2020/7/3, Fri.

 なぜなら、この呼びかけの言葉は、同時に凝結した言葉でもあるからだ。わたしに到達するやいなや、その言葉は停止して、それ自体の上でくるりと回転し、一般性を取り戻す[﹅4]。それは凍りつき、漂白され、罪のないものになる。概念の適合は、字面どおりの意味によって、ふたたび一挙に遠ざけられてしまう。そこには、用語の物理的な意味とともに、法律的な意味において、一種の停止=判決のようなものがある。フランス帝国性のせいで、敬礼するニグロは、たんなる道具としてのシニフィアンにならざるをえない。ニグロはフランス帝国性の名のもとに、不意に私を呼びとめる。が、同時にニグロの敬礼は厚みを増して、ガラス化され、フランス帝国性を根拠づけるための永遠の前文として凝結する。言語活動の表面で、何物かがもう動かなくなる。意味作用の用途がそこにいて、事実の背後にうずくまり、通告的な態度を、事実にも伝播している。だが同時に、事実のほうは、意図を麻痺させて、不動性の病いのようなものを与える。意図を無罪にするために、事実は意図を氷結させるのだ。これは、神話とは盗まれてから返された[﹅10]言葉だ、ということである。ただ、返された言葉は、盗まれた言葉とは、もはや全然同じではない。もとに返されたとはいっても、言葉は正確にもとの位置に戻されてはいない。神話的な言葉の凍りついた様相を構成しているのは、この瞬間的な剽窃であり、このすばやいトリックの瞬間なのだ。
 (下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、340~341; 「今日における神話」; 一九五六年九月)



  • なぜそうなったのかまったく不可解だが午後一時まで死亡していた。ほぼ半日の滞在。さすがに時間がもったいない。
  • 白く淀んだ曇りの日で、三時から(……)くんと通話する予定になっていた。上がっていくと鯖のソテーに生サラダができているのは、母親が出勤前に作っておいてくれたらしい。それらは夜に取っておくことにして、ハムエッグを焼いて丼に盛った米に乗せ、昨晩の味噌汁の余りも平らげる。
  • 帰室してMr. Children『DISCOVERY』をバックに「英語」および「記憶」を読んだあと、二時半に至って前日の面談記録をノートに作りながら三時を待った。(……)さんの教室長面談が七月四日すなわち明日に控えているので、今日中に仕上げて職場に持っていったほうが良かろうというわけだ。三時になるとLINEに送られてあったZOOMのURLをクリックし、ソフトをダウンロードして参加。映像をともなうだろうことを見越して、洒落っ気のない肌着にハーフパンツの格好からTシャツとスラックスに着替えておいた。
  • そうして通話。最初からまずあちらの背後にでかでかとした本棚が画面に収まりきらない調子で映っているのに目が行く。さすがの蔵書量で、ワシーリー・グロスマンの『人生と運命』や『アルトー後期集成』全三巻などが目について判別された。(……)くんは最近カフカの『変身』を訳しており、また自分で小説も書いていると言う。それらの文章を読んで評価してほしいと言うので了承し、LINEに貼りつけられたものをその場で読んだ。どちらのものも全体的に文としてよく整っており、細部まできちんと目を配りながら書かれているように感じられた。

 (……)

     *

 (……)

  • どちらの文章を読んだときにもまず漢字のひらきについていくつか指摘した。二度目のとき、ひらきにめっちゃこだわりますねと(……)くんは笑ったが、これはこちら自身にも意外で、こんなに気にする人間だったかなと思われた。ただMさんがおりおり言っているように、ぱっと見たときの「字面」としてバランスが良く「美しい」という印象を与える文字の模様というものはたしかにあって、そういう部分にまで配慮が払われている文章は内容としてもやはり面白いものが多いような気がするし、第一印象で見た者を惹きつけるためには漢字の表記というものも大事だと思うと話すと(……)くんもそれに同意し、森元庸介という、(……)くんの先生でルジャンドル関連の仕事などをしている人の文章がそういう意味でとても「美しい」のだと言った。
