2019/7/28, Sun.

 渡辺 ボードリヤールでしたか、「古典主義の最後のディノザウルス」と評したけれど、フーコーはやはりフランス古典主義の「自我ハ憎ムベシ」なんですよ。たしかに「隔たり」といってもいい。たとえば、例の両性具有の話、『エルキュリーヌ・バルバン』を書いていた頃に、話のはずみでゲイのアソシエーションのことが出て、フーコーに言わせると、そこに入るには、通過儀礼として自分の同性愛の経験を告白しなきゃいけないが、そういう告白の規律はばかげていると思うと語っていた。もちろんそこには、「牧人=司祭型権力」と彼が呼ぶものについての考えがあってのことですが、こういう自分の内面の告白をもって人間的誠実の基準であるとするような発想は拒否するのですね。さっきの「生存の美学」、「生き様の美学」というものも、こういう自己への隔たり[﹅3]のある配慮に関わってくると思います。
 (渡辺守章フーコーの声――思考の風景』哲学書房、一九八七年、52; 渡辺守章清水徹フーコーの声」)

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 清水 (……)僕はそもそも文学評論家としてのフーコーをずっと読んできたので、そこに一番の関心があるわけですけど、僕がフーコーの文学評論を読んで一番面白いのは、さっき言った〈ディスタンス〉(隔たり)あるいはフィクションという問題なんです。フーコーは、レーモン・ルーセルという非常に不思議な人について書くことでデビューした。ルーセルという、いわば言葉が完全に物になった人間、言葉自体が物であってしかもその言葉が同時に二つの意味を示していて現実とますます切り離されてしまうという、不思議な世界をつくった人、――そういう文学者を論じることから自分の経歴をつくっていったのがフーコーです。そしてだいたい言葉というのは、必ず現実に対して、距離をつくるものですよね。
 渡辺 そうですね。
 清水 そういう言葉によってつくられている文学の世界というのは、まさしく虚構でしかない。それが人間のふつうの世界においては存在しない〈ディスタンス〉というものになって成立しているということをひたすら彼は言い続け、分析し続けたわけで、それが僕にとっては非常に面白かったんです。それはまさに、文学の本質そのものにかかわる発言になった。
 それから、フーコーの文学論のもう一方の軸をなすブランショ論、バタイユ論のほうでは、彼は〈外〉ということを言うんだけど、これは、個人がけっしてそれを内面化することができず、またそういう個人がけっしてその中で内面化されることのできぬ、何かしら奇怪な空間だか場みたいなものととりあえず定義できますね。言語のレベルから言えば、言語が分節言語であるかぎり、けっして捉ええない、というかむしろ排除してしまう何ものかであり、意味ないし主題のレベルから言えば、ブランショ的な意味での〈死の空間〉であり、あるいはヘルダーリンアルトー的な〈狂気の空間〉であり、あるいはバタイユ的な意味での〈非 - 知〉(ノン・サヴォワール)の空間ということです。つまり、『言葉と物』の最後の部分で走り書きされていることなんですが、言語と世界との関係があそこに語られているようになった場合、言語は、つまり文学はこの〈外〉をなんとかして指示しようと努め、そのための方途としては言語がもともともっている〈ディスタンス〉をつくる作用の、ほとんど暴力的な精密化によるしかない。矛盾語法の連続とでもいうような、あるいは否定の積分とでもいうようなブランショバタイユの小説がそういうものですね。
 (61~62; 渡辺守章清水徹フーコーの声」)


 一二時二〇分まで寝坊。上へ。父親が台所でインゲンを茹でていた。洗面所で洗顔。そのまま風呂も洗う。出ると、お好み焼きが用意されていた。父親がそれぞれよそってくれて温めてくれたのを受け取り、卓へ。テレビは『のど自慢』。インゲンや胡瓜やお好み焼きを食す。食後、服薬。そうして皿洗って下階へ。コンピューター点ける。Twitter見ると通知がたくさん。なかに、Kさんという方からのリプライ。それに対する返信を考えていると、やたらと長くなったので以下に。

