2021/12/3, Fri.

 このことから言えるのは、メディアとは物理的、化学的、あるいは物質的に定義できるようなものではなくて、〈メッセージ〉や〈情報〉を運ぶために記号を帯びた状態が成立していることを指して、「メディア」と呼ばれている。つまり、メディアが成立するためには、記号の次元が関与しているということが必要条件だ、ということになります。
 メディアとは物質的なものが記号活動を支える媒質と化した状態だというわけです。同じ自然現象でも、たとえば風は、それを空気の熱力学的な運動と捉えるとすれば物理現象ということになりますが、春を告げに来るメッセージの運び手と捉えれば、風もまたメディアであるということもいえるわけです。同様に、ブラウン管に光のビームの筋が流れているだけでは、それは物理的・光学的な発光現象ですが、走査線の光が映像記号を運ぶ機能をもった瞬間から、ブラウン管は「テレビ画面」というメディアとして成立したということになります。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、196)



  • きょうの朝は二回地震があったらしく、そのどちらかで目を覚まして寝床のなかで揺れをかんじた。六時半ごろに山梨で、九時半ごろに和歌山で起こり、そのどちらも震度五程度だったという。ここ二日三日、ずいぶん大地のうごきが活発ではないか。正式に覚醒したのは一〇時で、天気はきょうもまた雲なくすっきりした快晴だった。深呼吸したりこめかみを揉んだりしながらながくとどまり、一一時で起床。からだのかるさはまあまあ。水場に行ってきて瞑想をした。できるだけながくすわるという念をこころにつづけ、三三分ほど。『正法眼蔵』ほか、道元の著作を読みたい。
  • 上階へ。昨晩の夕食時に、祖母が(……)の病院のほうにもどり、ばあいによってはもともといた「(……)」というホームにはもどれないかもしれないので、医療体制のととのったべつの施設をさがさなければならないかもしれない、というはなしがあったが、それで父親はきょう、祖母の移動のために山梨にむかった。きょうだいらと食事もするらしい。祖母の状態というのはこまかいことはよくわからないのだが、からだのなかがあちこちもうがたがきていてぼろぼろみたいなかんじだとおもわれ、それで手術もできないので、今回血栓ができたかなにかで足が痛くなったらしいのだけれど、それも薬でどうにかするしかないということだった。ジャージにきがえてハムエッグを焼き、食事。新聞にはヘイトスピーチ対策法施行から五年という記事があった。街宣がよくおこなわれていた川崎などでは法や条例(川崎市は全国でゆいいつ、ヘイトスピーチにたいする停止命令を無視したばあいの刑事罰を条例に制定している)によって、目に見える空間でのデモなどは減ったようだが、インターネット上では手口が巧妙化しており、書きこみの削除などの対策がもとめられるところだが表現の自由とのかねあいでむずかしい問題だと。Yahooは一定の基準をもうけ、AIと人力によって差別的なコメントを削除しているらしく、条例をつくった自治体でも書きこみを調査して事業者への削除をもとめるところもあるようだが、規模がちいさい役所だとそのための人員も確保しづらいと。
  • 食事を終えると皿をかたづけて風呂洗い。窓をあければもう正午をまわったのでとなりの敷地に我が家の影が見えはじめており、林を区切る石塀のうえにうつった電柱の影はほぼかたむかずまっすぐ立って、ビリビリの旗が海棲の軟体動物めいてひらひらおよぐその分身もガードレールに乗っていない。浴槽をこすって出ると白湯を持って帰室。Notionを用意。それからここまで記して一時。
  • きょうも三時ごろ、もしくは電車だったら三時半すぎに労働に行かなければならず、さいしょは三時をまわってはやめにあるいていこうとおもっていたのだが、けっきょく瞑想などしているうちに時間がなくなり、電車でいいやとひるがえった。前日の記事をさっとかたづけて投稿し、洗面所に行って念入りにうがいをしたのち用を足してもどってくると一時二〇分ごろだった。臥位で『ボヴァリー夫人』を少々読んだあと、ストレッチ。合蹠と胎児のポーズを念入りにやるのがよいと再認識した。血のめぐりが格段に変わる。二時を越えて洗濯物を取りこみにいき、タオル類などたたんではこぶともどって瞑想。かなりよろしい。明晰かつしずかにすわりつづけて、じぶんではだいぶながく、ほとんど四〇分くらいやったような感覚でいたのだが、目をあけると二〇分か二五分くらいしか経っていなかったはず。その後上階に行って、マカロニをトマトソースで和えた料理をすこしだけ食べた。このとき新聞は政府の例の朝令暮改というか、オミクロン株の出現を受けて国土交通省が日本に着く国際線の予約停止を航空会社に要請したけれど、海外にいる日本人や業界の反発を受けて撤回したという件を読んだ。国交省はもともと正式に公表しておらず、斉藤鉄夫国土交通大臣公明党所属)がこの件を知ったのは一日の夕方くらいだったとか。
