2021/3/1, Mon.

 ひとつには、大まかな知的対象(映画、言語、社会など)について彼が言うことは、記憶しておく必要などないということである。論文(何か〈について〉の論考)など、粗大ごみのようなものだ。正当なことは細かくて小さく(正当なものがあるとしてだが)、余白や挿入節や挿入句のなかに〈斜め〉にしか現れない。つまり、主体の〈オフ〉の声である。
 もうひとつには、彼にとってもっとも必要であるように思われ、彼がつねに用いる概念(つねに一語に包摂されている)を、彼はけっして明確には述べない(けっして定義しない)という点である。〈ドクサ〉はたえず引き合いに出されるが、定義されることはない。「ドクサ」についての文章はまったくない。〈テクスト〉のほうは、隠喩的にしか近づけない。それは占い師の見る領域である。ベ(end99)ンチ、多面体、結合剤、すきやき、舞台装置の大騒ぎ、三つ編み、ヴァランシエンヌのレース模様、モロッコの涸れ川、故障したテレビの画面、何層にもなったパイ生地、たまねぎ、などである。そして、彼が「テクスト」〈について〉の小論を(百科事典のために)記述するとき、その論文を否定するわけではないが(何であれ否定することはけっしてない。どのような現在を理由として否定できるというのか)、それは知識の仕事であって、エクリチュールの仕事ではないのである。
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、99~100; 「斜めに(En écharpe)」)