  • 気になって言及した箇所を記しておくと、まずカフカの翻訳のほうでは「不穏な夢々」という言い方である。「夢々」という複数形の言い方はおそらく一般的にはないはずで、物珍しいけれどこれはなかなか難しいところだぞと思ったのだ。古井由吉か誰かが「窓々」みたいな言い方をしていたような気もするし、黒田夏子だったら何の躊躇も見せずにこともなく「夢夢」と書くのだろうが、この訳のなかでこの語を使うのが吉か否か判断がつかない。ただカフカの原文では「夢」が複数形で書かれているらしく、そうなるとここはけっこうクリティカルなポイントなのかもしれない。過去の訳者はだいたい複数の意を日本語に盛りこんでいないらしいのだが、多和田葉子だけはかなり意訳を加えて「いくつもの夢の氾濫」みたいな表現にしていたとのことだ。それは研究者的な翻訳の範疇では明らかにやりすぎなのだろうけれど、多和田葉子は実作者だし、あの(集英社文庫の「ポケットマスターピース」シリーズに入っている)『変身[かわりみ]』も要はなかば多和田によるリメイクみたいなものなのだろうからそれはそれで良い。Mさんの言葉を借りれば「魔訳」ということで、このときもその語を紹介しつつ、文章としての質は最低限押さえながら(……)くんの好きなようにやっちゃって良いと思いますよとすすめた。
  • 訳文にもどると、グレゴール・ザムザが変身した虫の姿を「どえらい害虫」と訳しているのが良いとこちらは思った。この文章の基本的なトーンのなかにあって「どえらい」という語はいくらか砕けたような感じがあるのだが(〈下町的な〉語なのだが)、その段差がここではうまくはまっていると思う。この「どえらい」は(……)くんの先生のひとりである女性が(大阪出身の人と言っていたと思うが)話している最中によく使うのだと言う。標準的な講義の語りのなかでいきなり「どえらい」が出てくるのが(……)くんは好きで、それで借りてみたということだ。「まあるい褐色の腹」の「まあるい」も似たような効果をもたらしている。
  • ひらきに関しては面倒臭いのでこまかな記録はしないけれど、こちらだったら漢字にしてしまうところを(……)くんはいくつかひらがなにひらいており、これでも全然行けるのだなと気づかせてもらったということはあった。カフカのほうで言うと「近ごろ」とか「くりかえし」とかがそうだし、下のオリジナルの文章のほうで言えば何よりも「ときおり」だ。この「ときおり」は新鮮な発見で、この日以来こちらも(……)くんに倣ってだいたい漢字で書くのをやめているはずだ。
  • 下の小説文のなかから触れておくと、「雨降りならより強く感じられたであろう古い講堂の湿(しと)りと黴が鼻腔を通り身を内側から包み、程よい懐かしさを覚えさせた」という一文がもっとも印象的だったように思う。まず「湿り」を「しとり」と読ませているのが珍しく、この字がそのように読めることをこちらはここではじめて知ったものだ。そして、「雨降りならより強く感じられたであろう古い講堂の湿(しと)りと黴が鼻腔を通り身を内側から包み」と読点なしでつなげているのもうまく行っていると思う。こちらだったら「鼻腔を通り」で点を打ってしまうなと思ったのだ。これよりも前に古井由吉にからめて文章の音調の話をしていたので、この部分はたぶんかなりリズムを意識したんじゃないですかと訊いてみると、そのとおりだということだった。
  • 古井に関しては、(……)くんが最近『山躁賦』を読んで小説の読み方みたいなものがわかった、と言ったのが発端だったのではないか。(……)くんの感覚では古井の文章というのはめちゃくちゃこまかく韻を踏むような形になっていて、彼はたぶんグルーヴめいたものをそこに感じるのだと思うが、そこでこちらは古井当人の発言を思い出して紹介した。たしか又吉直樹との対談だったような気がするのだけれど、文章を意味だけで書いていくとすぐに行き詰まる、意味だけでは書くことができない、やっぱり音調が必要で、それが助けになって導かれるようにして書きつないでいけるんですね、みたいなことを話していたのだ。
