2019/10/11, Fri.

 大澤 限定的な階層だけが身につけられた江戸期の教養と異なって、明治期以降は、出自を問わず教養をインストールすることが原理的には可能だった。そこが新しい教養主義の最大の特徴です。さらに、それをフックに社会的な地位の上昇が可能になる。
 竹内 その点は、ドイツの教養市民層とよく似ています。ドイツ語で「教養」を意味する「ビルドゥング(Bildung)」は元手のない人たちのメリトクラシーでしょう。貴族層に対する教養市民層の対抗戦略。だから世襲の貴族に対する精神の貴族。
 大澤 「ビルドゥングスロマン教養小説)」のたぐいもドイツ教養市民層の成立と密接なつながりがあります。中世の封建的な桎梏から解放され、一人ひとりの努力によって経済的にも社会的にも成功する可能性が開けると、「いかに生きるか」が切実な課題としてせり出してくる。そうしたなかで、主人公が数々の体験を重ねて試行錯誤しながら自己形成を遂げ、人間として成長していく、そんな軌跡を描いた小説が多くの読者に求められるようになっていきます。その典型がゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』ですね。ジャンルとしての青春小説はいまなお健在だし、むしろ青春小説しかないといっていい。でも、教養小説となると、若い世代のあいだでまったく読まれなくなっています。忘れられた小説形式の一つといってもいい。
 竹内 教養小説に描かれる人格の向上というストーリーは、進歩史観というか、社会はつねに成長していくという歴史観と同期していましたからね。それが信じられない現代ではリアリティを失っているんでしょう。
 大澤 いまや過去のすべての出来事は同一平面上にべたーっとフラットに並んでいる。だから、線形的にヒストリーを描くのがむずかしい。そんなポストヒストリカルなフェーズに入ったことは教養の失墜と無関係ではありえないでしょう。とくに九〇年代後半以降に生まれたいまの大学生たちを見ていても思いますが、ネットが最大かつ唯一の情報源になっているから、歴史の因果関係のなかに、それぞれの出来事を位置づけることができなくなっている。歴史上の遠近感がほとんどない。それもあってなおさら、過去から現在、そして未来へむけて発展していくという感覚はもちようがない。ネットに典型的ですが、巨大なアーカイブのなかにすべてがストックされていて、そこから任意のものをピックアップする感覚が支配的です。それはかつての「歴史」が消滅したことを意味すると僕は思う。
 (大澤聡『教養主義リハビリテーション』筑摩選書、二〇一八年、75~77; 竹内洋×大澤聡「日本型教養主義の来歴」)


 八時のアラームで一度覚めたのだと思うが、その頃の記憶は失われた。微睡みのなかで二度、携帯にメールが届いて震えるのを聞いたが、起き上がってそれを確認する気力はなく、床に臥し続けて一〇時半頃ようやく意識が晴れてきたが、まだ身体を持ち上げるほどの力が身には寄って来ず、今日も白い窓を見やれば例の大きな蜘蛛が風に吹かれて脚を蠢かせながら糸を渡っている。一一時に至ってやっと寝床を抜けた。携帯のメールは、携帯電話ショップからの広告か何かで、良くも見なかった。コンピューターを立ち上げてTwitterを覗き、その他インターネット各所を回ってから室を抜けて上階へ、台所に立っている母親に挨拶をして、匂いが漂っていたのでカレーかと訊けばそうだと言う。トイレに行って放尿してくると洗面所に入って髪を梳かして、それからガス台の前に立ってカレーを火に掛け、大皿によそった米に盛り掛けた。前夜の野菜炒めの残りが小さなプラスチック・パックに入ったものも電子レンジで温めて、卓に就いて新聞を寄せれば一面に、トルコのシリア北部での軍事活動の報が載せられている。クルド人の実効支配地域の、村だか町だか拠点をいくつも制圧したと言い、死者は少なくとも四〇人とか出ていたか。めくって二面にも関連記事があったので読みながら、戦争ではないか、しかも隣国の国境を越えて押し入り進軍すると言う、そのようなことがこれほど容易に許されるのだろうかと思い、国際面に移ればこちらではドイツで起こった二人死亡の銃撃事件が伝えられて、犯人は二七歳の反ユダヤ主義思想を持った男だと言い、よりにもよってドイツという国で、と嘆息するようになった。その隣には、タイで言論統制の動きが強まっているとの報もあり、どこの国も何だかどんどんきな臭くなっていないかと見ながらカレーを食べるそのあいだ、母親と多少言葉を交わしたはずだが何を話したのかはもう忘れてしまった。いずれ他愛のないことだ。食後、水を汲んできて、セルトラリンはもうなくなったのでアリピプラゾール一錠のみを飲んだあと、母親が持ってきてくれたシャイン・マスカットをつまみながら台所に立ち、食器を洗って次に風呂洗い、済ませるとまたマスカットをつまんでもぐもぐ食いながら下階へ、急須と湯呑みを持ってくると緑茶を用意し、塒に帰った。T田から六日と七日の記事を読んだとLINEでメッセージが届いていたので礼を言い、六日の記事は会話を良くもこれほど覚えているものだ、話しながらメモを取っていたのではと思わざるを得ないと、実際はそのようなことはしていないわけだが言われたので、お褒めに預かり光栄であると返しておいた。そうして寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeで流し出して、T田の言に影響されてこちらも自分で六日の記事を読み返し、それから七日、八日、九日と適当に拾って読むあいだ、寺尾聰の歌を歌って喉をほぐして、読み返しに切りがつけば一二時半過ぎから日記に掛かった。背景に流したのはものんくる『RELOADING CITY』、そのなかで前日の記事を進めて、カフカ『城』についての分析を、前の感想とそう違ったことは言っていないが最後にまた綴って一時間、仕上げるとSonny Rollins『Saxophone Colossus』を流し出してブログに一〇日の記事を投稿する。"St. Thomas"のメロディを口ずさみながら引用部にタグを付し、個人名は検閲し、出来るとTwitterにも通知を流して、それからさらにnoteをひらいて、その頃には曲が移っていたから今度は"You Don't Know What Love Is"のソロをタングトリルで追いながら、また引用部を処理して発表した。そうして次にこの日の日記に入って、ここまで一五分ほどで綴って二時を回った。夜更かしが習いとなっているためか、何となく睡気が淡く目の奥に漂うような感覚がある。勤務は今日は、元々二コマの予定で入っていたところ、先日一コマになるかもと連絡があって、しかしそれ以降正式な決定が下されていなかったので、二コマのままかそれとも一コマかとこちらから送ってみると、二コマか、それともあとの方のコマを一つのみかと選択肢を提示されたので、それでは一コマのみでよろしいでしょうかと答えておいて、晴れてより多くの時間を確保することが出来た。
