2021/11/7, Sun.

 もう耳のためのものでない……ひびき、(end152)
 それはいっそう深い耳のようになって
 聞いているつもりのわれわれを逆に聞く。
 空間のうらがえし、
 内部の世界をおもてにくりひろげる、
 誕生する前の寺院、
 溶けにくい神々をいっぱいに
 ふくんでいる溶液……ゴング!

 おのれへの信仰を告白する
 沈黙するものの総体、
 ひたすらに口をつぐむものの
 自己への激烈な回帰、
 時の流れを圧搾してできた持続、
 鋳型に注ぎ変えられる星……ゴング!

 おまえ、けっして忘れることのない、
 喪失によってこそ生まれた女 [ひと] よ。(end153)
 もうとらえようのない祝祭、
 目にみえない口に注がれる葡萄酒、
 ささえている柱のなかのあらし、
 旅人が道のなかへころがり出る、
 「全」に対してわれわれをさらけ出す……ゴング!

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、152~154; 「ゴング」 Gong; 後期の詩集より)



  • 「読みかえし」より。407番。この一節はマジですごいとおもう。

 アンゼルム (……)聞こえましたか、またはじまった? ……たった一人で星の海を漂っているのです、たった一人で星の山に座って、なにも言えずにいるのです。醜い顰めっ面をしてみせることしかできないのです、不良少女のレギーネは……しかし、顰めっ面だって内側から見れば一つの世界で、隣人もなしに、自分の天体音楽を響かせながら無限のなかに拡がっているのです……彼女は甲虫と話せないから、甲虫を口にいれました、彼女は自分と話せないから自分を食べたのです。彼女はほかのひとびととも話せない、しかも――かれらみなと合一したいというこの恐ろしい欲求を感じているのです!
 マリーア 嘘、嘘、嘘! そんなことは嘘です!
 アンゼルム しかし嘘とは、異なった掟のあいだで揮発する、夢のように近い国々へのノスタルジアですよ、わかりませんか? それは魂により近いのです。(end203)たぶん、より誠実なのです。嘘は真実ではありません、しかしそのほかのすべてなのです!
 (斎藤松三郎・圓子修平訳『ムージル著作集 第八巻 熱狂家たち/生前の遺稿』(松籟社、一九九六年)、203~204; 『熱狂家たち』)

