2021/3/26, Fri.

 〈おやつのときの、砂糖入りの冷たいミルク。古い白椀の底に、陶器のきずがひとつあった。かきまわしていてスプーンにさわるのが、そのきずなのか、溶け残るか洗い残されるかした砂糖のかたまりなのか、わからなかった。〉
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(みすず書房、二〇一八年)、156; 「〈休憩――アナムネーズ〉(Pause: anamnèses)」)



  • 七時半にアラームを仕掛けていたが、さすがに眠りがすくなくてすぐに起きられず、起床のためには八時四〇分まで待つことになった。出発までのあいだのことは特におぼえていない。山のほうに行くので日が暮れてくれば寒かろうと、服装はモッズコートを選ぶ。その下はPENDLETONの茶色のシャツに、United Arrows green label relaxingのブルーグレーのズボン(こちらは世代的に、また趣味として、ボトムスを「パンツ」と呼ぶのにどうしても慣れない)。シャツは半袖だし厚くもないが、羽織りがモッズコートなのでどうにかなるだろうと判断。そうしてアコギをケースにおさめ、小物もケースと服のポケットで完結させて荷物をひとつにする。マフラーは入らないと思って持たなかったが、この翌日にはギターの下に入れられることが判明したので持った。
  • 一〇時過ぎに出発。玄関を出るとあたりの宙に蝶が何匹も飛んで遊び回っており、空気は温暖である。道に出て歩き出すと前方から老人がやってきて、見れば(……)さんなので近くなったところで挨拶を放ったが、ちわ、と返ってくるのに間があり、愛想もない。このひとはもともと強面で浅黒いような肌の老人で、話してみればそこそこ気さくではあるが、外見にはあまり愛想の良い人間ではない。こちらをこちらと認識していたのか、というかそもそも普段からどこの誰々だと同定しているのか不明。足もとはスニーカーだったと思うが、靴音が大きく立っていた。だからたぶんそんなに足取りは軽くないのだろう。
  • 林縁の紅梅は葉の緑を混ぜはじめていた。道を歩きながら、あまりにも典型的な、つくりものめいた春の日の感が立つ。大気の穏和さも、空中にひろがっている光のあかるみも、そこら中をいろどっている花や草木の色彩も。そういえば林の前を通っているときに、左方の垣根の先、(……)さんの家のあたりで草刈りをやっていたらしく、機械音とともに草のにおいがマスクを通してただよってきた。
  • 小公園の桜は白さがもうまだらにならずそろって、装いを整えながら泡立っている。空は一滴も雲を許していない。坂に入るとツバキの花が道の端やら木の下やら段の上の草のなかやらいたるところに落ちていた。まだ木についているものもけっこうあって、その色濃い赤を見ながら、夏目漱石が『草枕』のなかで沼地だか池だかのツバキを前にした場面で、あの花がぽとりぽとりと首から丸ごとみたいに落ちるのは不吉な感じで、毒々しいようなあやしいような赤だとか書いていたなと思い出した。たしか女人の比喩を用いて、奸婦だかなんだかいう言葉を使っていなかったか。
  • 坂の途中に木々に囲まれるようにして家があり、そこの老人は(……)さんというのだがそのひとが道のそばでしゃがみこんで草取りだかなんだかしており、通りかかると顔を上げたので挨拶を向けた。そのまま過ぎようとすると、寒いでしたか、とたずねてきて、なんのことかと思えば片手を上下に軽く振ってギターを弾くジェスチャーをしながら川がどうとか言うので、どうも川のほうに行って弾いていたのだと一人合点したらしい。このひとはもうたぶん九五かそのくらいで、かがみこんで草を取っているくらいだからからだはしっかりしているし、声色も密度のあるものだったが、耳がやたら遠く、こちらの声では届かないので愛想笑いを浮かべながら適当に受け答えをして別れた。頭がどうなのかは知らないが、九〇を越えていれば多少ゆるくなってもいるだろう。こちらがどこの誰ということはたぶん同定していないと思われ、単なる通りがかりのひとに話しかけている意識だったのではないか。
