(……)昼間はくもりだったらしく木々は濃く影をつくっていて、池の表面も闇より濃く靄がかっているようにみえる。うごめく鯉も水面下を黒く灯すようにしかみえず、池におちてただよう葉もボンヤリと湖面が浮いているふうにしかみえない。おなじ夜闇でもこうも毎晩ちがうものか、とかれの内在は驚いている。
驚きを驚くのは体力がいる。かれは感受したものや感動したことに思考を伴わせることができていないが、その源泉はまえとおなじようにからだにはある。それを自分に報せるだけの表現力すらないだけだった。(……)
(町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、17; 「しずけさ」)
一〇時二〇分頃、定かな覚醒を得た。空は晴れており、雲もややあるようだったが、陽射しは顔に当たってくる。夢を諸々見たものの、この日のメモを取った時点ですら記憶は大方失われ、経緯が整然とまとまっていなかったので、割愛せざるを得ない。前晩に茶を飲み、用を足さないままに眠ったので尿意が切迫しており、下腹部に痒いような内的圧迫感が蟠っていた。しかしそれを抱えたまましばらく臥位に留まって、一〇時四〇分になるとようやく床を離れて便所に行き、立ったままでなくて便器に腰掛けて放尿した。どろどろとしたような濃い黄色の排泄物を絞り出して部屋に戻るとコンピューターを点け、ソフトを立ち上げているあいだにベッドで顔に陽射しを浴びながら「胎児のポーズ」を行った。続けて、「猫のポーズ」や「子供のポーズ」も取りながら筋肉の感覚に注視を向ける。しばらく肉体を和らげてから立ち上がると、脚がだいぶほぐれたような感じがあった。
LINEやTwitterなどを眺める。LINEにはTからの返信が届いていた。スタジオ代をいくらか払うと言っておいたのに対して、請求するつもりはないが、頑なに拒否するつもりもないのでこちらに任せるとの考えが返ってきていたのだ。それを確認してから上階に行くと、母親は既に仕事に出ていて不在である。冷蔵庫に天麩羅の余りとシーチキンの手巻き寿司があったのでそれぞれ外に出し、天麩羅の小皿を電子レンジに突っこんだ。一方、焜炉の上には大根の入った赤味噌の汁が置かれ、梅の蕾のようなピンク色をした苺メロンパンも半分余っていた。そこで汁物も火に掛けて、その合間に洗面所の鏡の前で髪を梳かしたあと、出てくると食事を卓に運んで栄養を摂取した。新聞を一応手もとに寄せたが文字はほとんど読まず、明るい光が充満した外の風景のなかで風に揺れる緑色を見たり、散漫に考え事をしたりしながらものを食っていた。人間において最終的に残るのは記憶なのではないかということ、また、昨日祖母の病室で思ったことだが、人の生きざまはまた死にざまでもあるということなどについて思いを巡らせたものの、考えはまとまらず、明快な結論を得ることはない。
食べ終えると流しで食器を洗い、そのまま風呂も洗いに行ったが、散漫な意識で少々雑に洗ってしまったような気がする。出てくると薬缶に水を注いでおき、まだポットには足さずに苺メロンパンを持って自室に帰り、急須と湯呑みを持って上階に引き返すと緑茶を用意したあとに、ポットに水を注ぎ足して中身を増やしておく。時刻は一一時四五分頃だった。室に帰るとメロンパンを食いつつ茶も飲みながら、Tへの返信を作成した。スタジオ代は感謝と労いの気持ちとして一部払うと表明しておき、それから人間において記憶こそが残るということについて書こうかとも思ったのだが、LINEというツールで伝えるには相応しくないほどに長くなってしまいそうだったし、それを作成するための時間的余裕もあまりなかったので――何しろ日記が溜まりすぎている――断念した。三〇分ほどでメッセージを綴っておくと、それから日光浴を兼ねた読書をすることにして、携帯をダウンジャケットのポケットに入れ、ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』を持って上階のベランダに移動した。日向のなかに胡座を搔いて書見を始め、頁から目を逸らして柵の外を見やれば、梅の樹の枝には蕾の紅色が存在感を増してよりはっきりと見えるようになっている。風は時折り吹いて、空にはかそけき薄雲がところどころ塗られてあるのみで陽が陰ることはほとんどなかったが、流れるものが生じれば空気は冷たい。