  • 古井由吉蓮實重彦の対談の話もした。(……)くんもあれを読んだらしいので、古井由吉が、本当はすんなりと通るお話を書きたいと思いながらずっとやってきたんですけどねなどと、そんなはずがないだろうと言うほかない述懐をしたのに、さすがの蓮實重彦も「本当ですか(笑)」と笑いを返すしかなくなっている箇所のことなど言い合って笑った。
  • 古井で言えばこちらは全然知らなかったのだが、生前のセクハラの話が出てきているらしかった。(……)くんによれば山崎ナオコーラが、何かの席で一緒になった際に尻を触られたと言っているようだ。こちらとしては信じられないというか、古井由吉が喋っている動画など見てみても、言葉にせよ身振りにせよ注意深く統御しているという方向の印象を得ていたので、そんな浅はかで軽率なことを働くとはとても思えないのだけれど、かといって山崎ナオコーラの証言を疑うわけにもいかないだろう。また、古井由吉の小説ではたしかに女性の描かれ方や扱われ方に関して男尊的なところがあるのかもしれないが、その点はひとまずは切り離して考えるべきだと思う。いずれにせよかなりがっかりする話ではあるのだけれど、(……)くんが思うにそういうのはやっぱり世代的なものがどうしてもあるんじゃないですかね、とのことで、それはたしかにあるのだろうなあという気はするものだ。漫画なんかにもよく出てくる印象があるが、女性の尻を軽はずみに触るスケベなおっさんみたいな連中がたくさんいて、それが困った人間とはされながらもいまほどは糾弾されなかった時代。男性のそうしたしょうもないセクハラが許容されていたというか、そもそも許す許さないという発想の対象となる以前にそれが社会的な問題として前景化されていなかった時代に生まれ、育ち、生きてきた人間なわけだから、古井由吉にもやはり限界はあったというか、身体的スキンシップの一環としてそれを特に問題とは感じていなかったのかもしれない。
  • あとは極々断片的で不充分極まりないメモが取られているのみで、そこから話の内容を蘇らせることはとてもできないのだが、できるだけ拾っていくと、Kendrick Lamarの話もしたようだ。(……)くんは修士論文でLamarについて書いており、ずっと前にいただいたそれを先日いくらか読んだので、そのことをこちらが報告したのだと思う。ヒップホップ方面には全然触れたことがないのだけれど面白そうだし、ラップというものは詩もしくは言語的パフォーマンスとして見ても非常に興味深いものだと思うし、現代の黒人文化やかの人々が置かれている状況を理解するにも必須の知見なのだろうから、だんだんと手を出してはいきたいものだ。(……)くんによればLamarはいわゆるギャングスタ・ラップの系譜に位置していながらもそこを超脱していくような(普遍への?)志向性をそなえており、作法としてはアルバムもしくはラップのなかで分身的・分裂的に複数の主体を演じ分け、まさしく声色自体も高度に使い分けながら多声的な作品づくりをしているという話だった。
  • 何かの拍子にミシェル・フーコーの例の「汚辱に塗れた人々」の話題になったのだが、そのときにこちらはMさんのことを話した。彼が以前勤務していたラブホテルというのは社会的にいわゆる「底辺」とされるような人々が集まる環境で、人を殺して檻の中に入っていた元ヤクザなどもいたし、おのおの一癖二癖どころか癖がありすぎるような、とても一筋縄ではいかないような人間がつどっていて、そこで働くのは非常に大変だったはずなのだが、しかしMさんは当時の日記に文句とともに彼らに対する、「愛」と言っては大仰にすぎるかもしれないけれど、おそらくはそれにちかしいであろう情をおりおり記していた。