2019/11/3, Sun.

 この章の題名は挑発的に響くか、腹立たしく思えるかもしれない。果たして有益な暴力など存在するのか。それは残念ながら存在する。死は、故意ではない、最も穏和なものであっても、暴力であるが、それは不幸なことに有益である。不死のものたちの世界は(スウィフトのストゥルルドブルッグス)想像できないし、そこで生きることは不可能だろう。それはこの非常に暴力的な現実世界よりも、さらに暴力的だろう。そして一般的には殺人も無益ではない。ラスコリニコフは金貸しの老女を殺すことで、それが犯罪であるにしても、ある目的を果たした。またサラエボのプリンキプも、ファーニ街でアルド・モーロを誘拐した誘拐犯たちも同じだった。狂気の殺人を除けば、人を殺すものはそのわけを知っている。それは金のため、本物や想像上の敵を抹殺するため、侮辱に復讐するためなどである。戦争とは忌むべきもので、国家間や党派間の対立を解決する最悪の方法であるが、無益なものとは言えない。それは非道か、邪悪であるにせよ、ある目的を持っている。それにはそれなりの根拠があり、苦しみを与えることを目的にはしていない。もちろん苦しみは存在する。それは集団的で、悲痛で、不正なものであるが、副産物であり、余分なものである。さて、ヒトラーが統治した十二年間、その暴力は他の多くの歴史的時空のそれと共通点を持ったのだが、その十二年間は特にそれ自体を目的とした無益な暴力によって特徴づけられていた、と私は考えている。その暴力はただ単に苦痛を作り出すことを目的としていた。時にはある目的を持っていたが、いつもその暴力は過剰で、常に目的とは釣り合わないほど大きかった。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、119~120; 「5 無益な暴力」)


 最終的に一二時二〇分頃に起床。もっと早い時間から何度も覚めて、八時のアラームの際にはベッドを抜け出しもしたはずなのだが、その頃の記憶は抜けている。一一時頃から覚醒の感触も段々と確かなものになったと思うが、どうしても身体を持ち上げることができず、姿勢を変えながら苦しんでいるあいだに正午を越えてしまったのだった。ベッドを降りて室を出て、上階に行くと居間は無人、確か今日はKのおばさんの四十九日だとか言っていたような気がするから、母親はそれで出掛けているのだろう。書置きには、二時頃になったら洗濯物を入れてくれと記されており、また、カレーがあるとも書いてあった。カレーと言ってレトルトのものだが、なかなか美味い品なのでそれを食べることにして、トイレで用を足し洗面所で顔を洗ったあとにフライパンを引っ張り出して水を注ぎ、それを火に掛けながら玄関の戸棚から取ってきたパウチを一つ、早くも投入してしまった。ほかには前夜の野菜の汁物と、菜っ葉とソーセージを炒めたものがもう一つのフライパンにあった。
 カレーを加熱しているあいだに風呂を洗ってしまおうというわけで浴室に行き、蓋を取り除くと栓を抜いて、汲み上げポンプもバケツに取り出しておき、水が流れ出していくあいだは肩を回してほぐしながら待った。その後、ブラシを使って浴槽を掃除し、栓や蓋を元のように戻すと台所に出て、ソーセージをつまみ食いしながら汁物の鍋も火に掛けた。しばらく待ってスープが沸騰すると椀に盛り、卓に運んでおいて、それから今度はカレーのパウチを鋏でもって湯から取り出し、開封して大皿に盛った米の上に注ぎ掛けた。そうして箸とスプーンを持って卓へ、席に就くと新聞を引き寄せて食事を始めた。一面には、二〇二〇年の米大統領選投票日までちょうど一年の節目を迎えてドナルド・トランプが野党やメディアへの攻勢を強めているとの報告があった。トランプ大統領の支持率は二〇一七年の政権発足当初から四割前後で一貫しており、共和党の支持層では九割前後の人々が彼を支持していると言う。その他、頁をひらいてみるとイアン・ブレマーのインタビューが載っていたのでそれも読んだ。彼は一五歳で大学に入って二四歳で博士号を取ったと言う。天才か?
 カレーを食べ終えた頃、作業着姿の父親が帰ってきたので低い声でおかえりと迎えた。カレーがまだあったと訊くのでレトルトのものがあると答え、便所に向かう父親が、今日はどこかに行くのと訊いてくるのには、行かないと声を放っておき、席を立って台所に移った。カレーの滓が付着した皿をまず流水で流し、それから洗剤をほんの少し垂らして網状の布[きれ]で洗いはじめた。椀にスプーン、箸もさっと洗って洗剤を流すと食器乾燥機に乗せておき、冷蔵庫から水筒を出して冷たい水を一杯飲んだあと、階段を下った。自室に帰ると昨日の鼻水の氾濫のためにティッシュでいっぱいになったゴミ箱をどうにかしようというわけで、それを持って上に引き返し、鼻水に塗れて丸められた無数のティッシュを台所のゴミ箱に移した。そうして戻ると今度は急須に湯呑みを持って上がり、緑茶を用意して塒に帰ると、前日の記事の記録を付けてこの日の記事も作成した。そうしてBill Evans Trio『The 1960 Birdland Sessions』とともに日記を書きはじめたのが一時九分である。ここまで記して二六分。前日の記事をさっと仕上げて、それから一日の日記も書かなければなるまい。
 前日分を僅か九分で完成させたあと、歯の表面や側面に滓が溜まっている感覚があったので歯を磨きたくなり、作文は中断して洗面所に行き、歯ブラシを咥えて戻ってきた。そうして右手を細かく動かして口内を掃除する傍ら、過去の日記を読み返す。一年前の記事からは例によってカロリン・エムケ『憎しみに抗って』の書抜きを引いておこう。

