我らが祖先はトリーノで拒絶されたり、冷たくあしらわれて、ピエモンテ地方南部の様々な農業地帯に定住し、絹の技術を導入したのだが、最盛期でも、非常に数のすくない少数派の状態を超えることはなかった。彼らはさほど愛されなかったし、ひどく憎まれもしなかった。激しく迫害された、という情報は伝えられていない。しかしながら、嫌疑と、漠然とした敵意と、嘲笑の壁が、彼らを実質的に残りの人々と分けていたに違いなかった。それは一八四八年の解放と、その結果としての都市移住の数十年後まで、続いたのだった。もし私の父の、ベーネ・ヴァジェンナでの幼年時代の話が事実だったらの話なのだが。つまり、父の同年代の子供たちは、学校を出ると、(悪気はないのだが)父をからかったというのだ。上着の端をこぶしで握って、ろばの耳の形を作り、「豚の耳、(end10)ろばの耳、ユダヤ人の好物だ」と節をつけてはやしたてたのである。耳へのほのめかしは勝手につけたもので、もともとその仕種は、敬虔なユダヤ人がシナゴーグで交わしていたあいさつのパロディだった。ユダヤ人たちは「聖書」の読書に呼ばれた時、祈禱用のマントの端を互いに見せあっていた。その房飾りは典礼によって、数、長さ、形が詳細に規定されており、宗教的、神秘的意味がこめられていた。だが子供たちは自分の仕種の起源をもはや知らなかった。ここでちなみに思い出すのは、祈禱用のマントへの侮蔑は反ユダヤ主義と同じくらい古いことだ。SSたちは流刑囚から押収したこのマントでパンツを作らせ、強制収容所[ラーゲル]に囚われていたユダヤ人の囚人に配ったのだった。
(プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想』(工作舎、一九九二年)、10~11; 「1 アルゴン」)
- 本当はもっとはやく起きたかったのだが、六時半を過ぎた。今日は鍵開けをまかされたので、七時半には出なければならない。一時間しかなくては瞑想などできない。それですぐ上へ。前日の残り物のチンゲン菜とハムのソテーなどで食事。即座に下階に帰り、身支度を整える。ゴルフボールをいくらか踏んだ。
- 出る前に便所へ。いつもより時間がはやいし、寒いし、起き抜けだしまだ出ないかと思ったが、意外と比較的スムーズに大便を捨てることができた。最近ときおり腹を揉んでいるためかもしれない。それで七時半過ぎに出勤路へ。もちろん寒いし、今朝は天気もふるわない。猶予はややあったので今日はゆっくり小幅な歩で坂道を行くが、それでも息苦しくなってマスクをずらす。(……)さんがこちらの横を抜かしていった。久しぶりに見かけた。
- 最寄り駅では殊更足をゆるめ、乗車。扉際で瞑目。降りるとのろのろ職場へ。
- 労働。(……)
- (……)
- (……)
- 二時半頃退勤。今日はまた宵から労働があるし、電車の時間もすぐだったので、体力を温存しようというわけで徒歩を取らず駅に入った。(……)行きに乗って着席。コロナウイルス対策で基本的には扉があけっぱなしなわけだけれど、最近は寒くなってきたので、待ち時間が長いときは押しボタン式に変わっている。それで自分の席の前のドアは閉めたのだが、車両の端のほうは開いているのであまり効果はなく、開口部が遠くても普通に冷気が足もとを通っていてかなり寒く、足先に触れた寒気が胸のあたりや背にまで波及して肌をいくらかふるわせる。そんななかでしかし瞑目し、じっと停まって気力体力の回復を図った。
- 最寄り駅に着くと降りてのろのろと、誰よりも遅く、すでに無人になったホームを行く。今日は天気が小暗く曇っていて陽もないので、駅正面から坂を下った。右手のガードレールの向こうの木立が一部薄くなったように思われ、その先の斜面下、沢をいだいている窪みみたいな谷間がよく見えて、こんなによく見えたかなと思ったが、昼間に、しかもこの向きでここを通ることがあまりないからかもしれない。鳥たちが朝と同様、かしましく鳴き競っていた。