  • 表通りの横断歩道にいたると、その脇で、道路をはさんで向かいにある最寄り駅の桜をカメラで撮っているひとがいた。渡るとカラスが地に降りてたたずんでいたが、ゆっくり近づくとすこしずつ移動してやがて飛びのがれていく。階段通路を通ってホームに行く途中で風が生まれて桜の花びらがいくつも剝がれ、虫のように妖精のように線路上の宙を舞った。ホームにはけっこうひとがいる。先のほうへ。止まって線路のほうを向くと、正面の段の上に建っている新しい家が、先日までシートに囲われていたがいまはもうあらわになっている。西洋的な味わいのある落ち着いた小家という印象。やってきた電車に乗ると扉際で森のほうの風景をながめて過ごし、(……)で乗り換え。先頭車両に行った。座って瞑目。眠りがすくなかったので体力を稼いでおかないと保たない。(……)で子連れの家族が乗ってきた気配。幼子が二人、男女でおり、それに母親。優先席に座ったのだが、次の(……)で何やら被介助者が乗ってきたようで、母親が座りますかと声をかけて席を譲っていた。鼻水が出るので鼻をかむ際にちょっと見やったところでは、杖が見えたので視覚が悪いひとだったよう。男子のほうが乗った際、舌足らずな、天然の芝居臭さとでも言うような声と口調で、ひといないね、とつぶやいていた。
  • 鼻をかんだ際に右を向くとそこに座っていた女性が(……)のように見えたのだが真相は知れないしどちらでも良いので引き続き瞑目に休む。(……)で降車。ホームを歩き、エスカレーターでなく階段を上り、一番線へ。(……)などほぼ乗ったことがないが、電車は意外と混んでいて、席がないので求めて歩く。高校生の姿などもけっこう見られる。一席空きを見つけたのでそこに入り、武蔵五日市までは手帳にメモを取った。
  • 到着。山が近くに見えて、のどかな雰囲気である。鬱症状に陥った年のたしか一一月くらいではなかったかと思うが、(……)の(……)さん(……)ちゃんとともに(……)まで三時間くらい歩いたときにも来た。階段の左右の壁にも木目調の素材があしらわれていて自然の意味素を強調している。下りてすぐのトイレに入って用を足し、自販機でオレンジジュースを買うと改札を出た。「(……)」まではバスを乗るとあった。改札を出て向かいにはNewDaysがあり、左に折れるとロータリーがひろがっていて、そこから見てさらに左のほうにバス乗り場があったのでそちらへ。寄って地図など確認し、たしかに(……)に行くなとわかるとベンチに就いてまたメモ書きをした。正面のロータリーではタクシーの運転手が三人、レーンを分ける段の上に腰を下ろし、後ろに手をついて気楽な様子で陽を浴びながら談笑している。三人とももう高年の年頃だった。風がそこそこ盛んで、頭上のひろがりは青いものの遠い空の低みに雲も薄白く形成されており、陽がかげるときもある。
  • じきに携帯を見て(……)からメールが来ていることに気づいたので、バス停の位置を知らせたりなど質問にこたえておく。その後やることがなくなってちょっとからだを伸ばしたりしていたが、一応除菌シートとか買っておくかと思い、駅舎にもどってNewDaysに入った。それでシートに、チョコレートを二種(パイの実とDARSのビター風味)購入。品物を受け取る際に顔を上げて礼を言うと、接客してくれた女性店員が、お気をつけて、とこたえてきた。たぶん山に行くひとが多いのでそういう台詞なのではないか。そうしてバス停にもどると、そこにいた男性がならんでますか、と話しかけてきて、ならんでるなら先に座ってくださいとベンチの端のほうをうながしてきたのだが、普段まったくバスを利用しない身なので、席取りのためにならぶとかいう発想がちっともなかった。友人が来るんでいいですよと言ったが、いや、でもいいですよ、先にどうぞと男性は続けるので、したがってベンチの端に。しかし結局乗るときには、ベンチの脇をうろついていた高年の女性が二人、ちょっと後ろめたいような笑みを浮かべながら先に乗ってしまったのだが。そのうちに駅舎の窓辺に(……)の姿が発見され、手を振ってきたので振りかえしておく。すぐに来なかったのはあとの二人かそのどちらかがトイレに行っていたからで、先のメールでトイレはどこにあったか、五分しか時間がないが間に合う場所かという質問が来ていたのだった。
  • それで合流。歩いてくる三人のなかにいる(……)の髪がやたらと伸びていたのでその点を真っ先に指摘した。売れない芸術家風味の胡散臭い感じがちょっと出ていてなかなか良い。そうして乗車。一番後ろに陣取る。(……)がタイヤつきの小さな台に荷物を載せて引いており、それを最後尾の座席の前、足もとに乗せるのが難しそうだったので、ひとつ前に(……)くんが座って見ておくことに。最後尾の横に長い席のうち、こちらは左のほうに入り、右に(……)と(……)。三人は道中、"(……)"のコード譜を見ながら何か話し合っていたようだが、こちらはここでも目を閉じて休息をかせいだ。バスに乗りつけない身だが、乗っているとそれだけでわりと疲れる。車という乗り物はこちらにあまり合わない。シートに押しこめられてからだが固くなる感じが好きではない。やたら疲れるし、ちょっと気持ち悪くもなる。このときもすこしだけだが心持ちの良くない感触がおりおり生じないでもなかった。それでも多少は休まったのではないか。道行きはわりと長く、四〇分くらいあったはずだ。
