2020/5/7, Thu.

 [ペーター・]ヨルクの妻マリオンは、事件直後ベルリンの自宅を接収されてしまい義姉のもとに仮寓していたが、夫の処刑の二日後にゲシュタポに逮捕され、家族囚としてベルリン・モアビットの拘置所に拘留された。だが他の妻たちは夫の逮捕後すぐ自分も拘留されたから、夫の死を知ることもなかった。マリオンは[アダム・フォン・]トロットの妻クラリータ、[ハンス=ベルント・フォン・]ヘフテンの妻バルバーラと同じ拘置所であった。彼女らは窓のない隣り合わせの独房に拘留された。ところがその拘置所の牧師が神経衰弱症で休養することになり、暫定的に[ハラルト・]ペルヒャウが兼務することになった。しかもその同僚は囚人房に出入りする鍵を置いていった。ここから彼の勇気ある行動が始まった。
 三人の妻たちは家族の連帯責任の適用をうけた家族囚であり、とくに子どもたちが拉致されたクラリータとバルバーラは悲しみと心配のあまり半ば正気を失っていた。しかも彼女らは尋問されたあと、独房に拘禁されっぱなしであった。ペルヒャウは看守長を味方につけ、三人に接見する機会を設けて、まずは子どもたちがバート・ザクサで無事だという情報を伝え、毎週定期的に自分の衣服の裏地の大きなポケットに隠して、蜂蜜を塗ったパンやチーズなど滋養のあるものを持参しては、彼女らの飢えを凌がせている。戦争末期の食糧難は囚人たちにとくにひどかったが、モルトケの妻フライアがクライザウの食糧を運んでくれたおかげである。夫がどうなったのかもわからず思い悩む妻たちに、彼女らが落ち着いたころをみはからい、感傷をまじえず、その死を伝えている。ヨルクは八月八日、ヘフテンは八月一五日、トロットは八月二八日に処刑されたと。
 クラリータは、一九四〇年六月トロットから自分はヒトラーの敵であると告白され、それを知って結婚した。ペルヒャウがトロットの死とともにクラリータに語った言葉は、示唆に富んでいる。「神がくたびれた老人だけをみもとにお召しになるのでしたら、いま身をささげられた方々から生まれでる力強い新芽が育つこともないでしょう」。ペルヒャウにしていえる比喩的な表現だが、趣旨は夫の死が無駄死にではなく、新しいドイツをつくるための意味ある死なのだということだろう。また別の機会に彼は、逮捕をまぬがれたローゼマリー・ライヒヴァインにも私情をまじえず、「絞殺がもっとも苦しみの短い死なのです」とまで語っている。非情ではあっても、ありのままを冷静に伝えることが、気丈な彼女たちの気持ちを整理させ、早く立ち直らせることを、彼は知っていた。
 釈放後、彼女たちには子どもたちに父の死を伝える役目が待ち受けている。さらには「反逆者の妻」にたいする世間の非難や冷たい目に堪え「反逆者の子」への悪口から子どもを守って、苦難を乗りこえて生きていかねばならない。ペルヒャウにはこのことへの思いがあった。夫の反ナチ活動を支えつづけた彼女たちには、それができた。ペルヒャウ自身、変わることなくその後も相談にのり彼女たちを支援した。戦後女性初のベルリン陪審裁判所所長となったマリオンは語っている。「私たちにとって彼はいつも暗闇のなかの光明でした」。
 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、166~168)



  • やはり世間的な価値観に照らしてもう少し「立派な」、あるいはそこまで行かなくともいくらか「きちんとした」生活習慣を作らなければなるまいとは思う。別に今現在、誰かから文句を言われているわけでないし、そもそも三十路にも達していながら親に生計を依存している時点で世間的にはまったく褒められた事態ではないのだろうけれど、ともかくもその範囲内で最善を尽くそうという気はないではない。要するに、正午過ぎまでだらだらと寝耽っているような暮らしは、やはりあまり望ましくはないだろうということだ。生き急がずに鷹揚に生きつつ、視野を広く持ち、気づいたことはなるべくやるようにしようと思う。
