2019/11/19, Tue.

 クラカウでの取り調べの間に書かれた個々の文書と同様、ヘスの自伝もまた、取調官たちに自分のことを打ち明けたいという衝動に駆られて書かれたものである。この完璧なまでに職務に忠実なアウシュヴィッツの指揮官は、取り調べを受けるにあたっても、同様に模範的な囚人であることを示した。彼は強制収容所ユダヤ人虐殺について知っていることを細かく披露しただけでなく、自分自身や自らの人生、自らの「魂」について、あるいは自分がそれらをどう理解しているかについて詳しく弁明することによって、監獄の精神科医の仕事が楽になるように努めたのだ。このような事実の中にすでに、自伝の中にも現れているヘスの奇異な、しかしその人柄をよく表しているような特徴が暗示されている。その特徴とはつまり、職務においてはただひたすら何らかの権威に忠実で、死刑執行人として、また罪を認めた被告人としていつも自らの義務を果たし、絶えず他のものの意志に従って生き、いつも自分自身をあきらめ、したがって進んで自我を、恐ろしく空虚な自我を、事実の解明に役立つように、自伝を書くという形で裁判に委ねた一人の男の、性急なまでの熱意を伴った誠実さとでもいうべきものである。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、24; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 正午を越える時刻まで寝過ごしてしまった。今日は最近続いていた晴れ晴れとした天気とは異なって、空には雲が多く掛かって陽射しも薄く、あまりはっきりとしない天候だった。ベッドを抜け出し、コンピューターを点けようとテーブルに近寄ったが、閉ざされたコンピューターが既に稼働しているのに気づいて、そう言えば昨夜はコンピューターを停止させないままに眠ってしまったのだったと思い出した。Twitterを覗いたりしてから部屋を抜けて上階に行き、まず便所に行って大便を排出し、腹のなかを幾分軽くした。それから寝間着をジャージに着替えて、台所に入れば、フライパンには目玉焼きにソーセージやベーコンなどを合わせてトマトソースで和えた料理が作られてあった。母親は昼まで半日着物リメイクの仕事に出ており、夕方からは父親と名古屋フィルのコンサートを観に行く。こちらは労働である。卵焼きを大皿にすべて払って電子レンジに突っこみ、米や昨晩のスープの余りもよそって卓に運ぶと、席に就いて新聞を引き寄せ、ものを食べはじめた。香港の高等法院が、覆面禁止規則は基本法に反するという判断を下したとの報があった。目玉焼きをおかずにしつつ米を食いながらそれを読み、国際面からも香港情勢の記事を読んでおくと、ほぼ同時に食事も平らげた。食器を台所に運んで置いておいてからポットを開けて見ると水位はさほど低くなかったので、そのまま沸かしておき、網状の布で皿を洗ってから風呂場に行き、ブラシで浴槽を擦った。出てくると今度はアイロン掛け、炬燵テーブルの端に台を乗せて、シャツやハンカチの皺を伸ばし、終えたところでちょうど母親が帰ってきた。こちらは一旦下階に戻って急須と湯呑みを取ってきて、なかに入ってきた母親と顔を合わせると、三時だかそのくらいにはまた出ると言う。どこでやるのかと訊けば、新宿だと言う。コンサートが七時から、終えて帰ってくればそれだけでもう一一時くらいにはなってしまうだろうというわけで、じゃあ外で――と言って青梅駅前のモスバーガーくらいしか選択肢はないわけだが――食べてくるわとこちらは言った。それで緑茶を用意して塒に引き返し、一服しながらここまでこの日の記事を書いて、一時一八分である。
 書き物に取り掛かる前に、キーボードを打つのにいくらか邪魔なので、伸びてきた手の爪を切って始末することにした。BGMとしてMr. Big『Get Over It』を流しだし、ベッドの上に乗って胡座を搔いて、ティッシュを一枚目の前に広げて置いて爪を切っていく。冒頭の"Electrified"からして、このアルバムは渋くて格好良く、昔は地味だとしか思えなかったがこの歳になってみるとこの渋さが心地良い。爪を切り終えるとさらに一本ずつ指先を鑢掛けしていき、終える頃には四曲目の"Superfantastic"に差し掛かっていたと思う。そうして、二時前から一六日の日記を書きはじめた。
