2021/7/3, Sat.

 現代存在論のひとつの源流ともなった論文のなかでクワインは、数学基礎論における三つの立場、すなわち論理主義、形式主義直観主義のそれぞれを、中世哲学における実在論唯名論、概念論の三者に引きくらべている。ホワイトヘッド型の論理主義なら、たしかにそれは、普遍 [﹅2] の実在 [﹅2] をみとめるプラトン主義に接近する。公理的言明は任意で複数でありうるとする、ヒルベルト流の形式主義であるなら、普遍的なものはただのなまえ [﹅6] (nomen)にすぎないとする立場につうじ、円周率をめぐり、その未知の桁の数について「偶数か奇数のどちらかである」(end190)と語ることは無意味であるとするブラウアーの直観主義は、イデア的なものをこころの作用に還元する概念論 [﹅3] の主張に近いといえるかもしれない。現代の一線の問題を古典的主題によって説明するクワインの手並みは、たしかに鮮やかである。
 実在論唯名論、概念論という区分は、いわゆる普遍論争を歴史的な意味で [﹅7] 整理する枠組みとしては、現在では否定されている。中世の思考にあって、問題は当初、『イサゴーゲー』にいう、種や類、普遍的なもの(多くのものに述語されるもの)はそもそも「もの [レス] 」について論じているのか、という点に見さだめられていた。論じられているのは、ただの「音声言語 vox」であるにすぎないとする主張が登場し、音声言語論派と呼ばれ、のちに初期唯名論とみなされるようになる。その代表者であるとされるロスケリヌスも、普遍がただの「なまえ」であるとは語っていない。「音声の流れ」であると主張しているだけである。一般に、後期唯名論を代表するとされる、オッカムも、普遍はなまえであるとは語っていない。概念論の代表者とされるアベラール(アベラルドゥス)をそう分類することには無理があり、「普遍」はこころの外部に存在せず「概念」こそが「普遍」であるとする、オッカム(『論理学大全』第一部第十五章以下)のほうが、かえって「概念論者」であったと考える余地すらあるだろう。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、190~191; 第12章「一、善、永遠 存在することと存在するものとはことなる ――ボエティウス」)



  • この日は朝からの労働だったので、七時半にアラームを設定していたが、じっさいに離床したのは八時。瞑想もおこなった。出発したのは九時四〇分くらい。玄関を出ると雨はほんのかすか散っているくらいで、これだったら傘はいらないなと道に出たところが、まもなくその散り方がにわかに繁くなってきたので、やっぱり持つかともどり、昨夜来玄関外の傘立てに置いたままだったのをたずさえた。しかしこの往路でじっさいに差したのだったかおぼえていない。たぶん差した気がするが。一〇時などというはやい時刻にそとをあるくのは相当ひさしぶりだったわけだが、白曇りとはいえやっぱり午前だからあかるさがちがうなとかおもったような気もしないでもない。坂道の脇を斜面下にながれる沢はもちろん増水しており、前日にもすでに、飛行機がそこにあるような太く巨大なひびきを立てていたが、この日はその低音がさらにごうごうこもっていた。傘から降るバチバチという音を聞きながら道をのぼっていく。ということは、やはり差していたのだ。
  • この日の勤務は一コマ(……)。
  • (……)
  • (……)