  • 九時頃に一度覚醒。カーテンを開けても、太陽の姿がその裾にぎりぎり隠れてしまうくらいの時刻だった。しばらくまたまどろみ、一〇時半になって意識があきらかに。こめかみと眼窩を揉みほぐしてから、布団を持ち上げ、めくりながらからだを起こした。鼻を掃除したり背伸びをしたりしてからコンピューターを点けておき、部屋を出て水場へ。顔を洗って黄色い尿をたくさん放つと、もどって瞑想。一〇時五〇分だった。枕の上に尻を乗せ、肩をまわしてから動きを止める。やはり起き抜けは首筋など、かなり縮こまったようになっている。瞑想はよろしい感触だった。明晰な静止感があった。無理もなく、ただじっと待つような状態を取れた気がする。けっこうやったなと思って姿勢を解くと、ちょうど二〇分が経って一一時一〇分だった。
  • 上階へ。母親は台所で煮物をつくっている。ジャージに着替える。今日はあからさまな快晴とは行かず、暗くはないが曇りがちの大気。瓦屋根につやは一応付されているものの、それほど水気が強くはない。風もそれなりにあるようだ。食事は鮭や前日の炒め物をおかずに白米。やはり前夜の、豆腐と茸の味噌汁も。新聞を見ながら食べる。文化面はいわゆる「震災後文学」の総括みたいな記事。三面にミャンマーでデモ隊のうちすくなくとも一八人が死亡との報。一都市ではなく、全土の複数の都市で。弾圧が苛烈になってきている模様。死者数が一気に増えた。あまり集中できず、途中までしか読まず。
  • 食後は皿を洗い、風呂もこする。出てくると部屋に帰って、LINEを覗く。何も新しい投稿がなかったのですぐ閉じ、Notionを準備すると今日もさっそく音読をはじめた。一日の活動の最初の音読をするのがたぶん一番良い。Thelonious Monk『Solo Monk』をバックに、「英語」を一時間強、さらに「記憶」も三〇分。最近の習慣のためだろう、英文を読みはじめると、もう最初から口がけっこうよく動いて、発音がスムーズにつながる。「記憶」のほうはバーバラ・ジョンソン『批評的差異』の最後の章の文。ラカンデリダエドガー・アラン・ポー論について。というか、ポーを読むラカンを読むデリダを読むジョンソン、みたいな感じか。278番の引用がクソ長くて驚いた。そのせいで、278と279の二つしか読めず。
  • 一時台後半に入ると疲れたので、ベッドに移り、昨日買ったばかりのウィリアム・フォークナ―/藤平育子訳『アブサロム、アブサロム!(上)』(岩波文庫、二〇一一年)を読みはじめた。一四日にひかえている読書会の課題書。三〇〇ページほどだし、文庫で一行の文字数もすくないように思うので、まあ行けるだろうという感触。最初に登場人物紹介が載せられているのだけれど、それを読んだだけでなんだかもう、さまざまな生と歴史の交錯みたいなニュアンスがかおりたってくるようで誘惑的だった。そして、本篇の冒頭もすばらしい文章だった。ああ、これはあきらかに小説だな、という感じ。なにかしらのことがはじまるというときの、胸がうずくようなあの気配と雰囲気。もうこれは面白い作品なんじゃないかな、という拙速な予感が駆け足で寄ってくる。叙述法としては、最初の二段落に顕著だが、というかいまのところ明確なのはそこだけかもしれないが、前で語ったことをもう一度、すこし厚みを足して語り直すという差異的反復のやり口が見られる。前段とおなじ語を散りばめて前の部分と現在の箇所をつなぎながら、散りばめられた結節語のあいだの組成をちょっと変えるような感じ。なんでこれわざわざ繰り返してんの? という感触もないではないが、ニュアンスとしては、執拗さのようなものが出る。で、執拗ということで言うと、ローザ・コールドフィールドの語りも執拗さを強くはらんでおり、彼女もおなじ内容をくり返したり、同型の言い方を重ねてつらねたりする。それがいくらか鬱陶しいような感じをあたえるもので、実際、聞き手であるクエンティン・コンプソンが、聞きながら苛立ちを感じているということは明言されている。そもそも、四三年にも渡る彼女の恨みというか、許すことも復讐することもできなかった、というような表現が本文中に見られたが、長きに渡って保持された彼女のその情念からして、いかにも執拗であり、執念深いと言うほかはない。四三年という数字は、何度も述べられて強調されている。
  • 44ページまで読むと三時過ぎ。そこで切って部屋を抜け、食事を持ってくることに。ホットケーキを焼いたから食べるようにと母親に言われていたので、ありがたくいただくことに。その前に便所に行って排便。最近、大便を垂れるときに、肛門から血が漏れてくるようになっていた。おりにふれてあることで、肛門の奥が傷ついているのか、弱いのか、あるいはもっと奥がどうにかなっているのか。痛みはさほどない。今日は血が垂れはしなかったし、トイレットペーパーについてくることもなかったようだが、すこしだけひりつくような感触はあった。
  • それからホットケーキと、煮物をレンジで加熱して自室に持って帰る。ウェブをちょっと見ながら食べる。煮物がなぜかしょっぱくなりすぎたと母親は言っていたが、それは先日、彼女が塩と砂糖を補充する際に容器をまちがえてそれぞれ逆に足してしまい、気づいて取り除いたものの完全に分離できるものでないから、砂糖のなかに塩がけっこう混ざっているためである。実際、食べてみると、むやみにしょっぱくてなんだかなあという味だった。しかし、まずいというほどではない。それらを食べ終えると上階にもどって食器を洗っておき、引き返して帰ってくると今日のことを記述。ここまで記せば、四時二〇分にいたっている。今日は労働で五時過ぎには出るので、もうさほどの猶予はない。読書後の行動のなかであらためて思ったが、やはりその時々の自分の傾向性というか、からだもしくは心身が何に向かおうとしているかなというのを常に感じ取るようにできるのが良い。そこに立ち戻りたい。
  • このあとのことはほぼおぼえていないが、四時台後半まで「記憶」を音読している。そうして余裕を持って出発したのだろう。この日は風がやたら強くて、玄関を出ると、隣の空き地に立っている旗のうちひとつが裂けており、分離された残骸が下に落ちていた。そんなに強かったのか? 風の勢いで旗が破れるほどか? とおどろいたが、実際このときも風は吹きつづけていてほかの旗もこまかく高速でばたばたうねりながら引っ張られているし、林からも音が鳴りつづけていた。
