2019/10/16, Wed.

 小説の風景描写や対物描写がまどろっこしくて邪魔だと考える読者はいまでは少なくありません。それどころか、小説家自身が描写を回避したり、そもそも描写ができなかったりするケースも増えています。地の文は斜め読み程度、会話部分だけを拾って読む読者までいるのだとか。ようするに、おおまかなストーリーさえ把握できれば、それでいいのだという読書ですね。
 だけど、登場人物の心理状況を「幸福だった」という言葉で直接的に「説明」してしまうのではなくて、その人物の目に映った光景や物を描きとることで幸福さを間接的に伝える技法こそが、ウソくさい文字表現(なにせ紙にインクがのっているだけですから)にリアリティを与えてきたはず。そして、それこそが近代小説を近代小説たらしめてきたのだし、そこに無限のアレンジの余地もあった。むしろ、そこにしか近代小説の存在意義はないのだといいきってしまってもかまわないくらいです。技法のバリエーションが次々と誕生し、進化を遂げてきた。進化の過程がそのまま日本の近代文学史になってもいます。
 それなのに、いまはこの描写がノイズとして処理される。ぐだぐだ迂回してないで「幸福だった」とひと言書きゃいいじゃないかというわけです。現にそういう小説は増えている。たしかに物語の展開は圧縮され、そこに疾走感やリズムが生まれます。けれど、「幸福」という最大公約数的な言葉からは当然、個別の細部がどろどろこぼれ落ちていく。それでも、わたしたちは要点となる情報を列挙されるだけで、上手くいけば「泣く」ことができてしまう。「感動した」のインフレも同根です。匿名掲示板やSNSをはじめ、ネット上で奇形的に進化した文体はまさにそういうものでした。しかし本来、小説は要点となる情報やストーリー以外にも目をむけるべき要素を大量に抱えこんでいたはずです。
 (大澤聡『教養主義リハビリテーション』筑摩選書、二〇一八年、182~183; 大澤聡「全体性への想像力について」)

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 話をもどして、大正期に入ると、いわゆる「大正教養主義」が花開きます。新カント派で文化主義的で、哲学や文学など、現在でいう人文書の読書をとおして人格の確立を目指す。その人文書を体現したのが一九一三年に創業した岩波書店ですね。なかでも、一九一五年に刊行開始された「哲学叢書」は"岩波書店といえば哲学"という路線を決定づけましたし、大正教養主義のおもな固有名はこの叢書のラインナップとほとんど重なっている。二十年後に大宅壮一が「遊蕩人格四兄弟」と題した文章のなかで、阿部次郎、安倍能成小宮豊隆和辻哲郎の人物評論を展開しますが、漱石門下のこの四人あたりに大正教養主義は代表されます。
 第2章の冒頭で触れたきり話は流れてしまいましたが、「大正教養主義」という用語を世間にひろめたのは唐木順三の『現代史への試み』でした。戦後まもなく一九四九年に刊行されました。戦前にも「教養主義」という用語はなくはなかったけれど、実際に人びとがイメージできるようになったのは唐木の議論あたりからです。そこで唐木は、日本の近代化を「「型」の喪失」のプロセスだと定式化している。明治期の社会のベースにあった修養という型が消失して、大正期には「あれもこれも」の教養へとスライドしたといいます。
 維新前後生まれの森鴎外夏目漱石二葉亭四迷内村鑑三西田幾多郎らは、「素読派」に分類できる。彼らが型を重視したのに対して、明治二〇年代以降に生まれた人物たちは「教養派」だというわけです。さきほど、集中型読書の一つのあり方として「ときに声に出して読む」をあげましたが、まさに素読は朱点を入れたり(重要な箇所に朱墨でぽんぽんぽんっと傍点を振る)、師匠の声にあわせて読んだりといった身体性をともなった、それも集団的な動作が基本にある。かたや、教養派の読書は孤独な黙読が基本。とすると、 "集中型読書から拡散型読書へ" は前田愛が『近代読書の成立』で指摘した "音読から黙読へ" ときれいに並行する現象であるように見えます。が、ことはそう単純ではありません。というのも、ぐーっと「内面的生活」(唐木の言葉です)にこもる孤独な読書によって、かえって「集中」度が上がるからです。つまり、拡散型読書の時代にまたちがった意味での、つまり量的ではなく質的な意味での新しい「集中型読書」が出現する。「集中」の位相が移行するわけですね。
 昭和期に入るころになると、唐木が批判する教養主義も早々に後退して、マルクス主義が急速にひろがる。じつは「教養主義の鬼子」だったんじゃないかという解釈は第2章で見たとおりです。「あれもこれも」のひとつとして輸入文献学的にマルクス主義を消費してしまう。たとえば、小林秀雄はそうした相対主義的な時代状況を一九二九年のデビュー作のなかで「様々なる意匠」と表現したわけでしょう。フラットに並んでいるなかから選択しているにすぎない。まさに大正教養主義の申し子といってよい三木清が実存的なパスカル論でデビューした直後、一九二七年にいっきにマルクス主義へと転回していく軌跡はそのわかりやすいケースです。
 そのマルクス主義も、満州事変以降の時局の進展とともに影響力を弱め、弾圧の度合いが増す一九三〇年代後半、昭和一〇年代、つまり日中戦争期になると、ほとんど壊滅状態におちいります。そこにぽっかり生じた空白に教養主義が復活してくる。「昭和教養主義」とも呼ばれるそれは、河合栄治郎の「学生叢書」全一二巻がマスト・アイテムですが、このシリーズによって教養主義的ライフスタイルのマニュアル化が試みられます。いかにも大衆社会時代の教養消費といった雰囲気がある。東京帝大の、それも経済学部の河合によって人格主義リバイバルがもたらされたことの意味は第2章で触れたとおり。
 (190~191; 大澤聡「全体性への想像力について」)


 一一時過ぎまでのうのうと惰眠を貪る。カーテンをめくれば外は今日も引き続いて真っ白な曇り空、ただし昨日よりは光の感触が幾分含まれているようだった。一一時二〇分に至ってようやく身体を起こし、コンピューターに寄ってスイッチを押し、各種ソフトのアイコンをクリックして準備をさせているあいだに便所に行った。戻ってくるとTwitterやLINEを覗き、それから上階へ、洗面所で顔を洗って髪に櫛を入れ、そうして冷蔵庫を覗くと特に食べ物がなかったので、例によって芸もなくハムと卵を焼くかと思ったところがハムもない。それなので代わりに豚肉の切り落としを使うことにしてパックを取り出し、フライパンに油を引いて熱した上から肉を何枚か、箸でつまみ上げて置いていった。さらに卵を二つ割り落とし、肉の赤味が消えるまで加熱すると丼の米の上に取り出した。そうして卓に就いて新聞を寄せながら食っていると、畑に出ていたらしい母親が階段を上がってきて、どうも良い匂いがすると思ったと呟いた。小松菜を取ってきたようで、台所で野菜を洗う母親は、虫がたくさんいたと言ってみせて、あれを見ると何だか食べる気なくしちゃうなと漏らした。その母親がさらに前夜の汁物の残り一杯を温めてくれたのでそれも受け取り、食べながら読んだ新聞は、一面で引き続き台風の被害を伝えており、全部で五二だかの河川で氾濫があったと言い、犠牲者は福島県が一番多くて二七人、次いで宮城と神奈川が一四人と書かれてあった。こちらの住んでいる東京は一人である。一面にはそのほか、隅の方に小さく、天皇の即位に伴う恩赦が五五万人に施される見込みだという記事があったと思う。めくって国際面では、シリア軍がクルド人と共闘してトルコに対抗する見通しだと述べられており、どうやら内戦がまた激化する模様だ。
 ものを食べると食器を洗い、それから風呂に行って、"アイタイ"のメロディを頭のなかに流しながら浴槽を洗って出てくると、母親が窓をちょっと拭いてくれと言う。それで居間の南窓に近づき、布巾を受け取って外に手を出し、外側から窓に付着した汚れを除こうとしたところが、乾いた布巾では取れないので母親に頼んで布を濡らしてきてもらい、それで何度も擦ってようやく汚れを消し去ることが出来た。そうして仕事を仕舞えて下階に戻ると、急須と湯呑みを持ってふたたび上がり、緑茶を用意する傍らテレビに目を向ければ芸能ニュースが伝えられていて、何でもX JAPANYOSHIKIが自身でプロデュースした着物の披露会を催したらしく、そのイベントの名前が「YOSHIKIMONO」だと言うから、何てダサいネーミングなんだろうと思わざるを得なかった。自らの名前をイベントのタイトルとして堂々と冠してしまう厚顔さと、語尾と語頭の音の一致という一点のみによってまったく関係のない二語を不格好に繋げてしまうという安直さ。実際に作られた着物の質については門外漢のこちらには無論わかるはずもないが、このネーミング・センスだけでもYOSHIKIという人間が持っているどうしようもない俗っぽさが証されているように思われる。そのYOSHIKIは報道陣からラグビー日本代表の快進撃についてどう思いますかなどと訊かれたらしく、着物のイベントでラグビーについて、それも特にそれについて一家言あるわけでもないだろう音楽家に尋ねることそれ自体の意味がまずあまりわからないのだが、おそらくYOSHIKI当人もラグビーの熱心なファンというわけではないのだろう、ちょっと戸惑ったような愛想笑いを浮かべながら、本当に凄いことですよねと無難な言を口にして、最後に「Xパワー」を送りますなどと言って締めていた。
 茶を持って自室に戻ると寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeで流し、メロディを口ずさみながら早速一年前の日記を読みはじめたが、サルトルの手紙からの引用は措いても日記本文はたった二行しか記されておらず、何か言及しておくような情報はない。二〇一四年一月一七日の日記も同様に大した内容を含んだものでなく、さっと流し読んでからfuzkue「読書日記」も一日分通過すると、Ward Wilson, "The Bomb Didn’t Beat Japan … Stalin Did"(https://foreignpolicy.com/2013/05/30/the-bomb-didnt-beat-japan-stalin-did/#)をひらいた。米国の原爆投下は戦争を終結させるために必要だったという甚だしく巨大な「物語」を脱神話化する試みで、少なくともこちらには充分な説得力を持っているように思われる。米国民の戦争観念にとって都合の悪いこのような説を打ち出す人間は然るべき地位から排除されたり、その学説は完璧に無視されたりするものではないかと思うが、Foreign Policy誌に寄稿できるということは、そういうわけでもないのだろうか。この人の著作は『核兵器をめぐる5つの神話』として邦訳されているようなので、これも読んでみたいところだ。

