2022/2/26, Sat.

 清潔に寂れた教会は日曜日の郵便局に似ている、と詩の内にある。その郵便局もこの詩の百年足らず前までは都市の要所のひとつであり、鉄道以前の駅であり、あるいは日曜の暮れ方にも馬車が発着して、悲歎と苦悩、忍従と憤怒、憂愁と歓喜の、光景が繰りひろげられたのかもしれない。
 それにもまして今の世に在りながらじつは廃れたものは、悲歎やら苦悩やら、憤怒やら憂愁やら歓喜やら、根源の情動を表わす言葉ではないか。すくなくとも小説の中では、これらの言葉は、まともには使えない。かわりに、それらの言葉で表わされるものの周辺の、微妙な生成や変化を仔細にたどる。あるいは諧謔により反転して打ち出す。しかしその「高度技術」の底には、そもそも言葉ではなくて人の情動の真正が失われつつあるので(end226)はないか、という疑いがつねにひそむ。
 (古井由吉『詩への小路 ドゥイノの悲歌』(講談社文芸文庫、二〇二〇年)、226~227; 「25 ドゥイノ・エレギー訳文 10」)



Many Ukrainians are preparing to fight. City authorities have urged residents to stay home but prepare molotov cocktails for a citizen uprising against Russian fighters if they break through defensive lines. In one district they handed out rifles to any citizen who wanted to fight, and the defence ministry has opened the army to any Ukrainian citizen.

  • ここ四八時間で五万人いじょう、という避難者の数が出ている。

“More than 50,000 Ukrainian refugees have fled their country in less than 48 hours – a majority to Poland and Moldova,” said the UN refugee agency head Filippo Grandi, adding that “many more are moving towards its borders”. Photos have shown enormous queues of cars heading for Ukraine’s western borders. On Friday, guards fired warning shots to prevent a stampede at Kyiv’s central station as thousands of people tried to force their way on to evacuation trains.

Vladimir Putin urged the Ukrainian army to overthrow its leadership, whom he labelled as a “gang of drug addicts and neo-Nazis who has lodged itself in Kyiv and taken hostage the entire Ukrainian people”.

  • NATOウクライナ内に軍をおくることはできないと再度明言している。

Nato will deploy significant extra troops to countries in eastern Europe who are part of the alliance, its secretary general, Jens Stoltenberg, has said. UK ministers warned there would be no forces going to Ukraine itself to avoid an “existential” war between Russia and the west.

  • プーチンとラブロフにたいする資産凍結の制裁が、実質的な効果はあまり持たず”largely symbolic”でしかないことがしるされている。

The EU and the UK have moved to freeze foreign-held assets of Putin and his foreign minister, Sergei Lavrov. The initiative is largely symbolic but followed recognition that appeals for action from Volodymyr Zelenskiy had to be heard.

  • 国連安保理の非難決議では中国、インド、アラブ首長国連邦が棄権した(ロシアは拒否権を持っており、とうぜん反対するので決議は成立しない)。

The UN security council voted on a resolution deploring the Russian invasion of Ukraine. Eleven member states voted for the resolution, three abstained (China, India, and UAE), and one voted against (Russia). As Russia holds a veto, the resolution was not upheld.

  • 「読みかえし」: 1, 509

Approximately 69% of Russians now approve of Putin, compared to the 61% who approved of him in August 2021, according to Russian polling agency the Levada Center. And 29% of Russians disapprove of Putin, down from 37% in August 2021.

  • したがって、〈The Russian public largely believes that the Kremlin is defending Russia by standing up to the West.〉という理解になる。とうぜんながら、国内では情報は操作されている。

Russian state media has issued continuous denials that the Kremlin was preparing for war with Ukraine.

Russian talk shows regularly mocked Western predictions of a looming invasion into Ukraine as “hysteria” and “absurdity.”

Russian news shows started circulating lies about the security situation in Ukraine around February 21. Anchors on the state television Channel One, for example, have said that Ukraine is forcing its own citizens in the Donbas to flee.