 一時間強を費やし、三時直前に至って完成させ、インターネットに投稿して次に一七日の記事を仕上げようと思ったところ、この日曜日の夜のことはメモを取っておらず、普段の生活から外れたことも特にしていなかったようで印象に残ったこともなかったので、書いてあるところまででそのまま完成とした。そうして一七日の分も電脳の海に放流しておくと前日一八日のことを少々メモ書きし、それで時刻は三時半である。
 音楽を聞くことにした。睡気と混ざりあった頭や肉体の重さがあって、ベッドに横たわってしまいたいような調子だったので、音楽に包まれることによって心身のチューニングを図り、活力を取り戻そうと考えたのだ。そういうわけで、まずいつものようにBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から"All Of You (take 2)"を聞いた。Paul Motianは序盤、八小節単位で、遊びのあるアプローチを見せる場面と、整然としたリズムを作る場面とを交互に繰り返している。前者の地帯では、ハイハットを一拍目三拍目に踏んだり、スネアの差し入れ方も統一されていなかったりと自由だが、後者においてはハイハットは二拍目四拍目に固められるし、スネアも均等に刻まれて空間を埋める。ワンコーラス分それが演じられたあとはずっと、後者のような堅実な刻み方でビートが持続され、あまり変化はないものの、演奏の盛り上がりに応じてダイナミクスが徐々に上昇していくのは聞き分けられる。ベースソロ裏のプレイでは、シンバルの揺動の様態、波の作り方がやはり肝だと思われ、そのあたりをもう少し緻密に分析してみたいのだが、この時はちょっと睡気に意識を乱されて、あまり没入して聞くことができなかった。それでも、LaFaroのソロでの速いパッセージなど、やはり鮮烈ではある。
 それからもう一度聞いた。LaFaroの動き回り方が凄まじく、八小節単位でアプローチを変化させるMotianの試みを理解しているのかいないのか、勿論演じながら正確に認識しているはずなのだが、それに合わせてフレーズを組み立てているという感じでもないようだ。むしろ、Motianの方がLaFaroの提示する音型に合わせに行っている場面すらあった。このテイクではMotianが基本的には土台に徹しているそのおかげで、LaFaroはかなり傍若無人的に、独立性強く動けるようになっているという印象で、一聴すると彼は自分のプレイをほかの二人と調和させる気がないような感じも受けるのだけれど、それで実際には複雑な協調感が生み出されているのだから凄いもので、どうしてそうなるのかちょっとよくわからない。
 音楽を聞いた時間のことをメモに取ると時刻は四時前、そろそろ腹を埋めようと思っていると、母親の声がした。もう出かけるらしい。部屋を出て共に階段を上がり、母親は父親と共に出発し、こちらは玄関の戸棚から先日コンビニで買ったバターチキンのレトルトカレーを取り出して台所へ行くと、「赤いきつね」か「どん兵衛」か、即席麺を煮込んだらしく、揚げ入りのうどんが鍋に拵えてあった。それを火に掛けるとともに、カレーのパウチを水を汲んだフライパンに入れて加熱しはじめ、うどんは丼によそって卓へ行き、そうして啜りながら夕刊から香港情勢の記事を読んだはずだが、内容を覚えていない。うどんを食い終わると台所へ行き、米を大皿に盛って、沸騰した湯のなかからパウチを取り出し切りひらき、米の上にカレーを掛けた。それから卓へ戻って新聞は読まずに、一口ごとにぶつかるほどにたくさん入っている鶏肉の小片を味わいながら、オレンジ色のカレーソースを米と一緒に賞味した。平らげると食器を洗い、仏間で黒の靴下を履いて下階に行き、歯磨きをする傍ら、過去の日記を読み返し、三宅さんのブログも一日分を読んだ。