 「質より量」の風潮が蔓延しているということは、具体性への欲望のようなものが薄れてきていると言い換えることが出来るかもしれません。言うまでもなく、小説においては細部こそが具体的であり、そこにこそ質が宿るものであり、物語的な構造は細部の集積から抽象された一種の俯瞰的な構図に過ぎないわけです。細部における質の味読を回避して、物語的な筋のみを受容する姿勢というのは、言わば、抽象化された構築物によってのみ「泣き」、「感動する」ことであり、観念的な享楽の態度だと言えるのではないでしょうか。
 そこにあるのは結局、読書という行為に対して既知の事柄のみを求める「消費」の姿勢に他ならないと思います。何しろ、物語的な構造というものは、音楽のコード進行と同様に、誰もが既に体験的・体感的に知っているものなのですから。それをただなぞり、再受容・再生産するだけの読書においては、未知の事柄に出会って主体としての自分自身を変容させるような契機というのは起こり得ません。しかし、読書の力というのは、まさに差異との遭遇によって自己が変容させられるというその動勢にあるはずです。
 芸術と呼ばれるすべての営みの一つの目的は、まだ見ぬ新たな差異の生産にあるはずだと思います。そして、作り手たちが心血を注いで作品に施した差異を具体的に感受し、読み解くことは、より広く、人間としての他者との関係においても資するはずだと考えます。何故なら、我々すべての人間こそが、一人一人、唯一性と固有性を持って存在している差異の塊そのものに他ならないのですから。そう考えてくると、「質より量」、「具体性より抽象性」の風潮は、他者理解をも危うくするものだと感じられます。それは、ネット上に蔓延しているものですが、議論の相手に様々なレッテルを貼り、具体的な人間をその一つの属性に分類して事足れりとする不毛な論議とも軌を一にするものではないでしょうか。
 他者――テクストも芸術作品も、まさしく一つの他者です――を固有の差異において捉えること。これこそが、今の世界において軽視されている根幹の部分なのかもしれません。そうした軽視の姿勢と親和的なのは、様々な「差別」の心性です。差別とは、他者の具体性を消去して、相手をある一つの一般性――例えば「女」や「韓国人」など――に還元し、その属性に付与されているイメージによってのみ認識するという思考操作を必然的に含み持つものだと思います。勿論、ある程度の「分類」は必要――と言うよりは不可避――なのですが、差別的な認識の様態においては、人間の複雑な襞は一様に均され、ある一つの存在が全面的に一般性と同化してしまうのです。
 そうした認識様式が、仮に究極的な暴力と結合した場合に最終的に行き着く先は――少々飛躍的で、大袈裟な話に思われるかもしれませんが――ジェノサイドでしょう。石原吉郎が指摘したように、ジェノサイドにおける恐ろしさというのは、信じられないほど多量の人間が一時に殺害されるという点にのみならず、そこに「一人一人の固有の死」がないことに存します。ジェノサイドにおいては、人間の固有性は完璧に剝ぎ取られ、人間存在はまさしく究極的な抽象性としての「統計」、すなわち「数」あるいは「量」に完全に還元されてしまうのです。
 話が少々広がりすぎたようです。Twitterという制限のある場にもかかわらず、非常に長々とした返信をしてしまい、恐縮ですが、Kさんのツイートから触発されて頭のなかに浮かんだことを書いてみました。また何か、考えたこと、感じたことがあればリプライを頂けると幸いです。

 そののち、二時一一分から日記。暑気のせいもあるだろうか、細かく書く気力が起こらず、前日の記事は適当になってしまう。しかし、とにかく毎日書けていればそれで良いのだ! 現在は三時直前。音楽はFISHMANS『Chappie, Don't Cry』、『Corduroy's Mood』、それにWynton Marsalis Septet『Selections From The Village Vanguard Box (1990-94)』。