 近代国家における文化的、宗教的に均一の国民という理想像が、現在再び追求されるようになったのは奇妙なことだ。それが歴史に矛盾し、事実に反するという点を考えればなおさらだ。全員が「地元民」であり、移民はおらず、多様な言語も多様な習慣や伝統も、多様な宗教もない、そんな国民の均一な「核」なるものが国民国家において最後に存在したのはいつか? そしてどこか? 「国民」という概念に持ち込まれたこの有機的な均一性は、確かに強力な魅力を持ってはいるものの、結局のところ空想の産物に過ぎない。どのような形の「国民」が望まれ、称揚されるにせよ、それは決して歴史上に実在したなんらかの共同体と同じものではなく、常に想像上の作られた「国民」なのであり、その理想像に近づけた(または変容させた)社会なのである。その意味では、そこには「本来の姿」などなく、あるのは常に、全員の合意のもとに、目指すべき「本来の像」(とされるもの)を作り出すという決意のみである。
 (カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年、114)

 それから二〇一四年二月四日のまったくもって下手糞な文章を読み、さらにfuzkueの「読書日記」も一日分読むと時刻は二時前、洗濯物を取りこみに行くことにした。部屋を出て廊下を渡り、階段を上ってベランダに続くガラス戸を開ければ、寝床にいた時分には淡い青さの敷かれた上に白味が薄く散らばる程度で太陽が収束してもいた空は、今は一面曇りの様相に埋められており、三時頃から降ってくるらしいとか母親が言っていたけれど、確かにそれもありそうだと思わせる寒々しさで、風にも湿り気が含まれている。吊るされたものを少しずつ室内に入れていくと、まず最初にバスタオルを畳んで、次に集合ハンガーの洗濯挟みから取り外したフェイスタオルたちを整理し、洗面所に運んでおくとそれから自分と父親の肌着を折り畳んだ。何故かわからないが、いや、多分実際のところ、法事のあとに誰か家に連れてくることになったらいけないと母親が危惧したのではないかと思うが、炬燵テーブルやソファの上はやたらに片づいていて、余計なものが何一つなくなっていた。それで肌着類もそのあたりには放置せず、階段脇の腰壁の上に乗せておき、そうして自室に帰ると、一一月一日の日記を作りはじめた。特段に苦戦することもなく一時間強で完成させると、一一月の一日と二日の記事をブログやnoteに投稿する。Twitterにも投稿を通知しておくと、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)の流れるなかで、伸びてきた手の爪を切ることにして、ティッシュを一枚取ってベッドに乗った。そうして爪をぱちぱち刻んだあとは目を閉じ、胡座を搔いて背を丸め、やや前に傾斜した姿勢で音楽に耳を寄せながら指先に鑢を掛ける。"Alice In Wonderland (take 1)"のベースソロなど聞いてみると、Scott LaFaroは実に綺麗な、明朗な歌いぶりをしており、彼が非必然性の感覚を滲ませる瞬間、作り上げられた秩序に綻びを導入する瞬間というのは、おそらくソロのあいだは訪れないで、ほとんど必ずバッキングにおいて発現するのではないかと思った。ソロにおいてLaFaroはむしろ、大方の場面では、緊密なテクニックと明快な歌心を備えた高度な統一感覚の持ち主だと思われる。彼が破綻的な振舞いを見せて暴れるのは、概ねバッキングのあいだのことだ。
