2020/8/28, Fri.

 (……)「きみは、自分が何者であるか、何になる道を選んだかを、そして自分のしていることの重要性を、思い出さなくてはならん。人類の営みの中には、武力によるものではない戦争もあり、敗北も勝利もあって、それは歴史書には記録されない。どうするかを決める際に、そのことも念頭に置いてくれ」
 (ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』作品社、二〇一四年、42)



  • 一二時過ぎに現世に復活したのだが、例によってからだの指圧に時間を使って一時を回っての離床となった。上階に行き、父親に挨拶。すでに洗濯物を入れてくれたらしい。髪を梳かしたりうがいをしたり、もろもろの身繕いを済ませてからフライパンのカレーをよそって食事(電子レンジの前に立って加熱を待っているあいだ、勝手口の向こうから、蒸気が噴出するかのような蟬の声が撒き散らされているのが聞こえていた)。米ウィスコンシン州での抗議デモに一七歳の男性が発砲したらしく、二人死亡と言う。どうしてこうなってしまうのか。
  • 風呂を洗ったのち、ハーゲンダッツのストロベリー味と緑茶を持って帰室。もろもろ回ったり準備したりしてから、下の英文記事を読んだ。

More congenial to Levi were the anthropologists Claude Lévi-Strauss and Mary Douglas, whose work he translated in the 1970s and early 80s for the Turin publisher Einaudi. Unfortunately his English was not quite up to Douglas’s Natural Symbols; the eminent Italian anthropologist Francesco Remotti was therefore summoned to help with technical terms. In Remotti’s view, Levi himself was an “anthropologist – of the death-camp”. The view has more than neatness in its favour. Levi viewed Auschwitz as a giant laboratory experiment designed to transform the human stuff of mankind. In many ways, he was a writer of ethical meditation in the school of Montaigne, whose work stands as a marvel of luminous reflection on the ways of man. Writing itself was a moral act for Levi; his “crystalline” prose (as Goldstein calls it) served partly as an antidote to the language confusion – Yiddish, Polish, French, Hungarian – he had encountered at Auschwitz.

Toni Morrison’s introduction to this collection, oddly, has a flavour of the “wilful obs­curity” that Levi so distrusted. In solemn academic tones it lauds the Complete Works as “far more than a welcome opportunity to reevaluate and reexamine historical and contemporary plagues of systematic necrology; it becomes a brilliant deconstruction of malign forces”. Morrison speaks of the “Holocaust”, moreover, when Levi had made no secret of his dislike of the term. (“It seems to me inappropriate, it seems to me rhetorical, above all mistaken.”) From the Greek, “holocaust” means a sacrificial burnt offering to the gods: even by the barbarous standards of antiquity, Levi insisted, the Nazi genocide was not a ritual offering of victims.