 前日の記事をブログに投稿した。部屋のなかにいて打鍵をしているだけなのに、汗だくで、背中が非常にべたべたしていた。立川に出かける準備を始めることにした。上階に行くと、父親が仏間のなかでスーツ・ケースに荷物を詰めていた。八月上旬に迫っている訪露の準備である。こちらはそれを見たあと、ボディー・シートで肌のべたつきを拭い取った。母親が、仏間にエアコンが掛かっているので、もうここに入ると出れなくなるよ、と漏らした。こちらはそれから下階に戻って、裸だった上半身にTシャツを纏った。赤褐色を中心とした配色の、全体にパズルのように幾何学模様が組み合わさっているものである。それに、オレンジじみた煉瓦色のズボンを履いた。電車の時間を調べると三時三九分で、一五分ほどの猶予があったので丁度良かった。それでクラッチバッグを持って上階に上がり、ハンカチを引出しから取って後ろのポケットに入れ、母親に行ってくると告げて出発した。西へ向かって歩き、木の間の坂道に入って上っていくと、出口近くで鵯のぴよぴよという鳴き声が響き落ちてくる。空には雲が多く浮かんでおり、陽射しはないが、駅に着く頃には汗だくだった。ホームの先の方に立ち止まると、熱気がもわもわと自分の身体から立ち昇り、背中には汗の玉が転がる感覚が齎されてぞくぞくとし、腕を見ればそこにも毛穴から噴出した汗が水滴となって夥しく付着している。
 まもなく電車がやって来たのでなかに乗り込むと、熱気の籠った肌に冷房がかなり冷たい。この時は手帳は読まず、シャツを時折りぱたぱたとやりながら窓外の景色を眺めて到着を待った。青梅に着くと降車して、ホームの先の方へ向かう。いつものように二号車の三人掛けに座ろうかと思っていたところが、先に入っていった二人組があったので避け、そのまま二号車を過ぎて先頭の一号車に入り、無人の車両のなかに腰を下ろした。そうして手帳を取り出し、読みはじめた。最初は背の汗がシャツに染み込むのを避けて前屈みになっていたのだが、じきに背中を背後に預け、脚を組んで座るいつものスタイルになった。
 道中、特段のことはなかった。路程の終盤では眠気が少々出てきて、手帳を太腿の上にひらきながら瞼がたびたび閉じたので、西立川でもう手帳は仕舞ってしまい、残る一駅分は思う存分目を閉ざした。そうして立川で降りると、エレベーター裏の壁に寄って人々が捌けていくのを待つ。目の前を、若いカップルが腕を絡め合わせて賑やかにいちゃつきながら通り過ぎていった。横目で彼らを追うと、その後、男性の方が女性の肩に手を回して置きながら過ぎて行った。ちょっと経ってからこちらは歩き出し、スペースの空いた階段を上り、改札を抜けると向かいの壁の端に設置されたATMに寄った、カードを挿入し、画面やボタンを操作して五万円を下ろす。金を財布に入れると群衆のなか歩き出した。日曜日とあって人は多く、浴衣姿の女性が見かけられるのは、電車のなかでもアナウンスをしていたが、今日、昭和記念公園の花火大会があるからだ。大量の人々が魚の群れのように吐き出されているLUMINEの入口をくぐり、エスカレーターに乗って六階に行った。FREAK'S STOREで靴下を買うつもりだった。先日来た時に、カバー・ソックスが三本ワンセットで売っているのを見かけていたので、それを買うことにしたのだ。店舗に入ると早速靴下の区画を見分し、ボーダー柄の三本セット一五〇〇円を手に取り、それからついでに店内を回った。なかなかクールな真っ黒なシャツが数十パーセント引きになっていたが、買うほどの経済的猶予はない。Tシャツも安くなっていたけれど、そこまで欲しい品もなかったので、店内を大方見回ると早々にレジカウンターの前に並んだ。前には女性が一人、会計をしているところで、担当している店員は以前、チェック柄のブルゾンを買った時に相手をしてくれたTさんという方だった。自分の番が来ても何も言わなかったのだが、向こうから、以前も来てくれましたよねと話しかけてくれた。何の時でしたっけ、と訊いてくるのに、こちらも数秒記憶が上手く戻らず、何だっけな、と顎に手を当てたのだが、じきに思い出して、チェックのブルゾン、と口にした。