・pummel: 拳で殴る; 打ちのめす
・decimate: ~の多数を殺す
・sweep ~ under the rug: 失敗などを隠す、臭い物に蓋をする
・apportion: 分け合う、分配する
・tantamount: 等しい
・demolish: 廃止する
・airtight: 気密性の; 隙のない、完璧な
・traction: 牽引力
・feasibility: 実現可能性
・pundit: 評論家
・cozy up to: 親しくなろうとする、擦り寄る
・vested interest: 既得権益
・subset: 大集団のなかの小集団、部分集合

Put yourself in the shoes of the emperor. You’ve just led your country through a disastrous war. The economy is shattered. Eighty percent of your cities have been bombed and burned. The Army has been pummeled in a string of defeats. The Navy has been decimated and confined to port. Starvation is looming. The war, in short, has been a catastrophe and, worst of all, you’ve been lying to your people about how bad the situation really is. They will be shocked by news of surrender. So which would you rather do? Admit that you failed badly? Issue a statement that says that you miscalculated spectacularly, made repeated mistakes, and did enormous damage to the nation? Or would you rather blame the loss on an amazing scientific breakthrough that no one could have predicted? At a single stroke, blaming the loss of the war on the atomic bomb swept all the mistakes and misjudgments of the war under the rug. The Bomb was the perfect excuse for having lost the war. No need to apportion blame; no court of enquiry need be held. Japan’s leaders were able to claim they had done their best. So, at the most general level the Bomb served to deflect blame from Japan’s leaders.

But attributing Japan’s defeat to the Bomb also served three other specific political purposes. First, it helped to preserve the legitimacy of the emperor. If the war was lost not because of mistakes but because of the enemy’s unexpected miracle weapon, then the institution of the emperor might continue to find support within Japan.

Second, it appealed to international sympathy. Japan had waged war aggressively, and with particular brutality toward conquered peoples. Its behavior was likely to be condemned by other nations. Being able to recast Japan as a victimized nation — one that had been unfairly bombed with a cruel and horrifying instrument of war — would help to offset some of the morally repugnant things Japan’s military had done. Drawing attention to the atomic bombings helped to paint Japan in a more sympathetic light and deflect support for harsh punishment.

Finally, saying that the Bomb won the war would please Japan’s American victors. The American occupation did not officially end in Japan until 1952, and during that time the United States had the power to change or remake Japanese society as they saw fit. During the early days of the occupation, many Japanese officials worried that the Americans intended to abolish the institution of the emperor. And they had another worry. Many of Japan’s top government officials knew that they might face war crimes trials (the war crimes trials against Germany’s leaders were already underway in Europe when Japan surrendered). Japanese historian Asada Sadao has said that in many of the postwar interviews “Japanese officials … were obviously anxious to please their American questioners.” If the Americans wanted to believe that the Bomb won the war, why disappoint them?

Attributing the end of the war to the atomic bomb served Japan’s interests in multiple ways. But it also served U.S. interests. If the Bomb won the war, then the perception of U.S. military power would be enhanced, U.S. diplomatic influence in Asia and around the world would increase, and U.S. security would be strengthened. The $2 billion spent to build it would not have been wasted. If, on the other hand, the Soviet entry into the war was what caused Japan to surrender, then the Soviets could claim that they were able to do in four days what the United States was unable to do in four years, and the perception of Soviet military power and Soviet diplomatic influence would be enhanced. And once the Cold War was underway, asserting that the Soviet entry had been the decisive factor would have been tantamount to giving aid and comfort to the enemy.

 記事を読み終えると緑茶をおかわりしに行って、すると母親は台所で即席の蕎麦を鍋で拵えており、あとで食べていくかと訊くので肯定した。それから彼女は、私の名前でAmazonで何か頼んでないよね、と訊く。無論こちらは何も注文していないのだが、Amazonからの包みが届いたとの話で、見れば確かに炬燵テーブルの上に薄っぺらい段ボールの袋が載せられてあって、兄と智子さんが真菜ちゃん用の絵本か何かでも頼んだのではないかと母親は推測を述べるが、大方そのようなところだろうとこちらも同意した。緑茶をふたたび注ぐあいだ、テレビのニュースは各地での台風被害を相変わらず伝えている。
 自室に帰ってくるとJapan Timesに寄稿されていた三浦瑠麗の英文記事、Lully Miura, "What's behind Japan's political stability?"(https://www.japantimes.co.jp/opinion/2019/09/27/commentary/japan-commentary/whats-behind-japans-political-stability/#.XaaQX__APIV)をひらいて、途中まで読めば時刻は一時に達する。

Most outstanding was Reiwa Shinsengumi voters’ desire for change and their anti-elitism sentiment. According to the survey, 72 percent of Reiwa Shinsengumi voters were desperate for change even if it entailed some chaos, and 80 percent wanted a strong leader to disrupt vested interests (the average among all survey respondents was 26 percent for both questions), while 91 percent said Japan is going in the wrong direction (the overall average is 61 percent).

The driving force of the movement is distrust in political establishment, the media and the bureaucrats. A strong sense of anti-establishment sentiment is shared across both low-income and upper middle-class segments. Although some Reiwa Shinsengumi voters embrace pure leftist ideologies, the energy behind this movement is a strong emotion of disenfranchisement from the existing political apparatus. And it is in this sense that Reiwa Shinsengumi has the potential to gather more support going forward — as is the case in other advanced democracies.

 さらに今日も「週刊読書人」から一記事読もうというわけで、宮台真司苅部直渡辺靖「民主主義は不可能な理想か コモンセンス(共通感覚)が壊れてしまった世界で」(https://dokushojin.com/article.html?i=2585)にアクセスした。音楽は16FLIP『Ol'Time Killin' Vol. 4』を流し、軽快なリズムのなか、歯磨きをしながら記事を読み進めた。啓発的な論点が様々あって、引用がやたらと長くなってしまう。

苅部  今年の衆院選のときの東大新聞の調査によれば、回答者の東大生のうち51%が比例代表自民党を選んでいます。

宮台  僕の勤める大学も同じ。若い人ほど正しさじゃなく損得に反応するのです。(……)

 以下の記述には宮台真司ってこんなことをやっているのかと、まさしく糞笑った。小学生という存在は糞尿の話がとても好きである。

宮台 損得男が増殖し、引き摺られて損得女も増殖しつつあるなら、社会はよくならず、学知も尊重されない。ならば子育てから始めるしかない。そこで、僕が子どもたちと一緒に学校まで歩く。子どもは嫌がるけど偶然同じ道を散歩しているだけだと言う。それで電柱や路面に蝋石でウンコを描く。「ウンコのおじさん」としてあっという間に有名になり、授業参観日に学校に行けば休み時間にはクラス中の生徒たちが「ウンコのおじさんだ!」と叫びながら飛びかかってきます(笑)。

 そのほか、色々と引用。

渡辺 (……)最近一ヶ月ほど北京に滞在しながら考えていたことですが、民主主義に対して、それを見下すというか、懐疑心が強まっている。これまで国際社会では民主主義があるべき規範であり制度であると語られていたけれど、現状はどうか。結局は企業と同じように、目先の利益しか顧みない。政治家は次の選挙に最大の関心があり、社会をどう立て直すか、長期的なスパンで議論することができない。それに比べると、中国共産党は、人権などの面で多少乱暴な面はあるけれど、よりダイナミックなビジョン、いわば社会全体としての「物語」を描くことができる。「チャイニーズ・ドリーム」「中国の特色ある社会主義」「一帯一路」といったスローガンが典型的です。つまり、民主主義よりも中国共産党の方が優れているのではないか。そんな自信を中国のエリートから感じました。

