2022/3/21, Mon.

 バクチの運動としてのヴァイシュナヴァ派は、十一世紀、南インドに生まれたバラモンのラーマヌジャ(一〇一六―九一)の哲学によって、初めて知的裏づけを与えられ、ヒンドゥ教の有力な一派に発展するいとぐちを開いた。
 それまでのバクチの教義は、アルワルという尊称で呼ばれる吟遊詩人の群れによって、南インドの各地にひろめられていった。ラーマヌジャは、彼らによって吟詠された詩を、ヴァイシュナヴァ派のヴェーダと呼び、それらの詩を集めて正統派と違った神の観念を創始したのだった。
 ラーマヌジャによれば一つの存在、すなわちブラフマン、または神の存在は認めるが、そ(end502)の一方、有限、多様の実在を正統派哲学のように、マーヤ(幻想)とか単なる外形とはみない。すべての外的対象物、肉体、自我は有限ではあるが、すべて実在であるとみている。そして有限、多様の実在と一つの普遍的実在との間の関係、言いかえれば個と神との関係について、注目すべき独特な考えを展開した。すなわち、人間の魂は神の創造ではない。それは神の一部である。人間の魂は神に依存するものではあるが、しかし神とおなじく始元的なものであって、神と共存するものである。したがって正統派が説くような「人間は神ではなく、人間のなしうることは、ただ神のなにものであるかを知ることのみである」のではなくて、「人間は神に到達することが可能であり、神を会得し、目にみえるものにする努力を行なうべきである」としたのである。
 (マハトマ・ガンジー/蠟山芳郎訳『ガンジー自伝』(中公文庫、一九八三年/改版二〇〇四年)、502~503; 「訳者あとがき」)



  • 「英語」: 86 - 120
  • 一〇時半ごろに離床。睡眠としてはかなりみじかいが、ふだんとさほどの変化はなし。ベッドからたちあがったときにはすこしだけ下半身に重さをかんじたが。花粉のために鼻の奥がぐずぐずになっているのがわずらわしかった。炎症を起こしてひりついているのがはっきりとかんじられる。たぶん鼻うがいをすれば鼻のなかの粘膜というのもきれいになって耐性がつくのだろうが、やりかたは知らないし、苦しそうだからやりたくない。
  • 水場に行ってくると瞑想のまえにあおむけにもどり、すこしだけ脚をマッサージしながら本を読んだ。レベッカ・ソルニット。それから枕のうえに尻を乗せて瞑想。一一時四〇分ごろまですわった。そうして上階へ。家内は無人。母親はたぶんしごとだとおもわれ、父親はきのうから山梨に行っているもよう。ジャージにきがえる。寝床にいるあいだは太陽をみたが、このころにはすでに曇りだしていたとおもう。午後一時現在はかんぜんに白天となっている。そのためか空気の肌触りは意外とそこまであたたかくない印象。
  • 食事には例によって卵を焼くが、ハムがなかったので冷凍の安っぽい豚こまぎれ肉をつかった。炒めているときのにおいがいかにも肉の生臭さ。その他さくばんの鍋的なスープのあまり。卓にはこんで新聞を読みながら食事をとった。一面でウクライナ情勢をみると、マリウポリで、市民四〇〇人ほどが避難していた美術学校がロシア軍の攻撃を受けて倒壊し、おおくの死傷者が出ている見込みとの報。ロシアは作戦の行き詰まりをむかえ、市民を標的にした残忍な攻撃をおこなっている、と米国は非難。国内外に避難したウクライナ人は一〇〇〇万人を超え、戦争前の人口は四二〇〇万人ほどだからおおよそ国の四分の一が避難したことになる。一八歳から六〇歳までの男性は国外に出ることをみとめられていないという。徴兵というか、ばあいによっては戦力としてかぞえるということだろうか。キエフ近郊に住んでいた足のわるい男性が、杖をつきながら一昼夜森のなかをひたすらあるいて避難した体験をかたる記事もあった。ふつうの道路などはロシア軍がいたり戦闘があったりなどでとおれず、みちのない森のなかを行くしかなかったと。道中で両軍の死体をたくさんみたという。とちゅうでロシア軍の検問所にひっかかったが、身分証明書かなにかみせたらとおることができたらしい。足がわるかったためではないか、とのこと。
  • 食器を洗って風呂も。ポットはきのういちど洗浄しようとしたところがうまく行かなかったらしい。あまりきれいにならなかったし、電源をつなぎなおしたら火花が散って、濡れてたんだとおもうけどなんかつかうのがこわくなっちゃった、とさくばん母親が言っていた。それできょうもコンセントからははずれており、かわりに薬缶で沸かした湯が保存された魔法瓶が置かれてあったのでそこから白湯をつぐ。ポット洗浄中みたいな品を入れて沸かせばいいだけだとおもうのだが、薬剤がどこにあるのかわからない。