  • 読むとすでに二時半。それから音読をすることに。最近できていなかったのだが。やはりなるべく毎日英語も日本語も声に出して読みたい。読む際は決して急がず、ゆっくりと、文から感じ取れるものを十全に感じ取れるようにしながら発語していかなければならない。あと動かないこと。結局、全部そうだ。何かをやるときには余計な動きをせずに身体を停め、心身を外部に向かってひらきながらゆっくりと行うことが肝要だ。
  • 歯磨きをしながら読書をはじめた。ホフマンスタール/檜山哲彦訳『チャンドス卿の手紙 他十篇』(岩波文庫、一九九一年)。バックはFISHMANS『Chappie, Don't Cry』。このファーストでは気の抜けたような感じがまだかなり強い。素人感というか。口を濯いでくると臥位になって書見を続ける。「ルツィドール」はやはり語り口や文の推移が初期二作とは明らかに違い、無駄なくきっちりと整っていて、通常の基準で行けばこちらのほうがよほどうまい作品ということになるのだが、困惑させるような奇妙さはまったくなくて、初期と比べると全然普通の小説になっている。それを抜けて有名な「チャンドス卿の手紙」にも入った。四時一〇分で切って"感謝(驚)"とともに着替えると出勤へ。
  • 今日はかなり余裕を持って出発することができた。空気は温まっており、流れるものがあってもなまぬるく、ツクツクホウシは林を満たして騒ぎ立て、路上では干からびかけのミミズが最後の微動を見せている。林の縁の石垣上ではネコジャラシが伸びて、大きな毛虫みたいな穂を明るい緑に染めていた。空はずいぶんすっきりと晴れていて雲はほぼなく、歩いていると前から風が長く厚めに吹いてきて、服と身体を押す感じすらあるが重くはないし、湿気もないようでさらさらしている。
  • 太陽が空の低みにまだ覗き、ときおり道に差し入ってくる時刻である。Nさんの庭のサルスベリが鮮やかなピンク色を誇っている。坂に入れば天然の赤色光が梢を抜けて木の間の空間のところどころを乾いた赤味で彩っており、淡色のひらいたそのなかで木枝の影が陽炎みたいに揺らめいていた。ひらひら宙を戯れるクロアゲハをまたしても目撃。出口付近では陽射しが露わに射しこんで、鬱陶しい恋人のように抱きついてきてひどく暑いし、通りを渡って上る駅の階段でも眩しさが直撃してきた。ホームでベンチに座ったところで五、六分余っていたが、これくらいの余裕があるのがちょうど良い。ベンチは太陽に包まれており、肌を汗で濡らしながらメモを取る。
  • 電車内でも立ったままメモを取ったが、いくらも文字を記さないうちに到着したので、え、もう? と思った。人々が出ていったあとにひとり残り、席に座ってメモを続けるが、さっさと職場に行ってそこで取れば良いかと立って降車した。ホームから階段通路に入るとコオロギか何か虫の声が降ってきて、線路の下を抜けるあいだもずっと続いてやたら響くので、鳥の声と同様に放送で流しているのかと思ったくらいだ。駅を出て裏路地を覗くと、道の先に突き立ったマンションをまさしく描かれた絵に変えてしまう空の青さだった。もうひとつのマンションのベランダでは、鳥よけのCDが揺れてときおり虹色のかけらを生み出す。
  • 勤務。一コマ目は(……)さん(高三・英語)と(……)くん(中三・社会)。(……)さんは九月四日に指定校推薦の確定結果が出るらしいのだが、それで受かってたら塾やめちゃうのと訊いてみると、やめよっかな、と言うので、塾側としては勉強しておかないとって言いますよ、推薦で受かったからって勉強しないと入ってからついていけなくなるって絶対言われますよと向けておく。何も不思議でないことだ。それから実際どうなのか、やっぱりついていけなくなるものなのかと問われるので、こちらはべつにそんなことはないと思うのだが、英語はたぶんどこでも必修であるだろうから、場合によっては大変かもしれないですねと応じ、大学時代のことを話した。大学名は伏せたのだが、こちらの通っていた早稲田大学はもちろん付属校があるのでそこから上がってくる人も多かったところ、彼らのうちのいくらかは英語が全然できなかった。あれは何の本だったか、洋書を順番に読んで訳していくみたいな輪読の授業があったのだけれど、そこで英文をまともに読めず当然訳すこともままならないという人がけっこういたものだ。あれはたぶん付属校でそう労せずして大学に上がれるからあまり英語を勉強しなかったということだと思うのだけれど、そういうことはありましたと語ると、じゃあ英語だけ続けよっかな、と(……)さんは漏らしていた。生徒が通塾を続けるか否かなど本質的にはあちらの自由なのでどちらでも良いのだが、こちらとしてもどちらかと言えば続けてくれたほうが嬉しいし、あとで(……)さんにこの件を伝えたところ、彼女としては(……)さんには講師になってほしいと思っているらしい。それも悪くないことだ。
  • (……)くんは模試の過去問。(……)点なのでよくできると言って良いだろう。歴史の問いを取り上げて、江戸時代の期間や三大改革、分国法などについて説明。日本史ももっと詳しく、きちんと学びたいのだが。(……)くんはコロナウイルスによる一時休業が明けたころに入った生徒だったはずで、そのとき二、三回当たったあとは今日がはじめてだったと思う。物静かで大人しそうな男子で、こちらが説明をしているときにも落ち着かなげに手や足を動かしていることがあったが、一方でおりにふれてこちらの顔をまっすぐ見上げて正面から瞳を合わせてくるときもあった。
