一九四一年六月二二日早暁、「バルバロッサ作戦」、つまりソ連侵攻作戦が実行に移された。ドイツ軍は、三六〇万名の兵力(このうち六〇万はフィンランド、ルーマニア、スロヴァキア、イタリア軍兵士)、二一個戦車師団を含む一五三個師団、三六〇〇両の戦車、二七〇〇機で、宣戦布告なしにソ連に侵攻した。
軍組織は、北方軍集団、中央軍集団、南方軍集団の三つに分かれ、北方軍集団はバルト三国を経てレニングラードを、中央軍集団はベラルーシを経てモスクワを、南方軍集団はウクライナを経てヴォルガ河流域をめざし進撃を開始した。
それに対する国境方面のソ連軍は、二九〇万名、一四九個師団、一万五〇〇〇両の戦車、八〇〇〇機を超える空軍機だった。だが、不意を衝かれたソ連軍は各地で国境を突破され、空軍機も初日だけで一八〇〇機が失われた。
未曾有の規模だったドイツ軍は、攻勢開始当日から、国防軍を中心に親衛隊、通常警察、現地対独協力組織各部隊と緊密な連携のもと進撃し、バルト海沿岸からベラルーシを経て南東ウクライナにいたる広範な地帯を席巻していった。
戦時法規を無視したソ連侵攻を計画していたドイツ軍は、緒戦から殲滅戦を推進していった。捕虜になったソ連軍兵士三五〇万名の死亡率は高く、一九四二年春までに二〇〇万名が死亡している。一日に六〇〇〇名が亡くなったことになる。
また、特にユダヤ人に対しては苛酷であり、一九四一年末までに成人男子のみならず女性や子どもを含め五〇万~八〇万名のユダヤ人を殺害した。一日平均二五〇〇~四〇〇〇名を超える計算である。
(芝健介『ホロコースト』中公新書、二〇〇八年、112~114)
- ちょうど一一時に起床を達成した。上階に行ってうがいをしたり髪を梳かしたりしたのち、フライパンに入っていた煮込み素麺を温めて食事。二時から懐石料理を食いに行くので椀に一杯だけの軽い食事にした。新聞を見ると一面に歌三線奏者の人の戦争証言が載せられていて、沖縄戦に際して本島北部の山原[やんばる]まで徒歩で避難し、入った壕のなかで赤ん坊が泣き出したのに発見を恐れた日本兵が出ていくようにと告げて母子は実際に出ていったという挿話が語られていた。大田昌秀元沖縄県知事の証言を思い出さないわけにはいかない。
例えば、住民がいたるところに壕を掘って家族で入っている。そこに本土からきた兵隊たちが来て、「俺たちは本土から沖縄を守るためにはるばるやってきたのだから、お前たちはここを出て行け」と言って、壕から家族を追い出して入っちゃうんですよね。一緒に住む場合でも、地下壕ですからそれこそ表現ができないほど鬱陶しい環境で、子供が泣くわけです。そのときに兵隊は、敵軍に気付かれてしまうから「子供を殺せ」と言う。母親は子供を殺せないもんだから、子供を抱いて豪の外に出ていき、砲弾が雨あられと降る中で母子は死んでしまう。それを見て今度は、別の母親が子供を抱いたまま豪の中に潜む。すると兵隊が近寄ってきて子供を奪い取り、銃剣で刺し殺してしまう……。そういうことを毎日のように見ているとね、沖縄の住民から「敵の米兵よりも日本軍の方が怖い」という声が出てくるわけです。
(堀潤「辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのか――大田昌秀元沖縄県知事インタビュー」(2015/7/3)(http://politas.jp/features/7/article/400))
- 食後、皿洗いと風呂洗いを済ませ、メロン風味のカルピスを持って帰室。Evernoteを準備してまず今日のことをさっと記した。現在は一二時八分。
- さらに一二時五〇分まで八月一日の記事を書き進め、そうして着替え。深青一色の麻のシャツと、ガンクラブチェックのズボン。一時二五分ごろ出るという話だったので、それまで脚をほぐしておきたいとベッドに転がり柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読んだ。じきに呼ばれたので荷物を持って上へ。
