2021/12/6, Mon.

 『土中の庭』の冒頭で語られる父の断片的な記憶は、その背景となる田園風景のときならぬ変容ぶりによって、作品『欣求浄土』の最も美しいページをかたちづくっている。「金剛石も磨かずば」という昭憲皇太后の御歌が、「金玉」を磨く歌だと「一人合点で思いこみ」、父にその理由をただして「なによ馬鹿を言うだ」とさとされた滑稽な記憶。「しかし後々まで不合理とは知りながらも、章の脳裡には、裾の長い洋服に鍔弘の帽子をかぶった皇太后陛下が、どこかで熱心に睾丸を磨いている光景が残った」というのだが、こうした挿話が、ある時代の表情そのものを、舞台装置も小道具も作中人物もなしに一挙に浮きあがらせ、顔もなく名前も告げられぬまま言語空間を充満するに至る過程は、まことに藤枝静男独特のものである。「こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない」というさりげない一行を彼はそっと滑りこませているのだが、「書くこと」による不在と現存の尽きざる葛藤が、現在を埋めつくす匿名の言葉の有無をいわせぬ脱色作用にも、過去が可能にする遠近法の誇張された拡大作用にもさらされることなく、ただどこでもない場所(end128)に、日付も位置もなく自分を刻みつける身振りは、藤枝が、「心境小説」とも「私小説」とも違う「作品」と向いあっている事実を雄弁に語っているだろう。

 父が狐に化かされたときのことを書いておきたい [﹅7] 。

 この「書いておきたい」の一句には、生き残ったものの、そしてやがては存在しなくなるであろう自分が唯一の証人としてあった出来ごとを書き残しておこうとするときの、あの性急な使命感はいささかもみなぎっていない。また書き手の心のみにとって真実である些細な一片の思い出を、作家の筆がそれなりの起伏と陰影を帯びた絵として提示しうるのだという慎ましさにかこつけた傲慢も見当りはしない。ここにあるのは、「店の薄暗い帳場格子の中に正座して、一度鉛筆で書きつぶされた古い手帳の頁のうえに、細い面相筆をつかって再び一心に何かを墨書きしていた光景」に眺め入っていた『硝酸銀』の幼い章の姿勢と同じ身振りを読むものに強いるだけである [この一文、原文ママ] 。「章は父の背に小さい身体を圧しつけ、肩ごしに父の手元をのぞきこんでいた [﹅17] 」のだが、われわれもまた、なぜ、何のためにという書き手の内面の劇からは気の遠くなるほど距った地点にいながら、しかも「肩ごしにその手元をのぞきこむ」ようにして、ほとんど無媒介的に書くことと一体化しているのだ。(end129)
 すると、奇妙なことに、『土中の庭』の「父が狐に化かされたとき」の話に、『硝酸銀』の幼い章の「肩ごしに父をのぞき込む姿勢」がそっくりうけつがれているのに出くわすのだ。それは、潮が不意に満ちて、粗い俄雨が河辺で釣り糸をたれる父子の肩をうちはじめ、あたかも「衝動に駆りたてられた酔っ払い」のように大沙魚 [はぜ] が針にかかり始めた夕暮のことである。「突然の幸福な変化にうわずり、互いに短い叫び声をかわしながら」竿をあげていた二人は、「沙魚の狂気がピタリと止まった」瞬間、つかれはてて家路につく。空腹と睡気でふらつきながら父の後を追っていたが、「父がしゃがんで背中を向けると章は倒れこむように身体を押しつけた [﹅8] 」。

 ――何ほどかして章が眼をさましたとき、父は街道をそれた田の細道をせっせと進んでいた。父は非常に急いでいるようにみえ、章には彼が近道をとろうとしているのだと思われた。
 だが、しばらく歩くと父は不意に立ち止って
「おお、思ったより深そうだに。――父ちゃんの首を離すじゃねえによ」
 と呟いた。そして片足を踏みこむように下ろし、川を渡るような恰好 [﹅9] をしはじめた。父は籠魚籠の紐と釣竿をしっかり握った腕を重そうに持ちあげ、空いた手で章の尻を背なかに押しつけ [﹅8] 、かすかに青白く浮いた道のうえを、一歩一歩と脚を抜くようにあげて(end130)歩くのであった。章は父の首に両腕を巻き、睡気のとり切れぬ頭の隅で彼の不思議な所業を半ば訝りながら [﹅14] 、ぼんやり運ばれていった。父は、五、六歩でその架空の川 [﹅4] を渡り終えたようであった。彼は再びもとの歩調に帰って足早にすたすたと歩きはじめたのであったが、それからしばらく行ったあたりで急に身のまわりを眺めはじめ、やがてわれに帰ったような様子で首をあげて
「父ちゃんはさっきは狐に化かされたよう」
 と章に言った。