 "My Foolish Heart"の途中で爪の鑢掛けを終え、ティッシュを丸めてゴミ箱に放っておくと、"My Foolish Heart"を最後まで聞いてから部屋を出て上階に行った。母親は既に帰ってきていた。こちらはアイロン掛けをすることにして、集合ハンガーからハンカチとエプロンを取り、炬燵テーブルの端に台を乗せてアイロンのスイッチを入れて、ちょっと待ってから作業を始めた。傍らソファに就いている母親は、「ままごとや」という、沢井にあると言う店で法事を執り行ったのだが、食事が出てくるのが遅くて、と文句を言ってみせた。それを聞き流しながらアイロンを動かし、ハンカチとエプロンが一枚ずつだったので早々に終えるとさっさと階を下り、音楽を聞くことにした。いつもの流し聞きではなく、ヘッドフォンをつけて身体をじっと動かさずに集中して聴取するわけである。それで椅子に座って耳を覆い、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 1)から"All Of You (take 1)"を聞いた。物凄く緊密な演奏で、一瞬たりとも緊張感が途切れず、すべての音があるべきところにあるべきように存在しており、端的に言って史上最も完璧な音楽の一つである。人類はこれを聞かなければならないと断言する。
 次にアルバムの最初に戻って、"Gloria's Step (take 1)"を聞いた。ここではベースとピアノが完全に対等の立場で対峙し合っており、何だったら本来土台を構築するべきベースの方がピアノを喰い、呑みこんでしまいそうな勢いすらあるのだが、しかし絶対に冷静さを乱さず、ベースの動勢に釣りこまれることを許さないのがBill Evansというピアニストである。リズムとメロディの力関係がともすれば逆転してしまいそうなその先端において、しかしベースに主導権を完全に持っていかせないのが彼の人間離れした平静ぶりであり、その静謐さが常に保たれているからこそLaFaroも思う存分に泳ぎ回って暴れることができるはずで、Evansが作り上げる静の秩序をLaFaroが折々に乱しに掛かるその衝突がこのトリオの瞠目すべき特質であることは間違いないと思われる。彼らの音楽はちょっと聞いたところではこの上なく協調しているようだが、実際のところはおそらくかなりぎりぎりの、ほとんど破綻すれすれの極点にあるのではないか。あと少しだけ先に進めば途端に崩壊してしまうようにも思われるその最先端で、これ以上ないほどの調和が実現してしまっているその奇跡的な逆説。だからこそこのトリオの音楽はあれほどまでに美しいのだ。
 それから、Charles Mingus『Mingus At Antibes』から冒頭の、"Wednesday Night Prayer Meeting"を聞いた。Mingusのベースが実にスピーディーで速さの感覚に満ち満ちており、端的に言って糞上手くてびっくりする。ソロイストのなかではどうしてもEric Dolphyに耳が寄るもので、彼のあまりに個性的な螺旋状の咆哮はやはり飛び抜けている。激しく回転しながらすべてのものを呑みこんでしまう竜巻といった風な様相だ。ただし、音楽全体の後半は少々弛緩するような印象もあって、Mingusがピアノを弾いて唸る段などは必要だったのだろうかという疑問を抱かないでもない。
 音楽を楽しんだあとはこの日の日記を書き足そうという気になったのだが、その前に茶が飲みたかったので急須と湯呑みを持って上階に行った。茶葉を流しに捨て、湯呑みを洗い、テーブルの端に移ると一杯目の湯をポットから急須に注ぐ。空腹に茶だけ飲むのもあまり胃に良くないのでおにぎりを食べることにして、台所の炊飯器の横でラップに米を乗せた。そこに冷蔵庫のなかにあったおかかの振りかけをまぶし、握って居間に戻ると一杯目の茶を湯呑みに注いで、二、三杯目の分の湯も急須に入れると下階に下りた。そうしておにぎりを即座に食ってしまうと日記に取り掛かり、ここまで記せばちょうど一時間が経って五時四八分に至っている。