  • 目をあけて伸びをするともうあたりは山のなかという感じで、曲線を描く道路の脇、下方にははっきりとした透明度の川が流れている。(……)である。バス内には制服を着た中高生の姿もあった。このあたりは利用者も人口もすくないし、老人も多いからだろう、自由乗降区間というものになっているらしく、つまり運転手に希望を伝えればバス停でないところにも停まってくれるのだ。それで女子中学生など、何人かが降りていき、我々も(……)のバス停で停まった際に、(……)が希望を伝えて「(……)」のすぐ前まで行ってもらった。降りると道路沿いの土地にトレーラーが置かれてあり、その前にテーブルがいくつかならんだ飲食スペースがある。店主の男性がおり、いまは客がひとりテーブルに就いていた。店主のひとに挨拶をして名前を告げるとキャンプスペースを示されたが、キャンプというからキャンプ場みたいなところなのかと思っていたところ、まったくそういうわけではなく、ただすこしだけ地面がひらけた場所があるだけのことで、大してひろくもない。とはいえ四人なら充分である。地形としては崖の上のような場所にあたり、眼下には澄んだ水の、底の砂がやや青く染まって見える川が流れており、ここでは白波のかたまりもいくらか生じており、川音も絶えず立ち昇ってくる。正面には切り立った岩場が要塞的な壁としてそびえ立っており、中途からは木が生えはじめて林を成しながら頭上をはるかに越えている。一時過ぎだったはずだが、太陽がそちらの方角で、壁の上端に遠くないところに姿を見せており、くわえていまは曇りかかっていたのでこれはすぐに陽も落ちてしまうだろうし、寒くなるなと思われた。岩壁と、それを構成しているひとつひとつの岩の人間的なスケールを超えた巨大さはさすがのもので、人類の存在しなかったはるかな時間のことを偲ばせるようであり、一八世紀か一九世紀あたりのロマン的な連中が山野を歩いてはいわゆる「崇高」を感じていたその気持ちがわかるような気もする。
  • (……)が持ってきてくれたシートを地面に敷き、尻を落ち着ける。シートは二種類あって、比較的ひろい普通のやつと、銀色の細長いやつが二枚である。最初は銀色のやつを主にギターケースや荷物の置き場としていたのだが、じきに、この銀色のやつのほうが冷たくならないようだと(……)が気づき、また川との距離も考えて両種のシートの位置および座る場所が交換された。座る場所ができてすぐにこちらはギターを取り出してAブルースを適当にやりはじめていたのだが、ちょっと落ち着くととりあえず飯を食おうということになって、(……)がメニューをもらってきて注文に。バーガーとドリンクで一五〇〇円とかするので高いが、こんな僻地でやっていては致し方ないところだろう。こちらはホットドッグとコーラを選んだ。(……)と(……)くんはカレー、(……)はタコライス。しばらく待って、そろそろできると知らされた頃合いで場を立ち、トレーラーのほうに行ってなかへ。こじんまりとしたテーブルスペースがあり、向かい合って深めのソファに腰を下ろして食事。カレーの発祥についての話が出た。なぜ出たのだったかはおぼえていない。(……)が説明をし、こちらがそれに差しこむような感じで、たしかもともとイギリス海軍がやってたのを日本軍もパクってアレンジしたんだよなと補足する。そこからシーフードを経由したのだったか、つまり(……)が、じゃあもともとシーフードカレーが本来のかたちだったのかなとか言ったのだけれど、海の上でつくるからといって必ずしもそうだとは限るまい。色々アレンジしていただろうから取り入れていてもおかしくはないが。そこからだったのか忘れたが、(……)がブリのことを「ブリさん」と発言したときがあって、こちらがそこで、カンパチってブリのことなんだっけ、なんか三段階くらいあるよねとはさむと、ポケモンみたいと(……)が受け、ヒトカゲリザードリザードンねとこちらは笑いながらこたえて、ほかのみんなもゼニガメとかフシギダネとか口にするのに、そこで最初の基本の三種が出てくるあたり世代だなとつぶやいた。ポケモンがいまどうなっているのか、まったく知らない。オーキド博士ってまだ生きてんの? とたずねるとみんな笑い、そんな友達みたいに言われても、と言ったが、最新のものにも出てきているのか定かでない。(……)くんが、オーキド博士って博士じゃなくて修士らしいよと言ったのにはクソ笑った。真偽不明というか、あのゲームのなかでポケモンが学問として認められていて大学がある設定になっているのかわからないが。
