2022/1/12, Wed.

 二〇世紀の末からはIT(情報技術)といわれるように、デジタル技術革命も起こってきました。これもまた大きなもうひとつの革命です。映画や音声の運動を分割して記録するということがアナログ技術によって可能になったとすれば、デジタル技術は、そうした要素を「計算可能」なものに変換することを可能にしました。計算可能なものに変換することによって、すべてを数量化する、そして、統一的な計算のフォーマットで扱うことができるようになります。またさらに、そのようなデジタル化の処理によって、一度も聴かれたことがない音、一度も現実には知覚されたことがない映像を作り出す、合成するというようなことも可能になります。これが「ヴァーチャル・リアリティ」と呼ばれるものです。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、229)



  • 作: 「陽が没すようにすべても沈みゆく絶対無辺の海の平和に」
  • 一一時四〇分と遅い離床。瞑想をおこなった。座って目を閉じているさいちゅう、鳩尾とへそのあいだあたりの奥がうずくようなかんじがあって、それでやはり胃がすこし悪くなっているのだなとわかった。明確な痛みというほどではないが、じりじりしたり、ちりちりとひりつくようなかんじがこまかくあった。不安の細片もまったくないではない。ストレスや不安は胃の感触に出やすいが、その逆もしかりで、胃がわるくなればそこから不安に通ずる道はちかい。
  • とはいえ瞑想をして無動にとどまっていればやはりからだはまとまってきて、全体的になめらかで軽い質感になるので苦しみはしない。この日はもう食事のとちゅうでものが食べられないということもなく、三度ともふつうに食べた。夕食時にはまだたしょう、反発感が生じないでもなかったが。出勤前にもういちど瞑想をおこなったがそうすると心身が軽くて労働時もうごきやすかったりおちついてできたりするので、やはり一日のうちでなにもしない時間をおりに取ったほうがいいなとおもった。
  • 出るまではいつもどおり、「読みかえし」を読んだり、洗濯物をかたづけたり。出るまえに書見はできず、授業の予習につかった。出発は三時。玄関を出ると脇に置かれてある宅配ボックスに荷物がはいっているようだったので見れば、おおきめの段ボール箱で母親がまたなにか買ったらしい。玄関内にはこび入れておいたが、のちほど帰ってきたあとに毛布だと判明した(そのときなぜか台所の床のうえに置かれて中身が出かかった状態であり、はいれないように道をふさぐようなかたちになっていた)。天気は好い。家を出てすぐ、まえから二人連れが来て、ひとりはベビーカーを押した比較的若いほうの女性と見てもうひとりをよく見ず過ぎようとしたら、こんにちはと声をかけられて(……)さんの奥さんだとわかった。娘さんが孫を連れてきているのか。あいさつをかえしてすすみ、坂にはいると、一月のまんなかもちかくて先日より日なたのひろがりがさきまではいりこんでななめに切られながらもおおくのこっているように見えた。空はまったくの快晴、水色のほかに映っているものといって出のはやい月の欠けたうす白い影しかない。坂道の終わりもちかいところでまえから小学生の男児がふたり連れ立ってきて、うえが三、四年、したはまた一、二年程度と見えたが、年上の子がまだ距離もあるうちからこんにちはー! と元気に声をほうってきたのであいさつを返した。どこの子かわからないが、うちのしたでにぎやかにしているなかのひとりではないか。ふたりはガードレールのきわに寄って市街のほうをみはらしながら、あっちに町がみえるね、建物がみえるね、などと言っていた。
  • 起きたときのかんじでは気温がかなり高くて温かい晴れ日と見たのだが、そとに出てあるいてみればやはり手は冷える。バッグの持ち手のなかに手首をとおし、コートのポケットに両手ともつっこみながらゆるゆるあるく。きょうはなんだか妙に人出がおおいな、若いすがたも目につくなとおもっていたところ、市街にちかくなって「(……)」をやっているのだと判明した。裏路地まで香ばしいにおいもただよってきて、屋台もいくらか出ていたようだ。日取りとしては平日水曜のはずだが、中学高校生のみならず、若い夫婦の子供連れや、学生は越えたとおもわれるくらいの若者なんかもけっこうみられた。
  • まだ駅からとおい裏通りを行くとちゅう、右に空き地がひらいてひだりはおおきな家の白塀になる一画で陽射しが道にひろがって、足もとにころがった小さ石のおのおのがゆびさきほどの影をもらし、こちらのすがたも塀のうえにうつしだされて顔の縁から眼鏡をつきだし、空は果てまでにごりも雲の露も変化もみられずあさましいほどに晴れ渡っていた。道端のどこかからヒヨドリが飛び立ってすこし先の電線上におちついて、見上げつつすぎればずいぶんまるまるとふくれたような、ほとんど四角いくらいにおおきな一羽だった。
  • 駅前もふだんよりそこそこにぎやか。職場へ行って鍵をあけ、準備。(……)
  • (……)
  • (……)
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  • 八時五〇分ごろ退勤。駅にはいって乗車し、瞑目に休む。最寄りからの帰路はやはりけっこう寒く、気づけば足がおのずとはやまっているような具合。空は晴れて高くちいさな月や星の散らばりが樹冠のしたの坂道からも明瞭にのぞき、マスクをつけた顔に眼鏡がくもって街灯が孔雀色の多彩円光をひろげていた。帰ると休んで、食事に行くまえに瞑想。六一年のBill Evans Trioのディスク2をともなった。夕食は昼間食べなかったハムと菜っ葉の炒めものとか、きのうのナスとひき肉のあまりとか。いまの胃にとってはすこし多かったが問題なく食べ、部屋にもどって白湯を飲んだ。(……)が熱を出したというのでお大事にのメッセージを送っておいた。
  • 作(23:19): 「過去が来るすべてあつまるいま顔をなくした夜は死者のしずけさ」
  • 作: 「予知夢にはまどわされない荒野では信を欠いたら命取りだぜ」