2020/2/13, Thu.

 (……)この世のシステムは、なにかを強制する者よりそれに消極的同調をしめす者で成り立つのだ。(……)
 (町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、31; 「しずけさ」)


 正午ちょうどまで持続する真空的な睡眠空間のなかに留まった。それよりも以前、九時に一度アラームで目覚めたはずなのだが、その時のことはまったく思い出すことができなかった。しかし、テーブル上に置かれてあったはずの携帯が机のティッシュ箱の上で充電ケーブルに接続されていたので、確かに起きて行動したらしい。ベッドを抜けるとコンピューターを起動させ、システムにログインして各種ソフトを立ち上げると振り向いて窓際に寄り、カーテンを端までめくって枕の上に陽を取りこむと、そこに寝転んで「胎児のポーズ」を取った。コンピューターの準備が整うと各所を確認しておき、それで上階へ向かう。ダウンジャケットがいらないくらいの気温の高さだった。洗濯物がベランダに干されず居間の隅に吊るされてあったので、ジャージに着替えるより前に寝間着姿のままそれを外気のなかに出した。母親は(……)に講演を聞きに行っているとか何とかで、職場の研修の一環なのかもしれないが詳しいことはよくわからない。冷蔵庫を覗くとシチューが一杯残っていたが、それはのちのために取っておき、卵とベーコンを焼くことにした。フライパンに油を垂らして火を灯し、ハーフベーコンを四枚静かに敷いた上からさらに卵を二つ、優しく割り落とす。それから丼に米を盛っておき、加熱されたベーコンエッグをすぐにその上に取り出して食卓に移動すると、白身とベーコンをめくって下に隠れていた黄身を潰し、醤油を垂らして搔き混ぜて米を黄色に染めてから食べだした。新聞にはクルーズ船関連の記事があったはずだがよくも覚えていない。ほか、ダムタイプ展の紹介記事もあったような気がするが、これは夕刊の方で見たのかもしれず、やはりよく覚えていない。展覧会の期日は一六日までと記されていたような記憶もあって、もしそうだとすると会期末も間近だけれど、見に行っている暇はないのだ――ダムタイプというのは浅田彰周りの名前でもあるので、興味は惹かれるのだが。
 食後に食器を洗い、洗面所で髪の毛をいくらか整えたあと、風呂を洗う。やや大雑把な洗い方になってしまった。天気はこれ以上ないほどの快晴で、雨が降るという予報を耳にしていたのだが、そんな気配は微塵もない。それで日光浴をすることにして、ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』を下階から持ってきて、ベランダに出た。眩しい陽射しが渡って白々とした日向が広く床に作り出されているそのなかに、胡座の姿勢で腰を下ろす。光は厚くじりじりとしており、ダウンジャケットを着ていると暑くて前を開けたが、それでも汗が籠るのですぐにジャケットは脱いで横に置き、ジャージの袖を捲って腕を露出させた。その肌に陽射しが触れて微細な刺激が生じ、汗腺がひらいて皮膚の肌理や産毛に沿って幽かな水気が湧いて、肌がほんのりと艶を帯びる。空から雲は絶滅しており、みずみずしい青さが静かに、しかし圧倒的な力でもって空間を支配している。
 書見は一時二三分まで四四分のあいだ続けた。ストーナーも病に冒されて手術を終え、物語はいよいよ終盤に差しかかっている。切りの良いところで立ち上がり、室内に入って、緑色に染められて見通しの利かない視界とともに階段を下りた。部屋に戻ると急須と湯呑みを持って上階に引き返し、緑茶を用意してからまた塒に帰ると飲みながらTへのメッセージを綴りはじめた。火曜日に長い返信が届いていたので、それに対する再返信を作ったのだ。LINEでやりとりをするには随分と長過ぎる文になったが、人の生きざまとはそのまま死にざまなのだという祖母の見舞いで得た認識と、ものを書くということは常に鎮魂や追悼の行いなのではないかという考えを少々語った。二〇〇〇字に至らないくらいではなかったかと思うが、それを作成するのに二時間も費やしてしまった――考えをまとめるのに労力が掛かったのだが、そのわりにいくらか書くのを断念した事柄もあって、結局は大した内容ではなくなってしまった。
