2020/2/8, Sat.

 真夜なかでは何年も前のことが昨日だ。それは明日のことである感覚とすごく似ている。夜のしたでは記憶と日常がそこらじゅうに散らばっていて、塊になって一挙に襲いかかられるような、特異な時間感覚がある。(……)
 (町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、6; 「しずけさ」)


 四時半かそのあたり、まだ明けていない頃に一度覚醒した。眠気は薄く、再度の入眠にも時間が掛かって、もう起きてしまって日記を書こうかと思いながらもやはり眠り足りないだろうと臥位に留まっているうちに、いつの間にか寝ついたようで六時のアラームを迎えていた。携帯の動作を止めて戻り、微睡みのうちに二〇分が経ち、目はひらきながらも思い切って起床に移れないでいると、廊下から、起きたの、という母親の声がしたので、もう起きるよと答えて身体を起こした。雲が多いようであまり晴れ晴れとした夜明けではなかった。コンピューターに寄って電源を点け、寒気のなかで各所を回り、slackを見るとTが四時半頃に音源を上げていたので、眠れたのだろうかと少々心配になった。
 上階に行くと母親に挨拶をして、卵とハムを焼くことにした。オリーブオイルをフライパンに垂らした上からハムを敷き、卵も優しく割り落とす。ハムエッグが焼ける合間に丼に米をよそって、焼けたものをその上に乗せると、小型のプラスチック容器に入った大根のスライスも母親が出してくれたので、それらを卓に運んで食事を始めた。丼には醤油を垂らして米を搔き混ぜ、大根にはすりおろし玉ねぎドレッシングを掛けて食す。
 食後に皿を洗ったあと、赤いアーガイルの靴下を履いて下階に移動した。今日は茶を飲んで悠々と一服している暇はないので早速歯ブラシを口に突っこみ、Evernoteで前日の日課記録をつけながら歯磨きをして、それから口を濯いでくるともう着替えに移った。青灰色のズボンを履こうと前日から探していたのだが、どこに行ったのか見当たらなかったので褐色のズボンを身につけて、加えて臙脂色のシャツにブルゾンの組み合わせを試そうとシャツをハンガーから外したところ、青灰色のズボンはその裏に隠れていたので、褐色のものから履き替えて、さらに真っ青の麻のシャツを試したかったが、今度はそれが見当たらなかった。臙脂色のシャツにグレンチェックのブルゾンをひとまず纏って上階に行き、真っ青のシャツがないのだが知らないかと母親に言い、深い青のやつだなどと繰り返していると、眉を顰めて考えていた母親は、紺色のやつと訊いてきて、まあ紺色かなと答えると、あそこにあったけどと元祖父母の部屋に向かった。実際そこにあったそれがこちらの求めていたシャツだったのだが、随分と皺が寄っていたし、それにさすがに生地が薄くて冬には頼りなさそうだったので、今日のところはユニクロの臙脂色のシャツを着ていくことに決定した。シャツももう一、二枚くらい欲しいものだ。そうして部屋に戻って控えめなチェック模様が入ったダークブルーのバルカラーコートを羽織り、コンピューターの前に立ってこの日のことをここまでメモ書きすると、時刻は七時五〇分だった。丁度良い時間だった――強いて言えば前日の事柄もメモしておきたかったが。
 今日はTの大学時代の友人であり、ネパールで子供たちの教育支援の活動をしているFR.Yさんと会い、その後綾瀬の「(……)」にて"C"のレコーディングである。出発前に僅かでも身体を和らげておこうとベッドに移って「胎児のポーズ」を取ると、いつの間にか空から雲はなくなっており、天はすっきりとした青さに満ちている。それからリュックサックに荷物――ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』の書籍など――を収めて上階に行くと、父親も既に起きて洗面所で身支度を整えており、卓に就いた母親が台所を挟んでそこに話を掛けている。一度着たコートを脱いでトイレに行き、排便して戻ってきてから引出しに入ったハンカチ――Brooks Brothersのもの――を取り、コートをふたたび纏っているとベスト姿の父親が声を掛けてきた。昨年の医療費の領収書があったらまとめておいてくれと言う。無言で頷き、あるでしょどっか、と半ば母親に尋ねるようにテーブルの方を示しておくと、青梅まで送っていこうかと父親は言ったが、良いと断った。そうしてストールを身につけ、リュックサックを背負って行ってくると両親に告げ、玄関に行って靴を履くと姿見に横から身体を映し、姿勢を確認してから出発した。
 雲は消え去り空は澄みやかに晴れて青くひらき、日向が路面に広く通[かよ]って、庭木の葉――緑のものや、赤っぽく染まったもの――が露を溜めたようにつやつやと照り輝いている。静寂である。そのなかに色気のない、擦過の感覚の強いふざけたような鳥の声が立ち、家々の室外機の駆動音が忍び入り、遠く、おそらく川向こうから車の地を擦る響きがうっすらと渡ってくる。空気はカーンと冴えているが、左方から斜めに降りかかってくる陽射しは温もって、微風に洗濯物のシャツが身じろぎし、旗はうねって、鴉が一羽、水色の空を背景に翼を大きく柔らかく羽ばたかせて林へと消えていく――素晴らしいなと思った。ほとんど芸術的な朝だった。
 十字路までただ一つの人影にも出逢わなかった。まだ時間に余裕はあったので、坂道を急がず上っていくと、木の葉の影が足もとの路上に濃やかに映りこんで静かに微動する。坂の途中の家からちょうど若い女性が現れて、玄関の鍵を閉めてから道に踏み出し、こちらの後ろを歩きはじめる。こちらはゆっくりと歩を進めているので坂の終わる前にじきに抜かされ、何歩分か先導した彼女がマフラーから髪を出して払い、後ろで分けて流した瞬間に、甘やかな匂いが香った。
 駅の階段を上りながら自ずと視線が上を向き、天空に至って吸いこまれていく。その空の〈何もなさ〉――これは凄いなと思った。右にも左にも見える範囲に夾雑物は一粒もなく、果実の断面のようにみずみずしく明晰な水色が無限に広がっている。永遠に続く深淵じみた底のなさと触れれば破れてしまいそうなただ一枚の表層性とが、静謐のなかでしなやかに一致した奇跡の結合。画家の眼を持った者にとっては絶好の対象だろう。
 線路沿いの石段上で梅の花が咲きだして風景に白を混ぜこんでいるが、枝の装飾はまだ蕾が大半のようでその白さは弱々しく、樹が帯びた色彩は全体として中途半端に濁っている。ホームに入り、アナウンスとともに前へ進み、頭に日光が当たる領域のぎりぎり端で止まると、線路上にこちらの頭蓋の写し絵が黒く浮かび上がった。電車に乗って扉際に就き、流れていく外の風景を眺めれば、光が空間に満ち渡って至るところに反射しまた宿って、家々や物々を生気たっぷりに艶めかせている。青梅に着いて降りると、眩しさのなかホームを進んでベンチに入った。御茶ノ水まで座っていくために、八時三七分発の東京行きを待つのだった。光のなかで脚を組み、息をつきながら、輝く大気をちょっと眺めたのち、手帳にメモを取りはじめた。周囲を人々が行き交い、冷気を避けて待合室に入っていく人も多数おり、電車も発着して、動きと音響、ざわめきに満たされた朝の空気である。八時三五分頃、東京行きが入線してきたので立ち上がってホームの先に歩いていき、車両の窓に付された表示を読んで女性専用車は平日だけであることを確認してから一号車に乗った。
 席に就き、引き続きメモ書きに邁進する。時間が掛かるのを厭わず一つ一つ、わりあいに丁寧に記していくのだが、途中でしかし、何故かボールペンのインクが出なくなった。紙を繰り返し引っ搔いてもただ無色の溝が虚しく刻まれるのみである。それで仕方なく、久しぶりのことで携帯電話に道具を移行してぽちぽちと文言を打ちこんでいったが、そうしながら、それにしてもこちらのこの記録欲と言うか、ほとんど妄執めいたものは滑稽に見えるほどではないかと思った。
 携帯電話に現在時のことまで記録を終えると、コートの内ポケットに仕舞っていた手帳を取り出し、そうしてもう一度ペンを紙の上に滑らせてみれば、今度は問題なくインクが出て黒い線が生み出される。良好である。それで前日、七日のことを記録していくわけだが、立川を越えて中央線に入ると人が増えて目の前にはまさしく壁のような並びが生まれ、さすがに圧迫感を覚えざるを得なかった。朝の満員電車には大層久しぶりに乗ったもので、緊張と言うほどではないのだが、やはりその圧力に感じるところがあるのだろう、またこちらの身体を前後に押しては引く電車の揺れにも感応するようで、何となく酔うような感覚が兆さないでもなかった。
 新宿で多くの人が降りて車内にはいくらか余裕が生じた。集合は御茶ノ水駅聖橋口に一〇時である。四ツ谷から御茶ノ水までの僅かなあいだに休んだのだったかどうか、定かでない。御茶ノ水駅に到着して降りると、立ったホームからすぐそこの距離に巨大な橋が見えたのだが、あれが聖橋だったのだろうか。聖橋と言えば、岩田宏の名唱、「神田神保町」の最後に名前の出てくる橋である。

 五十二カ月昔なら
 あのひとは聖橋から一ツ橋まで
 巨大なからだを横たえていたのに
 頸のうしろで茶色のレコードが廻りだす
 あんなにのろく
 あんなに涙声
 知ってる ありゃあ死んだ女の声だ
 ふりむけば
 誰も見えやしねえんだ。
 (『岩田宏詩集』思潮社(現代詩文庫3)、一九六八年、24~25; 「神田神保町」)

 
 ホームを移動して表示板に従って階段を上がり、改札を抜けて辺りを見回したが、知った顔はなく、まだ誰も着いていないようだった。短い通りを渡って先の広場に腰を掛けられそうな段があったのでそちらに行き、段に尻を乗せて寒風のなかでメモを取った。周囲を行き交う人々にもあまり目をやらず、視線を手帳に落として固定していたが、一度、九時五五分くらいで目を上げると、改札口の前で駅内部を向いた褐色のコートの後ろ姿がある。それがどうやらTDらしいなと見たが、まだ合流はせずにメモ書きを続け、そうして一〇時に至ってもう一度目を上げると、今度はTと、FRくんの巨体もそこに加わっていたので手帳を仕舞い、立ち上がって歩き出した。三人のすぐ近くまで来るとFRくんがこちらに気づいたので、お久しぶりですと挨拶を交わす。彼は非常に背が高く、おそらく二メートル近くあるのではないか。山高帽子風の黒い帽子を被って、ゆったりとした黒い上着の下に赤のチュニックと言うか、インナーの類を着ていたと思う。眼鏡を掛けた顔は穏やかに丸めで、テレビ番組を見た時には数年前に会った時よりも痩せたように思ったのだったが、実際に会ってみるとそのような印象は受けなかった。どこにいたのとTに訊かれるので、あそこにいたよと段の方を指すと、それはわからないわ~と彼女は漏らす。もう、六、七年ぶりかなとFRくんが言うので、二〇一三年だったと思うんだよね、夏頃だった、と細かく受けたのだが、何故それがわかるかと言うと、FRくんに会いに行く途中、往路か帰路の電車内でTに、ガルシア=マルケスの新潮社版『族長の秋 他六篇』の本を見せて紹介した覚えがあるからだ。Tは冒頭の「大きな翼のある、ひどく年取った男」をちょっと読んで、不思議、と漏らしていたような覚えがある。だから多分、前回FRくんとTと三人で顔を合わせたのは『族長の秋』に初めて触れた頃だったはずで、とすれば二〇一三年の七月とか八月とかそのあたりのことだ。
 Tが調べておいてくれた「肉の万世」に行こうということで合意され、短い通りを渡って「御茶ノ水サンクレール」という複合施設めいた建物に近寄り、入っている店舗一覧を見ると地下一階に件の店はある。それで階段を下ってなかに入り、通路を辿って、午前一〇時なのでまだ開店していない店がほとんどのなか、勤勉なことに既にひらいて客を受け入れている「肉の万世」に到着した。入店すると当然まだほかに客はおらず、貸切りみたいな状態で、八人くらい掛けられる広いテーブルに案内された。こちらはソファ席の右側に入り、左隣にはTが座って、こちらの向かいにはFRくんが就き、その左にTDが並んだ。ランチメニューが二枚配られたが、こちらはさほど腹が減っていなかった。しかしメニューに載っているのはハンバーグの類がほとんどで、そんなことはあるまいと思ったが仮にこれだけしか品物がないとするとなかなか厳しい。ドリンクとソフトクリームかな、などと言っているうちに店員がお冷やを持ってくるか何かでテーブルにやって来たところに、メニューはこれだけですかとFRくんが尋ねると、勿論そんなことはなく、正式な厚いメニューを持ってきてくれたので安心し、ひとまずシーザーサラダを食うことにした。FRくんも食べると言うので二人で分けることに我々が決めた一方、Tは朝を食べていなかったのかお腹がぺこぺこだと言い、がっつり行くと宣言していた。それで注文はこちらがシーザーサラダ、FRくんは生野菜とローストビーフか何かを組み合わせた品、Tはデミグラスソースのハンバーグで、TDはひとまずコーヒーとなった。こちらはのちほどオニオンポテトを追加していただき、TDもアボカドのついたハンバーグを食べていた。遅れて合流したKくんは何を注文していたか覚えていない。腹は減っていないと言ってコーヒーを飲んでいたような記憶はあるが、そのほかにケーキか何か食べていただろうか?