 それから一年前の日記を読む。記事の冒頭に付された書抜きは、この日からサルトルの書簡になっている。そのなかからなかなか良いと思われたボーヴォワール宛の愛の言葉を引こう。相手と共にいられなくとも、彼女が「この世に存在する」だけで「この上なく幸福」だとサルトルは言う。「焼き栗」という道具立ても何だか知らないがよろしいもので、甘やかな艶っぽい金色のイメージを喚起するようだ。

 ぼくの愛する人。あなたには判らないだろう、ぼくがどれほどあなたのことを想っているか、一日中絶え間なくあなたで満ちみちたこの世界のただ中で。時によってはあなたが傍にいないのが淋しくてぼくは少し悲しい(ほんの少し、ごくごく少し)、ほかの時はぼくはカストールがこの世に存在すると考えて、この上なく幸福なのだ、彼女が焼き栗を買ってぶらつき廻っていると考えて。あなたがぼくの念頭から去ることは決してなく、ぼくは頭の中で絶えずあなたと会話をしている。(……)
 (朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』人文書院、一九八五年、55; ボーヴォワール宛; ホテル・プランタニア、シャルル・ラフィット街、ル・アーヴル; 1931年10月9日金曜日)

 日記本文は鬱症状にこてんぱんにやられており、「倦怠そのもの。絶対的な鈍さ。書きたいことが何もない。読み書きは自分の業としての価値を失った。生の目的の失効。純然たる無意味性」と絶望的な沈滞の感覚以外は何も記されていない。
 そのあと二〇一四年の日記も一日分読んだが、こちらは特筆することはない。その後fuzkueの「読書日記」も読みながら、Sonny Rollins『Newk's Time』に音楽を移行すると、台風が迫っているという話で外では直線的な雨が降り出している。「読書日記」のあとは「週刊読書人」から長濱一眞「啓蒙の弁証法?――「一億総活躍社会」にようこそ」(https://dokushojin.com/article.html?i=5538)をひらいて読んだ。

 例えば国家による市場統制を忌避したフリードリヒ・ハイエクは、各々限られた情報にもとづく分散的な参入からなる市場の――一個人から見た――不合理性は、それ故に個々の参入者にとって受容可能性が高まると考えた。だれしもその全体を透過的に掌握できず、したがって予期しえない偶然が紛れ込む以上は、みずからの選択の結果にまったき責任など負うべくもなく、その芳しくない結果はかの「不合理」のためであって、ことさら「私」が「悪いschlecht」わけでない――。ところが、ハイエクをその学説の始祖に数え入れる新自由主義を基調とするところの現在の資本主義のあり様は、かつてなら市場外の領域で個人の差配や思惑を超えた運として捉えられてきた種々の事柄すらも、自己責任の範疇であり、その結果次第では「私」が「悪い」ことを意味する傾向を強めている。縁なる巡り合わせとひとしいものが社会関係資本と言い換えられるごとく、運を理由に断念もできれば自責の念も緩和しえた事々が、人的資本たる個々の企業家――国家や社会でなく――の「努力」によって、厚生労働省いうところの「人づくり革命」によって、計画性にもとづいて、構築し、打開し、増幅し、豊かに運用できる、つまりは「自助」で賄えるものであるかに喧伝されている。翻すに、芳しくない状態は個人の努力不足や計画性の欠如に起因し、その企業家が罪深い‐劣悪であるschlechtためだと見做されることとなった。

 AIとビッグデータを駆使した「アルゴリズム的公共性」にとってかなめとなる社会信用システムについては、その先進国である中国を特に参照しての紹介が進んでいる。なるほど生物学的に決定された真の弱者なる規定はエビデンスとしては薄弱だし、あるいは仮に統計的に有意な「不都合な現実」が明らかとなったとしても、それにも結局は個人差があり、そもその結果からして社会構築的な要因が抜き難い以上、「男性/女性」などの生得的な種別差に還元して強調するのは差別だと指摘することは可能だ。これらはあまりに安易で短絡的だと評してもよい。では、SNSをはじめとするネット利用状況、銀行口座記録、職場や学校における業績評価や成績評価ならびにパワー・ハラスメントやセクシャル・ハラスメント、いじめなどの有無、監視カメラが設置されている公共施設のほか市街での振舞い等々、あまたのデータを収集総合し、これをもとに個々それぞれの社会活動を常時AIによって一律に点数化していく場合はどうか? そこでは民族的、性的その他属性如何によって同じ行為の評価が変わることはなく――AIは「無知のヴェール」を被っているかのごとくだ――、ひとの手がどうしても加わる局面で不公正なデータを作成した場合、厳しい処罰やペナルティが科されるものと想定する。ここに生ずる点数差を謂れなき差別と断定するのは難しい。算出される各自の点数は種々のエビデンスにもとづく、とにもかくにも故あるものだからだ。
 当然ながら、社会信用システムにおいて個人はなにかしらの本質から演繹される存在でなく、女性や白人などのカテゴリーを特権的に実体化しているかぎり、なお本質主義から脱却できていないとすれば、それとは違って、時々刻々と蓄積更新される膨大な情報の束として扱われる。これに照らせば本質とはむしろ、それらニュートラルな情報の束から偏向的に一部を拡大解釈し、捏造した幻想だとすら見做しうるかもしれない。だとすれば、そこでは「再チャレンジ」も期されるだろうし、むろんその際生得的な属性が妨げとなることはない。社会信用システムでは市民は常時みずからのスコアをチェックでき、「格付け」が下がれば挽回することも可能だ――「人生一〇〇年時代構想」が「いくつになっても学び直しができ、新しいことにチャレンジできる社会」を志向するとおり。先に例示したように、信用度を判定するデータ項目が社会活動のさまざまな範囲を包括していき、さらに、一定の限度を超えた低ランクの「格付け」の者には、然々の公共インフラや民営サービスの利用が制限されるなどのペナルティが科せられ、また一定の高ランクの「格付け」に達してそれをある期間維持すればそれに応じた利益還元が図られるなどの仕様が実装されたとするなら、功利主義的に考えて、ひとは社会適応及び社会貢献に尽くすことが自己利益に直結することを知る。毎日でもスコアをチェックし以て、その都度我が社会活動を振り返り、とりわけ大きな変動が生じた際にはみずからを深く省みてその原因を分析し、「いくつになっても」伸ばすべきところを伸ばし、撓めるべきところを撓め社会との照応のなかで成長を怠らない、――かくして「人づくり革命啓蒙」は成る。ここでは、労働組合とは違うかたちで、各自が特定の組織における陶冶を介さず、もっぱら自己利益のみを考慮した活動と社会の公益とが相互に反映しあい、個と全とが、自己への配慮と社会への配慮とが即時的にかかわりあう。

