2019/10/20, Sun.

 (……)わたしは、ポピュリストとしてカウントするためには、エリート批判[﹅6]は、必要条件ではあるが十分条件ではないと論じる。さもなくば、たとえばイタリアやギリシャアメリカ合衆国の現状を批判する者は誰でも、定義上ポピュリストとなるだろう。そして、さらに言えば、シリザ、ベッペ・グリッロの反乱的な五つ星運動、あるいはサンダースについてどう考えようと、彼らのエリート攻撃がしばしば正当なものであることを否定するのは難しい。また、もし既存エリートへの批判がポピュリズムの全てというのならば、アメリカ合衆国の大統領候補は事実上みなポピュリストとなってしまうだろう。なぜなら、結局のところ、みなが「ワシントンに反対して」いるからである。
 [それゆえ]反エリート主義者であることに加えて、ポピュリストはつねに反多元主義者[﹅6](antipluralist)である[と論じたい]。ポピュリストは、自分たちが、それも自分たちだけが、人民を代表していると主張する。たとえば、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が、国内の多くの批判者をものともせず、「われわれが人民である。お前たちは誰だ?」と党大会で宣言したことを想起してほしい。もちろん、彼は反対者たちもトルコ人であることを知っていた。その排他的な代表の主張は、経験的なものではない。それはつねに明白に道徳的な[﹅4](moral)ものである。政権を目指しているとき、ポピュリストは政治的な競争相手を非道徳的で腐敗したエリートとして描く。統治するときには、彼らはいかなる反対派[野党](opposition)も正統なものとして承認することを拒む。また、ポピュリストのロジックは、ポピュリスト政党を支持しない者は誰であれ、人民――つねに高潔で道徳的に純粋なものとして定義される――にふさわしい一員ではないということを仄めかす。簡潔に言えば、ポピュリストは「われわれは九九パーセントだ」とは主張しない。代わりに彼らが仄めかすのは、「われわれは一〇〇パーセントだ」ということなのである。
 ポピュリストにとっては、この[自らと人民との]同一視はつねに良い結果をもたらす。残りの者たちを、非道徳的で、人民の一部では全くないものとして、退けることができるからである。別の言い方をすれば、ポピュリズムとは、つねにアイデンティティ・ポリティクスの一形態[﹅18](a form of identity politics)なのである(アイデンティティ・ポリティクスのあらゆるバージョンがポピュリスト的というわけではないが)。このアイデンティティ・ポリティクスのひとつの排他的な形態というポピュリズム理解から導き出せるのは、ポピュリズムが民主主義にとって脅威となるということだ。なぜなら、民主主義は、多元主義(pluralism)と承認を必要とするからである。それらは、われわれが自由かつ平等で、しかしまた多様性も減じえない市民として共生するための公正な条件を見出すのに必要なものである。単一で同質的で真正な人民という考えは幻想である。かつて哲学者ユルゲン・ハーバーマスが述べたように、「人民」は複数で(in the plural)現れることしかできない。そして、それ[単一で同質的で真正な人民]は危険な幻想である。なぜなら、ポピュリストは、対立を食い物にし、分裂を強めるだけでなく、政治的な敵対者たちを「人民の敵」として扱い、彼らを完全に排除しようとするからである。
 (ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』岩波書店、二〇一七年、4~6)


