2019/10/8, Tue.

   悪意
    異教徒の祈りから

 主よ あなたは悪意を
 お持ちです
 そして 主よ私も
 悪意をもっております
 人間であることが
 そのままに私の悪意です
 神であることが
 ついにあなたの悪意で
 あるように
 あなたと私の悪意のほかに
 もう信ずるものがなくなった
 この秩序のなかで
 申しぶんのない
 善意の嘔吐のなかで
 では 永遠にふたつの悪意を
 向きあわせて
 しまいましょう
 あなたがあなたであるために
 私があなたに
 まぎれないために
 あなたの悪意からついに
 目をそらさぬために
 悪意がいっそう深い
 問いであるために
 そして またこれらの
 たしかな不和のあいだで
 やがて灼熱してゆく
 星雲のように
 さらにたしかな悪意と
 恐怖の可能性がありますなら
 主よ それを
 信仰とお呼び下さい
  (『全集』Ⅰ 492)
 (冨岡悦子『パウル・ツェラン石原吉郎みすず書房、二〇一四年、56~58; 石原吉郎「悪意」全篇)

     *

 詩を書きはじめてまもない人たちの集まりなどで、いきなり「詩とは何か」といった質問を受けて、返答に窮することがある。…(中略)…この問いにおそらく答えはない。すくなくとも詩の「渦中にある」人にとっては、答えはない。しかし、それにもかかわらず、問いそのものは、いつも「新鮮に」私たちに問われる。新鮮さこそ、その問いのすべてなのだ。
 ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。
 (「詩の定義」から引用 『全集』Ⅱ 318)

 この短いエッセイは一九七二年二月東京新聞に寄稿され、のちに評論集『海を流れる河』に収録されている。抒情詩の一般的な定義が、作者の感動や情緒の表現であるとするなら、石原の詩の定義はそれを否定するところから出発している。石原のエッセイはときに独特な論理の飛躍を見せることがあるが、その否定の論理は次のような順序で成り立っているのではないか。すなわち、彼には「もっとも耐えがたいもの」を語ろうとする欲望があり、そのために詩という表現形式を選びとった。しかし、彼の表現欲求は、その告発や苦しみの吐露を「書くまい」とする衝動によって抑圧される。発露を望むものとそれを強く禁じるものの葛藤が「沈黙」を生み出す。緊迫した「沈黙」は比喩を喚起し、比喩のなかでも求心的な直喩ではなく、対象を遠心的に変形させるメタファーないしは多声的なアレゴリーを呼び覚ます。
 (89~90)


 いつも通り、八時のアラームで一度起きたと思うが、その頃の記憶はなく、その後種々の夢を通過して何度か覚めたあと、一一時頃から段々と意識が定かになってきて、と言ってすぐには起き上がれず、カーテンを開けて一面真っ白な、本当に何の差異もなかに忍び込んでいない空漠とした平板さの空を、ほとんど白という色をそれに伴う形態と質量なしで純粋に具現化したかのような無窮の白さを見つめながら身に力が寄ってくるのを待った。窓の外の宙には黒い影が一つあって、何かと見ていれば細い脚が生えたそれは大きな蜘蛛らしいのだが、何の支えもない宙空の真ん中に浮かんでいるものだから本当に蜘蛛かと疑うようで、と言って蜘蛛はこちらの視認出来ない糸を支えにしているわけだが、その糸がどこに繋がっているのかどこから渡ってきているのか、辺りに縁[よすが]となるような事物もないので、超自然的な力で浮遊しているようにも見える。しばらくして一一時二〇分頃になると起き上がり、コンピューターを点けてTwitterなどをチェックする。LINEをひらけばT田から、梶井基次郎の小説で気になった表現の書抜きが届いていた。一旦それは措いておいて上階に行き、何故かやたらと痒い目を擦りながらテーブル上の書置きを見れば、焼きそば、作っておくれ、とある。しかし台所に入ってみれば茄子の味噌汁が残っているし、冷蔵庫のなかにはパックに入った生野菜もあって、焼きそばを作るのは面倒臭いのでそれらで食事を済ませることにした。便所に行って放尿してから茄子の味噌汁を温めて、柚子のドレッシングとともに野菜も卓に運んで、椅子に就き新聞を引き寄せて、記事を読みながら汁物を啜る。香港では先日覆面禁令によって二人が起訴されたのを受けて、その二人はもう保釈されたと言うが、しかし引き続き、抗議デモが執り行われている。国際面を見ればウクライナでも、ゼレンスキー大統領に反対するデモが一万人規模で行われたと言い、その下の記事にはトルコ軍がシリア北部の、クルド人勢力の実効支配する地域に攻撃を仕掛ける予定だとの報があって、また情勢が不安定になりそうだ。
 食事を取ったあと、水を一杯汲んできて抗鬱薬を飲み、野菜は全部は食わなかったのでパックを冷蔵庫に入れておいて手早く皿を洗うと、電気ポットに水を足しておき、それから風呂場に行って見れば浴槽のなかに湯は半分以上を越えて随分と多く残っているので、今日は洗わなくて良かろうと捨て置いて、そうして下階に戻った。LINEでT田に返信した。「街路樹から次には街路から、風が枯葉を掃ってしまったあとは風の音も変って行った。夜になると街のアスファルトは鉛筆で光らせたように凍てはじめた」という表現が、梶井の「冬の日」にあるのだが、ここは素晴らしい、こちらも以前読んだ際に書き抜いたところだと知らせ、後半の比喩もなかなか思いつきそうで思いつかず良いものだが、前半の、季節の進行や枯葉の有無に応じた風の音の差異を聞き分ける繊細な感受性の発露が素晴らしいと、そうした旨を述べた。それから、そろそろポットの湯も沸いただろうということで、急須と湯呑みを持って階を上がり、緑茶を三杯分ほど用意して、「たべっ子どうぶつ」も二袋持って戻ってくると、一服しながら文を読むことにした。まず日記の読み返しである。二〇一八年一〇月八日の日記には、冒頭、例によってフローベールの書簡の文言が引かれている。