  • だいたいのひとびとは戦争を予想していなかったし、ウクライナについてもおおむね好意的にみているが、西欧にたいする反感はつよく、現行の危機はロシアに責任があるとかんがえているひとは四パーセントである。

About 38% of Russians did not consider war with Ukraine a real possibility as of December 2021, according to Levada Center polling. Another 15% completely ruled out the possibility of armed conflict.

Approximately 83% of Russians report positive views on Ukrainians. And 51% of Russians say that Russia and Ukraine should be independent, yet friendly, countries.

The popular narrative is that Russia is a besieged fortress, constantly fending off Western attacks. Half of Russians blame the current crisis on the US and NATO, while 16% think Ukraine is the aggressor. Just 4% believe Russia is responsible.

  • プーチンの支持率はクリミア併合後、過去最高の八九パーセントに達した。サイバー攻撃もあわせたいわゆる「ハイブリッド」な電撃作戦で、あまり血を流すことなく同地をものにすることができたからである。

Putin’s approval ratings reached an all-time high of 89% less than one year after Russia forcibly annexed Crimea, a Ukrainian peninsula, in 2014.

The largely bloodless conquest resulted in “collective euphoria” among Russian people, who have often vacationed along Crimea’s scenic coastline.

  • しかしジョージアのときやシリアへの介入にかんしてはそうではないし、ウクライナ東部ドンバスについてもロシアのひとびとはクリミアと同様の感情をいだいてはおらず、ロシア連邦のいちぶだとはみなしていない。

But Russia’s other recent military actions, including its 2008 invasion of Georgia and its intervention in the Syrian civil war in 2015, were not met with the same enthusiasm.

Public support dropped following both of these military interventions. Now, Russians have not expressed the same personal connection to the Donbas that they felt for Crimea.

Polls conducted since the annexation of Crimea in 2014 consistently show that most Russians support the independence of the two self-declared republics in the Donbas. But they do not see them becoming a part of the Russian Federation.

  • ウクライナでの紛争はおおくのロシア兵を犠牲にすることにもなり得るし、したがって、プーチンの権力の正当性はそこなわれ、国内にもおおくの反対を生み、かれはそれを抑えるためにおおきなコストをついやさなければならないだろうと。

I believe the unfolding conflict in Ukraine could result in countless body bags of Russian soldiers returning to Moscow.

Russia’s ensuing military intervention in Ukraine may prove costly for Putin domestically, undermining his legitimacy and forcing him to spend more resources on quashing internal dissent.

  • 起床は一一時半とまたおそくなってしまった。瞑想はOK。新聞朝刊の一面にはロシア軍がキエフに侵攻、という報。うえにもふれたように、プーチンおよびゼレンスキーが協議を口にしているという情報もあった。亀山郁夫が識者としてインタビューされていたので読んだが、文学者らしく、ロシア国民の精神性とか、プーチンの価値観とか感情とか、観念的なほうを考察した内容だった。そういうこともたしかにあるのだろうけれど、でもやっぱりたしょうふわふわしていて、このばあいなんかなあ、という感。ひとつ興味深いエピソードがあったのは、亀山郁夫は二〇一四年にゴルバチョフにインタビューしたらしいのだが、そこでクリミア併合についてきくと、クリミアのひとびとがそれをえらんだのだから一概にわるいとはいえない、と言っていたのだという。また、ソ連解体のときにNATOの東方不拡大を文書で約束しなかったのを後悔している、とも言っていたと。
  • Nikola Mikovic, “Tracking Putin’s flip-flops on Ukraine”(2022/2/24, Thu.)(https://asiatimes.com/2022/02/tracking-putins-flip-flops-on-ukraine/(https://asiatimes.com/2022/02/tracking-putins-flip-flops-on-ukraine/))。二〇一四年にとうじのウクライナ大統領ヤヌコヴィッチが大衆の抗議によって追放されたさい、プーチンアメリカの要請を容れてかれに軍を動員させないようにしたというのだが、それにもかかわらず西側(交渉を仲介したポーランドとドイツとフランス)が、大統領側と反対派側でむすばれた合意の内容を反対派に遵守させなかったとして(というのは、けっきょくその翌日にヤヌコヴィッチ政権は転覆されてしまったということだろう。ちなみにこの合意がむすばれた日付は二月二一日だとあるから、プーチンが親露派二地域の独立承認を表明したのとおなじ日であり、ちょうど八年前ということになる)、やつらは「無礼」だと憤っていた。NATOが東方不拡大の約束をやぶった、という主張でもおなじ”rude”の語をもちいている。きのう新聞で読んだ二四日のプーチン演説の要旨でも、かれは二度「無礼」という語をつかって強調していたし、西側はわれわれを「見下している」という語も出てきていた。プーチンにとって西欧諸国は、ロシアをなんどもだまして(deceive)きた、鼻持ちならない嘘つき、詐欺師だということだろう。かれ個人の感情面にかぎっていえば、コケにされている、なめられている、という怒りと屈辱感が基調にあるのでは。ちなみに東方不拡大の約定については、典拠をおもいだせないが、もともとの文脈ではドイツについてのみいわれたことをプーチンNATOや西側ぜんたいについて拡大解釈している、というはなしをどこかでみた記憶がある。