それで相手も思い出し、あれからどうですかあのアイテムは、と訊いてきたのだが、あれからすぐに暑くなっちゃったんで、あんまり着ていないっていう、とこちらは笑って受けると、相手も大きな笑みになった。一六二〇円を払ったあと、また寄らせていただきますと挨拶して店をあとにした。そのほか、tk TAKEO KIKUCHIで安くなっているであろうTシャツを見たいような気もしたのだが、いや、今日は余計な金は使うまいと心を決めてエスカレーターに乗り、二階を目指した。エスカレーターも混んでおり、ある階で降りると人々が並んで詰まっていたので、迂回して回り、自分には珍しいことだが、右側の空いているスペースを歩いて下りて行った。それでも二階に着く前には、右側のスペースも埋まっていて立ち止まらざるを得なかったくらいである。二階に下りるとUNITED ARROWSの店舗を抜けるついでにいくらか服を見分したが、ここでも金を使う余裕はない。それですぐに出て、駅のコンコースに入り、群衆のなかを広場に出て、伊勢丹の前の高架歩廊を進んでいく。歩道橋を渡り、左手に折れて高島屋の入口のガラス扉をくぐると、すぐ脇にあるPaul Smithの店舗を見ることにした。品がこちらの手に届かないくらいに高いだろうということはわかっていたが、どんなものがあるのか一度見てみたかったのだ。客はこちら一人しかいなかった。店内を見て回っていると、ライオンの鬣を思わせる髪型をした男性店員が、時折りにこやかに話しかけてくる。スーパー・マーケットのBGMめいた、無害を装った感じの慇懃さである。品はやはりなかなか良さそうなものが多かったが、セールになっている品でも一万六〇〇〇円とかで、やはり高い。独特な柄のシャツが多くて、入口の一番近くに吊るされていた新着品のなかに結構良いものがあったのだが、手の届くものではないので、男性店員に、すみません、また来ますと言い残して店を去った。そうしてビルのなかに進んでいき、エスカレーターに乗って六階へ。淳久堂書店である。今日この店に来たのは、T田とT谷に対するプレゼントの本を買うためだったが、最初に思想の区画に入って新着図書を眺めた。しかし、余計な金は使わず、さっさと帰ろうと決めていたので、それ以上は見分せず、書架のあいだを抜けてフロアを歩き、岩波現代文庫を見に行った。小平邦彦の著作やリチャード・ファインマンのエッセイを確認するためで、棚の前にしゃがみこんで頁を少々繰ったが、結局買ってもすぐには読めないしな、というわけでこれも見送ることにして、詩のコーナーに向かった。そうして、『石原吉郎詩集』と、谷川俊太郎『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』を手に取った。前者はT田へ、後者はT谷への品である。石原吉郎は難解だが、最近T田は文学に興味が出てきているらしいので、多分大丈夫だろうと思う。それでほかの著作はほとんど見ずに、さっさと会計に行った。女性店員を相手に本を差し出して、カバーはと訊かれたのにいや、と答えたあとから、あの、プレゼント用の包装をそれぞれしていただきたくて、と申し出た。包装紙で包むバージョンと、布の袋に入れるバージョンとがあると言われた。前回Nさんへのプレゼントを包装した時には紙を選んだので、今回は布の袋にすることにした。白いテープで値段の表示を消せるがと言われたのには、良いですと答え、色は緑と紺で分けることにした。それで会計、二三三八円を支払い、一七番の番号札を渡されてレジカウンターの前を離れ、その脇に設置された座台に腰掛けた。台は先客でほとんど埋まっていた。それで手帳を見ながらしばらく待っていると、先ほどの店員が、白い紙袋に入った二つの品を持ってやって来た。お渡し用のお手提げは二枚入れておきますかと言うので、そうですねと受けて二枚のビニール袋を加えてもらい、品物を受け取って礼を言い、エスカレーターに乗った。今日はエスカレーターに乗っていても、まったく高所不安を覚えることがなかった。そうして二階で降りて退館。
