2022/1/14, Fri.

 それともうひとつ、これはきわめて大事なことなのですけれども、同じ「戦争」といっても、たとえば政治的な論議の中でよく出てくるような、「戦争をする」という文脈で使われるときの「戦争」というものと、それから、じっさい「戦争はいやだ」と人が言うときの「戦争」というものですね、これがどう違うかということです。
 「戦争をする」というときは、戦争は人間あるいは人間の集団のする行為とみなされています。ひとつの行為であったり、あるいは行為の目的であったりする。その場合は、「ビルを建てる」とか、「旅行を計画する」とか、そのような行為と同じような姿勢で「戦争」に向かっているわけです。つまり「戦争」という語は、主体の能動的活動の直接目的補語として、「ビルを建てる」とか「旅行を計画する」と同じように、主体の意志的活動にかかわる言表であるということになります。(end240)
 ところが、じっさい「戦争が起こって」みると、つまり「戦争になって」みると、人々は何かを作るようにして戦争にかかわるのではなく、多くの人は戦争の中にのみ込まれるわけです。そして否応なく戦争を経験として生きることになる。その場合には、人は何かを作る主体として戦争にかかわるのではなくて、むしろ主体として動けない、あるいは、すべて状況に規定されてしか動けない。つまり、まったく受動的に、そこに投げ込まれてその状態を生きざるをえない、というような状況に置かれてしまいます。「戦争はいやだ」は、そのように、状況の中に受動的に投げ出された存在にかかわる言表なのです。
 だから、「戦争」というときに、「戦争をしよう」とか、「戦争ができる」という、そういう発想から戦争を語るのと、「戦争はいやだ」、「戦争にしたくない」という立場で語るときとでは、イメージされている戦争、あるいは戦争へのかかわり方というのがぜんぜん違うということです。
 前者の方、つまり「戦争をする」と言う場合は、戦争が何かコントロールできる行為であるというふうに考えている。他方の側では、戦争はまったく違ったふうに想定されているわけです。現代の戦争では、戦争の主体というのは国家ですから、国家が「戦争をする」と言ったら、国民はすべて協力しなくてはいけないことになります。そしてあるとき突然、召集令状が来て、そしたら自分のそれまでの生活はたちまち中断されて、問答無用でその戦争に動員されていく。そして動員されたら、そこでは「敵」とされたものを破壊(end241)し、殺さなくてはいけない。そうでなくとも、物資は欠乏し、爆弾は落ちてくる。そういう状況としての戦争の中では、個人の意思だとか自由だとか、そういったものはもはや一切意味がなくなります。個々の人間はもはや何ものでもなくなる。そういう意味では、戦争は個に対する全体の圧倒的優位という状況です。個々の人間は「戦争」の「主体」にはなれない。戦争の主体は集団や国家であって、個々の人間は「戦争」によって作り出されたそういう状況に、受け身に投げ出されるしかないということです。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、240~242; 西谷修