  • 最寄り駅への道を行くあいだ、(……)さんの宅の横から鳥が飛び出してきて、向かいの白梅の木にとまる。そしてまた飛び立ってどんどんうつっていく姿を見れば二羽である。追いかけっこのように二匹ならんですばやく飛びうつっていたのは、つがいというか、求愛行動なのだろうか。なんの鳥かわからなかったが、垣間見えた色味からしハクセキレイを思った。しかしハクセキレイってあんな風な動きで飛び回るものなのだろうか、とも思った。路上の端を小刻みな歩でそそくさと走っている姿しか見ないものなので。
  • 道の先、小橋のところに老人の姿があって(……)さんかとも思ったのだが、(……)さんにしては歩き方動き方がすばやいのでどうも違うようだと見た。橋の上から沢のほうに顔を出して見下ろしたりしている。坂の入り口に近づいていくとあちらも向こうからやって来て、声をかけてきた。寒いねとかなんとか言われたので、こんにちはと挨拶し、でも今日は暖かかったですよねと返したのだが、すくない白髪のこのひとが誰なのかわからない。あちらがこちらの素性を認知しているのかどうかも不明。認知されているような感じもないではなかったし、知らない若者だけれど老人の気さくさで話しかけてきた、という感じもないではなかった。日中はあったかいけどなあ、とあちらは言って、それでも今頃になると寒さが染みるようで、まだ若いからさとこちらを指して笑うのでこちらのほうも笑いを発して和し、すみませんとなぜか謝った。そうして別れて坂道へ。
  • 最寄り駅から見える西の空は雲が残光というほどですらないあかるみを受けて磨かれたような質感。電車に乗って職場へ。勤務中のことも特におぼえていないので割愛する。帰路、電車に乗って目を閉じているうちに、「記憶」記事の音読で読んだ長田弘の詩を思い出した。「世界はうつくしいと」というやつで、同名の本におさめられたいわばタイトルトラックであり、読んだのは二〇一三年の四月くらいだったはず。文学というものに触れはじめてまもなかった二〇一三年の四月は、詩というものもよくわからんがとりあえず読んでみようと思っていくつか詩集に触れたおぼえがある。最初に読んだのはたしか中原中也だったはず。大岡昇平が編纂した岩波文庫のやつも読んだし、日記がふくまれた全集も読んだおぼえがある。長田弘は平易な言葉でわかりやすく書いていたので、その当時のこちらでも簡単にとりつけて、そこそこ気に入ったはずだ。「世界はうつくしいと」は、うつくしいものをてらいなく恥じず怖じずにうつくしいと言わなくなって我々のことばはまずしくなった、うつくしいものをうつくしいと言おう、というような誘いからはじまり、その後、「~~はうつくしいと」のかたちで事物が列挙されていく。いかにもではあるが、具体的なものものの列挙というのはいつだって素敵なものだ。そうして最後、いつかすべてが塵になるのだから、世界はうつくしいと、みたいな一言で終わる。電車のなかで思い出したのはこの最後の一行で、いわゆる無常観的美学の典型がここにはあるだろう。こういう感性はこちらも大いに持ち合わせているが、ただこのとき、こういう論理に抵抗していくべきなのではないか、という考えが浮かんできたのだった。いずれすべてが終わり無になるのだから物事はうつくしい、というこの論理の、「終わりがあるから」の「から」を削除するというか、そこを切断しなければならないのでは? という気がしたのだ。終わるからうつくしいのではなくて、仮にすべてが果てしなく永続するとしても物事は変わらずうつくしい、と言うべきなのではないかと。
  • 駅で降りて帰路を行くあいだもなんとなくこのことを考えていた。無常観的美学には拭いようのない叙情的センチメンタリズムがふくまれている。終焉に切なさと入り混じった美を見て取り、感受する捉え方だ。しかもそれは未来先取り的である。まだ来てはいない終わりを観念的にイメージのなかで引き寄せて、その影をいま現在の物事に投げかけているのだから(To The Lighthouseの冒頭でJames Ramsayの性質として述べられている感受性の特徴そのままだ)。終末的センチメンタリズムには二つの形態がある。ひとつは、はるかな先に来たるはずの世界や事物の終焉、もしくはそこまで大きく先ではないがそこそこの距離をはさんだ未来であるはずの己の生の終幕、もしくは主体としての消滅を想像的に取り寄せるもの。もうひとつは、いま現在において絶えず一瞬一瞬の時間が終わっているのだと考え、したがって時が過ぎるということそのもののうちにひとつの切なさと美が本源的に存在しているのだと考えるかたち。ただいずれにしても終わるということに感傷と綯い交ぜになった美および感動をおぼえることには変わりがないはず。感傷をことさらに、心の底から憎んでいるわけではこちらはない。警戒しなければならないとは思うが、むしろ、感傷を積極的に引き寄せることにかんしてはおそらく他人よりそれなりに才を持っているタイプの人種でこちらはあると思う。したがって無常観的美学は非常によくわかる感受性のあり方だし、上記の二種の終末的センチメンタリズムのうちで言えばこちらはどちらかと言えば後者のほうに属しているだろう。そうなのだけれど、このときはとにかく、終わるからうつくしい、という論理とはべつの道行きを考案しなければならないだろうという気がしていた。なぜそうなのかはわからないが。それで反論的に出てきたのが、物事が終わらず永遠に続くとしてもそれは終わりがある場合と何も変わらずにうつくしい、という捉え方だったのだけれど、これが正当なものとして成立するのかどうかは不明。また、成立しうるとして、その路線が適切なのかも不明であり、むしろ、「うつくしい」のほうを解体するべきなのかもしれないという疑念もあるにはある。ともかくこの夜の帰路に思いついたのはそこまで。
  • 帰宅後はフォークナーを読んだり、下の記事を読んだり、二月二七日の記事を記したり。下のBBCの記事は、Proud Boysの地域幹部的なひととAntifaの有力なひとが会見したときの報告だが、彼らはOregonはPortlandに住んでいるようでたびたびストリートで衝突していると言う。Portlandってそんなことになっていたのかと思った。オレゴン大学に留学している(……)さんもたぶんPortlandに住んでいるのではないだろうか? そのあたりの状況を見聞きすることがあるのだろうか、と思った。