 外に出ると途端に靄のような暑気が押し寄せてくる。花火大会の客で駅が混む前にさっさと帰ろうというわけで、歩道橋を渡って高架歩廊を行く。伊勢丹の前、歩廊の両側にはたくさんの人々が並んでたむろし、携帯を弄っていた。そのうちの何人かがまったく同じ、指で画面をひたすら連打するような動きを見せていたのだが、あれはやはり『ポケモンGO』をやっていたのだろうか。そこを過ぎて広場に近づくと、丁度カラーコーンが並べられ、そのあいだに黄色と黒の縞模様の棒が渡されて、通路の両側を限る柵が作られているところだった。駅舎に入る前にも、花を咲かせた浴衣姿の女性とすれ違い、なかに入ってからも同じ装いの女性が散見される。群衆のなかに、イスラームの女性だろう、ヒジャブを着用している人がおり、ベビーカーを押していた。緑のヴェールを頭から被り、身体を覆っているのは黄色の布で、どちらも明るく鮮やかな原色の色調だった。それを眺めていると、女性は改札横の売店のなかに入っていった。そこを過ぎてこちらは改札をくぐり、一番線ホームに下りて青梅行きの先頭車両に乗った。そうして席に就き、手帳を取り出して眺めていると、先ほど見かけたヒジャブの女性が車両内に入っていた。同じように覆いを身につけている女性はもうひとり連れ立っていて、そちらの人は全身真っ黒な装いだった。ほか、小さな子供が数人。
 その家族たちは西立川ですぐに降りていった。その後、こちらは手帳を眺めて過ごす。一席分空けた隣には、頭頂部の禿げていて周縁にしか髪のなくなった中年男性が座っており、河辺で降りていく直前までずっと、前屈みになって考え込むようにしながら、ガラケーを何やら注視して操作していた。シャツはよくあるストライプ柄のもので、ズボンは薄白いベージュ色のものだった。
 青梅に着くと、ホームを歩いて待合室の横へ。丘の裾、薄青く貼りついた山の遥か彼方には、夕陽の明るみを孕んだ雲がくゆっていた。小学校の裏山からはじりじりと拡散する蟬の鳴き声が響いてくる。待っているうちにまもなく電車がやって来たので、なかに入って三人掛けに腰掛けた。向かいの席には、真っ青な運動服姿の、女子高生らしき少女が乗っていた。こちらが目線を上げてその顔を見た時、彼女の表情は軽く綻んでいたのだが、あれは多分携帯で何らかのメッセージを読んで笑っていたのではないだろうか。そうして発車の時刻が来て、最寄り駅に着くと紙袋とクラッチバッグを持って降り、ホームを辿った。階段通路を上がっていくと、そのてっぺんについた時、西空の彼方の雲の下端に太陽がほんの僅かに顔を出し、視界の端に暖色を引っ掛けて来たが、地に日向を作るほどの力はなかった。階段を下りて駅舎を抜け、横断歩道を渡って木の間の坂道に入ると、ニイニイゼミだろうか、拡散する鳴き声の網のなかに、薄く遠くカナカナの声が一匹、漂った。さらに下って行くと今度はより力強く、網のなかを貫く声があった。平らな道に出て折れると、Nさんが庭にしゃがみこんで草取りか何かをしていた。その近くまで行くとあちらが顔を上げたので、こんにちはと挨拶し、暑いですねと声を掛けた。そうね、蒸し暑いですねと返されたのを受けて過ぎたあとから、お気をつけて、と声を振ってその場をあとにした。
 帰宅すると、居間では母親がソファに就いて脚を伸ばし、休んでいた。こちらはカバー・ソックスを脱いで洗面所の籠に入れにいった。父親は風呂に入っていた。それからこちらは下階に戻って、ズボンを脱ぎ、押入れの収納に仕舞っておいてから、Tシャツは脱がずに上階に行った。それでハーフ・パンツを履いて戻り、Twitterを覗くと、Kさんから返信が届いていた。以下のようなものである。

 Fさん、ありがとうございます。最後までおもしろく拝見させていただきました。ことに「具体性への欲望のようなものが薄れてきていると言い換えることが出来るかも」という点に惹かれました。実際のところ、文字表現とは、紙に書かれたインクの跡にすぎず、それに伴って考えたり感じたりすることはすべて抽象的です。にもかかわらず、その文字表現が《成功していたならば》、きわめて具体的に感じられます。