 食事を取りながらひたすら話を交わし続け、FRくんの出演したテレビ番組の内実や、彼がネパールに渡ることになった経緯や、ネパールでの生活や人々の様子などについて耳を傾けた。テレビ番組の収録は二週間に及んだと言う。しかしそれだけ時間と手間を掛けても、実際に放映されるのは僅か二〇分間のことに過ぎない。最初の一週間はディレクターらと現地を視察して、エベレスト街道を実際に辿って峻厳な道を歩いたので、かなり労力が掛かったようだ。その一週間では画として使えそうな風景を探したり、大まかな身の上を語ったりしたわけだが、番組作りとしてはなかなかにしっかりしていたようで、やらせらしきものはなく、芸能人として誰が来訪してくるのかも知らされなかったし、台本も指示もなかったと言う。時間を掛けてたくさんの画を取り、そのなかから自ずと発見される使えそうな良いものをピックアップするという方式を取っていたと。ディレクターだかプロデューサーだかは過去には『あいのり』を作っていたスタッフで、話を聞くと、『あいのり』もやらせはほぼなしでそのようなやり方で撮っていたとのことだった――一部、三角関係を演出すると言うか、面談などを通してそういう方向に誘導するようなことはあったらしいが。
 FRくんのネパール行きの経緯というのは番組内でも多少語られていたが、大学時代の先輩に促されてのことだと言う。この先輩が面白く変な人で、できるだけ強いやつと闘いたいなどと望んで世界を回った人間だと言うので、思わず、『ドラゴンボール』じゃん、と突っこんでしまった。最初は柔道着を纏ってケニアに渡り、マサイ族と闘おうとした。マサイ族の人もしかし、いきなりやって来て闘いを挑んでくる人間にはさすがに驚くから、腰に携えていた刀のような武器を取り出し応戦しようとしたところ、刃物を使われてはさすがに勝てないと先輩はやすやすと道具の力に屈して敗北。そのほかインドなども回ったあとにネパールに行き着いて、そこでスラム出身の元ストリート・チルドレンに柔道を教えている師範のような人と出逢い、教育も整っていないので柔道を通して物事や精神性を教えているのだという話を聞き、そこまで行ってようやく先輩は、物事は勝ち負けではないなと、勝敗よりも大事なことがあるなと気づかされた。馬鹿でしょ? とFRくんは笑った。それでその柔道教育家に、日本で良い人がいたらネパールに送りこんでくれと求められて、FRくんに白羽の矢が立ったというわけだった。この先輩は事程左様になかなかに面白い人なのだが、あまり詳しく語るとそちらの方がインパクトを持ってしまうために番組では彼のエピソードは大方カットされたとのことだ。
 それで大学二年生か三年生の時分に初めてネパールに渡ったのだが、当時はFRくんも子供たちを信用できず、ストリート出身の子供なので、友好的な、人懐っこいような態度を取っていても、きっと金を盗もうとしているのだろうと疑心暗鬼に駆られていた。そのような心情で一週間だか二週間だか過ごして帰ってきたあとに荷物を整理していると、物々の奥底に紙幣が一枚入っており、そこに「Don't forget me」と書かれてあった。子供の一人が入れてくれたらしい。その心根に感動し、自分は浅はかだったと気づかされて、そのことを件の先輩に話すと恩返しをしようということになり、ネパール支援などの活動に本格的に関わりはじめた。ただそれで講演を行ったり人前で喋ったりしているうちに、次はどうするの、次は何をやってくれるのというような人々からの期待がプレッシャーになってパニック障害を発症してしまい、それがじきに鬱病的な様相にも転化していって、大学は一応卒業できたけれどそれからすぐに閉鎖病棟に入院となった。最初に入れられたのはまったくの個室である。Tも統合失調症のお兄さんが入院していたことがあるから精神病院の様子を多少知っているようで、角が丸いんだよね、自分で傷つけたりできないように、などと補足していた。扉にノブもないと言う。幸い入院しているうちにFRくんは段々良くなって、ほかの患者と一緒に食事を取ったり、開放病棟に移ったり、一時外出を許されたりと段階を踏んで回復していった。外出した時の、デニーズとかガストとかの飯が美味いんだよなあこれが、とFRくんは漏らしていた。
 こちらがTに誘われて彼と会ったのが、多分退院してすぐの頃だっただろうと言う。その頃はまだ薬も飲んでいたのだが、その後、ネパールに行きたいという一心で段々減らしてついに寛解に至った。そのきっかけとなったのが、二〇一五年のネパール大地震だった。それを聞き出すに当たっては、カトマンズでの生活ぶりなどをFRくんが話している最中に、二〇一五年に、地震がありましたよね、とこちらが口を挟んで話を切り出したのだった。――相当に酷いことになったみたいですね、復興と言うか、そういうのはどうなんですか、まだまだって感じですか。カトマンズは首都なのでさすがにかなり回復しているものの、地方に行くとまだまだ全然で、道が崩れたまま通れなくなっているような箇所もままあると言う。――まあ、皆、それを理由に休んでいるようなところもあるけどね(とFRくんは笑みを漏らす)。――じゃあやっぱり、インフラ方面はまだまだ整備されていない……。――そうだね。そのネパール大地震を機に、世話になったネパールに行けず、彼の国に対して何もできないというのはやはり駄目だなと決意し、薬をなくそうと努力を始めた。そうして少しずつ少しずつ減らしていき、二年掛けて断薬を達成したのが今から三年ほど前のことだと言う。
 子供たちは柔道をよく楽しんでやってくれるらしい。柔道のようなスポーツを教えるというのは、それを通じて精神性を身につけさせるという高邁な目標も無論あるのだろうが、より実際的な事情もあって、と言うのはそのような娯楽的な要素を提供しないと子供たちは宿舎である孤児院から脱走してしまうのだと言う。その理由として、スラムやストリートでの生活というのは、我々が持っているような悲惨なイメージとは多少違って、本人たちにとっては結構楽しい面もあるからだという説明があった。物乞いをしていれば一日で結構稼げて、その金で煙草やシンナーを吸ったり飯を食ったりでき、時間管理も自分の自由になるから好きに遊んでいられる。それに対して孤児院の生活は食事の時間も決まっていたりと諸々規則があるから、部屋にはベッドも設備も無論整ってはいるけれど、子供たちはあそこの生活は監獄だ、牢屋だと結構口にすると言う。それなので、柔道などの楽しんでできるスポーツのようなものを提供することで、脱走を防いで教育を受けさせるという効用があるのだという話だった。
 FRくん曰く、ネパール人の気質はおおらかと言うかまったく殺伐としておらず、結構緩くて適当なところがある。「アルチ」という言葉があって、それはlazyみたいな意味合いだと言うが、仕事を休んだり用事を断ったりする時の理由としてその語が使われ、許容される――今日はアルチだから、俺はちょっと行かないわ、というような感じだと。また、雨が降ったら仕事や用件を休むということもよくあると言うので、大学時代の俺だね、とこちらは笑った。ネパール人はごめんなさいという言葉もあまり使わず、謝ることも少ない。と言うのも、何か過失を犯してしまった時に、例えば日本だったら当然犯した側の人間が焦点として前面に取り上げられ、責任を問われたり謝罪をしたりするわけだが、ネパールだとむしろ過失を犯された側の人間が相手を許すか許さないかを問われるのだと言う。許せば、あなたは度量の広い、素晴らしい人だという称賛を得ることになり、許さなければ逆に、心の狭い人間として非難される。そういうわけで、ネパールでは大したことでなければいちいち謝ったりはしない。あまり謝りすぎると、そんなに謝らせてしまってむしろ申し訳ないと言われたり、あるいはそんなに謝るのはこちらに対する侮辱なのかと取られたりすると。そんな風な精神性だから社会の空気としても窮屈でなく、雰囲気として暮らしやすく、その点FRくんには合っているようだった。
 後半になるとTDが、ネパールでは高齢者や例えば認知症になった人の扱いなどはどうなっているのかという質問をして、死生観の主題に話が繋がった。彼は理学療法士の仕事をしており、その現場で日々認知症の高齢者と接しているのだが、そのなかには病状が進んで自分のしていることが本当にまったくわからなくなっているのだろうというような患者もおり、そういう人間を見ていると疑問を覚えずにはいられないのだと言った。つまり、家族としてはそのような状態であっても少しでも長く生きてほしいと思って施設に入れているのかもしれないが、端から見るとやはり相当に不自然な状態を無理やり保っているという感じが禁じ得ないのだと。仮に認知症で徘徊してしまったとして、徘徊したその先で亡くなるというのがおそらく本当は生物としてむしろ自然なあり方なのだろうとTDは言っていた。そうした関心からネパールの高齢者事情のようなことについて尋ねたのだったが、FRくんの見聞上、老人ホームの類はほとんどないらしく、先日一軒それらしいものができたとかいう話を聞いたが、ほかには見たことも聞いたこともないと言う。良くも悪くもネパールの家庭は大家族なので、障害者や高齢者がいてもそのなかで養うことができ、家庭がセーフティネットの役割を果たしている。認知症の人というのもあまり見ないような気がするし、おそらく認知症とかアルツハイマーに当たるような言葉もないのではないか。それは、そこまで長く生きないということもあるだろうし、そういう状態に人が陥ったとしても、日本と比べて、明確に異常なものとして人々のなかから浮かび上がるということがあまりなく、ある程度社会に自然に溶けこんでいるような印象がある。ただ、やはり多少、表に出すと恥ずかしいというような意識や観念はあるかもしれない――概ねそういう話で、ここで加えて、のちに店を出たあとに店舗の前で、また地下通路を行きながら話された事柄を先取りしてしまうが、しかし障害者の数自体は日本よりも多いだろうとFRくんは述べた。彼は日本にいるあいだ聾学校の教師をしていたことがあり、ネパールでも少々やっていた時期があるらしいのだが、少なくとも聾者で言えば日本の五倍はいると言う。出産時環境の悪さや、幼少期に掛かった病気などを適切に治療できない医療の後進性がそうした数字に繋がるわけだが、TDはその情報を受けて、以前付き合っていたモンゴル人の恋人に言われたことを取り上げた――曰く、日本には頭のおかしい人(と恋人は言ったらしいのだが)、要は知的障害者が多いよね、と。しかしそれはTDの見立てでは、数自体が多いと言うより、日本が、そういう人でも表立って外を歩けるという、一定程度リベラルな社会だということを表しているのではないか。
 そういう話から死生観の話題に繋がったのだが、死もそれほど悲しいこととしては捉えられていないと言うか、少なくとも日本よりもカジュアルな感覚ではないかとのことだった。ネパールの宗教は主にヒンドゥー教であり、ヒンドゥー教では輪廻転生の考え方が採用されている。人間は輪廻を巡り無数の生を繰り返した先にニルヴァーナ、すなわち涅槃に至って解脱すると、その点は仏教と同じ思想構成であるらしい。解脱に一番近い存在として、「サドゥー」という修行僧の人々がいる。この人たちは涅槃に至るために一生修行を続けるわけだが、人間ではない存在、おそらくは人間を越えた存在として捉えられており、だから普通の人間はやらないようなことを実行する。例えば爪をひたすら伸ばし続けたりとか、自分の身体を激しく痛めつけたりとかそういったことで、こちらはここで柱頭行者のことを思い出し、柱の上でずっと修行する人とかもいるよねと口を挟んだのだったが、これはヒンドゥーと言うよりも、古代キリスト教方面の文化実践だったかもしれない。FRくんの携帯に入っていた画像からは、白い髭を物凄く長く伸ばしたまさしく神々しい風貌で座って祈っている老人などが紹介されて、神やん、もう神やん、とこちらは突っこんだ。ネパール社会ではそのような、ある種人間ではない存在がいるからこそ人間という存在もあるのだという風に考えられていると言う――ちょっと哲学的な考えになるんだけど、とFRくんは付言してそう述べた。それで、輪廻転生の考え方が根づいているので、先にも述べたように死というものが悲しむべき終わりとしては考えられていない。だから葬式の時などもあまりしめやかな、悲哀の雰囲気はなく、人々のすぐ目の前で死体が燃やされたりするのだと言い、実際に、居合わせた観光客などが死体を運んで燃やし、遺族は川を挟んで茶を飲みながらそれを見守っているという様子の写真が紹介されていた。ヒンドゥー教においてはまた、三大神と言うべき存在が設定されていて、それはブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァなのだが、このうちブラフマーは世界を創った神、ヴィシュヌは世界を維持する神、シヴァは世界を壊す神である。三大神のなかに破壊神が入っていることから窺えるように、破壊というのも単なる終焉ではなく、物事が次に続くための、創始と同様に重要なプロセスとして捉えられているということだった。
