2020/5/6, Wed.

 拷問され喉を潰された[アドルフ・]ライヒヴァインのばあい、公判でもフライスラーに「裏切り者」と一方的に罵倒され発言の機会も封じられた。彼は黙って毅然と立っていた。その彼が公判前の一〇月一六日、一一歳の長女レナーテに宛てた紙片がある。それにはこう書かれている。

機会があったら、いつでも人には親切にしなさい。助けたり与えたりする必要のある人たちにそうすることが、人生でいちばん大事なことです。だんだん自分が強くなり、楽しいこともどんどん増えてきて、いっぱい勉強するようになると、それだけ人びとを助けることができるようになるのです。これから頑張ってね、さようなら。お父さんより。
 (『アドルフ・ライヒヴァイン――手紙と文書にみる生涯』)

 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、162)



  • 一一時半頃に起床し、水沢うどんを茹でて食べた。なかなかにこしがあって美味い。
  • (……)
  • 筍をまた採ったと言うので、三時半頃、天麩羅にした。揚げているあいだは前後左右に開脚したり屈伸したりして柔軟。
  • 夕方から降り出した。かなり強く、なおかつ雷もびしゃびしゃと激しく、轟音を伴って天地を叩く。
  • 寝床でシェイクスピア/大場建治訳『じゃじゃ馬馴らし』(岩波文庫、二〇〇八年)を読むところが、途中で眠気に殺されてしまい、結構長く死んでいた。
  • 今日は母親の誕生日なので、夜の散歩のついでにコンビニまで行ってケーキを買ってこようと思っていたところが、雷が激烈に落ちまくっていたので取りやめた。明日は晴れるらしいので、翌日行くことに。夕食時、というのは八時半頃だが、昨日に引き続いて兄夫婦から電話が掛かってくる。母親を祝うためだろう。こちらは食後、ソファに座ってタブレットの画面を見ていたが、(……)ちゃんは外出禁止のなかでも外見上は元気で、自由に動き回っており、そんなにストレスを溜めていないようには見える。
  • 九時頃入浴。出てくると、母親が小皿に入った蕗を出してこれ渡してと言ってきたので、炬燵テーブルでだらだら飯を食っている父親のところに運んだのだが、以前ならこういうとき、父親は基本的には必ず、はい、ありがとうと礼を言ってきたところ、今回は無言だった。一昨日の件でやはり多少は屈託みたいなものを覚えているのかもしれない。それならそれで別に良いのだが。
  • (……)さんにダイレクトメッセージを綴る。

 (……)

  • Bill Evans Trio, "My Foolish Heart"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#4)を聞く。とても高度に完成されたバラード演奏。LaFaroのベースがやはり重厚で、よく伸びて沈みこむように耳に入ってくる。表面上、ほかの楽曲よりも動きは少ないが、実際にはやはり互いに呼吸を汲み取り敏感に感応し合って、バラードの枠内で流れを生み出し波を構築しているのが聞き取れる。三者のなかでもとりわけPaul Motianが、意外にもこの演奏のニュアンスを支え、担保しているのではないかという気が何となくした。ドラマーが彼でなかったら、印象はかなり変わっていたのではないか。ありきたりな形容だけれどここではまさしく繊細という言葉を使うべきだと思われ、シンバルロールと組み合わせた彼特有の棚引くシズルの音響は箇所によって響きや伸ばし方を調節されているし――それは当然のことではあるものの、しかしMotianでなかったらやはりもっと単調になるような気がする――シャン、シャンと短く詰まった、鈴のような点状の鳴らし方も美しい。Evansの和音構成は高級な温かみを帯びていて、実にわかりやすいイメージだが冬場に戸外から帰ってきて暖炉に当たりながら安らいでいるような感じだ。下記の場面を思い起こした。

 (……)寒さがあまりにも厳しくなると、生徒と哲学者は、暖炉の煙突口の下に閉じ込められた大きな火のそばによるのだったが、そのたびにゼノンは、これほどの安楽をもたらす火、灰のなかのビール壺をおとなしく暖める飼い馴らされた火が、同時に天空を駆けめぐり炎と燃える神でもあることに驚異の念を覚えるのであった。(……)
 (マルグリット・ユルスナール岩崎力訳『黒の過程』白水社ユルスナール・セレクション2)、二〇〇一年、161)