 これと比して、1990年代後半以降のアンソニー・ギデンズ的な「第三の道」――トニー・ブレアの登場をマーガレット・サッチャーが言祝いだ逸話が示すとおり、それは新自由主義と別のものでない、為念――は、「競争参加動機のある者への再分配」により「十分な雇用可能性」を保証する「機会の平等」の提供を以て、結果の是正を伴う民主主義的平等に代え、社会的包摂を図る。注意すべきは、これこそ――保証される事前の機会が充実し行き届いたものであればあるほど――それら助成や支援や指導研修を介したさまざまな包摂の機会の提供を経たうえでの現状に関しては、ほかに転嫁するのが難しい自己責任へと帰結する傾向が極めて強いことだ。そこでは啓蒙――社会的包摂のための手引が施されるのだが、ほどなくして次のごとき声がついて廻る。「十分な可能性」は平等に用意してある、事態を改善するために必要な指導も率先して提供した、あとは貴方次第――自由!――だったわけだがこのざまはなんだろう、貴方が窮状を訴えるとしてもそれについてはもう、自由な市民である貴方自身の責任といわざるを得ない、のみならず社会[われわれ]は貴方に随分奉仕したし、できるかぎり貴方のために努力したのに貴方の方は社会[われわれ]にその与えた分だけでも報いたとは到底いえない、いやはや貴方はなんて罪深い‐劣悪schlechtなのか――。芳しくない負の結果の原因にしばしば挙げられる「競争参加動機」の欠如やら「ヤル気」の不足はただ特殊な個人の損失を意味するだけでなく、また負の自己利益により社会の公益を損なうからだけでもなく、社会からの事前の贈与[ケア]に対して返礼しないどころか場合によっては事後の再建[アフター・ケア]まで要求する――そうして際限のない事前の贈与[ケア]へ転化する――と捉えられるために――民主主義でなく自由主義のもとでこそいっそう――罪深く解される。もちろん現在の日本において、事前の機会の提供に不足は多々確認できるとしても、それを徹底した帰結としての自責含めた自己責任論の猖獗だけはとうから眼に見えており、先だって「無駄」云々の声とともに醸成されているのが実態だろう。あるいは、その自責に苛む帰結を、そこに至る前に悟り、だからあらかじめケアを拒否し、輝かしい社会の光――啓蒙から引き篭り、「暗黒[ダーク]」に耽る者が現われたとして、それを一方的に責めたて断罪することには躓きを覚えもする。

 三時直前に至って音楽が終いまで行くと、睡気がやや重る。長濱一眞の時評を読んでいるあいだも、自ずと瞼が落ちてくるので途中で椅子から下りて立ったくらいだ。最寄り駅からの電車を調べると、四時四二分からのものがあるので、それに乗って医者に行くかと見通しを立てて、食事を取ることにして上階へ行った。カレーのフライパンを火に掛けているあいだに辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を持ってきて、台所でガス台の前に立ったまま読みながらカレーを搔き混ぜ、大皿に盛った米の上に掛けると卓へ向かい、ものを食いながら文言を追う。この時読んだのは二〇五頁から二〇八頁に掛けて繰り広げられるKとおかみの対話、と言うよりは問答と言った方が適切かと思うが、その箇所で、ここではおかみの言い分の不透明さが引っ掛かる。彼女はほとんどわざとではないかというような調子で、迂遠的な、至極わかりにくい説明を提示するのだが、意味が核心に至らず奥の方まで繋がっていかない感覚がそこにはあり、何か重要な情報が明かされていないような曖昧模糊とした雰囲気が漂っている。それでいておかみの方は、その場で語られないことを察知出来ないK――そして読者――の方が愚劣で悪いのだと言わんばかりに、彼の誤解を詰ってみせるのだ。
 ものを食べ終えると皿を洗って、緑茶を用意して自室に帰ったが、相変わらず何だか眠たいようで、時折り頭にぴり、ぴりと、ささやかで幽かではあるものの、ノイズのような、電気が一瞬走るような感覚が訪れる。テーブルの前に立ってTwitterを覗いたあと、台風が来るとか言っているから、医者が休みになってはいないだろうなと思い当たって、Nクリニックに電話を掛けた。繋がると、いつもお世話になっております、Fと申しますが、と丁重な前置きを送って、今日はやっておられますかと訊くと、通常通り六時までやっているとのことだったので、礼を言って電話を切り、その後、茶を飲みつつ辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読んだ。緑茶を飲み干したあとは歯磨きをこなし、口を濯いで戻ってくると、何故かRichie Kotzenの音楽が頭のなかに流れていたので、まず"Made For Tonight"を流して歌い、次に"I Don't Belong"も口ずさみ、そのままプレイヤーから音楽を流しっぱなしにして、"My Addiction"に合わせてやはり歌いながら服を着替えた。白のワイシャツに黒のスラックス、ネクタイは灰色の地に、小さな四角と点がいっぱいに付された模様のものである。ゆっくりとした動きで首元にそれを巻くと、真っ黒のベストを身につけた。流れていた"It Burns"を途中まで口ずさむと、Wynton Marsalis Septet『Selections From The Village Vanguard Box (1990-94)』に音楽を変えて、そうして書見に戻り、合間にLINEでT田に、最近の日記で面白かったところはあるかと質問を送りつけた。軽躁状態の話だという返答があり、今の状態が続けば良いなと言われるのに、「もっともっと頭の回転が速くなって、誰もついてこられないような凄い文章を書き、なおかつ人格的にも安定を保てると最高なんだがな」と答え、その後、Nさんの話をちょっとしたところで出発の時間が来たのでその旨告げて、それでは失礼すると最後に残してコンピューターをシャットダウンした。