しばらくしてから携帯を見るとちょうど一時だったので、なかに入って緑色の靄に視界を朦朧とさせられながら階段を下り、自室に戻ると読書時間を記録して、それからトイレに行って放尿してきたあと、この日の事柄をまずメモ書きした。現在時まで記録を取ると間髪入れずに二日前、八日の記憶も言語化しはじめる。猛然と、襲いかかるようにその作業に邁進傾注し、そうして二時間四三分のあいだコンピューターの前を離れず、ほとんど何にも――自らの不徹底さ以外には――妨げられることなくひたすらに文字を打ちこみ続けた。いつの間にか四時を回っていた。そろそろ運動をして食事を取ろうと思ったところだったが、洗濯物のことを完全に忘れきっていたことに気がついた。それで急いで階を上がり、陽の陰ったベランダで冷えた洗濯物を取りこんで、室内の隅に吊るすだけ吊るしておいて下階に戻り、the pillows『Rock stock & too smoking the pillows』を流し出すと「胎児のポーズ」をやりはじめた。歌を歌いながら諸々のポーズを取って筋肉を和らげ筋を伸ばし、後半に「舟のポーズ」と「板のポーズ」を二回ずつ行ったが、そのあいだの休憩時間はまた「胎児のポーズ」を取っていた。このポーズの効果は抜群で、下半身を中心に全身がほぐれて軽くなるような感じがする。しかも、ただ膝を抱えながら仰向けに丸まっていれば良いだけなので、実に簡単で楽である。抱えた脚を胸に強く引き寄せればより負荷が高まるが、そこまで力を籠めなくとも充分に効果はある。そういうわけでインターバルにおいてはそれを行い、「舟のポーズ」及び「板のポーズ」で筋肉に力を入れて身体を温め、最後にまたしばらく「胎児のポーズ」を取りつつ"Tokyo Bambi"や"Funny Bunny"を歌ってから食事に行った。
レトルトのカレーを食うつもりだった。玄関に続く扉をくぐってすぐ脇の戸棚からコンビニで買ったバターチキンカレーを取り出し、台所に入って鍋に水を用意するとパウチを投入し、火に掛けた。カレーが温まるまでのあいだは洗濯物を畳み、タオルを整理して洗面所に運んでおくと、下階の自室から『ストーナー』を持ってきた。それでカレーの加熱を待つあいだに納豆を添えて米を食うことにして、調理台の上で納豆にタレと「カンタン酢」を混ぜて、さらに葱を鋏で刻み入れる。そうして卓に就き、ティッシュ箱で本の頁をひらいたままに押さえ、文字を読みながら食事を取って、納豆ご飯を食べ終えると台所で大皿にふたたび米をよそり、カレーのパウチを熱湯から救出して切り開けた。中身を零したり火傷をしたりしないように指先で慎重に持ち替えて、オレンジっぽい色のバターチキンカレーを米の上に注ぎかける。そうして卓に戻り、ふたたび書見と食事をこなし、ものを平らげてからも少しのあいだ文を読み続けた。『ストーナー』はほとんど古色蒼然という言葉を使いたくなるような伝統的な形の小説で、実にシンプルで言わば地味なのだが、とても良い作品だと思う。こちらが読み取れた限りでは目立った仕掛けはほとんどなく、衒うような部分がまったくなく、端正かつ明快で、シンプルであるが故の愚直な、まっすぐな力のようなものを持っている。
皿を洗ってから一度下階に戻り、急須と湯呑みを持つとまた上へ上がって緑茶を用意する。急須に湯を注いで茶葉がエキスを吐き出すのを待っている合間は首を左右に曲げて筋を伸ばしながら待ち、部屋に持って帰ると飲みながら今日のことをメモ書きした。さらに八日のことをまた一一分間メモしたのち、歯磨きをしながら一年前の日記を読み返すと、二〇一六年八月二日の記事から以下の描写の引用があった。冒頭部を一読して感じ取られるリズムからして、二〇一九年の記述よりも遥かに整っているのがわかる。実際、通読してみてもかなり力が籠っているように思われ、二〇一六年だから文章を本格的に書きはじめて三年半でこれとは過去の自分もなかなかやるなと思った。現在の自分も最近はまた日々の記述を丁寧に形作るようになっていて、あまり完璧を期して根詰めるつもりはないが、過去の己に負けないように力を発揮して頑張りたい。