  • 一〇時まえに覚め、布団のしたでもぞもぞしながら背中をやわらげたりして、一〇時二〇分にいたるまえに離床。晴れた空気の質感からして、かなりあたたかい日という印象だった。水場に行ってきてから瞑想。やはり非能動性のそれがいいなと回帰している。ちょうど三〇分ほど座った。ただじっと座っていればなんだってよいので、胡座のままながくじっとしていられるようにやるまえにふくらはぎとか太ももの内側(とくに膝にちかいほう)を揉んでおくのがよい。
  • 上階へ行き、食事はきのうのあまりもの。煮サバを食べきれずのこしたのでそれと、鍋の素で味をつけた雑多な具のスープ。あとサラダも。すくなめにしておいたほうがいいだろうと米や汁物の量をいつもより減らした。一五日の午前一時現在、胃や腹のかんじはもうほぼ平常なのだが、それでも食べているとちゅうや直後にはすこしピリピリするようでもあるし、それがかんじられなくなったとしてもたぶんじぶんはもともと胃があまりよくないほうだとおもうので、油断せずしばらく慎重に行ったほうがいいとおもっている。新聞は一面に三度目のワクチン接種開始を前倒しするとの報。医療従事者や高齢者をのぞいた一般のひとや職域接種を二か月はやめて三月からはじめる方針だと。厚労省は四月までで八五〇〇万回分のワクチンを配布する予定で、それで三度目を受けるひとのうち八五パーセントだという。医療従事者やいちぶ施設高齢者などにたいしてはもう接種がはじまっているらしい。また、濃厚接触者の自宅や施設における待機期間を一四日から十日以下に減らす方針とも。オミクロン株はどうやら潜伏期間がみじかいようだという情報にもとづくもので(沖縄での感染者を調べたところ、(平均して? そもそも何人分調べたのかも書かれていなかったのだが)三日間だったという)、医療従事者やいわゆるエッセンシャル・ワーカーのあいだに感染がひろがり、濃厚接触者も急増して待機のひとが増えると医療や国民生活が立ち行かなくなるという危惧による判断。専門家会議が一三日に会合をひらきつつ結論にはいたらなかったというが、十日以下か七日間かあたりで検討しているらしい。
  • いつもどおり風呂を洗うと白湯を持って帰室。「読みかえし」。301から311まで。リルケの詩、「オルフォイスによせるソネット」など。一二時台後半まで。それからきのうのことを書き足して投稿すると一時二〇分くらいだったとおもう。きょうは三時には出る必要があった。外出前に瞑想ももういちどしておきたかったので、そうすると二〇分か三〇分はいる。二時まで本を読みつつ脚をほぐして、洗濯物を入れて瞑想、豆腐かなにかわずかだけさっと食って身支度して三時過ぎには出る、という見通しを立てた。それでベッドに転がって書見。古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)。一六章以下、「ドゥイノ・エレギー訳文」のパートにはいった。「読みかえし」でも読んでいる神品芳夫の訳とはおおきくちがう箇所があることに気づいた。第一歌の第三連である。まず神品芳夫訳を引く。

 声がする、声が。聞け、わが心よ、かつては
 聖者たちだけがした聞き方で。むかし巨大な叫びが
 耳傾ける聖者たちを地面から持ち上げた。ところが彼らは、
 おどろいたことに、ひざまずいたままそのことに気づかなかった。
 それほどに彼らは一心不乱に聞いていた。神の声に耐えるように
 というのではない。けれども、風となって吹くものを聞け、
 静かさから生じてくる絶え間ない知らせを聞け。(end105)
 その知らせが、いまあの若い死者たちからきみのところへ吹き寄せる。
 どこであれ、きみが足を踏み入れた、たとえばローマやナポリの教会で、
 若い死者たちの運命がきみに語りかけてこなかったか。
 あるいはさきごろサンタ・マリア・フォルモサ寺院であったように、
 一つの碑銘がけだかくきみに要請をすることがあっただろう。
 彼らはわたしに何を望むのか。彼らの霊たちの純粋な動きを
 ときおりいくらか妨げていることがあるという
 不正の印象を取り除いてくれというのだ。

 (神品芳夫訳『リルケ詩集』(土曜美術社出版販売/新・世界現代史文庫10、二〇〇九年)、105~106; 『ドゥイノの悲歌』 Duineser Elegien より; 「第一の悲歌」、第三連)

  • つぎに古井由吉が「散文」として訳しくだした文。

 声がする。呼んでいる。聞け、私の心よ、かつて聖者たちが聞いた、せめてそのように。聖者たちは巨大な呼び声を耳にして地から跳ね起きた。しかしかの女人たちは、信じ難きあの者たちは、ひきつづき跪いたきり、耳にも留めずにいた。そのようにして、聞く者であったのだ。お前が神の、声に堪える、と言うのではない。到底堪えられるものではない。しかし、風と吹き寄せるもの、静まりから形造られる不断の音信を聞き取れ。かの若き死者たちからいまやさざめきがお前のもとまで伝わる。どこへ足を踏み入れようと、ローマの寺からもナポリの寺からも、彼女たちの運命が静かに語りかけはしなかったか。(end165)あるいは気高き墓碑銘が何かを託しはしなかったか。先頃には聖マリア・フォルモサの碑文が。あの女たちは何事を私にもとめているのか。霊の純粋な動きを時にすこしばかり妨げる、誤解の外観をひそかに拭い取ってほしいとの心に違いない。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、165~166)