  • 一時から三〇分ほど、光を浴びながらベランダで書見。シェイクスピア/大場建治訳『じゃじゃ馬馴らし』(岩波文庫、二〇〇八年)。気持ちの良い晴天で、文句なしに快い。
  • 「英語」及び「記憶」の記事をようやく復読できた。一日のなかで早いうちにやってしまうに限る。
  • 五時に至り、夕食の支度へ。白菜と葱を混ぜた麻婆豆腐を拵え、鯖をフライパンで焼き、鮭はレンジで加熱して、茹でてあった小松菜を切り分ける。母親が汁物を煮込む段まで進めたあと、仕事で疲れたと言って炬燵で休んでいたが、スープの味つけは彼女に任せることに。
  • 散歩がてらコンビニへ外出。昨日が母親の誕生日だったので、ケーキを買いに行く。南の山に残り陽の柔らかな明るみが乗せられている。道横の斜面の上から鳥の声――地鳴きなのか泡立つような鈍い声と、通常の囀りらしき伸びやかな声を素早く入れ替えながら降らしている。見上げるものの、距離もあるしむろん姿は視認されず、どこにいるのかわからず、見えるのは淡い暮空を背景に水底の海藻めいて風に揺らいでいる樹の影絵のみ。
  • コロナウイルスのせいなのか知らないが、十字路の自販機にはどうも業者が来ていないようで、ほとんど売り切れのランプが灯っているし、ボックスのなかも空き缶やペットボトルで大方いっぱいのようだ。それでもボトルを三つ押しこませてもらって先を行き、坂を越えてまっすぐな裏道に入ると前から若者が三人歩いてきた。高校生か大学生か、あちらもコンビニ帰りのようで、うち二人が茶髪だった記憶があり、いかにもな若者という感じ。すれ違って過ぎれば一人になり、すると竹の葉が風にさやいで地味なシズルシンバルみたいな響きを流し、路上には流星めいて鶯の声も落ちてくる。緩いカーブを曲がった途端、街道の向こうの空の下端に落日が現れ、膨張的に大きく身を押し広げているその姿が視界を呑みこむように眩しく侵食してくるので、右手で額にひさしを作ってその光勢を遮ると、今度は道の上の宙に微細な虫が気ままに漂い遊泳しているのが露わになるが、それらはまるで生命を持たない葉の屑とか草の切れ端とかのようにしか見えない。
  • 街道。自転車屋の隣の宅は多分ここの店の主人の住居だと思うのだが、その前に小さな焼却炉の類があって、ちょうど何か燃やしているところで――きっと正式には違反ではないかと思うが――カブトムシの角にも似て先が左右に分かれながら突出した排煙路から煙が湧き出して大気を覆い、夕陽を混ぜこんだ大気をさらに余計に霞ませている。ガソリンスタンドの横に掛かると燕が一羽、滑らかに宙を切った。通りの対岸のさらに奥、裏路地の向こうに茂る森の樹々は緑が随分と濃くなっており、いかにも初夏五月の装いに充実している。
  • コンビニに入る前に、持ってきたマスクを一応つけた。それで入店し、籠を持って店内を回り、小さなコーラのボトルやポテトチップスや冷凍の焼き鳥などを集め、最後に目的のケーキを選ぶ。モンブランと苺のショートケーキと、それらよりも価格が一段下がるレアチーズケーキを取って会計へ。レジカウンターの上にはビニール幕が垂れ下がっており、店員は中年から高年に掛かる頃合いの女性。持ってきた薄手の布袋を取り出して、すみませんがこちらにお願いできますかと頼んだ。女性はケーキが倒れないようにとボール紙でできたケースと言うか台座と言うか、そんなようなものをわざわざ持ってきてくれた。穴が四つ空いていて、そこに容器を嵌めこんで固定するわけだ。笑って礼を言い、そういうものがあるんですねえと向けると、もともと品物がこれに入った形で届くのだけれど、こういうときのために一応取っておくのだということだった。会計を終えてカウンター前を離れる直前にアルバイトの女子が挨拶をしながらレジの後ろに入っていったのだが、それが(……)さんだったような気がしないでもない。
