カントの挙げる趣味判断の「第三の契機」は関係のカテゴリーとかかわっている。第一批判のカテゴリー表で示される「関係」の項は「内属と自存(実体と偶有性)」「原因性と依存性(原因と結果)」「相互性(能動者と受動者のあいだの交互作用)」の三つをふくんでいる(KrV 106)。なかでも重要なのは、これまでその語だけあげてきた原因性のカテゴリーであるけれども、ここでカントが注目するのは原因 - 結果の関係ではなく、むしろ目的の関係にほかならない。
目的とは、「概念」がその概念の対象の「原因」であると見られるかぎりでの、「概念の対象」のことであり、「合目的性 Zweckmäßigkeit」とは、その概念が「客観にかんして有する原因性」である。そのような目的が考えられるばあいには、「結果の表象」の側が「結果の原因」を規定しており、したがってその表象が結果に対して先行する(KU 219f.)。――たとえば机を製作するとしよう。そのばあい机とは「どのようなものであるか」という概念が、現実につくり出される机という対象に先だっており、机の概念が机という対象に対して原因としてはたらいている。
一般に欲求能力についていうなら、欲求能力は「その能力が概念をつうじてのみ規定可能」であり、つまりなんらかの「目的の表象」に適合して行為するべく規定されうるばあいには、一箇の「意志」にほかならない。とはいえそうした表象を前提とすることがなくても、「或る客観や、(end28)なんらかのこころの状態や行為」を合目的的と呼ぶこともできる。それは私たちがそれらの根底に、なんらかの意志を想定することにより、その可能性を把握し、説明することができるばあいにほかならない。「合目的性は、それゆえに――とカントは言う――、目的を欠いても存在することができるけれども、それは、私たちがこの〔合目的性という〕形式の原因をなんらかの意志のうちに置くわけではないとはいえ、それでもこの形式の可能性を、当の形式を或る意志からみちびくことをつうじてだけ、私たちにとって把握されうるようになるばあいにかぎられる」。かくて私たちは、「なんらかの合目的性を形式にかんして [﹅7] 、この合目的性の根底に或る目的を(目的結合 nexus finalis の実質 [﹅2] として)置くことがない [﹅2] にせよすくなくとも観察することができるし、またこの合目的性を対象にそくして――反省によるほかはないにしても――みとめることができるのである」(ebd., 220)。カントによれば、趣味判断にあってはまさにこうしたことの消息がみとめられる。感知されるのは、いわば自然の匿名の技術、隠れた技巧なのである。
なぜ、目的を欠いた [﹅6] 合目的性なのか。目的は、対象が意にかなうことがその目的を根拠とするものであるならば、つねに関心をともなっている。趣味判断は関心を欠いたものでなければならないのだから、したがってその根底には「主観的目的」が存在するわけにはいかない。いっぽう「客観的目的にかんする表象」も、なんらかの意味でよい [﹅2] ものをめぐるどのような概念も、趣味判断を規定する根拠ではありえない。趣味判断とはひとえに「表象する力どうしの連関」にかか(end29)わるものにすぎないからだ。かくして「趣味判断を規定する根拠」となるものは、「対象の表象におけるいっさいの(客観的なものであれ、主観的なそれであれ)目的を欠いた主観的合目的性 [﹅13] 」であり、ことばをかえるなら「表象にあっての合目的性の形式 [﹅2] 」以外のものであることができない(vgl. 221)。趣味判断において問題となる合目的性とは、要するに、現実的な「目的結合」という実質 [﹅2] を欠落させた、合目的性という形式 [﹅5] であるにすぎない(vgl. 220)。
結論を先どりしておこう。「第三の契機から帰結する、美しいものの解明」と謳って、カントは書いている。おそらくは『判断力批判』のなかでもっとも有名な一文である。「美とはなんらかの対象の合目的性の形式であるが、それは当の合目的性が目的の表象を欠きながら、その対象について知覚されるかぎりでのことである」(236)。