  • で、ブリの話にもどり、(……)か(……)くんがその場で呼び名を調べたところ大きさ別でけっこう細かくあって、また二種類の名前の系列があって、地域によって違うのか、それかブリA種とブリB種があるかだなとこちらは口にする。ワラサとか、ハマチとか聞き覚えのある単語があったが、(……)くんが調べた情報によればハマチというのがたしか養殖のブリを指す呼び名だとかいう話で、天然と養殖で名前わけるってどんなやねんと思った。そういう感じでけっこう他愛ない話題を笑いながら和気藹々と転がし、もうひとつくらい何か大きな話題があった気がするのだがそれは忘れてしまった。食事を終えた頃に店主の男性が――このひとはマスクを取るとちょっと髭が生えており、花粉症のようでたびたび鼻をかんでいたが――食器を片づけはじめたので会計に。こちらが一万円札しかなかったのでまとめて払うことにして、皆から金をもらう。メニューの品名にプラスしてTipsと書かれており、(……)くんはそれを真に受けてチップを払おうとしていたところ、店主のひとが、ああそれは冗談なんでいいですよと笑った。それでもせっかくなのでと(……)くんはチップを払う態勢だったが、こちらがまとめて会計をしたのでチップは店主ではなくてこちらの手に落ちてしまうことになるわけで、それで百円玉をいくつか引っこめていた。
  • それからシートのスペースにもどって適当に過ごす。トイレは工事現場にあるような簡易のものが二つ、トレーラーの脇にある。除菌スプレーが用意されていたので、こちらは放尿をしたあと、ついでにペーパーとスプレーで便器を多少擦っておいた。家でもわりとやるので、その延長である。ここはツーリングをするひとなどがわりと立ち寄る場所になっているようで、我々のいる場所からはあまり見えなかったものの、けっこう客は訪れていたようだ。トイレには、当店はコンビニではありません、利用をするなら何か注文をしてもらわないと、みたいな内容の張り紙があったり、メニューにも、SNSの評価は良いものではなくて悪いほうを見てください、ひとりで回しているので期待を持ってくると裏切られることになります、SNSへの書きこみも、どうしてもやるのだったら、ほかの投稿者やこの地域をけなすような内容はしないでください、などと書かれてあり、独特の頑固さのようなものが窺えないでもなかったが、店主を見た感じでは特に気難しいという印象はおぼえず、普通に良い人という感じだった。キャンプスペースの端、眼下に川を見下ろす縁には墓石のようなものが三つならんでいたが、風化のために表面の文字が読み取れず、なんの碑なのかはわからなかった。そのあたりの木はなんのものなのか、枝先に小さな芽をたくさんつけはじめていた。
  • もともと八時だか九時だか最終のバスで帰るという話だったのだが、これだと夜はかなり寒いぞというわけで、はやめに撤収したほうが良いのではとこちらが言い、それで七時のバスで帰ることに。その後は(……)くんとともにブルースを弾いたり、"(……)"のギターを考えたり、ホットサンドメーカーでホットサンドをつくったり、ドーナツなどを焼いて食ったり、カップ麺のたぐいを食ったりなど。他人とブルースを弾いてみると、以前と比べて意外とかなり弾けるようになっているという印象。悪くない。いくらでも続けていられる。"(……)"は、以前(……)家でこちらが弾いたアコギの音が、何やら低音が出すぎていてあまりアコギらしいストロークの感触がなく、ちょっと録り直してみてほしいと(……)から言われており、それで翌日録音する予定だったのでフレーズやポジションの変更を考えたのだ。以前はサビでバレーコードが連続する感じになってしまい、そのせいで手指に負担がかかり、練習するうちに指の筋肉が死んで本番ではきちんと押さえるための力がもうなくなっていて散々な結果になったのだったが、それを開放弦をふくんだポジションに変えることに。ただ開放弦を入れるとカッティングが難しくなるので、つまりきちんとミュートしてブラッシングするのが難しくなるので、それはそれで大変だ。