苅部 ただ、アメリカと西欧でいま起きている政治現象を「ポピュリズム」と呼んで、デモクラシーの病理現象のように批判するのに対しては、僕は疑問をもっています。そもそもトランプのような人も大統領になれるのは、政治制度としてのデモクラシーの美点ですし、その面だけ見れば正常運転でしょう。手前味噌になってしまいますが、編集委員を務めている『アステイオン』八六号で「権力としての民意」というポピュリズム特集を組みました。そのなかでアメリカ政治史の岡山裕さんが「アメリカ二大政党政治の中の「トランプ革命」」という論文で指摘しているのですが、トランプが従来の政策を大胆に変えようとしても、権力分立の政治制度に阻まれて、必ずしもうまくいかない。現在みられるように、裁判所や上院が実際に抵抗力を発揮しています。だから結局トランプも「立憲政治の王道」にのって、議会の共和党と連携を進めなくてはいけないというのが岡山さんの見通しでした。もしも仮に乱暴な政治家が最高権力を握ったとしても、それをチェックするシステムができている。そうしたデモクラシーの制度の偉大さを、しっかり再確認すべきなのではないでしょうか。そもそも、ろくでもない政治家が選挙で選ばれても、それに対して反対勢力が対抗し競争することで、十九世紀以来、デモクラシーは生き続けてきたはずですから、その歴史の重みを大事にした方がいい。

宮台  チャーチル元英国首相の有名な言葉が示すように、民主政とは内容的な正当性よりも形式的な正統性を調達する装置だとする立場が有力。でも出鱈目な内容の決定を出力し続けるなら、正当性の不在が正統性を怪しくします。民主的決定がまともな内容を出力し続けるにはコモンセンス(共通感覚)が必要です。例えば憲法意志がそれ。憲法など統治を制約する枠組では統治権力は「やっていい」と書かれていることだけをやるのが基本です。つまりオプトイン(ホワイトリスト)式。なのに現安倍政権は閣議決定解釈改憲し、反対する内閣法制局長の首をすげ替えた。宮内庁長官イエスマンにすげ替えた。憲法に「やっちゃいけない」と書かれていないからというオプトアウト(ブラックリスト)式です。
 福田康夫元首相が言う通り、ゲームのプラットフォームを壊すことになるという感覚が政治家にもあったから、「やっちゃいけない」と書かれていなくてもやらなかった。それを安倍政権もトランプも平気でやるのです。政治家や民衆がコモンセンスを欠けば、民主政の手続きを形式的に踏むだけでは出鱈目な内容の政治的決定を抑止できません。議会も裁判所も最終的にはコモンセンスを前提にするのです。コモンセンスが空洞化すれば、大統領や首相は出鱈目な内容の政治的決定を連発し、議会も裁判所も抑止機能を果たせません。誤作動じゃない。民主政が法的プログラムで回わる自動機械に見えるのは形式だなのです。内容はコモンセンス次第。民主政が誤作動しないからこそ民主的に独裁者が選ばれます。

宮台  苅部さんは一九五〇年代のアメリカの話をされた。当時の社会学者で中間層が何を可能にしたのかを分析した人が二人います。ポール・ラザースフェルドとジョセフ・クラッパーです。ラザースフェルドは大統領選挙の分析で、オピニオンリーダー概念で知られる「二段階の流れ仮説」を実証します。人々は小集団のオピニオンリーダーが咀嚼したマスコミ情報を受容、それで誤解や曲解が修正され、民主政の合意可能性が調達される、と。
 その少し前、クラッパーが「限定効果説」を唱えます。第一に、暴力的メディアが暴力的人間を育てるのでなく、暴力的人間がメディアで引き金を引かれるに過ぎないと実証した。第二に、引き金を引かれる度合が対人ネットワークに依存することを実証した。一人で視るか、親しくない誰かと視るか、親しい者と視るか。一緒に視る人間が親しいほど引き金を引かれない。一緒に視なくても事後に番組について話せる親しい相手がいれば引き金を引かれない。かくして番組内容よりも受容環境の管理が必要なのだと結論しました。
 二人の仮説から分かるのは、中間層があればいいということではなく、中間層が可能にしたソーシャル・キャピタルが人々の分断と孤立を防いで姑息な動員にしてやられる可能性を抑止するというのがポイントです。分断と孤立を防ぐソーシャル・キャピタルが得られるならば分厚い中間層がなくてもいい。アンソニー・ギデンズが言うように英国の階級社会では貴族階級と労働者階級の双方が独特のソーシャル・キャピタルを保持していたのです。
 こうした発想はフランクフルト学派の「権威主義的パーソナリティ論」ともつながる。それによれば、没落意識を持つ人びとが分断されて孤立するほど被害妄想に陥って誇大妄想で埋め合わせます。かくして誇大妄想的プロパガンダに容易に動員される人々が全体主義を駆動します。不安を埋め合わせるための強迫が神経症の正体だとするフロイトの理論を応用したものだから「フロイト左派」とも呼ばれます。ここでもやはり出発点にある不安――没落感や孤立感――を防げれば中間層がなくてもいい。機能主義的思考と言います。

渡辺 中国に行ってよくわかりましたが、キャッシュレス社会が相当浸透していて、個人情報がどんどん取られている。つまり行動パターンが全部読まれているわけです。ビッグデータやAIの恩恵を一番受けているのは中国政府であり、人民の管理統制がより容易になる。シニカルな見方ですが、コモンセンスの醸成を目指していく時、自発的でオーセンティックな感情だと思っていても、実はある特定の政党なり企業によってすっかりコントロールされかねない世界になっている。その中で、果たして市民の主体性などナイーブに信じて良いのか。ミドルクラスの市民的美徳に頼っていいのか。そして、民主主義をもう一回作り直していけるのかどうか。ちょっとした危惧も覚えるのです。

宮台  難しい問題です。僕の院ゼミは過半が中国人留学生ですが、トランプ大統領と比べて習近平中央委員会総書記がどう評価できるかについて興味深い話をしてくれる。トランプは民主的選挙で選ばれているものの、合衆国民全体の幸せを願う公共的動機を持つとは多くが信じていない。習近平共産党独裁下で勝ち上がった権力者ですが、激しい実績競争を通じて公共的動機を持つことを多くが信じている。トランプは一族の「損得勘定」が動機だけど、習近平は中国への貢献という「愛と正しさ」を備えているだろうと。
 難しいのは独裁的権力者が「愛と正しさ」を本当に備えているかです。僕はシュミット問題ないしゴーガルテン問題と呼びます。ルソーが言うように成員が損得を超えた憐れみを持たないと民主政は回らない。ルソーの想定する二万人規模を超えた国民国家も損得を超えた道徳的連帯がないと回らないと考えたのがウェーバー。ところが近代の合理化=計算可能化=手続主義化で行政官僚制が社会全体を覆う。彼は「鉄の檻」の中で人が入替可能な「没人格」になると表現します。人格は損得を超える存在。没人格は損得と規則の自動機械。絶望した彼は心を病みました。絶望を払拭したのがシュミット。カリスマ的指導者が出現すれば大規模定住社会でも成員が損得を超えて道徳的連帯を回復すると考えた。敬虔なクリスチャンならではのイエス待望論。実際カール・バルトの盟友だった神学者フリードリヒ・ゴーガルテン戦間期後期に実際ヒトラーをイエスの再来だと見做しました。でもイエスじゃなかった。シュミットもヒトラーをイエスだと勘違いしたのです。けれどそれは後知恵です。指導者は「損得」を越えて「愛と正しさ」に突き動かされた存在であるべきだと言った瞬間、ヒトラーの如き存在を抑止できなくなるのを、どうしたらいいかです。

苅部  先ほどミュラーの著書『憲法パトリオティズム』の名前を挙げましたが、権力の暴走の歯止めとなるような憲法の機能が、やはり重要なのでしょうね。以前、中国の大学で講義をしたときに現地の研究者から「天皇制をどう思うか」と質問されました。そのときに、いまの憲法における皇室制度の意味について、こう答えたんですね。総理大臣やほかの国務大臣天皇から任命を受ける。国会でも参議院で開会式のお言葉がある。そうすると、好き勝手に権力を行使できないという感覚が、政治家の中に生まれてくる。その効果は決して軽いものではないと。(……)

