2021/7/21, Wed.

 この世界においていまだ「正気であること」が、「真なるもの」にたいしてなおひら(end11)かれていることであるならば、「戦争の永続的な可能性」こそが見てとられなければならない、とレヴィナスはいう(5/14)。存在することは、「存在のただなかにある」ということであり、「利害のうちにおかれている」(intéressement)ということである。すべてのものが存在しつづけようとするかぎり、存在はたがいに排除しあい、つまりは利害どうしが対立しつづける。戦争は不可避である [﹅9] 。その意味では、「戦争において存在することと、平和のなかで存在することとをへだてる差異」は存在しない [註12: E. Lévinas, Autrement qu'être ou au-delà de l'essence (1974) , Le Livre de Poche 1990, p. 16. (合田正人訳『存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ』朝日出版社、一九九〇年訳刊、二一頁) この論点については、斎藤慶典「倫理・政治・哲学」(『思想』一九九〇年一二月号)一二二頁以下参照。] 。契約と交換とによってもたらされる平和はむしろ戦争の別名であり、「冷戦」とはむろん戦争であったのである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、11~12; 第Ⅰ部 第一章「問題の設定 ――〈身〉のおきどころのなさの感覚から――」)



  • 一〇時過ぎくらいに正式な覚醒を得た。きょうもまた快晴の熱日だ。とても暑い。からだのうえにかかっていた薄布団をどかして、あおむけのまましばらくこめかみや腹などを揉んだ。そうして一〇時四五分に離床。コンピューターをつけ、背伸びをしながら起動を待ち、パスワードを打ってログインしておくと水場へ。顔を洗って胃に水を落とし、うがいをして用を足すともどって瞑想。一〇時五六分くらいから一一時一〇分まで。一五分ほど。わりと良いかんじ。大気に熱がこもっていて、それが肌表面に寄ってきてまとわりついたり、あるいはからだをつらぬくようでもあり、先ほど腹に入れた水の冷たさがきわだつような暑さだ。窓外では父親が植物に水をくれているらしきシャワー音がしていた。
  • 上階へ。母親はきょうからしごとのはじまりが九時になるらしく、すでに不在。あとで洗濯物を入れなければならない。きのうの炒めものと天麩羅をあたため、米とともに食事にする。新聞をめくっていくと、文化面に、ウポポイが開設された昨今、アイヌ民族を題材にした漫画がいろいろ出ているというはなしがあった。『ゴールデンカムイ』が人気らしく、それをきっかけに石坂啓『ハルコロ』という作品も岩波現代文庫で復刊されたと。このひとは手塚治虫のアシスタントをつとめていたこともあるらしく、手塚治虫アイヌを題材にした漫画を描いたことがあって、ただ主人公をヒロイックに描こうとしたのが関係団体から受け入れられず直前で大幅な修正を強いられたとか。『ハルコロ』は八九年から連載して九二年か九三年に単行本になり、本多勝一の『アイヌ民族』というルポルタージュが原作だったというが、ただ和人と邂逅するいぜんの一五世紀のアイヌの少女の成長を描いたものだともあったはず。挿絵も一枚載っていた。はじめて生理をむかえた少女に母親が、それは神さまがおまえのことを一人前の女としてみとめたしるしなんだよ、とさとしているところ。八二年から企画がはじまって、北海道にも行っていろいろ取材したが、編集者から「もっとバカバカしいものにしませんか」といわれてけっきょくボツになったとあったから、さいしょはルポルタージュを原作にしたいわば社会派的な作品を構想したところが、アイヌを描くことの「壁」にぶちあたって歴史的物語にせざるをえなくなった、ということなのだろうか。記事中では早すぎた傑作、と評されていた。ほか、『ゴールデンカムイ』のアイヌ語監修をつとめている中川裕千葉大学名誉教授(六六歳とあったが、六六で名誉教授ってはやくない? とおもった。大学の仕組みについて知らないのだけれど、そんなもんなのだろうか)も三〇年ほどまえから漫画でアイヌを描くことをこころざしており、自身創刊した同人誌などでこころみていると。『ゴールデンカムイ』はアイヌ民族=自然と調和して生きる純朴なひとびとという表層的イメージを打破し、表も裏もある人間臭いアイヌを多数登場させたことが画期的で、とはいえこの作品がヒットしたのはアイヌを描いたからではなく単純にエンターテインメントとしてとてもおもしろいからであり、これでアイヌに興味を持ったひとは『ハルコロ』にすすんでほしい、と述べていた。また、成田英俊という六〇歳くらいの漫画家も双葉社からアイヌの日常生活を描いた漫画を出しているといい、彼が関心を持ったのは中曽根康弘が八六年くらいに「日本は単一民族の国」という愚言を吐いて騒動が起こったさいで、そこから勉強してきて、アイヌを美化していないか、和人がアイヌを描いていいのか、代弁することになっていないかと葛藤をかかえてつねになやみながらもやっているとのこと。あと、記事のさいごに、森なんとかいうひとの作品も意欲的な良作として名をあげられていた。
