2021/10/21, Thu.

 結局彼らはもうわれわれを頼りにしない、若くして世を去った者たちは。
 死者は、子供が母親の乳房からおだやかに離れて成長していくように、
 地上の習慣から少しずつ離れていくのだ。けれども
 われわれ、悲しみからしばしば聖なる進歩が生まれ出るという
 大きな秘密を必要としているわれわれは、死者たちなしで存在できようか。
 かつてリノスの死を悼む際に、迸る最初の音楽が(end107)
 干からびた空間を貫いて響いたという伝説はむだなものではなかろう。
 ほとんど神々しいばかりの青年が突然永久に去って行ったあとの
 驚愕の空間においてはじめて、空虚があの
 振動に変わり、それがいまもわれわれを魅惑し、慰め、力づけている。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、107~108; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」 Die erste Elegie 、第五連)



  • 「読みかえし」より。253番の一部。

 さきの例にもどる。私の掌につぎつぎと、壁の起伏が感じられる。ここで起伏は副詞的に [﹅4] 感じられ、壁は「突き出て」存在 [﹅2] し、「窪んで」ある [﹅2] 。そのばあい、壁の感覚はおなじ [﹅3] 感覚として継起し、しかもことなって [﹅5] ゆく。同一のものが差異化している。つまり「感覚的印象が、異なることなく異なって、同一性において他のものとなっている(autre dans l'identité)」(57/71)。――同一性における差異化のありかは、副詞が不断にえがきとる。あるいは、動詞としても表現される。壁は掌を押しかえし [﹅5] 、ゆびを引きこむ [﹅4] 。壁はそのとき凹凸である [﹅3] 。壁に起伏が存在する [﹅4] 。このある [﹅2] 、存在する [﹅4] 、という動詞そのものはなにを示しているのであろうか。(end201)
 動詞「ある」を修飾する副詞が示すのは、とどまるところのない感覚的変容のさまである。これにたいして、Be動詞がえがきとっているのは、「感覚が現出し、感覚され、二重化されながらも、みずからの同一性を変化させることなく変容する」過程そのものである。この変化なき変容 [﹅6] である「時間的変容」が、「時間の時間化」、つまり時間が時間であるということであり、「存在するという動詞」なのである(60/75)。存在する [﹅4] (essence、もしくは「存在する [﹅4] という語の動詞的な意味」をつよく示すために、正書法からの逸脱をデリダに倣ってあえて犯すとすれば、essance avec a [註116] )とは、時間が時間化する [﹅8] ことである。時間の時間化とは、同一性そのものの変容、同一性の自己差異化なのだ。
 カントの超越論的感性論ふうにいえば、時間とは、それをあらかじめ(ア・プリオリに)考えることで同時性と継起とがはじめて意味をもつにいたる「純粋な形式」である [註117] 。個々の感覚は継起する。だがしかし、継起する感覚の質の変化それ自体が時間ではない [﹅2] 。時間とは継起ということがらそのものであって、それ自身は継起し変容しながら、しかも変化しない [﹅2] 。存在すること [﹅6] が、時間であることそのものであるとすれば、感覚的経験があかす、それぞれの存在者から区別された存在そのものとは「時間的な奇妙な痒み」(61/76)にほかならない。だからこそ、時間 [﹅2] (の時間化)と(存在者の)存在 [﹅2] はさしあたり解きがたい謎なのである。――静まりかえった夜の闇のなかで、家具がわずかに軋む。(end202)それはほとんど「無声の摩滅」である。いっさいは「すでに質料を課せられて、生成」し、時のなかで「剝がれ落ち、みずからを放棄して」ゆく。すべての〈もの〉は、ほんとうは(色が輪郭をはみだし、輪郭にとどかない、デュフィの絵画のように)じぶんとそのつどずれて [﹅3] おり、みずからと重ならず、たえず移ろっている。時間とはだが、よりとらえがたく「形式的」な、「すべての質的規定から独立の、変化も移行もない《変容》」なのである(53/67)。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、201~203; 第Ⅱ部、第二章「時間と存在/感受性の次元」)