そういった場所にもたしかに人間がいて生があるのだということ、その単純簡明な事実そのものにこそ撃たれるという感性をある種の作家は持ち合わせており、憚りながらこちらもそれを共有しているつもりだが、彼らの生というものはもちろん何もしなければ誰にも知られないままにただ消えていくだけのひそやかかつささやかなものである。べつに消えていったとして何ら問題はないのかもしれないが、しかしやはりそうした〈小さな生〉を書き残さなければならない、書き残したいという思いをすくなくとも当時のMさんは持っていたのではないかとこちらは思っており、自分としてもそういう取り組みは作家あるいはものを書く人間にとって重要な仕事のひとつだと思う、というようなことを語ったのだった。結局こちらが日記を書き続けているのもそうしたことがもっとも基底にあるのかもしれない。つまり、記録を残さなければ、書かなければ、いずれはすべてが消えてしまうということに対する許せなさが、最終的なところでは自分を書かせているのかもしれない。時間と世界の持つ絶対的な風化作用に対する怨恨あるいは怨念。もちろん現実にはわりとゆるくやっていて、怠惰のせいできちんと記録を取れなかったり、忘れてしまうに任せることも多々あるものの、根本的なところにはやはり、すべてが消えてしまうのだという圧倒的な事実が常に頭に響いているような気はする。まあ記録を残したからといって、その記録だっていずれは消えていくことになるのだろうが。
  • Mさんの関連で言うと、(……)くんは以前こちらがあげた『亜人』を多少読んでくれたらしい。言葉や文の強さというものは感じたようで、ガルシア=マルケスに似た印象を得たと言う。
  • 最近はデモには行っているのかと訊けば、重要な局面では顔を出すけれどいまは普段は行っていないとのこと。(……)いまは主に「隠居」して勉強に精を出したいらしかった。こちらはいわゆるデモの現場には一度も行ったことがないわけだけれど、やはりそうした場所を実地に経験して得られる知見やその場の空気として感じられることは絶対にあると思うので、実際の現場に足を運んでみたいと述べると、今度ぜひ行きましょうと(……)くんは言ってくれた。デモに限らず、さまざまな場所に出向いて物事を見聞きすることはやはり何かしらの学びになるだろうというアナログな観念をこちらは抱いており、そのくせいままでそれを実際に行動に移してはおらず、端的に体験的な見聞が狭いので、フットワークの軽い(と思われる)(……)くんに色々なところに連れて行ってもらいたいと頼むと、じゃあ今度サウナとか行きましょうという返答があった。サウナという施設にもこちらは行ったことがないのだが(文化的未開地である青梅にサウナなど存在しない)、けっこう変な人がいるらしい。(……)くんが過去に遭遇したなかでは、やたら陽気でめちゃくちゃ話しかけてくる若い兄ちゃんがいたと言う。目がギラギラしていてテンションもおかしいので十中八九ヤクをキメていたのだろうということだが、ヤクザの下っ端みたいなその兄ちゃんが、ども! ちゃっす! とか話しかけてきて、今日は何やってたんすか? と訊くので、勉強してましたと(……)くんは答えた。すると何の勉強すか? と会話は続き、哲学ですと返したところ、あー、哲学! 哲学いいっすよね! ニーチェ! 神は死んだってね! ニーチェやっぱすごいっすよね! とか兄ちゃんは嬉々として言ったらしい。普通に笑うのだけれど、一方で、そんなところにまで流通し膾炙しているニーチェってやっぱりすげえんだなとも思う。しかし、例の「神は死んだ」という有名な宣言自体は誰でも知っているだろうが、その具体的な典拠ってどこなのだろうか? どの著作に記されているのだろうか? と今更思ったところ、Wikipediaによれば「『悦ばしき知識』(Die fröhliche Wissenschaft,1882)の108章、125章、343章で言及されている」と言う。『ツァラトゥストラ』のなかにも書かれているようだ。ニーチェもこちらはまだ一冊も読んだことがない。