- 助手席に乗車。走り出して街道に出れば、フロントガラスの向こうに雲混じりでまろんだ青さの空が広がり、淡い陽が空間を渡っている。六時一五分から一一時までの寝床滞在なのでさすがに眠りが足りないようで頭が重かったので、食事処に着くまでのあいだは瞑目して休む。
- 「(……)」に到着。在所は(……)という地区。車から降り、黒い塀の脇に無人の野菜販売所があったので寄り、ナスやらトマトやらを母親が買う(四品くらいで五五〇円だったか)。それから店のなかへ。門を入ると竹や楓やらが立ち並んだ庭があり、サルスベリが何本か見られたのだが、まだほとんど花は咲いていなかった。あまり陽に触れないのだろうか? 休憩所を兼ねた蔵もある。母屋と言うか店本体の戸口をくぐると着物姿の女性らが出迎えてくれ、靴を脱いで二階へ、そうして奥の一室に通された。テーブルの窓際のほうに就く。窓外は庭を覆う樹々の梢が広がっており、楓らしき形の葉叢もあったが、いまはもちろん全面明るい緑である。建物のうちは古民家の風情で、立派な梁など通っており、色調は暗く、それに合わせたものらしく真っ黒なエアコンが天井のそばに取りつけられて稼働していた。あとで父親が仲居もしくは給仕の女性に訊いたところ、明治初期からある家を特に改築もせず基本的にそのまま使っているらしい。おそらく地主だか豪農だかがこのあたりにいたのだろう。BGMは最初、和笛の音が聞こえていたが、のちにはクラシックなども掛かっていた。
- 料理の品目は献立の紙を回収してきたのでそれに拠る。
笹 葉月 お献立
前菜 法蓮草もろへいや浸し
無花果胡麻クリーム
鰻小袖寿司
合鴨燻製
若もろこしうす衣揚げ
勾玉豆腐旨出汁ゼリー
鬼灯とまと南蛮漬け
茗荷甘酢漬け
万願寺唐辛子揚げ浸し向付 ごま豆腐
さしみ蒟蒻 アスパラ あしらい一式
割り醤油 芥子酢味噌焼物 鮎塩焼き
蓼酢焚合 冬瓜すーぷ煮 共地餡かけ
鶏オレンジ煮 二色パプリカ おくら
糸賀喜 洗い葱 生姜止肴 夏野菜と鱧南蛮漬け
白髪葱 紅蓼 黒胡椒酢ゼリー止椀 田舎味噌仕立て
玉葱 煎り胡麻
飯 さつま芋おこわ 黒胡麻塩
黒胡麻塩
香物 糠漬け 安芸紫 塩昆布水物 桃ミルク寄せ
マンゴー くこの実
ミント 刻み酢橘ゼリー
さつま芋アイス
丸十れもん煮 小豆餡 あられ
- まず前菜では、「勾玉豆腐旨出汁ゼリー」が一番美味かった。ほか、無花果なんてものははじめて食ったところだ。向付のさしみ蒟蒻はさすがに質が良い感じがした。鮎の塩焼きなんてものもはじめて食べたかもしれない。棒に貫かれてよく焼けていて、骨や頭まで残さず食べることができた。蓼酢というものにもはじめて触れる。緑色の、パレットの上でかなり水っぽく溶かした絵の具みたいな調味液だった。冬瓜のスープ煮も美味い。「共地餡」なる言葉ははじめて見たが、「ともじあん」と読むようで、検索して一番上に出てきたページによれば、「汁と具を一つの材料から作った共地に、片栗粉などでとろみをつけたもの」とのこと。「糸賀喜」なる語も初見だが、これは鰹節の類だった。紅蓼というのは刺し身のツマなどになっているあの赤紫色の小さな葉っぱで、イヌタデとおなじものなのかなと思ったのだが、どうも違うらしい。さつま芋おこわは竹を敷いた器に入っており、それを持って顔に近づけると竹の香りが立ち昇って料理の風味と混ざる仕組みで、こうした趣向は新鮮だった。竹で言えば膳を置く下地としておのおのの前に敷かれていた和紙(顕微鏡で拡大して見た微生物のような、こんがらがった糸くずのような繊維の筋があちらこちらに散らばって不規則な模様をなしている)にも竹の葉の絵が描かれており、前菜の品のどれかも竹の幹を器にしていた。
