2021/8/11, Wed.

 『観念に到来する神』「序文」のなかで、レヴィナスはつぎのように書いている。

 〈私〉のうちにある無限の観念――あるいは、神への私の関係――は、他の人間への私の関係の具体的なありかたのうちに、つまり、隣人にたいする責めであるような社会性のうちで、〈私〉に到来する。この〈責め〉は、なんらかの《経験》において〈私〉に負わされたものではない。そうではなく、この〈責め〉について、他者の顔が、(end74)その他者性、異邦性そのものによって、どこから [﹅4] 由来するのかわからない [﹅5] 戒律をかたるのである [註57] 。

 レヴィナスの「神」について、本稿では立ちいることができない [註58] 。レヴィナス自身が「〈同〉と〈他〉とのあいだにうちたてられながら、全体性をかたちづくることのない絆(lien)を宗教(religion ふたたび - むすびつけるもの)と呼ぼう」(30/42)とかたっている以上、これは小稿のあきらかな限界であることはまちがいがない。それはしかし、レヴィナスにおける〈唯物論〉的な思考の動機にむしろ注目しようとするこの稿にあって、あえて意図された限界である。――「どこから [﹅4] 由来するのかわからない [﹅5] 戒律」(le commandement venu on ne sait pas d'ou)とは、ひとことでいえば、〈殺すなかれ〉という戒律である。レヴィナスによれば、〈顔〉の裸形の現前が、この戒律をかたりつづける。一見とほうもなく断言的な、レヴィナスのこの主張の内実については、のちに検討することにしよう(四・5)。
 ここで注目しておきたいのは、細部におけるレヴィナス的な用語そのものではなく、むしろ、引用の全体を支配しているレヴィナス固有のひとつの発想である。それは、「無限」を「他の人間への私の関係の具体的なありかた」のうちに見さだめ、その関係を、しかも、「隣人にたいする責め」としてとらえる(レヴィナスのものとして、それ自(end75)体としては今日ではよく知られた)発想にほかならない。この〈責め〉は、しかもレヴィナスによれば、〈他者〉にたいする私のがわの、たんに一方的な [﹅7] 責めなのである。
 ここにはたしかに、極端なかたちで自他の〈非対称性〉をとく発想がある。その発想は、しかも、哲学史上くりかえし登場した〈他我認識不可能論〉とはおもむきをことにした、ある種の徹底した立場であるようにおもわれる。いわゆる〈他我認識不可能論〉は、自他の関係がなりたっていることを(暗黙のうちに)前提したうえで、他者の心的状態の不可知性 [﹅4] をとく。その理説はしかも、〈私〉の特権性を、その直接的な可知性 [﹅3] というかたちで、あらかじめ先どりするものにほかならない。レヴィナスはこれにたいして、他者への関係そのもののなりたちを問い、〈私〉の特権性それ自体 [﹅7] の意味を問いかえしているようにおもわれる。(……)