 生れつき苦しまずにすむ人間がいるものです、無神経な人たちというのがそれだ。連中は仕合せですよ! でも彼らはおかげでどれほど多くのものを失っていることか! 奇妙なことに、生物の階級を上へ昇れば昇るほど、神経的な能力、すなわち苦しむ能力も増大するようです。苦しむことと考えることは、つまるところ同じものなのでしょうか。天才とは、要するに、苦痛を研ぎ澄ませること、つまり、対象そのものをいっそう完全かつ強烈に自分の魂に滲み透らせることにほかならないのかもしれません。おそらくモリエールの悲しみは、<人類>のあらゆる愚かしさ、彼が自分自身のなかにとりこんでしまったと感じていた人類の愚かしさから来ているのです。
(工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、284~285; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月三十日〕金曜夜 午前零時)

 また、「思えばこの日は寝起きからどこか肌寒いようで、日中過ごすあいだもジャージを上下ともしっかり着込んでいたのだった」と書きつけられているのを見る限り、どうも今年は秋が去年より暑いのではないかと思っていたのだが、やはり昨年は今年よりもだいぶ涼しかったのではないか。今年はまだ一度も長袖のジャージを着ていないのだ。
 続いて、二〇一四年一月八日の日記を読み返してみると、「風呂から出てスーツに着替えたあたりから、白雲に覆われた窓外の空と呼応するようにして心中にもやが立ちこめはじめ、吐き気未満の不快感と得体のしれない不安による息苦しさを感じた。今まさにストレスを感じていると自覚した。普通に立っていてもなんとなくふらふらするような感じがあり、最初の発作を起こす以前の微熱が長く続いた時期に似た印象を受けたため、これはまずいなと薬を二粒ずつ飲んだ」、「教室に入ってしばらくのあいだ目の前の空間を正常に認識できていないような離人症めいた感覚がつきまとっていた」、「ストレスを感じているのはまちがいないようで、帰ってきて食事をしていると妙に皮膚が敏感になったようでかゆくてたまらず、あっという間に腰回りや腕に蕁麻疹めいた発疹が広がった」と体調不良がいくつも書きつけられていて、まだまだ病気の圏域にあって万全ではないようで、長い時間を経て癒えていったものだなあと感慨を覚える。
 その頃、玄関の階段を上る足音らしきものが聞こえ、宅配便か何か来たかと廊下に出たが、続いてインターフォンが鳴らないのでどうやら家族だなと、しかし母親か父親かどちらかと、階段の下に留まって戸の鍵を開けてなかに入ってくるのに耳を寄せると、足音が重たるいので父親が、どうやら今日は休みらしくどこかに出掛けていたのが帰ってきたのだなと知れて、それで自室に戻ると次にfuzkueの日記を読むあいだ、上から台所で動いているらしき水音などが聞こえて、焼きそばを作ろうとしているのか、母親の書置きはこちらに向けてと言うよりも、父親に宛てたものだったのかと思って見に行くと、還暦を越えた男が無骨な手付きで台所でピーマンを切っている。おかえりと言って、作るのと言わずもがなのことを訊けば肯定が返り、俺はもう食ったからと告げると、食ったの、と父親は目を見ひらいて、何を食ったのかと続けて問うので味噌汁と野菜、冷蔵庫に野菜があっただろうと返せば、キャベツなどがないから買ってきたのだと言った。まあでも、作っておいてくれれば夜にも食えるから良いんじゃない、と落としてこちらは自室に戻り、Sさんのブログを読みはじめた。

若さを失ったことは日々実感するのだが、死んだ父親がまだ若かったときの姿が、今の自分なのだ、ということも同時に考えている。自分を半ば、もし父が生きていたとしたらとの仮定にもとづいた行動をする存在に感じている。つまり自分が、死んだはずの父だと思っている。父の生の続きをやっているような気がしている。父の後日を父として生きているように感じている。あなたは失敗だったが、僕も失敗するだろう、それはそれで仕方がない、大体同じやり方で、二回試すのだ。
(「at-oyr」; 「反復」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/09/06/000000

 これは確かMさんが『双生』のヒントになるかもしれない、みたいなことを言っていた箇所だったような気がするが、面白く、ここには何かがあるような気がする。先日読んだ、ハン・ガン『すべての、白いものたちの』で描かれていた感覚にも通ずるようなところがあるかもしれない。さらに翌日分には、円山応挙展の感想が綴られていたのだが、下の部分が素晴らしく、そうなんだ、そういうことなんだ、と思わされるものだ。

墨というのは実に豊かで深い表現力があって、そのグラデーションのきめ細やかさには息を呑む。油絵の具が何層にも分かれた超薄膜の重なりによって表現するものを、墨は紙の上にたったの数秒で表現してしまうと言っても過言ではない。制御不可能に感じられる液体の運動そのものを、人工的に制御してイメージへと定着させる、自然と人工のとてもわかりやすいコラボレーション演出素材として墨はとても雄弁な道具だ。

たとえば先日、横浜ではげしい雷雨があったけれども、あの連続する稲妻と落雷音を聞いていると、この世界には人間の影が一つもない無人な場所が、空の上でも海の底でも、まだ無尽蔵にあって、そんな場所で、暗い空の彼方で音もなく空気が流動して、放電して一瞬ぱっと周囲が明るくなって、しかしその瞬間をこの世の全ての人間の誰もが知らないし見ていない…みたいな「光景」がきっとあるのだろうなと思うけど、それはだから、たとえば山水画を観るときに感じていることと近いようにも思うし、枯れ野原を鳥たちが飛び立とうとする瞬間を捉えた、その羽ばたき、風に揺らぐ草、の表現、、あるいは雨に煙ってところどころ霞んでいる山谷の景色にも通じるのだと思うのだが、しかしそれにしても、これらのイメージは、少なくとも自分の思い浮かべる内側においては、何もかも墨の世界だなあ、とも思うのだった。
(「at-oyr」; 「墨」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/09/07/000000