(……)くんのエレキギターの案も少々考える。サビでベースとなるアコギのリズムとちょっと毛色の違うリズムでテンションをまじえながらカッティングする案が出ていて、それはなかなか良かった気がする。ACIDMANみたいな感じがちょっとないでもなかったが。あと手つかずになっている2サビ後の間奏のソロをどうするかという話もあって、アコギでソロを弾くことを(……)などからは求められたのだけれど、正直ソロなど荷が重いしやりたくねえなと思って、アコギだと基本は単音でこまかくやる感じになるからあんまり盛り上がんないよと消極的なことを口にした。ただ、考えてみればこの部分の進行はそんなに強く盛り上がっていくという感じでもないし、べつにハイテンションなことをやらなくともかたちにはなる。あんまりやりたくねえなと思いながらもなぜかコード譜を見ながらおのずとフレーズを考えている自分がおり、しかもその場ですぐに、そこそこ悪くない感じに仕上がってしまったので、まあじゃあこれでやってみるかとあいなった。進行はGのキーで、Am→Bm→Csus2→G→A7→A7sus4→A7となっており、最後がA7で半音往復を取り入れながらおさめて、キーの四度にあたるサビのCに行くというのはこちらの仕事である。つまり、以前この曲のもとのかたちをもらったときに、間奏の進行がうまく流れていないようだからと整えたのだ。で、このときなんか自然に形成されたソロのフレーズは、こちらの意識としてはGというよりEmのスケールで適当に弾いていたような感じなのだが、おのおののコードにぴったり合うのではなくて装飾音をふんだんに取り入れたようなかたちになっている。最初のAmからしてBの音からはじまっているし、アプローチとしてはEm7のフレーズになっていて、しかもなぜかBからDへの半音上昇もあるし、Csus2の部分では最初、BCBGF#EGBBBAAAという流れで考えていたのだけれど、この日帰ってからだったかあるいは翌日にまた弾いていたときに、F#FF#という半音の往復にするのが良いのでは? と思いついた。キーがGで、しかもCの上でF#FF#なんていう音使いをするとは、我ながら刺激的で良いのではないか。ハンマリングとプリングをからめてそういう動きをしたあとに、スライドでBまで上がって同音を連続してちょっとフレーズの流れに変化を出し、コードがGの部分では複音を取り入れる。最初はG/D→F#/D→G/D→Aという感じでペースも転じて八分音符で行こうと思っていたのだが、三音目でもうAにスライドして、上のC#と合わせて二音をはじいたほうが良いなとのちに修正した。つまりその次のA7をもうここで先取りするようなかたちになるわけだが、Gの上でAはともかくC#を弾くと増四度にあたるわけで、これも刺激的ではないか。しかもAメジャーのコードとして鳴っているから、独特の、妙に明るい響きになった気がする。で、そのAをはじいたあと一気に下がり、4弦5フレットのポジションで、すなわち一オクターブ下の高さで三度と合わせてGから半音ずつまたAに上げていき、そのあとはAマイナーペンタトニックでアコギなのにチョーキングも入れながらこまかく下降するという、なんとも見事に典型的なロックギター的フレーズでしめる。最後がEからやはり半音ずつ下がってC#で解決、という流れに自然となって、我ながらなかなか良い感じのソロをつくれた気がする。くわえて自分でも驚いたのが、適当に弾いているうちにそれがすぐにかたちになったことで、仕事ぶりがやたらはやく、俺こんなに有能だったのかと思った。
  • 胡座をかいてずっと座っていると腰が疲れてこごってくるので、ときおり横に寝転がって、やや雲混じりの薄青い空やそれを背景に描かれている細枝の網目状の影を見ながら休んだ。四時か五時くらいになるとやはり予想通りだいぶ寒くなったが、(……)がホットサンドメーカーで焼いてくれたパンなどを食ってエネルギーを補給し、体熱を確保しようとする。六時前くらいにはカップ麺も食った。こちらが選んだのは「赤いきつね」。そうして六時半頃に撤収開始。もうだいぶ暗くなったなかでシートや物々を片づける。すぐそこにいる(……)の姿が暗く沈んでいたり、履こうとした自分の靴が暗がりにまぎれてよく見えなくなるくらいの暗さだった。バス停までは少々歩く。道路をてくてく行くあいだ、こちらは歩くのが遅いので前を三人が先行する。夜空は青く、山のなかで光がすくないからさすがに星はよく見え、三人はそれに注目してなんとか話している様子だった。