 (註57): E. Lévinas, De Dieu qui vient à l'idée, Vrin 1986, p. 11.
 (註58): この問題については、岩田靖夫『神の痕跡』(岩波書店、一九九〇年刊)参照。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、74~76; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一一時。しばらくあおむけで深呼吸して、一一時一五分に離床。きのうの夕刊できょうは最高気温三六度になると見たのだけれど、そのわりにきのうとくらべるとそこまで暑気がはなはだしくはないかんじがした。水場に行ってきてから瞑想をやってみても、一五分以上座っていられた。とはいえむろん暑いが。やはり一日のさいしょに心身を調律するのは大事だと再実感する。
  • 食事はハムエッグを焼いた。あときのうのゴーヤのワタをつかったお好み焼き的な品を少々。母親はしごとで不在、父親はこの暑いのにそとでなにやらやっていたが、食事中に汗だくで居間にはいってきて、鉛筆はないかといいながらごそごそさがしていた。新聞で、磯田道史の「古今をちこち」をざっと読んだ。疫病史すなわち過去の事例にもとづいてかんがえるかぎり、今回のコロナウイルス騒動は中盤から終盤のあたりにはいってきているように見えると。過去の例としてそこであげられているのは一〇〇年ほどまえのスペイン風邪なのだが、それもふくめて疫病はだいたい、新型のウイルス発生→感染拡大→ウイルスが変異→都市部を中心に爆発的に流行→死者を出しながらも流行によって抗体や免疫が獲得される→それまでかからなかったひとや山間部などにもひろがる→国民の大多数に免疫がついて終息、というながれをとるらしい。それで今回の件は、この四番目か五番目あたりにさしかかっているようにおもわれると。日本ではいま四番目のフェイズ、インドでは五番目のフェイズではないかと。というのも、インドでは主要八州の人口の七〇パーセントが免疫を獲得しているとあきらかになっているらしい。まあそんなにうまく予測に沿うかな? という気もするが。
  • 風呂洗いではくみあげポンプのさきのほうが汚れていたのでそれも擦っておいた。垢なのかなんなのか、ピンク色の、言ってみれば皮を剝いだ鶏の肉とか内臓みたいな濁ったようなピンク色の汚れが溜まっていたので。管の蛇腹の襞のすきまにこびりついたそれをちいさなブラシでこそぎ落とす。
  • 帰室すると(……)にメール返信。というか上階に行くまえに返していたのだったか。けっきょく一三日の昼間に会うことにして、(……)でとあったので了承したのだ。新聞を見るにいちおうまだ感染もおおいし、飯をさっと食ってそのあとは野外の木陰のベンチにでも座ってくっちゃべったほうが良いのではとおもっているが。
  • 「読みかえし」ノートを読む。蓮實重彦の『「ボヴァリー夫人」論』からの書抜き。これも再読したい。なんだかんだいってもやはり書きつけられていることばにまずは厳密にそくしてたしかな論理をつなげる、という批評家をもうすこし読んでいきたい。ジャック・ネーフ(Jacques Neefs)とレイモンド・ドゥブレ=ジュネット(Raymonde Debray-Genette)がわりと気になるのだが。後者はジェラール・ジュネットのつれあいだったはずで、蓮實重彦は『「知」的放蕩論序説』かなにかにはいっていた対談(渡辺直己とか絓秀実がいたはず)のなかで、フランスの文芸批評でもバルトなんてもう読まれちゃいないし、もとのテクストのパラフレーズをみんなきちんと丹念にやらないし、読むことは壊滅的な状態にある、みたいなことをはなす文脈で、そんななかでドゥブレ=ジュネットだけはただひとり描写の問題を鋭敏にとりあつかっていてさすがだとおもいます、みたいなことを言っていたおぼえがある。

Hope and despair in Auschwitz, by Primo Levi

Sooner or later in life everyone discovers that perfect happiness is unrealisable, but there are few who pause to consider the antithesis: that perfect unhappiness is equally unattainable. The obstacles preventing the realisation of both these extreme states are of the same nature: they derive from our human condition which is opposed to everything infinite. Our ever-insufficient knowledge of the future opposes it: and this is called, in the one instance, hope, and in the other, uncertainty of the following day. The certainty of death opposes it: for it places a limit on every joy, but also on every grief. The inevitable material cares oppose it: for as they poison every lasting happiness, they equally assiduously distract us from our misfortunes and make our consciousness of them intermittent and hence supportable.

October 1944

We fought with all our strength to prevent the arrival of winter. We clung to all the warm hours, at every dusk we tried to keep the sun in the sky for a little longer, but it was all in vain. Yesterday evening the sun went down irrevocably behind a confusion of dirty clouds, chimney stacks and wires, and today it is winter.

We know what it means because we were here last winter; and the others will soon learn. It means that in the course of these months, from October till April, seven out of 10 of us will die. Whoever does not die will suffer minute by minute, all day, every day: from the morning before dawn until the distribution of the evening soup, we will have to keep our muscles continually tensed, dance from foot to foot, beat our arms under our shoulders against the cold. We will have to spend bread to acquire gloves, and lose hours of sleep to repair them when they become unstitched. As it will no longer be possible to eat in the open, we will have to eat our meals in the hut, on our feet, everyone will be assigned an area of floor as large as a hand, as it is forbidden to rest against the bunks. Wounds will open on everyone's hands, and to be given a bandage will mean waiting every evening for hours on one's feet in the snow and wind.