 Sさんのブログを五日分読むと、緑茶をおかわりしに上階に行った。父親は自分で作った焼きそばを、随分濃い色に染まったそれを食っており、今日は塾はないのかと訊くのでないと答えるその傍ら、テレビは何やら料理番組を映して手鞠寿司とかいうものを作っていて、それを見やりながら緑茶を再度、三杯分ほど用意すると自室に帰って日記を書き出した。ここまで綴れば三〇分ほど経過して、一時に至っている。
 便所に立ったのを機に、一時半前からFISHMANSの『Oh! Mountain』を久しぶりに流し出したのだが、日記を書き進めているうちにthe pillows "Tiny Boat"の話題が出てきて、それで『涼宮ハルヒの憂鬱』の映像とこの曲を合わせた動画を検索したついでに、Youtubethe pillowsのオリジナル音源も流して歌ってしまった。ライブ映像も見ながらもう一度歌い、LINEを通じてTにも、一昨日俺が言及していた曲はこれだ、切なげで良い曲だから聞いてみてくれとURLを送りつけておき、それからまた便所に立つと放尿しながら何となくOasisのことを思い出したので、戻ってくると"Rock 'N' Roll Star"と"Wonderwall"を続けて歌って、その後ようやく"夜の想い"から『Oh! Mountain』に立ち返ってふたたび日記に邁進した。
 "感謝(驚)"に至ると打鍵を止めてまたメロディを口ずさんでしまうのだが、このライブ音源におけるこの曲の演奏は、以前はBメロの裏のギターのカッティングが非常に切れ味が良くて耳を張っていたところ、今回ベースに耳が行って、細かくゴースト・ノートを挟んで非常に気持ちの良いリズムを生み出していることに気がついた。このベースは端的に言ってやばく、凄い。相当に踊れるものだ。その後も時折り歌を歌いながら一〇月六日の日記を進めるのだが、三時になってもまだ終わらない。その頃母親からメールが届き、タオルだけ出してくれとあったので一旦階を上がり、ベランダの前に吊るされたタオル類のハンガーを持って戸をくぐり、外気のなかに出ると、まだ曇ってはいるものの、陽の感触が幽かに肌に触れる。父親はまた出掛けたらしく、玄関の方に出て小窓から駐車場を覗いてみれば車はないが、焼きそばを作っていってくれたようで台所のフライパンのなかには濃い色に染まった麺がいっぱいに入っていた。
 部屋に戻ると、母親と墓参りに行っているはずのYさんからメールが入って、見れば図書カードを渡し忘れた、ごめんとあって、郵送するからもうちょっと待ってねと言うものだから、郵送などわざわざしてもらうのは申し訳ないし、急ぐものでもないから今度遊びに行かせてもらった時で良いよと受けたところ、いや良いよと押すのでそれではそうしてもらうかと受けて礼を述べた。また遊びに行かせてもらいますと言っておき、日記に取り組み、三時半過ぎからSonny Rollins『Saxophone Colossus』を流して勢い良く滑らかな打鍵に励んでいると、まもなく帰ってきた母親が戸口をひらいて、図書カード忘れちゃったごめんと謝るので、Yさんからメールを受けたと返した。I.Y子さんから高級な茶葉を貰ったと言う。
 四時四〇分に至ると部屋が薄暗くなってきたので頭上の明かりを灯し、六日の日記を終えて画面右下の時刻を見れば、ぴったり五時だった。四時間半ほど、合間に短い中断は挟みつつも、ほとんどぶっ続けで書いていたことになる。我ながら、良くも気力集中力が続くものだが、この日記はほとんど一筆書きなので、もうさほどの気力もいらないようなものになっている。それからブログに記事を投稿しようというわけで、しかしそのあいだに何か音楽が欲しいと思ってプレイヤーをスクロールさせていると、scope『太陽の塔』が目に留まったので久しぶりに流すことにして、歌いながらインターネットに日記を投稿するのだが、引用部の体裁を整えたり、名前を検閲したりしなければならないものだから、ブログとnoteに投稿するだけで一〇分以上が掛かっていた。五時一四分から、運動を始めた。運動と言ってしかし、トレーニングの類でなく、身体を適当にほぐすだけのもので、習慣にもなっておらずやる気になったのも大層久しぶりである。それでも前後左右に開脚して脚の筋や股関節をほぐしながら、scope『太陽の塔』の四曲目、"無罪"を歌い、それからベッドに移って足の裏を合わせながら身体を前に折り曲げて、これもまた股関節をほぐす柔軟運動を行ったあと、今度は片脚ずつ前方に伸ばして足の先を手で掴みながらやはり身体を前に倒すようにして筋を伸ばす。音楽が最後の"クロニクル"、これはとても良い曲だとこちらは思うが、それに入った頃にはベッド上にうつ伏せになって、両手を前に突きながら上体を持ち上げて反らす、いわゆる「コブラのポーズ」を行っていた。歌いながらその姿勢を保ち、歌が終わってアウトロに入ってからも曲が終わるまでポーズを崩さず待って、腰や背中の肉をほぐした。
 そうして身体を温め終えると部屋を出て上階へ、居間は真っ暗で、母親がもう電気を点けてと言うので階段出口の脇にあるスイッチを押すと、眩しい、と母親は漏らす。何か作ったかと訊けば、もうやったと言い、カウンターの上には確かに笊に入った生野菜が見えたので、飯に関してこちらの仕事はないようだと判断してベランダの前のタオルに寄って、触れるが水気が取れておらず、乾いていないぞと言うと仕方がないよと母親は受ける。翌日にまた出すつもりでいるらしい。そういうやりとりをしている時は、ちょうど父親が帰ってきたところで、おそらく車のなかにあったと思われるゴミ箱を持ってきており、ゴミを整理しているらしかった。テレビのニュースは、ドナルド・トランプ安倍晋三の誕生日を祝ったとかおよそどうでも良いことを報じていたが、その祝いの言葉のなかでトランプは、何でも安倍のことを三九歳とか言ったらしい。
 塒に戻ると五時半である。まだ七日の日記も残っており、この日の記述も済ませたかったが、一旦措いてまた夜にやれば良いかと落として、英文を読むことにした。音楽はscopeのすぐ上にSarah Vaughanの名が見えたので、彼女の歌唱を聞こうということで『Crazy And Mixed Up』を流し出し、Brad Evans and Richard J. Bernstein, "The Intellectual Life of Violence"(https://www.nytimes.com/2017/01/26/opinion/the-intellectual-life-of-violence.html)を読みはじめれば、耳に入ってくる冒頭の、"I Didn't Know What Time It Was"からして香り高く、危なげがまったくないバックの演奏も含めて世評に違わず名盤の風格が漂ってくる。それからじきに流れはじめた三曲目、"Autumn Leaves"は、史上稀な名唱として名高いので今更こちらが言うまでもないが、やはり端的に言ってやばくて、ほとんど異次元の音楽とも言いたいほどの極みに達していると思われる。Sarah Vaughanはやばい。ほかのアルバムも集めるべきだろう。
 英語を読み進めているうちに六時が過ぎて、音楽を同じSarah Vaughanの『After Hours』に移してしばらく、そうして読み終えた。以下に調べた英単語と引用を載せる。

・installment: 連載の一回分
・banister: 手すり
・in plain sight: 丸見えで
・hide in plain sight: ありふれた風景のなかに潜む
・wretched: 哀れな、悲惨な
・glorification: 賛美
・to the extent that: ~の限りでは
・exhortation: 激励、奨励
・lexicon: 辞書
・antithetical: 正反対の、対極の
・poignantly: 痛烈に、身を切るように
・further: 促進する
・posit: 仮定
・query: 質問、疑問
・regression: 退行
・invidious: 不愉快な
・solidarity: 団結、連帯
・improvidence: 将来を見通さないこと
・disposition: 気質、性格

But there is another side of Arendt. She rejected all appeals to doom and historical necessity. She stresses the possibility of new political beginnings, what she calls “natality.” She had a deep conviction that people can come together, create a public space in which they deliberate and act, and change the course of history.