  • 読んでいてまず記憶とのちがいにひっかかったのは「かつて聖者たちが聞いた、せめてそのように」のぶぶんで、ここは神品訳だと「聖者たちだけがした聞き方で」となっている。「せめて」と「だけ」のちがい、またそのかかるさきもちがっているのだが、おもうにこれはおそらく、英語でいうところのonlyにあたる語のむかうさきで解釈がわかれているのではないか。これは一見些末でちいさなちがいなのだが、直後にあらわれるよりおおきな差異、この連の中核的な解釈にかかわるちがいにつながっている。つまり、神品訳で言って「むかし巨大な叫びが/耳傾ける聖者たちを地面から持ち上げた。ところが彼らは、/おどろいたことに、ひざまずいたままそのことに気づかなかった」の箇所のことで、ここで「彼ら」とされていることばを古井由吉は「かの女人たち」と解している。この「女人たち」とはそのまえの第二連で語られた「愛を生きた女たち」(古井訳)、すなわち愛の成就をえることなく男に去られ捨てられた女たちのことを指しているのだが(かのじょらはそして、愛を成就させた女性らよりもその情熱がおおきくつよいとして称賛の対象にされている)、古井由吉が、おそらく英語でいうtheyにあたる代名詞だろう語において「かの女人たち」を導入するには、聴取の命令は、「せめて」聖者たちのように、といわれなければならなかったはずである。ひざまずいた聴取の姿勢で「信じ難き」不動性を示す女性たちは、ここではその程度のはなはだしさにおいて聖者たちを超える専心者として描かれているわけだけれど、「聖者たちだけがした聞き方」をのぞましい聴取のモデルとして提示したばあい、かれらとかのじょらを段階的にわけるわけにはいかないからである。「聖者たちだけ」と言うかぎり、おどろくべき専心をしめして微動だにしなかったのはかれらでなければならず、そこに女性たちがはいりこんでくる余地はない。「せめて」ということばをもちいて聖者たちをいちだん下げた位置に置けば、かれらを超えておりとても真似しようのない「信じ難き」聴取者として、べつの主体、すなわち「女人たち」を呼びこむことができる。そのばあい、不動者は聖者たちであってはならないから、かれらは「地から跳ね起き」て動いてしまったことになり(古井訳)、「巨大な叫び」が動かぬかれらを「地面から持ち上げた」(神品訳)ばあいとのべつも生じる。
  • どちらの解釈がより正当なのか訳文からはもちろん判断できないし、仮に原文を読めたところで判断できない気もおおいにするけれど、個人的には女人らをふたたび登場させた古井訳のほうが第二連からのつながりも生まれ、内容面ではうまくながれるようにかんじられる。神品訳のながれだと、「あの若い死者たち」の出現がやや唐突におもえるのだ。この死者たちが「聖者たち」を受けていないとすればいったい何者なのか素性がまるでわからないし、「聖者たち」と同一だとしても、「若い」ということばがかならずしもぴったり来ない。たいして「かの若き死者たち」を愛に生きた女性らのことと解せば、第二連にはっきりそう書かれてはいないけれど、かのじょたちは男に捨てられたあげく情熱のうちに若くして死んだという想像的なすじがなりたちうる。じっさい、第二連の終盤で、愛に生きた女たちの実例としてゆいいつなまえを挙げられているガスパラ・スタンパ(一五〇〇年代イタリアの詩人)のWikipediaをみると、かのじょは三〇歳程度で亡くなっているのだ。