Just as our hunger is not that feeling of missing a meal, so our way of being cold has need of a new word. We say "hunger", we say "tiredness", "fear", "pain", we say "winter" and they are different things. They are free words, created and used by free men who lived in comfort and suffering in their homes. If the Lagers had lasted longer a new, harsh language would have been born; and only this language could express what it means to toil the whole day in the wind, with the temperature below freezing, wear ing only a shirt, underpants, cloth jacket and trousers, and in one's body nothing but weakness, hunger and knowledge of the end drawing nearer.

In the same way in which one sees a hope end, winter arrived this morning. We realised it when we left the hut to go and wash: there were no stars, the dark, cold air had the smell of snow. In roll-call square, in the grey of dawn, when we assembled for work, no one spoke. When we saw the first flakes of snow, we thought that if at the same time last year they had told us that we would have seen another winter in Lager, we would have gone and touched the electric wire-fence; and that even now, we would go if we were logical, were it not for this last senseless crazy residue of unavoidable hope.

When it rains, we would like to cry. It is November, it has been raining for 10 days now and the ground is like the bottom of a swamp. Everything made of wood gives out a smell of mushrooms.

If I could walk 10 steps to the left I would be under shelter in the shed; a sack to cover my shoulders would be sufficient, or even the prospect of a fire where I could dry myself; or even a dry rag to put between my shirt and my back. Between one movement of the shovel and another I think about it, and I really believe that to have a dry rag would be positive happiness.

By now it would be impossible to be wetter; I will just have to pay attention to move as little as possible, and above all not to make new movements, to prevent some other part of my skin coming into unnecessary contact with my soaking, icy clothes.

It is lucky that it is not windy today. Strange how, in some way, one always has the impression of being fortunate, how some chance happening, perhaps infinitesimal, stops us crossing the threshold of despair and allows us to live. It is raining, but it is not windy. Or else, it is raining and is also windy: but you know that this evening, it is your turn for the supplement of soup so that even today, you find the strength to reach the evening. Or it is raining, windy and you have the usual hunger, and then you think that if you really had to, if you really felt nothing in your heart but suffering and tedium - as sometimes happens, when you really seem to lie on the bottom - well, even in that case, at any moment you want you could always go and touch the electric wire-fence, or throw yourself under the shunting trains, and then it would stop raining.

