2020/12/7, Mon.

 しかし、(精神)分析の行為が、みずからが分析を行おう(結び目を解きほぐそう)とする構造を反復するものという形でしか、アイデンティティを有しないのであれば、精神分析は常に――すでにみずからが検討するテクストの中に入れ子構造化されていて[﹅11]〔mise en abyme〕、それ自体[﹅4]しか発見できないというデリダの反論は、精神分析に対する異議申し立てではなく、まさにその本質を突く深い洞察と言えるだろう。精神分析とは実際、それ自体がみずから追い求める原光景である。つまり、原光景とは、患者の中で決して生じることなく反復されてきたものの最初の出現である。精神分析は反復を解釈するのではない。それは、「去勢」、「両親の性交」、「エディプス・コンプレックス」、さらには「セクシュアリティ」と呼ばれる解釈のトラウマ[﹅7]、つまり、決してそのような形では生じなかった出来事の[﹅]、ではなく、出来事としての[﹅4]、引き延ばされたトラウマ的解釈を反復するのだ。「原光景」とは一つの光景ではなく、解釈者を耐え難い立場に置くという結果を招来した、解釈的な不運である。したがって、精神分析とは、この解釈的な不運をその解釈としてではなく、その最初で最後の行為〔幕〕として再構築することである。精神分析は、決して生じなかったものへの不満〔dis-content〕を反復することによってしか、内容〔content〕を確保できないのだ。
 (バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス(1046)、二〇一六年)249~250; 「7 参照の枠組み ポー、ラカンデリダ」)