 大体いつも、一一時に掛かると意識が定かに固まりだすようだ。この日もそうで、床に就いてから七時間ほどの時点で頭が晴れたのだが、しかし意識が明るくなっても肉体の方はそれについてこないで一向に起き上がれず、今日もまた窓外に広がっている白さ――今日はここ数日とは違ってところどころにうねりが差し込まれて多少の偏差が観察されたが――を見ながら寝返りを打っているうちにあれよあれよと時間が過ぎていき、布団の下を抜け出すのはもう正午も近い頃合いになった。コンピューターに寄ってスイッチを押し、起動のあいだは両手を天に向けてまっすぐ差し上げ、寝起きで固くなっている身体をほぐしながら待ち、準備が整うとTwitterとLINEを覗いた。そうして室を抜け、歩みに合わせて呻き声を漏らしながら上階に行けば、台所からは炒め物の音が立っていて、見れば今日も父親が似合わないエプロンをつけて料理をしている。両親に挨拶をして洗面所に入り、顔を洗って髪を梳かすと便所に行って腹のなかを軽くした。それから戻って風呂を洗おうと思ったところが、風呂場に入ると漂白剤の匂いが微かに鼻に触れ、残り湯汲み上げ用のポンプが取り出されていて、蓋をめくってなかを覗いても水がないので既に洗ったらしい。それで、洗ったのと訊けばやはり父親がもう洗ったと言うので、礼を言って洗面所を抜け、台所では料理が皿に盛られているところだったので卓に行き、新聞を読もうとしたところがテレビで草津の湯揉み公演を生業としている女性らが紹介されていて、何となくそれを眺めた。そうこうしているうちに食事が用意されたので、味噌汁や、米と回鍋肉を合わせて盛った皿や、冷水などを卓に運び、新聞を引き寄せて食事を始めた。回鍋肉は結構ぴりぴりと辛い味付けで、両親も味が濃くて舌が辛くなると漏らしていた。新聞からはまず書評面を見やれば、何という名前だったか確か鈴木という苗字で東洋大学の助手と書かれてあったかと思うが、その人が阿部和重の『Orga(ni)sm』を取り上げていた。その上で岸本佐知子川上弘美の新作を評していたが、そちらは良くも読まなかった。それから国際面に移って、中国当局に拘束された北海道大学教授の報を追ったり、英国のEU離脱関連の記事を読んだりしながらものを食って、食べ終わる頃にはテレビはNHKに移されて『のど自慢』が始まっていた。父親など楽しんで見ているようだが、こちらにはこの大衆歌唱大会に対する特段の興味関心はない。そういうわけで席を立ち、台所に移って皿洗い、グラスから洗ってと母親が言うのでその言に従いまずはコップを三つ擦って、それから皿に付着した回鍋肉のソースを水で流したその上から擦り洗って、そのほかの食器も始末を付けると下階に下り、二種類のゴミ箱を持って戻ってきた。燃えるゴミを台所のゴミ箱に合流させておき、プラスチックゴミの方もそれ用の箱に入れようと思ったところが母親が、そっちも燃えるゴミと一緒にしちゃって良いと言うのでそのようにして、ゴミ箱を自室に戻してくると今度は急須と湯呑みを持って上がり、緑茶を仕立てた。
 昨日から一時帰国中の兄夫婦も我々と大体同じ頃に食事を取っていたようで、スマートフォンを見た父親が言うには寿司だとのこと、小僧寿しでも買おうかと母親は言っていたのだが、もっと美味い寿司を食べているんじゃ駄目だねということになり、ピザでも取るかと言うのをこちらは推したが、兄が健康診断を控えているためにあまり美味いものは食えないと言う。そのわりに寿司を食っているわけだが、兄が食べなければ良い話だろうとこちらは無下に言い放って塒に帰った。寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeにアクセスして流し出し、歌を歌いながら前日の日課の記録を付けて、この日の記事も作成してから"渚のカンパリソーダ"を歌い、三曲目の"喜望峰"は歌わないのでそこに差し掛かると今日の日記を書き出した。途中で"ルビーの指環"は歌いながら、ここまで二〇分ほどで記して一時を越えている。
 それから一〇月一四日の記事を進めるのだが、母親の精神分析を読み返して文言を多少取り替えているだけでだいぶ時間が経って二時が近くなったので、そろそろ行くだろうかと部屋を出て階段を上がって訊けば、兄夫婦は二時一四分に青梅に着くと言う。それではもうそろそろ出るようだなと下階に戻ると服を着替えた。モザイク柄の白いTシャツに下は真っ黒のパンツ、上にグレンチェックのブルゾンを羽織った格好で、歯磨きをしながらまた一四日の記事の文章をちょっと弄り、そうして二時を回ったところで、財布に携帯と手帳を入れたバッグを持って部屋を出た。居間に行くと、父親は既に兄夫婦を迎えに出掛けたあとだった。こちらは母親と追って出て、墓にて四人と合流する。ソファに就いて、母親の精神を分析した記述の最後の部分、カフカの小説構造との比較を上手く説明する文言を考えながらぼんやりしていると、そろそろ行こうと母親が言うので立ち上がって玄関をくぐったが、そう言った母親の方はまだ何か用事を残していたようで室内に戻っていく。家の前に立ち尽くして、目を閉じ首をゆっくり回してみると、上向いた際、林の上の空の白さが瞼を通して眼裏までも入り込んできて幾分眩しい。辺りには沢の音が立ち昇り、煙のように空間に拡散しているそのなかに、アオマツムシの音が林の上の方から降って風はなく、体温とのあいだに露ほども齟齬を差し挟まない大気はぴたりと完璧に静止して、しかしそんななかでも林の葉が一枚、枝から落ちて宙を縦に切った。じきに母親が出てきたので車を出してもらって、助手席に乗ろうとしたところが何か物が色々置かれてあって手狭だったので後部の方に移り、いざ出発というところで母親が、免許証を忘れたと言って取りに戻ったのでまた少し文言を頭のなかで回しながら待ち、母親が再度乗り込むとようやく出発となった。坂を上っていくと出口の付近の斜面の草を、近隣の人々が集まってやっているようだが、結構高齢らしく見える男女が刈り整えていた。街道を東に向かってひた走るあいだ、こちらは例によって左脚を右の膝の上に載せて偉そうなポーズを取る。コンビニで何か買うものがあるかと訊くので、別にそんなに食いたいわけでもなかったが一応ポテトチップスと所望しておき、市民会館跡の文化施設前で右に折れて坂を下り、千ヶ瀬の方へ向かってコンビニに入った。母親が供花やスナック菓子を買っているあいだ、こちらは車内で手帳にメモを取ったが、勿論買い物にそんなに時間が掛かるわけでないのでほとんど記録出来ない。発車してからもメモを取ろうと試みはしたものの、揺れでとてもペンを固定させることが出来ないし、電車と違って空間が狭いからだろうか手もとの小さな一点に視線を集中させていると酔ってきそうな感じもあって諦めた。それでS寺へ、兄夫婦を拾った父親がもう着いているだろうと思っていたところが車が見えない。それで花を持って降りて、先に墓に向かっていることにして墓地に入り、母親が桶に水を汲む傍らこちらは塵取りと箒を手に持ち、我が家の墓所に歩いて行った。墓場には緩い風があった。墓所前に着くと花の始末を母親に任せてちょっとメモを取った。先日、YさんとI.Y子さんが母親とともに墓を参ってくれたので、その際の花がまだ残っており、全体に結構形は保っていたがやはり一部は腐っており、百合の切れ端などべたべたと貼り付いて取りづらいと母親は漏らした。それからこちらは箒を取って母親が地面に投げ捨てた花の残骸や、周辺に溜まっている落葉を掃除した。そのうちに母親は花を捨てに行くか水を新たに汲みに行くかして、こちらは一人で相変わらず地面を掃いていたのだが、すると母親が、あ、来た、と言っているのが遠くから聞こえ、まもなく父親と連れ立って兄夫婦とMちゃんが現れたので、ご無沙汰しておりますと挨拶をした。Mちゃんは髪がおかっぱ様に短く切り揃えられており、戦後すぐの子供の髪型のようだった。今でもSくんっていう名前を聞くと、後ろ足って言うよ、とT子さんは言って、実際この時もMちゃんはこちらの姿を見て、「うしゃーしょー?」というような言葉を発した。これは八月のロシア滞在中にMちゃんがいつからかこちらに向かって言いはじめた言葉で、何と言っているのかわからずその意味も不明なのだが、彼女が発音する通りに真似て繰り返してやると、Mちゃんは破顔して跳ねながら大喜びするのだった。それでこちらも「うしゃーしょー?」と返してMちゃんを歓喜させ、そのうちに塵取りに溜まったゴミを一度捨てに行った。ほとんど一面白い空のなか、東南の一角に雲がいくらか渦巻いて、濡れたような薄青さを差し込んでいた。
 順序が前後するが、墓所に来た直後から兄は墓地の端に行って電話をしており、訊けば何でも成田でスーツケースが取り違えられてしまい、それを取り戻すための交渉連絡をしているらしかった。ゴミ捨てから戻ってくると父親が墓石を磨いたりしており、こちらは墓所の前で何をするでもなく突っ立って待ち、そのうちに掃除が終わって花が立てられると、父親の手によって線香が用意され、一人ずつ順番に供えていった。Mちゃんも兄と一緒に一本だけ線香を持たされて、墓所の入口の階段を、二歳半の彼女にとってはまだまだ大きな段差だからいくらか危なげにゆっくりと上って、そうして線香受けに一本を置き、地面に戻ってから兄やT子さんに、手を合わせるんだよ、なむなむするんだよと言われれば一応両手を合わせて不格好に拝んでいた。こちらの番もじきにやって来て、老人のようにのろのろと段を上って線香を置き、米も一掴み、墓石の上に供えておくと戻って手を合わせ、目は閉じずに、金や時間や健康や能力が欲しいといつもながらの強欲を発揮して祖父母の霊に注文を付けた。そうしてT子さんまで参拝が済むと、池のところに行って鯉にパンをあげようということになった。墓所を離れた直後に、我が家の墓石の近くに鴉が二羽現れて、結構大きな体で目についたのを最後尾のこちらは振り返って見ていると、鴉は墓石の上から飛び立って電線に移っていって、それを見つけた母親がMちゃんに、鴉がいるよと注意を促せば、Mちゃんも舌足らずにかぁす、かぁすと言っていた。水場で一人ずつ、汲み上げポンプを使って手を洗い、墓所を出るとこちらは先に一人、池に寄って周縁に置かれている平らで広い石の上に腰掛けた。Mちゃんは大きな蛙の石像のもとに駆けていって、それをT子さんが撮影するのを兄と母親は近くで一緒に見ている。じきに皆、池にやって来て、父親がぱんぱんと手を叩いているとそのうちに鯉が池の奥から泳ぎ出してきた。それで母親が持ってきたライ麦ロールのパンをちょっと分けてもらい、細かく千切って自分でもつまみながら池に放った。Mちゃんも母親に千切ってもらいながらパン屑を投げるのだが、あまり遠くまでは飛ばず、水面に届かないこともたびたびあって、そんな時には父親が張られている鎖を越えて地面に落ちたパン屑を拾い、Mちゃんの手に戻してやるのだった。こちらはパンがなくなると鯉を見るのにも飽きて、習いとなった夜更かしのせいか何となく疲労感もあったので、座っていた石の上にごろりと仰向けになり、すると視界一面に広がった白い天空が目に眩しい。そのうちに帰ろうということになったのだが、Mちゃんはテンション高く寺の庭を走り回って行き来してなかなか車の方に向かわないのを、こちらが行く手を遮ったりして手を繋ぎ、T子さんに引き渡すことに成功した。そうしてそれぞれの車に戻って寺を出発、街道に上がって一路西へ、道中特に印象深かったことはない。