  • 夕刻、食事の支度。米を磨ぎ、ナスと冷凍に保存されていたひき肉および業務用の簡易な豚肉を合わせて焼いた。ほか、キュウリや大根をスライスして生サラダ。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
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  • 風呂のなかでは瞑想的に静止し、それで再認識したのだけれど、瞑想というのは徹頭徹尾身体的な技法もしくはありかたなのだ。「瞑想」という語は目を瞑ってものを想うというわけだし、また悟りとかのイメージともむすびついているので、ものをかんがえたり、あるいは逆になにもかんがえない状態を目指すだったり、なんらか特殊な精神状態を志向するものだとおもわれがちな気がするが、じぶんの理解ではまったくそんなものではない。それはあくまで身体のことがらなのであって、だから「瞑想」というより「座禅」といったほうが、たぶん用語として実態にちかいのだろう。それはまず第一になにもしないこと、行動を停止することである。第二に、瞑想というのは、その停止状態においてじぶんの身体を感じつづけることだと理解した。そのときに感じつづける対象となる身体とは、まず主には皮膚の感覚である。からだの表面に無法則に生起してはまた消えることをくりかえす無数の感覚(かゆみだったり痛みだったり、風呂場であれば汗が肌をながれていく感覚だったり、ひっかかりだったり、熱感や涼感だったり)をそれぞれにひろいあげて感覚し、認識しつづける。べつにことさらに観察しようとしなくとも、停止状態においては意識の領野がクリアになるからそのひろがりのなかにおのずからつぎつぎと感覚はたちいってくるし、現象学方面で共有されている基本的前提にしたがって意識がつねに志向性をもっていて一度にあるひとつのものしか志向できないとしても、意識それじたいのはたらきにまかせれば、おびただしく無数の生滅のあいだをその志向性はたえまなくうつりわたっていく。だから、イメージとしてはひろがった空間にあちらから知覚刺激がはいってくるというかんじなので、「観察」という語をつかうよりもむしろ「検出」(detect)とでもいったほうがいいような印象で、イメージをより具体的にすればレーダーということになるだろうし、またべつの比喩をつかえば、『HUNTER✕HUNTER』に「円」という念能力があるけれどまあああいったかんじだ(もちろん漫画のようにすごく遠くのものを感じ取るようなことはできないが)。その皮膚感覚からはじまって、さらに体表面ではなくてからだの内側の感覚(筋肉の動きとかそれがほぐれていく感覚とか内臓がうごめくかんじ(空腹時はマジでよくうごく)とか呼吸のそれとか、単純な存在感覚とか)も検知され、そこからさらに拡張的にじぶんのからだをはなれた外界の気配とか音とか空気のながれとかに意識はひろがってゆく。皮膚感覚をふくめた体感覚はきわめて無数で多種なので、非常におおげさないいかたをすれば、瞑想をしているときというのは、みずからの身体がひとつの小宇宙と化すようなもので、その世界のいたるところで起こっている出来事を俯瞰的に見守っている神のような視点に立っている(じっさいには座っているわけだが)といえなくもない。とはいえ、いま便宜的に「皮膚感覚からはじまって」と述べたけれど、じっさいの時間においてさいしょにかならず皮膚感覚にたいして意識が集中されるわけではなく、さいしょのうちにまず外の世界の物音に耳が向いたりとか、それはそのときどきでさまざまである。ただそのなかでも皮膚の感覚が根本的なものなのではないかとじぶんは個人的におもっているし(その根拠は特にない)、またじっさい、どこからはじまるにしても座っているうちに最終的にはじぶんの身体やその輪郭がまとまる、という感じを得るだろう。
  • ところで瞑想中にあるのはもちろん身体だけではなくておのれの精神もそこに絶えず存在しているわけだが、こちらのほうはといえばなんでもいいわけである。なにかをかんがえていてもいいし、かんがえていなくてもいい。あたまのなかで思考とか独語とか記憶とか表象とか想像とかがとどまるということはふつうに生きている人間においてありえない(あるとしてもせいぜいながくて五秒くらいではないか)。藤田一照が『現代坐禅講義』のなかにたしか他人のことばとして書きつけていたが、人間のそういう精神の作用というのは恒常的な「分泌物」である。つまり唾が出るとかそういうこととだいたいおなじものだということで、これは卓抜な比喩である。だからなにかをかんがえないようにしようとかそういう意図は無駄で無理なものであり(だいいち、そこではすでに「なにかをかんがえないようにしよう」とかんがえている)、精神のほうは端的にどうでもよいというか、ただそこにあってたえずうごいているものとしてただそこにあらしめているだけでいいというようなかんじだ。だからいってみればそれも、じぶんからはなれた外界のもろもろの物事がじぶんの意志とは無関係にそれじたいで勝手に生滅しているようなものとして認識されて、たとえば窓のそとで鳴いている虫の声とおなじ平面にあるものとして同列にとらえられる、ということなのかもしれない。
  • ほか、(……)さんのブログを読み、(……)さんのブログも最新からいくつか読み、2020/1/16, Thu.も読んだ。同日の日記のなかには、2014/5/28, Wed.からの引用があって、いまとぜんぜん文体が違うもののなにかひとつの感触みたいなものがあってなかなか悪くない、とか記されていたのだけれど、そのうちのひとつはたしかに二〇一四年のじぶんのわりになかなか良いなとおもわれた。「マグロのソテーと米とみそ汁を食べた。食べながら食べ物の熱が顔やからだにうつって汗が出た。これが夏だった、と思いだした。空気はなまあたたかくて、熱が顔にまとわりついて何もしなくても汗が出て、ときどき風が吹きこんで涼しくてレースのカーテンがスカートみたいに持ちあがって、それか逆に網戸に吸いつけられて、温度計は三十度だった。もうすこし気温があがってセミの声がくわわれば夏が完成する」という文。なんということもない記述ではあるが。「レースのカーテンがスカートみたいに持ちあがって、それか逆に網戸に吸いつけられて」というぶぶんがいちばん良い。いまもじぶんは、「~~して」もしくは「~~で」をつらねて文をながくすることがけっこうおおいとじぶんでおもっているのだけれど、このころからもうそういう口調なのだな、とおもった。
  • あと、ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ/二階宗人訳『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』を読んでいて、これは再読したい。また、この一年半前の冬は日常のルーティンの個々の動作までやたらこまかく記していて、なんでこいつこんなにこまかく書いてんの? とおもわれ、そのあたりの毎日変わらないこまごまとした行為連鎖は退屈なのだが、そこから出勤路に出て外空間のなかで見聞きしたものを書く段になると一気にひろがったような感覚になって、やはりじぶんはどうしてもこういうところなのだなと、これを書くために日記を記しているようなものなのかもしれないとおもった。記述としてはいまとあまり変わらず、以下のような調子。

