2021/12/4, Sat.

 そこで、書かれつつある言葉を読むという姿勢から、独特な幾つかの用語法がこの書物に導き入れられることになる。それは、前著『夏目漱石論』いらい一貫したものだが、実はここにおさめられた三篇の試論の方が執筆時期は早いものなので、とりわけ「安岡章太郎論」にその最初のあらわれが認められるといった方が正確だろう。その用語法とは、たとえば安岡章太郎的「作品」 [﹅8] 、あるいは藤枝静男的「存在」 [﹅7] といったものである。この場合、安岡章太郎的「作品」とは、書かれつつある言葉がこの小説家に触れることでまとう独特な言葉の表情といったもので、個々の小説に書かれていることがらから区別する意味で、「作品」と括弧つきで表記されている。こうした言葉の表情にとりわけ敏感で、それにふさわしく自分の言動を組織してゆく人物を、同じく藤枝静男的「存在」と呼び、それなりの心理なり性格なりを担わされ、多少とも作者自身に似ていないでもない作中人物や、それらが出会うことになる幾人もの副次的な人物の総体から区別している。「作家」志賀直哉 [﹅6] といった用語法は、書かれていることがらを操作する生身の個体、つまりあの白樺派の中心人物としての小説家志賀ではなく、こうした「作品」や「存在」と親しく戯れうる非人称的な言葉の体験者、すなわち書かれつつある言葉と無媒介的に接することでそのつど形成されては消滅する書き手にほかならない。それは志賀直哉その人ではなく、言(end11)葉を直接的な環境としてのみ生きる「作家」なのである。かりに志賀直哉の名前が永遠のものであるとするなら、「作家」志賀直哉は一瞬ごとの現在しか所有していない。そして読むとは、もっぱらその一瞬ごとの現在を生きようとする試みにほかならない。というのも、人は、いま、ここにある [﹅7] 言葉しか読むことができないからである。冒頭に据えられた志賀直哉論は『暗夜行路』のみを対象とした「作品論」に似た形態をおび、続く藤枝論と安岡論とは多くの小説を総体として考察する、いわゆる「作家論」的な体裁をとっているが、いま、ここにある [﹅7] 言葉しか読もうとしない姿勢は、そのいずれにも共通しているものである。もちろんこうした姿勢が「作品」や「作家」を語るにふさわしい唯一の読み方だと主張するつもりはない。それが文学にとっていかなる意味をもつかという問題については、以下におさめられた三篇の文章がとりあえずの回答となるだろう。
 (蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)、11~12; 「はじめに 読むことに向けて」)



  • 七時半ごろにいちど覚めた。そのまえに覚めてずいぶん遅い時間になってしまったとおもったようなおぼえもあったのだが、これは夢か、寝ぼけていたのかもしれない。その後、一〇時にいたって正式に覚醒。昨晩はたぶん一時前くらいから臥位になって休んでしまい、そのうちに意識もうしなって気づけば三時半、それでそのまま明かりを落として寝たからかなり眠ったはずなのだけれど、寝床で目を閉じていると意識がまだねむたいようなかんじだった。それでもさすがにそれいじょうはねむらず、深呼吸をしたりこめかみを揉んだりしてから一〇時四〇分に離床。水場に行ってきてから瞑想。瞑想前に合蹠をすこしやった。そうして三〇分座る。起きたときには頭蓋がこごっていてかたかったのだが、これで多少ほぐれた。
  • 上階へ。あいさつ。母親が台所で、古い米をつかって炒飯をつくり、また素麺を煮込んでいるところだった。洗面所にはいって髪をととのえ、食事。うえの二品にくわえてきのうのマカロニののこりも。きょうは何時からかときかれて二時とこたえると、図書館に行く用があるからおくっていくと母親が言うので、そうさせてもらうことに。父親も二時からなにか会合があるらしく、また夜にも飲み会かなにかあるようなのだが、どうもきのうだか山梨に行ったときに顔を蜂に刺されたらしく(頬のあたりを冷やしていた)、酒を飲むと腫れがひどくなるからやめたほうがいいと母親はぶつぶついう。新聞からは橋本五郎石橋湛山および二宮尊徳について述べている文を読んだ。石橋湛山内閣は二か月あまりの短命に終わったわけだが、じしんの病気が判明するやいなやすぐさま辞職を表明したそのいさぎよさがむしろ評価されると。石橋湛山は一九三一年、浜口雄幸について、「遭難」は同情できるが、そこですぐに首相をやめずに内閣と帝国議会を停滞させた罪はおおきく、死後もなお鞭打たれるべき大罪であろう、みたいなことを言っていたといい、その言をじしんのばあいにもきびしく適用させて地位にしがみつかなかったというわけで、竹内好は、ひとを裁く人間はおおいがそれとおなじ基準でじぶんを裁ける人間はきわめてすくない、と称賛していたという。