 Richie Kotzen『Get Up』を流しつつ、下半身をちょっと動かすことにした。冒頭の"Losin' My Mind"を歌いながら屈伸を何度も何度も繰り返して膝の関節をほぐし、それから前後に開脚して筋を伸ばした。その後も左右に開脚して腰を落としたり、また前後に戻したりとして一〇分少々身体を柔らかくし、それから"Made For Tonight"や"Special"を歌ったあと、辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』から「判決」を読みはじめた。このごく短く奇妙な掌篇について、何か自分なりのことを言ってみたくて気づいたことを読書ノートに書きつけながら読んでいるのだが、七時半まで掛けて一応最後まで読み通したものの、感想をまとめるにはまだパズルのピースが足りないような感じがあり、論理の道筋も詳細には見えていないので、もう一度頭から読み返してみるつもりである。
 それから上階に行った。母親もまだ食事を取っておらず、ソファに就いてタブレットを弄って無為に過ごしていた。こちらは先に風呂に入ることにして、パジャマと下着を持って洗面所に入れば、洗濯機の縁には父親の汚れた作業着が掛けられてある。その上から蓋を閉じて、さらにその上に寝間着を置き、服を脱いで浴室に踏み入り、掛け湯をしてから湯に浸かった。身を水平に近くして、頭を浴槽の縁に凭せ掛けながら目を瞑り、頭のなかで「判決」について思念を巡らせる。ゲオルク・ベンデマンの父親は息子に対して、「わしをだまさないでくれ」(412)と求め、またその後ではペテルスブルクにいる友人について、「お前はあの男も長年だましてきたのだ」(414)と難詰するのだが、テクストを細かく読んでみれば、騙されたり裏切られたりしているのはむしろ息子ゲオルクの方のように見える。そういう路線で何か読みの筋道を構築できないかと思っているのだが、果たしてどうなるか。一五分ほど浸かってから出てくると、食事の用意である。うどんを煮込んで食べようと思っていたところ、昨晩の汁物をつゆとして母親が既に煮込んでおいてくれたので礼を言い、ピーマンと豚肉の炒め物をちょっと皿によそったあと、お玉でもってうどんを少しずつ丼に盛っていった。そのほか、上にマヨネーズの掛かった大根のサラダも既に皿に入れられてあったので、それらを卓に運び、席に就くと新聞を引き寄せてものを食べだした。テレビは『ポツンと一軒家』。新聞からは白人労働者のあいだではドナルド・トランプに対する熱狂が未だに続いているとの報告を読んだ。それで食事を終えると水を一杯注いできてセルトラリン二錠にアリピプラゾール一錠を服用し、流し台の前に移動して食器を洗った。それから、何か茶菓子はないかと母親に訊けば、兄夫婦が持ってきてくれたアリョンカのチョコレートがあると言うので、仏間からそれを持ってきて開封してみると、中身は既に割れていた。何個か欠片を貰って階段を下りながら食ってみたが、結構悪どいような味だった。それから緑茶を用意するべく急須と湯呑みを上階に持っていき、仕立ててくると一服しながらだらだらとした時間を過ごして、その後九時前から書抜きに入った。花元潔編集・解説/米田周インタビュー『アウシュヴィッツの沈黙』と、続けて辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』の書抜きもすべて済ませて、これで写されるのを待っている本はなくなったはずだ。BGMとして聞いたのはものんくる『RELOADING CITY』、続いてJoshua Redman『Still Dreaming』だった。その後、英文を読もうというわけでAlex Clark, "Interview - Nazism, slavery, empire: can countries learn from national evil?"(https://www.theguardian.com/books/2019/sep/13/susan-neiman-interview-learning-from-the-germans)をひらき、三〇分ほどですべて読み通すことができた。