宮台  苅部さんの話で思い出すのが憲法学者ローレンス・レッシグの言葉。立憲意志は今を生きる人々の全体意志ではなく、人々が思い出せる国の創設者たちの意志だと。創設者たちがどんな思いでレジームを置いたのか。憲法は民衆にそれを思い出させる覚え書。例えば、憲法が想定しない事態がテクノロジーや社会の複雑化で生じた際、創設者たちならどうしただろうかと想像して解釈=改釈する。抽象的には「内在の視座」と「超越の視座」、「直接性」と「直接性からの離脱」の二重化です。近代日本における天皇の役割もまさにそれ。北一輝の言う「国民の天皇」。人々が拙速に結論を出しそうな時、本当にそれでよいかと視座を重層化する営みが必要で、そこで天皇が機能する。山本七平の議論に通じます。絶対神が存在する文化圏では「自分がどう思うか」とは別に「神がどう思うか」に常に立ち戻って直接性から離れられる。日本の場合はせいぜい友達としての八百万の神がいるだけで直接性から離れた視座に立てない。だから天皇なのだと。僕の師匠である小室直樹先生は「天皇がいなければ馬鹿な国民と政治家が暴走する」と表現したけど、正しいと思う。

宮台  何が公共的かという判断が非常に難しいという問題ですね。ジョン・ロールズは一九七一年の『正義論』で、善意・良心は私の領域、公平・正義が公の領域だとしました。公=政治の領域では「お前が俺でも耐えられるか、耐えられないなら制度を変えろ」という原則を貫徹させる。その原則がリベラリズムで、ローティもそれを継承しています。何が良い神か、何が究極の美学かは、合意困難なので「私」に留める。「私」において合意できない人びとが共生の必要から最低限合意する条件が「公」。彼は「残酷の回避」と呼びます。痛いや苦しいのは嫌。死や病気は嫌。否定性は肯定性より合意が簡単。「公」とは「残酷の回避」を実現するプラットフォームだと。ニーチェハイデガー的なものを「私」に押し込め、「公」のハードルを下げるのは、シュミット&ゴーガルテン問題の回避が目的です。
 でも、ローティ自身が九〇年代半ばまでに気づき、二〇〇一年の「九・一一」以降は多くの人が気づくようになった誤謬が含まれます。「残酷の回避」に合意できるのは近代の枠内に過ぎず、それに合意した途端「見えない外部」が抑圧されるのです。一九六五年の公民権法以前は、人権を議論する際も女や黒人が人として数えられていなかったと言います。そうした問題が「九・一一」で露呈したけど、彼は既に九〇年代半ばに処方箋を出している。それが感情教育。感情の民度を上げる=「公」のハードルを上げる試みです。「残酷の回避」は、自明視された「皆」の枠内での「損得」の共有財です。それに留まることは「見えない外部」を抑圧する反道徳。「公」にこそ高度な価値と感情を実装しなければなりません。
 しかし、するとシュミット&ゴーガルテン問題が、「ウンコのおじさん」のヤバさが、再浮上します。どんな道徳的連帯のためにどんな感情教育をするか。もはや簡単に合意できません。そこに注目するのがハーバーマスの「ポスト世俗化論」。ISの勧誘ビデオを視ると、世俗の檻の中でお前たちが社会的に成功しようが所詮は入替可能なコマに過ぎないと語りかけて来ます。ウェーバーの「没人格化論」ないしアクセル・ホネットの「共同体的承認論」に忠実でとても説得的です。ハーバーマスは「公共空間は世俗であるべきだ、宗教者もそこでは世俗の言葉で語れ」と主張してきたけれど、「公共空間で積極的にプライベート・コミュニケーションをせよ」と変化しました。従来のハーバーマス的戦略ではIS加入者を止められないからです。宗教者は公共空間でも超越を語らなければならないと「公」のハードルを上げました。解決策というより困難の再確認に留まりますが、それでも困難に挑戦するし他ありません。

 そうしてこの鼎談記事を読み終え、Twitterに紹介の呟きを流し、Evernoteの方にコピー&ペーストで保存しておくと、一時五〇分から日記に取り掛かった。まず前日分、BGMはBranford Marsalis『Requiem』である。一曲目の"Doctone"から、Kenny Kirklandのピアノが惜しみなく力を発揮しているように感じられた。このアルバムは一九九八年の八月及び一二月に録音されているのだが、Kenny Kirklandがこの世を去る前の最後のレコーディングの一つで、『Requiem』というのは彼に捧げられたタイトルとしての意味合いを持つものだったと思う。
 前日分を仕上げたあとにここまで今日の記事を綴ると開始から一時間が経って時刻は三時直前、一三日と一四日の日記を進めなければならないのだが、何だか面倒臭い気持ちが抜けなくて、むしろインターネット記事を読んだりしたいという欲求の方が強い。
 そういうわけで一三日の記事に取り掛かったもののすぐに中断して、そろそろ腹も減ったので出勤前にエネルギーを補給しようということで上階に行った。母親はもう出掛けたのかと思いきや、ソファに就いてタブレットを弄っていた。蕎麦があると言う。それで台所の鍋を火に掛け、くたくたに煮込まれた蕎麦を温め、そのほか冷蔵庫のなかに茹でられた大根の葉があったのでそれも卓に運び、ゆで卵一つと一緒に並べた。椅子に就くと新聞は読まず、柔らかい蕎麦をゆっくりと啜っていく。母親は何だか寒いねと漏らして、雨は降っていないようだが見れば南窓の外は相変わらず真っ白な偏差のない空である。図書館に行こうかなと母親は言い、その後は仏間の方に移って服とバッグを取り上げて、これじゃ柄に柄で変かなと訊いてくるが、こちらの方は母親の服装になどさしたる興味もないので、良くも見ずに別に、とすげなく返した。ベランダ前に吊るされた洗濯物を温める乾燥機の駆動音が静けさのなかに動いている。
 食事を終えて皿を洗うと自室から急須と湯呑みを持ってきて、先日二俣尾で買った素甘が残っていると聞いていたので茶菓子として頂くことにして、冷凍庫から凍ったものを取り出して電子レンジへ、回しているあいだに一杯目の湯を急須に注ぎ、素甘を取ってくるとそれを湯呑みに移して二、三杯目の分も急須に落とした。そうして塒に帰るとBranford Marsalis『Requiem』をふたたび流し出し、茶を飲んでいるあいだは何となく日記を進める気にならないのでインターネット記事に触れる。「不法移民と犯罪 関連性はあるのか?」(https://globe.asahi.com/article/12436525)と伊藤達也「作家・池澤夏樹が語る「科学という信仰」の限界と可能性」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65341)を読んだがこのなかには引用するほど興味深い情報は含まれず、三つ目の出口治明×デービッド・アトキンソン「日本人はなぜ「論理思考が壊滅的に苦手」なのか」(https://toyokeizai.net/articles/-/288272)に至ってようやくいくらか気になる事柄が見つかった。と言って、彼らだって日本人の非論理性を大上段に指摘して偉ぶっていられるほど、大して鋭敏なことを言っているわけでもないとこちらは思うが、しかし出口治明が言っている、成績優位の採用方式に転換するべきだという意見はまあ普通に正論だろう。そもそも大学生なんて本を出来るだけ読み文章をたくさん書き、いわゆる論理的思考を、それは勿論ただ一つの論理法だけでなく、この世には多種多様な論理の種類があると学ぶことも含むわけだが、つまり平たく言って言語の意味のニュアンスとテクスト分析を、ここで言うテクストとは無論言語で作られたもののみならずこの世界そのものも入れるわけだけれど、そういった思考法を身につけることが仕事なのであって、就職面接の時に大学でどんな文章を書いたのか、どんな本を読んだのか、今まで読んだなかで最も感銘を受けた本は何か、そういったことを尋ねないのは端的に言って意味がわからない。

出口 GDPの世界シェアを購買力平価で計算してみると、約9%から4.1%に減少。IMDの国際競争力は1位から30位に陥落。平成元年には時価総額の世界トップ企業20社のうち、14社が日本企業だったのに、今はゼロです。これで危機感を持たないほうがおかしいと思います。

出口 (……)Googleの人事部は社員の管理データのうち、国籍・年齢・性別・顔写真、これらすべてを消してしまったそうです。そんなものは必要ないからと。
 人事を決めるのに必要なのは、今やっている仕事と過去のキャリアと将来の希望だけ。男か女か、歳はいくつだとかは一切関係ないというのが彼らの考え方で、こちらのほうがはるかに人間的です。世界の優れた企業は社員をとても大事にしている、だからこそいいアイデアがどんどん出てくるという好例だと思います。

出口 本来なら、大学を出た後でもロジカルシンキングの能力は伸ばせます。しかし、就職したら年間2000時間労働で、飯・風呂・寝るの生活。勉強する時間などありません。
 さらに2000時間労働した後で、同僚同士で飲みに行ってお互いに調子を合わせて時間を浪費する。日本は構造的に勉強できない国になってしまっているのです。
 この状況をどこから直せばいいかと言えば、意外と簡単です。経団連の会長や全銀協の会長が、大学の成績で「優」が7割未満の学生の採用面接はしないと宣言する。あるいは卒業してから成績証明書を持って企業訪問させればいいのです。成績採用になったら、さすがに勉強するようになるでしょう。
 それから、残業規制を強化して徹底的に勉強させる時間をつくればいいのです。こうやって、無理やりにでも行動を変えさせない限り、日本の低学歴化は是正されません。
 新しい産業やイノベーションを起こすには、基本的にはダイバーシティーと高学歴が必要です。高学歴というのは、ドクターやマスターといった学位を持っているということではなく、好きなことを徹底して勉強し続けるという意味です。