 あと一つ面白かったのは、「クマリ」という生き神信仰の話で、ネパールでは少女が神として選ばれて人々の祈りを集めるという文化があるのだと言う。その神となった少女は基本的に部屋のなかから出てはいけない。血を流すと神としての任期は終了となり、だから転んで怪我をしたりすると大事で、そのようにして血を流さない限りは神としての立場はずっと続くというような説明だったが、一方で還俗と言うか、神から普通人の身分に戻った「元神」が、普通に学校に通ったり銀行員などとして働いたりしているという話もあったので、おそらく、初潮を迎えて月経あるいは生理が始まり、子宮内膜が血液とともに排出されるようになると自動的に神としての任期は終わりということになるのではないかと推測したが、しかしその辺りは何となくデリケートな話なので、詳しくは尋ねなかった。少女たちがどのような基準で神として選ばれるのかはよくわからないが、オーディションのようなことも成されるのだと言う。――生まれ変わりとかではないの? 例えばチベット仏教だったら、ダライ=ラマが代々生まれ変わりとされて引き継いでいるよね。そのような、何世、というような考え方はないとのことだった。それは日本で言うところの天皇家みたいな感じだね、とこちらが我が国の制度に引きつけて言うとFRくんは、そうそう、まさにそう、と頷き、Kくんもまた、多分、神という言葉の捉え方が彼の地では異なっていて、我々がイメージするよりももっとカジュアルな感じなのではないかという見解を述べていた。ユダヤキリスト教のように超越的な存在ではないということだ。それを受けてこちらはまた件の少女神を天皇家になぞらえたのだが、Tとしては天皇家の存在はわりと重みがあるのだと言う。対してこちらは、テレビなど見ていると、例えば時代が令和に変わったから天皇を見に行こう、会いに行こう、みたいな感じで、結構人たちが集まって手振ったりしているじゃん、ああいう感じで、一種のアイドルみたいな感覚なのかもしれない、と推測を述べた。
 FRくんの話を聞いている時間が多かったのだが、我々の方からはTによって「(……)」の活動について語られた。その成り立ちが説明されたのだったが、そのなかで、こちらが調子を悪くしてTに助けを求めるように連絡を取ったという情報が挟まれたのでその点を引き受けて、元々パニック障害だったのだがそれが悪化するような形で、二〇一八年から一年間、鬱病のような様態に陥っていたのだと補足した。――パニック障害は、あれは本当にきついよね(とこちらは笑いかける)。――きついよね。何かこう、呼吸の仕方がわからなくなるんだよね。――俺は薬は一応今も飲んでるんだけど、つい昨日、医者に行ってきたんだけど、そこでまた少し減って、だからもうほとんどなくなったね。そのような報告を受けて皆、素晴らしいと称賛してくれ、特に隣のKくんが、それは何となく珍しい感じがしたのだが、力強い調子で、それは良かった、良いこと、と発していた。それで、「(……)」の楽曲をFRくんに聞いてもらったのだが、すると彼は、これ、Aの声? と漏らし、肯定されると、ええ、全然違う、全然わからないと言っていた。
 ところで、TDはこの席で当初、あまり笑わなかったと言うか、何となく浮かない表情、悩みがあるかのような雰囲気を滲ませているようにこちらには見えたのだが、それを明確に感じ取ったのがこちらが冗談を言った時だった。Tが「(……)」のメンバーについて、皆、歌も上手いから、と言った際にTDは、まあ一名を除いては、という風に受けて、それに対してちょっと遅れてからこちらは、それ、俺のこと? と口を挟んで笑ったのだった。まあ全然つまらない自虐と言うか、わざわざ差しこむような言ではなかったのだが、多分この時点で既にTDの様子に固さを感じていて、それに誘われるようにして拙劣な冗談が口を衝いたのだと思う。ところがそれに対してTDは、こちらの言葉が聞こえなかったのか、あるいは返答するほどのことではないと判断したのか、無言で反応を示さなかったのだ。それで、変だな、と思った。ただ、その後は段々と、FRくんに多くの質問をしてよく話しており、店を出たあとなどは二人で並んで一同の先を歩きながら、すっかり打ち解けた様子で言葉を交わす姿が見られたので、調子が出てきたようだなと判断されたし、スタジオに入ったあとのこの日の後半には普段と変わらない様子になっていた。のちほど三鷹での夕食が終わって、駅のホームに移ってTとKくんと三人になった際に――TDは終電に遅れそうだったので先に出たのだ――彼の浮かない様子について触れると、Tは、それは多分、初対面の人と会うから緊張していたんだと思う、私はそう取った、と述べたので、そうかもしれないなと納得して受けた。
 店内には最初は我々以外に客はなかったのだが、昼時を迎えると満員になるくらいに混み合っていた。店員も増えて、ハンバーグが乗ってじゅうじゅう音を立てているプレートを危なげなく手に持ちながら、人々が就く座席のあいだの細い通路を縫うようにして運んでいた。女性店員は頻繁にテーブルを回り、お冷やを注ぎ足してくれた。書き忘れていたが、メニューのなかには五〇〇〇円とか六〇〇〇円とかする品も結構見られて、食べる物を決める段でめっちゃ高いねと皆で言い合ったのだった。思いのほかにきちんとしたステーキハウスなのだなとこちらは思って、そこからロシアでも何とか言うステーキハウスに行ったことを思い出した――この席では名前が思い出せなかったのだが、のちほど訪露の日々の日記を見返してみたところ、「GOODMAN STEAK HOUSE」という店だった。そこで、去年の夏にロシアに行ったんだけれどということを話したが、話を出してみたは良いものの、ステーキハウスでの印象はさほど大きくは残っておらず、鮮明な記憶が蘇ってこなかったので、レア気味の肉を食って美味かった、という阿呆みたいに凡庸な話に落着いてしまった。FRくんが続けて、ロシアの街ってどういう感じなのかと質問してきたのに対しては、俺が行ったのはロシアと言ってもモスクワだけだけど、建物がやっぱり大きくて、日本だったら縦に高いと思うんだけどあちらは横に広かった、豪壮だったね、それも普通のアパートとかマンションとかだと思うんだけど、と語った。
 一時に至って退店することになったので、席を立ち、伝票を持ったFRくんとTDを先頭にレジに向かった。FRくんに、サラダは俺が払うからと声を掛けると、いやいや、俺も半分払うよと彼は言って、四〇〇円をきちんと渡してくれた。そうして順番に会計。ネパールでは聾者の数が多いという情報がもたらされたのはこの時、店舗のすぐ前に出て会計をするKくんとTを待っていたあいだのことである。それから新御茶ノ水駅に向かうことになり、TDとFRくんを先頭に通路を歩いて、外に出ると天気の良さが話題に上って、空が青々と澄みやかなのにFRくんが触れて、ネパールだとこんなに空は青くないと言った。――アジア人は結構皆、日本は空が青いから良いって言うね。ネパールは大気が汚れているということもあるし、天気もわりあい曇りがちらしい。それで言えば、巨大極まりない山に囲まれた盆地なので風もほとんど吹かないらしく、日本に帰ってくると空気の流れに、ああ、風だと思う、という話もあった。
 階段を上って外の道に上がったが、新御茶ノ水駅の入口とは逆の方向に出てしまったようだった。それで道を歩くあいだ、先ほど書いたようにTDとFRくんはほかの三人よりも前を行って色々と話を交わしており、その後ろ姿を見てTが、コミュ障とは思えないコミュニケーション力、と笑う。コミュ障って誰が? とこちらが問うと、TDがよく自分のことをそう言っているのだと言う――そんなことはないと思うが。Tも、かなり力がついてきたと思うけど、と評価していた。
 そうしてサンクレール前の広場に到着した。御茶ノ水駅聖橋口のすぐ前で、新御茶ノ水駅の入口も間近にあり、こちらが先ほど待ち合わせの時に座っていた段の後ろがそうだった。そこで皆でFRくんと有難うございましたと礼を交わすなかで、またお会いしましょうとこちらは呟いた。FRくんはスターバックスかどこかに行くと言うので、我々は手を振りながら地下鉄へと歩き出し、最後にまた一度振り返って別れを交わした。あとで彼からTに送られてきたメッセージには、皆とても穏やかで優しく、話しやすくて、波長がとても合うような気がする、というようなことが書かれていたらしい。
 駅に入り地下に下って通路を行きながらTが、何で死とかの話になってたの、と尋ねる。三大神などの話題が取り上げられた際にはTはちょうどトイレに立っていて、彼女が戻ってくるといつの間にか死生観について語られていたのだが、老人ホームで働いている経験からそういう方面の質問をしたのだとTDによってその経緯が説明された。そうして新御茶ノ水駅のホームに着き、我孫子行きだったか何だかに乗りこんだ。目指すは綾瀬である。車内ではこちらはわりと黙りがちだったような記憶があるが、ほかの三人によって何が話されていたのかはよくも覚えていない。『メイドインアビス』のことだっただろうか? Kくんが席に座っていたのではないかと思うが、これは帰りのことだったような気もする。彼は大きなベースを運んで疲れていたのだろう、眠気もあったようで、席に就くとほっとしたような顔になって、その様子を見留めたTは笑い、KP(と彼は呼ばれている)はいつも電車で席に座ると安心するって言うんだよ、と配偶者の一習慣を明かしていた。新御茶ノ水の次は湯島、その次が根津で、湯島とか根津とかいう土地はこの辺りにあるのかと思った。根津という地名は根津美術館に託して記憶していたのだが、しかし後日この日のメモを取った時に、根津美術館は確か青山の辺りではなかったかと思って検索してみたところ、やはり最寄りは表参道なので全然場所違うやんけ。それで根津美術館のホームページを見てみると、この美術館の名前は根津嘉一郎という実業家だか何だかの人名に因んだものだと載っていた。町屋に着いた時はちょうど会話の途切れ目で、沈黙のなかでTが町屋だよ、と言を向けてきて、こちらは町屋良平の名前を思い出した。綾瀬の手前で地上に出ると、車内に自然光が通ったために空間が明るく映えたようで、この電車、青で綺麗だねとTが言った。椅子や床などのデザインが澄んだ冬の夜空めいた深い青の色に統一されていたのだが、それは確かになかなか鮮やかな眺めだった。
 綾瀬に着いて降りると、階段を下って東口改札を抜け、TTと合流した。TとKくんはトイレに行ったので、TDとTTとこちらの三人で地図の載った柱の近くに寄って佇む。TTは一見して髪を切ったように思われ、こちらは髪切った、と訊き、またTDはシャワー浴びてきたんだろと突っこんでいたのだが、これはそうではなくて、何も弄っていないためにぺたりとしているだけのことらしかった。しばらく経ってトイレから戻ってきたKくんはエナジードリンクの「モンスター」を買ってきており、TDのものよりも色味の落着いた褐色――だったと思うのだが、あまり記憶は定かではない――のコートのポケットにそのロング缶を収めていた。これを飲まないと、ちょっと無理そう、とのことで、その缶を見ながらこちらの頭には急性カフェイン中毒の問題が過ぎったものの、話題には出さなかった。
 地図看板を見てこの辺りだったよなとスタジオ「(……)」の場所を確認してから駅舎を出て、通りを渡った。綾瀬を訪れるのは二回目だが、改めて、ここがSさんの住む街かと思った。駅前の空は広く、まっすぐ伸びる高架線路に沿って視線は空間を奥まで貫いていき、その果てから反対側の果てまで頭上は均一な水色に晴れ渡っている。イトーヨーカドーの前を過ぎて角を折れ、駐輪場の横を進んでいるとTDが、見上げた先、屋上の縁から生えてちょっと顔を見せている草を指して、あれで一句と言うので、青空に映える緑や屋根の縁、という何の面白味もない句を即座に拵えると、「や」が重なったなと突っこまれたので苦笑で受けた。それから裏通りを歩いているうちに隣のTDから二九日の日記は見事だったと称賛を贈られたので、有難うと礼を返した。美術展の感想を読んで自分がいかに糞か思い知らされたとTDが自虐的に漏らすのに、こちらは思わず大笑いしてしまったのだが、その後、まあでも、わざわざ言語に移し替えなくても、自分のなかに残ったものがあればそれで良いんじゃないかとありきたりの言説を提出してフォローを図った。最近はまた書き方が丁寧なようになってきてしまって、それで時間が掛かりすぎている、何しろ昨日ようやく二月一日の分を終えたわけだから一週間も遅れているとこちらは笑う。最近は特に風景描写に力を入れられているような気がすると自己評価を口にすると、風景も、毎日歩いているのは同じ道で、そう変わり映えもしないはずなのに、よく毎回違った言葉で書けるなと思うよとTDは言った。その時は確かちょうど横断歩道の前で停まっているあいだで、行く手の建物のあいだに東京武道館の特徴的な屋根が覗いていたと思う。