  • 二時まえで書見を切って洗濯物を取りこみに行った。ひとまず入れただけでもどり、瞑想。二〇分ほど。それから食事へ。木綿豆腐をひとつあたため、汁物のあまりとともにみじかく食べ、洗濯物をたたんだりマットを各所に配置したりしたのち、下階で身支度へ。図書館にかえす本と、年金の口座振替の書類を用意。口座振替申込書はすこしまえにようやく書いて送ったのだけれど、銀行の届出印が捺されていないということでおくりかえされてきたのだ。ゆうちょ銀行はたしかもう印鑑は関係なくなったのではなかったっけとおもって捺していなかったのだけれど、それは通帳に印影を載せなくなっただけで、届出印システムはふつうにつづいているようだ。それに、じぶんが登録したさいにもおこなわれていたわけだし。ただ、印鑑は古いものとあたらしいものとふたつあって、このときどっちかわかんねえとおもってあたらしいほうを捺してしまったのだけれど、古いほうで届出していたかもしれない。そうなるとまたおくりかえされてくる可能性もあってめんどうくさい。
  • 三時一〇分ごろ出発。あたたかな晴天。坂道にはいって日なたにあたりながらふりむけば宙にひかりがながれてかすんでいる。空はきょうも雲ひとつなくまっさらに青で、すこしおおきくなった月が行く手のとおくにうつりはじめていた。街道では歩道をあたらしくする工事がつづいていた。いつもよりてまえ、小公園をすぎないうちに裏に折れ、路地のほうから公園をのぞくと小学校の終わりか中学生かそのくらいの男子が三人連れ立ってあそんでいた。すすむとちいさな公団にかかり、そこの樹々や建物のうえに切られたようにひかりと影の境界線が生まれていて、すぎざまにみあげれば低い裸木のこずえだけが陽につつまれて青空にあかるい。敷地を画す垣根の葉はもう緑があざやかならず酸化した金属のように鈍くひかって、なかにあれはサザンカなのかツバキなのかつねにわからないが紅の花がところどころ灯っているのも盛りをすぎてきわだたず、どちらかといえばかくれるように咲いていた。路地はみぎて、南側の家並みが影を伸ばすからほとんど全面日陰におおわれているが、それはおおかた路上でとまってひだりの家々までははいらず、塀内の庭や駐車場は陽をかけられてまだおとなしく、線路を越えて林縁の家も正面を穏和にしたそのうえに木の薄影を受けている。空き地と白塀にはさまれた一画ではきょうもこちらのすがたが眼鏡ごとうつし抜かれて影絵となり、数歩すすめば空き地が切れて家が来るからほそい木陰が道のうえに青く走ってすずやかであり、旧家らしい白塀のうちでは裸木が枝をつきあげつつ、葉に陽をはじく常緑の族もあり、籠型の植木はすこしだけかたちをゆがめて外にわずかはみだしていた。そこをすぎたあたりではじめて風らしい風がとおって道端の庭木もさわさわ鳴ったがながくはつづかず、音の消えたあとで一軒の戸口に枝葉の淡い影が、さざなみのうちの海藻のようにわさわさとゆるくゆらめいていた。バッグをつかむ手もさして冷えず、あえてポケットに入れるまでもない陽気だった。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)八時半ごろの退勤だったか。駅にはいって、この日はたしか待合室のなかで電車が来るのを待ったはず。そう、そこで(……)くんにメールをつくったのだ。オミクロン株で会いづらいが、かれとはまだ関係を切るつもりはない。元気にしているか、しごとはどうか、とか問うて、状況が落ち着いてからこっちに来る機会があったら知らせてくれという内容。のちほど返信があって、問題なくやっているとのことだった。状況次第だがゴールデンウィークくらいには帰りたいと。
  • 電車が来ると乗って、座ったままじっと心身を回復させて最寄り駅へ。帰路をたどり、帰り着くと母親が誕生日おめでとうと言ってきた。母親はなにも買う時間がなかったが、父親が、誕生日ということでなのか否か不明だが、ケンタッキーフライドチキンを買ってきたという。室にもどってLINEをのぞくとこちらでも(……)くんとあわせて祝うメッセージが投稿されていたので、礼を言い、「生きてるだけで儲けもん」とかえしておいた。
  • その後に特段の記憶はない。
  • 作: 「複雑な銀色を編めよ薔薇の花都市の終わりをおくる喪服に」
  • 作: 「時間とはわれら生者の肌であり有限性の泡立つ浜辺」
  • 作: 「天空はあらゆる比喩を受けいれて今日もことばのおごりをゆるす」