  • きょうは一一時四七分起床と、さいきんのなかではすこし遅めになってしまった。昨晩、やはりいつもより労働がながかったためなのか、日記を書きながらも疲れが重って二時半にちからつき、ベッドにたおれてしばらく休んだあと三時半に正式にねむったのだが、そのわりになかなか起きられずにぐずぐずした。夢をひとつ。電車というか特急列車的なものに乗っており、二席でひとつになっているような座席がならんでいて、こちらがすわったとなりが金井美恵子だった。カレーを注文して食べたあと、この列車に用はなかったのか、なぜかじぶんは発車前に出る意思を持ち、いったんカレーの皿を持って立ち上がったのだけれど、どこに持っていけばいいのか返却のしくみがわからなかったのだろう、けっきょく食器を席のテーブル上にもどしてそのまま列車を出た。ちょっとしたうしろめたさとか、それでいいのかなという不安があったようだ。その後、なにかのタイミングで金井美恵子が撮った動画を見る機会があり、列車内のようすを見回すように映してときおり各所にズームアップした映像だったのだが、そのなかに隣席のじぶんのすがたが一部だけ映っていた。腕か上半身がすこしだけ見えるようなかんじで顔は映っていなかったはずだが、そのときこちらが着ていたシャツはこまかい花柄の青いもので、これはたぶん現実には母親の着ているものがもとになっていたのだとおもう。
  • 水場に行ってきて瞑想。きょうもなかなか良い。からだがそこにあることをよく感じとれている。三〇分くらい座った。上階へ。母親は友人の(……)ちゃんと昼食に行くと昨晩言っていて、それですでに不在。父親が飯を食いはじめるところ。父親も(……)の会合かなにかが二時からあると聞いていた。髪がぼさぼさだったので洗面所にはいっていくらかととのえ、食事を支度。シシトウと豚肉の炒めものや昨晩の野菜スープののこり。食べながら例によって国際面を読んだ。韓国の与党「共に民主党」の大統領候補に決まった李在明 [イ・ジェミョン] についての記事がひとつ。きのうの新聞にもあって、何回かシリーズでやるらしい。あるいは上下記事だったか。もともと貧しい農家の生まれで九人きょうだいの七番目、父親が博打好きで一家に金はなく、小学校は山道を五キロあるいて通うような土地だった。その後城南市に越して、学校に行かずはたらいていたが高卒認定試験みたいなものを取って大学で法学をやり、のちに弁護士となる。大学時代くらいに政治にめざめたらしい。当時は全斗煥の強権体制にたいする抗議が盛んだったころで、光州事件についても当初は暴徒の仕業だという当局発表を信じていたものの、軍が市民を弾圧し殺したのだという真実を知って政治に関心を持ちはじめたと。その後弁護士として労働者や農民団体の支援をするようになるが、このあたりの弁護士・民主派という経歴は盧武鉉文在寅とかさなるものだと。きょう読んだ記事ではやり口の強引さが批判を呼んでもいると記されていて、李在明はいま京畿道の知事なのだけれど、コロナウイルス状況のなかで信者に感染者が出ても保健所の立ち入り調査やPCR検査を受け入れようとしないキリスト教新興団体にみずから職員を率いて乗り込み(部下たちには、これは戦争だから信者の名簿を入手するまで絶対に撤退するなと厳命したという)、六時間交渉した末に要求をみとめさせ、山奥にいた組織の創設者にもPCR検査を受けさせたらしい。政敵にたいして攻撃的にふるまうやり方から「闘鶏」というあだ名を得ており、SNSをつかって相手をボロクソに叩くやり口がドナルド・トランプを連想させる、という声もあるようだ。たとえば城南市長だった時代にはFacebookで政策を批判してきた人間について、連絡先を知っているひとはいないかと呼びかけて素性をあばこうとしたらしい。またもろもろの腐敗疑惑もあって、世論調査では候補者のなかで道徳性の点では最下位を獲得しているものの、指導力とかそういった方面で高評価されていると。
  • ほか、欧州議会が今年のサハロフ賞をアレクセイ・ナワリヌイに授与することに決定したと。ロシアの反発が予想される。国際面がきょうは二ページあったうちの右側では、ドイツがナミビアと植民地支配時の虐殺について和解したのだが国内に反発の声があるという記事。ナミビアというのはアフリカ最南端付近の西側にある国で、たぶん南アフリカ共和国の隣接国だとおもう。ドイツがそこに入植していった一九〇〇年代のはじめごろに、ヘレロ人とナマ人という民族が強制収容所におくられたり殺されたりした歴史があり、ドイツはさいきんそれを公式に謝罪して補償金も支払うことになり、ナミビア政府も受け入れたところ、じっさいの犠牲者だったヘレロ人やナマ人の子孫で虐殺の歴史をつたえようとしているひとびとのあいだなどには反対の動きがある。