 それでまた何かしら話しながら少々歩き、スタジオに到着した。建物の前で2Aから2Bの移行についてはどうするかという件が話に出たので、今のままで全然良いよ、と軽くカジュアルに結論を下した。そうしているとスタジオのスタッフであるKさんがなかから現れたので室内に入り、最後に戸口をくぐったこちらが内扉の仕切りを横に滑らせて空間を密閉し、二重の防音態勢を整えた。こちらとTとTDは入ってすぐ手もと、右の壁際に置かれてあったキーボードの前に位置を取った。こちらのすぐ背後の壁、キーボードの上にはヘッドフォンが一つ掛けられている。ギターアンプはその壁に沿ってもう少し奥にあったのでTTはそこに就き、Kくんはそこから見て向かいの壁際でベースを支度して、Kさんは入口脇のデスクでコンピューターに向かい合う。言わば観客である我々三人の傍にヘッドフォンは一つしかなかったので、それはこちらが使わせてもらうことになり、二人は結局キーボード前を離れて、Tは室奥のドラムの方に設置されたヘッドフォンを、TDはこれも奥の、ドラムの横から続いたもう一室であるボーカルブースのヘッドフォンを使っていた。
 ギターとベースの準備が成されているあいだに、隣のTに顔を寄せ、二月一日の音源なんだけどさ、と切り出した。――歌い方変えた? すると、あれは以前のボーカル、つまり「(……)」で前回録音したデータよりも前のだいぶ古い版なのだと言う。――ちょっと憂いのある感じが良いと思って。ああいう路線で歌おうかなと考えているとTが言うのに、あれは、憂いがあるんだ? と尋ねた。こちらとしてもあの音源でのボーカルはなかなか良いように思われたのだったが、それは憂いがあると言うよりは、一語一語の発音がはっきりしているように感じられて好感触だったのだ。――特に、フレーズの最後の音の置き方が、しっかりしている、と言うか……(丁寧? とTは訊く)丁寧と言うか……そうかもね、そういう感じかな。と、そんな風に感想を伝えたのだったが、ただしきちんと聴き比べてみないとこれが正確な印象かどうかはわからない――そしてその後、この二月八日に録ったギター及びベースのデータを使ってTDが新しく作ってくれたミックスでは、ボーカルは「(……)」で以前に録音した音源が用いられていたのだが、それを聞いてみるとTが昔の歌い方について「憂いのある感じ」と言っていたことの意味がわかった。確かに、明るさや勢いの程度に関しては、「(……)」音源の方が遥かに上だったのだ。しかしそれだったら、古い音源においてこちらに「一語一語の発音がはっきりしている」と感じさせた要因は一体何だったのだろうか。このあたり、また聞き直してみる必要があるだろうが、今のところはこちらのなかでは、前回「(……)」で録ったボーカルよりは、古いバージョンの方が明確に良いという評価が下されている。ただ、この文章を書いている現在は二月一六日日曜日の午後八時前なのだけれど、昨日一五日にまたスタジオに入って新たなボーカルを録音したので、それをミックスした音源も聞いてみなければならないだろう。
 そうしてひとまず、ギターとベースを合わせて通しで録ったのだったか? 二つともいっぺんに録ったように思うのだが、あるいは違ったかもしれない。ベースを録っているあいだにTTに話しかけたような記憶もあってよくわからないのだが、まあ細かいことは良いとして、ギター・ベースともに一度録音されたあと、それを皆で聞いて、先にギターを部分的に修正していったと思う。確かまずTT自身の要望に合わせて何箇所か録り直したのではなかったか。そこで、一番から二番に移る間奏のソロを修正するのに結構時間を掛けたような覚えがある。TTは終盤でフレーズが高音部に移る際に、スライドを使うかチョップを使うかで迷っていた。スライドを用いればフレーズを途切れさせずに滑らかに移動することができる一方、チョップを用いると指を移動させるためにその前の音を少々短く切ることになる。こちらとしてはスライドではなくチョップを用いて、音はわりとはっきり切ってしまい、チョップを結構大胆に鳴らして際立たせて良いのではないかと思ったのだが、その点はひとまず口には出さずTTが録り直すに任せ、何度か直したところで膠着してきた気配があったので一旦手を挙げて介入し、まずTTがこだわっているところを整理して明確にし、皆で共有しようと口を挟んだ。彼としてはリズムが一番気になるようだった。特に後半に掛けてリズム的に上擦っていると言うか、やや走っている風になってしまうと言う。それからTTはどうやら弾きやすいポジション取りをいくらか模索したようで、それに沿って再度録音したのだが、それを聞いてみると、ソロフレーズ中二回目のスライドで上がる際に音程が上擦るように聞こえたので、こちらがその点を指摘するとそこはスライドを取らない案になった。そうしてまた何度か録音を試みて、こんなものだろうというバージョンが無事出来上がるに至ったものの、ただこちらとしては、ソロの冒頭もちょっと気になっていた。最初に多分、一度→(下がって)五度→(戻って)一度と行き来するフレーズがあって、今までTTはそこの音を重ねずに一音ずつ区切って弾いていたと思うのだが――あるいは五度の音は取り入れずに一度の音のみで通していたのかもしれない――、この録音の際には二音を重ねて和音にしていた。その響きがちょっと太くてバッキングのギターとぶつかるのではないかという気がしたのだが、そこはTDの施してくれるであろう修正や調整で多分どうにかなるだろうと思って言及はしなかった。
 それから、改めてギターの音源を通しで聞いたあと、こちらは三箇所気になった部分があると言って一つずつTTに確認していった。まず、サビの四小節目にシンコペーションでリズムを合わせたキメがあるのだが、譜面によればそこのコードはF#/D#→A#mと移行しており、ベースはそれに合わせて動いているはずのところ、ギターはサビの三小節目からずっと同じF#のコードを鳴らしていたので、ここはこれで良いのかと問いかけた。すると、コード譜通りに弾くとぶつかってしまうのだというような返答があり、それに対して今までの音源もずっとF#で一貫する方式だったかと質問を重ねるとそうだと肯定が返ったので、それならそこは良いだろうと落とした。次に、2Bの冒頭、いくらか平板な風に聞こえてこちらが少々こだわっていた部分だが、20200201の音源ではギターはここで一拍だけコードを鳴らし、その後はブリッジミュートで刻むフレーズ構成を取っていたところが、録音時にはキメに至るまでずっとコードをストロークしていたのでその点を指摘した。TTはそれを自覚しておらず、もう一度音源を流してもらって聞き直してから初めて認識し、ここは訂正することになった。実際この箇所は刻みの方が締まりが出て良いと思う。最後の三点目というのはCメロの途中、「(……)」という詞の裏でギターが二音構成だか三音構成だかの軽めの和音を上昇的に推移させていく場面があるのだが、そのなかの三つ目の和音に濁りが感じられたのだった。この点はドラムセットの奥にいたTも気になったと言を合わせてくれて、それで確認すると、前回ここはスタッフのKさんが指摘してくれて直したのを忘れていたとのことで、修正版を思い出して録り直すことになった。
 それらの三箇所を録り直して修正したあと最後にふたたび通しで聞いたのだが、こちらは一箇所だけやはり気になると言って指摘を重ねた。これ以前にもTTにちょっと言及しておいたところなのだが、サビに入る前の「(……)」の裏のコードワークがそれで、その部分はコード譜によればG#m7→A#m7→Badd9→C#と移行しているのだけれど、Badd9を割り当てられている三小節目のギターの和音が妙な響き方をしているように聞こえたのだ。それで確認してみると、三小節目からギターは既にC#を弾きはじめており、なおかつ装飾音としてsus4を挟んでいることがわかった。ベースやピアノはBadd9に沿っているので、ギターがテンション的に響いて妙な和音感覚を生み出していたわけである。そういうわけでここもコード譜通りに修正してもらったのだが、この点に関してはのちほどスタジオをあとにして綾瀬駅前に向かっているあいだにTDから、あれは俺も前に聞いて気になっていたんだけど、すっかり忘れていたから指摘してくれて良かったわという言葉があり、TT本人からもさすがだというお褒めの言を頂いた。
 それでギターの録音は終了した。これだけ書いてきて今更のことだが、ギターの修正よりもベースの修正の方が先だったかもしれない。どちらが先だったか順番をよく覚えていないのだが、ベースの方も音源を一度通しで聞いてそれから細かく修正していくという順当な流れを取った。こちらとしてはシンコペーションのリズムを取る時など瞬間的にフレーズのタイミングが遅れる部分が何箇所かあるように聞き取られたが、大方許容範囲だろうと判断した。ただそのなかでも一箇所、1サビに入る手前だったか、ここは直した方が良いなと思われるようなはっきりしない部分、煮え切らないようなプレイの箇所が発見されたので、その点を指摘した。2サビ以降の演奏は大方気持ち良く流れていたように思う。Kくん自身も、一部を除いては全体的に思ったよりもリズムがよれずにうまく流れていたという判断を下して満悦の様子だった。彼本人の要望としては、イントロのアルペジオ的なフレーズで途切れた瞬間があったので、まずそこが録り直された。そのほか2Aの後半でベースが躍動的に上下する場面の締まり方が気に入らなかったようで、そこも再演奏されたのだが、その時さらにそのあとまで続けて弾いて、2Bのやや甘かったリズムもついでに修正という形になった。ところでKくんは今回、ベースのトーンを以前よりも絞って音作りをしていたようなのだが、これが吉と出たのか凶と出たのかはTDが作ってくれたミックス音源をよく聴きこんでみないとまだわからない。
 そういうわけでレコーディングは終了し、Kさんがデータを書き出してくれているあいだTTとKくんは楽器を適当に弄んで遊んでいたのだが、作業が終わる頃になってTDが、君たち、もう出ますよと窘めるように言ったのを機に片づけが始まった。それよりも以前のことだったと思うが、TがKさんに二八日に予定されている立ち会いミックス作業の流れを聞いた場面があった。こちらのイメージとかを聞いてからやる感じですかとTが訊くと、そうではなくてまず先方で土台となるようなミックス音源を作っておき、それに基づいて要望を聞きながら細かな調整をしていく形だと言い、それは一時間ほどで終わるだろうということだった。ミックスによって今現在の状態が劇的に変わるわけでもない、だから問題をなるべく先延ばしせずに今ここで、録りの段階で解決していった方が良いともKさんは言った。ピッチやリズムの修正は「(……)」の方ではやらないので、それは自分たちの方でお願いしますとのことだった。そのようにして修正した音源をあちらに送って雛形のようなものを作っておいてもらう、という段取りのようだ。
 そのあたりの流れについて詳しいことは、じゃあ今、実際に担当するHRを呼びますので、そちらに訊いてみてくださいとのことで、Kさんは携帯電話で連絡をしてくれ、それに応じてハンチング帽を被った姿のHRさんがまもなく姿を現したので、こんにちは、お疲れさまですと挨拶をする。HRさんはデスクに就き、コンピューターを操作しながら次回の予約の話を始めたのだが、実のところ予約は既にしてあったのだった。次回は今月の二八日、作業はミックスの仕上げ及び"A"のベースの録音という予定になっている。Tは最初の予約時の予定から時間を増やしてくれるようにとLINEか何かのやりとりで要望を伝えていたようなのだが、この時、それはまだ反映されておらず、最終的にミックスと録音と合わせて二時間の予約に決定されたのだったと思う。この際に見えたこのスタジオの情報共有の不備、あるいは情報管理の不徹底のような点については、Tはあとでケーキショップでの会話のなかでちょっと苦言を呈していた。ショートメッセージの類はあまり見ないと言うか、何だか訳がわからなくなってしまうとHRさんは言って、gmailの方に連絡を欲しいと要求してきたのだが、その時にコンピューターに映された受信ボックス画面をTTとKくんは盗み見たようで、未読のメールが五四〇〇〇件くらいあったとのちほど喫茶店で明かしたので、それはやばいなと笑った。
