2022/1/22, Sat.

 ところが、宗教改革によって何が起こったのかというと、信仰というのはそのような所与の制度――具体的には教会ですけれども――によって保証されるのではなく、一人ひとりの人間が「内面」で神と向き合うことによって初めて成り立ち、人はそのことで「義」とされる、つまり正しいとされる、そういう転換が起こったのです。
 このことが意味するのは、信仰というのが自分の外に、自分を規定するものによって支えられるのではなくて、むしろ自分が自覚的に選びとって、選びとることによって信じる自分を生み出すという、そういうものだということになるわけです。それをわかりやすく単純化して言いますと、それまで世界の枠組みをなす制度だった宗教、教会が専有してきた宗教というものがいわば「民営化」されて、プライヴェートなものになり、なおかつそれが内面的でポータブル(携帯可能)なものになる、要するに、どこにでも持ち運んでゆけるものになると、そういうことですね。そこから「信教の自由」といった考え方も出てきます。
 またその裏返しとして、プライヴェート(私的)な信仰に対して、では何がパブリック(公的)になるかというと、それは、どんな信仰を心の中に持つ人も対等に活動し、交渉ができる、そういう公共的スペースだとされる。そんなふうにして、プライヴェートとパ(end282)ブリックという区別が制度化されて、「政治的な領域」と「宗教的な領域」との分化、いわゆる政教分離の原則ができたわけです。
 (石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』(ちくま学芸文庫、二〇一〇年)、282~283; 西谷修



  • めざめて携帯を見ると八時一三分だった。ずいぶんはやく意識をとりもどしたものだ。しかしその後、ややまどろみつつ深呼吸をしてながくとどまり、九時五三分の離床。結果、滞在はちょうど六時間半くらいなのでまあふつう。きょうもひかりがまばゆそうな好天である。水場に行ってきてから枕のうえに腰掛けて深呼吸。二〇分ほど。呼吸のちからで肉体をあたためているあいだ、やはり塾講師いがいにも金を稼ぐ方途を見つけなくてはなあというわけで、またネット上でしごとを募集することをかんがえた。とりあえず、いぜんものぞいたが、「ココナラ」でなにかじぶんにできることを探すか? とおもい、のちほど確認した。
  • コップや急須湯呑み、ゴミ箱を持ってうえへ。ジャージにきがえると洗面所でうがいして、食事。ひさしぶりにハムエッグを焼いた。それに昨晩の野菜スープ。母親が言うには、(……)の(……)さんからメールが来て、もう(……)の家には行きません、と言っていたという。詳しいことはよくわからないが、きょうだいのあいだで確執があったというか、(……)さんとしてはもうそのくらいの感じになっているようだ。どうでもよろしい。(……)さんがもうつきあいたくない、縁を切りたいというならそうすればよいだろうとおもう。親戚づきあいはめんどうくさいね、むずかしいねと母親はいうが、そんなことは人間関係すべてそうである。おまえがもし結婚したらきょうだいづきあいとかもできて、などとも言っていたけれど、じぶんは結婚できないとおもうし、そもそもする気がない。新聞からは国際面の、バイデン政権の現状評を読んだ。中西部アイオワ州のとうもろこし農家などは二〇二一年はいままでになくいい年だったと言っており、というのは農産品が中国にたくさん売れたからである。これはドナルド・トランプが中国との貿易戦争のなかでむすんだ合意にもとづく買い入れなのだが、利益を受けた農家としては、とうぜんバイデンにもその路線をつづけてほしい。バイデンのほうも当初はドナルド・トランプのやりかたを批判して、中国と対立するのではなく秩序ある国際関係をとりもどしたいみたいなことを言っていたわけだが、ほかのさまざまな懸案もあり、現実、対中貿易ではトランプ路線の継続にとどまっていると。アイオワ州は大統領選ではトランプが八ポイント優勢で、さらに利益を得た農家の多いランドルフでは四二ポイントと圧倒的な得票差になっていたらしく、バイデン政権もこういう農家たちの支持をえるには路線変更はできない。いっぽう産業界は、対中関税が物価高の一因になっているとして保護主義的政策をやめるようもとめているのだが、その声にこたえるのはむずかしいと。
  • 食後、すこしだけ南窓のそとをみやった。川向こうの集落で煙がうすくゆるやかに立ってひかりの満ちた宙のかなたにひろがっており、てまえでは各所の電線が線のとちゅうにきらめきを一粒ためてちらちらとふるえさせ、白さを塗られた屋根もあり、窓の下方には陽炎じみた蒸発体の浮かぶうごきもみられて、まるで夜のあいだに雨がとおったかのようだった。しかし蒸発はおそらく、窓外ではなく室内の空気のながれが映っているのだろう。風の気配は感知されない。