  • わりと久しぶりのことだと思うが離床は正午を越えた。滞在は八時間強。からだがけっこう固くこごっていたし、鈍い頭痛の芽もあったのだが、これはやはり昨晩通話で長くモニターの前にいたためなのだろうか? いずれにしても昔よりはよほどましで、特に問題ではないが。
  • 天気は晴れていて、気温は比較的高そうな印象。起き上がると枕に座って窓を開け、瞑想をした。窓外でカラスが一匹しばしば鳴き声を響かせているが、そのほかに目立った音は聞かれない。からだの感覚はそれほど深まりはしなかったものの、普通にスムーズなまとまりにはなった。一二時四〇分まで座ってから上へ。
  • 母親は仕事か何かに出かけたらしく不在で、いるのは父親のみ。洗面所で髪を梳かしたりうがいをしたりする。喉のひっかかりは相変わらずあり、と言って声を出すにもものを食うにも支障はないのだが、ただ熱い液体を飲むときは最初の一口だけ鋭く痛む。三口目くらいになるともう感じなくなるが。なんらかの炎症ができていることはまちがいないが、原因は不明。コロナウイルスか? そのわりに咳も熱もないが。
  • 昨晩のけんちん汁にうどんを入れたものがあったのでそれを温め、五目ご飯とともに卓へ。新聞を読みながら食べる。紙面からはまず文化面というか学術系のページの記事を読んだ。「翻訳語事情」は「反省」という語について。齋藤希史 [まれし] という文字通り珍しい名前の人。「省」の字自体は中国の古典にもたびたび登場し、『論語』も自省の大切さを説いているが、「反省」という語の用例はまずないとのこと。それが登場したのは近世以降で、日本では当時の漢学者たちが使いはじめたのを明治政府やその後の学者らがreflectionの訳語として採用したためにひろまったのだろうと言う。「反」の字が用いられたのは、投げ返す、もどる、というreflectionの意義(「返照」という訳語もある)を盛り込み、その都度みずからに立ち返るという点を強調したかったからだろうと。あと左側には廣部泉という人がいわゆる黄禍論(いままで「おうか」と読んでいたのだが、ここでは「こうか」というルビがふられていた)についての本を出したという紹介。米国で日本人ピアニストが襲われたり(これは海野雅威のことだ)SNS上でアジア人に対する襲撃が呼びかけられたり、コロナウイルスによる政情不安のただなかで東洋人への排斥意識が一部で高まっているように見えるところ、米国人の無意識にはいまだに不気味な東洋人に対する人種差別的な観念が残っている、というようなことを述べていたが、ホンマかいなという気もする。過去にいわゆる黄禍論を唱えたのは主に白人の人々だったのではないかと推測するのだけれど、現在の米国は過去にもまして人種的な混淆状況が強まっているはずで、「米国人」と一口に言ったときにいわゆる白色人種以外の人々をそこにふくむことができるのかどうか疑問である(しかし海野雅威を襲ったのはたしか黒人ではなかったか?)。いずれにせよ新聞記事程度の紙幅の範囲では当然こまかな行論などないわけで、確かな論述かどうか判断するには実際に本を読んでみるほかはない。社会は常にスケープゴートを欲している、みたいな一言は印象的で、まあそれはそうなのだろうと思った。
  • 国際面には、Washington Postの調査によれば米両院の共和党議員二四九名だったかそのくらいのうち、バイデンが大統領選挙に勝ったと認めているのは二七名、すなわち一割のみだったとの報があった。二名はトランプが勝ったと言っており、あとの二二〇名は不明とか回答保留とかどっちつかずな感じらしい。この結果を受けてWashington Postは、共和党議員たちは恐怖に萎縮しており、もはや退任しゆく大統領ドナルド・トランプが党を支配していることがあきらかになったと述べているようだ。そうなると当然、この二七名と二名が誰だったのかが気になるが、いまちょっと検索してみた限りでは個人名は出てこなかった。
  • 食後は皿と風呂を洗い、帰室。今日は緑茶を用意しなかった。やはり茶を飲むとなんとなくカフェインが作用するのではないかという気がして、ここ最近、号令の際に緊張して喉が詰まるようになるのはそのせいもあるのではないかと思ったのだ。それでしばらく労働の前には茶を飲まない習慣にして様子を見てみようというわけである。今日の記事をつくってここまで記せば二時二〇分。三時過ぎには出なければならないからもう一時間もない。今日は三時限の長さに加えて、室長がいないから代わりをつとめなければならない。最悪だ。帰りたい。
  • 現在一二月一四日の夜半前。それ以降のことで日課記録を見て思い出すのは、深夜に作業のかたわらHalford『Live Insurrection』を流したことくらい。なぜかコテコテのヘヴィメタルなどというものを聞いてしまった。こちらはJudas Priestに嵌った身でないし(『Screaming For Vengeance』を図書館で借りてちょっと聞いたことがあるだけ)、そもそもヘヴィメタル全般にもほとんど手を出さず、ハードロックまでで止まっていた人間なので(そのふたつの境もときには曖昧ではあるが)、特別良いとは感じない。ただRob Halfordのめちゃくちゃ甲高いシャウトとか、ツーバスと合わせたギターの高速の刻みとか、すさまじく典型的なヘヴィメタルのイメージにぴったり一致していて、確かにこの人間がこういう音楽のスタイルをつくりあげたんだなあと思った。
  • 労働は室長の代わりに教室をまとめなければならなかったのだが、今日はなぜか電話もなくてわりと平穏で楽ではあった。ただ終わりの報告共有とかを主導しなければならないのは面倒臭い。と言ってべつに、何か伝えたいことがあればとゆるく落として、二、三訊いただけだが。しかしそれを連絡帳に記録しておかなければならず、本当はさっさと帰りたかったのだが、どうしたって必然的にこちらが職場を閉めることになるわけで、帰宅はけっこう遅くなってしまった。


・読み書き
 13:32 - 14:22 = 50分(2020/12/7, Mon.)
 14:23 - 15:02 = 39分(メルヴィル: 60 - 71)
 15:26 - 15:40 = 14分(記憶)
 26:10 - 27:24 = 1時間14分(2020/12/2, Wed.; 完成)
 27:41 - 28:14 = 33分(メルヴィル: 71 - 81)
 計: 3時間30分


・BGM

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Halford『Live Insurrection』