 時間は戻るが、二時半頃、洗濯物を取りこみに行っていた。タオルだけ畳んで洗面所に運んでおき、戻ってきてメッセージを仕上げたあと、運動に入ったのだが、と言って今日はあまり筋肉に力を入れる姿勢は取らず、「胎児のポーズ」から始めて身体をほぐすような感じで立位前屈など諸々こなしていき、最後に脚上げ腹筋と言うか、仰向けの姿勢で脚をなるべく直上に、垂直に伸ばすということを行った。「舟のポーズ」よりも簡単で、なおかつ腹に効くような気がする。そうして四時に至ると、その頃には多分母親はもう帰ってきていたのではないか。こちらはそれからRed Hot Chili Peppers『Mother's Milk』をヘッドフォンで聞きながら一二日の記憶を文字に変換していたのだが、テーブルに両肘を突き、親指を両のこめかみに当てながらいかにも悩ましく考えるかのように目を閉ざして記憶を辿っていると、いつの間にか母親が戸口に立っていたのでびっくりさせられた。激しい音楽で耳を塞いでいたために気配に気づかなかったのだ。彼女の質問に答えて夜に労働に出ると伝えておき、引き続き打鍵を進め、五時前に記録を終えたので食事を取りに行くことにした。
 母親は台所で野菜のスープを作りだしていた。牛蒡などの芳しい匂いが室内に漂っている。カレーパンを買ってきてくれたと言うので頂くことにして、ほか、前夜の余りのシチューと、細くスライスした大根のサラダを用意した。カレーパンを四〇秒加熱したあと、入れ替わりにシチューをレンジに入れて回転させ、待つ合間は卓で食事を取りながら夕刊を読んだ。政府が安全保障分野を端緒に量子暗号通信とやらを試験的に導入する旨と一面に載っていた。光子で作られた「鍵」によって暗号を解読する仕組みのもので、その「鍵」は外部から盗聴されたり不正に解錠を試みられたりすると、性質が変化して解読が不可能になると言うのだが、どういう理屈なのかこちらなどには全然わからない。その後、温まったシチューを持ってきて食し、食後に皿を洗ったあと、母親が野菜スープに鍋の素を入れておいてと言うので、灰汁を取り除き、野菜をちょっとつまんで食べて柔らかさを確認してから、粉を固めたような味つけのキューブを一つ放りこんでおいた。下階の自室から急須と湯呑みを取ってくるあいだはキューブを溶かすために引き続き沸騰させておき、戻ってくると火を消して換気扇も止め、緑茶を用意した。そうして「新潟仕込み」の塩味の煎餅を緑茶とともに自室に持って帰ると、一服しながら過去の日記の読み返しを始める。
 一年前の記事には二〇一八年二月一二日からの引用があり、そのなかに自らの現状として、「自分の頭のなかに考えが生じること自体が怖い、何かを感じてしまうことそのものが怖い」という言葉が記されてあって、相当に頭がおかしいなと思った。ここまで来ると神経症も極致だろう。とは言え、この当時調べたのだけれど、雑念恐怖という病状は実際にはわりとポピュラーなものであると言うか、神経症の類型の一つとして明確に区分されているもので、確か倉田百三などもそれに冒されていたのではなかったか。
 一年前の日記はやはり文章の精度が低く、二〇一四年六月一六日の記事もまあどうでも良いことしか書かれていない。そこまで読むと茶を飲み終わったので廊下に出て、洗面所で歯ブラシを口に入れると上階へ、仏間で靴下を履いて戻ってくると歯を磨きながら今度はfuzkueの「読書日記」を読んだ。一二月二〇日の分である。そうして口を濯いでくると、中村佳穂『AINOU』とともに着替えを始め、白シャツに黒いスーツを身につけるあいだ、ネクタイを締めたり襟のボタンを留めたりベストに腕を通したりしながら、身体の感覚を検査するように各部に注意を向けて窺った。特別に問題はないようだった。ジャケットまで着込むと時刻は六時、コンピューター前の椅子に腰を据え、今日のことを下書きして三〇分で現在時に追いつかせると、ちょうど掛かっていた中村佳穂の"忘れっぽい天使"を聞くことにして、ヘッドフォンをつけて耳もとに流れ来る音楽を翫味した。一度目の「それなら それなら どうして」のあいだ、「れ」の音には特有のニュアンスの微細なビブラートが掛かっており、繊細に透き通った昆虫の翅の高速の震動を思わせるとともに、感情が高ぶった人の泣きの声色も幽かに連想させるようだが、あれはどうやっているのだろうなと思う。