- 平ら道を自宅へ向かっていると前方に荷を積んだトラックが停まっているのが見えて、(……)さんだなと判じた。久しぶりに見かけた。行商の八百屋だが、最近は母親も出かけていることが多いし、あまり我が家にも停まらないようだ。このときは自宅からはまだすこしだけ距離のある地点に停まっていて、そのあたりの家々に来訪を告げていたようだが、もどってきたところにちょうど行きあったので挨拶した。寒いねと言うのでいや本当に、と受けると、霧雨みたいなパラパラしたやつが、走っててもガラスに当たる、雪になるよこりゃ、と続くので、空が暗いですもんねと応じる。今日は夜また行くようなのだ、中学生が今日まで休みなので珍しく朝からだったのだが、と話した。教えるってのもやっぱり大変だ、とねぎらってくれる。せっかく遭遇したのでタマネギでも買っておくかと思い、五個袋に入れてもらった。二〇〇円。どれもわりとまるまるとして大きめのものだった。それで挨拶を交わして別れ、帰宅。
- 父親が在宅。手を洗うなどしてから帰室して休息。ベッドでハーマン・メルヴィル/千石英世訳『白鯨 モービィ・ディック 下』(講談社文芸文庫、二〇〇〇年)を読んだ。今日はまだ疲労感がマシだったような気がする。もしかすると昨晩も今朝も足裏をほぐしておいたためかもしれない。とにかく脚だ。脚のコンディションを常に調えることが肝要。『白鯨』のなかで、その台詞回しの観点からして一番好きなのは第二航海士スタッブかもしれない。ドストエフスキー『悪霊』のときもそうだったが、こちらはなぜか粗野だったり蓮っ葉だったりする連中の喋りが生き生きとした調子で言語化されているのがけっこう好きである。
- 四時を回ってレトルトカレーで食事。母親帰宅。送っていこうかと言う。図書館に行きたいのでまた出るらしい。まだはやかったので断ったが、再帰宅後に結局送ってもらった。日記を記しておく時間を確保したかったためである。それで身支度を整えるといくらかこの日のことを記述して、五時半に出発。
- 雨がかすかに降り出していた。からだにはあまり感じられないが、車のライトによってそれが見える。乗車して出してもらい、瞑目して体力を温存する。音楽はAir Supplyの"Even The Nights Are Better"。駅前につくと母親がコンビニで買い物するあいだ、車内にとどまって待つ。短い時間だが、そこでそこそこ休息できた。数分でも目を閉じてじっとしていれば多少楽にはなる。母親がもどってくると降りて職場へ。
- ふたたび勤務。(……)
- (……)
- もともとこの夜は、電車に間に合わないこともわかっていたし、今日で山場も終えて翌日は休みだし、寒いなかだが歩いて帰ろうと思っていた。そのために、モッズコートに灰色のマフラーではなく、Journal Standardの真っ黒なコートを今冬はじめてまとって、ストールを持ってきたわけだ。Paul Smithの灰色のマフラーは短くて縛れないが、ストールのほうはけっこう長さがあるので、結ぶようにして首に巻きつけ、しっかり防護できるという頭である。それで九時四〇分くらいに退勤すると徒歩で帰る。夜空は曇りで光はなく曖昧に灰化している。普通に寒い。とりわけ膝頭のあたりが冷たく、それ以外のからだの部分や上半身はそうでもないがスラックスの生地を通る冷気の刺激があって、女子高生などこの季節でも堂々とスカート下の脚を露出しているけれど、マジで正気の沙汰ではないなと思った。あれがスタンダードとして通行している世の慣習を見直すべきではないかと思う。そもそも学生に制服など不要だと思う。中学校までは義務教育として服装規定を課すにしても、高校の制服は廃止して良いと思う。とはいえおのおのの学校でデザイン面で努力したり、制服のファッション性を気に入って着たいという生徒もいたり、私服を毎日調えるのが面倒臭いという人もいたりするだろうから、制服と私服とどちらでも良いという風にするべきだと思う。こちらの高校はそうで、制服ではなく「標準服」というものが用意されており、かく言うこちらも高校時代はほとんどそれを着て通学していた。
- 膝は寒かったのだけれど、歩いているうちにそれも散ってきたし、耳が痛くならないあたりまだ寒気が本格でないという気もした。裏路地はしずかである。通行者はほかにほとんどない。夜のしずかな、音のない裏道を、こうしてひとりで黙々と、しずしずと歩くのも久しぶりだなと思った。その雰囲気は決して悪くない。しかし歩いているとやはり習慣化されていないから脚が疲れてくる。特に、膝の裏側すなわち膕の上のあたりの筋肉に引っかかりが生まれてくる。ハムストリングスと言うのだったか? 革靴だとやはり踏み台が固いようで、地を踏まえてからだを送るときの脚の伸び方に反動めいたものが含まれているようだった。よほどのろのろ歩いていてもそうである。あるいは、ゆっくり動くとかえってそうなるのか?