- 給仕は何人かおり、例外なく着物をまとった女性で、若い人から比較的年嵩と見える人までいたが、料理を乗せた器は巨大なものがけっこう多く、運ぶのはなかなか大変そうだった。デザートの器などは巨大なすり鉢みたいなものに氷がいっぱいに敷き詰められており、それまで我々と多少の雑談を交わしていくらか打ち解けていた給仕の女性は、これすごく冷たいんですよと言ってみせたが、冷たいのに加えてあれでは相当に重かったのではないか。
- こちらは睡眠が足りなかったためか気分が万全とは言えず、けっこう早々に腹が膨れてきた感じがあって、また気持ち悪さの兆しのような感覚もかすかに感じられないでもなく、全部食べられるかなと思っていたのだが問題なく完食はできた。懐石料理というものを食ったのははじめてか、はじめてでなくともそんなに機会はなかったはずだが、美味いけれど如何せん貧しい舌しか持っていないので、そんなに高い金を払って食うものなのかなと思わないでもない。今回の食事はひとり七〇〇〇円くらいだったようなのだが、普通に一〇〇〇円くらいの飯でこちらは全然満足だぞと思う。味つけが複雑で微妙な料理ばかりなので、もっと繊細な舌を持っていないと真価を味わうことはできないのだろう。あと、最後にサービスで抹茶が出てきたのだが、これはなかなか面白かった。口に含んでいるうちは苦味があるのだけれど、喉に送って飲みこむと途端に苦さは消えて後味がほとんどなくさっと流れて、しかも何口も重ねているうちに苦味自体にも慣れてくるから、飲むたびにだんだんと味のニュアンスが変化していくのだ。抹茶というものもよく考えられている。
- 二時間ほど食事をして、四時ごろ退店。そう言えば店にいるあいだ、こんな風にコロナウイルス対策をしていますということを知らせる掲示がテーブルの端に置かれていたのだが、それに目を留めた父親は脈絡なく――おそらくそれ以前に両親のあいだではなんらかのやりとりがあったのだろうが――、こういう風にちゃんと対策をしている店なら食事に行っても大丈夫なんだよ、そうじゃないところに行くと、かかっちゃったりするんだよと母親に向けて言い、そういう〈訓示を垂れる〉ような振舞い(しかも偶然そこにあったものを取り上げて文脈を無視しながら唐突に)は典型的な男性性を具現化しているように思われてなんだかがっくりくると言うか、要するにいかにも「おっさん」という感じがして鬱陶しい。行きと帰りの車中にもおなじような瞬間はあったし、夕食時にスマートフォンでテレビを見ながらひとりでぶつぶつ話したり感動したりしているのもそうなのだけれど、こうした振舞いはロラン・バルトの言っていた「ディスクールを聞かせること」を思い出させるような趣があり、要するに押しつけがましい意味の顕示だと思う。なぜわざわざ顕示するのか理解できず普通に鬱陶しいし、〈訓示を垂れる〉のはともかくとしても、自己完結的な感涙の唸りを(自己完結的であるにもかかわらず)目に見えるように漏らしたりするのは、感情性の意味素がそこに介在するだけに、かなり下品だとこちらは感じる。もうすこし慎みを考えてほしい。
- 帰りの車中でも、先の「(……)」に来ていた客のなかにひとり、Tシャツに短パンのラフな格好をした男性がいたのだが、酒を飲んだ父親に代わって運転席に就いた母親はその人のことを取り上げて、けっこう良い店なんだからもっとちゃんとした格好すればいいのに、みたいなことを言い、それに対して父親は、そんなのいいじゃねえかよ、格好なんて気にしなくても、と返し、母親は、いや、いいんだけど、でも私だったらもっとちゃんとしてほしいと思うよとかなんとか答えるという具合で、クソみたいにどうでも良い言い合いが交わされて鬱陶しく、まったく驚くほどに世俗的な人間個体たちだなと思わざるを得ない。
