2021/10/20, Wed.

 もとより、この地上の住人ではなくなるというのは奇妙なことだ。
 やっと習得したばかりの習慣をもう使わず、
 ばらや、その他ことさらに未来を約束する物たちに
 人間としての未来の意味を与えることをせず、
 限りなく心細げな両手に支えられている存在では
 もはやなく、自分の名前すら壊れた玩具のように
 捨ててしまうというのは奇妙なことだ。
 あれこれの願望をすべてもうもたないというのも奇妙なことだ。(end106)
 互いに関連し合っていたあらゆるものが、ばらばらになって
 空間にひらひら舞うのを見るのは奇妙なことだ。死者であることは
 苦労なことであり、生きたことの後始末をするうちに、
 だんだんに永遠というものの感触を
 知るようになる。――ところが生きている人たちは
 生と死をあまりにくっきり区別しすぎるという過ちを犯している。
 天使たちは(聞くところによると)しばしば、自分の歩いているところが
 生者の域か、それとも死者の域か、わからなくなるという。
 久遠の流れが、生死両界を通じて、あらゆる世代を引きさらい、
 両界においてすべての響きを凌駕するのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、106~107; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第四連)



  • おそらく一〇時ごろに覚醒した。ややまどろみながら意識がたしかにかたまるのを待ち、一〇時半ごろにあたまがはっきりした。こめかみや喉を揉んでから一〇時五〇分に離床。いつもどおり水場に行ってうがいなどしてから瞑想をおこなった。きょうの天気は晴れでひかりの色が見られ、きのうまでにくらべると気温も高めであり、窓をひらいても肌寒さはなく、ガラスのすぐそとにあるゴーヤの葉の残骸が緩慢にこすれる音がときおり聞こえるものの、空気のうごきは室内にまではやって来ず、肌に触れるものはかんじられない。しずかな空気。きょうはだいぶからだを感覚できたとおもう。なかなか良いかんじだった。
  • 上階へ行き、炒めものなどで食事。新聞は衆院選の開始をつたえている。いちおう一面の記事は読んだ。衆院選の開始とまるであわせるかのようにしてきのうの午前だかに北朝鮮弾道ミサイルを撃ったらしいが、こちらはまだ読んでいない。食事中、テレビのニュースが緊急で阿蘇山が噴火したとつたえた。すこしだけ青みがかったような灰色の噴煙が画面の奥をいっぱいに埋めている映像がながれる。
  • 食器を洗い、風呂も。出てくると父親がいて、おまえパソコンまた買い替えたの、と訊くので、音楽をながす用にもう一台買ったと説明し、Windows10か11かとか訊かれるのには、Chromebookっていうやつ、とこたえると、タブレットみたいなやつか、といわれるので、いやいちおうパソコン、とかえし、またWindowsがどうこういうのに、Chrome OSっていう……と言い、なんでも良かったんだけど、それがいちばんやすかったから、と落とした。そうして帰室。
  • Notionを用意し、ウェブをすこし見ると竹内まりや『LOVE SONGS』をながして「読みかえし」を読んだ。こうしてベッドに腰掛けながらにしてスピーカーから音楽を出して読みかえしをできるようになった。僥倖である。ガンガン読んでいきたい。一時一二分ごろまで読み、きょうのことをまず記述。きょうは三時半過ぎには家を発たねばならないが、きのうのことをぜんぜん書けていないので、出るまでになるべく綴りたい。労働もいつもより長めで、たぶん帰宅は一〇時か一〇時半くらいになると予測する。出勤までにはどうせ終わらないとおもうので、あまりがんばらず夜やあしたにまわすのも良い。
  • そういうわけで一九日の記事もこの二〇日の記事も翌日にまわし、二〇日のことはわりとわすれてしまったのだが、まずおぼえているのは往路に最寄り駅で(……)さんに会ったことだ。旦那さんもいっしょにいて、どこかに出かけるところだった。ホームをあるいていくとそのすがたが発見されたので、視線をむけているとあちらも気づき、会釈をしてあいさつをかけ、ちょっとだけ止まって立ち話をした。(……)さんはベスト姿のこちらに手を差し向けつつ、いつもすっとしてて、と言うので、いやいやと笑い、きょうはでも寒いでしょそれだと、と言われたので、そうですね、きょうは寒いですね、ほんとうはジャケット着てくればよかったんですけど、とこたえた。じっさいこの日はなぜかまだベストで大丈夫だろうとおもったところがけっこう肌寒く、行きの時点であるきながらまくっていた袖をきちんと留めることになったし、帰路は電車に乗らず徒歩を取ったのだけれどだいぶ寒くて、ジャケット着てくるべきだった、選択を誤ったわ、とおもったのだった。さいきんはもう、行きは電車に乗っちゃいますね、と問われもしないのに語り(というのは、いぜんは往路もあるいていたのでトラックでまわってくる八百屋で買い物をするために家のそとに出ている(……)さんとよく顔をあわせたのだけれど、さいきんはそういう機会もなくなったので)、帰りはけっこうあるくんですけどね、もう涼しいんで、とつけたすと、もう涼しいって、寒いでしょ、というような反応があった。はなしはそのくらいで、じゃあどうも、と会話を終わらせ、寒くなっているので、おからだに気をつけて、とのこし、旦那さんのほうにもどうも、とかけて別れた。この旦那さんにかんしてはいぜん(……)さんが、馬鹿とかなんとか、ひどいことばっかり言ってくるのよ、と愚痴っていたことがある。あまり辟易しているような雰囲気ではなく、おだやかなトーンで笑みを浮かべてもいたが。この旦那さんはじっさい、いわゆる昭和のおやじ風というか、風貌にしても雰囲気にしてもちょっと頑固そうなところがかんじられないでもない。どこの家でも、歳を取った男性というのはたぶんだいたいそういうかんじなのだろう。
  • 帰路は上述どおり、寒かったということに尽きる。あとは勤務。(……)
  • (……)