昔から戦争とは国と国との戦いだと言えばいえますが、近代の戦争が「国家間戦争」であるというときには、明確な二つの要件があります。ひとつは、これが「主権国家」どうしの戦争だということです。言い換えれば、戦争をする権利は主権国家にしかないという(end247)ことです。これは、じつはその前の時代のヨーロッパにおける宗教戦争の惨禍を踏まえているわけですね。宗教戦争はプロテスタントの登場によるキリスト教世界の分裂を背景に、それぞれの側についた王や皇帝や諸侯たちが入り乱れて戦った戦争です。その時代は権力がそのように分散していました。一七世紀の前半に、ヨーロッパ全体を巻き込む三十年戦争が起こりましたが、この混乱の後でヨーロッパは、戦争をしうるのは主権国家だけであるという体制を作ったのです。
そして、神を掲げて戦争するとか、あるいは何らかの正義を掲げて戦争するのではなく、利害が衝突するなら戦争があってもしかたがない、ただし、相互の力を考えてそのつもりで適当にやりなさいというようなことで、戦争のルールというものを形式的に決めたわけです。
よく「正しい戦争」という言い方がありますけれども、それはこの時代には「正義の戦争」ということではなくて、権利のある国どうしの正当な戦争ということなんですね。これが主権国家体制のもとでの戦争ということで、これが国家間関係つまり国際関係の秩序ということです。この体制が三十年戦争を終わらせたウェストファリア条約によって決定されたので、「ウェストファリア体制」と呼ばれているわけです。それがひとつの要点です。
(石田英敬『現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、247~248; 西谷修)
- 作: 「一〇月に結婚した子鳥の歌きれいな水と母の夕凪」
- 作: 「醒めかけた夢のつづきをまもるためお前を殺して犬を飼いたい」
- この日は四時半ごろから一〇時過ぎまで労働。起床は一一時まえとややおそくなった。瞑想はじっくりおこない、三七分くらい座っていた。上階にあがって飯を用意しようとしたところで階下の父親が、お母さんが「(……)」で寿司買ってくるって、と知らせてきた。しかしきのうのケンタッキーフライドチキンもある(胃をおもんぱかって昨晩は食わなかった)。それにいまの胃の状態で寿司なんていう脂もおおく栄養価も高いものを食うのも気後れしたのだが、まあいちおう待つかというわけでさきに洗面所で髪をととのえたり風呂を洗ったりした。それで白湯を持っていったん室に帰り、コンピューターを用意していたが、正午も越えたしべつに寿司じゃなくてもいいしもうさっさと食ってしまおうとまたうえに行き、汁物のあまりとかケンタッキーとかを支度して卓についたところで母親が帰宅した。電子レンジで加熱したケンタッキーはラップをかけて冷蔵庫に入れておくことに。腹があまりよくないのですこしでいいと言って寿司は海鮮丼を半分だけもらった。また、台所に自家製の大根が一本あったので、大根おろしを食えばいいではないかとおもって食事中にすりおろして腹に入れたが、これがじっさい効くようで、その後時間がたつと、腹のなかがすっきりしてからだも安定するようだった。それでもう平常のかんじだったので、あとで出勤前にエネルギーを補給するときにはけっきょく握りの寿司を数貫食べた。
- 出勤まではたいしたこともなし。いつもどおり「読みかえし」ノートや本を読み、瞑想もふたたびした。母親がおくっていこうかというがことわり、寿司を食ったら腸がけっこううごくかんじがあったのでトイレにはいって糞をすこし排出し、四時一〇分に出発。あまり時間に余裕がなかったのですこしだけ急いであるく。坂道をのぼっていると右手ののり面のうえ、木立ちのあいだに落ち葉が敷きつめられているところでしきりにガサガサ音が立って、なにか動物がいるようだったが鳥なのかほかのものなのかすがたを見分けられなかった。最寄り駅につくと先頭のほうにいき、来た電車に乗車。扉際で立ったまま目を閉じて到着を待った。
- 職場へ。駅を出て裏通りのほうに目をやると、マンションがふたつ、ひとつは中途から、もうひとつはしたのほうまで撫でおろすように、ごく淡い残り陽をかけられてほのかな陰陽を生んでいた。勤務。(……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)