 何度繰り返し読んでも胸の異様な高まりを抑えることのできないこの部分をつい長々と引用してしまったのは、その沼の多い東海道ぞいの農村風景のなかに、大正期に入ってもなお生き伸びていた土着的反近代の相貌を捉えんとするためではもちろんない。そうではなくて、小さな身体を父の背中に圧しつけその意図も理由もわからぬまま [﹅23] 、父の不可解な所業をみまもる章の姿勢が、いまみたばかりの、正座した父が走らせる筆先きに見入っていた章の姿に酷似しているからである。さらにはまた、父の不可解な所業が、「架空の川を渡」るという仕草でもあったからだ。父は、平坦な土地の一点に、藤枝的「存在」にふさわしく不意に不可解な陥没地帯を捏造しているのだ。これまでの藤枝的彷徨に馴れ親しんできたものは、その「架空の川」としてある大地の不可思議な起伏こそが、藤枝的「作(end131)品」であることを、もはや疑うことができない。章と同じ姿勢で藤枝の手元をのぞきこんでいたわれわれは、「化かされていただかえ」という章の肯定の台詞を口にしたまま、あとは絶句するほかはないのである。藤枝静男を読むとは、この絶句を心の底でうけとめ、咀嚼し、その味覚と香りとを、幾重にも振幅しながら弱まってゆく余韻にひたることにほかならない。
 (蓮實重彦『「私小説」を読む』(講談社文芸文庫、二〇一四年/中央公論社、一九八五年)、128~132; 「藤枝静男論 分岐と彷徨」; 「Ⅲ 家系、妻、そして芸術」)



  • この日は一〇時から通話があったので八時半にアラームをしかけてあり(前夜は三時ちょうどに床についた)、それが鳴り出すまえに目覚めて鳴らないように解除したのだけれど、そのために一瞬布団を出ただけですぐさま寝床に舞い戻ってしまい、正式な起床はけっきょく九時半になったのでやれやれというところ。やはりかなり寒くなってきているので、なかなかからだの決心がつかないようだ。
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  • 出勤まではだらけてしまった。五時すぎに出発。道は寒かった。コートを着てマフラーを襟の内側にしこんでいても、つめたい風に身のうちがすこし震えた。一二月のこの時間、しかも曇天だと五時すぎでももう真っ暗で、木の間の坂にはいれば余計に視界が外縁から黒さに圧迫されるようで、頭上のこずえのさきにのぞく空もあまり見えない。帰り道にはなんともかんじないのだけれど、ずっと家内にいたあとに出てきたらいきなりもう夜だからだろう、空気がいかにも暗いという感がつきまとった。最寄り駅のホームに立ってみても、東の空はまだわかたれているとしても、西に目をふれば駅舎のわびしい明かりのむこうで空も林もわけへだてなく黒くぬりつぶされてただの暗黒となっている。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • 帰路も寒さは変わらないか、夕方よりもむしろ空気がつめたくなっているはずだが、行きよりもかえってからだがあたたかく、身のうちがふるえることもない。多少とも喋ったりうごいたりしてあたたまったか、出るまえに食べたものの消化がすすんで熱を生んだか、そういったわけだろう。行きのホームでも雨がほんのかすかに散っていて、はたらいているあいだにもすこし降ったようだったが、このころにはやんでいて濡らされずにすんだ。坂道を下りているあいだにとつぜん葉を打つ音がひびきだし、にわかに雨が降ってきたのかとおもったがそうではなくて、風にはがされた葉が茂みを落ちていくさいにほかの葉にあたって立てる音が雨音とまちがえられたようだった。