“It was possibly the first time that they deceived us in such a rude and arrogant way,” the Russian leader replied.

It was certainly not the first time Putin accused the West of deep deception. In 2010, he said NATO “deceived Moscow in the rudest way” after breaking a promise made to the Soviet Union on no NATO expansion eastward.

The death toll so far in the Russian invasion of Ukraine is at least 198, according to the Ukrainian health ministry. Three children are among those dead. The ministry’s head was quoted by the Interfax news agency as saying 1,115 people had been injured, including 33 children.


A Russian shell has hit a residential building in the centre of Kyiv, Ukraine says. Video shared by Zelenskiy’s press service shows the missile exploding in a private flat, sending smoke and debris into the living room.

The UN refugee agency has said that nearly 120,000 people have so far fled Ukraine into neighbouring countries in the wake of Russian invasion. The agency expects up to 4 million Ukrainians could flee if the situation deteriorates further.


Joe Biden has released $350m in military aid to Ukraine. In a memorandum to the secretary of state, Antony Blinken, Biden directed that $350m allocated through the Foreign Assistance Act be designated for Ukraine’s defence.

  • この日はひさしぶりに(……)にでむいてトーマス・マンの『魔の山』を買ってくることにした。日記もたいして書かず、ウクライナまわりの英文記事を読みながらすごして、四時半の電車で行くことにして三時半ごろ準備に。ちいさなおにぎりをひとつだけつくって食べたあと、白湯を飲んだり歯磨きをしたり服をきがえたり。上着は深青色のチェックのバルカラーコート。四時二〇分ごろ家を出発した。玄関を出ると(……)さんが道をあるいてきており、鍵をかけて階段をおりるとちょうど行き会うタイミングだったのであいさつ。いっしょに行きましょうよと言って連れ立った。あちらは散歩である。いぜん会ったときに一日二、三回あるいていると言っていたからきょうもそうだったのではないかとおもうが、こちらの歩速なのでだいぶゆっくりとしたペースでも、ちょっとはあはあいっていて、疲れがみえるようだった。デート? ときかれたが、いやいやと笑みで返し、きょうはひさしぶりに(……)に、ちょっと書店に行こうとおもいまして、と言った。