2022/1/11, Tue.

 音の記録というと、第1章で見たエジソンフォノグラフがありますが、音の波形を機械により書き取り、分析し、再現する装置です。また、シネマトグラフ(映画)は、運動をキャメラによって書き取り、コマに分析し、映写機によって再現する装置です。これらは一九世紀から二〇世紀に一般化したアナログ・メディア技術ですが、アナログ・メディア技術の革命は、時間を瞬間の連続に「微分」し、記録し、再生するという、従来生身の人間ではできなかったような記号の処理を可能にしたのです。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、228)



  • 「読みかえし」、284番。神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、107; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第四連): 「(……)死者であることは/苦労なことであり、生きたことの後始末をするうちに、/だんだんに永遠というものの感触を/知るようになる。(……)」
  • 288番。

 結局彼らはもうわれわれを頼りにしない、若くして世を去った者たちは。
 死者は、子供が母親の乳房からおだやかに離れて成長していくように、
 地上の習慣から少しずつ離れていくのだ。けれども
 われわれ、悲しみからしばしば聖なる進歩が生まれ出るという
 大きな秘密を必要としているわれわれは、死者たちなしで存在できようか。
 かつてリノスの死を悼む際に、迸る最初の音楽が(end107)
 干からびた空間を貫いて響いたという伝説はむだなものではなかろう。
 ほとんど神々しいばかりの青年が突然永久に去って行ったあとの
 驚愕の空間においてはじめて、空虚があの
 振動に変わり、それがいまもわれわれを魅惑し、慰め、力づけている。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、107~108; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」 Die erste Elegie 、第五連)

  • 289番。

 そうではなく、現世を生きることがたいしたことだからだ。地上のもの
 すべてがどうやらわれわれを必要としているからだ。はかないものが
 奇妙なことにわれわれを、最もはかないわれわれを頼りにするからだ、
 あらゆることが一度、ただ一度だけ。一度だけで二度とない。
 そしてわれわれも一度だけ、二度とはない。
 けれどもこの一度存在したということ、たとえ一度だけであっても
 現世に存在したということは、取り消し得ないことであるらしい。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、109; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第九の悲歌」 Die neunte Elegie

  • 291番。

 天使に対してこの世界を称賛せよ、言葉で言い得ない世界をではない。
 天使に対しては、華々しい感情の成果を掲げて競い合うわけにいかない。
 宇宙空間では天使の感じ方は奥が深く、そこではきみは太刀討ちできない。
 だから天使には素朴な物を示すがよい、世代から世代にわたり形づくられ、
 われわれのものとなって生き、いつでも手に取り、視野に入れられる物を。
 天使にはそのような物を言葉で示すがよい。すると天使は目を瞠り、立ちつくすだろう、
 かつてきみがローマの綱作りやナイルのほとりの壺作りのところで見とれたように。
 天使に示すがよい、一つの物がどんなに形よく出来、けがれなく、われわれのものであり得るかを、
 嘆きを発する苦悩さえ、いかに清らかに物のかたちとなることを決意し、
 一つの物となって奉仕し、あるいは死んで物となるのを、
 そしてかなたで清らかにヴァイオリンから流れ出るのを。これら
 限りある命を生きる物たちは、きみが讃えてくれることを分かっている。
 はかない存在である物たちは、最もはかない存在であるわれわれ人間に救いの手を期待している。(end112)
 物たちの願いは、われわれが彼らを、目に見えない心の空間で
 内部へ――おお、限りなく――われわれの内部へ変容させることだ。たとえわれわれがどんなにはかない者であっても。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、112~113; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第九の悲歌」 Die neunte Elegie