  • 帰路へ。道の交差部で渡り、最近歩いていなかった北側の裏道、墓場の前を通って保育園の横に至る道に入った。途中の家で犬が吠え立ててくるので視線をじっと返してやる。最寄り駅から表に出て東に進み、いつものように肉屋のそばから坂を下る。下の道に出ると花壇前のベンチに寄って老人が一人、腕を回したり背を伸ばしたりと体操をしていた。
  • 七時半まで日記を書いてから夕食。「レンタルなんもしない人」について母親が話すのを聞く。実際に存在している人間をモデルとしたテレビドラマらしい。仕事が嫌になって辞め、そういう活動を始めたとか。基本的にただその場にいるだけで何もせず、受け答えも必要最低限にしかしないのだが、例えば一人では入りにくい店に一緒に入るとか、一人分の人間の存在が必要な状況に居合わせることを引き受け、交通費と飲食代以外は費用ももらわないと、そんな感じのようだ。まあ良いんではないか? そういうほとんど無償の贈与的な行いは、増えても悪いことではないんではないか? 生活が成り立てばね、と母親は世間的な常識を口にする。その人は結婚もしており子供も生まれたところだと言うので、そんな環境でそんなことしてるのかよとこちらは結構笑った。しかしまあこちらだって両親に経済的に依存しながら読んでは書き読んでは書き、金にも地位にも名誉にもならん仕事を毎日しこしこ続けているわけだから、似たようなものだろう。ドラマではNEWSの増田何とかがその人を演じていて、それがぴったり、まさに「なんもしない人」って感じの顔、と母親は評価していた。
  • 夕刊、音楽ニュース。Shohei Takagi Parallela Botanica『Triptych』の紹介がある。ceroの高城晶平のプロジェクトで、「ceroとは一線を画し、海のようにゆったりした音楽」だと言う。赤い公園『THE PARK』の短評もあり、全然知らないが何となく少し気にならないでもない。
  • 母親が(……)さんに筍を届けたいと言うのでその役目を担い、夕食後にふたたび外出した。紙袋を提げてゆっくり行くと南の空には満月が照り、夜空は雲がわずかに刷かれているものの大方澄んで、青さが露わに満ちている。坂を上って目的の宅に着くと、戸口で表札を確認してからインターフォンを押した。母親は扉の取っ手に掛けてくれば良いと言っていたのだが、やはり一応顔を見せて挨拶をしておくかと思ったのだ。玄関の明かりが点いたのでこんばんはと声を掛け、引き戸がひらいたところに夜分に申し訳ありませんと切り出した。出てきたのは白灰色の髭をいくらか生やした男性だった。(……)と申しますと挨拶し、そちらの、奥様ですかね? が、うちの母親と友人でして、筍を届けに参りましたと説明すると、どちらの(……)さんですかねと訊かれるので、あの、すぐそこを行ったところの、と言いますか、とちょっと困惑しながら受ければ、少々お待ちくださいねと男性は言い、替わって(……)さんが出てきたので、どうもわざわざすみませんと恐縮し、(……)の息子でしてと笑いつつ、筍を取りまして、是非召し上がっていただきたいということで、と用件を述べた。それで二、三、交わして辞去。帰ってから訊くと、男性は旦那さんではなく、弟ではないかということだった。そう言えば(……)さんはたしか結婚をしていないのだ。
  • 四月一六日の記事を完成させることができた。総計で五時間くらい掛かったか? 三時間近く座りっぱなしで書いていたのでさすがに肉体がこごり、腰が痛んだので、ベッドに転がって書見しながら休息を取る。シェイクスピア/大場建治訳『じゃじゃ馬馴らし』(岩波文庫、二〇〇八年)をほぼ読み終えたのだが、そんなにめちゃくちゃ興味深いとか、単純にすごく面白いとかいう感じではない。いままで読んできたシェイクスピアのなかでは、やはり安西徹雄訳が一番面白かったように思う。