 『城』のおかみは先にも取り上げた問答のなかで、「人が伝えたいろいろな情報をみんなつくり変え、そうしておいて、まちがった情報を聞かされた、なんていい張る」(206)とKの態度を非難するのだが、しかし読む限り、Kが彼女の言葉を「ねじ曲げて」(207)受け取っていると言うよりは、問題はおかみ自身の方が不正確で誤解されるような言い方をしていることにあると思われる。彼女はほとんど悪意からではないかと疑われるほどに曖昧な物言いをしており、その前に立たされたKは、そして読者もまた、彼女の真意を追い求める解釈者にならざるを得ない。しかしおそらく、そこには一つの「真意」など元々設定されてはおらず、「真意」に辿り着こうと努力する解釈者は、石灰色の霧のように見通しの悪い不透明性のなかで徒労を味わわざるを得ず、不可避的におかみの言を「誤解」(185)し、それを彼女に詰られることになる。このおかみという人物は、Kが彼女に差し向ける言葉に応じて、つまり外部からの刺激によって如何様にも形を変える不定形なアメーバのような変態生物であり、確固とした内面を持たないほとんど非人間的な言語的モンスターとして立ち現れているようだ。
 二〇五頁から二〇八頁におけるこのおかみとKとの対話を、ちょっとより細かく分析してみようと思って読書ノートに要約的な記述を記していたので、一時間強文を読んだ時間の大半はそれに充てられ、頁はほとんど進まなかった。T田とのやりとりを終えると、リュックサックを背負って部屋を出る。今日はクラッチバッグではなくてリュックサックを携えたのは、図書館に行って借りている本を一度返却し、再度借りて来なければならず、そのために荷物が多いからだ。上に上がると仏間で靴下を履き、そうして玄関を抜けて道に出ると、朝から続いているのだが、何か意識の揺らぎと言うかぶれみたいなものが差し挟まる瞬間があって、茶をやたら飲んでカフェインを摂りすぎたのか、あるいは最近の躁状態にも関連しているか、それとも単に寝不足なだけかと思い巡らせながら歩いて行くうちに、どうも眼球を速く大きく動かした時に、その動きに応じて電流めいた一瞬のノイズが発生するようだぞと見分けた。とすれば視神経の問題か、しかしそれにしてはあまり瞼が重くないが、あるいは脳がどうにかなっているのではなかろうな、などと考えて、意識が、飛びそうになると言っては言い過ぎだが、しかしぴりっと一瞬揺らぐ刹那を何度も繰り返しながら道を進むと、頭上ではヘリコプターが何やら飛んで、音を降らしている。坂に入りながら、仮に目の問題だとして、ものが見えなくなったりするのは非常に困る、そうすれば本も読めなくなるし、文も書けないだろう、労って行かなければ、と独りごちつつ、しかし確か、カフカの友人に、エルンスト・ヴァイスと言ったか名前が合っているかどうかわからないし合っていたとしてその彼だったか忘れたが、盲目の作家もいたはずだし、Mさんの『囀りとつまずき』のなかに書いてあったことによれば、三重苦で有名なヘレン・ケラーも感覚的装飾がふんだんに満ちた文章を書いたと言うから、視覚を失っても何とか書き続けられるかもしれないが、と自分を慰めて、頭のなかにノイズを感じながら上っていくと、横断歩道で間違えてまだ必要のないSUICAをポケットから取り出してしまった。ボタンを押して駅の階段を上りながら、大袈裟だが、意識が突然ぷつりと行ったりしないかと不安を抱き、視線を上げれば空にはヘリコプターがまだうろつき回っている。ホームに入るとベンチには制服姿の中学生カップルがあって、知っている生徒かと思って見たが、どうやら違うようだった。ホームの先へ向かい、立ち止まると立ったまま目を瞑って、目の筋肉をほぐしたらどうかと上下左右に眼球運動を行った。それでこの時はノイズは大方消えたようだったのが、あとになるとまた復活することになる。立っているその感覚がどこか不安定なようで、パニック障害あるいは自律神経失調症の圏域にあった時も、近くに身を支えるもののない広い空間に出ると重心感覚が僅かに揺らぐことがままあったが、こういう時にはいつも、何も意識しなくとも自ずと直立を保っていられる尋常の状態の方がかえって不思議に思われる。右足を前へ出して身体を斜めに流し、右手に持った傘を地に突き、左手はポケットに入れて格好つけたポーズでいると、電車までまもないはずが、来るのは奥多摩行きのみで、反対方面の青梅行きは四二分になっても来ない。遅れていることを伝えるらしき放送が入ったようだったが、スピーカーが遠く、停まっている奥多摩行きの電車の駆動音でもって聞こえない。それで、どうやらまだ時間があるようだと手帳を取り出してメモを取っていると、じきにもう一度放送が入ったのでスピーカーの方に近づいて行けば、柱の下には男性が一人、老年だがジャケットに帽子を被って身なりはわりあい整っているのと、もう一人若い女性があって、何て言ってました? と男性の方に訊けば、わからない、全然聞こえねえ、と彼は受けて、次に女性の方に目を向けると、彼女は、倒木のために電車が停まっていたのがもう運転は再開したが、どこまで来ているかは言わなかったと教えてくれた。礼を言ってホームの先に戻り、再度メモを取っていたところが、まもなく雨がにわかに降り出して、それで屋根の下へと避難したけれど、短い距離なので傘をひらかず俯いて歩いたところ、雨の嵩みが急速で結構濡れて、屋根の下に入るとハンカチを取り出して腕や手帳の水気を拭き取った。そうして柱に寄ってメモを取るが、やはりどことなく身の均衡が不安定なように思えた。そのうちに背中のリュックサックのなかで携帯が震え、それを機に荷物を足もとに下ろして見れば、メールは勤務のシフト連絡だった。放送によれば電車は二五分ほど遅れているらしい。ようやくやって来たのは五時過ぎ、乗って席に座り、引き続きメモを取って、青梅で降りれば乗換え、数分の猶予があったので前の方へ移動して、乗った車両は空いていなかったので扉際に立って揺らされながらメモ書きをした。目の前の席には男子高校生三人が向かい合って座っていて、どうでも良いような話をしていた。