その後、着替えである。ワイシャツは淡い水色のものを選び、今日は黒の装いを取ることに決めて、ベスト姿を整えると四時四〇分、コンピューター前に就いて日記を書き足しはじめたが、すぐに中断した。出勤に出る前にあと一回だけでも音楽を聞いて鋭気を養っておきたかったのだ。そういうわけで、"All Of You (take 2)"の三回目を聞いた。特にどこを傾聴しようという意識もなかったが、やはりScott LaFaroの奏でる音に自ずと耳が行った。非常に主張が強いからで、どこにいても、どの音を弾いていても、恐竜や巨獣のような存在感、迫力が充溢しており、ちょっと自由にやりすぎではないかと諌めたくなるような場面があるくらいである。このトリオの特異性というのは、何だかんだ言っても彼に大きく担われていることは、決して誰にも否定できないだろう。それにしても、聴覚野というものの狭さが恨めしかった。聴覚は意識と同じように線状の志向性を持っており、集中して音を聞こうと思ったらほとんど一点か、せいぜいその周りの小さな一定の範囲しか聞き取れないのだ。もっと複数の場所を同時に、平等に深く強く聴取できるような知覚の仕組みにしてもらいたかったものだ。
 それで五時が過ぎたので、音楽鑑賞で得た印象をメモに取っておいてからコンピューターを停止させた。上着を羽織り、バッグを持って階を上がると、居間のカーテンを閉めて出発、玄関で靴を履くと、少し前からだが靴のなかの生地がほつれてしまっているのがわかる。まだ一応履けるけれど、そのうちに買い換えなくてはならない。しかし余分なものに使うほどの金がないので、まだしばらくはこのボロい靴を無理矢理使い続けることになるだろう。玄関を抜けて扉に鍵を掛け、道に出ると前方から人が来て、こんばんはと声を掛けてきたので見れば、Kさんの奥さんらしかった。こんばんはと返し、ポケットに片手を突っこんで行けば、空には灰雲がほとんど全面に掛かって、均一に伸べられて埋め尽くすほどでなく端の方に隙間もあるものの、その下で道は既にかなり暗く、夜の装いで、満たされた暗闇を街灯の白い光が割って中和している。坂に折れて木下闇のなかを上っていくと、夜更かしと寝坊のためだろうがやはり疲労感があって、身体の重みを引きずりながらのろのろ歩いていると、昨日と同じところで微風が前から流れてきて、昨日と同じ足もとの下草から虫の音が立った。
 駅のホームに入り、ベンチに就いてメモ書きをしていると、しばらくして電車がやって来たので、乗りこんで北側の扉際に就き、頭上の棚にバッグを置いて立ったまま紙の上にペンを動かした。青梅に着くと今日は早めにすぐに出て、ホームを歩き改札へ、出るとSUICAの残金が少なかったので、明日遠出をするから足しておくかと券売機へ寄り、五〇〇〇円をチャージした。すると財布の中身も軽くなったのでコンビニで金を下ろすことにして、駅舎を出ると、クリスマスに向けてということだろう、ロータリーの真ん中に申し訳程度の電飾が設置されていて、ムードを盛り上げ風景を飾り立てると言うよりは、その乏しさがかえって田舎町の侘しさを助長するようでもある。コンビニに入るとATMで金を下ろして職場に行った。
 今日は二時限の労働である。一コマ目は、(……)くん(中三・英語)、(……)くん(中三・国語)、(……)くん(中一・英語)。(……)くんはテストはもう終了していたので、予習をしようと思ったのだが、その前にまずはテスト範囲の最後の単元の復習をしてみることにしたところ、その一頁だけで終わってしまった。want + A + toの構文だったのだが、すべてwant + to + Aの順番に誤答していて、答え合わせの段階でそれに気づいたので時間が勿体なかった。もっと早く、彼が解いている段階からきちんと解答文を見ておいて、ミスを指摘して直させておけば良かったと思う。(……)くんはそんなに理解力が悪いわけではないと思うのだが、どうもあまり奮わない感じがあると言うか、伸びていきそうな気配が感じられない。もう少しやり方を上手く考える必要があるかもしれない。