 帰り着くと車を駐車場に入れるより前に玄関の正面で下ろしてもらい、母親がコンビニで買った物の入った袋を持って玄関に行き、鍵を開けて扉を開けっ放しにしてなかに入った。ポテトチップスは戸棚へ、そのほかのパンの類は食器棚の上に置いておき、Mちゃんが入ってくるのを迎えると、彼女は早速ソファの上に乗ってぴょんぴょん口で言いながら跳ねはじめた。それをしばらく見守って戯れてからこちらは一旦下階に戻り、ブルゾンを脱いで収納に入れておいて戻ってくると、T子さんや兄は仏壇に線香をあげるところで、Mちゃんも一緒に座っていたのだが、兄が蠟燭につけた火を彼女はふうっと息を吹いて消してしまうのだった。それで線香を供え終わると、母親が珈琲を淹れてくれと言うので、ドリップ・ペーパーを設置されたカップを持って電気ポットの口の下に保持し、少しずつ湯を注いでいくのを三つ分繰り返した。自分の方は水で良いと言って冷たい水を注ぎ、そうして母親の手によって先ほど買ってこられた品々、褐色のスポンジのあいだにチョコレートクリームの挟まれた三角形の、ケーキと言うかパンと言うかどちらにせよ廉価な洋菓子に、砂糖のいっぱい掛かった捻り揚げパンの類が供されたのでそれを頂いた。Mちゃんも三角形のケーキの類を満足そうに賞味していた。本人に任せていると生地のあいだに挟まれたクリームばかり指で掬って舐めるので、こちらが生地ごと千切ってやって、鳥に餌を与えるようにして直接口に持って行ってやった。そうこうしているうちに兄の携帯に電話が掛かってきて、またスーツケース関連の連絡らしく、暗証番号がどうのこうのとか言って、良くもわからないが取り違えた先方所有のスーツケースは今、大阪のT.T子さん、T子さんの母親のところにあるようで、兄が電話をする傍らでT子さんも耳に携帯を当てて母君と交信し、先方は暗証番号をこう言っているがこれで開くか試してみてくれ、などとやりとりを交わしていた。その合間にこちらと母親はMちゃんと戯れる。母親が買っておいた玩具が一つあって、それは赤い大きな蟹の形をした土台に穴が空いていて、そこに小さな魚が何匹も設置されているところ、ゼンマイ式の撥条を巻くと土台が回転し、それに応じて魚もぱくぱくと口をひらくというもので、魚の口内には磁石が設えられており、やはり先端に磁石がついた付属の釣り竿でもってその魚を釣り上げることが出来る、というものだった。それをMちゃんと一緒に遊んだり、あるいは仏間の方に移って塗り絵をやったりした。その際に用意された色鉛筆は何とこちらが幼少時代に使っていたもので、鉛筆の側面にこちらの名前が記されてあってよく取っておいたものだと思うが、母親が事前にMちゃんのためを思ったのだろう削っておいたようで、芯はすべて鋭く整えられてあった。Mちゃんはしかしその色鉛筆をあまり自分で使おうとはしないで、やっていいよ、と言いながらこちらや母親に渡してくるので、ディズニー・アニメのキャラクターを用いた塗り絵本の頁の各所を塗ってやると、凄いね、とか綺麗、とかMちゃんは呟くのだった。そのうちにMちゃんは袋に入っていた蛍光ペンを見つけて取り出し、色鉛筆ではなくてそれでもって塗り絵を始めたので、こちらはこうだよ、とペンの持ち方を示し、彼女の手指の形を調整してペンを正しい位置に嵌めてやった。
 そんなことをしているうちに四時半を回り、こちらは日記を書かなくてはならないしそろそろ下階に下りたかったのだが、その前に多少の飯の支度はやっておこうということで台所に入った。野菜をふんだんに使った汁物が既に作られてあった。ほか、小松菜を茹でて鯖を焼き、薩摩芋をスチーム・ケースで蒸せば良いだろうというわけで、まず小松菜を茹でたのだったか薩摩芋を切ったのだったか、どちらが先でも良いのだが、多分薩摩芋の皮を剝いて輪切りにしたのが先だったと思う。皮は縦に、すべて剝くのではなくところどころ紫色を残して大雑把に除き、それを輪切りにしたものをスチーム・ケースに入れてグラニュー糖をちょっと振って、そうして電子レンジに突っ込んで四分間回した。そうして一方で小松菜をフライパンで茹で、待つ合間に居間の方にちょっと行ってまたMちゃんと戯れていると、戻った頃には母親が既に菜っ葉を水のなかに取り出していた。それから牛乳に浸けられた鯖を冷蔵庫から取り出して焼こうとしたのだが、時刻はまだ五時にも達していなかったのでさすがに早いだろうということになり、夕食の時間が近づいてから焼くことにして、じゃあ俺は自室に下るからなと断りを入れて階段を下りると、階上から母親が、Mちゃん、Sくんのお部屋見てみる、と訊くのが聞こえる。Sくんの部屋はご本がいっぱいあるよとT子さんもそれに乗ったので苦笑して、汚いですよと言いながら戻り、階段の下からMちゃんを呼んだところが、怖いようで下りて来ない。それで上っていき、彼女の片手を取って、もう片方の手は手摺りにきちんと掴まらせて、ゆっくりと下りるよう導きはじめたところが、三段くらい下りたところでMちゃんは、怖い怖い、と言って戻ってしまったので、これは駄目だなと笑って一人、自室に帰った。
 それで16FLIP『Ol'Time Killin' Vol. 4』を流しながら日記を書き進めて、五時半前になってようやく一四日の記事を完成させることが出来た。さすれば投稿である。甚だ多い引用部にいちいち処理を施していかねばならないから、投稿するにも時間が掛かるもので、そのあいだ無音だと味気ないので小沢健二『刹那』を流し、歌いながらインターネットに文章を発表していった。そうして六時一五分頃まで掛かってようやく一四日から一七日の記事を投稿するのを終えられた。一八日の分はまだ仕上げられていないのだった。それから鯖を焼こうかと上階に上がると、しかし母親が既に焼いてしまっていた。また、ピザを取るという話にもなっていたのだが、ピザハットだかピザボーイだかピザーラだかわからないがピザ屋に電話しても繋がらなかったと言い、それなのでクリーニング屋に出掛ける父親が帰りに河辺のドミノピザに寄って買ってくることになったとのことだった。Mちゃんは椅子に就いており、テーブル上に載せた先ほどのおもちゃの、そのなかの小さな魚一匹を手に取って見つめており、母親はその横で、図書館で借りてきた童謡の本をひらいて歌をちょっと口ずさんでいた。Mちゃんの髪に触れると、頭がちょっと蒸れたように湿っており、それはたくさん動き回るから汗を搔いたものらしい。
 下階に戻ったこちらは六時二二分からちょうど三〇分間、この日の記事を書き足した。そうしてふたたび居間に上がり、生野菜のサラダを五人分、皿に盛ったり、同じように鯖もちょっと熱してから二切れずつ皿に取り分けたりと甲斐甲斐しく働いて食卓を整えたのだが、一一時三五分現在、何故かわからないが疲労感が嵩んで細かく綴る気力がなくなってきているので、この準備及び食事の時間のことは短く経済的に書こう。印象に残っていることだけを書けば良いのだ。テレビはラグビーだった。野菜の汁物が美味くておかわりをした。父親が買ってきたピザは三種、マルゲリータとガーリック何とかというやつと、カニグラタンの類。Mちゃんは最初のうちはきちんと椅子に座ってものを食べていたのだが、そのうちにピザを持ちながら歩き回りはじめて、ソファの周りを回ったりソファの上に乗って遊んだりして、T子さんや兄が、Mちゃん、汚れちゃうでしょ、お座り、椅子にちゃんと座って、こっちで食べて、とちょっと厳しい声音で言っても、どこ吹く風でにやにや笑って言うことを聞かない。こちらは笑って、段々ふてぶてしくなってきているなと言い、子供を躾けるってのは大変ですねえ思い切り他人事の声を漏らした。しかしそのあとでは一応、席を立ってソファの陰に隠れたMちゃんのところに行き、頭を撫でて気を引いている隙に手に持ったピザをぱっと奪って、それを食卓の上の皿に戻すということをやってみたのだったが、Mちゃんは最初のうちはそれでしょげたようになって、ちょっと泣きそうになっていたものの、またすぐに機嫌を直して、ふたたびピザを掴んでうろつき回りはじめたので何の効果もなかった。
 食後、こちらは一人先に席を立って台所に食器を運び、皿を洗ったあと入浴に行った。風呂に入る前に洗面所で髭を剃った。すると顎周りが少々ひりついたので乳液をつけておき、それから入浴、湯のなかで身体を寝かせて、最初のうちは子供の躾ということに関連して規律=訓練というようなテーマについて思いを巡らせて、一四日の記事には母親は主体化のプロセスを充分に踏んでいないために他者の価値観を内面化させてそれに縛られてしまっている、と書いたのだったが、それでは人間がどのように主体として定かに形成されるのかと考えた時に、まさしくその他者からの規律的権力の内面化によるのではないかという気がして、そう考えると母親はむしろ、他者の内面化において中途半端な段階に留まっており、内面化を完成させられていないがために主体としても確固とした状態に達していないのではないかということが思われて、つまりは主体というものは他者の規律的視点を深く完全に取り込み自家薬籠中のものとすることによって主体化を進めるのではないか、というようなことを考えたのだったが、このあたりのことは単なる思いつきなので確かな論ではない。ミシェル・フーコーを読めばこうした疑問はすぐに解決することなのだろう。そうこうしているうちに湯の温かい安息に微睡んでいた。
 出てくると、Mちゃんとまたちょっと戯れてから、その後緑茶を用意した。その合間に母親と兄が話しているのを聞けば、兄は二六日に日本を発つと言う。その頃には彼は大阪に行っているので、伊丹空港から成田に移り、そこからロシアへ向かうとのことだ。緑茶を注ぐとこちらは煎餅の袋を咥えて、急須と湯呑みで両手を埋めて下階へ帰った。そうして先ほども流していた『川本真琴』を三曲目から掛け、一年前の日記を読んだ。この日の日記では、このあたりで自分の病状を一度整理しておこうと言って、症状を長々と分析している。当時、Mさんもそのブログで、こちらは思考の明晰さを失ってしまったとたびたび嘆いていながら、病前よりもその記述はむしろ明晰になっているのではないかという感想を漏らしていたが、確かになかなか明快な文章を拵えている。とは言え、このくらいの文章を作るのにも今よりも随分と労力が時間が掛かったような記憶はあるのだが、いずれにせよこうして一年後の時点から振り返ってみると、やはり自分の症状というのはいわゆる鬱病の範疇に当て嵌まっていたように思われる。しかし、鬱病の純然たる無感覚、虚無的な否定性のなかでも、自己分析だけはどうしても止められなかったこの自分という存在は、なかなかに作家しているではないかと、今となってはちょっとした感慨を催すものだ。業が深い。