 茶を飲み終えたあとは便所に行って用を足し、歯ブラシを持って戻ってきて、「生きる目的や倫理は蒸発する 人類が行きつく「幸福なデータ奴隷」とは?」(https://forbesjapan.com/articles/detail/26062/1/1/1)を読んだあと口を濯ぎに行き、仕事着に着替えた。今日身につけたのは白いワイシャツにグレーのスラックス、これは父親から借りている少々ゆったりとしたタイプのものである。それに水色の地にドット模様がついたネクタイを締め、灰色のベストを羽織った。そうして四時半前から日記、ここまで書き足せばもう五時も近い。
 それから一三日の日記を書き足しているあいだに、T田からLINEでメッセージが届いた。梶井基次郎檸檬』をようやく読み終えたと言って、後半の篇から気になった箇所を書き抜いて送ってきてくれたのだった。それをちょっと読んでから、日記を書きつつやりとりを交わして、五時五分で打鍵を中断した。Branford Marsalis『Requiem』の三曲目、"A Thousand Autumns"が流れているところだった。このバラード曲におけるKenny Kirklandのピアノは端的に美麗であり、しかし甘やかさ一辺倒ではなく辛味もいくらか孕んでいるような複雑な色合いが醸し出されていた。
 曲を最後まで聞くと荷物をまとめて上階に行ったが、尿意がひどく、最高潮に達し切迫していて、下腹部が急き立てられていたのでさっさとトイレに入り、茶を飲みつけることで面倒なのは頻繁に排尿しなければならないことだなと思いながら長々と小便を放った。出ると仏間に行って黒の靴下を足につけ、食卓灯も点けておくと玄関を抜けてポストに寄り、夕刊を取って一面を見てみれば、台風によって行方不明になっている一五人を鋭意捜索中と、そんなようなことが書かれており、新聞の中身を知らせる上部の小見出しの横には、最近長篇小説『人間』を発表したらしい又吉直樹の写真が載せられてあった。階段を上って玄関内に入りながらそれらを見て、新聞を台の上に置いておくと扉の鍵を閉めて出発した。明確に寒い夕時だった。ワイシャツ一枚にしか守られていない腕が特に冷たく、それなのに袖を捲っているから余計に冷気が服の内に侵入する。空は一面、真っ白の退屈な、しかしその前にあっては人間の浅ましさを感じさせられるような純粋さを湛えており、それを背景に電線のあいだを渡された蜘蛛の糸や、巣の主の姿が良く見える。左右から湧く虫の音は少なく控えめで、盛りは既に過ぎたようで、道はだいぶ静かに暮れていた。"My Favorite Things"のメロディを吹きながら坂に入ると、入口の排水溝に、台風で流された褐色の葉がたくさん溜まって盛り上がっている。そこを越えて旋律を口内に鳴らしながら上って行くあいだ、一三日のKくんの宅でのことを思い返していた。六時一五分頃だったと思ったが、こちらがギターに夢中になっているとTが、今何時と訊いてきて、ギター演奏を切りの良いところで停めて、シャツの胸ポケットに入れていた腕時計を取り出して時間を伝えたところ、ギターは七時までにしようねと言われたのだが、その時の彼女の様子が、ゲームに耽る小学生を嗜める母親のようだったなと思い返し、さらに、こちらも実に素直にはいと了解したその様子の、まるで優等生のようだったと想起したのだった。
 そんなことを考えながら坂を抜け、駅舎に着いて階段を上れば上向けた視界に映る夕空の、ほんの幽かに青紫を混ぜているような気もするが、際まで均一な白さにやはり閉ざされており、その前に立つ木々は薄暮れに包まれて黒々と、既に冬めいている。ホームに降りるとベンチに就いて、バッグから手帳を取り出そうとしたところで、先日コンビニで買って飲んだコカ・コーラ・ゼロの空のペットボトルを持ってきたことに気づいて立ち、本当はいけないのだろうが手近の自販機のダストボックスに捨てさせてもらった。そうしてベンチに座り、手帳にメモを取る。座席にはもう一人、良くも目を向けなかったのであまり覚えていないが、比較的若そうな男性の、勤め人とも見えないような格好の人が就いており、あれは携帯を弄っていたのか前屈みになって手もとを見つめていたと思う。そのうちに電車がやって来たので目を上げていると、入線してきた電車のガラスの向こうは随分空いていて、せいぜい七人掛けの両端くらいしか埋まっていない。乗ると空いている端の席に乗り、引き続きメモを取るあいだ、車両の隅の小さな席では中学生の男子二人が何やら談笑していた。
 青梅に着いてもすぐには降りず、しばらくメモを取り続けてから降車すると、ホーム上に人の姿はほとんどなくて、一番線の立川行きだか東京行きだかのなかにはたくさん乗っているが、ホームの上にはこちらと駅員くらいしか歩く者はおらず、そのなかを、横に目を振った際に頭のなかに走る小さなノイズ、抗鬱薬離脱症状によって生じるらしいそれを、先日のものよりはよほど弱くなったけれどまだいくらか感じながら行き、階段口の手前で目を上げると、線路を挟んで向かいの小学校の、そのまた裏に寝そべる丘陵が戴く夕空が、夕空と言うかもうほとんど宵に入ろうとして暮れきって、光を失って丘の黒い木々との境もあまり露わでない。先日にはこの時間に来てもまだ紫色が残って見えたはずだが、着実に季節は進んで日が短くなっているらしい。
 階段に入ると下から女子高生二人と男性一人が上ってきて、最初は深い紺色のセーターを身につけたその男も高校生かと思ったところが、すれ違う際に見えた顔の口周りに生えた髭の感触からしてどうも成人らしい。それで、こちらと同じ塾講師か何かの身分だろうか、生徒の女子高生と帰路を共にしているところだろうかなどと推し、過ぎたその後ろから彼女らは、何故か忍者の話をしていたらしくてそのような単語が聞こえてきた。改札を抜けると背筋を伸ばして胸を張り、姿勢を正しながらモスバーガーの前を行く。店内の片隅には制服姿の女子高生が二人、向かい合っているのが見られた。
 職場に着くと挨拶しながら入口をくぐり、靴をスリッパに履き替えて座席表を見ると、今日の相手はまず(……)くん(中一・英語)に(……)くん(中一・英語)、この二人のコンビはここのところ毎週当たっている相手でもう馴染みだが、あとの一人は(……)くん(中三・英語)でだいぶ久しぶりの生徒だった。座席表を過ぎて教室奥のスペースに行くと、ロッカー前にしゃがみこんでいるのが(……)先生である。振り向いたところにこんにちはと挨拶を掛けた。彼女は今日はジージャンを身につけていて、この人はいつも私服で職場まで来てトイレのなかでスーツに着替えて勤務するのだが、その際に見かける街着姿から判断するに、結構お洒落に気を遣っているのではないかという印象を受ける。手近の席に座ってメモを取っていると、室長が近くにやって来て、変更があると言った。何かと訊けば座席表を確認した室長は、いや、F先生はなかったと否定したのでこちらは了承してメモに戻ったが、(……)先生に変更点を伝えるためにまだ近くに残っていた室長は当然こちらのその姿を視界に入れているわけで、何だったら手帳に書かれた細かな文字も見えたかもしれず、一体何を書いているのかと奇異な印象を抱かせて訊かれでもしたらどうしようかともちょっと思ったが、まあ良いかと緩く払って特に隠さず記録を続けた。五時四五分の直前までメモを続け、それから準備に入ったが、と言って特段に備えることもないのですぐに終え、そこからはまた席に就いてメモ書きをしていた。
 そうして授業である。(……)くんは授業前にテスト結果を記してあるノートを覗いたところ、今回の中間テストでは英語が九八点、ほかの教科も大方九〇点を超えていたはずで、かなり優秀である。しかしそのわりに、単語のチェックテストはあまり奮わなかったので、日頃の授業から完璧に準備を整えるというほど真面目なわけではないようだ。本篇はレッスン五のUSE Readという、教科書では三頁に渡る長文の単元を扱った。ここはまだ学校でも触れていないところなので、本来だったら教科書を一緒に読んで訳を確認したいところなのだが、三人を相手にしていてはそうも行かない。それで、教科書をヒントとして参照してもらいながらワークの問題を解いてもらう形を取った。九八点を取ったわりにはスピードもそこまででなかったが、これは単純に本気を出していないと言うか、そこまで授業に熱心でないということなのかもしれない。ワーク中に抜粋してある文章だけは訳を確認し、宿題は楽な方が良いかと言わずもがなのことを問うてみると当然肯定が返ったので、今日扱った二頁をもう一度とした。本当はそれに加えてあと一頁、復習を出そうと思っていたのだが、余裕はあるかと訊いてみるとないとすげなく首を振られたので、今日のところは引き下がった形だ。
 (……)くんは宿題をやって来ていたが、全問正解していて最後の和訳問題も解答とまったく同じ日本語になっているところを見ると、あるいは答えを写して来たのかもしれない。中学一年生の子供の浅知恵でバレないと思っているのだったら浅はかなことだが、そこを追及するつもりはこちらにはない。今日扱った単元はレッスン六のGET2、Doesを用いた疑問文の箇所で、いつも通りやる気はさほどなくて、進みは一頁のみに留まったけれど、しかし口では文句を漏らしながらも一応やってくれることはやってくれる。授業序盤で彼が持っていた菓子、「SOURS」というグミのソーダ味か何かだったが、それを没収したのだけれど、没収したあとそれはこちらの机の端に無造作に置いてあって、こちらが席を離れた際など取り返そうと思えばいつでも奪取出来ただろうに、それを取り戻すこともしなかった。三単現のsのルールも理解しており、Doesの疑問文も大丈夫だと思う。
 (……)くんは相変わらず宿題をやって来ない。単語チェックテストも時間が掛かるので、彼の場合はやはりチェックテストはやらない、あるいは一、二問のみ用意されている文の問題のみ扱うのが良いかもしれない。授業本篇はレッスン六のGET1からGET2に掛けて、(……)くんと同じで、三単現のsのルールと疑問文におけるDoesの使い方である。二頁扱うことが出来た。授業中の進みや出来は悪くないのだが、宿題をやって来ないのがとにかく勿体ない。ノートのコメントにその旨記しておいたが果たして効果はあるものか、あまり期待は出来ない。ただ一応、宿題を決める際にも、今日はいい加減にやってきてもらいますよと言って、ここならやって来られるという箇所を自分で決めさせ、特別にと言ってその一頁だけに抑えたので、これでやって来なかったらあとは知らない。