こちらもときおり見上げながらあとを追い、車はほぼ通らなかったが一度来たときには声を上げて知らせた。そうしてバス停に到着。そのすぐ横には民家の車庫だか物置きみたいなスペースがあり、一見してそこの家の付属領域なのだがベンチめいたものが置かれているので、家の協力でバス待ちの人間に提供されているものだったのではないか。ひとが住んでいる気配は感じられなかったが。待っているあいだ、(……)が、なんのきっかけだったか、マグロに興味がないと言い出した。寿司などでマグロを特に美味いと思わない、という意味だったようだが、トロは? と訊くと、トロは食べると言う。マグロじゃん、トロだから、いやマグロじゃん、というやりとりをくり返す。マグロにマヨネーズをかけるとトロの味になるらしいぞと真偽不明の知識を提供しておき、そのうちに(……)と(……)くんは道路を渡って川を覗きに行き、その隙にこちらは隣の(……)に二人を盗撮するよううながすが、(……)の携帯のカメラではさすがにこの暗さでとらえられるものではない。あたりにひとけはまったくないし、車はときおり通るもののだいたいの時間、路上は無音に満たされているし、そう遠くないところで森や山の木々に画されて囲まれているし、魔物が出そうなところだなとこちらはつぶやいた。道のカーブの先からいつ亡霊があらわれてもおかしくなさそうな場所である。そのカーブからやがてゆっくりとした調子で光が流れだしてきて、バスが来たので乗りこんだ。バスとしてもこの時間にこのあたりで拾う客もほぼないだろう。実際、車内にほかに乗客はいなかった。この地域に住んでいるひとは、自分の車がなければ本当にやっていけないだろう。
  • こちらと(……)がならんで長い席に就き、(……)くんと(……)はその向かいで前後に(こちらから見ると左右に)一席ずつ占める。二人はすぐに眠りはじめた。(……)もうとうとしていたようだが、こちらはわりと目覚めていて、ひとがいないのを良いことに脚を前に投げ出して足首を前後左右に動かして関節を柔らかくしたり、座席をつかんで上体を左右にひねり腰を和らげたり、首を回したりしていた。(……)がまだ起きていたあいだに、ゴルフボールを踏むとからだが楽になって良いぞとすすめておき、そこから派生して足ツボの反射区とかどうやって調べたんだろうな、どこを揉めばどこに効くなんてわかりっこないと思うが、完全に経験知の蓄積なんだろうか、先にある程度の理論がなければやりにくそうなもんだが、みたいな話を交わした。(……)くんと(……)の二人がそのもとで寝ている正面の窓にはこちらの姿も映りこんでおり、その向こうでは、町の灯があるところではその光が流れていく。一度(……)が、二人が寝ているのを見て盗撮しておこうと思い立ったらしく、向かいに移ったのだが、運転手がすかさず、走行中の移動はご遠慮くださいと注意してきたので笑った。(……)は撮影を終えると前の席か何かにもたれかかるようにして突っ伏して眠っていたが、もどってくるときはきちんと信号か何かで止まった隙をとらえていた。運転手も、我々以外に客はおらずしかもそのうちの三人は寝ているというのに、律儀にバス停ごとに、どこどこ、通過しますとアナウンスを入れるのだった。(……)に近くなるとようやくほかの客が乗ってきたが、それも二人くらいのものだった。
  • そうして駅に到着し、降りて駅舎内へ。(……)は、一瞬で着いた、良い仮眠だったと満足そうにしていた。駅舎に入ると彼女はNewDaysに行って、何か土産を買っていた。その間我々三人は改札の付近に立って待ち、こちらは開脚をしたり背伸びをしたりして固くなったからだをほぐす。もどってきた(……)もその真似をしておなじ動きでからだを和らげ、そのあいだ今度は(……)くんが何か買いに行っていた。そうして改札内へ。(……)はトイレに行った。フロアの角にはアイスの自販機があって、逆三角錐みたいなかたちで提供されるあれだが、やたらたくさん種類があり、なんともなつかしい。子どもの頃にはけっこう駅で見かけたおぼえがあり、何かの外出の際に母親に買ってもらったこともわりとあったはずだ。ちょっと食いたかったのだが、さすがに寒いので実行はできず、食いたいけど寒いから食えないとそのまま思いを口にする。(……)がもどってくるとエレベーターでホームに上る。このとき(……)と(……)くんが『約束のネバーランド』の話をしていた。