外に出ると既に雨は過ぎており、水気をはらみながら熱された空気が生暖かくて、腰のあたりに温もりがわだかまった。裏通りに入ってしばらく行き、足もとに目をやると、落ちる薄陽にアスファルトが白く照っている。路面を構成する骨材一粒一粒の作る微小な隙間に、光がいちいち入りこんでは宿ってあたりに無数の白さをばら撒き、それがこちらの歩みに応じてちらちらと絶えず身じろぎして路上の均一な固さを乱しているさまは、上空遥かから見下ろされた静かな海面の揺らぎにも似ていた。進みながら先に目をやると、女子高生が二人並んで歩いているその地点と自分とを繋ぐ道路が、光と水気の具合でか普段より色を稀薄にしていて、まるで空の色が垂れ落ちて広がったように薄青い。そこを過ぎて坂道の途中に出ると、路面から湯気が湧いており、立ちあがらずに地にぴったりと伏せて、右方の坂上から僅かな風に流されて這ってくる。道の見えない向こうに巨大なドライアイスでも仕掛けてあるみたいだと見ながら渡り、ふたたび裏通りに入った。空にはいつの間にか雲が減って、晴れ間が覗いている。街道に出てやけに空間が明るいと感じたのは、やはり濡れた路面が光を跳ね返しているからだろう。歩む足のすぐ傍には白点が群れ遊んで表面のざらつきが露わだが、進む先の道路は先ほどの裏通りと同じく、空を映したような淡青色を均一に塗られて微細な起伏を視認させずに緩く身を持ちあげながら伸びていて、まるで女人の背中めいたその滑らかさの上を走る車の鼻面に天の光が丸く集中すると、それが道にも映って薄衣のような白影が車の先に掛かるのだった。
歯磨きを終えるとthe pillowsの音楽を流し、そしてスーツに着替えると、時折り歌いながら八日の記憶の変換を進めた。六時三九分あたりまで打鍵を続けて中断すると荷物を用意し、コートと、今日はストールではなく灰色のPaul Smithのマフラーを持って上階に行った。居間のカーテンを閉めてからトイレに行って便を排出し、戻るとマフラーとコートを身につけて外に行き、ポストを覗く。すると母親に宛てて小さな紙包みが届いていた。メルカリで何らかの品を買ったものらしい。そのほか夕刊などを取ってまとめて玄関内に置いておき、そうして出勤路に出れば、東の低みに顔を出したばかりの月がふくよかに浮かびはじめていた。冷気は強く鋭く、刺すようだと言っても良いだろう。道を歩きながら日記に書いた事柄を思い起こして、自分はわりと真面目と言うか、概ねどんなことにでも最善を尽くす性分なのかもしれないと思った――そんな熱血的な暑苦しさなど身に帯びたくはなく、もっとクールでありたいのだが。空は暗色のなかに星が明瞭に瞬いて、晴れて澄み渡っているのが一見して感じ取られる。公営住宅前に掛かって東の月を振り向いてみれば、それは大きく襞はなく、赤と黄が混ざった色味の強いオレンジ色で山のすぐ傍に浮かんでおり、気球のようでもあり風船のようでもあり、蜜柑のようにも見えるのだが、よほど低いので歩を進めるとすぐに住宅の棟の裏に隠れてしまった。
坂道に入ってまもなく対向者が現れたが、その姿は完全に塗り潰されたまったくの黒影だった。すれ違ってから煙草の香りが薄く漂ったのだが、それにしてはしかし煙草の先端の火の赤は見えなかった、完全な影だったなと思い返しながら上っていき、出口付近に掛かると空気の流れに触れられたようで頭上で草木が揺らぎ、空間に静かに蓋をするように淡く緩やかな葉鳴りを奏で出す。横断歩道を挟んで駅前を見やると、電話ボックスにピンク色の何物かが見え、なかの空間にチューブでも複雑に張られたかのように、あるいは奇妙な形のオブジェが浮遊してでもいるかのように遠くからは映ったのだが、近づけばガラス表面の落書きだとわかった。このような田舎で珍しいことで、実際、こんなところに落書きなど初めて見るものだった。何で描かれたのかも、何という文字なのか、そもそも文字なのかそれとも図なのかすらもよくわからないが、描線のところどころから蛞蝓の這った軌跡のように余剰的に垂れ下がった支線があったので、ペンキか何かだったのだろうか。
そこを過ぎて階段通路を辿りホームに入ると、電車まで五分ほど間があった。ベンチに就いて脚を組み、両手をコートのポケットに突っこんで、メモは取らずに来たるものを待つ。空気はやはりかなり冷たく、風はなくて大気が僅かに身じろぎするのみなのだが、ポケットに避難させた両手が冷気に刺されて痺れるように悴んでいた。電車が来ると乗りこんで、席の端に就く。左方では若い男性が三人くらい集まって大きな声で話しており、発車したあとはがたがた揺れる走行音とともに右方の頭上から乗務員のアナウンスが降ってきて、ところに左方で笑い声が爆発し、随分と大きく拡散した。青梅に着くと今日は待たずにすぐ降りて、帰宅するサラリーマンなど人々の行き交うホーム上をゆっくり進んで改札に向かった。