- 家に続く下り坂には、日中よりもよほどしずかな分、立ち昇ってくる川の響きが明瞭に際立つが、しかし音の性質や音色自体は昼だろうと夜だろうとあまり違いを感じるものではなかった。とはいえたとえばこの冬の夜に、先も見えない真っ暗闇のなかで河原にまで降りてあの音を間近に浴びたら、それはすさまじく苛烈でめちゃくちゃ寒いだろうなと思った。自宅のすぐそばまで来ると、(……)さんが林に鹿が棲んでいると言っていたのを思い出してちょっと停まり、木立のほうへ耳を張って気配を探ってみたのだが、聞こえてくるものはない。何かが動いて葉を鳴らす瞬間もない。正確には、奥のほうで葉を踏んでいるような響きがかすかにとらえられないでもなかったのだが、あれは実際には林から漏れてきたものではなく、手近のマンホールの下で水が発している音だったと思う。
- 帰り着くと休息。その後も大したことはやらなかった。さすがにここ三日ずっと朝から勤務だったし、そのうちの二日は朝も晩もということで相当疲れていたらしく、風呂を終えて自室に帰ってくると一時頃のその時点でもはや耐え難い眠気に苛まれていた。ところがそこで茶を飲み菓子を食ってしまったものだから、すぐに横になることはできない。かと言って、文字を読んでいれば目が閉じてくるような状態なので、何をすることもできない。それでも一応、"Israel Planned to Kill Arafat by Blowing Up Lebanese Stadium, Report Says", Haaretz(2020/11/13)(https://www.haaretz.com/israel-news/.premium-report-israel-planned-to-kill-arafat-plo-leadership-by-blowing-up-lebanese-stadium-1.9306439(https://www.haaretz.com/israel-news/.premium-report-israel-planned-to-kill-arafat-plo-leadership-by-blowing-up-lebanese-stadium-1.9306439))という短い記事を読み、三時過ぎにはまたAdam Gabbatt, "Macron accuses English-language media of 'legitimising' violence in France"(2020/11/16, Mon.)(https://www.theguardian.com/world/2020/nov/16/macron-france-foreign-media-new-york-times(https://www.theguardian.com/world/2020/nov/16/macron-france-foreign-media-new-york-times))も読もうとしたのだが、後者はいくらも読めずに力が尽きた。無意味な夜更かしをして三時四〇分に就床。
- あとそうだ、夕食中に、録画しておいたものらしく『blank13』という映画が流れているのに多少目を向けた。リリー・フランキーが子どもを放ったらかして麻雀に耽るような父親を演じており、最初、これがもしかして『万引き家族』かと思ったのだが、母親に訊くとそうではなかった。その場でタブレットで検索してみると、斎藤工が監督をやった作品らしく、Wikipediaの記述を読んだところでは、借金をつくって一三年前に失踪した父親が、胃癌で余命三か月の状態で見つかり、父親のせいで大変苦労をした息子たちは彼を当然憎んでいたが、死後に形ばかりの葬式をやると、そこに来た知人たちが、息子には想像もできなかった人情味あふれる父親の生き方を語る、というような趣向らしい。原作者の実話をもとにしたと言う。枠組みとしては珍しくはないだろう。ただ、雰囲気はけっこう良かったように思う。映画というものを見つけないので評価の軸がわからないのだが、全体に大仰さやわざとらしさがなく、終始抑制された陰鬱なトーンに貫かれていて、台詞回しや場面における挙動なども、通常の芝居らしさというか演技としての約束事とはちょっと違うリズムになっているような気がした。ドラマでなくて映画だとけっこうどれもああいう感じなのかもしれないが。わけても、顔の白さが良かった。顔の絵が良かったのは二度あり、一度目は子供時代の長男の顔で、母親が自転車に乗って猛然と走っているところを車と追突してしまい、一回転して地面に落下するような形になって、顔に大痣をつくりからだもなかばがたついて苦しそうにしながらも、生活のために鏡の前で口紅を塗り夜の仕事に出ていくのだが、それを押入れみたいな一段高くなった開口部のなかからなすすべもなく見送る長男の顔の、のっぺりとして固化された白さはかなり良かった。もうひとつは現在の時間軸、成長した次男を演じる高橋一生の顔で、彼は一度病院に入っている父親に面会しに行く。そこで屋上に出てやりとりしているあいだに父親の携帯にかかってきた電話からして、彼が変わらず借金をつくっていることが知れて、次男はそれに愛想を尽かしたというかほとんど怒りすらおぼえた様子で去っていくのだが、彼の恋人の女性(この役の人が松岡なんとかという人だったと思う)がその後、喫茶店のテーブルで、お見舞いに行ったほうが良いよと強くすすめる。高橋一生はほとんど呆けたようなというか、理解ができないような表情に顔を強張らせながら、いいよと断るのだけれど、恋人は間を置きながらしずかに、しかし有無を言わせぬ調子でもって催促を繰りかえす。このときの恋人のうざったさもなかなかのものだった。そこからたしかすぐにシーンが変わって、直接、件の高橋一生の顔のアップになったと思うのだけれど、この顔がやはり白く、とはいえ先の白さとはやや異なって、あまり白々と冷たいというほどでないものの、粘土質で実に不健康そうな白さといった感じで、口がちょっといびつに曲がったまま強張りきっていて、この顔もなかなか良かった。すこしのあいだその顔が静止的に映ったあと、高橋は、じゃあ、行くわ、とか口にして、そこでカットが病室に来ている高橋と恋人を後ろから撮ったものになり(父親が寝ているベッドはカーテンで遮られて映っておらず、二人はそのカーテンの脇、ベッドの足もとのあたりに立っている)、恋人もお大事にとかなんとか別れの挨拶をするので、喫茶店から即座に時間が飛んで見舞いの場面にうつっているのがわかる、という趣向だったはずだ。