  • (……)二時ごろに退勤。駅にはいり、(……)の電車に乗った。ひさしぶりにちゃんぽんでも食うかとおもっていたのだ。ついでに図書館にも寄って新着図書を確認しておき、都議選の投票もすませるつもりだった。それでしばらく席ですごし、(……)で降りると、からだから水気が失われていたのでまずなにか飲むかと自販機に寄った。ちょっと先のベンチには中学生か小学生の男子らが溜まっており、サッカークラブかなにかのような格好をしている。こちらが葡萄ジュースを買って自販機のまえを離れると同時に、そのうちのひとりがゴミを捨てに来ていた。たぶん、大人の男が立っているところにちかく来てゴミを捨てるのに気が引けるみたいな自意識があったのではないか。線路のほうを向いてペットボトルをあけ、何口か飲んで水分を補給してから改札へ。歩廊に出ると、空はもちろん隈なく白く曇っているし、太陽のすがたも見分けられないが、背には無色のひかりの暖気が少々ともる。先に投票と図書館をすませてから飯を食うことにして、ビルへ。係員の声にしたがって列にならび、ならんでいるあいだに手に持ったまま葉書の裏面にある期日前投票のための欄に記入をすませた。室にはいって葉書を差し出し、また列の一員として待つ。あいまはまわりのひとを見たり、壁に貼られている選挙法の規定を漠然とながめたり。それで投票スペースにすすみ、用紙を受け取って台で記入をすませ、箱に入れると退出。いちおう見届人のほうに会釈をおくっておいた。出たところでまた飲み物をちょっと飲んでから、今度は図書館のほうへ。ついさきほど手を消毒したばかりだがまたやっておき、CD棚のうちのジャズの区画をいちおう見ておくことにした。Amazon Musicに登録しているいま、もはやCDを借りようという気にはならないが。CORE PORTのアルバムがいくつか。なかで気になったのは酒井尚子という日本人のもので、石若駿がドラムで参加していたはず。なんかソウル方面の混ざったSSW、みたいなことが書かれてあったとおもう。日野皓正の新作だか近作だかもあって、ここにも石若駿はいた。渡辺翔太のアルバムもあり、そこにもいたはず。ものんくる吉田沙良も参加していた。渡辺翔太のトリオはたしか二〇一八年の一二月あたりに(……)さんと飯田橋に見に行って、そのとき石若駿が叩いているのも吉田沙良がうたっているのも見たが、当時は鬱状態から回復しかけてまもないころで感受性がまだまだ鈍重だったので、とりたてた印象は残っていない。ほか、Gerald ClaytonのVillage Vanguardでのライブもあって、これは正直聞きたい。Joey Alexanderという、一二歳だか一五歳だかで発掘されたとかいう神童みたいな評判のひとのアルバムもあった。P-VINEの作品もいくつかめあたらしいものがはいっていた。
  • それから上階へ。新着図書にはなんといってもヴァージニア・ウルフ『波』の新訳がはいっていたのが目玉で、『波』の新訳やってるひといたのかとよろこんだ。森なんとか恵というひとで、紹介を見るに、アーサー・ウェズリーの英訳版『源氏物語』を日本語に訳しかえした仕事をやっているひとで、これはたしか河出書房新社から四巻くらいで出ていた、クリムトの絵を装丁につかったやつではなかったか。検索してみるとやはりそう。ただ、ウェズリーではなくてウェイリーというなまえだったし、出版社も河出ではなくて左右社だった。訳者は森山恵というなまえだった。新訳の『波』は早川書房だったのがすこし意外ではあったが、出たのだから出版社などどうでもよろしい。冒頭をほんのすこしだけ読んだが、訳文は良さそうだった。
  • ほか、『ルベン・ダリオ物語全集』というのもあり、ニカラグアに外交官で赴任していたひとが訳したらしい。ルベン・ダリオというなまえをじぶんが知っているのは、ガルシア=マルケスの『族長の秋』で言及されている詩人だからだ。先日新聞で見かけた河井なんとかいうひとの『古代エジプト全史』もあった。新着棚の確認を終えると哲学の区画に行ったが、こちらにはとりたててめあたらしいものはなし。それからフロアを横切って反対側の端にある海外文学を見に行ったが、ここもまあそんなに印象に残るものはなかった。中井久夫訳のリッツォスを読もうとあらためておもったことと、国書刊行会のマヤ文学シリーズみたいなやつが二冊あって物珍しかったくらい。