 終業後、入口近くに立って帰路に就く生徒たちを見送った。なかで(……)さんは動作がゆっくりとしており、それでいて気怠げというわけでもないのだが、靴を履き替える際なども鷹揚にどっしりと動いて、さらに必ずこちらを、教室内の方を向きながらそうして、すると立っているこちらと目が合うから無言で頷き合うわけだけれど、挨拶を投げると彼女は必ず、声を出して答えるとは限らないものの反応はしてくれて、そのあたり、振り向かずにさっさと帰っていくほかの大方の子供たちとは少々違う。ピアスもつけていて、眉を描いている今時の、ギャルじみた中学生女子にしては珍しいことだ。しかも彼女は、不登校気味で学校にはあまり行っていないらしい生徒である。以前、お祖母ちゃんがどうのこうのという話をしていたような覚えがあるので、祖父母と親しく交わっているのだとしたら、そのあたり教育されているか、あるいは祖父母や親が礼儀正しい人で自ずと自分も身につけたのではないか。
 それから片付けをしていると、先に片付けを終えた(……)先生と(……)先生が退勤へ向かうので、彼らの姿が視界の端に入って退勤の動きを察知するたびに相手の方を向いてお疲れさまですと挨拶をした。自分の片付けも終えると書類に署名してこちらも退勤へ向かう途中、(……)先生と行き会ったのでここでもお疲れさまですと頭を下げ、傍らにいた(……)くんにも、相手は生徒なのにお疲れさまですと掛けたのがちょっと面白かったようで(……)先生は笑っていた。さらに来たばかりで座席表のところに立っていた(……)くんにも同じ言を掛けて、そうしておきながら自ら引きつるように笑ってしまったのだが、すると彼は、名前がないと言う。(……)先生にその旨伝えて話し合っていると、保護者との面談をしていた室長がスペースから出てきて、(……)くんに訊けば先週分を振り替えたのだと言う。(……)先生が覚えがあると言って帳面をめくると確かにそこに記されていたようで、これは室長の手落ちということになるのだろう。それで高校生数学を見られるのは(……)先生しかいないようだったので、彼女が担当していた(……)くんの英語を(……)先生の方に移して、空いたところに(……)くんに入ってもらうということで解決した。室長が自ら(……)くんに伝えに行き、彼の荷物も運んであげる一方でこちらも(……)先生の方に変更があると伝えて、それで入口近くに戻り、(……)くんにも、室長が手違いを謝る言葉を掛けていなかったようなので、すみませんと軽くではあるがフォローしておき、それではあちらへと手を広げて席を指し示した。そうしてようやく退勤である。
 モスバーガーの外の壁に掛かった新メニューか何かの広告看板の前に、それを新しいものに替えるのだろう女性店員が低めの脚立に乗って、背後の私服姿の男性に何とか指示を出していたのだが、その女性はどうも声色からしてMNさんではなかったか。こちらの中学校の同級生で、本人だとするともう随分長くこの店で働いていることになる。向こうはこちらのことなど多分覚えていないだろう。と言うか、こちらも物凄く久しぶりに思い出したもので、苗字だけとは言っても名前を覚えていること自体が凄い。そこを過ぎて駅に入ると改札を抜けてホームに上がり、自販機にSUICAを当ててコーラを購入すれば、二番線の電車は立川方面へ向けて発っていくところで、ベンチには人の姿がないなかに一人座り、コーラをちびちび飲みながらメモを取った。そのうちに到着した電車から高年の男性が二人降りてきて、法事のあとなのか真っ黒の礼服を身につけた彼らの声は高く、隣に座った一人からは酒の臭いと加齢臭の混ざった臭気が漂ってきて、加齢臭というのはあれは何の臭いなのか、垢のような分泌物のものなのか。男たちは、どうも話が上手く掴めなかったが、何やら怒っていて、イヤフォンをつけたままでどうのこうのとか話している。俺ももう歳だから、とどちらかが漏らし、昔だったら引かずに喧嘩をしていただろうみたいなことをさらに言い、こちらの隣の方の人が、手前、ふざけんじゃねえよって、とか何とか、相手は無論目の前にいないのに凄んでいて、いい歳をした男性のこうしたマチズモの発露は端的に見っともない。事情は知れない、若い者がイヤフォンをつけていて声が届かなかったとか、そんな類のことだろうか。わからないが、隣に座った人の肘が、酒を飲んでいるようでもあるし身体が揺らいだ隙に腕掛けの上に置いてあるコーラに当たって零されでもしたらたまらないと、ペットボトルの位置をちょっとこちらの近くにずらして、それで引き続きメモを取った。そのあいだ、男性の臭いが散ることはなかった。
 じきに奥多摩行きが来たのでいつもの場所、立川方面から二つ目の車両の端の三人掛けに乗る。今日はいつものマスクをつけた女性は見えず、向かいでは中年のサラリーマンが、TOKYO SHIRTSと書かれた紙袋を携えながら新聞を読んでいる。こちらはメモを取り続けて、授業中のことを詳しく記したのは言わば原点回帰の気分が乗ったからで、つまりは出来る限りすべてを記録するということだが、やはりその愚直さ、徹底性、虚仮の一念こそが自分の武器ではないかと思われるのだ。そうしてそのうちに最寄り駅に着くと降車して、なかなか寒い夜気のなかを歩いていると、左方、線路の上から声が耳に入ってきて、何かと思えば通り過ぎていく電車の端で、車掌と言うのか運転士と言うのかわからないが乗務員が二人、並んで外に顔を出しながら何か話し合っているのだった。階段に掛かると前には年嵩のサラリーマンが、重く左右にちょっとぶれるような足取りで進んでおり、その後ろをこちらもゆったり行って、駅舎を抜けて道に沿って去って行く男性の後ろ姿を見れば、肩がだいぶ丸まっていた。車通りの隙をついて通りを渡り、坂道に入って暗いなかを下っていると、今日の昼間にMさんのブログを、まだ正式には読まずにちょっと覗いた時に見かけたものだが、フラナリー・オコナーの”There is nothing that doesn’t require his attention."という言葉を、無論一字一句正確にではなくてその意味内容を思い出して、こうした言葉を衒いなく吐ける点でオコナーは、モーパッサンヴァージニア・ウルフと同じくまさしく正真正銘の作家だなと思った。ヘンリー・ジェイムズもまた、「小説家とは、彼にとっては何も無駄にならない誰かのことである」と言ったらしい。その人にとっては生において無価値な時間がほんの一瞬たりとも存在しない、そのような人間こそが作家だというのがこちらの定義である。坂道を行けば前方には人が一人あって、懐中電灯でも持っているのか足もとに黄緑めいた色の淡い光が、ぼんやりと丸く落ちている。坂を抜けて平らな道に出ると近くの沢の音、水が段差を落ちる音がまだまだ高く寄せてきて、台風の余波は未だ名残っているようだ。小公園の桜の木は枝を大方露わに晒してもはやほとんど冬の様相で、身には定かに触れてこないが風があるようで枝先の葉が僅かに揺らいでいる。夜道を行きながら先ほどの点に思考が戻って、彼にとって無価値な時間がまったく存在しないということは、作家というのは目的性から逃れた存在なのではないかと頭を回した。何故なら、有益/無価値という二者択一の判断は目的から逆算して生まれるように思われるからである。彼にとっては一つの目的=終極を持った物語の構造に奉仕するのみの無駄な細部というものが生において存在しない。あるいは、一見して無駄としか思われないような時間が、実は大きな目的の誘引から逸脱してそれ自体で独立した別種の価値を付与されるような認識や生のあり方をしているのが作家という人間であるということで、ここで外観的には幾分飛躍が挟まるようにも思われるのだが、それはつまり、この世界には本当は現在という時間領域しか存在しないということを、身に深く染みて実感的に理解しているということではないかと考えた。何故なら目的とはその本質上、当然、未だ到達されていない未来に属するものだと考えられるからで、作家という存在はそうした未来の抽象性から解放されているのではないか。これは、作家という主体が将来のことを何一つ考えない、ということを言っているのでは勿論ない。過去や未来という時間領域は純粋な観念であり、仮構であり、言わば亡霊であって、現在に繰り込まれた形でしかこの世に存在出来ないはずであり、実体として我々が体験し、巻き込まれているのは永遠の現在であって、作家とはそうした無窮の現在瞬間をどうにかして捉えようとするものなのではないかということだ。このあたりはおそらく、ベルクソンが何かしらのことを述べているのだろう。彼の著作もさっさと読まなくてはと思った頃には、もう家に着きかけていた。
 帰宅して居間に入ると、父親は風呂に入るところらしく、ちょうど洗面所の扉が閉まるのが聞こえた。母親に挨拶をしてさっさと階段を下り、自室に帰るとコンピューターを起動させ、服を脱いでジャージに着替えた。そうしてSIRUP『SIRUP EP』を流し、時折り口ずさみながらEvernoteにメモを取って、終えるとちょうど始まった"SWIM"を歌ってから音楽を止めれば、父親が上階で、また声をやや荒げて何とか言っているのが聞こえる。先日母親に偉そうなことを言ったのが露見して怒っているのだろうかとちょっと思ったが、そうだとしてもこちらはこちらの考えるところを述べただけであって、建設的な批判を受けて議論になるなら良いが、そうでなくて親の立場に居直って高圧的にこちらの口を封じようとしてくるならばそれまでだと払って部屋を出た。