Proud Boy Rob Cantrall (left) and anti-fascist activist Luis Enrique Marquez

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Since the election of Donald Trump, extreme right-wing groups and left-wing activists have battled on American streets. It's happened in New York, Berkeley, Charlottesville and elsewhere. But one liberal enclave might be the epicentre of the fighting: Portland, Oregon, a progressive city in the Pacific north-west.

Two activists who have been on opposite sides in the Portland clashes agreed to meet and talk. But would they have any common ground?

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As part of the BBC's Crossing Divides season, we asked them to meet to see whether people at political extremes in the US could find any common ground.

But there's a possibility that the meeting could end in a brawl.

Three burly security guards watch over us as I read out the rules: "Number one, no violence."

Rob asks Luis to take off his sunglasses.

"I feel so much more like I'm interacting with you if I could see your eyes," he says.

Luis answers with a terse "no".

And it starts to go downhill from there.

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Luis and Rob are part of what has become a familiar scene in an unusual place. A city of 700,000 in the America's Pacific north-west, Portland has a reputation for progressive politics and chilled-out lifestyles. In some districts, less than 10% of voters cast a ballot for Donald Trump.

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Luis and Rob are part of what has become a familiar scene in an unusual place. A city of 700,000 in the America's Pacific north-west, Portland has a reputation for progressive politics and chilled-out lifestyles. In some districts, less than 10% of voters cast a ballot for Donald Trump.

But ever since the 2016 election, Portland has also been a regular venue for some of the worst political violence that America has seen in decades.

Anarchist riots just after the 2016 election resulted in property damage and more than 100 arrests. Soon after, a far-right group called Patriot Prayer started repeatedly holding pro-Trump, pro-"free speech" marches.

When Patriot Prayer hits the streets, they're joined by the Proud Boys, a group that describes themselves as a fraternal organisation. Others, including the Southern Poverty Law Center (SPLC), call them a hate group.

The marches are met by counter protests, including a loose confederation of anti-fascists - or antifa, for short.

There is no one antifa organisation or political philosophy. They're a mixed bag of anarchists, socialists and communists. But what really makes them stand out from Portland's left-wing majority is their willingness to directly confront the right-wingers.

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I ask Luis about a different kind of direct action. Why do they confront the far right - isn't fighting them in the streets giving them the attention they crave?