 メモを取り終えるとガラスに向かい合い、すると外は青い暮れに浸されて、マンションや家々や街灯の白い灯りが海のなかのように流れて行って、ガラス表面にはこちらの姿が映りこんでその白光の推移と重なり合う。河辺に着くと手帳を手に持ったまま降りて、エスカレーターを上がると改札を抜け、医者より先に図書館に行くことにした。歩廊に出れば雨がごく軽く降っているが、傘を差すほどではない。入館すると傘立てに傘を置き、なかへ入ってカウンターに寄れば、青いポロシャツ姿の女性職員が迎えてくれたが、丁重な態度ではあるものの愛想はそれほどない。リュックサックから五冊を取り出してもう一度借りたいと告げれば、ほかに何か借りるものはあるかと訊かれるので、リクエスト本が来ているらしいと図書カードを差し出した。前日にインターネットを通じて予約しておいた村上春樹アンダーグラウンド』で、これは次のAくんたちとの読書会の課題書である。図書カードを読み込んでもらうと、ちょうど更新期限が来ていると言うので、コンピューターの画面を見せてもらって住所と電話番号に間違いがないのを確認したあと、職員が持ってきた村上春樹の文庫本を合わせて計六冊を貸出し手続きしてもらい、受け取ってCDの新着棚に向かいながらリュックサックに入れた。CDに特に目ぼしいものはなかったので階を上がって新着図書を見れば、こちらには阿部和重の新作『Orga(ni)sm』や、宇野邦一がサミュエル・ベケットを新しく訳した『マロウンは死ぬ』、それにトーマス・ベルンハルトの『アムラス』まであってこれは有り難い。それらを確認すると、長居はせずに医者に行くことにして退館に向かった。館内を歩きながら、何か外から拡声器を通した大きな声が聞こえてくるのに気づいていて、政治団体が演説をしているのだろうかと思っていたが、出てみるとそうではなくて、何とか言う歌手の宣伝らしかった。歩廊を戻って駅舎を抜けて、反対側の道を出ると傘をひらく。駅前の居酒屋の前を通りがかりに店の入口に掛かっている音楽が聞こえて、それが一瞬聞いただけでも工夫のない大衆歌だとわかるコード進行で、実に定番のものだなと聞いて過ぎれば背後から、間奏が終わって女性ボーカルの声が小さく伝わってきた。住宅のあいだに入ればアオマツムシがここでは聞かれて、歩きながら頭のうちにはまた痺れめいたノイズがたびたび走って、それが発生する時には足の裏も同じく痺れたようになることに気づかれて、右を向くと左足、左に目を振れば右足が疼くところから見て、やはり神経の、しかも左右が逆になっているということは脳の問題ではないか? まさか脳梗塞ではないだろうな、しかしそれなら頭痛とか吐き気がしてくるはずだと見ながら進めば、頭の内も芯がちょっとつねられているような軽い痛みが生じるが、さほど高くはないので大丈夫だろうと払ってビルに入った。
 階段を上がって行って待合室に入ると、客は何と誰もいなかった。ソファ席にリュックサックを置き、財布のなかから診察券と保険証を取り出して受付に渡す。歩いてくるとベストも羽織っているからやはりなかなか暑く、汗の気が服の内に籠っている。保険証を返却されると座ってメモを取っていたが、ほかに患者がいないから当然すぐに呼ばれて、返事をして立つとフロアをゆっくり横切って扉を二度ノックし、こんにちはと言いながら診察室に入った。今日は空いていますね、と座らないうちに向けると、台風のせいかな、でもまだ大したことはないですけどね、と医師は笑う。そうして革張りの椅子に就いて、いつものように調子はどうですかと訊かれるので非常の良いのだと答えると、先生は非常に、とそこを拾ったので、良すぎるくらいで、ちょっと変ですねと受けて、相変わらず日記を書いているんですけれど、何だか簡単に書けて仕方がないんです、すらすらと書けて、量も増えました、それで、まあ、まさか自分は双極性障害で、今、躁の時期が来ているんじゃないかなどと、そんなことを考えてしまう始末ですと笑った。そういうことはあるものでしょうかと訊いてみると、先生はあまり大きくは笑わず、しかし柔和な表情を穏やかに崩さずに、ないとは言えないですね、と受けて、やっぱり途中から波が出てくる人というのはいますと答えた。いずれにせよ、セルトラリンの方は減らして良いのではないかと言う。仮に本当に双極性障害だったとして、SSRIを減らしても大丈夫なものですかと訊けば、セルトラリン鬱状態を持ち上げるものだから、躁の状態に使ってもまあ仕方がないという返答があり、アリピプラゾールの方は両方の症状に対応していて双極性障害にも使われるからそれは維持して、セルトラリンが一回二錠朝晩で一日に四錠飲んでいたところを、半分にして飲むのも夜にまとめましょうということで、晴れて減薬とあいなった。双極性障害が現実のものだったとして、何か注意することはあるんでしょうかと訊いてみると、やっぱりそうやって自分の状態に自覚的なことが大切なので、と先生は答え、まあ、やりすぎないことですねと言うのでこちらは笑った。
 挨拶をして退室するとまたメモを取り、まもなく呼ばれて会計、一四三〇円を払って礼を言い、席に寄って財布とお薬手帳と処方箋を手に用意し、それを持ったまま待合室をあとにした。一旦下まで下ったところでしかし、傘を忘れてきたことに気がついたので階段を上に引き返し、室の外に立てておいた傘を取って戻って、外に出ると宵闇の既に満ちたなか、隣の薬局に入ってみれば、ここも客が一人もいない。処方箋とお薬手帳と保険証を渡し、七六番の用紙を受け取ってベストのポケットに入れておくと、一番手近の席に座ってここでもまたメモである。汗が湧いていて、首筋を湿らせて襟足に薄く流れる。頭上のテレビではラグビーの話題を取り上げており、スコットランドに何とか言う人気選手がいると言い、スコットランド特産の、スコッチ・ビーフと言うのだろうかそれが彼らの重要な栄養源、力の源になっているとか言っていた。まもなく呼ばれた相手は、向こうはこちらのことをどれくらい認識しているか知らないが、こちらにとってはお馴染みのU.Tさんである。定型的なやりとりを交わしたあと、調子に変わりはないかと問われたので、逆に元気になっちゃったので、と苦笑し、それで抗鬱薬は良いかなということになりましたと説明した。会計は九九〇円、袋を受け取って礼を言って外に出て、荷物を整理したあと傘をひらいて歩き出せば、また痺れが身体に走って、足の裏の、指先ではなくて後ろの方に刺激が響く。アオマツムシの青いような声音が道脇の家の庭木から立ち、そのなかに肉の焼ける匂いが漂ってくるのは、前方の赤提灯の店かららしい。そのこじんまりとした焼肉屋の前に掛かった頃、にわかに雨が激しくなって、幼児を抱き上げた男性が、急げ、急げ、と胸の息子に向かってあやすように掛けながら濡らされていた。