What does this mean? In her lexicon, power and violence are antithetical. Initially this seems paradoxical — and it is paradoxical if we think of power in a traditional way where what we mean is who has power over whom or who rules and who are the ruled.

Max Weber defined the state as the rule of men over men based on allegedly legitimate violence. If this is the way in which we think about power, then Arendt says that C. Wright Mills was dead right when he declares, “All politics is a struggle for power; the ultimate kind of power is violence.”
Against this deeply entrenched understanding of power, Arendt opposes a concept of power that is closely linked to the way in which we think of empowerment. Power comes into being only if and when human beings join together for the purpose of deliberative action. This kind of power disappears when for whatever reason they abandon one another.

This type of power was exemplified in the early civil rights movement in the United States and it was exemplified in those movements in Eastern Europe that helped bring about the fall of certain Communist regimes without resorting to violence. Violence can always destroy power, but it can never create this type of power.

Arendt’s distinction between power and violence is also closely related to her distinction between liberty and freedom. Liberty in her understanding is liberty from — whether it is liberty from the misery of poverty, or liberty from tyranny. And liberty from tyrants and totalitarian rulers may require armed struggle. But this type of liberty is to be sharply distinguished from public freedom, which for Arendt means a worldly reality that comes into being when people actively participate in public affairs and act together in concert.

Unfortunately, we have to learn over and over again that liberty from oppressors is never sufficient to bring about the public spaces in which public freedom flourishes. Achieving public freedom means cultivating practices where people are willing meet one another as peers, form and test opinions in public and act in a responsible manner.

R.B.: I don’t think that violence will ever completely disappear from the world. In the future we will become aware of new forms of violence that we can’t anticipate now. But I am certainly not pessimistic. What we learn from the history of violence is that we need to be specific and concrete when we speak about violence. I don’t believe in Progress with a capital “P,” but I do believe in progress with a small “p.”

Earlier I mentioned the work of Fanon and others who critiqued “traditional” forms of colonial violence and participated in social and political movements to oppose and overcome this colonial violence. Of course, there can always be regression, and some will argue that we now have new, more subtle varieties of colonial violence. I am not contesting this. But the breakup of the old colonial system was progress in overcoming a dehumanizing form of violence. In the United States, the lynching of blacks was once a common practice. It took decades to combat this form of violence. That is progress with a small “p” even though there are now new, invidious forms of violence against black populations.

And throughout the 20th century, we have many instances of the power of nonviolent movements to overcoming state violence, from Gandhi in India to Solidarity in Poland. We discover similar progress in overcoming violence in the feminist, gay and lesbian movements. There will always be those who say that such progress is insignificant because it doesn’t eliminate violence but only displaces it with new forms of violence. This can lead to what my colleague (and Stone series moderator) Simon Critchley calls “passive nihilism.” I do not accept the nihilist or cynical response.

So I believe that we must constantly be alert to new (and old) forms of invidious violence, oppose and resist them when we can with full knowledge that many of our efforts will fail. We should never underestimate the importance of overcoming the suffering, pain and humiliation of those who are victims of violence. Let me conclude by citing Christopher Lasch’s characterization of hope. I think it is especially relevant to the issue of identifying, opposing, and resisting violence:

“Hope implies a deep-seated trust in life that appears absurd to those who lack it … The worst is always what the hopeful are prepared for. Their trust in life would not be worth much if it had not survived disappointments in the past, while knowledge that the future holds further disappointments demonstrates the continuing need for hope … Improvidence, a blind faith that things will somehow work out for the best, furnishes a poor substitute for the disposition to see things through even when they don’t.”

 その後、そろそろ腹も減って内臓がぎゅるぎゅる音を立てて呻くなか、しかし飯は七時まで我慢しようと捨て置いて、それまでの時間で何をしようかと迷ったが、結局書抜きをすることに決めた。栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』である。Sarah Vaughanの歌をバックに打鍵を進め、二箇所を抜いた。先日、ゲットーからのユダヤ人の「撤去」、「移送」計画実行の際の、誰かを助けるために必ず誰かを殺さなければならないという地獄のような状況や、そうした条件下で同胞を売ることを良しとせずに自ら命を絶ったり殺されたりした小規模ゲットーの指導者の記録などを日記に引いたが、今回書き抜いたのもそういう悲劇の一端である。

 ユダヤ人警官が一日の「仕事」を終えて家に帰ってくると、家の前に多くの人が群がっているのが見られた。親類を連行された人たちが贈り物をしようと待っているのだ。「たとえ彼らの胸は、ほんの少し前に彼らの親類を自動車に引きずってゆくのを手助けしたかもしれない『青い制服の男』に対する憎しみではり裂けそうになっていたにせよ、人々はへり下った声である種の和解を懇願し、制服の男の機嫌を損なわないようにと努めるのだった。後払いで手付けを受け取ってもらえたものは好運だった。彼はすくなくとも若干の希望を抱くことができるのだ。しかし、大多数は手ぶらで帰った。警官には彼らのいうことをきく時間などないのだ。この種の収賄屋のひとりが我々の建物に住んでいる。そして、撤去された人たちの親類が彼のアパートの前に集まって泣き叫ぶ声が夜通し聞こえた」。
 撤去を免れるための身代金は、最初一人につき一〇〇〇ズオチから二〇〇〇ズオチであったが、やがて一万ズオチにも跳ね上がった。身代金は現金のほか、ダイアモンド、金などさまざまな形で支払われた。「警官が現金の他に女性の肉体による支払いまで要求した例がいくつもある。私の友人カルマン・シルベルベルクは、そういう警官のバッジ番号と、体で自由を購った女性たちの名前を知っている。警察は病院のなかにそのための特別の部屋を持っていた」。
 他方で、ユダヤ人警官も追い詰められていた。あるユダヤ人警官は任務遂行中に、おそらくユダヤ人によって、殺害された。他のユダヤ人警官は集合広場に集められた七〇人のユダヤ人を救おうとして、SSに射殺された。こうして、二~三〇人のユダヤ人警官が殺害された。任務遂行から離れようとするユダヤ人警官が続出した。ドイツ側はこれにたいして、ユダヤ人警官ひとりにつき一日五人の割り当てを課して、これが実行できない場合は、彼と彼の家族が「撤去」されることとした。ユダヤ人警官は、どうしてもノルマを果たせないとなると、知り合いであろうと、友人であろうと手当たり次第連行することとなった。このような仕事に耐え切れず、自殺したユダヤ人警官は八人にのぼった。
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、204~205)