 上がって行くとちょうど父親が、カウンセリングがどうのこうのと大きめの声で母親に放っているところで、どうしてもっと優しく穏やかな言い方が出来ないのだろうかと思う。どうやら母親が、自分の神経症的な性分について口にしたところに、カウンセリングでも受けてみたらと提案しているらしかった。こちらは台所に入り食事を用意する。冷凍のたこ焼き二粒と豚肉にトマトなどの混ざった炒め物を順番に電子レンジに入れ、大根や人参や茸の入った汁物は鍋で温め、そのほか生野菜のサラダを大皿に盛って卓に運び、その上からパリパリサラダと言って、固麺を振り掛けて食べるのだと母親が言うので件の麺を割って掛け、台所に戻ると米をよそり、居間とのあいだを往復して少しずつ品々を卓に持って行った。そのようにしてこちらが食事の支度をしているあいだ、両親は先ほど書きつけたようにカウンセリングがどうとかいう話をしていたはずなのだが、その途中で母親がふっと、何のことだったかそれも覚えていないくらいささやかな事柄に話を逸らして、それで父親もある種虚を突かれたと言うか、それ以上同じ話を続けられなくなったのだったが、こうした振舞いが母親の、言わば姑息なところである。姑息と言っては言葉が強すぎるかもしれないが、彼女は一つの事柄について真剣に話しているその最中に、どうでも良いような、関係のないことを突然口にして、話を脱臼させることがよくあるのだ。しかも、それを自覚的に、真剣な話をするのが面倒臭いのでそこから逃れようという意図を確かに抱いてやっているようにも見えない。思いついたことをすぐに口に出してしまうので、話があちらこちらに飛んで収拾が付かなくなるというような感じで、長い時間、話し合いを続けられないというのが母親の生理的な弱点と言うか、あまりよろしくはないところである。
 こちらは卓に就くと、夕刊を寄せて、又吉直樹のインタビューを読みながらものを食ったが、向かいの母親が何とか話していたのでインタビューの内容は特段に覚えていない。まずは先日に車のなかでも言っていたことだが、資格の話があった。ヘルパーか何かの資格を取りたい、もっと昔から勉強して取っておけば良かった、やっぱり資格があるとないとでは職への就きやすさが違う、これからは歳を取っても働かなければならない時代だから、などというような話だ。それを受けてこちらは、自分の職場でも、昭島の方に新しい人が面接に来て、ところが昭島教室ではいらないと言ってそれをこちらに押しつけてきた、その人が七十何歳だかだと言う、と話せば母親は驚いて声を高め、その人はじゃあ、まだまだ働きたいっていう気持ちがあるんだよと称賛するように受けるのだが、そんなことはわからない、単に年金だけでは足りないから働かなければならないのかもしれないとこちらは水を浴びせかけた。さらに、人生一〇〇年時代だとか政府はほざいているが、七〇だの八〇だのになってもまだ労働を続けなければならないなんて、随分と世知辛い世の中だと俺は思ったよと述べ、あとでも、まあ糞だな、糞みたいな世だなと呪詛の言を漏らした。
 もう一つあったのは母親の職場の同僚の話で、何でも二〇歳そこそこくらいの男性があって、その人が中国人のクォーターなのだと言う。子供を学校に迎えに行ったり家に送っていったりする車中で一緒になって、相手の方から色々と話してくれたと言うのだが、大連に祖父母の家があって子供の頃は年に一度くらいはそこに行って滞在していたところ、ある時ガス漏れ事件で一騒ぎあって大変だったと、そのようなことを聞いたらしい。それでこちらは、大連の地名に耳を留めて、大連と言うと日本に侵略された土地ではないかと、「侵略」の語を明確に使って指摘し、あとでその話に戻って母親が質問してきた際にも、日露戦争で日本が奪って以来、ずっと植民地だったはずだと説明し、だからその人の祖父母は、あるいは大変な思いをしたんじゃないのと言えば母親は、日本人のことを恨みに思っているかも、と受けて、いやまあわからないがとこちらが返すと、でもそういう悲しい歴史がある土地なんだねと落とした。「悲しい歴史」と言う。何とも罪のない、善良な人間ぶりではないか? 彼女の人生六〇年間を通して形成されてきた人格や、彼女が今までに僅かばかり得てきたいわゆる教養の程度を、この「悲しい」という形容詞一語が証している。そのような話を、炬燵テーブルに就いている父親は、聞いているのかいないのか、耳に入ってはいるのだろうが、テレビのニュースに目を向けものを食いながら黙りこくっていたのだが、一度母親が、家にいると変なことばかり考えちゃうと漏らした際に割って入って、だからカウンセリングでも受けてみればって言ってるだろ、とまた大きめの声を出した時があった。しかし重要なのはおそらく、そうしたもっともらしい解決策を提示することではなくて、母親が話すのをただ聞き、受け止め、思いの丈を充分吐き出させてやることのほうだろう。優しく穏やかな態度でただ言葉を聞いてやれば良いと思うのだが、父親はその点に、気づいてはいるかもしれないが理解はしていない、理解していたとしても実践しようという頭はないのだと推測される。カウンセリングを勧めるのは一見理に適っていると言うか、実に真っ当な提案のように聞こえるが、実質的には、パートナーとしての自分の務めを回避して母親に対するケアを全面的に外部委託することにほかならない。
 ともかくカウンセリング云々に関しては母親もそのつもりはないようで、その話はそれ以上深まらず、母親はじきに、こちらがもう食事を終えた頃だが、図書館で借りてきたと言って、ロシアの紹介の本や昔話の絵本、童謡の本などを取り出して、童唄を口ずさみはじめた。父親も食事を終えて台所に立ち、皿を洗っちゃうから持ってきてと言うのにこちらは自分で洗うからと動かず、もう一度言われた際にも自分でやるから良いよと手を振ったのだが、二度手間だからと母親が言うので、二度手間でも別に良いのだが結局持っていき、じゃあお願いしますと掛けて皿を洗い桶のなかに浸けると、席に戻って本をめくった。ロシアを紹介する本の最後には、姉妹都市協定か何かを結んでいるロシアと日本の都市の名が載っていて、その表のなかの一番上、最も古くて確か一九六一年とあったのではないかと思うが、そこにナホトカと舞鶴という二都市の名があって、石原吉郎を含む抑留者たちが五三年に引揚げ船に乗ったのがナホトカであり、その船が日本に戻って入港したのが舞鶴だったはずだと思い出された。姉妹都市の決定も、そのような事情が反映されているのだろうか。
 そのうちに本を置いて席を立ち、風呂に行った。湯のなかに入って頭を縁に預けて休みながら、それにしてもまったく、愚昧で凡庸な人間たちだなと両親のことを思った。そのように自らの二親を見下しているこちらこそが、最も愚昧で凡庸な心の働きをしているのではないかという可能性を明晰に認識した上でやはりそのように思うが、しかしその愚昧さ、凡庸さをもこちらは緻密に、徹底的に記述しなければならない。とするとこれは、フローベールが『ボヴァリー夫人』で行った試みとだいぶ似てくるのではないか? 「ぼくがぶつかる障害は、平凡きわまる情況と陳腐な会話というやつです。凡庸なもの[﹅5]をよく書くこと、しかも同時に、その外観、句切り、語彙までが保たれるようにすること、これぞ至難の技なのです」(工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、280; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年九月十二日〕月曜夕 午前零時半)。
 風呂を出ると寝間着とジャージの上着を身に纏い、即座に階段を下って急須と湯呑みを持ってきて、ソーセージパンを咥えながら緑茶を用意した。テレビは『クローズアップ現代+』、病院での身体拘束について一般の人が招かれて討論をしているようで、身体拘束をせずに患者が暴れて、患者自身にせよほかの人にせよ、怪我をしたりすると、それはすぐに看護師の責任にされてしまう、それが怖い、だから現実的には身体拘束は必要だと言うか、良い代替方法がない、と一人の女性がそのようなことを述べていた。緑茶を持って室に帰ったこちらはソーセージパンを食い、LINEでT田に、梶井基次郎の「交尾」の篇はちょっと奇想的な気まぐれな感触があってなかなか面白かった覚えがある、梶井という人は、あのような魅力的な小品をもっとたくさん書けた作家だと思うと返信を送っておいた。梶井基次郎のいくつかの篇にはローベルト・ヴァルザー的な気まぐれだが魅惑的な小品、といった感じの趣があるように思うのだが、そのあたりより正確な印象を得るためにまた読み返してみなければなるまい。そうして、Branford Marsalis『Requiem』を最初から流し、ヘッドフォンをつけて茶を飲みながらインターネット記事を読みはじめた。「力強く安心元気を誓う"自民党公約"の稚拙」(https://president.jp/articles/-/28963)が一つ、安積明子「山本太郎の「れいわ新選組」は既存政党を喰いつくす」(https://news.yahoo.co.jp/byline/azumiakiko/20190703-00132640/)が一つ、川名晋史「沖縄に基地があるのは地理的宿命か?」(https://synodos.jp/politics/21529/)がもう一つで、真ん中の山本太郎についての記事によれば、れいわ新選組に「集められた寄付は、7月1日までに2億2570万円にものぼっている」と言う。最後の沖縄の米軍基地についての論考は、どっちつかずの、実質的には何も言っていないような実に歯切れの悪い論だと思われた。
 それからさらに、Lully Miura, "What's behind Japan's political stability?"(https://www.japantimes.co.jp/opinion/2019/09/27/commentary/japan-commentary/whats-behind-japans-political-stability/#.XaaQX__APIV)を最後まで読んでしまうことにして英文を追っていると、Twitterでこちらの発言に対する引用リプライが届いた。上の方に出口治明の言い分はまあ正論であると感想を綴ったが、そのあたりの文章を昼間にTwitterに流しておいたところ、「K.S.M」という奇妙なアカウント名の人から、それについての言及があったのだった。こちらの言い分を認めながらも、実質のところ、大学で身につける能力と実社会で良しとされる能力には「何かいやらしいズレ」があると指摘するもので、そのあたりもう少し細かな点をお聞きしたいのだが、と返信しておいた。