 足もとのアスファルトの表面の凹凸、あるいは襞、比喩的な意味での網目を見下ろしながら行く。寒気はかなり強い。空には朦々と、丸みを帯びた雲が湧き、いびつな球が繋がったように広がっていて、それに閉ざされた天空のもと、冷気は地上に集合して地の底から冷えてくるようで、冷たさがほとんど物体的なまでの勢力を誇っている。公営住宅に接した小公園の前に掛かったところで、無骨な幹の、桜の裸木が目に入った。葉を散らさず残した黒い樹々と闇を湛えた大気とを背景に、その枝ぶりの直線的で固い広がりは、死んで乾いた動物の骨組みのようでもあり、亡霊が差し出している手のようでもあり、無機質な砂利のような色で浮かび上がっていた。

  • あと、ロラン・バルト『テクストの楽しみ』から引いた文に関連して、以下のように言っている。そのなかの、「創造的なごみ、あるいは偉大なる屑」といういいかたはなかなかいいなとおもった。

こちらとしては何と言うか、ごみのような存在でありたいと思うのだが。創造的なごみ、あるいは偉大なる屑。つまり、有用でありたくなどまったくない、何かの役に立ちたくなどない、ということだ。完全に無用で無償だが、それでも存在する、という密かでしたたかな権利を主張したいのだ。しかしそれもまた反動的とも思えるもので、そして反動こそ容易に回収されてしまう。やはりある程度は、もしくはある形では、制度や社会とのあいだに共犯関係を築き、あるいは〈寄生虫〉としてあらざるを得ないのではないか。大勢が定めた意味において役に立たないものは存在を許されない、そうした趨勢にこそ抗っていきたいのだが。

