2020/2/28, Fri.

 党はドイツ人社会の階級区分を打破し、ユダヤ人を排除した民族共同体[フォルクスゲマインシャフト]を作り上げ、ヴァイマル体制を打倒することを目指し続けていた。相変わらず軍事的で反民主的で人種主義的な政綱を掲げ、第一次世界大戦におけるドイツの敗北とヴェルサイユ条約の受け入れを頑なに拒んだ。しかし一九二三年以後状況は一変する。終戦直後の混乱は去り、過激な政治活動に対する大衆の支持も失われた。ドイツの民主主義を国民が気に入らなかったにしても、一九二〇年代半ばには、もはや体制が即崩壊する危険は見当たらなかった。一九二八年五月の国会選挙で、NSDAPはかろうじて二・六パーセントの票を得たにすぎない。一九二四年五月の国会選挙でドイツ民族自由党が集めた票の半分以下である。
 しかし一九二八年にはナチは非常に重要な成果を誇ることができた。NSDAPは草創期の本拠地だったバイエルンを越えて首尾よく広がり始め、全国政党となったのである。北部および東部ドイツでは、一九二四年の選挙で統一戦線を張ったさまざまな民族主義団体がしだいにNSDAPの組織に合体していった。これは一九二四年には他の民族主義組織とともに活動しなければならなかったナチが、一九二八年には事実上、急進的で人種主義的な唯一の右派政党になったことを意味する。(……)
 (リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』中公新書、二〇一五年、29~30)