  • 食器を洗い、風呂にうつって浴槽をこすり、茶を用意して帰室。Notionできょうの記事を作成。LINEをのぞいて新投稿を確認しておき、きょうのことをここまで記述。いまは一二時五〇分ごろ。気楽に書けている。やはり気楽に、ちからを抜いて書けるのが良いし、書くことだけでなく生活全域そういうふうにやりたい。あまり重々しく、きちんとやろうとすると疲れるので。瞑想中の意思性の薄さというか、ああいう作為のなさでさらさらながれていきたいのだが。とはいえあまりてきとうになって生がおろそかになるのもいやなので、真剣さと気楽さを二重化したいのだけれど。
  • それからルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)を読みはじめた。ひさしぶりにHank Mobley『Soul Station』などながす。冒頭の"Remember"が良い。明快なメロディ。吹きぶりはわりと朴訥というか、そんなにしゃべらないしさわがないが、ひとつひとつ踏んでいくような置いていくような音取りはあかるくきれいでこころよい。これもまた五〇年代アメリカの良い部分だなあとかおもう。二時をまわったところでいったん洗濯物を取りこみにいった。父親も食事のためにはいってきており、終えて玄関で涼んでいたよう。吊るされたものを入れるついでにベランダのもうほそくなっている日なたのなかにちょっとはいった。とうぜん暑いが、肌に陽のひかりを浴びることは、喉が渇いたときに水を飲むこととどこか似ている。熱と冷で感覚は逆だし、陽を浴びれば汗として水が出るので生理的働きとしてもむしろ逆なのだけれど、刺激を身に取りこむという点ではおなじことなのだろう。太陽と水というこれらふたつの要素がこの世界の生命を基盤的にささえていることはいうまでもない。取りこんだものをたたんだあとにもまたちょっと日のなかに出たが、風が絶えずながれて空間はいたるところで揺らいでおり、眼下やとおくの樹々が一様に葉をふるわせて、どこをむいても視界を占めるそれらの緑はじつに色濃く、緑のみならずあかるすぎるひかりのなかで物々がどれもくっきりきわだってつよくなっているが、同時にしかし視力が良くないために近間のものでもけっこうとらえきれず位相がぶれたり、遠近の落差がややかすんで埋められたりするので、ほんとうはやはりさっさと眼鏡を買ったほうが良いのだろう。空は完全に澄みわたっているわけでなくちぎれ雲がいくらか配されておのおの気ままに安らいでおり、そそぎこまれた水色は淡い。眼下で白い蝶が一匹、風の動きを視覚化したかのように、あるいは風をその身いっぱいに注入されて大気と同化したかのように、すばやい動きでこまかく行きつ戻りつしながらながれていった。
  • 書見は三時半くらいまでだったか。それからきょうもストレッチをやった。着実に筋肉がほぐれやすい性質のものになってきている気がする。上階に行き、食事をとることに。パックに切ったキュウリがのこっていたので、マヨネーズを容器の片隅に出して溜め、もちかえってシャリシャリ食う。食べているあいだは(……)さんのブログの最近の記事を読む。すぐに食べ終わり、パックを台所に持っていって洗って片づけ。キュウリだけだとほとんど水だからやはりたよりないかと、炭水化物もすこし取っておくかとおもってちいさなおにぎりをひとつつくった。それももちかえり、またブログを読みつつ食べ、その後も読みながら歯磨き。四時過ぎではやくも態勢がととのう。それで、勤務には五時の電車で行けばいいからまだ猶予があるし、なにか一品つくっておくかとまた台所に行った。冷蔵庫をのぞくと白菜があったので、これで味噌汁でもつくるかと。さらに、きのう炒めものにした豚肉のあまりがほんの少量のこっていたので、これも入れてしまえば良いではないかと。それで小鍋に水をそそいで火にかけ、白菜を切る。汁物を煮ているあいだにもう一品できるなと見定め、冷凍のこま切れ豚肉があるからまた炒めれば良いか、しかしタマネギとだときのうとおなじになってしまって芸がないが、と野菜室を見ればズッキーニとかニンジンとかピーマンとか半端にあまった野菜がいくつかあったので、これらをつかって、きょうは肉がメインというよりは野菜炒めにするかと決めた。それでもろもろ切り、フライパンで調理。合間、鍋の白菜およびあとで入れた豚肉はずっと弱く煮られている。野菜炒めは単純に塩胡椒を振ったのだが、あとで帰ってきて食べてみると塩を入れすぎていて、ずいぶんしょっぱかった。