(……)が話を振ったのだが、電車に乗って座席に座りながら聞いたところでは、いまアニメの二期がやっているのだけれど、それが原作で言うと七巻から二四巻くらいだかの範囲を一気にやってしまうというやっつけ仕事になっているらしく、それだから当然内容も薄くて重要な部分が多々カットされたりもしていて大不評をこうむっているという話だ。業界にも制作側にも色々な事情はあるのだろうが、そんな仕事をしたところで視聴者を、とりわけもともと作品のファンだったひとをがっかりさせるのは火を見るよりもあきらかなはずで、そのような仕事はとても良い仕事とは言えないだろう。つくる側はあたえられた条件の範囲で力を尽くしているのかもしれないが、そのような方針で行くことを認めてしまったそもそもの決定に問題があるはず。『約束のネバーランド』がどういう作品か知っているかと隣の(……)が訊いてくるので、聞いたことはある、なんか食べるための人間を育成する施設を脱走するみたいなやつだろ、要するに北京ダックだ、北京ダックってのは砂のなかにアヒルを埋めて顔だけ出させて、それで動けない状態で餌をどんどんあたえて太らせるんだぜ、とどうでも良いことまでくわえてこたえた。この北京ダックについての知識は、藤子不二雄A魔太郎がくる!!』という、子どもの頃に読んだホラー漫画で知ったもので、よくそんな記憶おぼえていたなと思うが(実際、「魔太郎」という名前しか思い出せず、このタイトルも作者名もいま検索して確定させたくらいだ)、漫画なので正確な現実の情報ではないかもしれない。「コ・ノ・ウ・ラ・ミ・ハ・ラ・サ・デ・オ・ク・ベ・キ・カ」という決め台詞のあの漫画である。魔太郎はいじめられていて、普段は弱々しいのだけれど、復讐するパートに入るとマントをまとってやたら堂々と登場し、余裕ぶった態度で意気揚々と恨みを晴らしていた記憶がある。わりとグロかったり怖かったりして、けっこう面白く読んだと思う。
  • (……)は最近、職場の上司にタブレットごと貸してもらって『鬼滅の刃』を読んだと言う。それで人気になっている理由を自分なりに分析したと言うので、どういったことか話を聞いた。まず、人間が、特に日本人が「本能的に」好きな物語になっていると言うので、雑駁なくくり方にちょっと笑ったが、要するに「絆」とか「仲間」とか、何かが継承されてつながっていくとか、そういうテーマのことを指して言っていたもので、たしかにそういう物語は、現代の大衆社会に生きる人間ならだいたい誰でも消費している。ただこれはジャンプ漫画ならどれでもそうであって、『鬼滅の刃』に固有の際立った特徴というわけではない。もうひとつ、言葉の使い方がうまい、台詞が印象的で効果的なものが多く、ひとびとが言ってもらいたいような、欲しがっているような言葉をうまく使っている、という評価があった。(……)が読んだ編集者のインタビューみたいな記事でも、吾峠呼世晴は台詞の才があるということが言われていたようだが、これはあとで。あとは、敵方である鬼のほうにもそれぞれ事情や経緯があることが示され、その詳細が掘り下げられる、すなわちおのおののキャラクターの心情の描写が濃いということが指摘されたが、この点はたしかにほかでもよく聞く評価だ。キャラクターがたくさん出てきて、そのそれぞれの心理がわりと厚みを持って描かれるということは、読者がおのおの自分にとって一番「共感」または「感情移入」できるキャラクターをそのなかから探せる構成になっているということだ。すなわち、いわゆる「推し」を見つけやすい作品だということ。そういう作品がいままでなかったわけではないと思うが、やはり人物造形の密度が違うのだろうか。いわゆる漫画的な類型よりももうすこし複雑性を帯びているということなのだろうか。(……)はこのとき、漫画というより小説を読んでいるような感覚だった、と漏らしていたが、その発言はもしかするとこの作品のわりと本質的な部分をとらえているのかもしれない。とはいってもジャンプ漫画だし、最終的にはわかりやすく読者が理解できる人物像に収束するかたちにはなっているのだろうと思うが、ある意味でそれまでの少年漫画よりも「文学的」な方面に近い漫画になっているのかもしれない。こちらは『鬼滅の刃』を一ページも読んだことがないので、単にときに聞きかじる評判から推測しているだけだが。ただ、たしか(……)さんがブログに書いていたことによれば、吾峠呼世晴のデビュー作だったかなんだか、読み切りのものだったかなんだか、『鬼滅の刃』の前身だったのか、それはあまり大衆受けしないような独特のセンスが含まれていたのだけれど、それが『鬼滅の刃』になって中和された、みたいな話があったはずだ。