- 図書館の近くで降ろしてもらった。マスクをつけたまま通りを歩き、入館。手を消毒し、カードを忘れてしまったので用紙に個人情報を記入して、借りていたCDを返すと新着棚へ。The WhoのRoger Daltreyが『Tommy』をすべて演じたらしい最近のライブ音源があり、ちょっと聞いてみたい。Simon Townshendとかいう人が参加していたと思うが、これはたぶんPete Townshendの息子かなんかだろう。と思っていま検索したところ、息子ではなくて弟らしい。Pete Townshendは一九四五年生まれでSimonのほうは六〇年生まれだからだいぶ歳が離れている。ほか、Rammsteinとかいうグループの『タイトルなし』などという作品があり、パッケージ自体も真っ白で何の情報もなかったと思うし、解説書をめくってみてもライナーノーツの類もなくて一体どういった音楽なのかちっともわからなかったのだが、こういう徹底された愛想のなさは嫌いではない。帰ってから調べてみたところではドイツのバンドで、わりと過激なほうのパフォーマンスをするらしく、Wikipediaによれば、「1996年、デヴィッド・リンチにPV製作を依頼するが、リンチが多忙だったため実現せず、しかし翌年公開の『ロスト・ハイウェイ』で『Herzeleid』収録の「マリー・ミー (Heirate Mich)」と「ラムシュタイン 」の2曲が起用された」とのこと。『No Title』は二〇一九年発売で、「初めて全英チャートでトップ10入りを果たした他、日本のオリコンでも総合チャートで39位、洋楽チャートで7位を記録するなどの成功を収めた」と言う。
- 新着にはまた高橋悠治『Poems Without Words』があって、二〇一九年のライブ音源でもあるしこれはやはり聞きたいということで保持。高橋悠治のソロピアノ作品は以前ほかにも見かけたことがあると思ってクラシックの棚を探ってみたのだが見つからず、あとの二枚は椎名林檎『無罪モラトリアム』とやはり新着にあったJoe Barbieri『Dear Billie, A Letter To Billie Holiday』にした。CORE PORTだとあとはサラ・ガザレクをそのうち借りたいと思っている。
- カウンターに寄って男性職員に貸出手続きをしてもらい、カード代わりの用紙を回収されかかったところに、まだ本も見たいのでと申し出て返してもらい、便意が迫っていたのでトイレに向かったのだが、その途中、カウンターで女性職員を相手にしていた老人がなんか厄介そうな感じの人だった。と言うのも、どうもコンピューターを使いたいと申し出ていたようなのだが、老人はこの日すでに一度インターネットを利用していたようで、女性職員が(たぶんコロナウイルス感染対策の関連で)コンピューターを使えるのは一日一度になっておりまして、今日はもう利用されていますから……と説明するのに、しかし老人は、ん? 何? みたいな感じですっとぼけた反応を返し、相手の言うことを聞かないふりを装って、何度も繰り返し女性におなじことを説明させていたのだ。そこにこちらの対応を終えた男性職員が加わって、そうですね、もう今日は一度利用されてますから、ともうすこしはっきりした声音で告げているところまで見てトイレに曲がったのだが、公共施設とか飯屋とかで客の立場に居直ってスタッフに偉そうな態度を取ったりむやみに相手を困らせたりする人間は、見るからに不快で生理的な嫌悪感を禁じえないのでそうした振舞いを改めてほしいとこちらは思うし、もしそれができないのならば例外なくこの世から消滅してほしいと願っている。
- と言うかこの老人は、その後上階の本のフロアでも見かけたのだが、たぶん何年か前の一時期に河辺駅前の歩廊上で政権を批判しながら沖縄問題に関する集会への参加を呼びかけていたその人ではないかと思う。べつに政権を批判するのも沖縄の状況への注視をうながすのも彼の自由に決まっているけれど、この老人の場合その呼びかけ方がいくらか粗暴だったと言うか、それこそ押しつけがましい色合いがかなり強く、あんな言語操作ではただでさえ「政治的」な事柄を敬遠しがちな多くの通行人はただ引いてしまうだけだろうとこちらは見ていたのだった。