(……)に行くのもずいぶんひさしぶりですよ、あんまり街にも出づらいですけどね、とつづけると、コロナウイルスでなあと返り((……)さんは、舌がまわらなかったのか、「コロナウイルス」をちょっと言いづらそうにしていた)、おれなんか(……)にも行かない、今年はおさまるのかねえ、というありふれたはなしがつづく。でもたくさん死んでんのに、いまだに銀座とかじゃやめないんだね、と批判のかまえにはいったので、苦笑しながら、あー、都心のほうだとねえ、と受け、若者はねえ、平気だとおもってんのかね、たくさん死人が出てんのに、酒飲むな、っちゅうてもねえ、と言うものだから、暗にこちらもたしなめられているのか? (……)とはいえそれなりに人出はあるから、批判の射程にこちらもはいるのではないか? とおもったが、(……)さんの対象は主には飲み会や酒飲みのたぐいだったようだ。どうなんですかね、ワクチンの三回目がはじまればおさまっていくんですかね、などとこちらはもごもご言っていたのだが、それはきこえなかったようで(また、きこえているときでも(……)さんは反応のリズムが一拍おそいようなときがままあって、こちらのことばが耳やあたまにあまりスムーズにはいっていないか、じぶんのことばをつくるのに時間がかかっているような感じだった)、日本だけのあれじゃないからねえ、世界だから、もうしょうがねえ、とはなしは落ちた。十字路がちかくなったところでかれはこちらの右側からひだりにうつり、くだって川のほうにいくというので、じゃあどうもお気をつけて、とあいさつをして別れた。
  • 木の間の坂をゆっくりのぼっていく。ひだりのガードレールのさき、斜面下の細い沢でガサガサ落ち葉が鳴っていたので、鳥かなにかいるなと視線をおくったが、すがたはとらえられなかった。出口ちかくまでくると樹冠がなくなるから陽が射して、右手の壁にみじかく生えてぼろぼろ毛羽立ったタペストリーのようにそこを覆っている草の緑がかるくなっており、その色のあかるさをみているだけでやっぱりなにか解放感があるなとおもった。休日の気楽さでゆるゆる駅の階段を行き、ホームに出てものろい足取りで前のほうへ。空は穏和に真っ青であり、先頭車両の位置で足をとめて線路のほうを向くと、いましがたまで背後だった左手から西陽がばーっとながれて視界の端を埋めつつ頬を薙ぎ、正面の丘のふもとでは木が一本、葉叢の緑にあきらかな明暗線を引いて若さ暗さをくっきりわけながら、繊毛でできた異生物のようにわさわさもさもさと、各所のうごきをそろえず無造作に風にうごめいていた。陽のもとにちかくちいさくのぞく北西の空では、かなたの山影に空がまぜられ、淡青じみてかすんでいる。
  • 電車に乗って(……)へ。おりると乗り換え。ホームをやはりゆるゆる行き、まえのほうにうつりながら丘の木々のかたちやいろをながめる。先頭車両に乗って着席。まもなく瞑目し、休みながら移動を待つ。とちゅう、二回くらいしか目をあけなかった。からだにはそこそこ疲労感があって、ゆられながら目を閉じているうちにおのずとあたまがまえにかたむくさまだった。とちゅう、(……)か(……)あたりで子連れが乗ってきた声がきこえたが、その女児が(……)ちゃんみたいな声や口調で、こんなところにいるはずがないし声色もちょっとちがうからべつじんだと判断しながらもしばらく追っていた。駅名を読み上げたりしていた。
  • (……)着。降りて階段へ。のぼっていき、改札を抜ける。人波のかんじはそこまで厚くはないが、とりたてて薄くもない。コロナウイルスまえの記憶よりは抑制気味か。四方八方から意味をむすばないざわめきが寄せてつつみこんでくるのを明晰にかんじとりながら北口へ。広場の右方ではなにかの団体がマイクをもって演説しており、同情をさそおうとするかのような、感情的な調子でなにごとかうったえているようすだったが、よくきこえなかったし、わざわざ見にも行かず、目的地にむかって左方にすすんだ。高架歩廊をあるいていき、デパートや宝くじ売り場のまえをすぎ、エクセルシオールカフェの看板に目をとめたりしながら通りのうえに出て、歩道橋をわたるとひだりに折れて(……)のビルにはいった。設置されている検温機(スマートフォンみたいな装置のまえに顔をもっていって映すと自動的に体温を測って表示してくれるやつ)で36. 2度を確認し、かざすと液体が放出される式の機械で手も消毒してなかへ。エスカレーターに乗ってのぼっていった。エスカレーターでは支えがないとどうしてもたよりなくかんじられて、片手を手すりに乗せる。フロアについたときにつぎの昇り口まで数歩あるくのすら鷹揚にやっているので、背後の男性がさいしょはけっこうはなれていたのがだんだん距離がちぢまって、書店につくころにはすぐうしろまで来ていた。