  • 八時のアラームで意識が現世に引き出された。天気は晴れやかな一面の青さに満たされており、分厚い光が寝床まで通っている。今日は綾瀬の「(……)」で"C"のミックスに立ち会うのだが、その前にTDの家に集まることになっていた。一一時に稲城長沼に出向くとLINEに伝えておく。
  • 朝食を取りながら『あさイチ』に目を向けると、バカリズムがゲストとして出演しており、途中でいとうせいこうが画面に出現してコメントを寄せていた。二〇年くらい親交があると言う。
  • 青い麻のシャツに、それぞれ微妙に異なったチェック柄のパンツとブルゾンを合わせ、似非セットアップめいた装いを取る。その上にモッズコートを羽織って階を上がると、すごく寒いよ、風がとても冷たい、と母親が言うので、ストールを取ってきた。Sさんが腰の手術で入院していたのだと言う。それで最近歩いていたのかと得心が行った。
  • 玄関を出ると家の前には白梅の花びらがちらほらと散り落ちており、どこから飛んできたのだろうと辺りを見回すが、視界に白の色はなくて目に入るのは林の薄緑ばかりである。我が家の白梅と言えば南の畑のものを措いてほかにはなく、そこから北の玄関前まで飛んでくるには家屋そのものが邪魔となるはずだが、その妨害を物ともせずに家の反対側の蔭に忍びこんだのだろうか。
  • 日向を辿っていくと風が確かにやや盛んに流れて、ひっきりなしに葉鳴りが降るものの、しかし陽光は穏和で、寒いと言うよりもむしろ春の近まりを感じさせる明るさだった。
  • 坂に入ると木の間に覗く青空の滑らかさ澄明さのなかに裸の木枝が伸びており、その白さが象の肌のような固有の質感を持っているのに思わず感嘆の念が湧いた。腕時計を見やれば電車まではまだ一〇分あるので、余裕だなと思う。やはり人間、ゆっくり道を歩けるような余裕が必要だというわけで、ひどくゆっくり上がっていった。ガードレールの向こうの斜面には落葉がいっぱいに敷き詰められていて、底に細く流れる沢もほとんど埋められているが、そこまでの距離が意外なほどに近く、全然高さがなくて、夜に通った時の先の見通せないまったき闇を思い起こすと、こんなに距離がなかったのかとしばらく止まって眺めていた。葉をがさがさいわせて鳥か何かが動いていたが、草葉に隠れて姿は見えなかった。
  • 空気はきりりと締まっていてとにかく明るく、すべての事物がことごとく自分が死んだあとの光景に映るような美しさだった。駅の階段を上りながら視線を放てば、空は例の青い〈何もなさ〉に占領されており、本当にひとしずくの乱れも模様もない完全な継起性でもって空虚と充実が重ね合わされた淡青そのものが君臨している。
  • 最寄り駅から青梅まで電車に乗っているあいだも、窓外の情景が今まで一度も目にしたことのない見知らぬ町のように映る陽の明るさだった。
  • 稲城長沼駅でKくん及びTと合流し、TDの宅へ。彼の部屋ではリハーモナイズ講座と言うか、コード進行の付け方講座のようなことが催されたのだが、綾瀬に向けて出発するまでに思いのほかに時間がなかったためにTDはかなり慌てていたようで、随分と早口の説明になっていた。
  • 綾瀬までは登戸で小田急に乗り換えて一本だったと思う。登戸で乗った時だったと思うが、私立学校の女子小学生が向かいの席に就いて、その女児がAndy Warholの名前の記された手提げを持っていた。綾瀬までは結構時間があって、一時間くらいは掛かったと思う。合間はKくんと隣り合って時折り話を交わしたが、何が話されたのかはよく覚えていない。
  • 綾瀬に着くとコンビニで各々食べ物を買ってスタジオに向かう。TDやTは歩きながらものを食べていたが、こちらは着いてから食うことにしてビニール袋を提げて歩き、スタジオ傍の何とか言う体育施設の敷地の日向に入って、立ったままおにぎりをもぐもぐ咀嚼した。
  • 二時から立ち会いミックスである。エンジニアは「(……)」のオーナーでもあるHRさんという人で、情報の伝達ミスがあったか何か、よくわからないのだが、通常ミックスは立ち会い前にある程度仕上げておいてそれから細かなところの要望を聞いて調整していくという段取りで進めるはずのところ、まったく作業をやっていなかったようで、超速で仕上げるので少々お待ち下さいということになった。それでデスクのコンピューターに向かったHRさんが作業を進める後ろで我々は特に話も交わさずに黙然と待ち、多分三〇分か四〇分かそこらで、とりあえずこれで一度聞いてみてくださいという形ができあがったと思う。こちらは一人、ほかの三人から離れて室の奥のドラムの方にあるヘッドフォンを使った。それで音源を聞いたのだが、音楽の内容そのものについてならともかく、音質とかサウンドバランスとかについてどうこう言えるような耳を持っていないので、こちらには強く引っかかるところもさほどなく、音源として良質に仕上がっているのかそうでもないのかすらよくわからなかった。強いて言えばバッキングのギターがやや大きくてボーカルが引っこんでいるように聞こえる、というくらいのことだったが、その点はほかの皆が指摘してくれたので、こちらはほとんどまったく発言はしなかった。TDはドラムの各パートのバランスが気になったようで、1Aのリムショットの音量をもう少し下げてほしいとか、キックのアタック感をもう少し出してほしいとかいくつか要望を挙げており、Tもやはり自分のパートであるボーカルのざらつきが気になると言った。この歌声の「ざらつき」というのは彼女が以前から繰り返し気に掛かると言っている点なのだが、こちらには全然よくわからない。