  • サウナではほかには「業師」を自称する変な爺さんにも会ったことがあるらしい。当人いわく「業師」というのは城を動かす仕事をする人間らしいのだが、いま「業師」で検索してもそのような用法は出てこず、むしろ城を移動させる職人としては「曳家」という言葉が見つけられる。しかしともかくその爺さんは自分は城を動かすんだ、すげえだろと豪語していたらしく、どうやって動かすのかと訊いてみると、昆布を使うんだ、と返った。さすがに笑うが、昆布を敷き詰めそのぬめりを利用して石材などを運ぶということらしく、嘘みたいな話で、この爺さんが「業師」をやっているというのはたぶん嘘だったのだろうけれど、昔は実際そういう手法を使っていたようで、一抹の真実が含まれているところがちょっとおかしい。その老人は、いいか、何にしても続けるのが大事なんだ、一〇年、一〇年続ければ何でもものになる、とか断言していたらしく、この言は継続主義者であるこちらの主張と完全に一致しているし、吉本隆明とおなじことを言っているじゃないですかと返してこちらは笑った。
  • また(……)くんは最近、フリーのオンライン家庭教師みたいな仕事をして暮らしを立てていると言う。Twitterで募ったらしいが、(……)けっこう客が集まり、金持ちのマダムみたいな人が顧客になっているようで、一時間で(……)もらえるというからすごい。そのうちのひとりは本なんて全然読めなくて、と最初のうちは謙遜していたところが、だんだんと話を聞いてみると若い頃にリルケを読んだことで人生が狂ってしまって、などと語りだし、マンスフィールドの研究をしていると明かしたと言うから、プロじゃないですかと笑った。こちらもマジで、この先読み書きの営みを保ちながら独立して生計を立てていくとなると、そういう感じでオンライン家庭教師みたいなことでもやるしかないのではないかという気がする。ただ現状、募ったところで客などつかないだろうし、仮についたとして有益なものを提供できるほどの力や見識が自分にあるとも思えない。毎回一緒に本を読んで思ったこと気づいたことを語るだけで金がもらえれば楽しいだろうし楽なのだが。それを言えばそもそも、日記を書いているだけで誰かが金をくれれば一番楽で、こちらの人生はそれでもう解決なのだが。
  • (……)
  • そのほか全世界的に言葉がないがしろにされているということや、アンゲラ・メルケルロラン・バルトなどについて多少話した。通話は六時頃まで。大変に楽しかった。職場に出向く前に夕食に品目を足しておくことにして、台所に上がって冷蔵庫を覗けばナスがひとつだけ余っていたのでこれを味噌汁にすることに。あとは小ネギも切って鍋に入れ、一方フライパンで餃子を焼いた。腹は減っていたけれど面談記録を渡したらすぐに帰ってくるつもりだったので、さほど時間はかかるまいと小さな豆腐をひとつだけ、台所に立ったまま食ってつなぎとした。
  • 着替え。上は先ほどの、幾何学的と言って良いのか、なんだかよくわからない迷路みたいな模様でできた赤褐色のTシャツをふたたび着て、下はガンクラブチェックのスラックスではなく真っ黒な薄手のズボンに変えた。時間がなかったので歯磨きはせず、仏間で白地にストライプのカバーソックスを履いて出発。雨が落ちていた。勢いはさほどなく、しとしとと沁みるような降りである。そのおかげで坂道にはいくらか水嵩の増えた沢の響きが差し入っていた。最寄り駅に着くとベンチに座って手帳にメモ書き。時刻はちょうど七時頃であたりは黄昏闇に薄暗く、曇り空は水墨画風の色合いだ。
  • 電車で移動し、着いてからもちょっとメモを取ってから降車。駅を出て職場に行き、扉の前で外を向きながら傘をばさばさやっていると、ツバメが一匹宙を切って過ぎ、曲がりながらまたもどっていった。空気はもうだいぶ暗く、青さが降りて路面に染み入っているような宵の入りなのだが、ツバメは飛んでいく先が定かに見えるのだろうか? 人やものにぶつかったりしないのだろうか?