 「木が立っている」という表現があったとします。これは具体的です。これが「木が薔薇のように立っている」だったらどうだろう。一般に、これは比喩表現と呼ばれます。比喩は具体的なものでしょうか。わたしはそうだと思います。「薔薇のように立っている」と感じたそのひとの知覚こそが具体的だからです。ここで、「薔薇のように立つ」ということの解釈に考えが及んでしまうと、この表現はとたんに抽象的なものになります。おそらく、描写が邪魔者扱いされてしまうのは、後者の立場に立っているひとが多いせいだと思います。表現というのは、解釈よりも実感に寄っているのに。
 しかし、わたしは彼らの気持ちもよくわかります。たとえば、「木が薔薇のように立っている」と感じられる人間は、それ相応の感受性をもった存在なのだと捉えられるでしょう。読み手自身は、その表現に出会うまで、「薔薇のように立つ」という感覚をもったことがなかった。だけど、これを見て、そういう場合もありうるのだと新しい知覚を得た。おおげさに言えば、世界の認識が変わったかのような感覚を得た。ところが、そのあとの書き手の手抜かりが多いと、こいつはそんな繊細な感受性をもった人間にはとても見えない、というふうになることがあります。つまり、比喩を具体性たらしめている点が失われ、あの表現は書き手の単なる思いつき、べつに何も示すところのないしょうもない技巧であったことが明らかになるのです。こんな興醒めをさせられるくらいなら、確かに描写なんか邪魔者でしょう。作者がへらへらいきがって、自己主張でもしているのかと見まがうような適当な表現を見せられるだけなら、読まないほうがよほどいいと思います。べらぼうにうまい言い回しをつかう天才相手なら別でしょうが。
 今日では、世界を見たり感じたりする目は万人共通ではない、ということはあたりまえに認識されています。「木が立っている」という認識をする人間のすぐ傍に、「鳥がいない」というまったく別の認識をする人間がいることも当然です。描写とは、描写の主体と対象との具体性を示すものであり、読み手はその具体性を知る(読む)ことで、新しい具体性を獲得することができるのだと思います。それまでは、頭のなかで抽象的に「こういうひともいるのかなあ」とイメージするしかなかったものが、ぐっと身近に実感できる。
 以上のことから、問題は二点あるように思います。第一は、読み手側。描写を飛ばして大筋だけをつかむ方法は、いまの自分自身が持ち得ている具体性に対して、その大筋をあてこんでいるにすぎません。ここでは既存の解釈以上のものは生まれず、よしんば生まれたとしても、自分の思考の及ぶ範囲までしかそれは広がらない。隣の家に引っ越してくるひとはおらず、みんながみんな自分の住まいに存在してしまっているよう。これは、読書によって「新しい世界認識を得る」ことを放棄しているのにほかならず、もったいない話だと思います。
 しかし第二に、書き手側の問題である可能性も捨てきれません。書き手は、自分のこの世界認識は万人共通のものではない、個人のものである、だが個人といっても社会生活のなかで知らぬ間に根差した固定観念かもしれない……といったぐあいに、どれほどちっぽけな描写であっても、いちど熟考する必要がある気がします(言葉遊びなどなら別ですが)。書き手は、己の描写によって、自分の具体性を獲得するのではないでしょうか。いや、ひょっとしたら、逆に消失してしまうかもしれない。書き手は、自分の身体に、表現という刃を抜き差ししているような気がします。このようにして生まれた具体性が、読者に《(自分には)わからない》として伝わり、読者は「この《わからなさ》はなんだろう?」と考えはじめます。ただ考えるだけではあきたらず、それをモチーフに読者が書き手に変貌する場合もあるかもしれません。こうして、読書による世界認識の輪廻が生まれるのだと思います。
 つまり、描写を余計者としてしか見ない読者は、たしかに重大な部分を見落としているように思いますが、そのとき、書き手もまた、よく考える必要があると思います。もし、読み飛ばされてなお成立してしまう世界認識しか書き手に存在しないのであれば、書き手もまた、なにか重大な点を見落としたり書き落としたりしているのではないかと。世界認識が、本当に十人十色・千差万別であるならば、描写が飛ばされてしまったとき、とたんにその世界は崩壊してしまってもおかしくない。なぜ描写が無くても成立してしまうのか(もちろん、書き方がうますぎて、強引に成立させてしまっている可能性もある)。