 もう一つには、強制収容所の作られた経緯のような情報を写したのだが、強制収容所という施設は元来、一九三三年の時点では、ナチスの政敵である共産主義者社会主義者などを「保護拘禁」するために建設されたものだと言う。与党の「政敵」であるというだけで「拘禁」されてしまうのだから、実に恐ろしい情勢であると言うか、端的に言ってあまりにやりたい放題である。しかし、これは決して過去の問題ではない。同じようなことがこの現代でも、例えば新疆ウイグル自治区などでは行われているに違いないのだ。ともかくそういうわけで、「強制収容所は、元来、中央から統一的に建設されたのではなく、地方のSAやSSが当座の必要に迫られて作っていったものなのである」(223)とのことなのだが、一九三六年に至るとその収容所に「反社会的分子」の拘禁という新たな意義が付与されて、同性愛者だとか乞食だとか売春婦だとかジプシーだとか、ナチズムの考える「反社会的」なはみ出しものを収容するようになり、まもなくそこにユダヤ人というカテゴリーも加えられたという経緯だと言う。
 書抜きを終えると七時前に至っていたので食事に行った。台所に入れば食器棚の上、電子レンジの前のスペースに何やら半分になったトーストが置かれている。上に卵と、何だか良くわからないがシーチキンのようなものが載せられているそれを取り上げてちょっと齧りながら、フライパンの焼きそばを、すべて食べてしまって良いと言うので一気に大皿に盛ってレンジに突っ込み、さらに大根や人参の煮物もよそり、生野菜のサラダも素手で掴み上げて大皿に載せ、卓に運んで台所に戻ると、トーストの残りを口に運んでもぐもぐ咀嚼する傍ら背伸びをしたり肩を回したりしながらレンジが停まるのを待った。そうして温まった焼きそばを持って卓に行くとものを食べはじめたが、夕刊が見当たらない。夕刊はと訊けば父親が、窓際の机の上に置かれてあったのを取ってくれ、それを膳の右手に置いて一面の、北朝鮮の漁船と水産庁の漁業取締船の衝突事件の続報を追っていると、一二、一三は雨だと母親が言うのが聞こえて、一二日雨だって、と確認したあとに、一二、一三と俺は出かけるぞと告げる。どこに行くのと訊いてくるので、ものをもぐもぐ食うその合間に切れ切れに、一二日は中学の同級生であるHYと、下北沢に行くと言えば続けて用事を訊くので、何かライブがあるらしいと答える。そこで一旦会話は途切れて、何か別の話題が挟まったのだが、あるいはそれは、夕刊をひらいて美術展の情報を見ていたらその並びのなかに、我が町青梅の市立美術館の企画展の情報が含まれていたので、こんな田舎町の小規模な美術館の展示でも全国紙に載るものかとその旨両親に告げたのだったかもしれない。その後、一三日は何があるのと話題が戻ったので、Tの家に行くと言って、皆で料理を作るらしい、と教えた。(……)
 テレビはニュースを映していたはずだが、何を報じていたのか特に覚えてはいない。早々とものを食い終わるとごっそさん、と言って席を立ち、台所で手早く皿を洗って仏間に移り、簞笥のなかから肌着を取って湯浴みのために洗面所に行けば、鏡に映った自分の顔が、髭でいくらか汚くなっているので、翌日は労働でもあるし剃るかと決めて髭剃りを取ったところが充電が切れている。それで、電池がもうないぞと居間の父親の方に行き、充電器はと訊けば仏間の方から持ってきてくれたので、受け取ってコンセントに繋いでおき、風呂から出たら剃ろうと思っていたのだがその後忘れてしまった。湯に浸かって例によって目を閉じ、身体の動きを停めると、外で凛々と鳴いている秋虫の声が、いつもは空間全体に敷かれるように溶けるように満ちているが、しかし今日は野もせに拡散的に広がるのでなく、線状に、あるいは縁が揺らいで波打った太い帯のように、そのような形態をイメージさせる風合いで締まって空間を貫き通っているようだった。物思いを巡らせるあいだ、合間合間にthe pillowsの"Tiny Boat"のメロディが断片的に流れる。最初はTの結婚のことをぼんやり考えていたのだが、じきにこうして今、自らの思考を見つめている自分自身の様態の方に思念が移って、自分自身と距離を取って自己観察をするということがこちらのような日記を書く者にとっては必要不可欠なのだが、それは言わば自己と世界を同一平面上に置き、その両者のあいだの境や段差をなくすこと、横文字を使うならば主客のあいだのバリアフリー化というようなものだなとまず考えた。自身を世界の一片として、一つの現象として見るそのような観察主体と化した時に、見られる方の自分自身は世界の一部として同化するとして、しかしその見る主体の方はどこにあるのか? 世界からもその一片である自分自身からも退き、距離を取るのだから、世界の外かと考えてみて、しかし存在は存在である限り世界の外に出ることなど出来ないだろうと払い、かと言って単純に世界の内の、どこか具体的な場所にあるとも思われず、どこか曖昧模糊としたような空白の、ちょうど今日の如く深い曇りの日の空に見られる茫漠とした無限の白さが果てなく続いているような、そんな領域が思い浮かんで、ありがちな言い方ではあるが非在の場所、ということになるのではと思った。そこにおいて主体はまた、具体的な属性を持った自己から離れるのだから、無論現実的には完全に個人を脱却することは出来ないとしても、理論的には言わば非人となる。誰でもない者として、どこでもない場所にあること、これこそが作家という主体の様態ではないか、と考えた。言ってみれば非人称かつ非座標の存在ということで、そこにおいて作家という主体は、ほとんど純粋な「存在」そのものと化すのではなかろうか。個別的な人間としての属性からも選好からも解き放たれた概念そのものとしての存在になるということで、あるいは換言すれば、自律的に自動的に筆記する「装置」でもなく、「機械」ですらなく、書くという「機能」そのものの抽象性として存在するのではないか。自己から離れるということは自己を虚しくするということと大方同義であると考えて、それを一言で「忘我」の様態と言ってまとめれば、こうした議論は「悟り」のような観念とも接続できるような気もするが、それは今は措いておき、個別的な属性から切り離されるからこそ作家はものを書けるのだとすれば、ムージルの『特性のない男』という名高い作品名が思い起こされもするけれど、また他方、これはジョン・キーツの言う「ネガティヴ・ケイパビリティ」を想起させるものでもある。以下に谷川俊太郎の説明を引く。