その点は(……)がこのとき話してくれた編集者だかなんだかへのインタビューでも関連事があって、つまり、吾峠呼世晴は(この作家が女性だということをこちらはここではじめて知ったのだが)読み切りが載ったか何かでデビューしたあと、ネームを書いては却下されるということがくり返されて行き詰まっていたのだと言う。だからたぶん、光るものはあるし独特の魅力もあるけれど、ジャンプでやるとなるとやっぱりもっと王道のわかりやすいものでないと、という感じの評価だったのではないか。それで作者は悩み、先輩作家にも助言を乞うたらしいのだが、そこで作品の世界観を特徴づける何かわかりやすいモチーフがあると良いというアドバイスをもらったという。たとえば『ONE PIECE』だったら言うまでもなく「海賊」がそれだし、『NARUTO』だったら「忍者」となる。で、色々試行してみたけれどわかりやすいモチーフとなると、最初の作品が大正時代で刀で、というわけで一番わかりやすいのではないかとそこに立ちもどってふくらませていくことになったと。さらに、最初の作品の主人公は盲目の人物だったらしいのだけれど、これももっと普通のやつがいないかと言われていまの主人公になったのだとか。編集部としてはおそらく、「盲目」のような特殊な属性を持っており直感的な「共感」をひろく呼びにくいキャラクターより、「普通」の人間が「仲間」との「絆」のなかで成長していくという実に典型的な筋書きをやはり求めたのではないだろうか。(……)によれば主要人物、つまり主人公にもっともちかしいグループは彼をふくめて三人で、そのなかにひとりやたらネガティヴなやつがいて、後ろ向きなことばかり口にしており、どこかの話でほかの二人がこのひとりを置いて任務だか討伐だかに行ってしまうことがあったらしく、その次の話の最初はこのキャラが、二人とも俺のこと嫌ってんの? みたいなことを訊くところからはじまっているらしく、(……)が兄に聞いたことによればこのキャラクターが一番人気だというのだが、もし本当にそうだとするなら、こういうネガティヴに悩みながらがんばるというキャラが現代の人間とりわけ若者に「共感」されて受けるのではないか、と(……)は言っていた。
  • 思いの外に色々分析してて驚いたわとこちらが言うと(……)は、最近脳が冴えてるんだよねというので笑う。新しい職場で働くようになってから、色々考えが回るらしい。あとは"(……)"のMVをつくる関連で、ひとが面白く思いやすい物語とはどういうものか、みたいなことに興味が出てきているらしく、それで色々考えたのだろう。
  • (……)に着いて乗り換え。二、三番線ホームに移ったはずだが、この夜にどういう別れ方をしたのか記憶がよみがえってこない。この翌日、二七日もおなじ場所で別れたので、そちらの記憶によって上書きされているのだろう。二六日はたしか、ホームに降りるともう(……)方面行きが発車間近で、三人は急いで乗り、こちらがひとりそれを見送る、という感じだった気がする。それからこちらも向かいの電車に寄り、端に近いほうまで行って乗り、着席して休んだ。道中はだいたいまどろんでいた。一度目を覚ましたときに左を向くとそこに座っていたサラリーマンが(……)さんのようだった。またこちらは寝たのだが、(……)に着いた際、電車を降りるあちらはこちらの様子をうかがうようにしていたので、たぶん本人だったのではないか。時刻は九時前だったし、職場に巡回に来たとすれば辻褄も合う。ともあれこちらも降りて乗り換え、また休みながら最寄り駅へ。帰路は遠回りした。夜道を歩きたかったためである。ゆったり歩いてそれなりに気持ちが良かったが、とりたてた印象はもどってこない。ただ、下り坂で川音が建物の遮蔽によって変化したり、近間の町並みの灯が黒闇のなかにわびしく浮いているさまなど、だいぶ心地が良かったおぼえがある。
  • 87: 「何もかもがただひとつの奇妙な、孤独な痛みのように彼女をつつんだ。それは空間に似た痛みだった」
  • 90: 「参事官は二度とやってこなかった。彼女は眠りに落ちた。扉をあけたまま、安らかに、草原に立つ一本の樹のように」
  • 92: 「この生命のいとなみ、青く輝いて、暗く翳って、小さな黄色い苔のひと塊りを掛けて、あれは何をもとめているのだろう。鶏たちを誘い寄せる、穀粒が静かに散る、その中をいきなり、時の鼓動のように、この生命は流れる、それは誰に語りかけているのだろう」