  • ミックスが完了した頃には一時間半ほど経っていただろうか? もう少し時間は掛からなかったかもしれない。残りの時間は"A"のベースを録音するということで、Kくんが準備をしてレコーディングに取りかかったのだが、彼はあまり調子が良くなかったようで、自分でも途中で、今日はちょっと駄目かもしれないと弱音を漏らしていた。結局、三度か四度通しで録ったと思うのだが、本人の納得の行くプレイはできず、時間も尽きてしまったのでそれで今日はひとまず終了となった。
  • 既に四時に達し、次の客がスタジオの外に現れていた。こちらは皆に先立って外に出て、建物の外で待っていた男女に向けて、どうもお待たせして申し訳ありませんと声を掛けた。男性の方は会釈をしたのみで黙って煙草をふかしていたが、女性の方が、バンドですかと訊いてきたので、バンドと言いますか……まあ、グループみたいなもので、高校の同級生で集まって、まあちょっと作ろうかという感じで、というようなことを答えた。良いですねえ、と女性は応じた。
  • MUさんが吉祥寺にいるらしいのでそちらに向かう手筈だったが、その前に綾瀬の隣の亀有に寄って、今度皆で観に行く『SHIROBAKO』の映画の引換券か何かを購入しようということになっていた。それで一駅移動し、TDとTが映画館に行って券を買ってくるあいだ、こちらとKくんはホーム上の待合室のなかで待つことになった。それで彼と並んでベンチに座り、他愛のないことをしばらく話したり、今日のレコーディングで力が発揮できなかった要因についての自己分析を聞いたりした。ミックスの方に集中して気力を使い果たしてしまい、録音のためにうまく気持ちを切り替えられなかったのではないかという点が一つあり、もう一つには、機材の接続不良と言うかしばらく音が出なかった時間があって、それで気が削がれたということもあったかもしれない、ともKくんは話していたと思う。
  • TDとTの二人が戻ってくると、先行予約の限定商品なのだろうか、『SHIROBAKO』のクリアファイルが配られた。こちらの品は「エマたそ」と呼ばれる人物のもので、今日欠席のTTが好きなキャラクターだと言うので、自分は特別『SHIROBAKO』のファンでもないしアニメグッズを集める趣味も持っていないからとTTにあげることに決めて、その旨LINEで伝えてもらった。
  • それで新御茶ノ水及び御茶ノ水を経由して吉祥寺に移動し、駅でMUさんと合流。彼女は髪をやや短く切っていたようで、Tがそれにいち早く目をつけて可愛い可愛いと褒めていた。吉祥寺に到着したあとは、確かそこからもうまっすぐ「(……)」に向かったのだったと思う。以前も一度訪れたことのあるスープカレーの店である。具材に加えてスープの風味、辛さ、ライスの量を各々選択して注文する形式で、こちらは前回も食べた二〇品目の野菜の入ったカレーを選び、辛さは今回は、二番だったか、やや辛いというレベルにしてみたのだが、それでもこちらにとってはかなり辛い方で、舌をひりひりさせながら食すことになった。この店には多分八時半頃まで留まっていたと思う。会話はもはや全然覚えていない。
  • その後、atreに入っている「(……)」という喫茶店に移動して、一〇時半だったか一一時くらいまで駄弁る。MUさんのことを皆で知ろうと言って彼女に質問をするようTが促してきたので、こちらは、次のようなことを言った。すなわち、二三日にTやKくんと会った時に類は友を呼ぶという話になった、それで言うとこちらは昔からわりあいに世間や社会一般に完全には馴染めないと言うか、違和感を覚えながら育ってきたようなところがあり、自分はもしかすると周囲とちょっとずれているのかもしれないと思いながら生きてきたのだが、「(……)」のほかの皆はどうだったのだろうと思ったのだ、と。Tも比較的疎外感を抱えながら生きてきた方だと自認している。Kくんはそれに対して、共同体に馴染めないというようなことは特になかったようだ。それでMUさんはどうだったかと尋ねたのだったが、それに対して彼女は、自分は「普通」になれなくて、ずっと「普通」になりたいと憧れていた、というようなことを答えた。以前武蔵境のK宅に集まった時、こちらが会話を離れて野菜炒めを作っているあいだに、TTの大学時代の話として、周りには「普通」の人しかいなくてあまり面白くなかったということが語られたらしく、Tなども大学生は大体皆「普通」で物事をあまりよく考えていない、みたいな感じで批判的に言及していたようなのだが、MUさんは多分、「普通」の人がそのように十把一絡げに切り捨てられて低い存在として見られてしまうことにこそ違和感を覚えていたと言うか、納得が行かないような思いを抱いていたのではないか。この席での彼女の発言を聞く限りそのような印象をこちらは受けたもので、その辺りについてMUさんはいくらか反論めいたことを試みようとしていたように観察されたが、ある時点を境にそれも断念したようで、冗談に紛らわすような雰囲気になった。
  • ほかの事柄は全然覚えていない。帰路や帰宅後のこともまったく覚えていない。


・作文
 8:53 - 9:10 = 17分(27日)
 9:10 - 9:20 = 10分(28日)
 計: 27分

・読書
 26:41 - 26:57 = 18分(バルト)

・睡眠
 3:30 - 8:00 = 4時間30分

・音楽
 なし。