  • 下階にもどると(……)さんのブログをのぞきながら歯磨きし、きがえて出発へ。マスクをつけて玄関を抜ける。道を行けば南の山が淡い金色につつまれてうすあかるくかすんだすがたとなっており、何年かまえに伐採されて茂りのとぼしい面は肌色のストッキングでも貼りつけたように内実が見えず希薄化し、稜線のほうの木々が焼けつくように濃いオレンジに塗られているのばかりが目立つ。空は雲の赤子ひとつぶもないまっさらなひろがりで、水色もほとんど白とわかたれぬくらいあわく、東南の果てには夕時のまえぶれめいて紫をにおわせる靄っぽい感触がはやくもしたから浮かびだし、逆に西のさきでは家や木々にかくれたひかりのつやがグロスを乗せたように空に混ざっていた。落ち葉が左右に厚く敷かれて黄色黄緑のあかるい冬姿となった坂道は、頭上の樹冠にひかりが射しながらそれいじょうはくだってこず、キャラメル色の飴細工めいてパリパリひびきそうなこずえの葉っぱのあいだに染みた空はあくまで青い。見上げつつそのしたを行きながらふと目を落とした足もとがぼんやりとうす赤いようで、頭上たかくにかざされた葉の色がどうやらにじみ落ちて地に反映しているようすだった。
  • 最寄り駅につくとベンチに座る。すぐあとから年かさの、短髪が白くなった男性が来て、さらに妻らしき女性も追いついてじぶんの左方にならんでついていた。さいしょはふたりではなしていたが、じきに女性に電話が来たらしく、いまあいさつにまわって、これから(……)にもどるとか知らせていたが、墓参りとかいうことばも聞かれた気がするので、本家というか実家というかそういうほうの墓参に来たのだろうか。電車到着のアナウンスがはいるとさきのほうにすすみ、乗って扉際で瞑目しながら移動を待つ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路にたいした印象もない。空気はけっこう冷たく、また風もあって、坂道ではしたから吹いてきて頬をこすったし、平ら道では背に寄せてきて冷え冷えとしたが、それでもコートとスーツにつつまれた身の芯までは届かず、内は比較的あたたかい。合蹠をよくやったからだろう。帰り着いたあとにもさほどのことはない。休息してから食事に行くまえにBon Jovi『Keep The Faith』をまたながしつつ座った。六曲目から一〇曲目まで。先日と同様、べつにとくだんおもしろくはない。#7 "Dry County"はいかにもドラマチックというかんじで、後半でテンポがはやくなって長めのギターソロにはいるが、そのソロはギター小僧的な感触がつよいもので、そこそこかっこうよいところもあった(ただ、ギター小僧感がはみ出してかえってダサいぶぶんもあった)。#8 "Woman In Love"は有名な曲で似たものがあったような気がするのだが、不明。Jon Bon Joviのボーカルは暑苦しいもので、ハードロックやメタルのボーカルというのはもちろん基本的に暑苦しいわけだけれど、それにしても暑苦しく、じっさいに聞いたらめちゃくちゃ声でかいんじゃないかとおもう。八〇年代アメリカの暑苦しさというか、たとえばDavid Lee RothやJourneyなんかを類想させるかんじだ。Journeyにかんしてはボーカルもそうだけれど曲調や音楽性の面かもしれず、#10 "I Want You"でI want you I want youくりかえしているコーラスを聞くに、"Don't Stop Believin'"をおもいおこしたのだった。ながいことおもいだすことがなかったが、『Escape』は(そしてそのつぎの『Frontiers』も)中高時代、こちらはなんどもくりかえしきいたのだ。
  • 食事を取って風呂を浴びたあと、もどってくると零時半くらいだったとおもうのだが、そこからすこしだけ日記を書くとつかれてしまって横になり、休んでからまた書くつもりだったのに油断してちからつきていた。三時半に覚めてそのまま就床。