- 新着図書や哲学の書架を確認し、本はどうせ貸出期間中に読みきれないのだからと思いつつもなんとなく借りるだけ借りておこうかなという気になり、新着棚にあったユーディット・シャランスキー/細井直子訳『失われたいくつかの物の目録』(河出書房新社、二〇二〇年)とデヴィッド・グレーバー/片岡大右訳『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義』(以文社、二〇二〇年)を借りることに。前者はまったく知らなかった人だが、「物の目録」というタイトル中の言葉には惹かれるし、ちょっとめくってみてもなんか面白そうだった。ブックデザイナーもやっている人のようで、この作品は「ドイツでもっとも権威のある文学賞」だというヴィルヘルム・ラーベ賞を受賞し、また「もっとも美しいドイツの本」なるものにも選ばれたらしい。後者は読売新聞に書評が載っていたような気がしないでもなく、まあそんなことはどうでも良いのだが、「民主主義」概念と「西洋的伝統」の固着をいくらかなりとも崩したり、そのほかの文化圏において「民主主義」に通じるような概念及び制度を見出したりするという――いわば比較政治思想論みたいな――試みは興味を感じるテーマでもあるし、色々と難しいことはありそうだけれど大きなアクチュアリティを持っているはずで、学ぶべき主題だと思う。ただ、先にも書いたとおり、これらの二冊を期限内に読めるかどうか、正直自信は全然ない。
- ふたたび男性職員に手続きしてもらって退館。駅に渡るとちょうど電車が来たので乗り、着席して青梅へ。乗り換え電車を待ってベンチで書見していたのだが、あまりにも眠くてたびたび瞼が落ちた。電車に乗って最寄りまで来ると、帰ったらすぐ眠ろうと思いつつ駅を抜けて坂道へ。すると道の真ん中に芋虫が這っており、思わずしゃがみこんでしばらく眺めてしまった。明るい緑一色の細長い体に小さな輪状の模様が二、三、描かれており、その体を縮めては伸ばし蠕動しながらだんだん前へ進んでいく。ちょっと見てから立ち上がって進めば、今度は何か黒い蜂みたいな羽虫がこちらの周りを飛び回って離れないので急いで逃げ、すると次はカブトムシが細い足を地面に精一杯ひろげて緩慢に歩いているので、やたら虫に出くわすなと思った。やはり梅雨が明けて久方ぶりに陽が出たので、昆虫たちも活動を活発化させているのかもしれない。これはたぶんまた出会うなと思って下りていけば、果たしてクロアゲハが飛び交うところに行き逢った。
- 帰宅すると服を脱いでベッドに転がり、書見。さっさと眠ろうと思っていたのだが、意外とまどろみが迫ってこないので、柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年)を読み進めてしまった。38~39には『マクベス』の本文が引かれており、そのなかに、「おれの平和を得ようとして、実はあいつ[マクベスが殺したダンカン]を平和にしてしまったのだ」という台詞があって、なるほど、「平和」を得ることがマクベスの目的だったというのは重要な点かもしれないぞと思った。ちなみにこの部分は、白水社の小田島雄志訳では、「おれたちが安らかな心を得るために安らかな眠りへと送りこんでやった死人」(85)という風に、修飾として訳されている。いずれにしても、マクベスは「平和」とか「安らか」ではない状態(おそらくは恐怖や不安)から逃れたくてダンカン王を殺したという側面がひとつにはあるようだ。ところがダンカンを殺しても「平和」や「安らかな心」は訪れず、マクベスは引き続きバンクォーを相手に「不安」を覚え、「三度の食事も不安のうちにしかとれず、夜ごとの眠りも/(……)恐ろしい悪夢にさいなまれる」(85)始末だ。