  • 入店。人文思想の棚をさっそく見分。通路にはいってすぐ右の、棚のいちばん端にはみすず書房の本がとりそろえられているのでながめ、そのとなりには渡邉大輔が映画論の新著を出したらしく映画かんれんの特集が組まれていて、そのなかに蓮實重彦のあたらしい本もあった。とおもっていたのだが、いま検索してみると二〇二〇年に出ているので、新著ではなかったようだ。『見るレッスン』というやつ。手にとってさいしょの「はじめに」(だったか?)だけざっと読んでみると、まあいつもながらの調子で、国籍だのつくられた時代だのにかかわりなく好きなようにいろいろ見てそのなかからじぶんに突き刺さるものと出会ってほしいみたいなはなしを明快に言い切っていた。映画をみていると違和感をおぼえるような、ある種おびやかされるような、驚きの瞬間がある、それをとらえなければならないと。もっとも驚きばかりでなく、安心して楽しめる映画というものもあって、それはそれでときによってはよい。あるときには驚き、あるときにはひたすら安心して娯楽映画をみるというのもよい。ただ、安心できる映画にもかならず、ここはとてもうまく行っているなというような、驚きの瞬間はあるはずで、それを見逃してはならないと。そこでなんとかいうむかしの剣客物かなにか、知らないのでわからないが作品を挙げて、たとえばこの映画のさいごの立ち回りのシーンで、壁だか塀だかがすーっと伸びていってそのさきに積もっている雪の白さ、みたいなかんじですばらしい場面の例を出し、それぞれのひとがおのおのにこういうものをみつけてくれればそれでよいのだと言っていた。とはいえまた驚くにしても懐疑が大事で、こんなことに驚いちゃってほんとうにいいのかな、というおちつかなさを体験できなければならない、そしてそういう葛藤を通過して、いや、やはりこれは驚くべきものなのだというところまで行ければ大したものだと。総合的には要するに、差異と遭遇することでそれまでのじぶんの前提や組成や価値体系がくずれてあたらしく生成されていくような体験を称揚するという、現代思想方面でよくあるはなしになっているだろう。
  • きょう本屋に来たのは、三月一三日の会合の課題書であるトーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上下巻、新潮文庫)を入手するのがメインの目的で、くわえてレベッカ・ソルニットの『ウォークス』もなんかほしいし買っちまおうとおもっていたのだが、思想の棚を大雑把に見つつレベッカ・ソルニットのばしょをさがしていると、とうぜんながらフェミニズム界隈に一箇所あるのだけれどそこに『ウォークス』はなかったし、こちらの記憶でもそこではなくもうすこしひだりの、より現代思想の本流(要はフーコーとかデリダとか)にちかいほうでみかけたおぼえがあった。とはいえフェミニズム界隈もみていると、なかにひとつ、これ月曜社だなと背表紙とかかたちをみただけでわかるちいさめの本があり、月曜社の本はどれもおもしろそうなものばかりなので手にとてみると、中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来 英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト』という本だった。目次をのぞいてみてもおもしろそうだし、なによりヴァージニア・ウルフの晩年のはなしとかしているようだったので、これは買っておこうかと記憶にとどめた。その後つつがなく『ウォークス』も発見。おもしろそうで読んでみたい本はいくらでもあるが、このあたりにとりわけ欲望をかんじるという数冊をチェックしてあたまにのこしつつ、いったん文庫のほうに行って『魔の山』があるか確認することにした。それで通路を出て移動。とちゅう、各分野の新刊とか話題の本が平積みにあつめられた棚がならんでいるが、そこでなにかみているややスポーティーなかっこうの人間が、数か月前に塾をやめてしまった(……)くんらしくみえた。