  • それで図書館を退出し、(……)へ。駅から北へ伸びる大通りのとちゅうに選挙カーが止まっており、録音された小池百合子の音声がくりかえしながれでていた。ご心配をおかけしてすみません、コロナウイルス対策にまた邁進していきますみたいなことを述べつつ、候補者への投票を頼む内容。これは家にも電話でかかってきたらしく、のちほど母親が、小池さんから電話が来た、録音だろうけど、と言っていた。ビルの一階からはいってフードコートに行き、手を消毒して、座席を取る。なかはそこそこひとがおり、テーブルはけっこうあいているが、壁際のカウンター的な席はだいたい埋まっていて、三人くらいであつまっている女子高生とか、勉強しているらしい中学生なども見られる。テーブルのほうだと、おそらく大学のオンライン講義を見ているらしきひとなどもいたし、もちろんふつうに飯を食っているサラリーマン的なかんじのひとなどもいる。こちらの席から見て右のカウンターのほうには一組、山をおもわせるような格好の高年にちかい男女がおり、なにか野菜か菜っ葉みたいな緑色の草を詰めたビニール袋を持っていた一方、前方左の壁際のテーブル席にはとちゅうで髭をたくわえたラフな格好の、ホームレスまでは行かないがそれにちかいものをかんじないでもない老人が来て、壁にもたれて脚を組みながらぜんぜん動かず目を閉じてすごしていた。
  • ちゃんぽんと餃子のセットを注文。手帳にすこしだけメモを取りつつ待ち、呼ばれると持ってきて食事。餃子は正直大した味ではないというか、餃子がただそこにあるというだけの意味しか持たない程度のもの。ちゃんぽんも今回はまろやかすぎて塩気が足りないような気がしたものの、それでもまあ温かい麺を食えば単純にそれだけでうまくはかんじる。黙々と食って完食すると膳を返却だなにかたづけて退出し、駅へ。歩廊にのぼらず横断歩道をわたって下から行ったが、ロータリーの縁にある街路樹の一本がゆたかに苔をよそおってずいぶんと濃い緑を樹皮にひろげており、粉を吹きつけられたみたいですげえなと見た。階段をのぼって駅にはいるとちょうど電車が来たところだったので、急いでホームに下り、乗って着席。
  • (……)に着くと降りて、ベンチでちょっと待ち、乗り換え。休みながら乗って、最寄りから自宅へ。帰路、坂下の平らな道をすすみながら、先までひらいた宙に視線を飛ばすと、かなたの市街のむこうに横たわった丘が空気の層によって緑をおさえられ、ちょっと暗く、青いような色合いになっており、もっとてまえの近間にも濃緑の帯が横に敷かれていて、それはいま行っている道沿いの林から発しておおまかにはつながりつつ右手の川沿いの林壁にまでいたっているのだけれど、そういうようすを見るとこの土地はほんとうは自然が所有しているものなのだなと、人間はそのあいだにたまさかというかかつがつというか、そういうふうにちいさく住まっているにすぎないのだなと、ありがちな感慨が実感をともなって生じる。
  • 帰ったのは三時半ごろだったか? 四時くらいだったか? いずれにしても、休んでいるうちに眠りにはいっていた。やはり睡眠がすくなかったからだろう、やたらと疲れていて、眠気の圧迫感がすごかったのだ。それでいつまで休んだのかもおぼえていないが、六時過ぎくらいまで寝たのだったか? いや違う。五時でいったん寝床を離脱したのだ。というのも、この日は朝がはやかったので風呂を洗っておらず、帰ってきてから洗おうとおもっていたのだがそれを忘れており、休んでいるところに母親がやってきて風呂洗ってないよと知らせたのだった。それが四時四〇分ごろで、そこからしばらく休んで五時にいたって起き上がる活力がもどったのだ。しかしそれで風呂を洗うとまた休んだはず。書見をしたのだったか?