  • 食器を洗い、風呂も洗うと、白湯を一杯もって帰室。Notionを用意するとあたたかい湯をちびちびすすりながらココナラをのぞいてみた。ほんとうならこういうところに登録してしごとを募ったり、あるいはCrowdWorksみたいなサイトで翻訳を手掛けて小金を稼いだりするべきなのだけれど、どうしてもやる気にならない。やるとして、なんか読み書き関連のよろず屋というか、顧客の要望にあわせてなにかしらじぶんの能力で手伝えることを提供する、みたいな感じがいいとおもうのだが、ココナラとかではそういうのはやりづらそうだ。「~~をやります」というのをタイトルに設定しなければならないようだし、値段もあらかじめ決めて提示する必要がある。強いてじぶんにできるとしたら、ひとが書いた文章を読んで感想を述べたり修正の手伝いをしたりするというくらいかなとおもった。小説を読んで感想を伝えますとか、プロの作家や編集者が添削します、とかいう出品はたくさんあるのだが、なかにひとり、大学生だか院生だか、五万字以内の小説を読んで批評文を書きます、というガチっぽいやつがあって(説明文中に、批評とはもともと臨界点を設定するという意味で、だからたんなる批判ばかりとはかぎらず、作品の限界を見定めるようないとなみなのです、そういう意味で作品の可能性をよりひろげひらくお手伝いができればとおもいます、みたいなことが書かれてあり、好きな批評家は山城むつみだとあった)、けっこう案件をこなしており、寄せられているコメントも、丁寧に読みこんでくださって、みたいな好評ばかりなのですげえなとおもった。じぶんもできるとしたらそのくらいのことだろう。しかし、うえにも記したように、ネット上でこういうしごとを募集するのだったら、これ系のサイトではなくてTwitterとかでやったほうが自由度が高くてよさそうな気がする。はてなブログにあげている日記をそういう方面につなげる気はないので、noteをTwitterと接続して文を投稿しつつフォロー攻勢をかけて存在を売る、というかんじか。むずかしい本をいっしょに読む、というだけで金がもらえりゃ楽なんだけどなあ。そんなうまいはなしもそうはないだろう。そもそもじぶんにはそれを可能にする資格と権威がない。大学教授とか作家ってのはその点やっぱりすごいもんで、たとえばオンライン講義なんかひらけば、勉強したことまなんだことをてきとうにしゃべってりゃそれで金になるわけだ。
  • 「読みかえし」: 362 - 370。
  • 「読みかえし」を読んだりストレッチをしたりすればそれでもうだいたい時間は尽きた。一時ごろに階をあがって野菜スープのあまりかなにかを食べたはず。その後身支度をして、一時五〇分ごろに家を発った。きょうは天気も良いし、ひさしぶりに昼過ぎからの外出なのであるいていくことにした。道に出て東方面にむかいかるく歩を踏んでいると、柚子かなにか柑橘類の樹がいっぽんあるが、その葉の緑が妙に濃く目に染みた。しかし緑が濃くてつよいのは一部のみで、ほかの葉はもっと老いに寄った色合い、幹のかんじもくすんで硬そうな土気色だが、実は黄色くまるまると陽に映えていた。坂道にはいっても日なたがさきのほうまでながく伸びて浸潤するごとくひろがり、背はあたたまって、正面の段上に乗った(……)さんの宅もすっぽり陽射しにつつまれている。とちゅうの左手の木立のなかに発泡スチロールの箱が不法投棄されてあり、側面には「紅鮭」と書かれていた。坂を抜けてあかるみを浴びながら行っていると、前方で道をうろついている婦人が会釈をしてきたので、それで(……)さんではないかと気づき、あ、こんにちは、とあいさつを送った。顔を合わせるのはひさしぶりである。宅の前まで来て互いにちかくなったところであらためて会釈を交わし、寒いねえ、寒いからトイレがたいへんでしょう、とあちらが言ってきたのに(たぶん、長くあるいているうちにトイレに行きたくなるのでは、しかし近間には用を足せる場所がないから難儀だろうとおもったのではないか。そうだとすると、じぶんの実情にわりと当たっている)、きょうはひさしぶりに、昼からなんで、あるこうとおもいまして、とこたえて別れ、さきをすすんだ。
  • ストレッチをよくやってきたので足取りはしぜんとスムーズになる。いつもはあるくとしてももう一時間半ほど遅くであり、そのころには裏通りはほぼ全面日陰に覆われているけれど、午後二時のきょうはまだ家並みのすきまからはいりこむひかりがおおくて陰はおりおり斜めに切り取られており、左方に駐車場など敷地がひらけば隈もなく、線路のむこうの林縁の家に薄木陰もみえない。(……)のあたり、自動車整備工の前に表に出る細道があるが、その脇の家にショベルカーが出張って取り壊されており、淡い土煙が太陽光と混ざって空気が希薄化していた。白猫は奥の戸口のそばにたたずんでいて、たぶん止まればこちらに寄ってくるとおもうのだが、きょうは止まらず。すすむとハクモクレンの見上げる高木で枝先に鈍い薄緑のつぼみがふくらみだしていた。
  • あるいているとその振動で下腹が刺激されるらしく、トイレに行きたくなったので(……)に寄った。はいるとライブをやっている音声が聞こえる。手を消毒して通路に折れ、トイレに行くあいだちょっと耳にしたが、メロディにちょっとZARD感をかんじる女性ボーカルのポップスだった。用を足すと建物をあとにし、のこりの道をあるいて職場へ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路にとくだんの印象はない。帰ってからも同様。着いて居間にはいると母親は炬燵にはいっており、テレビはなんらかのドラマを映していたので、こいつマジでずっとドラマ見てんなとおもった。見ているというか、じっさいにはあまり目を向けてはおらず、ただながしているだけなのだが。この夜になにをやっていたのかという記憶はほんとうに蘇ってこない。なにもたいしたことはやらなかったらしい。疲労に負けたのではないか。