しかしほんにんかはわからない。文庫の区画にはいって新刊を瞥見したのち壁際にむかって通路を奥へすすんでいき、行き当たった平凡社ライブラリーのところにはマリー・シェーファーの『世界の調律』が表紙をみせてピックアップされていた。これはほしいとおもいながらももう古くて新刊書店にはなかった本だが、どうも復刊したらしい。しかしきょうは買わず。岩波文庫講談社文芸もひやかしつつ壁際を推移していき、ちくま学芸とちくまもピックアップされているやつだけさっとみると振り向いて新潮文庫を確認。『魔の山』はあったので上下二冊保持し、周辺の海外文学もみるが買いたいほどのものはない。そうして区画を出ると詩を瞥見してからべつの方角の壁際にある海外文学へ。詩や文学論のたぐいからはじめて(フェルナンド・ペソア詩集なんかあってちょっと気になる)、各言語みていくが、ここもいますぐ買っておきたいというほどのきもちはかんじない。なぜなのかわからないが、思想のほうが買う気になる。じぶんはけっきょく創作的な文学のひとではないのか? ともあれフロアをまたあるいて思想にもどり、どれを買うか選定にはいった。『ウォークス』とさきほどの中井亜佐子は(後者は二〇〇〇円くらいでやすいし)買うとして、とくに気になったやつというのはひとつがピエール・クラストルのインタビューで、これはすこしまえの読売新聞の書評にとりあげられていて(選者は小川さやかだったか?)、酒井隆史の解題がひじょうに充実しているとあったし、クラストルじたいも気になっていた。もうひとつは法政大学出版局叢書・ウニベルシタスからあたらしく出たらしいピエール・アドの本で、ピエール・アドというのはたしかフーコーが『性の歴史』を書くときに依拠した古代ギリシャの専門家だったはずで、アドはフーコーの議論に反論してちょっとした論争めいたことになったのではなかったかとあいまいな記憶があったのだが、この新刊は『生き方としての哲学』という、なんというかめちゃくちゃストレートに古典的な、ほとんど黴が生えたように大時代的な書名なのだけれど、じぶんはなんだかんだ言っても古代ギリシアの生と知を統合して善く生きようとするというテーマにやはり関心がある。あと一冊はティム・インゴルドの、これも『生きていること 動く、知る、記述する』という似たようなかんじのやつで、じぶんはけっきょくはいかに生きるか、いかに生と世界をかんじ、記述するかということなんですね。これらをどうするか、どれを買いどれを見送るかとまよったわけだが、値段をみくらべたりじぶんの欲望の程度を正確につかんで考量比較しようとしたりしたあげく、めんどうくせえしぜんぶ買っちまおうという暴挙にはしった。それで両手をいっぱいにして書架を抜け、レジへ。列はなく、すぐに会計にいたった。カバーはことわり、紙袋に入れてもらって、礼を言って受け取り。店を出るまえにトイレに行っておこうかなという気が湧いていた。それで通路をぶらぶら行っていると語学のコーナーが目にはいって、そういえば英語の本をちょっと見ておきたかったんだとおもいだした。英語の本というのは洋書ではなくて英語の参考書のたぐいのことで、なんか前置詞とか冠詞とか、あのへんについてくわしく説明したものとか、英語の感覚をつかむのに役立つものはないかなとおもっていたのだが、それでしばらく区画をまわって見分。はじめて知ったが開拓社という出版社が英語学習のシリーズをいくつも出していて、おのおのけっこうおもしろそうなタイトルだったが、ちょっとのぞいてみると例文をひたすら羅列するような感じの本もあって、こういうのじゃなくてもっと説明がほしいんだよなとおもっていると、実例でまなぶ前置詞みたいな本が表紙をみせて置かれているのを発見し、のぞいてみるとこれがよさそうだった。平沢慎也『実例が語る前置詞』というやつだ。あとは文法書とかこういう参考書のたぐいよりも、むしろリーディングとか翻訳技法をとりあげたような本を読んだほうがよいのかもしれない(柴田元幸がさいきんそういうやつを出しているとおもうが)。そこでとりあげられている実例と、著者の読み、理解、訳し方をみて、このばあいはこういうニュアンスなんだなというのをつかんだほうがよいかもしれない。
  • 買った本の一覧は以下。