He thinks for a long moment.

"That's kind of like the marketplace of ideas argument, right?" he says. "That good ideas rise to the top and bad ideas go to the bottom? 'Let them say what they want, they're just a bunch of yahoos.'

"Words are dangerous," he argues. "Hitler didn't gas one single Jew, but his words gassed millions.

"So, if you come around me or my friends and you speak hatred, there's a consequence for your actions."

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There are dozens of Proud Boy branches across the US, as well as in the UK, Canada and elsewhere, although there's no central registry and an accurate estimate of the total number of members is hard to come by.

The group's existence was announced in 2016 by Gavin McInnes, a co-founder of Vice Magazine. Meetings, McInnes wrote, "usually consist of drinking, fighting, and reading aloud from Pat Buchanan's Death of the West".

The Proud Boy initiation rituals are both bizarre and overtly political. In order to be accepted into the first level of the group, men - the group is only open to biological males - must recite: "I am a Western chauvinist and I refuse to apologise for creating the modern world."

The second degree involves getting hit by fellow members while shouting out the names of five breakfast cereals, along with committing to avoid porn and masturbation - the group says they erode traditional relationships. To progress to the third degree, members get a Proud Boy tattoo.

There's also an honorary fourth degree. Various Proud Boys told me that it is bestowed for defending the group, fighting anti-fascists in the streets or getting arrested.

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Rob shows me around the cannabis farm where he worked the previous summer, amid trees and rolling hills. But now that the harvest is over, he's scraping by on a monthly $900 disability cheque - even though the one of the stated goals of the Proud Boys is to end all welfare.

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"We're trying to save the way of life that is freedom," he says, "and not let it turn into some oppressive commie nation."

Proud Boy principles combine Trumpian capitalism ("glorify the entrepreneur", "close the border") radical libertarianism ("give everyone a gun", "abolish prison", "end welfare") and support for traditional gender roles ("venerate the housewife").

They occupy an unusual space on the fringes of American right-wing politics. Recently their new national leader was seen sitting behind the president at a rally. They came out in force to support former Trump advisor Roger Stone. A former Proud Boy, Jason Kessler, organised the bloody United the Right march in Charlottesville in 2017.

     *

Luis says he's baffled at why the Proud Boys and Patriot Prayer hold rallies, if not to antagonise liberal and left-wing Portland.

"I'm not sure what right they've lost," he says. "Have guns been taken away? What they've lost is the right to yell the n-word."

Luis shows me threatening messages he's received from Rob Cantrall: "Don't let me catch you on the street" and "My dark side wants to see you bleed." There are much worse. Luis also gives as well as he gets. Once, he wrote back to Rob: "I prefer you to (commit) suicide. I don't fear you."

One of the anti-fascists, a military veteran, shows me the handgun she carries at all times.

"I really don't like guns, honestly," she says, "When I got out of the military, I had gotten rid of every weapon I had."

The veteran, who spoke on condition of anonymity because she fears for her safety, is transgender as well as an anti-fascist. That, she says, makes her doubly a far-right target.

"The last time I was assaulted, I beat my attacker physically without shooting him," she tells me. "And I have to say that I feel like that's a level of restraint that the police would not have."