職場に着いて座席表を見ると、今日の相手は(……)くん(中三・英語)、(……)さん(中三・英語)、(……)くん(中三・国語)である。準備時間は国語の過去問、平成二八年度を読むのに充て、そうして授業に入った。(……)くんは(……)高校に推薦で受かったので、過去問を扱う必要はなくなった。おめでとうございますと挨拶して、今日の授業の希望を訊いてみると、進行形や助動詞などの分野を復習すると言うので、難しめの問題の頁に取り組んでもらった。彼は残念ながら今月までで退会である。
(……)さんは平成二九年度の過去問である。リスニングを除いて四〇分で実施したのだが、八〇点中(……)点で、うーんという感じだった。大問四に関しては一問も合っていなかったし、大問二の基本的な、短めの文章からして二問落としており、英作文はまったく書いていない。大問二の第一番のみ一緒に読んで確認したが、その時の感触だと基本的な語彙も全然身についていないようだ。当たるのは三回目か四回目くらいだったので当然互いに信頼感は足りないだろうが、しかしそれ以前に彼女は何だかいつもつまらなそうな顔をしていると言うか、無感動、無気力、というような雰囲気があって、心をひらいて打ち解け合うという感じには至らなそうだ。多分、こちらが細かく一文ずつ、あるいは一語ずつ確認していくのにも多少うんざりしていたのではないかという気もする。あとで室長に話すと、意欲がないんだよねということで、別に意欲がないならないで良く、無理を強いようとは思わないのだが、しかしやりづらいと言えばやりづらい。彼女にとって良いことが何なのか、わからない。
対して(……)くんはかなり仲が良く、あちらからの信頼も篤いと思われ、やりやすい。今回の過去問は(……)点で、古文を含んだ大問五がやはりネックとなるのか、三問落としていた。作文は具体性が足りず説得力がないものの、構成としては悪くはないし、大問四がすべて合っていたのは素晴らしい。間違えた問題に関しては一応すべて確認することができた。今日は私立入試の本番でもあったのだが、あまり受かった気はしないとのこと。表面的にはそれほど悩ましい様子は窺えないが、内心は結構不安なのかもしれない。また、母親とは相変わらず啀み合っているらしく、授業後、帰りたくないなあと漏らしていた。お勧めの本教えてくださいよとも言われたので、海外文学好きで結構読んでるよと答えると、そもそも文学ってどういうものですかという問いが来た。難しい質問をするねと笑っておいてから、まあ、小説とか、詩とか、戯曲とかだよと適当に返すと、何か読めそうなものありますかと訊くので、あなたくらいの年代でも読めるものだと……と考え、ヘミングウェイとか、と口に出したが、名前を聞いたことはないようだった。『老人と海』っていうのがあって、結構読みやすいよと伝えておいた。
そうして出口付近に行き、生徒たちを見送る。室長は面談中で、片づけを終えたあと退勤しようというタイミングでちょうど終わり、面談スペースから保護者と生徒が連れ立って出てきた。(……)くんの面談だった。彼が母親とともに去っていくのを挨拶して見送り、室長に生徒から受け取った書類について伝達したり、(……)さんについて報告したりした。彼は親知らずを抜いたばかりで、面談で喋っている最中に傷がひらいたらしく、口のなかが血の味しかしないと漏らしていた。
退出したのは九時五〇分頃だっただろうか。駅に入り、改札をくぐってゆっくり行き、ホームに上がって無人のベンチに就くと、空気は当然ながら相当に冷たい。そのなかで手帳を取り出し、身を丸めるようにして頁の上に屈みこみながら今日の人生の記録を取る。一〇時一〇分近くになって奥多摩行きが入線してくると乗りこみ、暖かな空気に憩いながらメモを取っているうちに最寄り駅に到着した。ホームを行くと、階段通路の入口脇に男が一人、手摺りに寄りかかるようにして佇んでいた。原色寄りの青さの服で片方の肩に何か白い袋を担ぎ、埠頭の海の男を思わせるような片足を段上に乗せたポーズで煙草を吸っている。何だこいつ? と思った。