 (……)くんはテスト範囲の問題をすべて扱い終えていたので、どうしようかと思っていたのだが、選択肢を提示して希望を訊いてみると、教科書を使って和歌の意味を覚える方を選んだので、そのように進めた。現代語訳を覚える時間を少々取り、折々に口頭で確認するというやり方を取り、すべて確認し終えると、最後に魯迅『故郷』の問題を少々復習した。
 (……)くんはこの日、授業があることを忘れていたようで現れなかったので、連絡をして途中から来てもらった。しかし何をやったのだったか思い出せない。現在進行形だったか? 多分そうだったと思う。出来は悪くなかった、と言うかほとんど問題はなかったはずだ。ただ、塾のワークが解けていても、果たして学校のテストで点数が取れるかと言うと、ちょっと心許ない感じもある。単に問題を解かせて確認してお終いではなくて、より理解と記憶を増進していくような方策を取らなければならないだろう。例えば口頭で日本語を言い、それを聞きながら英作文を作ってもらうとか、そういったことをやっていかなければならないのではないか。一年生の段階からそうしたことに慣れさせておくのは、結構有効なやり方ではないかと思う。
 二コマ目は(……)さん(中三・社会)と、(……)さん(高三・英語)。(……)さんは選挙の仕組みや司法制度などについて確認。二対一で余裕があったので、わりと丁寧に確認することができたとは思う。元々の知識も多少はあったようだ。(……)さんは英語構文のテキストを進めた。取り立てて問題があったような記憶はない。
 そうして退勤。今日は両親がコンサートを観に行っていて帰りが遅いので、モスバーガーに寄って夕食を済ませて帰ろうと思っていたのだが、店舗のなかを覗いてみると、生徒らしき姿がある。それで何となく気後れして帰ることに決め、カップ麺でも適当に食うかと考えながら一度は駅舎に入ったのだが、まだ発車まで間があったので、コンビニで食料を買っていくことにした。ロータリーの周りを辿って入店し、店の奥の棚に向かって、「うま塩ペッパーチキンバーガー」という品に目をつけて買ってみることにした。それに加えて海老のグラタンも食べることにして品を取り、レジカウンターに向かって七三〇円を支払い、礼を言って退店して駅に入った。階段通路を行っていると、実にけたたましい、鳥類のような笑い声が前方から響いてきて、何かと思いつつ上り階段に差し掛かると、ギャルめいた若い女性二人が笑いこけていたのだったが、こちらが現れたことで彼女らは少し落着いたようだった。それでも何となく目を合わせないようにしながらその横を通り抜け、奥多摩行きに乗りこむと、席に就いてメモ書きを始め、発車すればまもなく最寄りに着いた。
 駅を抜けて通りを渡り、坂道に入って、葉っぱの散らばったなかを下りていく。誰も掃除する者がいないので、道の真ん中まで散ってきたものが放置されたまま、路面を彩る斑点のようになっている。樹の下から出ると、空には雲が掛かっているものの、結構明るいように感じられた。裏に月が遊泳していたのかもしれない。
 帰宅した家はまだ無人である。コンビニ袋をクラッチバッグから取り出し、卓に置いておき、そうして下階へ下った。コンピューターを点けながら着替えを済ませ、ジャージ姿になると夏目漱石の『草枕』を持って上階へ、まずバーガーをレンジに突っこんで温める一方、冷蔵庫から大根の和え物を取り出して卓に運び、次にピザパンを熱してそれも食膳に加えた。そうしてグラタンをレンジに入れ、四分強の加熱時間を設定して、品が回っているあいだに席に就いて食事を取りはじめた。チキンバーガーは、挟まっている鶏肉が肉厚でなかなか美味く、二五〇円かそのくらいの値段だったと思うが、バーガーショップのバーガーに比べても不足がないのではと思われた。それから温まったグラタンも持ってきて、『草枕』を読みながらスプーンで掬って摂取を進め、平らげると片づけをして入浴に行った。湯に浸かりはじめたのは一〇時二〇分だった。目を閉じながら寛いで、二〇分間浸かってから出てくると、緑茶を用意して下階に下り、一一時から英文を読みはじめた。Gary Gutting, "Rethinking Our Patriotism"(https://www.nytimes.com/2017/02/06/opinion/rethinking-our-patriotism.html)である。