  • (……)
  • (……)
  • そうして退出し、駅にもどって電車で帰り、自販機で小さなコーラを買って帰宅。じめじめと蒸し暑い夜気。帰り着くとTシャツの下の汗が濃かったのですぐに脱いで帰室し、着替えて食事へ向かう。丼の米の上に餃子を乗せ、鯖のソテーを一切れもらい、あとはみずから作った味噌汁にレタス・キュウリ・タマネギなどのサラダ。新聞を読むが、一方でテレビが『探偵!ナイトスクープ』を映しており、そちらに目を向けてしまいがちだった。まず最初に二三歳くらいの若者からラーメンの鍋を湯船につけながら食うと電気が走るような感覚が発生する、しかも味もちょっと酸っぱくなるという発見の投稿があり、検証に向かう。場所はたしか東大和市だったと思う。家は教会で父親はプロテスタントの牧師だった。そうして実験するわけだが、実験というのは被験者が多いほど精度が上がるものだというそれ自体は正しい理屈でもってこの父親も参加することを強制され、加えて、からだを冷やしたほうがラーメンが美味いだろうというこじつけみたいな理由で、食べる前に野外で冷気に吹かれて体温を下げる段取りになる。父親は完全にとばっちりというか巻きこまれた形である。それで男三人が冷風に吹かれて悶絶するというあまり需要のなさそうな映像が続き、ある程度からだが冷えたところで、次の風が来たら行こうということになった。そしてその風が吹くと三人で一斉に走り出して家に入り、階段を上って室内を目指すのだが、扉に鍵がかかっていて入れないのにまず笑った。母親が閉ざしておいたらしい。それから台所で震えながら生ラーメンを作り出すのにも、これから作るのかよと思って笑ったし、コンロが二つしかないので息子と番組側のレポーター(顔が大きく、声がやたらとかすれていて高い芸人)しか調理できず、火の温もりを求めて父親が横から手を差し出してきたり、代われ代われ代わってくれ! とか叫ぶのにも笑う。そうして調理が済むと麺の入った鍋をそのまま持って息子とレポーターの二人が先んじて風呂に行ったのだが、沸いたばかりの風呂の湯がかなり熱かったようで、息子が入ろうとして足を触れさせた途端に叫びを上げながら身を引っ込めて身体を大げさに動揺させるさまなど、昭和時代の古典的な笑いの手法なのだけれど(ダチョウ倶楽部の得意技だ)芸人ではなくて素人がやっていることもあってわざとらしさがなくて滑稽だった。で、実際鍋を湯につけながら麺を啜ると、本当に電気を帯びたような感覚が生まれ、味も酸っぱくなったらしい。そのあと父親も遅れてきて試したところ、最初は変わらないねと言っていたのだが、これは彼の鍋が琺瑯だったからのようで、息子の鍋を借りてみると父親もたしかに酸っぱいと言っていた。しかしどういう原理でそうなるのかは紹介がなくて不明である。
  • 次は五年間冷凍庫で凍っていた豚の角煮を食べたいという依頼。くも膜下出血で急に亡くなった母親が最後に作った料理なのだと言う。東京農業大学で細菌の検査をしたのち、林なんとかいう髭を生やした関西弁のシェフが登場。ネギと生姜を加えて臭みを中和し、圧力鍋を使ってなるべく型崩れしないよう、なおかつ確実に一〇〇度以上の高温を保って衛生的に調理し、見事五年前の角煮が食べられるようになった。依頼人若い女性は食べながら当然泣く。これは普通に良い話、一般的に言って「感動的な」話だった。
  • そのあと小ネタみたいなものがいくつか紹介されたなかに、知人と一〇〇度のサウナに入っているときにその相手が、空中で肉をしゃぶしゃぶしたら食えないだろうか、と思いついたという便りがあり、このアイディアが読み上げられたときはこちらの発想の外すぎてクソ面白く、思わず爆笑してしまった。頭の良い馬鹿、という感じで、よく思いついたと感心する。