  • これらを踏まえて自分の症状の主要な特徴を分析しておくと、まずその第一は感受性と呼ばれている種類の精神機能の鈍麻である。物事の質を感じ分ける能力がほとんど機能不全に至っているわけだが、それは読書などの精神的な事柄から食事などの身体的な欲求まで、生の全域に及ぶ。「物事の質」というものを、「特殊性」とか「差異=ニュアンス」といった概念で置き換えることもできよう。端的に言って自分の症状の中核的な要素は、差異=ニュアンスを感知する能力の不能であり、それは身近で具体的な事柄のみならず、その時々の瞬間、時空そのものの特殊性といった抽象的な方面にまで当て嵌まる。通常の人間にとっては、朝は朝としての質を持ち、夜は夜としての質を備えており、その時々に応じた心身の状態なり気分なりが生じるはずだが、自分においては、食欲や睡眠欲の減退といった要素も相まって、それぞれの時間そのもののあいだに違いが感じられない。流れる時間そのものに手応えがないのだ。以前にも書いたことだが、食事の無味を表す比喩として「砂を噛むような」というものがある。これが食事のみならず、精神作用の全域にまで及び、その空虚な味気なさが精神の支配的な様態となって常に持続しているというのが今の自分の状態だと考えてもらうとわかりやすいかもしれない。
  • あらゆる物事は自分にとっては、AでもBでもなく、悪いわけではないが良くもない、といった――ロラン・バルトとは違ってとてもこの概念を肯定的なものとして扱えないが――一種の「中性」の状態として現れる(「ものを食べたくないわけではないが、食べたいわけでもない」「不味いわけではないが、特に美味いわけでもない」)。自分においては二項対立が機能不全に陥っており、差異=ニュアンスの系列において物事がどちらにも突出することのない幅の狭さ[﹅4]、起伏のなさ[﹅5]がこちらの支配的な症状である。諸々の様態から、自分の病状は一応「うつ病」と診断されるに相応しい要素を備えていると思うが(実際、インターネット上で自己診断を試みてみても、「中程度のうつ病」といった判断が下される)、本質的にはそれは、「差異不全症」あるいは「無差異病」とでも呼ぶべき、心身の状態の絶対的な平板さ[﹅7]として現出している。
  • 二項対立においてどちらの状態でもないという消極的な中途半端さとして選ばれた「中性」の状態は、しかし現実にはまったく純粋無垢な「中性」として評価されるものではない。「どちらでもない」「何も感じられない」という第三項の半端さそのものは、総体として否定的な意味合いを帯びるからだ。つまりそれは、「生は無意味だ」といった空虚感を生み出すのである。病前の自分の実感から導き出された仮説によれば、差異=ニュアンスとはそれ自体で「生命的」なものだった。それは人間の生を活性化させ、そこに生き生きとした[﹅7]起伏を与えるはずのものだった。そうした差異=ニュアンスを感じる能力を失ったいま、否定的な無意味感に付きまとわれているというのは、皮肉にも上の仮説が逆方向からの形で、自分の身において[﹅8]証明されたと言うべきかもしれない。