 会計金額は一二〇〇〇円ほどだったはずだ。Tがまとめて支払ってくれているあいだに我々は礼を残して退出し、スタジオの前でTTとKくんと顔を合わせ、お疲れさまでしたと交わした。――まあ、あんなもんかな。細かく見ていけば切りがないから。自宅で録ってたら絶対もっと直すもんな。TTがそう言い、Kくんも同意の言を重ねているうちにTがやって来たので、駅の方面に戻った。時刻は四時半頃だっただろうか? 駅前に向かっているあいだにTTから足を怪我した時の挿話が語られた。エフェクターを詰めて畳んだ状態の重いエフェクターボードを足の指の上に落っことしてしまったのだと言い、それで爪が、指先の方からではなくて指の付け根の方から完全に剝がれたと。物凄く痛そうで、聞くだけで顔を顰めずにはいられない。
 今日は余力があればこのあとさらにスタジオに入って"D"などのアレンジを詰めるのはどうかという案が出ていたのだったが、行けなくはないけれどゆっくりしたい気持ちはあるよとTTは漏らして、今日じゃなくても良いんじゃないとこちらもその上に被せた。それで何か喫茶店にでも行って甘い物でも食べようということに合意された。綾瀬を離れてどこかに移動した方が良いのではないかという言も出たが、いずれにせよひとまず駅前に戻らなければならない。それで道を辿っているあいだこちらは、まさかそんなことはないだろうと思いながらもSさんと偶然に遭遇しないだろうかと仄かに期待して、すれ違う人々の顔姿をつぶさに眺めながら行った。その途中、イトーヨーカドー横の駐輪場に物凄く声の大きなおばさんがおり、旦那さん、駄目! 駄目! 女の人が先! みたいなことをがなり立てていたのだが、自転車を引き出すのに先とかあととか順番があるものなのだろうか。
 駅前まで来たところでイトーヨーカドーにケーキショップの類があることが判明したので入ってみることになった。ガラス戸をくぐってフロアを通り抜けると、もう一つの方の入口の脇に「Ducky Duck」という店があった。Tがまず入って席が空いているかどうか確認してみると、五人入れるとのことだったので安心して入店したが、店はこじんまりと小さく、席もかなり少なかった。その端でテーブルを三つ繋げて六人掛けられるようなスペースを作ったのだが、その途中で隣のテーブルに就いていた中年の男女や、さらにその向こうにいた老婆やらが、大丈夫? ここどくよ、ここ空くよ、こっちに来な、という調子で席を空けようとしてくれて、いかにも人情味溢れる下町のおばちゃん、というような一幕を演じてくれるのだった。大丈夫ですと我々は恐縮して笑いながら答え、礼を言って、自ら拵えたテーブル席に収まった。品物を選ぶ前に、こちらはトイレに行きたかったので皆を残して一人入口を抜け、イトーヨーカドーのフロアに入るとすぐ横に折れて通路をくぐり、便所に行った。そうして個室に入って排便したのだが、通じるはずのものがなかなか通じなかった。時間を掛けて腹をいくらか軽くして体内の圧迫感を減じたあと、室を出て手を洗い、ハンカチで水気を拭きながら店に戻ると、Tもトイレに立ったようで姿がないなか、ほかの皆はシュークリームなりモンブランなりを食っている。こちらもショーケースを見てダブルシュークリームというものを頂くことに決め、カウンターの向こうの店員にここで注文してよろしいですかと確認すると、こちらで、と誘導されたので角を曲がって別の辺の前に行き、アイスココアとシュークリームを頼んだ。そうして品物の乗った盆を受け取ると、カウンターから狭い通路を挟んですぐ向かいの席に戻り、背を通路に接した並びの右端に入った。左隣はTT、そのさらに向こうはTで、こちらの真向かいには荷物が置かれ、そこから左にKくん、そしてTDという位置取りだった。六時に至ってTTが帰ったあとはTが、こっちにおいでよと気さくに誘ったので、あ、そういう感じなの、と笑って席を一個詰めた。
 喫茶店ではまず最初に、"C"のコーラス案について話し合われた。懸案は三箇所あった。2Bと、Cの「(……)」の部分と、曲終盤の「(……)」の箇所である。こちらは、2B以外の二箇所はあっても良いだろうとイメージしているという判断を述べ、2Bは改めて曲を聞いてみないとわからないと留保した。するとTが、聞く? と言ってスマートフォンとイヤフォンを取り出したが、出先ではなく静かで集中できる自室の環境できちんと聞きたかったので、いや、ここでは、と断った。2Bは皆の感覚ではなしの方向に傾いているようだったが、こちらはわりと好きだったのだ。ただそれもTがピアノを打ちこんで作った音源を聞いた限りでの印象なので、声入りのものを聞いてみないと最終的な決定はできない――と思っていたところ、その後、歌入りの音源を聞いてみるとやはり突出感が強くて浮いているように感じられたので、こちらも2Bのコーラスはなしという判断を最終的に下し、その点は全員の合意が得られたのだった。
 Kくんは、サビのコーラス、「(……)」の最後の部分で、下のハモリが重くあるいは暗く聞こえる、というような評価を述べた。これはTTが帰ったあとのことだったように思う。彼は午後六時に至ったところで、俺も細かく聞いておくわという言葉を残して颯爽と帰っていったのだが、これに関してTはのちに御茶ノ水駅のホームで、あれは恋人に会いに行ったのだろうと予想していた。様子が何だかさっぱりとしていたし、このあと何か用事があるとか、あるいは逆に何もないとか、そういったことにまったく言及しなかったことがかえって恋人と会う予定の存在を告げている、それを証していた、というのが彼女の見解である。それはともかく、先のハモリに関してだが、その下のコーラスの最後の音はキーに対して六度の音であり、そこのコードも六度マイナーで、コーラスの終止音はコードのルートに当たるので、多分それで余計に暗くなって重い解決感のようなものがあるのだろうとこちらは推測を述べ、しかし自分としてはあのマイナーの感じはわりと好きだと付け加えた。
 コーラスに関しては各箇所についてありかなしか、皆の意見をTが集約してメモしておき、正式な構成は一五日のボーカル録音までに決定しようということで話がまとまり、その後は別の話題が展開された。一つには、歌を歌う前にはどんな風に準備をするのがベストなのかな、どういう風に整った状態に持っていくのかなというような問いがTから提出され、まあアスリートみたいなものだろうとこちらが答えた場面があった。身体全体を柔らかくほぐしておくのがやはり大事だろうと、ありきたりな言で応じたのだったが、すると、歌はまだわかるけど、ギターやベースはどうするのと質問が続いたので、俺はまあ、ひたすらこうやってたけどねと言って、手の指を一本ずつ、片方の手で押しこむようにして反らせてみせる。――それ凄いやってたね、よく覚えてる。――まあ今もやってるけどね、癖みたいなもんだね。それから、楽器もやっぱり肉体だろうね、本当は全身をほぐしておくのが大事だと思うと先ほどと同じことを言いながら、書くこともやはり意外と身体的な行いで、肉体がほぐれて整っているといないとではだいぶ違うのだ、と思っていたのだが、それを口に出すのは我田引水じみているような気がしたので控え、ただ全身がほぐれているといないとでは集中力が違ってくると思う、と言うに留めた。するとTも、違ってくるね、と同意を返す。
 ほか、これはまだTTが帰る前のことだったはずだが、TDが四月から大阪に移って働きはじめるので現地に出向いて物件を決めてこなければならないという話題から、不動産周りの事柄が話された。TDにいくらかアドバイスが成されたり、仲介会社を通さずに物件を管理所有している会社に直接連絡することは可能なのかという問いが取り上げられたりしたのだ。こちらは今まで生きてきて一人暮らしをしたことがないし、それだから考えてみれば不動産屋というところに行ったこともない。まことに世間知らずなことだが、そういった実際的・事務的な手続きの方面にまるで興味が湧かないという不適切な性分なので、知っていることも全然ないから、会話にはほとんど加わらずにただ聞くに留めた。曰く、アパマンショップとかSUUMOとか、そういう不動産会社の類でも、物件を直接管理している場合と仲介している場合と個々の不動産で異なるらしく、仲介料を結構取られることもあるとかいう話だった。武蔵境のK宅は元々一つの会社の連絡先しか記載されていなかったので、そこに電話するほかなかったのだと言う。そういう話が展開されたあと、それかNKに頼むとかね、と隣のTTがこちらを向きながら言を挟むので、俺はそのつもりでいるよ、このあいだNKにも話しておいたと受け、あいつ、めっちゃ成績良いんだよな、何か、去年は全国で何位だったみたいなこと言ってたわ、と報告した。
 TTがまだ残っていたあいだには、『メイドインアビス』の話も語られた。アニメの音楽がとりわけ良質だと言い、さらに音楽のみならず作品全体としてもよくできているらしく、Kくんなどは「後世に残る作品」とべた褒めしていたと思う。そのテーマ曲か何かの歌詞をTTがスマートフォンで検索して表示したのを見せてもらった。"Deep In Abyss"という一曲と、もう一つは"白き笛"何とかかんとか、みたいな感じの曲名だった。後者は確か、前者のカップリング曲だという話だったと思う。そこにTとKくんによって、三月八日のフォトウェディングのあとにある会食の音楽を決めなければならないという話題が合流させられて、この曲にしたらやばいねと皆で笑った。曲の歌詞に不吉で不穏な単語が数多く含まれているからである。『メイドインアビス』という漫画作品は確か数年前にMさんが読んでいた記憶があるし、絵柄がロリっぽいわりに内容は面白いという評価をどこかで見聞きした覚えもある。ただ、グロテスクなシーンだか怖いシーンだかがあるらしく、Tはダイジェスト版を視聴したのだけれど途中でこれは見れないなと思って止めたと言っていた。
 TTが去ったあとには、スタジオについても話し合われた。ミックスで劇的には変わりませんからね、と先ほどKさんは断言したわけだが、TやTDにはその発言が結構引っかかったらしく、TDはかなり疑問を抱いていたようだし、Tも、こちらのイメージを聞かないであちらでひとまずミックスを作ってしまうという点にいくらか不満を覚えていたのだと思う。その点はしかしTDが、プロの耳で聞いてまあこういう音楽だったらこういうサウンドだなという定石みたいなものもあるだろうし、最初から素人があれこれ口出しして作業をするよりも、効率も良くて確実なのではないかという形で、先方の意図を推測し、補足していた。ただその場合、開始点においてあまりにもイメージの相違があると、それは問題となるかもしれない。Tはピッチやリズムの修正をしてデータを書き出すとそれによって音質が下がってしまう、せっかくスタジオに直接出向いて録音したのに結局修正がこちらに任されてそうなってしまうのが勿体ない、と話していた。Kくんはどうだかわからないが、TとTDの二人は少なくとも、「(……)」のやり方や仕上がりの見通しに多少なりとも疑問や不安を抱いたのではないか。Tは過去の経験を援用した。曰く、以前ボーカルを録っていたスタジオではピッチやリズムの修正をしてくれたのだが、自分でやるようになるとスタジオの人よりも細かくこだわって処理を施すようになって、あちらでやってもらっても結局自分でもやることになるからとそのスタジオは使わなくなったのだと言う――それで、自分たちは思ったよりも細かくこだわって音楽を作ろうとしている方なのではないかと思った、ということが語られたのだった。結局、完全に望む通りにやりたいなら全部自分たちでできる手段や環境を整えた方が良い、と穏当な結論に落着くわけだ。スタジオ側はあくまで仕事だし、ほかの客も多数抱えているわけで、それらすべてに完璧を期していたら時間的物理的な余裕がとても足りないという事情もあるはずで、諸々の制約があるなかではどの顧客に対しても一定以上のクオリティを確保するということが優先され、一つ一つはそこそこの出来に収めざるを得ないのではないか、そういうことは実際あるだろう、とこちらは述べた。さらに続けて、「(……)」に関しては、二回訪れて仕事ぶりを見てみた限りでは、プロとして隙のない仕事をしてくれはするけれど、しかしそれ以上の情熱や熱意のようなものがあるかどうかはまだわからないよね、という評価を述べもした。互いの信頼感もまだ足りないと思う――まあ仕事上の付き合いに過ぎないのだし、あちらにとってこちらは所詮one of themでもあるのだから、別に深い信頼など必要なく、そんなものを求める方が間違っているのかもしれないが。Tも、別にKさんと仲良くなるためにあのスタジオに行っているわけではないから、良いものを作ってくれればそれで良いと言っていて、それはその通りなのだ。ただ、その点プロなんだから、業務上の連絡伝達、報連相はきちんとやってもらいたいと思った、と彼女は漏らしていた。