  • あと中ジョッキのビールを一秒で飲み干せるという特技を持った、いわゆる「オネエ」的なキャラの人も出てきた。この人は実際ジョッキを口に嵌めこむように取りつけたあと一気に逆向きにして、一秒どころか〇. 七七秒で飲み干すという荒業を披露したのだが、それが本当に一瞬で、ジョッキに入っていた黄色の液体がまたたく間に水位を下げて消え去っていくさまが目の当たりになり、その降下および消失の速度はすごかった。あれでは喉を動かしているとはとても思えず、飲むというより、食道の入口をどうにかしてひらいたところに液体を思い切り流しこむみたいなやり方で、飲みこむのではなくてただ通過させているような感じなのではないかと思うのだけれど、そんなことが人体に可能なのだろうか。
  • Jesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』。編成にせよ曲目にせよ、Bill EvansJim Hallの『Undercurrent』を引き継いだような作品で、ギターとピアノのデュオ演奏のなかでも相当にレベルが高いほうだと思う。明らかに優れたアルバムで、傑出と言ってしまっても良い。この枠組みではこの水準のものはおそらくそうそうないと思われる。
  • 深夜、夜食(豆腐と即席の吸い物)を用意しに上階に行った際、大雨のために水音が駆け、走っているのが台所にも聞こえて、夜の疾駆などという言葉を思ったのだが、それでカフカが手紙に記していた文言を思い出した。「ただ夜々を書くことで疾駆すること、それが望みです。そしてそのため滅びるか狂気になること、それも望むところです」(城山良彦訳『決定版カフカ全集11 フェリーツェへの手紙(Ⅱ)』新潮社、一九九二年、398; 一九一三年七月一三日)。
  • 2019/6/17, Mon.。冒頭の引用はジェイムズ・ジョイス柳瀬尚紀訳『ダブリナーズ』(新潮文庫、二〇〇九年)。「その晩以来、かぞえきれないくらい愚かな思いがわいて、それが寐ても寤[さめ]ても僕の思考を荒廃させた」とあるが、「寐ても寤[さめ]ても」をこの表記にしたのはやはりすごい。翌火曜日にも「涙っぽい青い目が暖炉の火に瞬[まじろ]いで」(195)という一節があり、この「まじろぐ」という言葉もなかなか良い。
  • 入浴中に「露の尾を見つめ暮らしてはや末世 仏の墓にカナカナが鳴く」という短歌を一応仕上げたが、「露の尾」がやはり一般的な語彙でないし、求める意味にもはまりきっておらず、うーんという感じ。そういえば昨日の暮れ方に今年はじめてとなるカナカナの声を聞いた。


・作文
 21:00 - 21:57 = 57分(6月29日)
 21:57 - 22:23 = 26分(7月2日)
 23:11 - 23:55 = 44分(7月2日)
 23:55 - 24:50 = 55分(7月3日)
 24:51 - 24:57 = 6分(5月28日)
 26:56 - 28:05 = 1時間9分(5月28日)
 28:19 - 28:48 = 29分(5月28日)
 計: 3時間46分

・読書
 13:51 - 14:10 = 19分(英語)
 14:11 - 14:29 = 18分(記憶)
 24:59 - 26:23 = 1時間24分(バルト: 73 - 86)
 26:35 - 26:47 = 12分(日記)
 28:49 - 29:20 = 31分(バルト)
 計: 2時間44分

・音楽