 ジョン・キーツシェイクスピアを例に挙げながら、「ネガティブ・ケイパビリティ」ということを言っています。ある特定の詩人が持っている非常に独特な資質として。つまり、「詩人はカメレオンだ」とキーツは手紙で言っている。どんな対象の中にも入り込んでそれと同化することができる、だから詩人自体はもっとも非詩的なんだと。太陽や月や海、衝動の産物である男も女も詩的なんだけど、詩人という種族だけはそんな個体としての個性を何も持たない、詩人は神の創造物の中でもっとも非詩的なもので、自我を持たない、だからこそ、詩を書けるんだ、とキーツは言っているんですね。そのネガティブ・ケイパビリティを、もっとも持っている本物の詩人がシェイクスピアだと。僕がこの概念を知ったのは詩人になってずいぶんあとだけど、なるほどな、って思ったな。
 (谷川俊太郎/尾崎真理子『詩人なんて呼ばれて』新潮社、二〇一七年、87)

 個別的な人間主体としてのあり方から離れ、非人称かつ非座標の、無属性の、純粋に白い「存在」そのものとしての様態を経由して、ふたたび具体的な事物の方へと向かい、そのなかに言わば溶け込んでいく、それらの事物に向かって生成変化していくこと。この世界のなかに自己を散乱させ、撒き散らし、断片化して分有させること。それが作家の存在様態、存在力学なのではないかと、風呂に浸かりながらそんなことを考えた。
 風呂を出るとパンツ一丁の格好で自室に戻り、食事中や入浴中のことを軽くメモに取ったあと、茶を注ぎに階上に行った。テレビは『笑点』の、回顧のようで桂歌丸が司会をしていた頃の映像を流しており、林家木久扇が、当時はまだ木久蔵だったかもしれないが、例によってすっとぼけた振舞いを見せるのにちょっと笑ってしまいながら茶を用意し、玄関の戸棚から「たべっ子どうぶつ」の最後の一袋を持ってきて、そう言えばと思い出して、俺が買ってきたクッキーは食べたかと母親に訊けば、まだだと言う。それから急須と湯呑みを持って下階に下りるとLINE上でT田が、一二月一日に大学の吹奏楽部の演奏会でピアノを弾くことになったと報告していたので素晴らしいと受けておき、日記を書かねばならないところだが何となく気が逸れて「週刊読書人」の記事を読むことにした。真鍋厚×宮台真司「『不寛容という不安』(彩流社)刊行記念トークイベント載録 『分断と孤立を終わらせるには?』」(https://dokushojin.com/article.html?i=2488)である。

宮台  この章に限らず、聖なるものを掲げて統治を正当化するシオクラシー的要素がどんな国民国家にも不可欠で、それゆえに国民国家にとって、事実の粉飾や、聖性が正当化する暴力が、不可欠になると書かれています。見ず知らずの人を「仲間」と思うには、事実を超えた聖なる物語とそれに基づく行動が必要です。かつての枢軸国だけでなく、連合国=市民革命側であれ、自らは他よりも尊いものに属するとの観点に立ち、異分子を排除・搾取してきた。それが植民地支配でした。

真鍋  私はこういった国家ぐるみの排斥の歴史を、ISが行っている宗教的不寛容さを背景にした暴力と結びつけました。彼らが現に行っている組織的な暴力行為は、私たちと違う世界の話として片付けられないのではないでしょうか。

宮台  真鍋さんの直裁な物言いを噛み砕くと、遊動集団では一五〇人が仲間の上限数、定住集団では匿名性が生じない上限が二万人なので、数百万から数億人規模の国民国家は仲間じゃあり得ない。ゆえに「歴史=聖なる物語」の共有による粉飾と隠蔽が必要になる。それは「史実」を裏付けとした壮大な聖なる物語の形をとる。聖なる物語が国家に所属する意味を見出させ、仲間意識を喚起させる。それを自覚する統治権力は、近代以降も、国家正史の創作を、史実に脚色を粉飾しつつやってきたのだ、と。

真鍋  ISもバックボーンとなる歴史を重要視しながら、神聖なる物語を作り上げて賛同者を募っていましたね。

宮台  だから、この章を読むと、ISと僕らが実によく似る事実を思い知らされます。彼らがここ数年行なってきた国作りにおける暴力とその正当化は、僕らの国家がやってきたことのトレースです。

宮台  終盤で、今まで議論してきた社会が抱える問題を解決する処方箋が考察されます。エピローグの「「敵」でも「味方」でもないものの方へ」ではアメリカにいる「プレッパー」という人たちの生き方からヒントを得ます。この点からご紹介いただけますか。

真鍋  「プレッパー」という人たちは、例えば核戦争やパンデミック、ポールシフトなどの事象が発生して社会が崩壊した時にどうやって生き残るのかを真剣に想定した上でライフスタイルを組み立てて、日々生活している人たちのことを指します。

宮台  サバイバリズムを日常生活に取り入れていると。

真鍋  そうですね。彼らは起こり得る危機から家族や身近な地域社会、あるいは自分の自由を守ろうと考えているわけですが、同時に限界状況においては独力で守りきれないことを理解している。だから生き残りをかけるために技術やインフラの相互提供を約束できるプレッパー同士のネットワークを構築するんです。つまり、いざとなった時に身を助けるのは人の繋がりである、と考えているわけで、この部分は我々も大いに学ぶべきだと思うんです。