  • 久しぶりに一一時台の覚醒。離床は一一時半ごろだったか。きょうは陽射しのない曇り。白さのなかに、太陽の刻印だけは見られたが。水場に行ってきて瞑想。二五分ほど座ってからだの感覚がなめらかにまとまった。そうして上階に行き、母親にあいさつして食事。中華丼である。フライパンで加熱された素を丼の米にかけ、ほか、昨晩の団子汁も。新聞はいろいろと興味を惹かれる記事はあったが、一面の、山内昌之アフガニスタンについて書いた文だけひとまず読んだ。タリバンによる政権の崩壊とガニ大統領の逃亡は史上まれに見る風声鶴唳(おじけづいた兵士らが風の音や鶴の声程度のちいさな物音をも敵の襲撃ととりちがえて恐慌すること)の例であり、アフガニスタンイスラーム共和国とはいったいなんだったのかと。米国は多額の資金をついやしてこの共和国を支援し、とりわけ兵士らを訓練してきたわけだが、じっさいのところ国家や軍としての一体性が欠如していることは当初よりあきらかだったという。アフガニスタンには四つの主な民族があり、そのうちパシュトゥーン人パキスタンとの結びつきがつよく、そちらの関連ではパキスタンと敵対的なインドの思惑も絡んでくるし、タジク人とウズベク人はそれぞれ同名の国がある中央アジア方面とかかわっており、そこを通してロシアの影響力もおよんでくる、最後のなんとかいうシーア派の民族はイランの支援を公然ともとめて隠さず、軍内部もそんなふうに割れた状態だから敵対的な民族が多い地域には出動したがらず、とてもではないが国家の軍隊としての体をなしていなかった、と。
  • 食器と風呂をいつもどおり洗って帰ると、茶を飲みつつウェブを見、それからきょうは「読みかえし」ノートを読んだ。ここ二日ほど読めていなかったので。Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』をながして音読するわけだが、やはり声を出して文を読むとやる気が出る感じがあり、興が乗ってながくつづけ、383番から最新の418番まで一気に読みとおした。それからベッドに寝転がり、書見も。ミシェル・ピカール/及川馥・内藤雅文訳『遊びとしての読書 文学を読む楽しみ』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス667、二〇〇〇年)。しかしこの本はいまのところちっともおもしろくないし、勉強になるなあという箇所もほぼ見当たらない。訳もとりたてて悪くはないがぴりっとしない感じがおりおりある。それでも三時半くらいまで読み、その後ストレッチ。それからきょうのことをここまで記述。四時半過ぎである。
  • いまもう九日の火曜日にいたっている。この日曜は休日でいつもどおりだらだら過ごしたし、特段の記憶もほかにない。ウェブ記事はRichard Gray, "Why we should all be wearing face masks"(2020/7/2)(https://www.bbc.com/future/article/20200504-coronavirus-what-is-the-best-kind-of-face-mask(https://www.bbc.com/future/article/20200504-coronavirus-what-is-the-best-kind-of-face-mask))と斎藤環「人は人と出会うべきなのか」(2020/5/30)(https://note.com/tamakisaito/n/n23fc9a4fefec(https://note.com/tamakisaito/n/n23fc9a4fefec))を読んだ。斎藤環のやつは「あとで読む」ノートにメモしてあったのをなんとなく読んだが、これはいぜんにもいちど読んだものだった。ほか、ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)の書抜きも終了。また、めずらしく新聞を部屋に持ってきて何記事か読んだ。六面にサンジャイ・スブラマニヤムというインド出身の歴史家(いま六〇歳で、オックスフォードやコレージュ・ド・フランスの教授をつとめたらしい――コレージュ・ド・フランスといわれると、無条件で尊敬の念をおぼえてしまう)へのインタビュー。モディ政権のヒンドゥー至上主義などについて語っているので読みたかったのだ。ヒンドゥー至上主義は古代インドを神話的に理想化しているらしいのだが(いぜんThe New Inquiryで読んだ記事でも、テレビドラマとして翻案された『ラーマーヤナ』がその人気に寄与したり、なまえをわすれたがヒンドゥー至上主義の中心人物である政治家がその主人公であるラーマ王子に扮して街宣をおこなったり、じっさいにこの伝説の舞台だったとみなした地のイスラーム寺院を破壊してヒンドゥー教の寺院に建て替えたりといったことが起こっていると読んだ)、この学者によれば、英国の植民地支配によってインドが「歴史の断絶」をこうむったのが一因にあるようだ。「古代インドは歴史をサンスクリット語ペルシャ語で記していた」のだが、「英国はそれを「神話・空言」と断じ、インド社会に歴史の概念はないと決めつけた」と。その結果、大衆レベルで「劣等感、その裏腹の過激な民族主義」、そして「歴史の忘却」と「西洋に対する遺恨」が起こり、「ありもしない理想郷の再生を掲げるインド人民党が支持される社会心理」が整備されることになったと。またイギリスか! とおもった。またというか、パレスチナのことをかんがえているに過ぎないのだが、土着のものをじぶんたちよりも劣った非合理なものと決めつけて排除したり利用したりする糞みたいに傲慢な西洋中心主義とオリエンタリズムのせいでいまのインドがこうなってしまったのだ、とおもって反感をおぼえたのだった。とはいえあくまでそれは一因のはずで、イギリスのせいで、と短絡的な物言いをするのは誤りだろう。ちなみにこのひとの兄はインドの外相であるジャイシャンカルというひとらしく、兄はとうぜんインド人民党の党員であり、したがってヒンドゥー至上主義を奉じているはずだが、スブラマニヤム氏自身は、「一つの文化に素直に向き合えば、それが様々な文化の混交の結果であると見えてくるものです」という至言ではなしをしめくくっている。
  • ほかのニュースではニカラグアの大統領選にまつわるはなしをメモしておきたい。一九七九年に親米独裁政権を倒した革命の立役者だったというダニエル・オルテガ大統領が通算五度目の再選を果たすのが確実らしいのだが、この大統領が独裁色をつよめていて、野党候補やその関係者を弾圧し、立候補をみとめなかったり逮捕拘束したりしているという。九〇年にオルテガはいちどやぶれて、ビオレタ・チャモロという女性が大統領をつとめており、その娘が今回野党統一候補として出馬する動きがあったのだが、マネーロンダリング容疑で逮捕されたと。彼女の弟であるジャーナリストのカルロス・チャモロは隣国コスタリカに逃げ、おなじように弾圧をのがれた野党関係者やジャーナリストが首都サンホセにあつまっているらしい。親米独裁政権を倒したわけなのでオルテガはとうぜん反米であり、米国側も今回の選挙についても非難するとともにいぜんから制裁を課しているらしい。八五年にはレーガン政権の支援を受けた反政府ゲリラ(コントラ)との内戦が激化したと記事付属の年表に記されてあるが、ゲームボーイだかスーファミだかファミコンだかで出ていた『コントラ』というアクションゲームはこの名をもとにしたものだったはず。むかし家にソフトがあったはずで、ちょっとだけやった記憶がある。
  • 書評面では入り口で仲野徹が北里柴三郎の功績を紹介していた(ミネルヴァ書房の伝記シリーズの一冊である福田眞人北里柴三郎』がとりあげられている)。本欄からは塩田純一『アルフレッド・ウォリス 海を描きつづけた船乗り画家』という本が目に留まった。イングランド南西部セント・アイヴスの画家で、船乗りや中古船具店をやって生き、妻に先立たれたあと七〇歳から独学で絵をはじめたひとだという。紹介文を読むかぎり、良さそう。こういう、非正規的な領域でひたすらコツコツやってるアマチュア、みたいな人間にはどうしても興味をおぼえる。じぶんをそういう人種だとみなしているからだろう。
  • 日曜版の絵を紹介しているシリーズ記事では、芹沢銈介「ばんどり図四曲屏風」というやつがとりあげられていた。人間国宝に認定された染色家で、柳宗悦民藝運動に共鳴して行動をともにし、東北や地方の民芸品に注目したいっぽうで、もともとデザインをやっていた時期もあったらしく、あざやかな色使いのモダンな作品もつくったという。