは笑い、又吉に関してはやっぱり売れることを狙ってという目論見が出版界の方にも当然ながらあったでしょうねと受け、でも彼は本当に文学が好きみたいですよと言った。(……)先生は、企業に入って研究か何かしていたのだったか、ずっと理系職で働いてきた人なのだが、若い頃には文学の類も好きだったようで、高校生の時分には夏目漱石太宰治など非常によく読んだものだと話した。それに対して、大江健三郎は嫌いですと言う。曰く、彼はエッセイや講演などでは非常にわかりやすいことを言うのに、小説を読むと途端に超難解になってしまう、前の作品を読んでいないと意味がわからないような作品もあったりして不親切、と言うかああいうのは失礼だと思うんですよねえ、とのことだった。こちらは大江健三郎はまだ一作も読んだことがないし、苦笑を浮かべて受けるほかはない。
 そのような話をしたあと、さらに、そろそろ帰ろうかと奥のスペースにいると、また彼が話しかけてきて、自分の友人にも文学好きで賞に送ったりしている者がいるが、そいつの書くものは全然上手くないのだと話した。下手くそでねえ、と。しかしその人の叔母さんというのが、有名な作家の編集者だったと言うので誰だろうと思っていると、松本清張との名前が挙がった。松本清張か、名前は無論知っているけれど、この人も一作も読んだことがないな、何か推理小説のイメージがあるけれど。そうなんですね、凄いですね、と受けると、(……)先生は凄いでしょう、と言って、だから友人の彼もそうした遺伝子を持っているのかと思いきや、そんなことは全然ないのだと落とした。
 そのような話をしたあと、お疲れさまです、有難うございましたと礼を述べてこちらは退勤した。駅舎に入り、停まっていた奥多摩行きに乗って席に就くと、手帳をひらいてそこの文言を追った。じきに電車は発車し、まもなく最寄り駅に着いて、降りるとホームを歩いていく。階段通路で前を行く年嵩の男性が、団扇を持って、虫を払っていたらしく左右に振っていた。そのあとについて階段を下り、駅舎を抜けると車の途切れた隙に横断歩道を渡って木の間の坂道に入った。夜中の一〇時が近づいても空気には熱が籠っており、生温い湯に浸かっているような感じで、家に着く頃にはワイシャツの裏が汗にまみれていた。
 帰宅するとワイシャツを脱いで洗面所の籠のなかに入れておき、下階に下った。スラックスも脱ぎ、肌着にパンツのだらしない格好になってコンピューターを点け、Twitterを覗くと、Kさんからダイレクト・メッセージが届いていた。それを大まかに読んでからハーフ・パンツを履いて上階に行った。食事である。メニューは素麺やインゲンと竹輪を合わせたものや、エノキダケの炒め物など。テレビは『しゃべくり007』。V6の三人が出演していた。それを見ながらものを食ったあと、抗鬱薬を飲んで食器を片付け、入浴に行った。汗を流して出てくるとパンツ一丁の格好でさっさと自室に下っていき、Kさんの返信を再度読んで、再返信を考えたが、送り返す価値のあるような考えを上手くまとめられるかどうか覚束なかったので、ひとまずお礼のメッセージだけ先に送っておいた。それから書抜き、 小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』とヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』から文言を移して零時が迫ったところで、日記を書きはじめた。翌日は午前から出かけるので日記を綴る猶予がさほどないだろうということで、この日のうちにある程度書いてしまいたかったのだ。それで零時半を回ったのち、書見に入った。プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』だが、例によっていくらも読まないうちに意識を散らしたようである。気づくと三時過ぎで、そのまま就寝した。


・作文
 9:43 - 9:57 = 14分
 13:36 - 13:51 = 15分
 23:57 - 24:36 = 39分
 計: 1時間8分

・読書
 10:14 - 10:54 = 40分
 10:56 - 12:15 = 1時間19分
 14:02 - 14:12 = 10分
 23:21 - 23:50 = 29分
 24:40 - 27:07 = (2時間引いて)27分
 計: 3時間5分

  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-07-21「重力の文法を書き換えた夜流星群の落とし子となる」; 2019-07-22「宿り木の種を運ぶ鳥たちのさえずりを知る永遠の半ばで」
  • 「at-oyr」: 2019-06-11「充電」; 2019-06-12「夢」; 2019-06-13「draft」
  • プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』: 150 - 170
  • 「記憶」: 11 - 16
  • 小原雅博『東大白熱ゼミ 国際政治の授業』ディスカヴァー・トゥエンティワン、二〇一九年、書抜き
  • ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』岩波書店、二〇一七年、書抜き

・睡眠
 ? - 9:00 = ?

・音楽