 音楽を聞いたあとマフラーは持たずに上に行き、『ストーナー』のことを考えつつトイレで用を足し、出ると洗面所で手を洗い、そうしてコートを纏って出発した。家を出てから木の間の坂道に至るまでの印象はほとんど残っておらず、星が青緑めいた色で明瞭に灯っていたのを覚えている程度だ。坂に入るとすぐのところで細い脇道が分かれており、そこはNさんの宅の裏側に当たるのだが、灯りはなく、幼少の時分にはその林のなかで遊んだ記憶もあるけれどもはや通る人もなく、樹々の枝ぶりも見分けられない完全な闇に呑みこまれている。道を上っていきながら街灯の前を通るたびに、影が後ろから湧き出してはこちらの横を滑らかに、すーっと這って過ぎていき、ひととき先導したあと姿を段々淡くして、急速に乾く水のように地に溶けこんでいく。梢のあいだの低みに黄色を帯びた明るい星が一つ穿たれているのに目が留まった。金星だろうか、坂を抜けたあとで見えなくなったそれを探して周囲を見回していると、街道上の照明の一つ、下向きに光を降らせて暈を広げているものが、檸檬色と言うべき色彩であるのに気がついた。今までそんな色だと目に留めたことはなかったのだ。
 駅に入ると電車が闇のなかから姿を現して、上部の両端から白光を放ちながら入線しつつあったので、上り階段を途中から一段飛ばしで上がっていき、下りは小走りに通り過ぎて乗車した。瞑目して短歌を考えたり、電車の走行音かあるいはレールの軋みなのか、ひどく金属的な音響に耳を寄せたりしながら到着を待つ。青梅に着くと今日は待たずにすぐに降りてホームをゆっくり行き、階段に掛かる頃になって一番線に電車が到着した。降りた客の第一波が背後から迫ってくるかと背でその気配を窺いながら行ったが、改札を出るまで追われずに済んだ。
 職場の前で(……)先生と行き合ったので一緒になかに入った。多分、煙草を吸っていたのではないか。今日のこちらの相手は(……)くん(中三・社会)、(……)(中二・英語)、(……)くん(中二・英語)である。(……)くんは平成三〇年度の問題をもう一度扱ったのだが、(……)点だったので、うーん、という感じだ。大問六と大問三の問二を確認した。本当は全部確認解説してなるべく頭に入れてあげたいのだが、時間的余裕がどうしても足りない。英語の二人は特段の問題はなかったように思う。
 授業後の会話によると、三月は室長が三日間いない日があると言う。何かと思えば、(……)教室と室長交代らしい。しかもその(……)の室長というのは、(……)さんの時代に我らが青梅で研修をしていた人だと言うので名前を訊いてみると、(……)という名が返ってきた。顔までは出てこなかったものの、確かに何だか聞き覚えがあるような気はする。その後、(……)くんの消息も耳にしたのだが、彼は現在、高校も行かずに引きこもってしまっていると言う。この生徒は数年前に塾に通っていたのだが、不安障害と言うか神経症の類に陥ってしまい――当時聞いた断片的な情報から推測する限り、過敏性腸症候群の一種ではないかと思われた――受験を前にして教室に来なくなってしまったのだ。その弟である(……)くんも通塾しており、先日(……)だかの中等部に受かったのだが、僕が受かっちゃったらお兄ちゃんが居たたまれなくなるかもしれない、みたいなことを本人は漏らしていたらしく、小学六年生の弟の複雑な心境が窺えるという話だった。
 そうして退勤したが、何だかんだ話しているうちに結局九時半を過ぎてしまい、そうすると奥多摩行きは一〇時一二分である。ほとんど同時に職場を出た(……)先生は喫煙所の辺りに佇んでいたようなので、一服していくのかもしれない。駅に入り、感覚の静穏さを取り戻すようにしながらゆっくり通路を行ってホームに上がると、今日はだいぶ暖かかったので何か冷たいものでも飲むかという気分になった。それで自販機に寄ると、果肉の大量に入っているらしい蜜柑ジュースを発見したが、小さい缶のくせに一六〇円もする。三つの自販機を回ってもほかに良い量と味の品がなかったので結局それに決めて購入し、ベンチに座って開封すると口をつけ、少しずつ、息をつきながら胃に取り入れていった。その後手帳を取り出し、電車がいくつも発着して人々が周囲を流れていくなか、身体の前面、下腹部か太腿の辺りに小型ノートを乗せて文字を記していく。奥多摩行きが来ると乗りこんで、席の端に座ってメモ書きを続けたのち、最寄り駅に着いてホームを行くあいだ、前方にはモスグリーンのコートを着た年嵩の男性が歩いており、その脚の伸び方は何となくぶれていると言うかあまりしっかりとした姿形でなく、いかにも世間に揉まれてくたびれたかのように哀愁めいたものを漂わせている。