  • 後半は(……)くん(中二・数学)、(……)くん(中三・国語)、(……)くん(中二・国語)。(……)くんはいつもどおり。数学は四則計算からはじまる計算問題集を使っているが、分数あたりから本格的にわからなくなりそうなので、そこまでは全部は扱わずにさっさと進めていくことに。一方でワークの確認テストを使って中二の内容も学習していきたい。(……)は、夏期講習の国語は今日が最後で、前回までは文法をやっていたのだが、最後だし文法なんかやってもつまんねえしというわけで、学校で扱うのはまだ先だろうが二学期中にはやるはずだからと魯迅『故郷』を扱った。魯迅のこの作品が日本の学校教科書に載っているというのも、どういう経緯なのだろう。近代中国の、すなわち一九世紀末から二〇世紀前半の清朝から中華民国に移るあたりの作家とか思想家とかも面白そうだし重要だろうとは思っている。
  • (……)くんは九月末で休会の予定なのだが、考え直してもらいたいと話してみてほしいと室長に言われていたので、そのあたりについて提案をした。まずどうしてやめることになったのかと訊くと、部活のあとに塾に来て九〇分の授業を受けると帰って食事を取ればそれだけでもう一一時過ぎにはなってしまい、疲れてもいるのでどうしても眠くなってしまう、それだったら一回六〇分の家庭教師のほうがうまく行くかもしれないと体力的な事情が挙げられた。実際、部活動はだいたい毎日あるはずだし、そのなかで週三日も塾に通うのも大変だろう。そういう事情に加えて本人のやる気の問題もあって結局家庭学習が身につかず成績も上がらないので、これ以上通わせても仕方がないと父親としては考えているのだろう。そうした状況を受けてこちらが考えたところでは、週三回通っているとは言ってもそれぞれ違う教科が一コマずつなので実際大した効能にはならないというか、効果が拡散してしまっていると思われるので、週二コマに減らして一教科に絞ったほうが良いのではないか。家庭教師をやるとは言っても塾と両方やっていけないことはないはずで、ただ家庭教師は週二回の予定らしいので、そうすると塾のほうも週に二コマ取るというのは厳しいかもしれない。塾側としては最悪一コマでもとりあえず継続してくれれば良いだろうが、週にたかだか一コマでは正直大したことにはならない。ただ、あちらがもし家庭教師と塾と両方やってくれるというならば、その二つのサービスをまったく分離させて考えるよりは、二つを調和させて相乗効果を生むように整えたほうが良いはずで、そのあたり両者で教科を分けるのか、それともおなじ教科を扱うのか、おなじ教科をやるとしてそれぞれどういう方式にするのかなど、色々と話し合う余地はあるはずである。家庭教師というのがどういうやり方を取るのかまるでわからないのだが、たとえば英語を例として、あちらが基礎的な文法などを固める方向で行くならば、塾ではひたすら長文を読むというような組み合わせ方だってもちろん可能だろう。そのあたりはより詳しい情報を入手し、また室長と保護者で話し合いを持ってもらわなければならないだろうが、今日のところはひとまず、週二コマか最悪一コマに減らして一教科で通塾という案を保護者に話して意向を聞いてきてほしいと伝えておいた。(……)くん本人としては普通に塾を続けたいと言っているし、こちらとしてもわりと仲良くやっているのでできれば続けてくれたほうが嬉しい。
  • 授業後は室長が生徒の相手などで忙しそうだったのでこちらが代わりに同僚たちの報告を受けた。もうだいたい教室運営側の一員に位置づけられてしまっている。本当はそういう役目を担いたくなどなく、単なる一講師のほうが良いのだが。しかし、残っていた(……)先生が高校数学の解答を作ってくれたというのにお疲れさまですではなくてありがとうございますと礼で応じているあたり、こちらの意識としても室長とおなじ側に立ってしまっているということなのだろう。
  • 今日も帰りは一〇時を越えてしまった。駅に入って発車間際の電車に乗り、最寄りで降りれば月が西空に照っていた。満月から見て三分の二ほどの大きさで、左上が欠けており、白味と黄味がちょうど良いバランスで混ざっているほどの色彩。街道の自販機前で何か買うかと品を見て、いいかと通り過ぎかけたところに「キリンレモン」が目に入ってなんとなく購入する気になり、一〇〇円の缶(三五〇ミリリットル)を入手すると遠回りして帰路を歩いた。空は藍色を含みながらすっきりと明るい。
  • 帰宅するとベッドで休み、零時近くになってからようやく食事に行った。例によってゴーヤの炒め物か何かだったのでは? あとカレーの余りとコンビニの手羽中も食った。そのあと入浴して部屋に帰ると、Virginia Woolf, To The Lighthouseをほんのすこしだけ訳し進める。次回の発表を担当することになったのでその箇所も訳さなければならないが、このときはそうではなくて進行中のところを作った。「けれど私自身としては、ほんの一瞬でも自分の決断を後悔したり、困難を避けて通ったり、義務をなあなあに済ませたりしたつもりはない。このときの夫人の様子は直視するのも恐ろしいくらいだったので、チャールズ・タンズリーについて手厳しく叱られた娘たちは、皿からときおり目を上げながら黙りこくっているしかなかった」という二文を付け足すだけのことに三〇分かかる。それから書抜き。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)と新聞を少々。そうしてベッドで書見しながら休んだのち、長くだらだらと過ごして七時前に入眠した。


・読み書き
 14:07 - 14:31 = 24分(Thomson)
 14:37 - 15:09 = 32分(英語 / 記憶)
 15:09 - 15:19 = 10分(2020/8/28, Fri.)
 15:23 - 16:10 = 47分(ホフマンスタール: 89 - 110)
 25:16 - 25:49 = 33分(Woolf: 5/L23 - L27)
 25:56 - 26:56 = 1時間(バルト/新聞)
 27:12 - 28:28 = 1時間16分(ホフマンスタール: 110 - 131)
 計: 4時間42分

・音楽