 駅へ入って改札を抜け、ホームに下りると立川方面の電車が発ったばかりでベンチに誰もおらず、そこに座って無人だからとリュックサックも隣の席に置き、またまたメモを取っていると外では雨が嵩んで響きが空間を埋める。やって来た電車に乗って座り、メモ書きに過ごして青梅に着いてもすぐには立たず、少ししてから車両を移動して、屋根のあるところから降りて改札に向かった。駅舎を出ると駅前には若い女性らが集っていて、すごく降ってきちゃったねと呟いていたがこちらはそのなかに、傘をひらいて突っ込んで、雨は実に激しく下手に動くと濡れそうだから俯いて脚だけ動かして、地面が白く毛羽立つのを見ながら職場に向かった。
 職場の前でばたばたと傘を開け閉めして水気を弾き、入るとデスクに就いた室長が早いと漏らすので、早いですよねと笑い、医者に行って、いつもは結構時間が掛かるんですけれど、今日は誰もいなかったんですよと説明すると室長は笑った。それから靴を履き替えながら、今、めっちゃ降ってきましたよと言うと、日曜日の模試も中止になったのだと返答があり、会社の方でも本部から、明日は全部閉めろと命令が下って、新宿でも小田急百貨店が全部閉めるという話だと情報が与えられた。
 座席表を見れば今日当たる生徒は、全員久しぶりの相手で、(……)(高三・国語)に、(……)くん(中一・国語)、それに(……)さん(高一・英語)である。高校生の国語が当たっているから予め文章を読んでおかねばなるまいなと思いながら、ひとまず奥の席に就いてまたメモを取り、それが終わると予習に入って現代文のテキストを読んだ。竹田青嗣の文章があり、いわゆる「クレタ島人のパラドックス」を取り上げながら、言語のみで表された一般的命題と具体的発話の違い、要は文脈があるかないかということで、「クレタ島人のパラドックス」のような発言が現実にクレタ島人の口から発された場合には、受け手はその一般的な意味だけではなくて発話者の意図を推測して受け取ることになるから、パラドックスは実際には生じないというようなことを説明していて、なかなか明快でわかりやすい文章で、この議論は先般Mさんがブログで述べていたトロッコ問題の思考実験に対する批判とも重なり合う。ほか、前田英樹という人の文章もあって、確かこの名前は、自分としてもどこで知ったのかわからないが、ソシュール研究をしている人ではなかったかと思ったのだが、この時読んだ文章では柳宗悦民藝運動などについて語られていた。それで今、ウィキペディア記事を見てみると、確かに最初はソシュール研究者だったのだが、その後色々と幅広くものしているらしい。
 そうして授業に入ったのだが、昨日(……)先生が来なかったのに引き続き、今日は(……)先生が来なかった。(……)さんがこちらの担当する席の近くにいて、それなのにそこに講師の姿がなかったので気がついたのだが、入口近くの座席表の近くに行って、これはトラブルですねと(……)先生に向けて口にして、英語ならば受け持てるが数学では無理だと言ってどうしようかと困っていると、(……)先生が(……)さんに、今日だけ英語に変えてもらって良いかと提案して、それが通ったので、それじゃあ僕がやりますよと余分の仕事を引き受けた。久しぶりの一対四である。さすがに四人を相手にするとなかなか忙しく、英語の二人はわりあい充実させることが出来て、(……)さんも何となく満足そうな様子だったが、国語の二人の方はほとんど自分で解かせて、あまり突っ込んで確認したり解説したりすることが出来ず、漫然とした授業になってしまった。しかし四人相手だし、正直なところそこまで細かくきちんとやろうという意欲もなかったのだ。急遽受け持った(……)さんの話に戻ると、今回は動名詞不定詞の違いと言うか、動詞によってこのどちらを目的語に取るか決まっているものがあるという話をしたのだったが、そもそも彼女はまずもって、動名詞って何ですか、不定詞って何ですかというレベルの生徒なので、本当は問題も一文ずつ細かく取り上げてみっちりと解説したかったところ、しかし四人相手ではそれも難しい。多分自分は、マンツーマンの家庭教師の方が向いているのだろうと思う。そのほか、受験を控えている(……)くんは評論文がネックだと言い、学校で模試など受けていてもどうしても時間が足りなくなってしまうと言うのだが、こちらとしてはスピードを求めて読みが粗雑になるよりは、練習の内はむしろじっくりと、一文一文の意味を良く理解しようと心掛けて読んだ方が実力アップに繋がるのではないかと助言した。あとはやはり読み慣れというものはあって、読んだ量は確実に物を言う、とも告げたのだったが、そう考えてみると幼少期からの読書習慣というものはやはりとても大事である。実際、言語がすべての基礎なのであって、言語が貧しければ世界も貧しくなってしまう。
 終業後、生徒たちを見送って片付けをして退勤に向かった。入口で靴を履き替えていると室長が、ちょうど一年前に挨拶に来ましたねと言う。そう、先日日記でも読み返したが、前室長の(……)さんが辞めたのが一年前のこの時期だったので、その際、病を押して挨拶に出向いたのだった。あの時は表情がなかった、と室長は言うので、ピークのちょっととくらいでしたねと受けて、職場をあとにした。
 駅前には雨風に落とされた薄緑の葉っぱたちが、裏側を見せてたくさん散乱している。改札の横に運行情報を記した紙が掲示されており、それを見ると、青梅線は翌日は一一時から停まるとのことだった。改札を抜けるためにSUICAを機械に当てると、残額がもう四〇〇円ほどしかなくて、そろそろチャージをしなければならない。ホームに出ると既に奥多摩行きは着いていたので乗ってメモ書きし、最寄りに着いて降車すると、ベンチに寄ってコーラを買い、メモを取りながらゆっくりと飲んだ。そのあいだ雨音は高まったり抑えられたりと波があるが、しかし全体としては雨は強まりつつあるようだった。ゴキブリらしき黒く小さな影が、ホームの端を動き回っていた。
 現在時までメモを追いつかせると階段通路を抜けていき、駅舎を出て傘をひらけば足もとには楓の落葉が散らばっていて、濡れて暗いがそれらが赤褐色なのに、もう色が変わりはじめているかと木を見上げれば、しかしまだ葉は大方緑のなかに、装いを変えた気早な個体がいくつかあって、それらが早くも枝から身を離したらしい。通りを渡って坂に入れば街灯のない箇所はひどく暗くて、足もとが黒い水のなかに包まれたように視認できず、周囲からは雨音ばかりが立って響く。夜道には黒鏡が生まれて街灯の分身がそこに映りこみ、歩みについてくるかと思えばゆっくりと離れてもいき、前方に目を通すと光は道路上に長く引かれて、途中にひらいた水溜りのなかにも捕らえられて魂のように白い。