というのも、ナミビアの政府はオバンボ人というまたべつの民族が主体となっており、彼らは一次大戦後から独立にかけて中心的な存在となって功があり、それでいまも権力をにぎりつつ腐敗の横行などが問題になっているらしいのだが、このオバンボ人はほとんどドイツによる虐殺の犠牲者にはなっていなかった。それでヘレロ人やナマ人を代表する野党は、じっさいの犠牲者だった民族の声が反映されていない、この取り決めでは政府が補償金をえるだけでヘレロ人やナマ人にまでその益がとどかない、と主張している。紹介されていた専門家も、政府はヘレロ人ナマ人とドイツとのあいだにはいる調停役をつとめるべきだった、国同士の交渉というかたちにこだわったことが混乱をまねいた、と言っていた。アフリカは植民地支配のために民族区分と国境区分が合っていないから、ヘレロ人もナミビアだけではなく周囲の国にもいるようで、だから国単位での交渉にそもそも無理があるという言い分もあるわけだが、ただ民族単位で交渉するとなるとどの国のどの組織やどこの誰が集団を代表するの? という困難な問題も出てくるだろう。
  • 食器と風呂を洗って帰室。LINEに返信してからTalking Heads『Remain In Light』をながして「読みかえし」を音読。熊野純彦レヴィナス』の引用。Chromebookの導入によりやはり音読はすぐやりやすくなったので良かった。活動のさいしょに文を読んだほうがあたまもよくはたらく気がするし、気軽にどんどん読みかえししやすくなったのは良い。二時でいちど切って洗濯物を入れにいった。薄陽はあったがきょうはあまりはっきりしない、曇り寄りの天気である。いま三時一六分だけれど振り向いて窓を見れば空はわずかに偏差をさしこんでときおりあるかなしかの青さをはらんで波打ちながらもすべて白く覆われている。音読は二時半くらいまでやり、それからきょうのことをここまで記した。きのうとおとといのことを書かねばならないが、もう出勤までそんなに時もないし、帰宅後でいいかとおもっている。
  • 夜に新聞で読んだ記事のことを先に。バングラデシュムスリムによるヒンドゥー教徒への襲撃が多発しており、双方あわせて七人が死亡、ムスリム側を中心に四七五人だかがいままで逮捕されていると。ヒンドゥーの祭りで偶像の膝のうえにコーランが置かれているのをあるムスリムが発見して通報し、それが情報拡散されて攻撃をまねいたと。ムスリム側は、ヒンドゥー教徒によってイスラーム聖典が侮辱されたと言っているらしい。記事を読んで、けっきょくどこもおなじというか、宗教じたいがどうとか人種じたいがどうとかいうことではないのだよな、とおもった。隣国のインドでは反対にモディ政権下でヒンドゥー至上主義がいきおいづいてムスリムを殺したりしているわけだし、アメリカでアフリカ系のひとびとが辛酸をなめているいっぽう、アフリカでは肌の白いひとのほうが差別を受けて、アルビノの人間が呪術の有効な素材になるという迷信によって殺されたりしているわけだ。
  • 一面には選挙の情勢予測があって、自民党議席を減らして単独で過半数(四六五議席中、二三三議席)を取れるかどうかが焦点になっていると。立憲民主党は解散前の一一〇から一四〇くらいには増やす見込みらしく、だからリベラル勢にとってはいちおうよろこびというか、一定の躍進にはなるのだろうが、もしじっさいに勢力伸長の結果になったとしても、それはコロナウイルスがもたらした恩恵のようなものなのではないかとおもう。たんに菅義偉が不人気を獲得してくれたというだけのことで、リベラル勢が積極的かつ本質的な支持を得たわけではないだろうし、自民党だけでなくどの政党が政権についていたとしても、コロナウイルス状況下ではたぶん支持率が下がっていたのではないかとおもう。
  • 出勤前にアイロン掛けをすこしだけ。出勤時に印象深いことはさほどない。やはり寒かったがきょうはジャケットを身につけたので問題はなかった。最寄り駅についてホームに立つと、まだ五時過ぎだが空が雲に閉ざされていることもあって、もはやたそがれをとうに越えて宵にはいっているような空気の暗さだった。
  • (……)
  • (……)
  • 帰宅後はちょっと休んでから一九日の記事を書き出し、しあげると前日二〇日の分もさいごまでつづった。その時点でもう一一時半くらいで、けっこう遅くなってしまったが夕食へ。麻婆豆腐など。風呂を出たあとはわりとだらだらしたのだとおもう。それか、二〇日の記事をしあげたのはこの深夜だったかもしれない。茶をつくって飲んだのはおぼえているのだが、それとともに、またそのあとになにをやったという記憶があまりない。