  • 七時にいたって夕食のために上がっていくと、テレビのニュースが熱海で起こった土石流の映像をながしていて、母親が、映画みたい、と言った。何度もくりかえし再生されるその映像に食事のあいだ目をむけたが、じっさいすごいもので、道路をまるごと飲みこむ巨大さの濁り水が、画面をななめにはしった道をとおって奥から蹂躙してくるもので、道路脇の家が飲みこまれて、一瞬で、児戯のようにかたむき倒れてながされるようすも見られた。いままでふたりが心肺停止状態で海上で発見され、二〇人ほどが消息不明になっているという。ほかに、土石流がとおったあとに土砂が積み上がっているようすや、川にかかった橋がとちゅうで壊れて折れ曲がり、くの字を寝かせたような谷状になっているさまも見られた。
  • 入浴に特段のことはなく、いつもどおり。出てくると下階にもどって隣室にコンピューターをもっていき、通話へ。さいしょのうちは、二二日二三日でなにがしたいかというはなし。(……)がボディバッグ、からだに装着するようなちいさなバッグがほしいらしい。さいきんつけているひとをよく見る、ウェストポーチの洒落た版というか、メッセンジャーバッグみたいなやつだろう。それで(……)で見るか(……)か(……)かというようなはなしがなされる。たぶん(……)に行くことになりそう。こちらとしても(……)の服屋はまるで行ったことがないので、良いものがあったらなにか買いたい気はする。
  • (……)数年前に会ったときは太ってたね、と報告すると、(……)が、それをかんがえるとこちらも(……)くんも(……)も体型変わらないし、若々しくてすごいというようなことを言うので、若々しいかどうかはあやしいところだが、やはり自己をきびしく律しているからだろ、と冗談をはさんだ。しかし(……)は、さいきん老いをかんじることがあるという。鏡を見るときに肌のおとろえを見て取る、と。それで、水でたくさん顔を洗うと皮膚が締まるからいいぞとすすめておいた。その説明の過程で、温冷浴((……)は「交代浴」と言っていた)をやっているとはなし、ようするに冷たいシャワーを浴びるのと湯船にもどるのとをくりかえして血流を良くするものだが、そのときについでに顔も水で洗っていると紹介した。じっさい水を浴びると皮膚は締まって弾力的になる。かなりむかし、「手タレ」みたいな、からだの一部のモデルみたいな仕事をしているひとだか、あるいはふつうに顔もさらすモデルだったかがテレビで語っているのを見たことがあるのだけれど、風呂にはいっているときにとにかく水で、一〇〇回とか、何度も何度も顔をぱちゃぱちゃやって美肌を保持しているとそのひとが言っていたのをおもいだして、それもついでに言及しておいた。
  • (……)
  • (……)
  • (……)なにかの拍子にゲームのほうに話題がうつって、ゲームと言ってもむかしやったゲームの思い出話みたいなものだが、『ファイナルファンタジー』のⅥがおもしろかった、などと語った。ストーリーの詳細はぜんぜんおもいだせなかったし、子どもの当時はストーリーなど大して気にしちゃいなかったとおもうが、Ⅵはかなり長かったはずだし、いちど前半のラストダンジョンみたいなところを攻略したあと、世界が崩壊して、その崩壊した世界でまたスタート、みたいなかんじだったはずだ。いまかんがえると、あれはやはりめちゃくちゃよくつくられていたのだろうなとおもう。それで(……)がFFについて知りたいようすだったので、WikipediaのFFⅥのキャラクター欄を見ながら、こいつはスカした兄ちゃん、こいつは筋肉バカ(マッシュ)、こいつは黒尽くめの中二病(シャドウ)、とか紹介していった。ただ、セッツァーまではさだかにおもいだせたのだけれど、そのあとのストラゴス・マゴスという爺さんとその孫リルム・アローニィについてはぜんぜん記憶がない。こんなやつらいたっけ? というかんじ。