 話を続けて七時に至ったところでそろそろ帰ろうかとTが言って解散の気配が滲み出たのだが、そこで、飯行かないの、とこちらが口を挟んだ。TDが疲労して眠たい様子だったし、Kくんもレコーディングで気を張って疲れただろうということで、早めに解散した方が良いかとTは考えていたようだったのだが、皆が行きたければ行くという風に決定が委ねられたところに、疲れたけれどやっぱり一緒にいたいねと殊勝な言をTDが漏らして、それで食事に向かうことが合意された。綾瀬で食べるか、どこかほかに出るか、三鷹辺りまで戻るかという選択肢が提出される。前回も行った綾瀬駅付近のガストを訪れても良いだろう、とそんな雰囲気になっているところにしかしTDが、やっぱり武蔵境か三鷹辺りまで戻ろうと提案して、ひとまずそちらの方に移動することになった。トレイを返却台に片づけ、店員に礼を掛けて退店し、イトーヨーカドーを出て駅に入る。往路と同じルートを反対に取って新御茶ノ水まで辿り、そこから御茶ノ水駅に移動して中央線に乗り換えようということになっていた。綾瀬駅構内ではTDとKくんが先導していたのだが、さて、どのホームに上がれば良いのかとこちらが案内表示を見ているうちに、二人は別のホームに上がって行ってしまう。北千住方面行きが一・二番線だったので、こちらは二人が向かっているのは目的のホームとは違うのではないかと思って、え、こっちなの? と声を掛けたのだったが、二人は確信を持って進んでいく。それで何だかよくわからないホームに一度間違えて上がってしまったのだが、上がりきったところでここは何だか違うなと気づかれて、階段を戻って一・二番線ホームに上がり直した。綾瀬駅のホームドアは何故か枠だけで、ドアそのものは存在せずにその場所には隙間が広がっていたので、これじゃ意味ないじゃんと皆で言い合った――一応、警備員がその枠の前に立って人が落ちたりしないように見張っていたのだが。やって来た電車は結構空いていて、四人並んで座ることができた。左からT、Kくん、こちら、TDの順番である。発車してからしばらくして何かの話のあとに、こちらはTDに出し抜けに、音楽の、本質って……ライブ……とゆっくり切り出したのだが、するとTDも、だと思う、と引き受けて同意を返す。その点がちょっと羨ましいのだ、とこちらは話した。つまり、音楽というものは生み出されるその場、その時空を提示することで受け手との直接的なコミュニケーションを実現させることができる、その現前性の力強さのようなものが羨ましい、と。それに対して文学すなわち書き言葉というのは、それが生み出されるその場をパフォーマンスとして提示し、即時的に受け手と交感するということはあまり考えにくい形式である――その代わりに、どことも知れぬ領域へと時空を越えて伝わっていき、誰とも予測できない受容者を産出する可能性があるわけだが。しかし、無い物ねだりとは言え、言語というメディアを選んだこちらにとっては、音楽という芸術形式の即時的・即場的な現前性、その強烈さが羨ましくなることもあるのだ。
 それから続けて、一期一会みたいなものだよねと口に出し、そう言いながらこちらはヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」という概念と、さらに同時にEric Dolphyの言葉も思い起こしていた――"When you hear music, after it's over, it's gone in the air. You can never capture it again"というやつだ。TDは同意を寄越し、まったく同じ人が同じ音楽を演じた場合でも、やっぱりその時々で違うからね、と言う。――それが仮に録音されていたとしても、やっぱりその場で聞いたのと、録音であとから聞いたのとでは違うだろうし。こちらもそれに対して同意を返し、我々がそんな話をしている左方ではKくんがTと快活に言葉を交わしていた。のちほど居酒屋でも話してくれたが、Kくんはここで、アドリブをしながらギターの指板がよく見えるようになった、コード的アプローチやいくつかのスケール的アプローチを自在に切り替えることができる、そういう体験をしたという話を説明していたようだ。それから「目利きの銀次」の話題になって、以前我々が入ったのは中野の店だったが、三鷹にも店舗があり、そこで食った炙り〆鯖が、脂がとてもよく乗っていて美味い品だったとKくんが報告し、それで何となくそこに行くような流れになった。
 新御茶ノ水駅で降りる際に、確かTとKくんがベースの話をしていたのではなかったかと思う。そこでこちらも思い出して、電車を降りながらKくんに、そう言えば、大サビの前あたりでクロマチックフレーズを使ったところがあった? と尋ねた。確かに、Cで使ったと言うので、あそこが刺激的だったとこちらが評を贈ると、Kくんはその評し方に穏やかな笑い声を立てるのだった。そうして改札口へと向かうのだが、新御茶ノ水駅エスカレーターはやたらと長くて、こちらにとってはだいぶ恐怖感を催させるものだった。行きの時、つまり地下に下っていった時には、うわ、これ怖いなとこちらが漏らすと、ちょうど前にいたTが、大丈夫、守るよ、と勇敢な騎士のように言って背をこちらに寄せて盾のようになり、その身を支えにすることで恐怖感を減じてくれたのだった。そのあいだ、こちらはなるべく下の方を見ないようにして、ベルトに掴まって息を整えながら不安を受け止めていた。帰路のこの時にはこちらは最後尾に位置しており、すぐ後ろには誰もおらず何もない空間が広がっているばかりだったので、これは後ろ見られないわと弱音を漏らしながらベルトに掴まってそわそわとし、その様子をTなどに笑われながら、まだかよ、早く終われと呟きつつ耐えていた。エスカレーターが終わって堅固な床に足を下ろし、人心地つくと歩きながら、ロシアの地下鉄のエスカレーターが長くて怖かったという話をした。――あれはマジで長かった、今までで一番長かった。改札を抜けて地上に出た頃、ロシアの地下鉄って綺麗なの、何か、ゴミとかはどうなの、とTが訊いてくるので、御茶ノ水駅に向かって移動しながら、そんなに汚かった記憶はない、元々あった別の施設を利用したもので、建築とかはむしろ結構豪華だったよとこちらは回答した。
 聖橋口から御茶ノ水駅に入って中央線の下りホームに着くと、ホーム上でTは、上にも書いたように、TTは多分恋人に会いに行ったのだろうという推測を話した。TTくんは男の子としてはかなり自分のことを話す方なのに、今日は何も言わなかったから、というのがその根拠だった。この時ではなかったかもしれないが、TTと恋人の会話はきっと凄いスピードで交わされているんだろうな、ということもTは漏らしていた。じきにやって来た電車に乗ると一つ空席があったので、重いベースを運んで大変なKくんがそこに入り、その前に三人で立っているとまもなくKくんの隣が空いたので、Tも座る。次いでTDも席に就いてこちら一人が三人の前に立つ格好になり、見下ろしながら多少話に加わったと思うが、何が話されていたのかは覚えていない。そうしてTDの隣席、七人掛けの一番端も空いたので、こちらも座らせてもらうかと言いながら腰掛け、三鷹までのあいだ目を瞑って心身を休息させた。眠ったわけではないものの、多少意識を安息させることができたようだ。休みながら左方で交わされる三人の会話を半ば聞いていたが、確かこの時はやはり『メイドインアビス』の話がなされていたのではなかったか。TDがTに、音楽がとても良いから、一話だけでも見てみてほしいと勧めていたような記憶がある。
 そうして三鷹で降車した。階段だかエスカレーターだかを上ってフロアに出たところで、Tの顔が何だか白いようになっていたと言うか、視線にもちょっと力がなくなっているような感じがしたので、トイレに行ってくると言って離れた彼女を見送りながら、大丈夫かなと心中案じた。改札の手前で彼女を待つあいだ、KくんとTDはやはり『メイドインアビス』の音楽の話をしていた。Tが戻ってくると改札を抜け、こちらと並んだ彼女が眠れた、と訊いてきたので、まあ眠ってなかったけどねと答えたあと続けて、T、大丈夫、と問い返した。――何か、疲れたんじゃないかって気がしたけど。すると彼女は、喫茶店では眠かったけれど、今は頭がしっかりしてきた、と答える。そうしてエスカレーターを下って駅舎を抜けたすぐ脇に交番があるのだが、駅前の間近にある「目利きの銀次」に向かいながらTは、あそこの交番の窓にはプーさんとかディズニーキャラクターとかの人形が置かれている時と置かれていない時があって、その法則性についてKくんと一緒になって色々と考察したのだけれど、結局わからなかったのだと話した。「目利きの銀次」に入って階段を上るあいだもその話を聞き、店の入口をくぐったところで先頭にいたKくんが四人だと告げ、禁煙席はありますかと訊いたのだが、正式な禁煙席は用意されていないようだった。ベテランらしき女性が出てきて、今、座敷が空いているので周りに人がいないところに通すことはできるが、隣に煙草を吸うお客様が来られたら、何とも言えません、と述べた。喫煙席を避けようとしたのは、Tがレコーディングに向けて喉を守るために煙草の煙を吸いたくない旨を表明していたからである。それで彼女に判断を仰いだところ、ひとまず入ろうと決断されて、そうして座敷と言うか、掘り炬燵的なテーブルが六つくらい並んだ区画に通されて、その隅のテーブルに就いた。位置取りはこちらから見て左隣にTD、向かいにKくん、その左隣にTだった。メニューを見てそれぞれ品を決めるのだが、Tはステーキハウスでがっつりと食べたし、そのあと喫茶店でケーキも食べたからお腹が減っていないと言って、ほとんど食べないと宣言していた。こちらはばらちらし丼と塩キャベツに決定し、TDは以前中野店でも頼んでいた鮪ラーメンを選択し、Kくんは海鮮丼と青汁を頼み、そのほか件の炙り〆鯖が注文された。Kくん以外の飲み物は水である。
 この座敷席にいるあいだに何を話していたのかは全然覚えていない。TDが疲れて眠くなったらしく、こちらの肩に頭を預けてきたので、これが可愛い女の子だったらなあと軽薄ぶって冗談を言ったのは覚えている。それに対してTは、性別だけだね、と笑い、TD本人もなかなか可愛い男の子だと思うんだけど、と言うのでこちらも笑う。あとはそう、料理が届いたあと、下を向いて飯を食いながらTD、と隣に呼びかけ、最近の発見は、と出し抜けに問いを投げた時があった。それを見たTは、いきなり始まった、と言って笑う。TDは何と回答したのだったか、肝心のそれを忘れてしまったのだが、何かちょっとしたことが話されたはずだ。それからほかに、とTDが考えているあいだに、こちらの方が発見を語るようにと返されたのではなかったか。それでちょっと考えて、この朝のことに思い至り、直近だと今日の朝のことだけどと話しはじめると、マジで直近だなとKくんは笑う。それで、やっぱり空って凄いなと思ったね、と至極単純明快なことを言った。――今日は最寄り駅から来たんだけど、階段でホームに渡るのね、で、階段を上る時にいつも視線が自然と上を向いて、空に目が行くんだけど、今日の空は凄かった、水色のほかには何もなくて、その何もなさはやっぱり凄いと思ったよ。