  • 雨降りの日。離床は一一時。上階にあがってきがえながら窓を見たときは一時ほぼ止んでいたようだが、南の奥にある低い山のすがたが空からにじみだしたように黒くぼやけていた。序盤はいつもどおりで、特筆事もない。風呂洗いのときに窓をひらくと、道路の端に溜まった落ち葉が濡れてすこし赤味を発したようになっていた。帰室するとLINEで(……)をチェック。コメント。「読みかえし」。きょうはなんだか気持ちよく読めた。うえに引いたようにリルケの詩がおおかったわけだけれど、詩を声に出してゆっくり読むと、やはり特有の快楽がある。それでその後、古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)をあたらしく読みはじめることにした。詩に興が向いたし、古井由吉が訳した「ドゥイノの悲歌」がどんな文になっているかというのも気になったので。
  • 四時から音楽をながしつつ静止。FISHMANSの『宇宙 日本 世田谷』をスピーカーから出して座る。ヘッドフォンやイヤフォンできくよりはもちろん細部まで聞きづらいが、それでもそれなりに耳がいった。深呼吸しているうちに眠気が湧いてきたのだけれど、だからといってあたまが振れたり上体がまえや横にかたむいたりすることはなく、眠気に巻きこまれないまま二度寝とか昼寝のときのような甘美な快感がからだをくすぐって、そこに”バックビートに乗っかって”がはじまったのでそりゃ心地よかった。”WALKING IN THE RHYTHM”まで。四五分経っていた。FISHMANSの歌詞って特殊でおもしろいところもあるけれど、阿呆みたいにたんじゅんなことを歌っていることもおおく、しかしそれがはまってめちゃくちゃよくかんじられるのはなんなのか。あと、佐藤伸治の歌い方とかメロディのつけかたも、均整をとってきちんと区切ろうという作法とはまったくべつのところにいて、語りにちかいときもあり、よくこんなふうにやろうとおもったな、という箇所もたくさんみられる。
  • 五時前で上階へ。アイロン掛け。そして夕食の支度。きのうつくった味噌味の鍋風スープみたいなやつがのこっていたし、母親がナスを買ってきていたので、冷凍にあるひき肉とそれを炒めればよかろうと。はやく食べるつもりで米も磨いですぐに炊飯しておき、アイロン掛けを終えると調理した。サラダも少量つくると六時まえ。いったん室にもどってきのうの日記をすこしだけ書き、六時をすぎると食事に行ったのだが、きょうもやはりとちゅうでのこしてしまった。気持ち悪いまで行かないのだけれど、やはり受けつけないというか、からだがうごきすぎている、みたいなかんじがある。やはり胃が悪くなっているのかもしれない。母親に、夜食べるのがやっぱよくないんじゃない、といわれたが、そのとおりかもしれない。胃液が出すぎているのだろうか。心身の健康が最優先だ。からだに無理のないかたちに生活をただそう。
  • 室にかえると、昼間(……)さんから入籍報告のメールが来ていたので、それに返信がてら、ついでに(……)から来ていたメールにも返信。さらに、面倒くさくて先延ばしにしていた携帯変更の通知をここでやってしまうことに。さきのふたりにくわえて、(……)と(……)におくっておき、(……)くんと(……)さんにはパソコンでgmailのほうから送っておいた。アドレス変更を知らせておくほどのあいては、それでほぼ尽きるのではないか? しかしいがいと時間がかかって、八時くらいになった。その後、FISHMANSの『男達の別れ』をイヤフォンでながしつつきのうの記事を書き、きょうのこともつづった。やはり腹のなかがなんとなく悪いかんじでうっすらとした疲労感があるので、ちからを抜き、無理せず軽く。
  • その後はこともなし。風呂を出てきた夜半すぎからはベッドに休みつつだらだらした。はやめに寝ようとおもっていたはずが、かえって夜ふかししてしまい、五時半。やばい。はじめのうち、Tim Whewell, “Germany and Namibia: What's the right price to pay for genocide?”(2021/4/1)(https://www.bbc.com/news/stories-56583994(https://www.bbc.com/news/stories-56583994))を読んでいたが、しだいに文字を読むのがつらくなるようなかんじがあったので、その後はウェブをまわって無為に過ごした。腹のなかは当初、やはりうすくひりつくような感覚だったのだけれど、ある時点をさかいになぜかすっきりとかるくなっておちついた。とはいえまだ慎重に接したほうがよいだろう。