  • 部屋にもどるとNotionを用意し、「英語」ノートを読んだ。86から120まで。それからここまで記して一時一二分。とにかく日記を書く時間がぜんぜんとれない。一五日の火曜日分からずっとしあげられていない。しかも火曜日は外出したので書くことが多く、まだまだ終わっていない。どうもさいきんいそがしい。世の多数者にくらべればよほどなまぬるい環境と条件にあるとおもうのだが、それでもずいぶんいそがしくかんじられ、やりたいことややるべきことをぜんぜん満足にこなせない。困難をおぼえる。とはいえ、そこで文句を言って腐ってもしかたがない。つねに困難があるのはとうぜんのことで、そのなかでできるだけのことを粛々とやっていくしかない。それが建設的で生産的な態度というものだろう。義務感で文を読んだり書いたりするなどくそくらえだ。おれはぜったいにこの文を出版しないし、金にもしないし、作家にもならないぞ。
  • いま帰宅後の一一時すぎ。夕食をとりながら(……)さんのブログを読んだ。二〇日付の記事のしたのぶぶんにわらったが、『ドラゴンボールZ 超武闘伝』っておれもってたやつだな、スーファミでかなりあそんだやつだな、とおもいだした。我が家のゲーム機はスーファミでとまっていたので、それをやるしかなかったのだ(スーファミ以降のものとしては、ワンダースワンゲームボーイアドバンスをもっていて、後者もよくやったが、据え置き型としてはスーファミしかなく、とうじあたらしく発売して一世を風靡したロクヨンとプレステ1はついに買ってもらえなかった)。しかし検索してみると我が家にあったのは『超武闘伝2』のほうだ。オープニング画面でコマンドをいれると、「カカロット……カカロット……」という低く重々しい声がひびいてブロリーがつかえるようになるのだが、そのコマンドを早業でいれまくって、「カカロット……カカロ、カカ、カカ、カカロ、カカ、カカロット……」みたいにしてあそんでいたのをおぼえている。ソフトではマリオカート魔界村もよくやった。FFはスーファミ時代のⅣ、Ⅴ、Ⅵしかやったことがなく、プレステになったⅦ以降はすこしもふれたことがないのでほぼ知らない。ドラクエもⅥまでで、Ⅶ以降は友だちの家でたしょうみたくらい。

(……)最近、食事中にみるYouTube動画がなんとなくネタ切れ気味で、先日なんてよりによってSFCの『ドラゴンボールZ 超武闘伝』のプレイ動画をみるという、およそこれ以上の時間の無駄遣いはこの世に存在しないのではないかという暴挙に出てしまい無駄な業(カルマ)を背負ってしまったのだが、こういう講義系の動画をもうちょっとディグってみるのもいいかもしれない。英語圏のものであっても字幕がついていればなんとかなるだろうし、30分くらいでさくっとみることのできるものを探してみて、食事のお供にしたい。Kindleで書見しながら食ってもいいかもしれないが。とにかく『ドラゴンボールZ 超武闘伝』のメテオスマッシュ集をみている場合でないことだけは確実だ。

  • 一九日の、精神分析理論にまつわっての記述中さいごの、「わたしはこのような享楽を享楽したい。しかしそこに意味はない。世界はこのようにある。しかしそこに意味はない。そこでわたしはわたしの享楽の無意味と世界の無意味を重ね合わせる。わたしの享楽とかかわりのあるかたちで世界に意味を与え、そうすることでまたわたしの享楽もその世界のなかで意味を与えられる。無意味と無意味をかけあわせることで意味を捏造する。それがファンタスム=物語である」というのは、なんだか実感としてすごくよくわかるなとおもった。
  • 午後一時台にこの日のことを書いたあとは、ベッドにころがって下半身をほぐしながら書見した。レベッカ・ソルニット/東辻賢治郎訳『ウォークス 歩くことの精神史』(左右社、二〇一七年)。おもしろい。第七章「ウィリアム・ワーズワースの脚」を読み終え、第八章「普段着の一〇〇〇マイル」にはいった。第六章からはじまる第二部のタイトルは「庭園から原野へ」というわけで、庭園を逍遥するというかたちであったイギリスの遊歩文化が、自然への関心のたかまりとともにそのそとに場所をうつしていき、風景への感性や愛好が生まれ、またその見方が知性やステータスをあらわすひとつの技術としてみとめられていく、とおおまかにはそんな内容のみちゆき。いわゆるロマン派の時期の詩人らはだいたいよくあるいたようで、また自然への賛美もロマン主義の特徴としてもっとも一般的だとおもうが、そのなかでイギリスにおいて、あるくこととの関連でもっとも重要だったり先鋭的だったりしたのはワーズワースだったようだ。とにかくよくあるいたようだし、それは生涯つづいたようで、またかれの詩のおおくはあるきながらつくったものらしい。詩もそうだが、『湖水地方案内』というのが法政大学出版局・叢書ウニベルシタスから出ていたはずですこし気になっていたし、かれといっしょに長距離の旅をしたこともある妹ドロシーの日記も読んでみたい。