 続いて二〇一四年一月二一日の記事を読んだが、実に下手くそな文章である。仕方のないことだ。さらにfuzkue「読書日記」、外山恒一のインタビュー・シリーズの第二回(「もうひとつの〝東大闘争〟「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く② ――数票差で民青に負けた代議員大会――」(https://dokushojin.com/article.html?i=5500))と読み、さらに「週刊読書人」上に新たに現れていた菅谷憲興――フローベールブヴァールとペキュシェ』を新訳した研究者で、蓮實重彦とも親交が深い――のインタビューも読もうとしたのだが、これはまだ全篇公開されていなかったので、後日に譲ることにして、そして「<沖縄基地の虚実4>96年 海兵隊動かず 展開主軸は海・空軍」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-244930.html)をひらいた。冒頭に、「初となる台湾総統選を控えた1996年3月」とあるのを読んで、台湾総統選というのはそんなに歴史が新しいのかと意外に思ったのだったが、例によってウィキペディアの記事に頼ってみると、台湾総統は「元来は最高政権行使機関である国民大会が中華民国憲法に基づいて選出していた」が、「李登輝総統(任期:1988年 - 2000年)が進めた政治体制の民主化・台湾化の一環として、1994年の中華民国憲法増修条文により、中華民国自由地区(実効統治区域である台湾・澎湖・金門・馬祖)の国民全体により直接正副総統を選出する制度へと改められた」とのことである。