  • フォークナーは65まですすめた。40には、「両親も安全もすべてを奪い去った大破壊 [ホロコースト] の戦争をかろうじて生き残り、まだ若い女だったわたしは(……)」という記述がある。『アブサロム、アブサロム!』は、一九三六年の作品である。ここで言及されている戦争というのはアメリ南北戦争のことだが、したがって、ナチスの所業以前に、破滅的災厄に対して「ホロコースト」の語をあてることが可能な言語的伝統が存在していたことがここからわかる。「ホロコースト」という語はたしかもともと「ホロカウトーマ」とかいう語から来ていたはずで、ユダヤ教において儀式の際に生け贄を焼くこと、みたいな意味だったはずだ。こまかいことを忘れてしまったが、ジョルジョ・アガンベンが『アウシュヴィッツの残りのもの』でそのあたりの語源を追っていた。結局のところ、「ホロコースト」の語はそういう風に、聖なる犠牲を祭壇に捧げること、みたいな意味をふくんでいる上、一方で、アガンベンが偶然発見した中世の年代記の記述を典拠にする限りでは、反ユダヤ的な意味の遺産を受け継いでいる語でもあるらしく、というのは、たしかダイゼスのリチャードとかいう筆者が、一〇五〇年くらいだったかにイングランドの王が即位した際、ロンドンの市民が蛆どもすなわちユダヤ人たちを血祭りにあげた、という事件を報告しており、そのなかで「ホロコースト」という語を用いているのだ。したがって、語源的な意味にくわえてさらにその語が用いられてきた歴史をも合わせて考えるに、ナチスによってガス室に追いやられ、そのあと穴のなかで焼かれた犠牲者たちに対して、「聖なる犠牲を祭壇に捧げること」を語源的に意味する「ホロコースト」の語を用いるのはあまりにも馬鹿げた冒瀆以外の何でもなく、この語を用いる者は無知と無関心をあからさまに露呈している、というのがその段におけるアガンベンの結論だった。プリーモ・レーヴィはこうした事柄を、すべてではないにせよ知っていたはずで、したがって彼はナチスの犠牲者に対して当てられる「ホロコースト」の語を嫌悪し、できれば使いたくないと明言していた。その彼の言によれば、この語を二次大戦中のドイツの収容所にかんして使いはじめたのは、よりにもよってエリ・ヴィーゼルだったらしい。もっとも、彼はあとになって後悔し、撤回しようとしたようだが、ともレーヴィは証言していた。それもアガンベンの本のなかで紹介されていたことだ。
  • フォークナーに話をもどすと、Ⅰ章はその大部分、ローザ・コールドフィールドによる昔語りで、この本はほかの章もだいたい昔語りで、いまのところ一九〇九年九月の、この作品の時間軸でいうところの現在の状況や様子が描写されることはかなりすくないのだけれど、Ⅱ章の最初は、クエンティンがミス・ローザの話を聞いたあとでいったん家に帰っているということを提示しなければならないので、数少ない現在の場面が記述される。と言ってそれは、章の一番最初から引いて、「藤の花が咲き匂う夏だった。夕食のあと、クエンティンが出かける時間になるまで、玄関のヴェランダの椅子に腰かけていると、あたりの夕闇には花の香りと父親の葉巻の匂いがいっぱいに立ちこめ、ヴェランダの下に深くぼうぼうに伸びた芝生には、蛍が気ままに飛びかい、流れるように漂っていた――」(63)というくらいの描写にすぎないのだが、ただⅠ章を終えてここを読んだとき、なんだか良いな、という感じが発生したのだった。それほど力の入った記述ではないのだが、Ⅰ章でずっとローザ・コールドフィールドによる回想的な語りのなかに巻きこまれていたため、その記憶の流れからふっと抜け出して具体的な空間に一息ついた、というような感じになったのかもしれない。あとはやはりこちらの根本的趣味が知れるなという感じ。とにかくこういう、風景とか、感覚とか、動態とか、そういう描写に自分は反応するようだ。ここの文だったら、「あたりの夕闇には花の香りと父親の葉巻の匂いがいっぱいに立ちこめ」がとりわけ良い。夏の夜の、あのぬるく弛緩しておりさまざまなにおいが含まれている大気の感触が香ってくるような気がした。
  • そのあとすぐに話はまた過去に移行していき、トマス・サトペンがはじめてジェファソンに姿をあらわした一八三三年のことが語られるのだが、ここもちょっと良かったので引いておく。