この定義はよく知られているとはいえ、その内容はかならずしもわかりやすいものではなく、いわゆる第三の契機をめぐるカントの論述も、辿りやすいものとはなっていない。カントはじっさい目的を欠いた合目的性を、趣味判断をしるしづけるメルクマールとして劃定したのちに(第一一節)、あらためて趣味判断がア・プリオリなものである経緯にふれ(第一二節)、さらには趣味判断と「魅力や感動」との関係を問題としつつ(第一三、一四節)、「趣味判断は、魅力や感動が、それに対してまったく影響を与えておらず(たとえそれらが美しいものに対する適意とむすびつけられうるとしても)、したがってひとえに形式の合目的性を規定根拠として有しているばあいに、純粋(end30)な趣味判断である」(223)しだいを主張したうえで、美とは「完全性 Vollkommenheit」の一種であると主張する、当時の美学思想と対決していた(第一五節)。
(熊野純彦『カント 美と倫理とのはざまで』(講談社、二〇一七年)、28~31; 「第1章 美とは目的なき合目的性である」)
- もう一月三日なのに二九日から三一日のことはぜんぜん書いておらず、あしたからまた労働もはじまっていそがしいので、簡易的にどんどん行きたい。まいにち一定のペースや調子で書くのではなく、めんどうくさかったりやることがあったりするばあいにはそれにおうじて書くことをおもいきり削って簡略化し、日々のそうしたゆらぎをも受け容れ肯定していくようにしたい。この日は兄夫婦滞在の二日目で、午前から晩までだいたいは子どもらのあいてに追われた。起きたのは一〇時二〇分。母親がこの日までしごとで不在だったので、じぶんと兄夫婦三人の食事としてタマネギの味噌汁をつくり、目玉焼きを焼いて提供した。さくばんは、あしたは出かけて(……)に行こうかとか兄は言っていたのだが、子どもをつれてどこかに行くとなるとたいへんだし、(……)さんがいちばんたいへんだろうからかのじょが楽をできるのがいいだろうとじぶんはおもって、出かけるにしてもせいぜい川に行くくらいでいいだろうとかんがえていたのだが、兄も一夜明ければ遠出(というほどでもないが)する気はなくなったようで、けっきょく畑や川に行くだけとなった。出かけたのは三時台後半くらいだったとおもう。それまでの昼は子らのあいて。二時前くらいに、まだ日なたののこっているベランダにいっしょに出たときがあった。そこで(……)ちゃんといろいろやりとり。かのじょは子ども用化粧セットみたいなバッグを持っており、リップにグロスにマニキュアにアイシャドーとそろっていて、それをじぶんにほどこして見せてくれたのだが、また(……)くんにもやってあげていた(マニキュアはとくに嫌がられないが、アイシャドーでまぶた付近に筆をあてようとすると男児は顔をそむけて拒否するようすを見せるのだった)。西空に太陽がまだ出ていてまぶしく、とはいえ日なたの厚みは次第に減じつつあって空気はつめたかったのだが、(……)ちゃんはちいさな懐中電灯を持っており(ほかに化粧バッグや、真っ青なミニチュアの車や、あと何品かをあつめて、「探検」に行く準備ができたと言っていた)、それをつけて太陽にむければ太陽がまぶしがってどこかに行ってしまう、というようなことを口にした。じゃあ太陽がいなくなっちゃったらどうなるの? 暗くなっちゃうじゃん、ときいてみると、しかしかのじょのかんがえではそういうわけではないようだった。そうなのね、と笑う。おもしろい。なるほど、そういうおとなからすれば幻想的と言われたり合理からはずれていると見えるような特有の論理があるわけね、とおもったのだが、だから比喩的にいえば子どもというのは正規の道をそれて獣道を行くまさしく探検者だというか、あらかじめ敷かれている道のそこここに他人には見えない分岐を発見して、おもいがけないところにいたってしまうことの名人のようなものなのだろう。