・platitude: 決まり文句
・acrimony: 刺々しさ、峻烈性
・trepidation: 恐怖感; 震え
・trumpery: たわ言、ナンセンス; 見掛け倒しのもの
・solace: 慰め、安堵、癒やし
・usurp: 奪う、侵害する
・bent on: 決意している; 夢中になっている
・roughhouse: 馬鹿騒ぎ
・anemic: 無気力な; 元気のない、沈滞した

 
 同時に、TwitterのダイレクトメッセージでISさんとやりとりをしていた。KWさんは転職活動で忙しいとのことだったので、一二月の読書会はISさんと二人で会うことになった。日にちを一五日に決定し、場所は立川北口のルノアール、時刻は二時からと設定し、課題書は未定だがプリーモ・レーヴィが良いかもしれないと話し合ったところまでで、今日は一旦やりとりを終えた。英文を読み終えると、Ozzy Osbourne『Diary Of A Madman』を聞きながら、手帳から記憶ノートへ情報を写していくが、すぐに面倒臭くなって作業を取りやめ、そうしてこの日のことをメモに取った。すると、零時二一分になった。
 この夜はあとは音楽をちょっと聞いて、翌日は午前から出掛ける予定があったし、睡気もだいぶ重っていたのだろう、一時半には床に就いた記憶がある。聞いた音楽は、一九六一年六月二五日のBill Evans Trioが演じる"Milestones"である。この曲は、リズム隊の強靭さを聞くものだろう。二人とも獅子奮迅の活躍といった感じで、そのプレイは激しいスピード感に溢れている。Evansの方はコード中心で、ソロにおいて一部流麗な横開きフレーズも聞かせはするものの、ほとんど派手なことはやらず控えめに振舞っており、それに比してリズム隊がピアノを食ってしまおうとしているかのような主張ぶりである。LaFaroはコーダルな曲でのプレイも勿論凄いが、コードの制約のないモード曲の方がやはりその真価を発揮できたのではないかという気がして、この曲での演奏はまさしく泳いでいるという感じであり、フリースタイルへの志向が強く感じられるように思う。LaFaroがもう少し長く生きていたら、もっとモードやフリーをやっているのを聞くことができたのだろうが、彼がそのような音楽を演じたものとして現実に残っている記録は、Ornette Colemanのバンドに参加した際の音源くらいだろうか? そちらもじっくり聞いてみなければならないだろう。この"Milestones"での彼のソロは、バッキングと地続きになっている感じがすると言うか、勿論音数はソロになって格段に増えるのだけれど、その勢いや活力、迫力のようなものはバッキングであれソロであれ遜色ない気がして、バッキングがソロと対等の機能を果たすというのは、やはりちょっと凄いことである。Paul Motianも例によってシンバルの叩き方が特殊で、単純に一拍に一音を置いたり、あるいは伝統的なスタイルに即して二拍目四拍目で裏拍を挟んだりする形ではなく、もっとリズミカルに、自由気ままに叩いているようだ。


・作文
 13:08 - 13:18 = 10分(19日)
 13:52 - 14:58 = 1時間6分(16日)
 15:10 - 15:14 = 4分(18日; メモ)
 15:22 - 15:27 = 5分(18日; メモ)
 16:43 - 16:49 = 6分(19日)
 23:56 - 24:21 = 25分(19日; メモ)
 計: 1時間56分

・読書
 16:20 - 16:34 = 14分
 23:02 - 23:39 = 37分
 計: 51分

・睡眠
 ? - 12:10 = ?

・音楽