誰かを待っているのだろうか、わからないが、通行人を待ち構えながら睨[ね]めつけるような感じがあった。そこに近づきながら左方を見上げると、直上には白々とした満月が浮かんでいる。それを見やりながら、男の方にもいくらか固い視線を送りつけつつ、その前を通り過ぎて階段を上った。頂上に着いて今度は下りながら月をまた見上げると、藍色に満たされた夜空に浸ったその姿は、夜の裏に眠っているだろう暁の白さを一点に収束させて凝縮的に封じこめたかのような過密な雪白である。電話ボックスの落書きはそのままだった。通りを渡って左折して東へ向かうあいだ、空気は冷え切っており、家々の合間に覗く林はさらさら鳴りを立てる。肉屋の横の木の間の坂道に折れて南を向くと、梢を越えたそちらの空には雲が湧いているのだが、月光が清かに通っているために、雲の形と白さが際立ち、それのみならず内側の黒ずみまでも露わに映って、午後一〇時としてはあまりにも明るすぎる澄んだ青の夜空だった。坂道には落葉がいくらか散り転がっていて、意図せずとも自ずと靴に触れてぱちぱちと反発するような音を立てる。
帰宅すると母親が寒いでしょと掛けてくるので肯定し、ストーブの前に立つ。テレビは『しゃべくり007』を映しており、「ミルクボーイ」ほか芸人が何組か出演していた。それをちょっと眺めてから下階に行き、着替えて食事のために戻ってくると、メニューは米に、半月型の大根の入った味噌汁に、コロッケを挟んだパンなどの品である。卓に就いて改めてテレビを見やると、「ミルクボーイ」と「かまいたち」と「ぺこぱ」という三組が出ていて、どれもM-1の実力者らしいのだが、こちらは一つも知らない。父親はテレビを見ながら時折り引き攣るような笑いを大きく立て、こちらもちょっと笑いはするものの、そんなに大笑いするほどに面白いとは思えない。母親はこちらの向かいで静かにタブレットを弄り、黙然としていた。ものを食い終わると食器を洗って風呂に行き、湯に浸かりながら久しぶりに短歌を考え、出てきて緑茶とともに自室に戻ると、二首をTwitterに投稿した。「凍らせた涙の雫を繋げたら死んだあの子の首を飾ろう」「完璧な死を完璧に死ぬために必要なのは青い空だけ」。
零時過ぎから日記である。出勤前に引き続いて八日の記憶を言葉に変換し続け、二時間を費やしてあっという間に二時を回った。音楽はGlenn Hughes『Burning Japan: Live』とGrapevine『Sing』を聞いていたが、後者は削除対象と判断し、書き物は二時過ぎで切りとして「胎児のポーズ」などを行ったあと、二時四〇分からロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を書き抜いた。三時七分に至ってこの本の書抜きは終了することができ、それからふたたび「胎児のポーズ」をやったりして身体を少々労ってから、睡眠の方角へ向かった。
・作文
11:48 - 12:16 = 28分(メッセージ)
13:06 - 13:25 = 19分(10日)
13:25 - 16:08 = 2時間43分(8日)
17:14 - 17:29 = 15分(10日)
17:29 - 17:40 = 11分(8日)
18:01 - 18:38 = 37分(8日)
24:07 - 26:08 = 2時間1分(8日)
計: 6時間34分
・読書
12:18 - 13:00 = 42分(ウィリアムズ)
17:42 - 17:52 = 10分(2019/2/10, Sun.; 途中まで)
26:40 - 27:07 = 27分(バルト; 書抜き)
計: 1時間19分
- ジョン・ウィリアムズ/東江一紀訳『ストーナー』: 182 - 222
- 2019/2/10, Sun.
- ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』みすず書房、二〇一八年、書抜き
・睡眠
2:00 - 10:20 = 8時間20分
・音楽
- the pillows『Rock stock & too smoking the pillows』
- the pillows『Once upon a time in the pillows』
- Glenn Hughes『Burning Japan: Live』
- Grapevine『Sing』