ミスった。こんなに塩気をつよくしてしまったのはひさしぶりだ。小箱にはいった塩が粒のおおきいものになっていて、だからおもったよりも少量で良かったのに目分量を誤ったのだろう。炒めものが終わると味噌汁に味噌を足してOK。つかった道具や食器を洗い、調理台のうえを拭いて生ゴミも排水溝の物受けのものもふくめて袋に入れておき、終い。その時点で四時五〇分かそこらだった。空気に熱がこもったなかで火をつかった調理をしてからだが汗にまみれたので、ボディシートでべたつきを拭い、洗面所で髪にいくらかワックスをつけててきとうにもちあげる。下階にかえるとワイシャツとスラックスに着替え、きょうもしかしたらあたるかもしれない高校生の英語を予習し、五時五分でうえへ。出発。
  • 父親の車が家のすぐまえに。当人は家の下か横のほうにいて、草刈りかなにかしているらしい。機械の音が先ほどからずっとひびいていたので。ポストの新聞を取って玄関に入れておき、道へ。この時間で林の高い家の近間は路上に日なたがなくなっているので、まあまあ涼しい。空気がながれれば、ぬるさに寄ってはいるが涼しさも肌に点じられる。公営住宅前でむかいから来た(……)さんに遭遇。散歩のようだ。タオルを首にかけていたとおもう。からだは弱っているはずだが、そこそこ元気そう。八〇歳だか何歳だか知らないが、暮れが近づく刻とはいえこの夏の気のなかをあるけるのだからなかなかのものだろう。暑いのでお気をつけてとのこしておく。
  • 坂道を行くと木洩れ陽が路上にまるく落ちているのではなくて周囲をかこむ木立のうちのいくらかが西陽に舐められてまわりと対照的にずいぶん若い緑の色にあかるんでおり、道にまで漏れ出てきて路面にふれるものもないではないが、それらはきちんとしたかたちをなしておらず地を這う蒸気のような淡さで、その差しこみとか、すぐ脇のガードレールの足もと、斜面の下草が陽をわけられながらも樹冠のもとの薄暗がりをはらいきれずにいるのを見るに、暮れのひかりというよりは明けのひかりの色のような印象が立つ。
  • どうでも良いのだが、坂の終わりの脇にある一軒には道に接してなにか納屋のようなものがあり、いかにも昔風の木の小屋といったかんじのその側壁にはシャベルが三つ四つかけられてありそのなかに一本だけ傘が混ざっているのだが、その傘がピンク色で、壁はくすんだ木の茶色だしシャベルも土汚れがついたままなのか長年の使用で金属が錆びて劣化しているのか、黒い苔がびっしり生えて覆ったようなざらざらの質感になっていて、そんななかで傘のピンクだけがあきらかに場違いに目立つのでいつも目にはいって視線をとめてしまう。
  • 勤務。(……)
  • 「首吊りの俺から奪えまばたきをそうして死者は風になるのだ」という一首をつくった。
  • いま二時まえ。入浴をすませて部屋にもどってきたあと、茶を飲みながら、Barbara J. King, 'Atheists Feel Awe, Too'(2014/8/28)(https://www.npr.org/sections/13.7/2014/08/28/343952506/atheists-feel-awe-too(https://www.npr.org/sections/13.7/2014/08/28/343952506/atheists-feel-awe-too))を読んでいる。Elizabeth GilbertのThe Signature of All Thingsという小説が劈頭の話題になっている。"Alma Whittaker, the central character who was born in Philadelphia in 1800, is destined for a highly unconventional life as a woman in science."、"Consumed by a love of botany, specifically of mosses, Whittaker grapples with questions that preoccupied many real-world minds of the 19th century, including Charles Darwin and Alfred Russel Wallace as they developed their theories of evolution. How can we understand the astounding variety of life in the natural world? If animals and plants are not after all created and fixed once and for all by God, by what mechanism did so many species arise?"