 描写の欠損については、書き手と読み手の双方で考えるべき問題だとわたしは感じています。わたしも、それぞれの描写がそれぞれの描写を打ち消しあって、まったく意味不明な文章に堕しているものを見たことがあります。そういうとき、ひとはえてして「想像力の問題」「《わからなさ》を楽しめ」と言いますが、こういう俚諺を安易に用いることこそ危険きわまる振る舞いだと思っています。最初に括弧つきで《成功していたならば》と書いたのはそのためでした。
 長々と失礼いたしました。

 それに対する返信を考えながら、ベッドの上で手の爪を切り、そうして七時頃、上階へ行った。食事である。唐揚げと米、ワカメのスープに、生サラダなど。ニュースを見ながらものを食べる。日韓関係の冷え込みを受けて、民間の交流が延期されたり中止されたりしているという話題があって、大垣市で子供たちのサッカー交流が延期になったという報を受けて、父親は、子供たちには関係ないだろうに、などというような呟きを漏らしていた。ものを食い終わると服薬し、そうして食器を洗って入浴へ。汗を流し、すぐに上がってくると、パンツ一丁のままで、ジンジャーエールを持って下階に戻ったが、風呂を出たばかりで身体に熱が籠っており、背には汗が浮いていた。それで、今夏初めてのことだが、エアコンを点けた。窓を閉めてクーラーを入れ、しばらく身体を冷やして汗を止めたあとに機械を停止させると、ふたたび窓を開けた。音楽は、Bob Dylan / The Band『Before The Flood』を流していた。それで、Kさんへの再返信を書き綴った。

 Kさん、具体例も交えて、丁寧で充実した返信を有難うございます。僕のツイートが、他者理解の姿勢にまで話を少々拡大させすぎていたところ、議論を描写の問題に絞って差し戻していただき、なおかつ、書き手の感受性や世界認識の整合性という新たな論点を加えていただきました。書き手の方も、自らの世界認識の表現が統一的できちんとした形を持ったものであるかどうか、絶えず熟考し、点検しなければならないというご指摘には、日々文章を綴る者の一人として、居住まいを正されます。
 Kさんのご指摘に同意した上で、次に問いとして浮かび上がってくるのは、それでは、感受するに値する具体性や差異の感覚を与える適切な表現の有り様とはどのようなものだろう、ということです。ここで、ヒントのようなものとして僕が何となく思い浮かべるのは、古井由吉が最近の文芸誌のインタビューで述べていた言葉なのですが――以前Twitterで見かけただけなので、引用を正確なものに出来なくて申し訳ありません――「優れた小説は、そのところどころで同時に詩になっている」という言明です。この発言の意味を正確に解釈し、類推する力はもとより僕にはありませんが、そこから次のようなことを考えました。
 詩という形式における言語表現は、一般的に新奇なものが多く、非常に特殊なものです。それは一方ではとても具体的なものだと思います。と言うのは、詩作者の各々が自らの感受性を最大限に研ぎ澄ませ、洗練された表現を追究した努力の結果が、詩という形に結実しているからです。それは言わば、究極的な具体性、固有性の追究のあり方だと思います。
 しかし一方では、そのように固有性への志向が並外れているために、詩の表現というものは一般的に難解になりがちです。個々の行の意味がわかりづらいことも往々にしてありますし、個々の文の意味が取れたとしても、全体として何を言わんとしているのか解釈が難しいことも勿論あります。従って、書き手の立場からすると具体性を最大限に追究した結果の表現が、読み手の立場からするとひどく抽象的で、多義的で、意味が不明瞭なものとなりがちなのです。