- 本文を読み返してみたのだが、マクベスは不確定性に恐怖すると言うか、不安定な宙吊り状態に耐えられないのではないか。不確定性とは意味論的に言い換えれば、もちろん曖昧な両義性(多義性)ということになる。「こんないいとも悪いとも言える日ははじめてだ」(18)と口にしながら登場するマクベスは、その時点ですでに両義性の時空にとらわれているわけで(三人の魔女たちがまさしく両義性を司る存在だということは以前にも書いたと思うし、面白いかどうかはべつとしてたぶんそう外れた理解ではないだろう)、魔女たちの「予言」を聞いたマクベスが(バンクォーの言葉によれば)「いい知らせなのに/悪いことを聞いたようにおびえる」(19)のは、魔女の「万歳」が「いい」のか「悪い」のか確定できないからではないのか。したがって彼はその意味を一点に定めようと欲し、「舌ったらずなもの言いをせず、はっきり言え」(20)と要求することになる。この台詞は換言すれば、言葉の意味を一義に確定せよという命令になるだろう。続けて発される「いったいおまえたちは/どこからこの不可解な知らせをもってきた?/また、なぜこの荒野でわれわれの行く手をさえぎり、/予言めいたあいさつをするのだ?」(20~21)という二つの質問も、「予言」の意味を明確化せよと求めている点で同趣旨だと思われる。24~25ページの独白ではマクベスは、魔女たちの「予言」は「悪いはずはない、いいはずもない」とやはりその意味を一義に定めることができずにいる。「悪いはずはない」ことの根拠は「予言」が「真実を語った」からである(マクベスは「予言」通りコーダーの領主の地位を得た)。一方、「いいはずもない」ことの根拠は「予言」が「王位」へと「誘惑」するからであり、それを言い換えれば、不確定な未来をかたる(語るとともに騙る)からだということになるのではないか。
- 予言とは定義上、当たるか外れるかの二択しかない言語形式だと思うが、しかしそれは実現されない限りは当たったのか外れたのか不明であり続ける。マクベスが将来国王になるという例で行けば、この「予言」にはいつどこでとかどうやってという具体的な情報が何も含まれていないから、マクベスが「国王になる」その道筋はいくらでも考えることができ、たとえば彼が死を間近に控えた老齢に至ってからようやく国王になり、そのあとすぐに死ぬという可能性だって一応想定できるわけである。だから、どのような経緯を踏むにせよ、この「予言」が当たったか外れたか確定させるには、マクベスが実際に王位に就くか、それとも彼が死んで王位を得る可能性が完全に消滅するか、そのどちらかの事態を待たねばならず、そのどちらも実現されないうちは「予言」の真実性は不確定のままだ。したがって、もしマクベスが不確定性に耐えられず、「予言」によってもたらされた宙吊り状態から抜け出したいのなら、死ぬか、それとも王になるかするしかない。彼には自殺願望はないと思われるし、象徴的な位相を離れて現世的な欲望として王位への「野心」もいくらかは持っているようだから、「予言」を確定させるために彼が取りうる選択肢は事実上、王位にみずから近づいていくことしかないだろう。そして、王位を得るのに一番手っ取り早いのは、現王ダンカンを殺してその後釜に座ることである。
- しかし25ページの独白でマクベスは同時に、みずから想像し描いた王殺しをひどく恐れてもいる。不確定性への恐怖と、弑逆への恐怖は別物だと思われるのだが、彼がなぜ王殺しをそこまで恐れるのかという点は相変わらずこちらにはよくわからず、筋の通った解答は見出せないでいる。