  • 我が家はハードがスーファミまでで、プレステを持っていなかったので、FFでやったのはⅣからⅥまでの三作だけ。ファミコンがあった時期もあったので、ⅡとⅢもいちおう触れたのだとおもうが、それはほんのすこしだけなのでⅢにたまねぎ剣士というジョブがあったことしかおぼえていない。たぶんFFのなかでははじめてプレステで出たⅦがいちばん有名なのではないかとおもうが、それ以降はひとつも触れたことがない。当時友だちの家に行ってプレイをちょっとだけ見て、おもしろそうだなあ俺もやりたいなあとおもっていたが、長いRPGなのでだれもやらせてくれなかったのだ。複数人でできるものといえばやはり格闘なので、スマブラにふける日々だった。
  • 通話を終えたのは一時台後半だったか。FFⅥのはなしをして、あれってどういうストーリーだったんだろうというのが気になり、ゲーム実況動画を見て物語を追おうかなとおもい、いくらか検索して、すこしだけ視聴した。なんか帝国軍とたたかう、みたいな大枠とか、ケフカという気違い野郎がいて、とか、ロックがティナといい仲になりかけながら最終的にはもうひとりの女性にいったんだっけ? とか、そのくらいのことしかおぼえていない。気が向いたら実況動画をすこしずつ見てストーリーを確認したい。
  • レス・バック/有元健訳『耳を傾ける技術』(せりか書房、二〇一四年)より。
  • 73: 「哲学者であり著述家であったヴァルター・ベンヤミンは、自身もナチスドイツからの亡命申請者であり、結局は許可を与えられず命を落とすことになったが、その最後のエッセイで次のように書いている。「名もなき人々の記憶を称えることは、有名人や著名人――詩人や思想家も例外ではない――の記憶を称えるよりも難しい。歴史を書くことは名もなき人々の記憶に捧げられる」」: 「歴史の概念について」『ベンヤミン・コレクション1』所収。
  • 74: 「二〇〇六年の段階で、イギリスの病院で働いていたり一般診療を行っている医師の三一パーセントが移民であり、国民健康サービスで働いている看護師の一三パーセントが外国生まれであるという」: 'Immigration: the facts', The Independent, 30 August 2006, p. 2.
  • 78: 「一九九五年から一九九九年にかけて二八万二千の亡命申請が行われたが、そのおよそ半分が却下されることになるだろう。その同じ期間、先進国からイギリスへの労働者の流入は三八万一千だった」
  • 78: 「二〇〇四年には、ヨルダンのイラク人難民の九〇パーセントが [難民] 条約で定められた地位を与えられたが、亡命を許可されたのは米国の五二パーセントに対し、イギリスではわずか〇. 一パーセントだった」: Maeve Sherlock, 'Closing the door: the UK's erosion of the right to asylum', speech given at British Institute of Human Rights, Courtauld Institute, London, 8 December 2005, p. 6.
  • 79: 「ポール・ギルロイはいう、「ヨーロッパの植民地主義帝国主義という過去が生み出した人種主義は、ヨーロッパという要塞へ移民が入る前から存在したのである。移民を問題にしたのは多様性ではなくて人種主義なのだ」と。つまり、多様性が悪いのではなく、人種主義の遺産こそが親近性と共存を妨げているのである」: Paul Gilroy, After Empire: Melancholia or Convivial Culture (London: Routledge, 2004), pp. 165-6.
  • 79~80: 「「親近性の計算」は自然状態とは関係なく、むしろそれは人種という記号のついたビオスを生み出してきた遺産なのである。そこでは国民が異性愛的家族の拡張として構築される。そうすると、「文(end79)化的多様性」は、何が同化されうるかの限界点を示す概念となってしまう」
  • 80: 「ここでいわれる親近性とは歴史の産物であり、何かそれ自体で自然に存在するようなものではない。そのことをはっきりと暴き出すことのできる機敏な政治学が必要なのだ」