・converge: 向かう、近づく; 一点に合流する、集中する
・deviate: 逸脱する

In sum, the dividing values that separate the Japanese electorate are issues regarding national security and the Constitution, while issues involving economic growth and wealth distribution are of secondary importance. The divide on the former is uniquely Japanese, and the lack thereof of the latter is also uniquely Japanese. Although the LDP is generally regarded as conservative, it does not represent a certain class and its not inclined toward conservative economic policies.

 英文記事を読み終えて便所に行ってきたあと、一一時一〇分から日記に取り掛かった。一一時半頃から音楽はThe Brecker Brothers『Heavy Metal Be-Bop』を流す。一聴して時代を感じる類のファンク風味だが、なかなか格好良くもあって、ブルースである#2 "Inside Out"終盤のBarry Finnertyのギターソロなど耳を惹く。
 そうして一時半直前まで日記に邁進したのだが、書けたのはこの日の記事だけで、それも最後まで辿り着いておらず、緑茶をおかわりに上階に行って、ついでに冷蔵庫からソーセージパンを二つ取り出し食いながら茶葉を捨てて新しい飲み物を用意しているあいだ、日記がどうもやばいなと頭のなかに浮かんできた。ただ仕事に、それもたった一時限の労働に行っただけの日に、何故こんなに書くことがあるのか。どうもどんどん現実生活の豊かさに対して記述する労力と時間が足りなくなってきているような気がして、出来る限りすべてを記録するなどと格好良く言ってはいるが、もっと認識が緻密になり、拾える情報量が増えてしまったらとてもではないが追いつかないぞと危ぶんで、多田智満子が詩集のなかに書いていた戯画的な自伝作者の像のことを思い出した。

 Y氏は決してヘボとはいえないがさして有名でない詩人である。××社刊の現代人名辞典が彼のために小さいスペースをさいていることを知ったとき、Y氏は無邪気によろこんだものだ。文学辞典や、まして文化人名簿などではない。日本だけではなく世界の各界の顕著な人物をあつめた権威ある辞典に名がのるのである。
 しかし辞典が届いて、自分の名をさがし当てたとき、Y氏は少なからずがっかりした。人物の重要性や知名度に応じて、記事の長さがまちまちなのは言うまでもないが、Y氏のは最も短く、たった三行にすぎなかった。一行二十字。たった六十字に集約される人生。
 こんな辞典に名がのるだけでも光栄だとは知りながら、それよりも、自分の五十年の人生をたった三行で片付けてほしくないという思いが先に立った。Y氏は、そこで、人名辞典の中のY氏の項目を自分で書きつづることにした。
 彼の狙いは三行を三十行にふやすというようなものではなく、途方もなく野心的なものだった。すなわち、原寸大の人生を再現すること。
 これは巨人的な大事業であって、協力者たちの去ったあと独力で大百科全書を刊行しようとしたディドロの労苦も、これに比べればちっぽけなものだった。
 Y氏は試作をやめ、生計の手段だった高校教師も一切やめて、生まれてから現在までの自分の人生を、縮約も省略もなく、できるだけ忠実に文字に再現することに没頭した。
 いや、没頭している、というべきであろう。誰も読み手のないにきまっているこの長大な自叙伝、記憶と資料の及ぶかぎり原寸大に近づけたこの伝記は、彼の超人的な努力によって、昨年の春早くも五十歳、つまり自叙伝を思い立った年齢のところまで書き了え、それ以後、彼は「他の何事もせずもっぱら自分を模写している自分の行為」をひたすら書きつづけている。
 この同語反復は死ぬまでつづけられるだろう。あいにく彼はまだ五十七歳で、当分死ぬ気配はない。彼は貧乏や粗食や世間の軽蔑に耐える以上に、自分自身の模写[ミメーシス]であることによく耐えている様子である。
 (多田智満子『祝火』小沢書店、一九八六年、69~71; 「反復」中「自伝 ――TAUTOLOGIE――」全篇)

 自室に戻ると緑茶を飲みつつインターネットを回り、その途中、Twitterにおいて対談 荒木優太さん×熊野純彦さん:困ったときの在野研究入門」(https://webmedia.akashi.co.jp/posts/2652)を発見し、全五回のそれぞれのURLを「あとで読む」記事に記録しておいたのは、熊野純彦という人に興味があるからである。それから読書、村上春樹アンダーグラウンド』を読みはじめ、音楽はBrian Blade & The Fellowship Band『Season Of Changes』を聞き、Kurt Rosenwinkelの流麗で弾力的なギターに耳を寄せたが、調べてみるとこれももう一〇年以上も前の作品なのだった。書見は四時直前まで続けて、床に就いた。


・作文
 13:50 - 15:11 = 1時間21分
 16:25 - 17:05 ~ 40分
 23:10 - 25:28 = 2時間18分
 計: 4時間19分

・読書
 12:03 - 13:34 = 1時間31分
 15:44 - 16:17 = 33分
 22:19 - 23:02 = 43分
 25:44 - 27:54 = 2時間10分
 計: 4時間57分

・睡眠
 4:40 - 11:20 = 6時間40分

・音楽