 それでも仮に中国が台湾に侵攻する場合はどうか。田岡[俊次]氏によると、現在の中国軍の輸送能力で渡海できるのは最大2個師団(2万~3万人)程度。一方、台湾陸軍は20万人、さらに戦車千両余の兵力を擁する。比較して、在沖米海兵隊の戦闘部隊である第31海兵遠征部隊は同じ地上部隊だが、兵力は台湾陸軍のおよそ100分の1、約2千人だ。
 田岡氏は「中国軍が台湾陸軍を地上戦で制圧するのは不可能だ。米軍が関与するとしても、台湾近海に航空母艦を派遣する程度で、海兵隊の出番はない」と指摘する。

 次に、香取照幸「ミスター年金「年金制度破綻は大ウソだ」 給付水準は少しずつ引き下げられる」(https://president.jp/articles/-/28733)。

 今回の推計によれば、40年の社会保障給付費の対GDP比は約24%です。00年から15年までの社会保障給付の対GDP比の伸びは6.8%ポイント、比率でいえば約1.46倍だったのに対して、これから40年までの伸びはわずか2%ポイント程度、比率でいえば1.11倍でしかありません。対GDP比で見れば、今後40年にかけての社会保障給付の伸びは大きく鈍化する、ということです。

 将来推計が示す通り、公的年金の対GDP比は長期的に安定しています。もはや公的年金制度が破綻することはありません。ですが、給付水準は少しずつ引き下げられていきます。マクロ経済スライドとは、「現役世代の保険料負担に上限を設け、積立金を活用しながら現役が負担できる範囲内に年金給付を調整する」という仕組みです。すでに現役の保険料率は上限に達しているのでこれ以上増えません。18年の物価変動率は+1%、名目手取り賃金変動率は+0.6%でしたが、マクロ経済スライドが発動されたので19年度の年金額の改定率は+0.1%になります。
 つまり、マクロの制度は維持できても、ミクロ――個々の受給者にとっての公的年金の所得保障機能は今後少しずつ縮小していくということです。従って、これからの公的年金制度の課題は、基本設計をいじるような大ぶりの制度改革ではありません。「引退後の所得保障」という公的年金の本来機能を維持するための「ミクロの給付水準確保」を目指した改革になる、ということです。

 そのうえで、公的年金制度の側でできることは何か。実は前回14年改正の議論の中ですでに「処方箋」が示されています。「支え手の拡大-非正規労働者への厚生年金適用拡大」「寿命の伸長に合わせた就労期間(=加入期間)の延長」そして「年金受給開始時期の弾力化-自由選択制」です。
 (……)
 非正規労働者への厚生年金適用拡大は「支え手を増やす」ということです。支え手が増えれば保険料収入も増えます。もちろん将来それに見合う給付も増えますが、当面の財政収支は改善し、言ってみれば「拡大均衡」が実現できるのでマクロ経済スライド調整期間が短くなります。基礎年金についても、非正規労働者が第1号被保険者から第2号被保険者に移ることで国民年金の財政状況が改善。マクロ経済スライド調整期間が短縮されて基礎年金の給付水準が改善されます。
 オプション試算の結果によれば、250万人の適用拡大で所得代替率はおおむね0.5%ポイントの改善。さらに一定以上の所得のある非正規労働者をすべて適用する(約1200万人の適用拡大)ところまでやれば所得代替率は5~7%ポイントの改善、マクロ経済スライド調整期間は10年以上も短縮。非常に大きな効果があることがわかります。非正規労働者の老後所得保障が充実し、受給者全体の給付水準が改善される改革です。

 そうして、「竹中平蔵「現代人は90歳まで働くことになる」」(https://president.jp/articles/-/30182)も読んだが、これは糞みたいにどうでも良い記事だった。最後に、木澤佐登志「Beautiful Harmony 2 加速主義はオルタナティブな近代を志向する」(http://s-scrap.com/3041)。

 2004年、ピーター・ティールは、ルネ・ジラールを囲んで開かれたスタンフォード大学のシンポジウム「政治と黙示録」において、「シュトラウス主義の時代」と題した発表を行った。
 このシンポジウムは9・11以後におけるアメリカ政治の再検討をテーマにしていたが、ティールは自身の発表の中で、9・11という出来事は西洋がそれまで培ってきた近代の遺産であるところの「啓蒙」の完全な失効を決定づけるものであった、という診断を下した。一言で言えば、「啓蒙」とそれに伴う「民主主義」というプログラムは、西洋にグローバル市場という覇権をもたらしたが、それは翻ってイスラームという西洋の<外部>からの脅威を回帰させる結果ともなった。ここにおいて、西洋近代はひとつのジレンマに直面する。ティールからすれば、「西洋の没落」は近代に内在する矛盾から導かれる必然的な帰結と映っていた。
 ここから、西洋を「没落」から救うための処方箋として、「啓蒙」というプログラムに組み込まれていた価値観――すなわち「ヒューマニズム」や「平等」といった偽善的普遍主義の一時的な停止としての「例外状態」(シュミット)における「決断主義」をティールは称揚することになるだろう。
 「自由と民主主義がもはや両立するとは私は信じていない」――ティールによるこのテーゼは、西洋自身による「近代の超克」の試みを象徴するものとして受け止められる必要がある。西洋が没落から救われるには、西洋自身が「近代」を超克しなければならない。
 かつて日本において、より具体的には太平洋戦争勃発直後の昭和17年、雑誌『文學界』が「近代の超克」座談会を開き、当時の日本を代表する知識人たちが「近代」を超克しようと試みたことがあったが、新反動主義はさながら西洋自身が「近代」を精算し、そこからの「超克」を目指すプロジェクトであると言える。西洋が覇権を取り戻すためには「近代」それ自体を乗り越えなければならない。言い換えれば、「近代」の遺産から何を捨て、何を受け継げば西洋は立ち直れるのか。だから彼らにとって、問いは常に「近代」そのものに立ち返っていく。
 したがって、新反動主義、または後述する加速主義にとって問題になるのは「近代の終わり」(ポストモダン)ではなく「近代の再構築」(オルトモダン)である。あるいは、仲山ひふみ氏の表現を借りれば「ポストモダンからのイグジット」[7: https://twitter.com/sensualempire/status/1137939471796543488]の試みである。