宮台  僕が『社会という荒野を生きる。』で推奨した態度は「プレッパー」と同じです。システムは脆弱で、災害時や戦争時に頼れない。頼れない時に生き延びられるかどうかという観点から社会関係を再構築せよ。それが僕のメッセージですが、それを実践する「プレッパー」には、家族や隣人以外に可能な限り多くの人を救う手立てを考える人もいる。

真鍋  彼らは自分たちだけが生き延びることを良しとせず、まだ見ぬ人たちのことまでも視野に入れてみんなで力を合わせて助かろうとしているんです。

宮台  とはいえ、ファナティックすぎるのでネガティブな印象を持たれがちです。

真鍋  外界と完全にシャットアウトしている「プレッパー」を見ると、被害妄想に取り憑かれているように見受けてしまいます。そうではなく、日頃から門戸を開いて、隣近所ときちんと情報を共有し、いざとなったらみんなで助かるんだ、という互助の精神を持ち、共同体を築く生き方をしている人たちはとても魅力的に見えますね。

宮台  共同体を作って稼動させ、次の共同体につなげる上で必要なのは、損得を超えた贈与です。「プレッパー」が可能な限り多くの人を助けたいと思って実行していることが、まさに贈与。だから彼らは共同体をうまく回して来られました。
 僕が共同体の存続に必要なのは「損得より正しさ」「交換より贈与」と言い続けているのは、恋愛ワークショップの失敗が教訓になっています。女はまだしも男は、僕の話を理解できても、今さら心の働きを変えられないと言う。プラグマティストが言う通り、事実よりも価値が、言葉よりも動機づけが大切ですが、価値や動機づけなどの心の働きを大人になって涵養するのは難しい。共同体を超えた社会規模では尚更です。でも、それを欠けば社会がもちません。ジレンマです。

真鍋  だからこそ現実社会の中で人同士が関わりあって、無償の贈与関係を共有する必要があるわけです。そのためには積極的にコミュニティに参加するべきだと本に書きました。ただ、どうしてもコミュニケーションベタな人もいるわけで、そういった人は背中を押してくれる誰かを見つけるべきである、と宮台先生は二村ヒトシさんとの共著『どうすれば愛しあえるの』でおっしゃっている。実はこの部分は本を書き終えたあとで気付かされたことなんです。

宮台  僕みたいに、閉じこもってきた奴を無理矢理外の世界に引っ張り出したがる御節介焼きは結構いる。「心配無用、大丈夫」といった後押しが絶対必要です。

真鍋  それこそがまさに贈与ですよね。そういった与えられる贈与経験が積み重なった先に今度は自分が同じような境遇の誰かに与える贈与で還元することが出来る。そういう良好な循環が生まれるはずなんです。

 その合間に、LINEでT田に、六日の日記をブログに上げたぞと報告し、引用を含めてのことだが四万字を越えたと言うと、「いい狂い具合だ」との評価が返って、それでインターネット記事を読んでいる途中で自分の日記を読み返してしまった。「俺の世界はどんどん細密化されていっているようだ」とさらに言うと、「知覚が発達して、一日24時間は変わらないのに情報量が増えているんだな」と返って、「なるほど、そう考えると、知覚精度が二倍になれば、一日の長さも二倍になったようなものか」と受ければ「お前すごい生物だな」と感嘆を向けられたので、「このまま行けば、一日が四八時間に感じられる日も遠くないな」とふざけたあとに、「いや、そんなわけあるか!」と、いわゆる自分自身に対する乗り突っ込みで落とした。日記の読み返しは中途で止めて記事へ戻って、Evernoteにコピー・アンド・ペーストで保存しながら、cero "POLY LIFE MULTI SOUL"を歌った。
 それからまた六日の日記を改めて読んでみると、当然のことだが手癖ばりばり、といった感じで、単調、というとちょっと違うが、考えずに喋るように書いているものだからやはりリズムが、文の流れ方があまり多様にならない感はある。しかしまあそれでも別に良いだろう。読み終えると九時過ぎで、ふたたびインターネット記事に触れることにして、佐藤成基「ドイツの右傾化勢力が敵視する〈68年世代〉リベラルとは何か」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57947)をさっと読み、さらに長濱一眞「ブルジョア独裁の風景――「最高責任者」の消極的な無責任について」(https://dokushojin.com/article.html?i=6013)という時評も読んだ。

 (……)周知のとおり、家屋損壊等々の被害のみならず断水、停電、電波障害などの窮状を訴える被災者からのSNS投稿が注目され始めてから数日、安倍晋三及びメディアが最も時間を費やしたのは内閣改造に関する彼是であって、組閣翌日の12日にようやく記者団の質問に答え「復旧待ったなし」の掛け声に続けて安倍が述べたのは、「現場現場で、持ち場持ち場で全力を尽くしてもらいたい」だった。この「最高責任者」の消極的な無責任性は、「プッシュ型支援」など迅速な被災地への行政の直接介入の条件を整備してきたのがほかならぬ安倍政権なだけに、また今回の組閣後真っ先に目標として掲げた改憲において創設が目指される「緊急事態条項」も、ともかくも建前上は大規模災害にあたり行政によるより強力な対応が可能となるからとその必要を説いていたことなど鑑みるに留意していいし、またこの消極的な無責任に対する国民の反応も、災害対応の遅れや不備のため大いに叩かれた過去の政権の事例と比すならあまりに「お行儀がいい」。(……)

