2020/4/6, Mon.

 あれは四十のまだ手前のことだったか、晩秋のたそがれ時に都心のほうのさる旧庭園の、朽葉に埋められて、湧き水も尽きたようで濁った小池の、わずかにあいた水面に、雲間からのぞく十日ばかりの月の影が、天に見えるよりもくっきりと、澄み返って映っているのを、日の暮れきるまで、しゃがみこんで眺めていた。この影を内へ映し取れたら思い残すことはない、とそんなことをつぶやいたものだ。寒いような恍惚の戦慄がいささか走ったと見える。詰まらぬことを、とやがて呆れた。かりにこの影を捉えて思い残すこともなく、それでまもなく死ぬわけでもあるまいから生きながらえるとして、あとはすることもなくなるのではないか。内心はうつけたままに生活の辻褄はどうにか合わせるにしても、それは本人の勝手だが、影のまた影みたいなものに頼る家の者たちはそれと知らずに苦しむことになる、と怖気をふるって腰をあげた。暗がりをあたふたと飛び石づたいに歩き出して、すぐに忘れた。用事から用事へ移る半端な閑の内のことだった。
 (古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、89; 「時の刻み」)



  • ベッドに寝転がりながら岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』をするすると滑らかに読み進めていく。岩波ジュニア新書の本なので文章が簡明で易しく、言語層のなかを抵抗少なくどんどん通過していくことができるのだ。あと一〇頁ほどで仕舞える地点まで達したところで出勤に向けて装った。行き帰りのあいだに読み終えるだろうと思われたので、次に付き合う――あるいは付き合ってくれる――相手を検討して、最近日本の小説に全然触れていないから、と三島由紀夫『中世・剣』でも読むことにした。
  • 勤務は(……)と(……)くんの二人が生徒だった。(……)くんはほとんどの時間、眠ってしまった。徹夜したらしいので仕方のないことだ。うるさいことはわざわざ言わない。辛うじて、教科書をほんの少しだけ読むことができた。
  • この日、明日になれば緊急事態宣言が発される予定だと報道されており、室長曰く、それによって明後日から休講になるだろうとのことだったので、休みになる前に提出書類を仕上げてしまうため、駅前にあるボックス様の簡易サービスで証明写真を撮った。出来上がった写像に表れた顔は、何だか変な、冴えないようなものになっていた。顎の辺りにちょっと肉が寄っている風に見えたのは顎を下手くそに引いてしまったからだろうが、昔と比べて体重もかなり増えたので、やはり顔が多少丸みを帯びたのだとも思う。
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