とのことで、なかなかおもしろそう。作中のAlmaの発言として、"You see, I have never felt the need to invent a world beyond this world, for this world has always seemed large and beautiful enough for me. I have wondered why it is not large and beautiful enough for others — why they must dream up new and marvelous spheres, or long to live elsewhere, beyond this dominion ... but that is not my business. We are all different, I suppose."というのも引かれているが、さいしょの一文はじぶんの心情としてもかなり同意できる。
  • ルート・クリューガー/鈴木仁子訳『生きつづける ホロコーストの記憶を問う』(みすず書房/みすずライブラリー、一九九七年)より。
  • 40: 「ここで言語化されていないのは、ゲットーや強制収容所絶滅収容所を正当に評価するためにいつかはもってしかるべき、歯ぎしりするような憤怒だ。あれはいかなる従来型の和解、いかなる殉教者崇拝をもっても片のつきようがない、たぐい稀な愚行だったという認識だ。その憤怒をもってこそ、ふたたび心を静めることができる」
  • 45: 「わたしはこうして、しゃにむに正しい名前を手に入れた。どれくらい正しい名前かは、そのときはつゆ知らなかった。「女友だち」という意味の、血族より友情を重んじたために故国を出た女の名前。なぜって、ルートが国を出たのは、信仰のためでなく、義母のナオミをひとりで行かせたくなかったためだから。彼女は一人の人間に誠を尽くしたが、その人は恋人でも夫でもなかった。自由意志で選ばれた誠、女から女への、民族を超えた誠」
  • 46: 「贖罪の日には大人は日没からつぎの日没まで食べ物も飲み物もいっさい口にしない。大人であるとは、したがって断食を許されることだった。十三になったら、わたしだってそれができるはずだった。贖罪の日、ヨム・キプールの十日前がロシュ・ハシャナー、新年。世界の創造を祝う日で、例外的にシナゴーグへ行った」
  • 52: 「というのも、恥ずかしさは禁止行為を見咎められただけで生じるものであって、良心の咎めとは無関係なことが多いものだから」
  • 58: 「あるときルートの物語、ルツ記を読み返そうと聖書を手に取ったことがある。わたしと同名のルツがボアズの足元をまくるところまで来て、折りから近くにいた大叔父にその箇所の解釈をたのんだ。すると叔父はわたしを叱りつけて、本を取り上げてしまった。いけない本を読んでたわけじゃないのに、とわたしは弁解した。聖書は面白半分に読む本じゃないぞ、聖なる本なんだ、と叔父。だけど、わたしは教えてもらいたかっただけだ、それに敬意を失ってたわけじゃない。わたしが男の子だったら、ぜったいにこんな扱いはされなかった。バル・ミツヴァーという堅信礼に向けて男の子は聖書の勉強をさせられるが、そんなとき男の子が自分から取り組んだなら、大人はごきげんになるにきまっている。女の子にはそんなの必要ない、女の子は娯楽のためにしか読まない、そういうわけ」
  • 62~63: 「わたしは母のちまちました意地悪や残酷な性格を、これもあれもと眉ひとつ動かさず責めることができるし、証明だってできる……わたしがそんな話をすると、されたほうは驚いてこう言う、ヒトラーの時代、あんな状況を耐えたんだもの、迫害された人はむしろ寄り添って生きたはずじゃないのと。とくに若い人はつとめてそうしなければいけなかったね。(と言うのは年輩の人) これはお涙頂戴式のナンセンスというものだ。苦悩を経ることによって人は浄らかになる、というしまつの悪い想像が根っこに(end62)ある。小さな部屋にでも落ちついてじっと自分と向きあってみれば、現実がどうだったかはだれにでもわかるはず。辛抱が多ければ多いほど、ただでさえむずかしい隣人への寛容はますます怪しくなるし、家族の絆は千切れやすくなる。地震が来ればふだんより食器がたくさん割れる、これは経験則というものだ」
  • 63: 「わたしはやさしい母親にならなかった。おそらく、やさしいかと思うと突然いわれもなく罰したり叱りつけたりする自分の母の、これみよがしのやさしさが嫌だったからだろう。物心ついた最初の数年、好きだったのは母でなく、アーニャと呼んでいた子守の娘だった。大好きだった。若くて、ほがらかで、けっして人に屈辱をあたえなかった」