中井亜佐子『〈わたしたち〉の到来 英語圏モダニズムにおける歴史叙述とマニフェスト』(月曜社、二〇二〇年)
・ピエール・アド/小黒和子訳『生き方としての哲学 J. カルリエ, A. I. デイヴィッドソンとの対話』(法政大学出版局/叢書・ウニベルシタス1138、二〇二一年)
・ティム・インゴルド/柴田崇・野中哲士・佐古仁志・原島大輔・青山慶・柳澤田実訳『生きていること 動く、知る、記述する』(左右社、二〇二一年)
・ピエール・クラストル/酒井隆史訳・解題『国家をもたぬよう社会は努めてきた クラストルは語る』(洛北出版、二〇二一年)
レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)
トーマス・マン高橋義孝訳『魔の山』(上下巻)(新潮文庫、一九六九年/二〇〇五年改版)

  • それから漫画の区画をとおって(谷口ジローの本だけちょっと確認)トイレへ。小便器のまえに立って目のまえの壁のうえに紙袋を置いたところで、その袋の端にボールペンがくっついているのに気づき、なんだこれとおもった。どうも店員がくっつけたままにしてしまったようなのだが、作業のなかでここにペンをとりつけるような瞬間はないはず。紙袋はたぶんレジ裏にたたまれて置かれているだろうから、その時点でもうくっついていたのか、それか偶然ひっかかってしまったのか。いずれにしても、トイレの鏡のまえで確認してみると、もうインクもすくなそうだし、ゴムのぶぶんもやや汚れていて古そうだし、ふつうにコンビニで売っているような安物だし、わざわざかえさなくてもいいかとおもった。トイレを出てエスカレーターにむかい、レジをちかくにみても、きょうはこれいじょう人間とやりとりするのがめんどうくさいなという億劫なきもちが立ったので、やはりかえさずそのまま帰ってしまうことに。それで階をくだっていき、ビルを出た。出るさい、自動ドアになっているちいさな口のほうはひとがおおかったので、その横のおおきくてやや重いガラスの扉を押してあけ、ふりかえると来る婦人がいたのでちょっと扉をおさえていてあげると礼をいわれた。通路に出ると右折して、来たときとはちがう道で駅のほうにもどる。時刻は六時四〇分ごろ、高架歩廊から見通すビルの林立のむこうには闇が濃く一面を塗りつぶし、そのなかでスーパー「オリンピック」の長方形の看板が白いひかりをまとってやたらとあかるくきわだっている。モノレール駅のしたをくぐっていくとちゅう、通路が面している百貨店の口から中年の婦人がふたり出てきて、かたほうはルイ・ヴィトンらしき褐色のバッグと、もうひとつ、伊勢丹のものではないかというあの緑を基調にしたチェック柄のバッグをたずさえていた。そこにある謎の裸婦像のうしろには段ボールが囲いのように張られており、家のないひとの寝所があるらしい。すすむとビル内にあるパチンコ屋がにぎやかに客引きの放送をながしており、屋根のしたを抜ければもう駅前で空間はおおきくひろがり、北口からまっすぐ正面にむかいあう位置で百貨店のビルの壁にもうけられた巨大なモニターがいまは音楽をながしていたが、それがけっこうよさげな、洒落たものだった。しかしこの日は眼鏡をつけなかったし、アーティスト名を視認できるほどの視力がない。駅舎内にはいってふたたびざわめきのなかの一片と化し、改札をくぐって、ちょうどいま来た電車から降りてぞろぞろとのぼってきたひとびとをかわしながらホームへ。いちばん端の車両に乗って着席。
  • 帰路もほぼずっと目を閉じて休んでいた。疲労はあったが、往路よりはねむくならず、姿勢もくずれず。電車の走行音や、機構が立てるさまざまな音をきいていた。いざ耳を寄せればいろいろな音が入り混じっていて、やはりかなり音楽的にきこえる。風切り音など、ベースになっている気体方面のひびきはなかなかここちがよい。(……)につくと乗り換えまでちょっと時間があったし、コンビニで飯を買っていって自室で食べることにした。それでいったん駅を抜け、商店へ。手を消毒し、籠をもつ。そろそろ花粉症の症状も出てくるだろうからアレグラも買っておこうとおもっていたのだが、まだ売り出していないらしく、見当たらなかった。さくねんかおととしにはコンビニで買った記憶があるのだが。それであきらめて、おにぎりとかカツサンドとかボールペンとか、あとひさしぶりにポテトチップスなんかも買った。バター風味のやつ。会計して退店。駅にもどり、乗車。
  • 最寄りに着いてからの帰路にとくだんの印象はない。帰ってからも同様。