 しかし、この「わかりづらさ」を、自分はいたずらに退けたくはありません。わからないけれど、確かに光を放つ表現、意味が不明瞭でも自分の感受性に何がしかの刺激を与える表現というものがあることを経験的に知っているからです。その時読者は、具体性を究極的に志向した表現のなかに、自らの世界認識にも通じるような一抹の一般性を覚えているのではないか。そうした感覚を――かなり曖昧で問題含みな概念を敢えて使わせていただければ――「リアリティ」と人は呼び習わすのではないでしょうか。
 その時、表現には何が起こっているのか。そこでは、具体/抽象の系に単純に切り分けられない感覚が生じているのではないでしょうか。究極的な具体性を目指しているはずの詩の表現が、同時に狭く閉じ籠らない大きな抽象性にも繋がっているということは、ある種、個々人の感受性の内部を掘り進めていった表現がその極点においてついに内破し、地底の裏側に掘り抜けるようにして他者の世界への経路を確保したということを表しているように思われます。そこにおいて表現は、具体と抽象の領域が重なり合うようなものになる。具体的でありながら抽象的でもあり、同時にそのどちらでもない。確かな手触りを持った具体性のなかに広大な抽象性を含み、広く通ずる観念性のなかにも特殊な固有性を孕み持つような、そのようなものになっているのではないでしょうか。
 古井由吉の言葉を、自分はこのような文脈で捉えたいと思います。そして、上のような動勢において、感覚を撹乱させられるような一種の「わからなさ」が生まれるのではないか。一方では、Kさんが指摘なさっているように、単純に「わからなさ」を称揚するような態度には慎重でなければなりません。しかし同時に、Kさんは「わからなさ」の別の側面にも目を向けておられます。と言うのはそれが、読者が他者の世界認識について思考を巡らし、その具体性を己の内に取り込み、さらにはことによると自ら受容者から生産者に変容することの契機にもなり得ると述べておられるからです。こうした「わからなさ」の積極的な側面に自分は同意し、そこから生じるであろう「世界認識の輪廻」をKさんとともに肯定したいと思っています。
 実のところ、自分にとって重要な表現や作品には、いつもいくらかの「わからなさ」が付き纏うものではないでしょうか。どんなに簡明な表現であっても、それが何らかの「リアリティ」を感じさせるものであったならば、その底には一種の「汲み尽くしがたさ」のようなものが孕まれているものではないかと思います。そうした「汲み尽くしがたさ」を最も顕著に体現するものとして僕の念頭にあるのは――偶然にも、先に名の挙がった古井由吉が訳した作品ですが――ロベルト・ムージルの「静かなヴェロニカの誘惑」です。あれはほとんど最終的と言っても良いほどに晦渋な作品ですが、それを難解さのための難解さだと打ち払ってしまえない「汲み尽くしがたさ」が横溢しているテクストであり、何度も折に触れて読む価値があるものだと感じます。
 またしても返信が長くなってしまい、申し訳ありません。最後にお願いがあるのですが、Kさんの先の一連のツイートをブログに引用し、我々のやりとりを日記として記録したいと思うのですが、お許しいただけるでしょうか?

 ブログへの転載についてはその後、無事に許可を貰えたため、上のKさんの発言も引用してあるわけである。それから八時四〇分に至って日記を書きはじめ、一時間半でここまで追いついた。合間、LINE上で翌々日の会合について話し合ったり、Skype上でYさんとやりとりをしたりしていた。三〇日の会合は、一〇時に立川集合ということになった。
 その後、一〇時四〇分からベッドに移ってプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』を読みはじめた。例によって終盤では意識が消失してしまったので、正確に何時まで読んでいたのか不明なのだが、一時頃までは意識を保っていたものとして考える。二時頃に正気を取り戻して、明かりを落として就床した。


・作文
 14:11 - 14:59 = 48分
 20:42 - 22:12 = 1時間30分
 計: 2時間18分

・読書
 22:39 - 25:00? = 2時間21分?

・睡眠
 ? - 12:20 = ?

・音楽