- (……)一〇時二〇分に退勤。駅にはいり、きょうは待合室にははいらずベンチでつめたい夜気に触れられながら待った。ちょっと息をついてから古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)をバッグから取り出して読みはじめたが、いくらも行かないうちに電車は来る。乗れば座って目を閉じたままじっとして回復をはかる。最寄りからの帰路はやはりどうしたって寒かった。夜空は晴れて星々が木の間からでもよく見える。
- 帰宅。父親は(……)で飲み会。帰室して休んだあと、瞑想をしているさいちゅうに帰ってきて、ベロベロに酔っ払っているようでドスドスうるさい足音を立てたり、なんとか独り言をつぶやきながら階段をくだって寝室に下がったようだったが、そこに母親が水を持っていったりしつつ声をかけているようすが聞こえてきて、さらにちょっとするとなにかにぶつかるようなおおきな音が二度したあと、嘔吐のうめきが伝わってきた。そこにまた母親が水とタオルを持っていきながら文句を言っている声が聞こえて、どうもトイレで吐いているらしかった。六四だかそのくらいにもなってなにをやってんのかね、と軽蔑しながら瞑想をつづけたが、いぜんほどの嫌悪感はおぼえなかった。零時前で切りをつけて食事にむかうため部屋を出ると、まだトイレでしゃがんで便器にむかって吐いており、とびらをあけたまえに母親が立って、もうこれに懲りてこういうことは二度とやらないと誓ってください、とか言い、父親は吐きながらはいはいとか言っていたが、まるでくだらない、阿呆みたいなはなしだ。おかえりとちいさくかけたのみで上階に行って食事。ケンタッキーのあまりなど。その後あがってきた母親が炬燵について文句を垂れるのに今回はさすがに同じて、いったいなにをやってんのかね、などと軽蔑をもらす。母親は、オミクロン株が拡大してきているこのいまに飲み会をやったことがそもそも心配なようすで、さすがに我が家のほうまではまだはいってきていないとおもいたいが((……)もすでに毎日新規感染者が増えているが、三人とか五人程度である。とはいえ、きょう(一六日に)新聞を見たところでは、この一五日の新規感染は一気に二〇人ほどまで跳ね上がっていた)、正当な懸念ではあるだろう。いっしょに飲んでいた仲間とか、会をひらいたひとに、言ってやりたいね、と母親はもらしていた。こちらは仮に父親がじっさいに飲み会に行ったことで感染をしたとしてもグチグチ文句を言う気はないし、そこからじぶんにうつったとしてべつにかまいはしないし、それで死んだとしても恨み言を述べるつもりもない。戦犯探しとか責任の押しつけみたいなことはそれはそれでまるでくだらないとおもうし、たんじゅんなはなし父親がどこでなにをしようがどうでもいいというか、興味がなく、好きにすればいいとおもっているが、もし仮に、行かないことや中止することも容易だったはずの飲み会の場で感染したということがたしかにわかったとしたら、とうぜんながら父親じしんがおのれの行動の意味をきちんと受け止め、みとめて理解しなければならないだろうとはおもう。それにしても、世の多数派ではないかもしれないが、すくなくはないだろう家庭の夫がこういうかんじで、ときに(あるいは頻繁に)酒に溺れて正体不明の状態で帰ってきては、そのたび妻に世話をしてもらったり介抱してもらったりという事態が、人間の歴史上数限りなく、いままでずっと繰り返されてきたわけだ。そのなかには死ぬまでそういうことをつづけて、何度も何度もおなじことを繰り返す人間もいただろうし、いまもいるだろう。そのことをかんがえると、ほんとうにくだらないなとおもった。酒を飲まないし飲んだこともほぼない人種なので(ちょうど二〇歳くらいから精神安定剤を飲んでいたために禁じられていた)、じっさい飲んだときのことがわからないしフェアではないかもしれないが、そういうひとびとは酒を飲むのが好きなのではなくて、日常的な理性の重荷に堪えられずにそれを捨てたいだけなのではないか? とおもってしまう。生きているだけでだれもストレスは多いし、いまのような状況だと余計にそうだから、致し方ないのかもしれないが。理性とは合理とは良識ある市民性とは苦なのだ、と、啓蒙主義にはその点の考察が足りなかったのではないか(じっさいには考察しているのかもしれないが)。