 その次に確かKくんが、先にも書いたアドリブ感覚の発展のことを話したのだったと思う。そうこうするうちに騒がしい一団が座敷の区画に入ってきた。煙草を吸うようだったら出ようかと言っていたのだが、折悪しく寒鰤の一枚焼きを頼んでしまってそれがまだ来ていないところだった。一団は次々と卓を占めていき、煙草を吸ってはいないようだったがやたらと声が大きくて、うるさいざわめきを撒き散らしていた。その声に妨げられて話がしづらくなったので、寒鰤の身を剝がしてつまみながら、もし皆が良かったら店を出てどこか喫茶店にでも行かないかと提案しようかと考えたものの、しかし場所を移すのも面倒臭いし皆に余計に金を使わせるのも気が引けるしで言い出せないでいたところに、先のベテランらしき女性店員がやって来て、テーブル席の端が空いているのでそちらに移ってもらうこともできますけれど、と提案してきたので、その好意に甘えることにした。割り箸やお絞りは新しいものがありますので、と店員は言った。実に気前が良く、有能である。そうして寒鰤の一枚焼きと荷物を持って移動した先は店の端でちょっと奥まったスペースになっており、半個室のような感じで周りの声も届きにくく、これなら遅くまで話していられるねと落着いたので、喫茶店の提案はしなかった。
 この席に移ってからの位置取りはこちらの左隣にKくん、向かいにT、その隣の、こちらから見て左斜め前の席にTDという形である。寒鰤を食べ終わると、蛸の刺身の卓上焼きとエイヒレが頼まれた。簡易型の焼き網が用意されて、それで自ら炙って焼き加減を調節しながら食う方式である。蛸も美味いが、火を当てられて柔らかくくねったエイヒレが抜群に美味く、甘やかさと塩気の絶妙に調和的なバランスを誇り、栄養がぎゅっと凝縮されたような滋味深い味わいを舌にもたらしてくれた。炙り〆鯖の時からそうだったが、蛸やエイヒレを咀嚼しながら目を瞑って味覚に神経を集中させて味わっていると、TやKくんに笑われてしまうのだった。隣のKくんは目を閉じたこちらの顔の前に手を行き来させて遊んでいたようだ。
 この席では、こちらが珍しく、文学論・芸術論のようなことを語った。一応、最近の発見という話題の続きだったのだと思う。それでつい前日に町を歩きながら覚えた世界の持続の不可思議さのような事柄について話し、とりわけ外を歩いている時には知覚的刺激が次々と絶え間なくやって来て途切れることがまったくないということが実感される、常に自分の目の前に何かがあり、自分が生きている限りは感覚的情報が存在しない瞬間が――眠っているあいだ以外には――ない、つまりは無がこの世には存在しないということ、これが俺にとっては一番不思議なことだと語った。存在の、世界の充満の神秘性。それはおそらく結局は、この世界とそれを構成する事物群が存在しているという単純明快極まりない事実に対する、存在論的あるいは形而上学的な驚きに行き着くのだと思う。どんな瞬間にも何かしらの存在者が存在しているということは、どのような瞬間であれ書くことがそこにあるということである。そうした解釈に従って、こちらの頭のなかにはほとんど常に言語が渦巻いており、こちらの脳はその時見たもの感じたものを次々と言語に変換し続けている。――だから、一人でいる時なんかは、頭のなかでかなりぺらぺら喋っている感じだね……俺は、まあ、文章を書きはじめて一年くらいしたあとから、この世のすべては書かれるに値する、書くに値しない瞬間は(原理的には)この世には存在しないっていう、まあ、信仰、みたいなものを持っていて、それをずっと続けてきたようなもんだね。
 ――それぞれの瞬間っていうのは、我々はそれを同じことの繰り返しとみなすけど、でも本当は、まったく違っているはずなんだよね。一瞬一瞬が違う瞬間で、まったく同じ一瞬っていうのは、我々の生のなかで本当は、二つは存在しないはず。……そういうことをなるべく書いていきたいとは思っているかな……だから、さっきスタジオに行くあいだにTDも言ってくれたんだけど、毎日同じ道を歩いて、ほとんど変わらない、同じ風景を見ているはずなのに、毎回書く言葉が違っていて凄いって……それに答えるとしたら、やっぱり、毎回風景違うわ、っていうことになるね。
 無論、人間である限り、認識の限界はある。人間という生物の知覚器官や、脳や、そこから発生する認識はそこまで精緻なものではない。ロラン・バルトが『テクストの楽しみ』(鈴村和成訳)のなかで引いていたニーチェの言葉を思い出そう――「われわれは充分に繊細[﹅2]ではないので、生成[﹅2]のおそらく絶対の流れ[﹅5]を知覚することができない。持続的なもの[﹅6]は、平凡な水準に物事を要約し、引き戻す、われわれの粗野な器官によってしか存在しない、――なにひとつとしてそんな形態のもとでは[﹅10]存在しえないのに。樹木は一瞬ごとに新しいものである。われわれが形態[﹅2]を受け入れるのは、絶対の運動の繊細さを把握しないからなのだ」(122~123)。本当に個々の瞬間それぞれの特異性を認識することが可能となり、一瞬一瞬がまったく、何の共通性もない別の時空として把握されるとしたら、世界の連続性は消滅し、時間と空間が、この世界そのものが解体してしまうだろう。それは、端的に混沌であり、言わば神の認識であるに違いない。人間存在における「特異性」とか「固有性」とかいう概念自体が、共通性の持続を、すなわち反復を前提としたものとしてあるのではないだろうか?
 すべての物事が書くに値するという「信仰」の話から分かれたのだったと思うが、作家あるいは芸術家というのは言わば零のようなもの、まっさらな存在なのだという考え方も少々語った。どんなもののなかにでも入りこんでそれと同化することができる、そのものになることができる存在ということで、ジョン・キーツが「詩人」について提起した「ネガティヴ・ケイパビリティ」の捉え方である。「零」というのはまあ幾分わかりやすすぎる概念ではあるものの、浅田彰京都造形芸術大学の入学式のスピーチでその言葉を使って、まったく何でもない「零」であるところの我々が、それ故に、何かになることのできる可能性を豊かに秘めている、その具現化の動態こそがまさしく芸術という営みである、というようなことを語っていた覚えがある(多分に矮小化してしまっているような気がするが)。
 TDもオマーンに行った時の経験から始めて、いくらか美学的なことについて語った。砂漠地帯のようなところを車で走っていた時に、ここから見る夕陽はさぞかし綺麗でしょうねえ、みたいなことを現地の人に掛けてみたところ、その人もbeautiful、と断言したということがあった。それで考えたのだが、日本人である自分が感じる夕陽の綺麗さというものを、住まっている文化体系のまったく違うオマーン人も、どうも大体同じように感じるらしい。ということは、多分人間が感じる美しさというものは、文化や人種が違ってもあまり変わらないと言うか、少なくとも共通の土台みたいなものはあるのではないか。そこからさらに、人間という範囲を越えて動物たちにも話を広げると、例えば動物においても人間のように夕陽を見て綺麗と感じたりとか、川の流れる音を聞いて穏やかな気持ちになったりとか、まあ動物に感情とか気持ちとか、あるいは美しさといった観念はないだろうからそこまでではなくても、それでも何らかの快刺激みたいなものは彼らのなかに発生しているのかな、ということを想像したという話だった。これはまあ人間の感受性を動物に投影・反映させた考え方で、発想としてはわりとありがちなのかもしれないが、しかしこの時、TDが語りのなかで人間の領域からさらに主題を拡張させて動物たちへと話を広げた瞬間に、こちらには例えば牛とか馬とか、まあ何の動物でも良いのだけれど、それらが夕陽を見つめながら何かしらの反応を自らの内に呼び起こしているようなヴィジョンが魅力的に思われて、これは詩だなと思った――幾分ロマンティックに過ぎて、あまり良くない意味で「文学的」な感じ方かもしれないが。とは言えそれで、TDが話に切りをつけたあと、素晴らしいねと声を掛け、それは詩だよ、と力強い言葉を送っておいた。――俺はまあ、文学とかが好きな人間だから、「文学的」に考えるんだけど、例えばまあ、人間という種がこの世界に生まれるよりもずっと前に、例えば鹿とかが、水辺で川のせせらぎを聞いて、何かまあわからないけれど良い感じの感覚を得ていたとして、俺らが音楽を聞いて気持ちよくなったりするそういう感受性の奥底に、太古の動物たちの感覚的記憶が残っている……俺たちの感覚性がそれともし繋がっているのだとしたら、これは詩だなと思った。……まあわからないけど、もしそれが正しいのだとすると、それは、芸術っていうものが、人間の文化に限定されるものではなくて、もっと、何と言うか、根源的に生命的[﹅7]なものだって、そう考えられるかもしれないっていうことだよね。
 Tはいくらかオカルトめいた分野に属するだろう話を諸々語った。他人の痛みを貰ってしまうことがある、という話が一つには取り上げられた。人に触れると相手が痛みを感じている部位が自分でも痛くなるという現象のことで、それは母親の身体をマッサージしている時などにとりわけよく起こったと言う。しかしまた、直接触れることがなくとも、同じ空間で向かい合って話しているだけで相手の人と同じ箇所――例えば首の裏など――がとても痛くなるという経験も過去には幾度かあったらしい。彼女は自分自身で、何となく「貰いやすい」体質をしているというようなことを言っていて、実際この席でも、こちらが先ほど語った話――こちらの脳内にはほとんど常に言語が渦巻き流れていて、とりわけ街を歩いている時などは一瞬ごとに次々とそのような知覚=言語、あるいは思念=言語が押し寄せてくる――に影響されたと彼女は漏らし、今、ものが細かく見えるようになってきていて、何だかぞわぞわする、と言って背中の方に手をやっていた。KくんとTDはそのようなTの身に起こる現象を「科学的」に考えようとして、想定される可能性を挙げて仮説を立てようといくらか試みていたのだが、こちらは文学好きだからやはりそこは文学的に、すなわち隠喩的に構想して、Tのその敏感さ、過敏さ、他者や世界から影響を受けやすい感じやすさというものは、ある種、シャーマンとか霊媒者的なものかもしれないね、という喩えを述べた。シャーマンという言葉は彼女にはあまり気に入らなかったようで、ええ~嫌だ~などとTは漏らしていたが、要は他者の依代になり、世界を自らの内に呼びこみ、招き寄せる性質ということで、そう考えるとこれは、こちらが先ほど語ったような意味での芸術家的な能力ではないかという相同性も当然導き出される。つまりは、仮初めに、一時的にであれ自らを零に、まっさらな状態にしてそのなかに外部の存在を取りこむことのできる力能ということだ。だから、具体的にどうすればそうなるのかはわからないけれど、仮にそういう能力を自分で制御できるようになり、この人とは同化したいなとか、この人の性質は自分のなかに取り入れたいなとかいうことを意志的に選択して実現できるようになれば、それはあるいは武器になるかもしれないね、こちらが考えるような意味での芸術家の理想的なあり方を体現できるかもしれないねと話したのだった。その後にまた、もう退店して帰路に向かう直前のことだったように思うが、Tが今、痛みを貰ってしまう、他人の苦しみをコピーしてしまうということは、イメージで考えると――あくまでもこれはイメージに過ぎないわけだけれど――、Tのなかに自分というもの、自己像というものが、当然のことながら確固とあって、それが外部から入ってきた要素と、ある種衝突してしまっているということなのかもしれない、という捉え方もこちらは述べた。――だから、自分というものをもう少し薄くすると言うか、外部から色々なものを取りこむことによって自分というものをほぐして、ほどいていくというような意識が持てれば、それをうまく受け止めて、受け流すことができるかもしれない。それか、あるいは逆の方向で考えて、自分というものをより確かな、堅固なものとして作っていって、それによって外から来る圧力、外圧だよね、それとしっかり対峙する、という方策もあるかもしれない。イメージで考えるとその二択になるんじゃないかな。そうして立ち上がり、まあ個人的には、是非ともシャーマンキングを目指していただいて、と、冗談と笑いで話を収めた。
 ほか、Tに関しては、いわゆるオーラのようなものが見えるという話もあった。彼女自身は「オーラ」という言葉は一度も使わなかったが、何か、高度な努力をしたり自分の問題ときちんと向き合っていたりして、優れた力を持っている人には、うっすらと白い光のようなものが見えるのだと言う。それとは逆に、外面と内面とが食い違っているような人、要するに「腹黒い人」には、黒い靄か影のようなものがその人の後ろに見えるということもあり、それは時期で言うと比較的近く、去年あたりに起こったことだという話だった。これに関してもKくんとTDは「科学的」な方面からの説明を試みていたが、こちらにはよくもわからない――ただ、勿論、H.Tさんのことを思い起こしはしたものだ。彼は今はもう、オーラめいたものは見えなくなったのだろうか?