 加速主義が推し進めようとしているものは、より近代的な未来――いいかえれば、新自由主義が生み出すことのできない別の[=オルタナティブな]近代性なのである[8: 『現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』所収「加速派政治宣言」スルニチェク+ウィリアムズ、水島一憲+渡邉雄介訳]。

 加速主義には「大きな物語」の復権への志向性が明らかに存在する。現在という「近代の終わり」(ただし彼らからすれば「近代の終わり」とは「近代の末期的状態」の謂いに他ならないのだが)からイグジットし、あり得たはずのもう一つの「近代」=「未来」を取り戻すこと。この「失われた未来」という加速主義の試みに必然的に伴うノスタルジーの気配は、スルニチェクのテキストに独特の切迫した楽観的ヴィジョンをもたらすだろう。

 さて、この「もう一つの近代」(オルトモダン)であるが、これをどのようにイメージするかという点において、新反動主義と(左派)加速主義はお互いの袂を分かつだろう。さしあたり、新反動主義も加速主義も近代の「超克」を同じく志向する。しかし、超克された近代をその後どのように「再構築」するかという段になると、それぞれが全く異なるヴィジョンを描くのである。たとえば、新反動主義においては、それはCEOが統治する企業国家が乱立するポスト封建主義的世界として幻視される。それに対して、スルニチェクらの左派加速主義は、資本主義によって制限されてきたテクノロジーの潜勢力に注目する。(……)

 ボリシェヴィズムは、当時における近代的な知の閉塞状況を見て取り、デカルト物心二元論、カントの現象主義、そして近代的な自我の概念に端を発する「個人主義」の克服を目指した。わけても近代的個人主義に対する最大の批判者であったボリシェヴィキの理論家アレクサンドル・ボグダーノフは、人間を人間たらしめているのは、自然の支配とみずからの身体の拡張の志向、そしてそのための能動的な実践にほかならないと主張した[17: 佐藤正則『ボリシェヴィズムと<新しい人間> 20世紀ロシアの宇宙進化論』]。
 個人主義物心二元論を克服するために、ボグダーノフは物理的世界は社会的に組織化された経験であるという、共同主観的な社会的プロセスとして認識作用を捉え直してみせた。物理的世界は社会と集団の協働によってつくられる。そこにおいては、個人の自我も社会的な構築物とされる。さらにボグダーノフは、調和的組織化されるのは同時代の人々の経験だけではなく、これまでに存在した全人類の協働と経験を包含していると主張する。彼の理路を逐一追うことは紙幅の都合上避けるが、乱暴にまとめればボグダーノフにとっては、時間、空間、因果律を含めた物理的世界の総体はすべて社会的かつ歴史的構築物となる。そしてそれは、確固とした普遍的法則などではなく、人々の能動的かつ協働的な労働によって変更可能なものとみなされた[18]。
 ボグダーノフの途方もない思弁は、やがて社会を共同性の意識によって結ばれたひとつの有機的なシステム――すなわち生命体の一種とみなす発想にいたる。ダーウィンから影響を受けていたボグダーノフは、社会それ自体に生存闘争としての「淘汰」の法則を適応させる。つまり、社会もまたひとつの生命体である以上、それはさながら生物のように段階的に「進化」を遂げていくのだ。ここに至って、ボグダーノフの誇大妄想的な構想は、物質界も精神界も含めた全宇宙を一元論的に包括した宇宙進化論へとまとめ上げられる[19]。
 したがって(?)、ボグダーノフが1904年の著書『新しい世界』において、ニーチェの「人間は超人の架け橋である」というエピグラフを掲げながら、人類が生物としてさらに進化し、人間の意志と労働が外的自然を完全に支配するというヴィジョンを打ち出していてもまったく不思議ではない。生命と宇宙は美しき調和的発展という最終目的に向かって進んでいく。惑星規模の機械化と生産ならびに伝達手段のオートメーション化によって、階級は消滅する。いまや人類は外的自然を支配下に置くが、それはもちろん自身の身体にも及ぶ。すなわち、実質的な「不死」の獲得である[20]。
 ボグダーノフは自身が執筆した1908年のユートピア小説『赤い星』の中で、地球人よりも早く共産主義社会を実現させた火星人社会について描写している。火星人は「集団的身体」と呼ぶべきものを獲得し、「生命の更新」と呼ばれる互いの血液交換=遺伝子交換によって生命力を伝えあっている。やがて、全人類が文字通りの血縁関係となり、真の同志的関係にもとづく社会が完成するという。
このヴィジョンを実現化させるためであろう、ボグダーノフは晩年、輸血研究所の所長として、この血液交換の実験に没頭し、ついにみずからの身体を人体実験に捧げて死んでいった[21]。

 たとえば、ハーフが反動的モダニストの一人とみなすシュペングラーは、ニーチェの権力への意志に基礎を求めながら、ドイツのナショナリズムロマン主義を近代テクノロジーと和解させることに貢献した。シュペングラーによれば、自然界の目に見えない過程を把握する科学理論は、宗教と同じような神秘的かつ魔術的な局面を備えているのだという。この「ファウスト的テクノロジー」は、自然を支配する力に到達しようとする意志を示している。人々は、物質的世界における観察と知覚からなる受動的立場から、物質的世界に対して能動的に変換と管理を行う立場に転じる[28: ジェフリー・ハーフ『保守革命モダニズム』]。
 やや余談になるが、上述した戦時期日本における「近代の超克」座談会において、下村寅太郎は近代科学における「実験」の魔術的な性格について発言している。