 (……)一九〇九年のその日は、たいていはすでに知っていた話を、ただじっと耳を傾け、聞いていた、なぜ知っていたかというと、彼が、一八三三年のあの日曜日の朝、あの教会の鐘が鳴り響いた時と同じ空気の中で生まれ、いまだにそれを呼吸していたからだが(また日曜日ごとに聞くのは、その頃からあった教会の尖塔についていた三つの鐘のうちの一つだったし、その尖塔の屋根には、その時の鳩の子孫たちが気取って歩いたり、くうくう鳴いたり、また柔らかい夏空に、優しく絵の具のしみを流したようにして、小さな輪を描きながらくるくる回ったりしていたのだった)――六月のある日曜日の朝、教会の鐘が、平和を告げるように、また命令するように、いくらか耳障りな音を響かせており――一つ一つの鐘の音の旋律は合っていなかったが、全体的には調和のとれた音を響かせ――淑女や子供たちや、パラソルや蠅払いを持って付き添う黒人の召使や、数は少ないが男たちも姿を見せていた(淑女たちは、紳士服さながらに仕立てたラシャ地の子供服を着た幼い息子たちや、パンタレットをはいた女の子たちに混じって、張り骨つきのスカートをはいて歩いていたが、それはその時代独特のスタイルで、歩いているというより、ふわふわ浮いているように見えた)、そしてホルストン・ハウスのヴェランダの欄干に足を乗せて座っていたほかの男たちが眼を上げると、そこに見かけたことのない男がいた。みんなが男に気づいた時には、男は、大きな疲れきった様子の葦毛の馬に乗って、広場をすでに半分ほども横切ってきており、男と馬は、まるで希薄な空気の中から突如として創造され、夏の安息日の明るい陽射しの中に、疲れきって小走り [フォックストロット] を続けているままの恰好で、一瞬そこに投げ出されたかのように見え――その顔も馬もこれまで誰一人見たことがなく、名前は誰一人聞いたことがなく、どこの生まれでどんな目的で来たのかについては、最後までわからない人たちもいた。(……)
 (ウィリアム・フォークナ―/藤平育子訳『アブサロム、アブサロム!(上)』(岩波文庫、二〇一一年)、63~65)

  • こちらに注目されたのはまず、「その尖塔の屋根には、その時の鳩の子孫たちが気取って歩いたり」の部分。ここは、ヨクナパトーファ郡ジェファソンという共同体の継続性というか、七〇年の時を越えておなじ共同体がおなじ共同体として持続しており、受け継がれているものがあるということを示しているわけだけれど、たぶんガルシア=マルケスがフォークナーから影響を受けたというのは、ひとつには、こういう長大な時間に渡る共同体の歴史的持続性を書く、という点なのではないかと推測する。マルケスにおいてはそれは、主には『百年の孤独』において結実していたはず。そういう、時空がずっと長いあいだつながっているということを言うのに、ここでは「鳩の子孫たち」が導入されているのだが、これがちょっと面白かった。いまいる鳩が七〇年前にそこにいた鳩の子孫だというのは、「子孫」としてのつながりがどのくらい直接的なものかは措くとしても、たしかにそう言われてみればそう言えないことはないのだけれど、こういう発想をしたことがこちらにはいままでなかったからだ。そのあとの、「柔らかい夏空に、優しく絵の具のしみを流したようにして、小さな輪を描きながらくるくる回ったりしていたのだった」の比喩も良い。
  • もうひとつ良かったのは後半で、サトペンの突然の出現である。そこまでの描写によって、日曜日らしくひとびとが着飾って賑やかな、カラフルであかるい空気と雰囲気を脳裏に表象させるのも良いし、「(……)そこに見かけたことのない男がいた。みんなが男に気づいた時には(……)」として、そのなかにサトペンが前触れなく、「まるで希薄な空気の中から突如として創造され」たかのようにあらわれるのも良い。ちょっと違うと思うのだが、ここを読んだときこちらは、ヴァージニア・ウルフの『ダロウェイ夫人』の序盤で、ひとびとが集まっているロンドンの大通りを大統領だか誰だか貴人が乗った車が通っていくのに皆が注目し、そのざわめきと噂の波があっという間に伝わっていく、みたいな場面があったのを思い出した。
  • あとこの日は久しぶりに、深夜の書き物に入る前に一曲だけ音楽を聞いた。Bill Evans Trio, "Waltz for Debby (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D2#6)。もう印象を忘れてしまったが、Scott LaFaroがこの曲だとずいぶんしずかに、たぶんソロもふくめてそうだったように思うけれど、抑えたような感じで弾いているなと思った記憶はある。もしかするとこのライブのなかで彼が一番普通のベースみたいにやっているのが、"Waltz for Debby"なのではないか、と。