・heartrending: 胸が張り裂けるような
・eulogy: 追悼
・memorabilia: (歴史的な)記憶すべき記念品
・implore: 懇願する
・wryly: 顔をしかめて
・stint on: 出し惜しみする
・atone: 償う、罪滅ぼしをする
・flak: 対空砲火; 激しい批判
・go by the board: 無視される; 失敗する
・plane: 水準、次元、レベル
・Bavaria: バイエルン
・vagrancy: 浮浪
・incarceration: 監禁、投獄

Neiman’s mother campaigned for the desegregation of Atlanta’s public schools – an activity that earned her, as Neiman recalls, several late-night phone calls from the Ku Klux Klan. One hot summer’s day, her mother invited an African American friend and her children over for the afternoon, and Neiman asked if they could all go to the outdoor swimming pool. No, came the answer. The lake, then? Still no. Imploring and questioning did not change the answer. In the end, the children played beneath the garden sprinklers; only years later did Neiman realise that it would have been against the law for them to have swum together.

Neiman is also at pains to point out that this work [= facing the past] was done more quickly and more effectively in East Germany – much of which went unnoticed because of the relentless focus on West German attempts at rehabilitation. “(……)But in the beginning, East Germany did a better job. They just did. On every level: in terms of bringing old Nazis to trial, in terms of teaching the period in schools, in terms of building monuments, and restoring concentration camps and making them educational.” Meanwhile, the west was so busy fighting a new conflict – “old Nazis were the best people to fight the cold war” – that efforts at serious denazification went by the board.

 それから歯を磨こうというわけで廊下に出ると、上階からは両親の賑やかな声、父親の甘ったるいような声音が聞こえて、どうやらロシアの兄夫婦からビデオ通話が掛かってきて、画面に映ったMちゃんの姿を前にしているらしい。こちらも上がって通話に参加しても良かったのだが、父親の耽溺ぶりが何だか辟易されて気が向かなかったので、黙って自室へ戻り、「元朝日記者・植村隆氏にインタビュー 「テープ聞いたの一度だけで記事書いた」」(https://www.sankei.com/politics/news/150803/plt1508030036-n1.html)を読みながら歯を磨いた。産経の記事はあまり読まないので今回初めて気づいたのだが、年号を示すのに西暦ではなくて平成何年といった形で記されているのは、やはり日本独自の暦たる元号を使わなくてはというナショナリズム的感情の発露なのだろうか。その後、口を濯いでくるとJoshua Redman『Trios Live』とともにここまで日記を書き足して、一〇時四三分である。
 その後、一度小休止を挟みながらも、午前三時前まで「判決」を精読し続け、読書ノートに多くの事柄を書きこんだ。ゲオルクの身投げは、言わば神たる父親への愛を証明するための試練だったのではないかという解釈を思いつき、そこにおいてゲオルクは、息子イサクを殺して生贄として捧げるよう神から要請されたアブラハムの立場と似通った位置に置かれているのではないかと考えたのだが、どうもあまり面白い読解とは言えない。しかしまあ、そのような方向性で一つ感想を拵えてみるのが、今の自分にせいぜいできる最大限のこととなるのかもしれない。三時に至る直前に書見を切り上げ、コンピューターをシャットダウンして、電灯のスイッチを切り、寝床に移った。布団のなかでも最初のうちは「判決」のことを考えていたのだが、そのうちに思考が緩やかに解体していき、眠りに入ったようである。


・作文
 13:09 - 13:26 = 17分(3日)
 13:27 - 13:36 = 9分(2日)
 14:07 - 15:13 = 1時間6分(1日)
 16:48 - 17:48 = 1時間(3日)
 22:21 - 22:43 = 22分(3日)
 計: 2時間54分

・読書
 13:38 - 13:54 = 16分
 18:10 - 19:31 = 1時間21分
 20:54 - 21:31 = 37分
 21:36 - 22:05 = 29分
 22:09 - 22:20 = 11分
 22:46 - 24:38 = 1時間52分
 25:03 - 26:53 = 1時間50分
 計: 6時間36分

・睡眠
 ? - 12:20 = ?

・音楽