 魔術といふものは自然的に存在しないものを現出せしめることを意図して居るもので、これが実験的方法の精神に連なるといふのは、実験といふのは自然を単にありのままに、純粋に客観的に観察することではなくて、自然に存在しないものを、人間の手を加へて実現させて見る。自然をそれの存在性に於て見るのではなく、それの可能性に於て見る。自然の内部を外化せしめて見る、さういふものが実験的方法の根本的精神であると思ひます。このやうな意味での実験的方法とマジックの精神が相結びついたと思ふのです[29: 『近代の超克』(富士房百科文庫)]。

 下村によれば、近代科学の認識は客観的な観察、事物の直観ではなく、いわば「技術形成的認識」であるという。こうした世界に対して能動的に働きかけていく魔術的性格を基礎に置く下村の近代科学観は、シュペングラーをはじめとする反動的モダニストの近代テクノロジー観とも近い。

 木澤佐登志の記事まで読むと時刻は一〇時四〇分付近、この日の日記を書き出して、一時間二〇分で何とかここ、現在時点まで記述を追いつかせることが出来た。疲労感が身に蟠っており、腰が固くこごっている。
 緑茶をおかわりしに上階へ行ってみると、父親とT子さんがいるなかにMちゃんもまだ起きているので、Mちゃんまだ起きてるのとこちらは笑って声を掛けた。時刻は零時前である。Mちゃんはこちらの姿を見ると、また「うしゃーしょー?」と言ってきたので同じように返してやり、茶葉を捨てて玄関の戸棚から「ハーベスト」を三袋取って居間に戻ると、T子さんが、明日の朝についてお願いしますみたいなことを言ってきた。と言うのは、先ほど母親が部屋にやって来て知らされたのだが、八時過ぎにはT子さんを青梅駅まで送っていかなければならないところ、そのあいだにMちゃんの面倒を見ていてほしいとのことだったのだ。それで、起きられるかどうか自信がないけれど、何とか起きられればと笑いながら返し、一旦「ハーベスト」を持って室に戻って、菓子を置いてからふたたび上がってくると緑茶を支度した。合間に屈伸をしていると、Sくん体操してるよ、とT子さんがMちゃんに注意を促していた。そのT子さんとMちゃんはそろそろ眠る段だが、T子さんはその前にトイレに行き、戻ってくると鼻をかんで、そうして寝室――元祖父母の部屋――に向かう様子だったのでこちらと父親はMちゃんに手を振って、じゃあね、また明日ね、おやすみと挨拶した。Mちゃんは通り過ぎる際に、父親にはおやすみと返したが、こちらには言ってくれなかった。それで苦笑しながら急須と湯呑みを持ち、仏間に入った二人に向けて、じゃあおやすみなさいと声を掛けて階段を下った。
 茶を飲みながらMichael Hoffman, "Be a frog and jump into Basho's pond"(https://www.japantimes.co.jp/news/2019/10/19/national/history/frog-jump-bashos-pond/#.Xax7EP_APIU)を読んだ。兄は既に眠っているようだったが、電灯を消さずに意識を落としていたらしく、じきに目覚めて明かりの紐を引く音が聞こえた。

・connoisseur: 専門家、玄人、通
・unpretentious: 気取らない、見栄を張らない
・brusquely: ぶっきらぼうに、無愛想に
・cut short: 人の話を遮る
・crust: 外皮
・recess: 奥まった場所、窪み
・cuckoo: カッコウ
・uninitiated: 初心者
・make allowance for: 考慮に入れる; 大目に見る
・devoid: 欠いている、まったくない
・morning glory: 朝顔
・entranced: うっとりとして、恍惚として

So you reconsider, reread, ponder. Very well then … yes … . “An ancient pond”: the very image of transcendent tranquility; the frog jumps in, but “the sound of water,” far from disturbing the tranquility, enhances it, deepens it.

No, no, no! Brusquely, Suzuki cuts you short: Basho’s haiku “is far from being an appreciation of tranquility. … We must know,” he says, “that a haiku does not express ideas but that it puts forward images reflecting intuitions.”

This seems to suggest that anything you say about it — anything sayable about it — even, perhaps, what Suzuki himself says, is wrong. But what Suzuki says is so striking that it must be quoted at length:

“(The) sound of water coming out of the old pond was heard by Basho as filling the entire universe.” Hearing it, “Basho was no more the old Basho. He was ‘resurrected.’ He was ‘the Sound’ or ‘the Word’ that was even before heaven and earth were separated. He now experienced the mystery of being-becoming and becoming-being. The old pond was no more, nor was the frog a frog. They appeared to him enveloped in the veil of mystery which was no veil of mystery.”

Here is another poem by Chiyo: “Ah! Morning-glory!/ The bucket taken captive!/ I begged for water.”

About to draw water from the communal well, she was entranced by a morning glory tangled in the bucket. How beautiful it was — more than beautiful: “The whole universe, including herself,” Suzuki explains, “is transformed into one absolute morning-glory …” Unwilling to disturb the flower, she went off to “beg for water.”

 そうして一時直前から村上春樹アンダーグラウンド』を読みはじめた。(……)そうして三時を回った頃合いまで書見を続け、読書時間を記録しておくとコンピューターを落とし、入口傍の電灯のスイッチを押して部屋を暗闇に浸して、ベッドに移って眠りに向かった。


・作文
 12:48 - 13:53 = 1時間5分
 16:50 - 17:26 = 36分
 18:22 - 18:52 = 30分
 22:42 - 24:07 = 1時間25分
 計: 3時間36分

・読書
 21:07 - 22:38 = 1時間31分
 24:19 - 24:48 = 29分
 24:55 - 27:03 = 2時間8分
 計: 4時間8分

・睡眠
 4:00 - 11:50 = 7時間50分

・音楽