世界のさなかいたるところに穴をつくりあげて、おとなたちの理性的な秩序を虫食いや歯抜けのような状態へと毀損しつつ、道などつくれるはずがない宙空を横断するトンネルを無造作に引いて、つながるはずのなかったところへ穴をつなげてしまうというか。理性にまみれきった人間主体の目からすると、そんなふうに見える。こういう子ども特有のオルタナティヴな論理として観察された例はもうひとつあって、それは川から帰ってきたあと、下階の兄の部屋でギターを弾いてあそんでいるあいだのことだった。さいしょのうちはこちらがギターを持ち、正面から子どもふたりに弦にふれさせて、ガシャガシャ音を出させてあそばせていたのだが、そのうちにふたりはベッドにうつり、椅子についたこちらはてきとうにAブルースをやっていたところ、壁に刺してある画鋲に気づいた(……)ちゃんが、それをまわしながら、いまくるくるしてるから、上手に弾けてるでしょ? と言ったのだ。つまりかのじょのなかでは、じぶんが画鋲をまわしていることが原因となってこちらの演奏の質があがっている、という論理連関が成立していたことになる。
- 川に行くまえには畑におりた。じぶんは(……)くんの手を引いてつれていくのだが、畑におりる階段は石を埋めたようなかんじであまりととのったものではないし、左右も草の生えた斜面になっていたので脇に立つこともできず、段のあいだの距離も室内のものよりもひろいので、手を持って正面から手伝うかたちになったのだけれど、なかなか苦戦した。うしろむきに下りていくじぶんのほうも踏みはずしそうであぶなかったくらいだ。畑についてからも男児のサポート。敷地のとちゅうには横に寝かせられた柱みたいな仕切りもあるし、端は溝にもなっているので、その柱のうえにのぼらせて越えるとか、溝に落ちないようにするとか、全般的にころばないようにするとか、つねに目ははなせない(それでもいちどころんだが)。絶えずちかくにつきながら、これ葉っぱだよ葉っぱ、と大根の葉に注意をうながしたり、大根を抜いている(……)ちゃんのほうを示しつつ、抜いてみる? とか声をかけた(大根はまだぜんぜんそだっておらずかなり細めなのだが、(……)ちゃんは許可を得て二本抜いており、その葉はのちほどこちらの手によって炒めものに調理された)。
- その後、川へ。この往復路でもじぶんはだいたい(……)くんの手をひいてサポート。身長の差がおおきいので、けっこう身をかたむけるような姿勢になってたいへんではある。とちゅうの裏路地で家のまえに出てしゃがみこみ、掃除をしている親子がおり(父親と息子)、子どものほうは(……)ちゃんよりすこし年上くらいと見えたのだが、とおりすぎざまにあいさつをすると、こんにちはとこたえた父親にたいして子どもが、掃除中はしゃべらないんでしょ? と疑問を言っているのが過ぎたあとにうしろから聞こえたので笑った。父親のほうはちょっと苦笑して困ったふうになっていたようだ。父親にそうルールを課されていたのかもしれないが、(……)さんがいうには、学校でそう言われてるんだね、とのこと。
- 川におりる道は舗装されておらず石がゴロゴロしていたりでこぼこしていたり、湿っていて滑りやすかったりするのでとりわけ注意をしなければならず、ゆっくりね、ちょっとずつ、とか、あぶないよ、とかほとんど絶え間なく声をかけながら下りていった(たぶんじぶんのサポートはかなり過保護なほうというか、丁寧なほうだとおもう)。河原におりて水のほうにちかづいていくと、ほとんど四時にいたってひくくなりつつもまだあかるみを空中にわたしている西陽の色をかけられて金橙色に染まった対岸の樹々のならびのすがたが川に反映しており、金のようなオレンジのようなつやめきゆらぐおなじ色が水のなかにうつりこんでひろがっているさまを見てすこし涙腺を刺激された。行きだか帰りだかにももういちど、幼児の手を引いてあるきながらちょっと涙の気配をかんじる感傷のときがあり、それはなんというか、こういう時がすぎて子どもたちが育ち、もはや子どもではなくなった未来からいまこのときをふりかえったさいにおぼえるかもしれない感傷を、仮構的に先取りした、というようなおもむきがあったようだ。