- ついでに言っておけば、不確定性に対する忌避感というのはもちろん確定の欲求ということであり、それはちょっと言葉を変えればおそらく終わり(完結)への志向ということにもなると思うのだが、「やってしまえばすべてやってしまったことになるなら、/早くやってしまうにかぎる」(39)というようなマクベスの台詞には、この完結への志向が見出せるのではないかと思う。しかし、「こういうことはつねにこの世で裁きがある」(40)ので、やってしまったからと言ってそれで終わりということにはならず、「裁き」が続くのだ。それでマクベスは一旦は弑逆を躊躇し、ほとんど非難に等しい夫人の説得を受けても、「もしやりそこなったら?」(43)という懸念を表明している。「もしやりそこなったら」、当然、事態は完結せずにまだ先に続くわけである。そうしたマクベスの心を固めさせたのは、「お付きのものに/私たちの大逆の罪をなすりつければ、それで/片がつくではありませんか?」(44)という夫人の言葉であり、したがってマクベスは、「片がつく」=事態が終わる、という言葉を受けて説得されたということになる。ところが実際に弑逆を果たしても、物語も芝居も、彼の不安も終わることにはならなかったのだ。
- 七時四五分まで本を読んだのち仮眠。九時過ぎまで。夕食中のことは覚えちゃいない。
- 七月二九日の日記を進めたのち、入浴。風呂のなかで思ったことに、読書中に感じ考えたこと(読みの動き)を記録しておきたいのはやまやまなのだが、いつもそうしているとやはり途方もない時間がかかってしまうので、もうすこし主題選択のフィルターを絞って(〈検査部〉を働かせて)、一定以上の記録欲求を感じる事柄のみ記述するようにしたほうが良いかもしれない。読書ノートは取るにしても、そのなかから正式に日記に記すのはある程度の興味深さや面白味を覚える内容に限るという感じ。いずれにしても、記述的欲望をもうすこし精査して捉えたほうが良いだろう。
- だらだら過ごして休み、夜半から打鍵に復帰して七月二九日の日記を完成させたのち、Larry Grenadier『The Gleaners』を聞きながら投稿。冒頭の#1 "Oceanic"からして良いなと思った。特にすごいことをやってはいないと思うのだが、アルコによって奏でられる和音の色彩が単純にすばらしく感じられたし、ECMの方式でウッドベースを録れば大方それだけで気持ちは良いんじゃないだろうか。Larry Grenadierのアルコで思い出すのはFLY『Year of the Snake』の#6 "Kingston"で、終盤でそれまでの演奏から一転して、譜割りがどうなっているのかよくわからん変拍子のこまかなフレーズを(サックスとも合わせながら)速弾きする場面があったと思うのだが、あそこも良い仕事だったしやはりカラフルな和音感覚があったように記憶している。
- また日記を書いたり怠けたりして早朝に眠る。
・読み書き
11:58 - 12:10 = 12分(日記: 8月2日)
12:11 - 12:51 = 40分(日記: 8月1日)
12:53 - 13:00 = 7分(柄谷: 31 - 35)
13:10 - 13:23 = 13分(柄谷: 35 - 38)
17:18 - 17:58 = 40分(柄谷: 38 - 46)
18:21 - 19:17 = 56分(柄谷)
19:21 - 19:44 = 23分(シェイクスピア: 読み返し)
21:44 - 22:15 = 31分(日記: 7月29日)
24:19 - 25:58 = 1時間39分(日記: 7月29日)
26:16 - 26:24 = 8分(日記: 8月2日)
26:47 - 27:34 = 47分(日記: 8月1日)
計: 6時間16分
- 日記: 8月2日 / 8月1日 / 7月29日
- 柄谷行人『意味という病』(講談社文芸文庫、一九八九年): 30 - 46
- ウィリアム・シェイクスピア/小田島雄志訳『シェイクスピア全集 マクベス』(白水社/白水uブックス29、一九八三年): 読み返し
・音楽
- Jesse van Ruller & Bert van den Brink『In Pursuit』
- Larry Grenadier『The Gleaners』