たくさんの遠方を知る静かな友よ、感じてほしい、
きみの呼吸が今なお空間を広げていることを。
真っ暗な鐘楼の梁のなかで、きみの鐘を
つかせてごらん。きみを響かせた空間は響きを鐘として力強いものとなる。
変容しながら外へまた内へと向かうがいい。
きみの一番つらい経験は何だろう、(end134)
飲むのが苦ければ、自分が酒になるといい。充実しきった夜の闇のなかに浸って、
自らの五官の十字路で魔力を発揮するといい。
感覚同士が奇しくも出会うところに意味を見つけよ。地上にあるものがきみのことを忘れていたら、
静かな大地に向かっては言うがいい、私は流れると、
速い水の流れに対しては言うがいい、私は留まると。(神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、134~135; 『オルフォイスによせるソネット』 Die Sonette an Orpheus より; ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる; 第二部、二十九)
- 九時まえに目覚め。快晴の朝で、カーテンをあけると雲のない青空のなかに太陽がふくらんでいる。しかし陽射しを顔に受けてもさほどじりじりとせず、さすがにもう勢いは弱いなとおもわれた。きのうのながれで九時のアラームをそのままにしてあったが、それが鳴り出さないうちに布団を抜けて、携帯の設定を解除した。そうしてまた布団の下にもどり、しばらく喉やこめかみを揉む。意識はあかるくはっきりしており、二度寝の心配はなかった。きのうの外出のために下半身が全体的にこごっていて鈍く、脚をほぐしたかったので、水場に行ってうがいや用足しなど済ませてくると、また仰向けになって書見をはじめた。塚本邦雄『荊冠傳說――小說イエス・キリスト』(集英社、一九七六年)。九時半からはじめて一一時ごろまで。61から102くらいまで。つまらなくはないが、特段におもしろいわけでもない。序盤にくらべると、多少おもしろくなってきたかなという感は受けるが、それは物語的な興趣がいくらか出てきただけのことだとおもう。
- その後瞑想。瞑想というか、やはり深呼吸である。さいきんはこれでからだをほぐしている。上階へ。両親とも不在。炊飯器には五目ご飯があり、そうするとハムエッグを乗せて液状の黄身を混ぜる気にならないので、固めに焼いてべつの皿に取った。食事。立憲民主党の枝野幸男が退任の見込みと。国際面でイラクについての記事を読んだ。人民動員隊という武装組織が我が物顔にふるまって民衆を抑圧しているらしい。もともと二〇一四年にISISとの戦闘のなかで、さまざまな民兵組織を糾合するというかそれをまとめるような組織として生まれたらしく、構成員のほとんどはシーア派でイランから支援を受けており、中核部分はイランへの忠誠を示してもいる。ただ同時に、イラク政府直属の正式な組織としての位置づけも与えられているらしく、構成員は給料をもらっているようだ。ISISとのたたかいで功があり民衆からの支持はおおきかったのだけれど、その後抗議の弾圧で銃をもちいたことで人心がはなれ、いまは商店からみかじめ料をとりたてることなどで資金をあつめており、傘下の店で批判的なことを言った人間がつかまえられて暴行を受けたりしているといい、したがって人民からの支持はもはや薄い。それで先の選挙でも政治部門は大敗を喫したのだが、選挙結果をみとめずに突っ張っており、政権も始末をつけかねているというところらしい。ただイランのライシ政権にせよそこから支援を受けているこの人民動員隊にせよ、イラクのサドル派にせよ、いずれも反米強硬派ではある。
- 食器をかたづけ、風呂洗い。もどるとコンピューターを用意し、LINEに返信。それからきょうのことをここまで記して一時一〇分。
- ほかに特段の記憶もない。勤務時のことだけみじかく記しておくか。といってそれにもたいした印象はないのだが(……)。
- (……)
- (……)
- (……)
- 帰路は徒歩。書いておきたいことは特にはない。その後も同様。Parashkev Nachev, "Is love just a fleeting chemical high in the brain?"(2020/2/14)(https://www.bbc.com/future/article/20200211-love-is-it-just-a-fleeting-high-fuelled-by-brain-chemicals(https://www.bbc.com/future/article/20200211-love-is-it-just-a-fleeting-high-fuelled-by-brain-chemicals))を読んだ。入浴を終えてもどってきたのち、たぶん一時くらいから、すこしだけ休んでそのあと日記を書こうと思い、ベッドでヘッドボードにもたれていたのだけれど、いつの間にか意識をうしなっており、気づくと五時半くらいになっていてそのまま寝ざるをえなかった。さいきんこういうことが多い気がする。この前日か前々日くらいもそうだったようなおぼえがある。ほんとうは疲労にさからおうとせず、さっさと就寝したほうが良いのだろうが。