ところで「遭難」というのはなんなのか、行方不明になったのか、浜口雄幸にそんなはなしあったか? とおもったところ、これは現代でいう山などで帰れなくなる遭難ではなく、たんじゅんに「難」に「遭った」という意味のようで、ようするに右翼に銃撃された事件のことを言っているのだ。石橋湛山二宮尊徳を尊敬していたらしく、学長をつとめていた立正大学の式辞でもたびたび彼のことばを引用して学生らに紹介していたという。その二宮尊徳は各地の財政をたてなおしたわけだが、そのやりかたは午前四時から午後八時まで村をまわり、肥溜めや厩まで視察して農民らの生活をこまかく把握するとともに、一〇〇年間の年貢記録を調査して適量をさだめ、資金の無利子貸付を導入し、善人の表彰などは農民じしんの選挙でやらせ、野良仕事のとちゅうで休めるように畑のそばの建物を補修する、といった調子の科学的な現場主義というべきものだったらしい。そしてしごとのあとは夜が更けるまで本を読んだ。とくに『論語』などはくりかえしなんども読んだ。石橋湛山はそういう二宮尊徳からおおいに影響を受けたらしいが、なかでも彼が大切にしていたおしえが「積小為大」というもので、ようは塵も積もれば式の、ことばにしてしまえばまことにたんじゅんでつまらないものではあるのだが、しかしそこにはたしかに人生の真理があると。二宮尊徳の高弟が記した『二宮翁夜話』なる書があるといい、その一文が引かれていたが、いわく、大事をなすためには些末な小事をおこたらず勤めることが重要で、凡人はおおくおおきなことをなそうとしながらちいさなことを見落とし、出来難いことになやみながら出来ることをおろそかにする、広大無辺な田を耕すのもそれを実現するのは鍬のひとふりひとふりである、みたいな、いかにも道徳訓っぽい内容だった。
  • ほか、オミクロン株の出現により、欧州でワクチン義務化の議論がまた活発化しているという記事もほんのすこしだけのぞき、皿洗いへ。風呂も洗う。浴槽内や、鏡のまえに突き出した物を置ける細いスペースなどをよく擦っておき、出てくると白湯を持って帰室。二時には出るのでぜんぜん時間がないが、とりあえずきょうのことをここまで記して一二時四五分をむかえた。
  • いま五日の午前一時一一分で、三日の記事を終了した。時系列順に愚直に書くことをふたたび原則としようみたいなことをこのあいだ表明して、じっさいしばらくそうしていたのだけれど、そんなことどうでもいいやという気にまたなっている。そのときどきの気分にしたがうのがいちばん。書きたいことを書けばよいのだ。FISHMANS『男達の別れ 98.12.28』をながしているのだけれど、FISHMANSはいついかなるときにきいてもかならずよろしい。きょうはひさしぶりに英文記事(Lindsay Baker, "Why embracing change is the key to a good life"(2020/10/9)(https://www.bbc.com/culture/article/20200930-why-embracing-change-is-the-key-to-a-good-life(https://www.bbc.com/culture/article/20200930-why-embracing-change-is-the-key-to-a-good-life)))を読んだ(帰宅後に休んでいるあいだ)。(……)さんがさいきん青空文庫夏目漱石を読んだりしているけれど、それもいいなとおもう。青空文庫というものがあるのだった、と。現代もそうだが近代文学も日本のものはぜんぜん読んでいないので(芥川なんて一篇も読んだことがない)、有名所をすこしずつ読んでいくのも良いかもしれない。あるいは日記。そういえば『断腸亭日乗』とかあんのかな? とおもっていま見てみたらふつうにありますわ。ただ、ぜんぜん一部。大正六年(一九一七年)から大正一〇年までしかない。のぞいてみると、ほぼ一行日記というかんじで、さいしょのうちからこうだったとは知らなかった。天気のことを簡潔に、しかしだいたい欠かさず書いている。たとえば大正一〇年を見れば元日が「くもりて寒し。雪猶降り足らぬ空模様なり。腹具合よろしからず。炉辺に机を移して旧年の稿をつぐ。深更に至り雨降る。」、二日が「雨歇まず門前年賀の客なく静間喜ふべし。夜風あり。」、次いで「朝の中薄く晴れしが午後また雨となる。炉辺執筆前日の如し。浴後独酌。早く寝に就く。」、「晴れて暖なり。銀座を歩む。」、「去年十月中起稾せし雨瀟瀟、始めて脱稿。直に浄写す。」という調子(さいごの日の「雨瀟瀟」というのは作のことなので、この日は天気に触れていないが)。