こちらを後ろから追い抜かして現れたもう一人のサラリーマンの方は、頭頂部も薄くなっておりやはり中年らしく見えるものの、真っ黒なコートの裾がすっとまっすぐ落ちており、姿勢もわりあいに確かに伸びているように見えて、足取りも堂々と安定している。彼らの後ろから通路を行って、出ると街道を渡って左折し、街道沿いを東に向かっていると月が出たばかりらしく、卵黄のように赤みがかった濃い黄色の顔を時々空の低みに垣間見せる。木の間の坂に折れると、樹々や草に支配されて闇が充満した道脇の地帯と、自分の歩く道を照らしかける電灯の光の広がりとを見比べて、街灯というものも思いのほかに波及の範囲が広くて凄いものだなと観察した。これもきっと、どの程度の間隔で設置すれば良いかなど、きちんと計算されて最適になるように設けられているのだろう。こうしたインフラストラクチャーが日夜整備され維持されているわけだから、まったく人間社会は凄いものだと坂を出て、近所の家並みのなかの小さな白い光を見ながら行けば、家の前で東の空に月がまた現れて、右上の方を食いちぎられたように欠けていた。
 家のなかに入って両親に挨拶すると、洗面所で泡石鹸を使って手をよく洗う。それから下階の自室に帰り、コンピューターを点けつつジャージになると、多分「胎児のポーズ」を行ってちょっと休んだと思う。それから上階に行くと、食事は鮪のソテー二切れに小さな海老フライの乗った一皿に、汁物は夕刻に作っていたスープ、あとは大根をスライスした生サラダと米である。膳を用意して卓に並べ、席に就いて食事を取りながらテレビを眺めると、映っているのはJUJUと三浦春馬がMCを務めるプログラム、『世界はほしいものにあふれてる』という番組で、これは世界中の素敵な物々を紹介するというコンセプトなのだと思うが、見始めた際にはニット編み製品が焦点を当てられ、女性の膝の上に乗った白いアンゴラウサギがふわふわとした泡のような毛を大人しく刈られる様子が映し出されていた。その後、デンマークの照明製品が取り上げられて、先日見に行った「ハマスホイとデンマーク絵画」展の解説内でも紹介されていたらしい「ヒュッゲ」という言葉がピックアップされていた。
 食後、皿を洗ってからそのまま入浴へ。入りはじめたのが一一時五分くらいだった。湯のなかで瞑想じみて肉体を静止させ、短歌を考えようとしたもののうまく形成されず、言葉を空回りさせてから出てくると既に一一時四〇分頃、緑茶を用意して自室に帰った。slackを覗くとTが、二日後に迫った"C"のボーカルレコーディングに向けて「ちょっとはきけがあるくらい」緊張していると漏らしており、緊張とのうまい付き合い方を知っている人は教えてくださいと募っていたので、緊張や不安を意志的に殺すことはできない、それをよく観察して距離を取ることで共存するのだと述べておいた。それから日記に移り、七日の分を書き進めて二時間を費やしたが、しかしまだまだ終わらない。二時に至ったところで疲労も嵩んできたし今日はここまでと打ち切って、それから本当は書抜きをしたり読書ノートにメモを取ったりしたかったのだが、どうも気力が足りないようだった。音楽を適当に流して耳を塞ぎながら目を閉じ、しばらく暗黒のなかに憩うたのだが、やはり体力が尽きているようだったので眠ることに決め、二時半頃に床に入った。


・作文
 13:35 - 15:39 = 2時間4分(メッセージ)
 16:00 - 16:53 = 53分(12日)
 18:04 - 18:34 = 30分(13日)
 24:10 - 26:01 = 1時間51分(7日)
 計: 4時間18分

・読書
 12:39 - 13:23 = 44分(ウィリアムズ)
 17:23 - 17:44 = 21分(日記)
 17:47 - 17:52 = 5分(fuzkue)
 計: 1時間10分

・睡眠
 2:35 - 12:00 = 9時間25分

・音楽
 18:36 - 18:40 = 4分(中村佳穂)

  • dbClifford『Recyclable』
  • the pillows『Once upon a time in the pillows
  • Red Hot Chili Peppers『Mother's Milk』
  • 中村佳穂『AINOU』
  • 中村佳穂, "忘れっぽい天使"(『AINOU』: #10)
  • Christian Scott aTunde Adjuah『Ruler Rebel』