 そういう諸々の話をしながら冷たい水を何杯も貰っては飲んでいたのだが、グラスに注がれ角氷をたくさん詰めこまれたこの冷水が、何故だかわからないがやたらと美味くて、こちらは水をごくごくと口にしてはまるで酒に浸っている中年のように顔を顰めて息をつき、水、うめえ……と呟くのだった。それに対してKくんは笑い、Tは、わかるよ、何かここのお水美味しいよね、と同意を送ってくれた。そうして、一一時四〇分頃になって店を出ることになった。一一時五四分頃の電車に乗る予定だったのだ。しかし、そこに電車の時間を調べていたTDが、あれ、やべえ、と漏らして、訊けば一一時四四分だかが終電だったと言う。それなのでもう行った方が良いとKくんが強く勧めて、TDは慌てて一人先に店を出たのだが、のちのち、余裕で間に合ったわというLINEが送られてきたらしかった。
 我々はレジに行き、こちらがひとまずまとめて五六〇〇円ほどを支払った。四人であれだけものを食ってこの値段というのはかなり安いな、と思った。それから三人で割って一九〇〇円くらいと計算して、Kくんは二〇〇〇円を払ってくれたのだが、Tがほとんど食事を取っていなかったのをすっかり失念していたことにこちらは気づき、それなので階段を下って外に向かいながら、T、全然食ってなかったから、ここは俺が出すんで……今度何か奢ってくれ、と笑って、それで話はまとまった。そうして駅に戻り、エスカレーターを上って改札をくぐると、Kくんがトイレに行くために一時離脱した。(……)
 それでKくんが戻ってくるとホームに下り、豊田行きか何かに乗った。二人とは僅か一駅で別れである。いつも通りKくんと握手をして、じゃあな、じゃあな、と交わし合ったあと、ちょうど空いた一席に就いて、ホーム上で見送ってくれる二人に向けて手を挙げ、立川に向けて出発した。その後は手帳を取り出して、前日、七日の記憶を文字に変換する作業に邁進し、立川で降りるとホーム上を移動して、一号車の方に近い階段からフロアに上り、一・二番線ホームに移ると先頭の車両に乗って座った。そうして引き続きメモ書きを進めるあいだ、道中の目立った記憶は特に残っていない。
 青梅に着いたのは一時頃だったはずだ。リュックサックを片方の肩に担いでホームを行くと、電車のなかで眠りこけていた人に対して駅員が、お客様! お客様! 終点です! 青梅です! とかなり大きな声を正面からぶち当てて起こしている。改札を抜けてコンビニに向かったのはおにぎりを買って帰るつもりだったためだ。飯を食ってきたにもかかわらず、夜更けて遅くに帰ってきたあとは何となく、何か食いたくなるのだ――古井由吉も、酒飲みの性としてそういうことをどこかに綴っていた。入店すると籠は持たず、コカコーラ・ゼロとおにぎり三つ――ツナマヨネーズと、鶏五目と、少しだけ辛味のついた鶏肉の入ったもの――を手に取って会計した。
 午前一時の夜空は実に深い青だった。市民文化センター裏の辺りから、直上のよほど高くに浮かんだ小さな満月をたびたび見上げながらゆっくりと歩く。暗青に染まり尽くしたなかにそこだけぽっかりと出し抜けに、ほとんど呆気に取られるような唐突さで黄白色が闖入しており、夜は空間の際まで一面広げられた布に似て、月はそれが拡散してほどけ、崩れてしまわないように押し留め、秩序を保って束ねている一つのボタンのようだった。
 文化センター傍の一軒の塀上にひらいた蠟梅を、過ぎかけたところで足を留め、少しのあいだ立ち止まって見上げた。花は下向きにややひらいた花弁を静かに楚々と垂れ下げており、ビーズのような、あるいは豆粒のような蕾も枝にいくらか残り固まって、街灯の白光を掛けられた低い梢は夜の淵につるつると滑らかな、石膏じみた質感の黄色を染みこませている。それからまたちょっと進んで、家屋の合間にあるこじんまりとしたスナックを過ぎると、その建物の脇の小さな区画に、猫が二匹、佇んでいた。深夜一時過ぎにもかかわらず毛色が窺えたのは、街灯が近かったのか、それとも月の明るさのためだったか。立ち止まってちょっと近づくとしかし、猫たちは逃げて、奥の車の下の黒々とした蔭のなかに溶け入ってしまったので、諦めて道の先に歩みを進める。
 路地の途中の広い空き地の横に至ると空が広がって、先ほどよりも周囲に光が少ないからその青さが明度を上げてより鮮烈に満ち、暗色から籠りが抜けてつやつやと、あまりにも明るくどこまでもひらいている。これは凄いな、とてつもないなと、一人で静かに興奮した。月の明るさ、照り映えもさることながら、星もその光芒に負けず輝いてところどころに散りばめられ、銀色の雪の結晶のようにちらちらと震えては放射線を刻んでいる。人間はその布置にイメージを投影して星座を拵え、文化的な領域に引き入れてしまうけれど、本来は何の理由も必然もなくまったくの偶然に司られた星々の配置は、人間的な意味や法則を離れた美しい無規則性を湛えており、そのような自然のまったき事物性が目の前の遠い空に展開され満ち渡っているのだが、およそ信じられないことに、自らがそのうちに包含されているこの広大な世界も、今、こちらの足を受け止めて靴を跳ね返しては音を立てているこの地面も、濃青の天に揺蕩うあれらの砂子と同様の一粒に過ぎないのだった。
 裏路地から表の街道に出る辺りまで来ると、増えた街灯のせいで空の青の深みがいくらか薄まるように窺えた。表通りに出て、乏しく通る車の間隙を突き、南側の歩道に渡る。寒さはなかった。空気が冷たいのは確かで、冷気は染み通り、コートを抜けて浸透してくるのだが、しかし寒いとは感じられなかった。身体の芯の方が温まり、熱を持っているらしく、あまりにも凡庸な、噴飯物の比喩を敢えて用いれば、まるで心が燃えているかのようであり、実際、意気はなかなかに充実しているようだった。そうして街道を行きながら、すべてが消えてしまうのだから、毀たれてしまうのだから、記憶になってしまうのだから、だからできる限りのことを書かねばならない、と考えた。書くことは従って、時間に対する絶望的な叛逆である。絶望的な、と言うのは、その叛逆が勝利に至ることは決してあり得ないからだ。それは敗北を運命づけられており、常に、必ず負ける闘争である――そして(しかし、ではなく、そして)、こちらはその戦を不断に、死ぬまで続け、それに生を捧げるつもりでいる。
 ふたたび裏通りに入って自宅に続く坂道を下りはじめると、ガードレールの向こうの斜面に樹々が高くまっすぐ聳えているのが目に留まり、その幹の表面に視線を収束させながら、これもやはり凄いなと思った。織り重なった木肌の無骨さと滑らかさの非矛盾的な共存、そして酷薄なまでの、まさしく屹立の様相の静けさである。その辺りの樹は幹の低いところに枝がなく、輪郭線に突出を作らずにすっきりと長く伸び上がっているのだが、それは多分、近くの家の人が斬り落としているのではないか――以前、老人が幹にしがみつきながら、危なげなく枝を裁ち落としているのを見かけたことがある。見上げれば、黒影と化した梢の隙間には空の青さが隙なく充満し、細胞群のように微細な小部屋に分割されて散乱的に閉じこめられていた。
 帰宅すると、居間にはまだ父親が起き残っていた。ソファに就いて、確か歯磨きをしていたのではないか。こちらは部屋に戻って服を着替えるとともにLINEを覗いたものの、もう一時半過ぎで遅かったのでメッセージの返信は翌日として入浴に行った。一七時間以上にも渡って外に出ていた身体の垢や汗を湯に溶かし、そうして出てくると、買ってきたおにぎりを食ってはコーラを飲みながら、多分インターネットを回ったりして怠けたのだと思う。できる限り早く記憶を言語化しておいた方が良いのは間違いないが、さすがに疲労が高くてそうする気力が湧かなかったのだ。それでも、一日のなかでまったく何も読み物に触れないということは許せなかったので、午前三時前に至って日記の読み返しを僅か数分のみでも行うことにして、一年前の日記をひらき、眠気にたびたび目を閉ざされながら四分間だけ文字を読み、そうして床に移って仮初めの死に入った。


・作文
 7:36 - 7:49 = 13分(8日)

・読書
 26:47 - 26:51 = 4分(2019/2/8, Fri.)

  • 2019/2/8, Fri.

・睡眠
 1:20 - 6:30 = 5時間10分

・音楽
 なし。