  • 二時前で切って瞑想。やはり起床直後と、外出する日はそのまえにも一回すわりたい。このときはどれくらい座ったのだったか、二時二〇分くらいまでだったか? その後上階に行って洗濯物を入れ、食事。洗濯物は曇天だからあまりよく乾いてはいなかった。食事は鍋的なスープのさいごのあまりだけ。すぐに食って下階にもどる。きょうはシフト表をみるかぎりではじぶんが鍵開けとはなっていなかったのだが、さいきんの(……)さんのかんじだとわからないし、すでに職場があいているとしてもきょうはあるいていこうとおもったので、どのみち三時すぎには出るつもりだった。それで身支度にかかり、歯磨きをして、白湯をちびちび飲んでいるとサイレントモードの携帯が電話を受けていることに気づき、みれば(……)さんなので、やはりきょうもあとから来るのだろうとおもった。出るとそうで、鍵開けをお願いしたいというので了承する。体調はやはりあまりすぐれないようで、声色にちからがない。ややかぼそいような、弱ったようなかんじになっていた。白湯を飲むときのうの記事にメモをとっていたが、もちろんいくらもとれないままに二時五〇分に達したので、そろそろきがえなくてはと打鍵を打ち切り、FISHMANS “頼りない天使”のながれるなかでスーツにきがえた。バッグも用意。いれるものといって財布と眼鏡と携帯だけだが。手帳はいつもスーツのジャケットの左側の胸のかくしに入れている。手帳のなかにボールペンをはさむと厚くなるためにひっかかりがちで出し入れがしづらいので、ペンは手帳と分離しておなじかくしに差している。しかしさいきんではもはやそとでメモをとったりなにかを書いたりすることはほとんどない。まえは日記を書くときのためによく記していたが。ここさいきんはまた、現在時にぜんぜん追いつけないので、ある程度の印象事だけでもさきにメモをとっておいたほうがよいのではともおもっているが、どうもあまりやる気にならない。
  • 空気のかんじからしてコートは着ないと帰りがさむいだろうが、マフラーはいいかなと判断した。うえにあがると靴下を履いて尻のポケットにハンカチを入れ、手を洗い、勝手口のそとにあった台所のゴミ箱や生ゴミ用のバケツをなかにいれておく。カーテンもいちぶ閉める。トイレへいって放尿。それで三時くらい。ファンヒーターのタンクを確認するともうかるくなっていたので、これだけいれていこうとおもい、スーツすがたにサンダル履きでタンクを片手にさげながら玄関を出て、”頼りない天使の”メロディを口笛で吹きながら勝手口のほうに行った。石油を補充。ポリタンクにとりつけてあるポンプがスイッチをいれてもうごかなかった。先日もうごかず、しかし前回いれたときは問題なく稼働したので電池をとりかえたのだろうとおもっていたのだが、よくわからない。もうひとつあるすこしおおきめのポンプを、ポリタンクのふさがっている口とはべつのもう一口にさしいれてそれで燃料をタンクにうつす。済むとタンクを拭いて蓋をしめ、つかったポンプも石油を散らさないように気をつけてもちあげて口のところで液体を切ってからタオルで拭い、かたづけるとタンクをもって室内へ。もどす。せっかくいちど手を洗ったのにもう一回あらうはめになった。
  • そうして出発。あたたかみはないものの、肌寒いというほどでもない。坂道をのぼっていくと周囲の木々が風にふれられてさわさわと鳴りを発し、左手の上り斜面にある茂みのあたりではなにかをたたくような、ひとの気配らしきものが立ったのだが、じっさいにひとがいたのか風と植物のためだったのかわからない。右側のガードレールのむこうでは篠竹など、ほそいたぐいの草木が音を吐きながらゆるやかにかたむきふれている。
  • いま三月二七日日曜日の午後一〇時まえ。この日のことはもはやなにもおぼえていないので、記述をあきらめよう。