 帰宅するとリュックサックを下ろして台所に入り、カレーを確認するとまだ二人分はありそうで、隣のフライパンには茄子が炒められている。父親は風呂に入っているようだ。卓の方に移動するとテーブルの上にはこちら宛の封筒があって、何かと思って、一瞬Uさんから手紙でも来たかと思って裏返せば、A.Y子という立川の叔母の名があったので、図書カードだなと思い当たった。それで鋏で封筒を切りひらき、なかから図書カードを取り出して下階へ下りると、コンピューターを点けてワイシャツを脱ぎ、スラックスに肌着の姿で荷物をそれぞれの場所に戻した。それからスラックスも脱いで廊下に吊るしておき、Twitterをちょっと覗いてから上階に行くと父親が風呂から出ていたので、ただいまと挨拶をして洗面所に入り、ワイシャツとハンカチを籠に収めておいてからカレーを熱した。炒めた茄子の方は電子レンジで温めて、そのほか千切りにした大根とシーチキンを和えたサラダがあったので、父親からボウルを受け取ってそれも皿に盛り、卓へそれぞれ運んで座って夕刊を引き寄せれば一面に、トルコ軍がクルド人の戦闘員二二八人を殺害したと知らせがあって、本当に戦争だなと思った。ものを食べながら炬燵テーブルに就いた父親に、薬減ったぞと告げると、良かったなと相手は受ける。種類は同じで夜だけになったと説明すれば、まあ症状はまちまちだろうけど、早く回復した方かもなあと言うので、それはそうだと同意した。さらには昨年一月の変調前と比べてどうかと問われるのには、日記の詳細さという点を指標にするならばおそらくその頃よりも良くなっているし、何故だかわからないが最近は頭も結構回るようになってきたとも思うのだが、そのあたりを説明するのが面倒臭かったため、どうかな、わからんな、と曖昧に受けた。食後、水を汲んできて薬を飲み、皿を洗ったあと入浴に行って、浴室に入ると窓を開けて、雨の音を聞きながら湯のなかで、一〇時半から二〇分ほど微睡んだため、そのあいだに脳内で遊動した思考は覚えておらず、と言うか思考というほどのものは生じずに、夢のようなイメージにただ巻き込まれていたのではないか。心身は結構重たるい感じがしてなかなか湯のなかから抜け出せず、ようやく出てくると髪が伸びて厚くなっているので、それを乾かすのにまた時間が掛かる。パンツ一丁で洗面所を抜けると、湯沸かしのスイッチを切ってハーフ・パンツを履くが、見れば炬燵テーブルにまだ就いている父親は、今日は静かにしているのかと思っていたところがまだ酒を飲んだのだろうか、この時はテレビの、『ドキュメント七二時間』を見ながらまたやたらと頷きを繰り返している。何だか知らないが感動しているようで、もしかするとちょっと涙したのかもしれないという様子だったが、この感じやすさ、俗情の結託ぶりは一体何なのだろうか。母親はそんな父親に呆れたのか、既に下階に下がったようだ。こちらも室に下りて急須と湯呑みを持ってきて、テーブルの端で緑茶を用意していると、今日の『ドキュメント七二時間』は献血車に密着する企画だったようで、お前、献血やったことあるのかよと父親が訊いてきた。ないと端的に答えると、献血やれよ、大事だよと彼は言い、それからちょっとしてしかし思い当たって、薬を飲んでると出来ないんだと続けた。飲んでいても献血出来る薬と、出来ない薬とがあるらしい。
 緑茶を持って自室に帰り、LINE上でT田が、こちらがSさんのブログから引いた文章を読んだらしくて、良くもわからないけれど良い文章だと言うのでそれに返信しておき、上半身裸のままで茶を飲みながらメモを取れば一一時二〇分に達する。Mr. Bigの"Electrified"が頭のなかに流れていたので、それから英文記事を読みはじめたが、その途中で、緑茶による汗と暑さが大方引くとヘッドフォンをつけてMr. Big『Get Over It』を流しはじめた。読んだ英文記事というのは、Brad Evans and Zygmunt Bauman, "The Refugee Crisis Is Humanity’s Crisis"(https://www.nytimes.com/2016/05/02/opinion/the-refugee-crisis-is-humanitys-crisis.html)である。

・redundant: 冗長な、不要な、余剰の
・heyday: 全盛期
・trajectory: 軌道
・eke out: 辛うじてやりくりする
・concoct: でっち上げる
・eminently: 極めて、著しく
・gestate: 懐胎する
・premonition: 予感、兆候
・reductive: 還元主義の
・tenuous: 希薄な、薄っぺらな

 ちょうど三〇分読んで日付が替わる前、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』の書抜きに入って、三箇所を写してこの本の書抜きは全部終了した。総計で三万字ほど抜いている。それから『Mr. Big』を聞きながら日記を書きはじめ、途中で自分のブログにアクセスしてみると、何やら通知が一つ入っていて、見ればSさんが自身のブログでこちらの記事に言及してくれたようだったので、有り難く感謝し、それで彼のブログに入ってざっと読んでみるが、まさか自分がSさんの最寄りに訪れていたとは知らなかった。これで行き方はわかったので、いつでも会いに行くことが出来るというわけだ。
 日記を進めながらT田ともLINE上でやりとりを交わした。俺が書いたカフカの小説の分析はどうかと訊いたのだったが、カフカの小説は読んだことがないから分析が妥当なのかはわからないが、自ら拵えた秩序を自ら乱しに掛かるというのは、音楽で言うと二〇世紀前半の作曲家たちが調性感から脱却しようとして無調を追い求めたのと似たようなものだろうかと言うので、カフカも同じく二〇世紀前半にものを書いた人間だし、まあ近いところはあるかもしれないとひとまず答えておいたのち、しかしカフカの場合はそれを構築的に予めの目的として目指すのではなくて、言語の自律性や自分の生理に身を任せた結果として自ずとそうなったような気味があると言い加えた。