  • ほか、岡田温司アガンベンは間違っているのか?」(「REPRE Vol. 39」)(https://www.repre.org/repre/vol39/greeting/(https://www.repre.org/repre/vol39/greeting/))も読んだ。無断転載禁止と最下部にあるので興味深いところがあっても引けないが、この記事にかんしては本文中に特に引いておきたいようなところはなかった。ただ、コロナウイルスまわりで西欧の知識人たち(アガンベンとかバディウとか、ブルーノ・ラトゥールとか)が書いた英文記事がいろいろ註にしめされてあったので、それらはありがたい。ぜんぶメモしておいた。表象文化論学会のこのREPREのページはバックナンバーがすべて揃っていて、ただで読めるなかにけっこうおもしろい記事もありそうなので読んでいきたい。
  • 297: 「絹地のふくらんだモーヴ色のスカーフの上に、やさしいおどろきをたたえた彼女の目を、いまでもまだ私ははっきりと思いうかべる、彼女はそんな目に、いかにも家臣たちにすまないというような、いかにも家臣たちを愛しているような、女領主らしいすこしはにかんだほほえみをつけくわえていたが、そのほほえみは彼女があえて誰かに向けようとしたものではなく、居あわしているすべての人々が配分にあずかることのできるものなのであった」: モーヴ色7
  • 297: 「そしてたちまち私は彼女に恋をした、というのもわれわれが女を恋するには、スワン嬢の場合に私がそう思ったように、女がわれわれを軽蔑の目でながめていて、その女が絶対にものにならないだろうとわれわれが考えるだけで、ときには十分なこともあるし、またゲルマント夫人の場合のように、女が好意をもってわれわれをながめ、その女がものになるだろうとわれわれが考えるだけで、ときには十分なこともあるからだ」
  • 298~299: 「そうしたすべての文学的な気がかりからまったく離れた境地で、しかもそんな気がかりとはいっさ(end298)い無関係に、突如としてある屋根が、石の上のある日ざしが、ある道の匂が、私の足をとめさせるのであった、というのもそれらが私にある特別の快感をあたえたからであり、またおなじくそれらが、私に何かをとりだすようにさそっているのにどう努力しても私に発見できないその何かを、私が目にするもののかなたにかくしているように思われたからであった」
  • 299: 「なるほど、そんな種類の印象は、私が失ってしまった希望、将来作家や詩人になれるという希望を、私にとりもどしてくれるものではなかった、なぜなら、それらの印象は、知的価値のない物質、どんな抽象的真理にも無関係なある特殊の物質につねにむすびついていたからであった。しかし、すくなくとも、それらの印象は、理由がわからないある快感を、また一種のゆたかな力がわきおこるような幻想を私にあたえ、それによって、これまである大きな文学作品のための哲学的主題を探究したたびに私が痛感した困惑や無力感を私から払いさってくれるのであった」
  • 300: 「ひとたび家に帰ると、私はほかのことを考えていた、そして、そのようにして、私の精神のなかには(私が散歩で摘んできた草花とか、人からもらったものが、私の部屋のなかにあるように)、日ざしを浴びていた石とか、屋根とか、鐘の音とか、木の葉の匂とか、その他多くのちがった映像がつみかさなっていて、それらの映像にくるまれて、私に予感はできたが意志の力が十分ではなかったために発見するにはいたらないでいる現実が、長い以前から死んだままになっているのだ」
  • 302: 「馭者は口を利きたくないようすで、私が話しかけてもろくに答えなかったので、ほかに相手はなし、やむなく私は自分自身に鋒先を向け、私の鐘塔を思いだそうとした。するとまもなく、鐘塔の線と、夕日を浴びた表面が、まるで一種の外皮のようにやぶれ、それらのなかにかくされていたものが、すこしばかり私に姿を見せた、しばらくまえまで私に存在しなかった一つの思考が私にわき、頭のなかでいくつかの語の形をとった、そして先ほど鐘塔を見たときにおぼえた快感がぐっとこみあげてきたので、一種の陶酔にとらえられた私は、もうほかのことが考えられなくなってしまった」
  • 303: 「マルタンヴィルの鐘塔の背後にかくされていたものは、いくつかの語の形で私にあらわれ、それらの語が私に快感を起こさせたのだから、それは美しい文章に似た何物かであるにちがいない、とはっきりそう思ったわけではないけれども、私は医師から鉛筆と紙とを借り、良心の呵責を軽くするために、また自分の感激に素直にしたがうために、馬車がゆれるのもかまわず、つぎのような短文をつくったが、これはあとで私に見つかり、ほとんど修正を加える必要さえなかったものなのである」
  • 304~305: 「そのとき、つまり、医師の馭者がマルタンヴィルの市場で買ってきた家禽をいつもかごに入れてのせておくあの馭者台の片すみでこれを書きおわったとたんに、私は非常にうれしくなった、それはこの短(end302)文が、鐘塔と、鐘塔が背後にかくしていたものとを、私から完全に一掃してくれたという気持が強かったからで、私はまるで私自身が雌鶏であり、いまたまごを生みおとしたばかりのように、声を張りあげてうたいはじめた」