じぶんが感傷をおぼえるのは時のすぎざまがなんらかのかたちでまざまざと感得される瞬間であり(そこからいわゆる「無常」の感覚も生じてくる)、それはわりと一般的な心性として共有されてもいるとおもうが、まだ生まれてもいないその「時のすぎざま」をじぶんのあたまのなかだけで勝手に生み出してしまったのだ。これがさらに拡張していけば、古井由吉がどこかで書いていたような、すでにじぶんが死んでいなくなったあとの世界を見ているような、死後の目とでもいうような感覚にもつうじるだろう。
- 帰り道の坂で犬をつれた母親と一〇歳くらいの少年に遭遇。子どもはハーフだった。数年前に橋のさきに越してきた外国人の家のひとだろうとおもわれる。我が家のまえまで来るとその少年がじっと立ちつくしながら地面を見つめており、なにかとおもえば(……)ちゃんがさきほど落として砕いた氷(バケツにためてあった水の表面が凍ったもの)がそこにあるのだった。興味をひかれているようすだったので、破片をひとつ取って、つめたいよ、さわってみ、とその子にわたし、くわえて、割っていいよ、地面におもいきり投げてみな、とすすめた。すると少年は言にしたがって右腕を肩からなんどもぐるぐるまわして、ヘリコプターのプロペラのようにいきおいをつけたので笑い、くりだされて地面に激突した氷はみごと無事にこまかく砕け散った。犬をつれた母親が、ありがとう、って、と礼を言うようすすめたのにおうじて、少年はありがと、と口にしたので、うん、と受けた。(……)ちゃんはその後、地面に落ちていた氷をひろいあげて、つよく踏んでさらにこまかな破片に砕くというあそびにしばらく熱中していた。そのうちに寒くなってきたので、じゃあもうはいる? 寒くなってきたし、入って手洗おっか、というと、かのじょはすなおにそれにしたがって玄関にむかったので、靴を脱がしてあげ、洗面所に誘導して手を洗わせた。(……)ちゃんはたぶん兄夫婦にたいしてはけっこうわがままをいうこともあるのだろうが、滞在中、こちらの言うことはだいたいどれもすなおに聞いた気がする。
- その後はまた下階に下りて兄の部屋であそんだり。外出前から(……)くんが階段をおりたがって、あぶないのでこちらがついておりたりのぼったりさせたのだが、かれはなんどもくりかえし階段を行き来したがって、兄の部屋まで行ってもしばらくするともどっていったり、のぼればまたおりたがり、おりればまたのぼりたがりというかんじだったので、何回も往復することになってたいへんだった。ずいぶん足腰のつよい、体力のある子どもだ。のぼりおりの足取りも、あまりあぶなげがなかった。さいしょは手すりにつかまらせたり、もういっぽうの手をこちらが持ったりしていたが、だんだんそれなしでもふつうに行き来できるようになったくらいだ(とはいえやはり危険ではあるので、なるべく支えるようにはしたが)。(……)ちゃんもいっしょになって競争のつもりで行き来していた。
- 外出してつかれた(……)くんは(……)さんと眠りに行き、(……)ちゃんだけが元気ではじめはこちらといっしょにまた下階に行ったりしていたのだけれど、じぶんもめちゃくちゃ疲れていてねむかったので、もうおれは寝るよと兄の部屋のベッドで休みはじめると、(……)ちゃんも上階にもどって寝室にくわわったようだった。それですこしだけ目を閉じてまどろんだ。一五分程度だったのではないか。兄と父親は鍋の材料などをもとめて買い物に行っていたのだが、母親のほうがさきに帰ってきて、それで起きて上階に行った。その後は食事の支度。といっても鍋なので野菜やらなにやらを切って水のなかに入れ、素をくわえて煮込むだけ。あと大根の葉を調理し、野菜をスライスしてサラダもこしらえ、兄にケンタッキーフライドチキンを買ってくるようたのんであったのでそれで品はOK。食卓に皿とかコップとかあたためた料理とかをはこび用意するのにも精を出した。
- そのあとにとりたてた印象はない。翌日が昼前から外出する予定だったので、それなりにはやく寝たはず。