 そうして一時四〇分から読書である。読書と言うか、先にも書いた通り、辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』の『城』のなかの、二〇五頁から二〇八頁に書けて繰り広げられるKとおかみとの対話を、ちょっと細かく追ってみようというわけで、分析を読書ノートに書き連ねていただけなので、従って頁はほとんど進まないうちに、両目の奥がひりついて睡気が少々滲んできたので、二時過ぎから椅子を下りて立ち上がり、景気づけというわけでもないがMr. Big『What If...』を流した。読書ノートに書き込みを終えるとほんの少しだけ先を読み進めて、三時二〇分頃に睡気に耐えかねて就床した。
 その『城』の、二〇五頁から二〇八頁の問答について。まずおかみはクラムの秘書モームスを示して、「あなたにとってクラムへ通じているただ一本の道はこの秘書のかたの調書を通っていっている」(205)と指摘する。秘書を通すことで、クラムと何らかの接触を持てる、と取られる発言だが、しかし彼女は、「その道はクラムのところまで通じているのではなく、おそらくクラムのところへ達するずっと手前で終っているのです」と但し書きをつけることも忘れない。「そのことについて決定するのは、この秘書のかたの考えによるものなのですよ」と続く発言からすると、モームスこそが、Kをクラムに繋げるか否か決める力を持っていると理解できる。
 しかし、その後Kが、「調書ができれば、私はクラムのところへ出ることが許される」のか(206)、と尋ねるのに対して秘書モームスは、「いや」と否定し、彼に「そんなつながりはありませんね」と言って、Kの期待をすげなく払いのける。おかみの言い分は間違っていたのだ。そのことを非難するように、Kが「黙ったまま、おかみを見つめ」ると、しかし彼女は、「何かそれとちがったことをわたしがいいましたか」と高飛車に返し、Kの方が彼女の発言を曲解していたのだと主張したあと、彼が「クラムに迎えられる見込みなんか、ちょっとでもないのだ、ということは前からいっておきました」と原点に立ち戻る。彼の「期待」を否定するおかみに対してKの方は、自分の「誤解」(207)を詫び、おかみの発言を「何かほんのわずかばかりの希望が私にはあるのだ」という意味に理解してしまったのだと弁解する。Kが「クラムに迎えられる見込みなんか、ちょっとでもないのだ」(206)という先の発言からすると、彼のこうした解釈は誤りだということになるはずなのだが、ところが次におかみは、「そうですよ」と受けてKの理解を追認し、「あなたにとってのそういう希望は、わたしの考えによれば、あるんです」(207)という見解を述べるのだ。これは明らかに、前言を翻していないだろうか? Kにはクラムに会えるという「希望」があるのかないのか、一体どちらなのか? 「あなたはまたわたしの言葉をねじ曲げていらっしゃるのよ」とKを非難するおかみは、その矛盾を放置したままに意見を進めて、「わたしがここでいう希望っていうのは、あなたが調書を通じてクラムと一種のつながり、おそらく一種のつながりをもつということのうちにあります」と述べる。どうやら最終的におかみは、希望があるという方に傾いたようだが、しかし奇妙なことに、「もちろん、この希望についてくわしいことは申せません」と、当然の如く言ってのける。「希望」の内実は茫漠として明らかでなく、Kが仮にクラムに会えるとしても、具体的にどうやってそれを実現するのかはわからないのだ。しかし、「調書」がそのための鍵となっているのはどうやら疑いないようで、と言うのもおかみは、「調書」によってKは、クラムの「前で話す機会」を得るのみならず、「おそらくはもっとずっと多くのことができる」だろうと主張しているからだ。しかし、この「もっとずっと多くのこと」とは何のことなのか? ここにも実に見通しの悪い純然たる不透明性が導入されているのだが、Kは当然、霧のなかを敢然と分け進むようにして、さらに詳しいことを知ろうとする。ところが、そんなKの態度に対しておかみは、「あなたはいつでも」、「子供のように、なんでもみんなすぐ食べられるようにしてさし出してもらいたがらないではいられないんですか!」と、厳しく痛烈に叱責する。しかもそれに続けて、「だれがそんな質問に答えられますか?」と反語的な問いを投げ返すのだが、これは一種の「逆ギレ」だと言わざるを得ないだろう。結局のところ、Kがクラムと会える見込みがあるのかないのか、あるいは会えたとして、それよりも「もっとずっと多くのこと」が出来るのか否か、その点ははっきりしないし、仮に出来るとしてもどのようにしてそれが実現されるのか、まったくわからないのだ。
 この対話=問答ではおかみの発言が「行ったり来たり」(『審判』)、左右に揺動し、不明瞭さと戯れるばかりで、ひとつところに確定させられることがない。言葉の意味は揺動の狭間でどちらでもない領域に取り残され、中途半端に宙吊りにされるのみである。上の例に即して述べれば、まず「希望がある/ない」の対立が提示され、意味がそのあいだを素早く行き来するうちに、「希望がある」の項の内実がいつの間にかずらされて、「希望はあるが、その詳細はわからない」という風に微妙に変容させられる。しかしこれでは、「希望はない」と言っているのと、ほとんど変わらないのではないか? 往還の動きに乗じて知らず知らずのうちに概念が変形し、意味の位相が歪められ、その実質が骨抜きにされることで、「希望がある/ない」の二項対立が空無化させられているのだ。このようにしてKは、そして読者もまた、ふわふわとした地に足のつかない浮遊性のなかに、不確定性の煉獄のなかに永遠に置き去りにされることになる。
 カフカの揺動は弁証法的に対立を止揚し、一段階上の高みに統合的な第三項を作り出すのではなく、言語は二項のあいだの往還を繰り返しながら、中性的な位置に留まり続ける。カフカの言葉は弁証法の反復によって究極的な天上の高みを目指していくのではなく、かと言って地にしっかりと足を置いてまっすぐ屹立し、安定的な歩みを運んでいくわけでもない。崇高な宗教性の領分である天空と、散文的な世俗性の世界である地上の間[あわい]、まさしく空中という中間領域に浮遊し、細かく震動しながら風船のようにどこへとも知れず漂流し続けるのが、フランツ・カフカの言語作品の存在様態だ。


・作文
 12:36 - 13:39 = 1時間3分
 13:51 - 14:08 = 17分
 24:26 - 25:25 = 59分
 計: 2時間19分

・読書
 14:09 - 14:52 = 43分
 15:18 - 16:25 = 1時間7分
 23:23 - 23:53 = 30分
 23:58 - 24:25 = 27分
 25:41 - 27:17 = 1時間36分
 計: 4時間23分

・睡眠
 4:30 - 11:00 = 6時間30分

・音楽