 それにしても、メディアへの露出も人気取りも決して嫌いでない安倍が、「全体の奉仕者[ステイツマン]」の器でないとはいえ、災害に際して対策本部を設置し陣頭指揮を執って功を成し以て民から堂々たる喝采を浴びることに徹底して無関心であり、それを隠しもしないのは、だが、そのことを「全体」から咎められない「最高責任者」であり続けている事実ひとつ取っても、決して統治を放棄していることを意味しない。「グレー」か「クソ」かは問わず、この半ば企業機関化した行政の長は確かに国民にサービスを提供しそれなりの満足度を稼いでいる。恐らく民主党政権を念頭に、災害対策の類いに不備や失策は不可避で指弾[クレーム]は免れえず、しばしば失態は真面目に取り組むほどまぬけに映るのなら、いっそ動かず前に出ないのがリスク・マネジメント上賢明だと安倍は判断しており、この消極性は同時に次のことにも資する。フーコーに倣っていえば、なるほど安倍政権はもはや人口を対象とした「安全」の保障に励まないものの、やはり安全と平和を提供しているのだ――飛来の恐れがないミサイルのためにJアラートを鳴らすのとこれは矛盾しない――。安倍にとって問題は、現に隅々まで安全「問題ない」か否かよりも――現に好景気か否かよりも、とおなじく――その「感[イデオロギー]」であって、つまり安倍が宴会や内閣人事を優先させて「問題ない」以上は災害もまた「問題ない」程度なのだから、皆も同様に無関心で「問題ない」ばかりか、そうであれとのメッセージを波及せしめる。当然ながらこれには分断が伴う。しかし、善意のボランティアや地域コミュニティ含む「持ち場持ち場」にその対処を負わせた「現場」からの訴え[クレーム]が顧客[ユーザー]全体の雰囲気を不穏にするに至れば、場合によっては切り捨て不可視化し、「安心してご利用いただける」日本をプレゼンテーションすることが、企業的な監視管理[コントロール]であり、分断もこの統治のため利用される。事実、下請け先の「持ち場」で脱イデオロギー的に職域奉公に「全力を尽く」すサーバントへの「感謝」と併せて、魑魅魍魎からは「準備不足」など自己責任を咎める声が被災者に発せられた。安全と平和を脅かす「お行儀悪い」事態を「ある」から「ない」へ分離したうえで「全体」を再捻出するのに軽便な「風評被害」なる言葉も流布して久しいいま、公共圏に現われたなにがしかの抗議者は収監されないにしろ存在自体が「風評被害」と化し、そのとき消極的な無責任に徹する安倍は「風評被害」に屈しない「最高責任者」となるのだ。

 その後音楽をRyan Keberle & Catharsis『Azul Infinito』に移して、階猛「消費増税なしでベーシックインカム年金は実現する」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019092600001.html)を読み、終えると一〇時前からこの日の日記を書き足しはじめた。まもなくアルバムは五曲目の"Quintessence"に掛かったが、この曲はやはり良く、演者がそれぞれ良く歌っているそのメロディを合わせて口ずさめるようになりたいものだ。
 この日の日記を現在時に追いつけたあとは、七日の日記を進める。Nさんとの会話である。自分がもしかして双極性障害なのではないかという疑いについてや、ガルシア=マルケスについて偉そうにべらべらと語ったことなどを書きつけ、マルケスの作品についての分析は場を弁えずTwitterの方にも長々と流した。そうして零時半過ぎで切れば、三時間弱、打鍵し続けたことになる。腹が減ったので夜食を、例によってカップ麺だが、食べることにして上階へ、居間の明かりを点けてポットを覗くと湯が少ないので、薬缶に水を汲んでおき、玄関の戸棚から塩味の「カップスター」を取り出した。蓋のデザインが普通のものと違っており、乃木坂48だか46だか忘れたけれど、そのアイドル・グループのライブが当たるとか書かれていたものの、当然ながらこちらに興味はない。ポットから湯を注ぎ、薬缶を持ち上げポットのなかに水を足しておき、熱い容器を両手で持って下階へ下って、食う合間に何かを読むことは確定だが何を読もうか、カフカをもう読みはじめようか、しかし頁に汁が飛ぶかもしれないし、机の上も本とカップ麺を両方置くには少々狭く、誤って容器を倒したりしたら目も当てられないと考えて、そうするとコンピューターでものを読むべきか、しかしインターネット記事は今日はもう充分読んで気が向かないから、それではここで、今日は触れていなかったMさんのブログを読むかと定めて、麺を啜りながら彼の日記を追った。食べ終えるとスープも飲み、飲み干せば容器をゴミ箱に突っ込んで、食後の一服の緑茶を用意するためにふたたび上階に行ったが、喉が渇いていたのでまず冷蔵庫のなかの冷たい水を飲むことにして、皿がいっぱいに詰まった食器乾燥機から、高い音を立てないように注意しながら小さなグラスを一つ取り出し、水を注いで一杯飲むと、それから緑茶を用意した。一杯目を急須に注いで茶葉がひらくのをちょっと待つあいだに、米はあるかと台所の炊飯器を見に行けば、結構あるので既にカップ麺を食ったにもかかわらず追加でおにぎりも食べることにして、「クレラップ」を敷いた上に米を乗せ、親指と人差し指で塩をつまんでぱらぱら振るのを三度繰り返したあと、もう一枚ラップを上から被せて持ち上げ握る。そうして居間のテーブルの隅に戻り、緑茶の一杯目を湯呑みに注ぎ、二杯目、三杯目の分を急須に入れておくと、下階へ戻った。
 茶を飲みながら、メモにはただ「ブログ」とだけ書いてあるのだが、これはMさんのブログのことなのか、それとも自分の日記を読み返したのか。いずれにせよ茶は濃くて美味く、飲んでいると露出した上半身に汗が滲む。窓は開けていなかった。今日は朝からずっと開けておらず、そのくらいには気候も涼しくなってきたようだ。そうして緑茶をすべて飲み干して歯ブラシを取ってくると、一時半から辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を、本はテーブル上の閉じたコンピューターの上に載せて、その前に立ったまま、頁を見下ろし文を追った。二時前からRyan Keberle & Catharsis『Into The Zone』をヘッドフォンで聞きはじめ、音楽とともに頁を通過して「審判」を読み終え、「城」に入ったのは二時台後半だったと思うが、その頃にはちょっと睡気が滲んできていて、ヘッドフォンをつけて聴覚を閉ざし、現世と隔離された音空間のなかにいると余計にそうなるようで、アルバムをすべて聞かないうちに耳を解放して、身体も疲れたので、多分途中で寝るなとわかっていながらもベッドに移った。それからちょっと読んでいたが、やはりそのうち意識を落としたらしく、その後の記憶は残っていない。


・作文
 12:34 - 17:00 = 4時間26分
 21:52 - 24:34 = 2時間42分
 計: 7時間8分

・読書
 12:04 - 12:31 = 27分
 17:33 - 18:15 = 42分
 18:24 - 18:52 = 28分
 19:55 - 20:19 = 24分
 21:10 - 21:48 = 38分
 24:49 - 25:25 = 36分
 25:28 - ?
 計: 3時間15分

・睡眠
 4:35 - 11:20 = 6時間45分

・音楽