  • 帰宅後、休んでから夕食に行く前にMichael Feinberg『Hard Times』をながしつつ座った。五曲目から八曲目まで。なかなか九曲目以降に行けない。#9にRandy Breckerが客演しているのだが。#5 "Interlude - Three Flowers"はLeo Genovese(ピアノ)とMichael Feinberg(ベース)のデュオで、骨太な音のベースがたっぷり聞ける。ピアノはこのあいだ、Cecil Taylor風にぐしゃりと破綻したところがあってかっこういいみたいなことを書いたのだけれど、ぐしゃりというよりは、星型にきらきら弾け散るみたいなかんじだった。Cecil Taylor風というのはまちがっていないとおもうのだけれど、Cecil Taylorをそんなに聞いたことがないのでこれも誤ったイメージかもしれない。それに、Taylorもしくはフリーをおもわせるぶぶんはそのみじかい星型と、終盤に分厚い和音をガンガンたたいて推移していくところの二箇所くらいで、ほかはフリーまでは行かないアウトの速弾きの範囲にとどまっているが、それもかっこうよい。クロマチックを活用している気味がつよいようで、速弾きはぜんたいになめらかで締まっており、とくに星型のつぎに出てきたフレーズは半音階が多分にふくまれていると聞こえてこまかく移行する粒立ちが気持ちよかった。六曲目以降は多少トランペットを聞いたりアルトを聞いたりしつつも意識がやや曖昧化してよくおぼえていない。#8 "Lauren's Song"はエレキベースをつかってフュージョンというかスムースジャズというかそちらに寄ったかんじのスローな曲で、Derrick Hodgeとかこういうのやるよね、みたいな雰囲気。
  • 二時に母親の車に乗せてもらって勤務へ。家のそとに出て待っているあいだ、道端の日なたのなかに立ちつくしてあたりをぼけっとながめていたが、空はきょうも白っぽい淡さにひかりの満ちた一面の水色で、蜘蛛の糸の切れ端をたよって電線に引っかかっている枯れ葉のすがたがシルエットとなり、ひだりをむけば林の縁には赤っぽいオレンジや臙脂の色が緑と混ざりつつ、見上げるさきのたかいこずえは飾りつけのモールめいた橙褐色のきらめきが陽を受け入れて、それら色変わりした葉の色彩は、空間に直接絵筆で色を乗せてすっすっとすじを伸ばしたような質感だった。車内では目を閉じて心身をととのえながら到着を待つ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 夕食時、テレビには『女系家族』というドラマがかかっており、母親が口にしたなまえからすると山崎豊子原作らしく、二夜連続でやるとか。瞥見したかぎり内容は特に興味深いものではなく、死んだ当主の愛人だった女性が家にやってきて応対する女性(渡辺えり)が(たぶんあれは京都弁で? 京都あたりが舞台だったように見えたのだが)いびりまくったり、愛人の腹に子がいることが判明して愁嘆場になったりとうるさいメロドラマなのだが、その場面のしめくくりにながれはじめた音楽がラヴェルの"ボレロ"をメロディのかたちはだいたいそのままのこしながらややおどろおどろしくリハモアレンジしたやつで、それはなかなかおもしろいじゃないかとおもった。
  • 帰路の夜空は晴れ渡っており、駅で降りたときから星の粒があきらかだった。風呂をすませたあと、今夜はちからつきずに前日の記事をしあげることができて、それはよかった。蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)の書抜きもできたし。
  • 夕食時の新聞で、欧州でワクチン義務化議論がとりざたされているという記事を読んだのだけれど、たしかギリシャではもう、来年の一月だったか三月だったか、それくらいまでにワクチン接種の予約をしないと毎月一〇〇ユーロの罰金を科せられることになったのだという。ドイツもメルケル後の新首相になるオラフ・ショルツが、義務化の是非を連邦議会に諮問すると表明しており(また、現時点でも、ワクチンを接種していないひとは生活必需品をのぞく小売店の利用やレストランでの飲食が制限(というか禁止だったか?)され、また私的なあつまりへの参加すら制限されるともあった)、ほかのいくつかの国でも義務化にむけたうごきがすすんでいるようすだった。オランダなんかでは反ワクチン派のひとびとが政府への抗議を活発化させているらしい。